2012年12月23日日曜日

檀一雄展



自宅のそばにある石神井公園ふるさと文化館で開催中の「生誕100年檀一雄展」を観に行って来た。
地元の施設だけにたいした展示もあるまいと思っていたが、なかなか貴重な書簡や書画、写真などが生涯を追って集められていて見ごたえがあった。

檀一雄氏の石神井の居宅は私の実家のすぐそばにあり、幼少時からご家族とは馴染みがあるので、昭和30年以降の写真は特に懐かしい。
盟友坂口安吾が狂気にかられ100杯のカレーを注文したという現存する食堂で一杯やりながら孤高の作家たちを偲んでみるか。

2012年12月10日月曜日

週間呑みアルキスト11.19~12.9




●11月23日
三連休初日、V社のパンフ制作の最終入稿のため連休返上。ライターのTM嬢、SM嬢とすずらん通り「SANKOEN」で食事。この1年本当にこのスタッフと飯を食っている。

●11月25日
休日の神保町は中華料理かチェーン店、ファストフードくらいしか開いていない。この日はライターSM嬢と「大戸屋」で食事。翌日が健康診断なのでビールもほどほどに。

●11月26日
V社のパンフが校了。プチ打ち上げでTM嬢、SM嬢とともに九段下の南欧ダイニング「ボン・ビブール」へ。南欧ということでパスタとかもあるが一応スペイン料理が基本メニューのようだ。タパス何品かと締めのパエリアを頼んだがナンちゃってスパニッシュにしてはそこそこ行ける。値段もリーズナブル。靖国通り沿いのBAR「クラインブルー」にハシゴ。

●11月28日
校了も終わったので早い時間から『明治屋2nd』へ。久しぶりに新宿2丁目に足をのばし『t'S bar』にハシゴ。

●12月1日
Jリーグ最終節。降格圏のチームのサバイバルマッチが面白い。ファンにとってはやきもきするだろうが、往々にして優勝以上にドラマチックな結末が展開する。ビールを飲みながら各試合の中継をチャンネル変えながら見守る。新潟が前節に続き2連勝。ガンバ大阪が磐田に敗北を喫し、新潟が奇跡の残留決定。結果ガンバと神戸がJ2降格。

●12月2日
早明戦をテレビ観戦しながら、昼から家呑み。ロスタイムで明治大逆転。かつては国立につめかけたものだがジャージーがツルツルになってからすっかり面白くなくなって足が遠のいていたが、こういう試合を観ているとやはりスタジアムに行きたくなる。

●12月4日
出版社EB社のST氏、KH社のKN氏と九段のBar「GOSH」で吞み会。二人とも会社の幹部として活躍中だが、最近の出版事情はやはり大変なようでついつい仕事の愚痴や悩みが話題の中心に。彼らよりたっぷり15歳以上年長の立場だが、組織から外れて長いのであまりいいアドバイスも出来ずもっぱら聞き役に回る。新宿に流れて「t's bar」へ。


2012年12月7日金曜日

ヒンデンブルグ



1937年ニューヨーク郊外で起きた、ドイツの飛行船ヒンデンブルグ号の爆発炎上事故をテーマに、米資本家とナチの隠された陰謀を暴く歴史ミステリー映画『ヒンデンブルグ 第三帝国の陰謀』の試写を観る。

ドイツのTVムービー用に製作された作品のようだが、たっぷり予算はかけられているようだ。現存する設計図を基に再現されたというヒンデンブルグの迫力は、SFXが駆使されているとはいえ迫力満点。航空オタはそれだけでも見る価値あり。
 とってつけたようなラブストーリーとか家族愛とか、ドイツ人俳優が皆英語をしゃべったりとか、陰謀もいまいち練れてねーよ、と幾多ある不満もラストの迫真の爆破シーンですべて帳消し。実際こんな事故でよく62人も助かったもんだと思ってしまったよ。

90年代結構好きだったグレタ・スカッキのオバサン化にはちょっとショックだったけど。 

2012年12月6日木曜日

詩と音楽


友人からのお流れの招待券でトッパンホールのクラシックコンサートへ。

プログラムはドイツを中心に活躍するピアニストの河村尚子さんと、ドイツのソプラノ歌手クリスティアーネ・エルツェによるリート(歌曲)。

リートをちゃんとリアルで聴くのは初めての体験。セットリストはシューベルト、ウェーベルン、ブラームス、プーランク、リヒャルト・シュトラウスから数編づつ。いずれも1曲1曲は短いのでパンフレットに邦訳された詩(ハイネやゲオルゲ)を追いながら聴けるので判り易かったし、エルツェ嬢の伸びやかでよく澄んだ声は聴きごたえがあった。ただドイツ一色の中で唯一プーランクだけがフランス語だったが全然フランス語に聞こえなかったw

解説書のプロフィールによるとエルツェ嬢は20世紀音楽に注力しているようで、ナチによって頽廃音楽として弾圧されたユダヤ系作曲家の歌曲でリサイタルやCDを発表しているとのこと。機会あればこちらも是非聴いてみたいもの。

トッパンホールも初めてだったがウッディな作りのホールで音も柔らかくなかなか素晴らしい環境だった。

2012年12月5日水曜日

140越え


 年に1回の健診で血圧測定で初めて140を記録してしまった。

いままでは比較的血圧は安定していて医師からはかつておほめの言葉をもらっていたこともあったのだが、昨年初めて「高めですね」と言われ驚いた。気にしつつはいたのだが今年はついに高血圧の分岐点ともなる140を記録してしまったのである。

もちろん加齢もあろうが生活習慣に根差すところは明らかで、飲酒、外食、運動不足の3要素が確実に数値を押し上げているわけだが、こればっかりはすぐに改めよと言ってもなかなか出来ることではない。まあ友人たちに言わせれば、「140なんてまだまだ」「俺なんて医者から降圧剤飲まなきゃ死ぬよって脅された」とか大した部類には入らないらしいが、高血圧自慢をしていてもはじまらない。

中村勘三郎が逝去した。何とか言う肺の疾患だが、元は食道がんだ。
昨夜よく行く飲み屋の大将が食道がんになったことを聞き、そういえば仕事で付き合っている高校の1級後輩も肺がんの闘病中だったことを思い出し、われわれも気をつけなければねなどと会話していた矢先のことで驚いた。

勘三郎は1級下の同じ歳。学生の頃、在学していた八十助(現板東美津五郎)を訪ねて来ていたのを見かけたことがある。歳が近い人の訃報は本当に身にしみるものがある。心から哀悼の意を表したい。

晴れて140を超え、立派な生活習慣病予備軍に加わってしまった今、明日はわが身を自戒しつつ、せいぜいガンジーの言う「明日死ぬことを考えて、今を生きよ」を肝に銘じて生きてかねばなるまい。

まずは少し身体を動かそう。仕事もそこそこにしなければ。




2012年11月19日月曜日

週間呑みアルキスト10.29~11.18



●11月2日
後輩IK君の結婚パーティーで六本木・アークヒルズの『CHOICE!』へ。広告営業の責任者だけあって業界関係者が多数参加の今時珍しい大規模なパーティーだった。会社在籍中にお世話になった懐かしい面々とも再開し色々と話に花が咲く。こういう公の席は葬式の方が圧倒的に多くなってしまったが、やはり晴れやかな席は気分もはずむというものだ。

●11月5日
取材先の近所で遅いランチ。九段・二松学舎大学の13階展望レストラン『そら』は一般人もOKということなので編集のSM嬢とともに大学構内(といってもビルだが)へ。地階には学食があるのだがこちらはちょっと値も張るためか学生さんの姿はちらほら、職員や一般客が多く見受けられる。メニューもヴォリュームよりはオーガニックな質に気を使ったもの。社食や学食っぽくドリンクが無料なのは嬉しい。明るい窓から九段、千鳥が淵の遠景を観ながらゆっくりすごすには良いかもしれない。

●11月6日
打ち合わせで編集のTM嬢、SM嬢が来社。終了後神保町すずらん通りの『SANKOEN』で食事。店自慢のジャンボギョウザとシュウマイで腹いっぱいに。夜遅い食事で身体にいいわけは無いのだが。

●11月8日
早いものでこの日は一の酉。出社前に地元の大鳥神社に参拝。夕方学生時代の友人ED氏が来社。近所のタワービル内の蕎麦屋『柳屋』で軽く一杯。混乱する政局の話題でかつては国家主義的な思想の持ち主だったが「この国はもう駄目だ」と嘆息。彼がそういうくらいだから本当にダメさ加減は深刻だ。余生は海外でというこちらの青写真にもいたく同意してくれる。

●11月9日
桜新町のデザイン事務所BN社で打ち合わせ、帰り道に編集のTM嬢と駅近くの蕎麦屋『田中庵』で食事。大正3年創業の老舗ということだが店は新装されてきれい。蕎麦のメニューもヴォリュームも大衆的で郊外の街なか蕎麦屋としてはまあまあ上等の部類か。

●11月14日
わが代表チームのワールドカップ最終予選が折り返しに入り、アウェイのオマーン戦に臨む。この日の首都マナマの気温は35度、現在0度近くの気候で戦っている欧州組にはつらいアジア予選独特の試練ではある。前半サイドの長友の崩しから清武が先制はしたものの、後半はやはり体力が奪われ、エースの本田も動きが重くほとんど機能しない。セットプレーから同点にされやはり中東の過酷なアウェイ戦では勝ち点3は難しいとあきらめかけた残り1分で、酒井高のサイド突破から遠藤のヒールでゴール前に流し、岡崎が飛び込むという見事な展開で決勝点をゲット、総勝ち点で2位以下を大きく離すことになり、ブラジルへのチケットにぐっと近づいた。事務所のテレビで観ていたのだが、さっそく店じまいして隣の『明治屋2nd』で祝杯。


2012年11月12日月曜日

桜井センリも


桜井センリ氏の訃報。


高度経済成長をC調で無責任を合言葉に駆け抜けたクレージーキャッツのメンバーで生存するのは犬塚弘氏のみになってしまった。


昭和が、いつも日向だった時代が、本当に遠くなっていく思い。


合掌

2012年10月29日月曜日

TFF3本目 五月の後

東京国際映画祭最終日にフランス映画『5月の後』(オリヴィエ・アサイヤス監督)を観賞。1971年のパリの革命派高校生たちの群像劇で、タイトルの5月は1968年のパリ5月革命のことを指すので、いわば“遅れてきた青年たち”が主人公。
まさに自分とまったく同じ世代の話だけにもう胸がきゅんきゅんに締め付けられてしまう。謄写版印刷のインクやスプレー缶のペンキとかの匂いが甦って来る。映画でのフランスの高校生たちとはインテリジェンスや男女関係の進み具合!が大分違えども、これでもかと再現される当時のカウンターカルチャーをはじめとする時代の雰囲気の中で、政治や恋愛に挫折し将来の方向性を見いだせずに悶々としていた自分のあの頃をいやおうなしに思い出さされた。
監督の自叙伝的な作品ということで調べてみると、アサイヤスはなんと3日違い生まれ。どうりで同じ歳の世代観が胸に響くわけである。

2012年10月28日日曜日

週間呑みアルキスト10.9~10.28

●10月10日
スポーツフォトグラファーKG氏、元編集KJ氏と四谷『徒歩徒歩亭』で2014年のW杯の企画について打ち合わせを兼ねて会食。KG氏は出雲駅伝に行っていたということで初優勝したわが母校の健闘ぶりを聞く。いつもの通り食事後はBar『3Circle』で2次会。
●10月11日
お台場のテレビ局のA誌が、不定期刊になるため担当部署と新富町のダイニングバー『nobo』で慰労会。結構細かい直しの多い仕事で閉口することも多かったのでほっとするが、経済的な部分での補てんは頭が痛い。
●10月12日
BD誌の25周年イベントで六本木のTOHOシネマズへ。昔懐かしいキャロル・リード監督の『フォロー・ミー』の上映と周防正行監督のトークショー。終了後食事場所を考えていたところに、K社の後輩編集者MT氏、とライターのKM氏、デザイナーのTB嬢から新宿で呑んでいるので合流しないかとのお誘い。時間も遅かったが新宿三丁目の串焼き屋『路地』でラスト1時間半ばかり宴席に参加。『ritbar』に終電まで流れたが、チャージの高さにビックリ。未明に日本代表の欧州遠征第1戦のフランス戦で歴史的勝利
●10月14日
会社の隣のBar『明治屋2nd』の常連さんでサックスプレイヤーのKG氏のライブが新宿『PitInn』で開催されたので久々に生JAZZを聴きに行く。スタンダード中心だがKG氏の手によるオリジナル曲もあり知られざる才能に驚く。ライブ後本人交えて『明治屋2nd』の面々と新宿三丁目の『池林房』で打ち上げ。
●10月16日
日本代表の欧州遠征第2戦はポーランド・ヴロツワフでのブラジル戦。会社のテレビで缶ビールを飲みながらの観戦。0-4の完敗。まだまだ日本の実力も知れたものだ。
●10月20日
わが社の同じビルに引っ越してきたT出版のO社長とデザイナーAK氏、ST嬢と近所の焼き鳥や『ボンちゃん』でささやかな引っ越し祝い。一段と顔を合わせる機会が増えそう。
●10月21日
祝日を利用して『明治屋2nd』主催のイベント・三崎漁港まぐろづくしツアーに参加。三崎漁港の『くろば亭』という居酒屋で名物まぐろのカブト焼きを13人で平らげる。他にもまぐろの白子てんぷらや珍味の数々で満腹。しばらくまぐろはいいや。
●10月22日
恒例、東京国際映画祭アジアの風の台湾映画『逆光飛翔』を観に六本木のTOHOシネマズへ。この日も映画鑑賞後、都合よくというか西麻布で呑んでいるK社の後輩IK氏と広告代理店D社のKS氏からお誘いがあり『礼三』というチャイニーズダイニングで会食後、六本木のBar『DORA』へ流れる。IK氏は翌週に結婚式を控えていて独身生活最後の日々を忙しく飲み歩いているようだ。昔話で盛り上がりつつ前途を祝す。

●10月23日
ライターSM嬢と新規仕事の打ち合わせ。会社の近所のイタメシ居酒屋『ピアンタ』で会食。
●10月25日
大学時代の友人ED氏から連絡があり新宿で会うことに。新宿三丁目の『かり屋』で食事しながら呑む。ED氏も老後は海外逃避を考えているらしく盛り上がる。彼のお誘いで2次会は超久しぶりに歌舞伎町のキャバクラ『倫の風』でゴチになる。たまに若い女子たちと話すのもいいものである(自分の財布じゃないから言えるが)。
●10月26日
曙橋のデザイン会社MM社のガレージバーべキューに招待される。焼肉以外にも石川県直送の刺身、山梨の馬刺し、ロブションのパンやフランスの珍しいチーズ類と絶品のワインが大判振る舞い。ごちそうさまでした。

2012年10月25日木曜日

TIFF2本目 パンのココロ

東京国際映画祭、朝一番で台湾映画『愛的麺包魂』(邦題「パンのココロ」)を観に行く。高雄・旗山の田舎のパン屋を舞台に、店の娘を巡って幼馴染のパン職人と、アメリカで自分の番組を持つほど有名な台湾系米国人のパンマエストロが恋のさや当てをするお話し。

ということで、まあよくあるドタバタのラブコメ劇といったらそれまでだが、おフランスに憧れるヒロインと、都会的でバタ臭いABC(American Born Chinese)のからみがモチーフだったりするのに、舞台がこてこての台湾南部の田舎という文化ギャップがおかしい。セリフも仏語、英語に北京語、台湾語、日本語(少々)が飛び交う多言語カルチャーが実に台湾っぽいし、また皆んな地元の素人という田舎のオジサン、オバサンたち=ティピカル台湾人の表情を見るだに楽しくなってくる。昨年の映画祭「那些年,我們一起追的女孩」ですっかりファンになってしまったヒロインの陳妍希(ミシェル・チェン)も田舎のよく居る隣の女の子的な立ち位置を上手く表現していたように思う(えくぼカワユス♡)。

しかし10年ほど前に台湾に駐在していたときは、食生活で唯一不満だったのがパンがまずかったこと。この作品ではよくもまあパンが美味そうに撮れるものだと思っていたのだが、聞くところでは最近の世界コンクールでは台湾の職人が相次いで賞を総なめにしていて、台北あたりでは人気店に行列ができているそうだ。高炳權監督も質疑応答で“台湾のパン文化を知って欲しい”というくらいで、ここ10年の変貌ぶりにビックリさせられてしまった。

朝からこんな映画を見せられたので、帰りがけさっそく昼飯用に「pompadour」に飛び込んでパンを買い込んでしまった。監督推薦の菠蘿麺包(パイナップルパン)はもちろん無かったけどw

2012年10月23日火曜日

TIFF1本目 逆光飛翔

東京国際映画祭開幕。今年は3本ほどしか観ることができないが、昨夜は台湾映画『逆光飛翔(邦題 光にふれる)』を鑑賞。
台湾で全盲のピアニストとして実際に活躍している黄裕翔が本人役で主演(辻井伸行みたいな人)。台湾で初めて一般大学へ進学した彼の挑戦と、周りの人々のとまどいと暖かい目を描きながら、経済的問題から舞踊をあきらめているコーヒー店のバイト女性・小潔(張榕容)との邂逅と友情を通して、人生のポジティブな生き方を指し示すという内容。
全体的にはことさら大きなドラマが起こるわけでもなく、静かにストーリーが進行するが、その控えめな表現と音楽が心地よい。台北映画祭や釜山映画祭で観客賞を獲るなど映画ファンに広く受け入れられたのも素直な演出手法が逆に好感を呼んだのではないだろうか。 ルームメイト役で台湾の青春ものでお決まりのデブで良い奴という友だちキャラや、母親役の李烈も好演。
台湾映画の専門家・田村志津枝さんの著書で、『養鴨人家』(1965)はじめ台湾映画ではなぜか障害を持つ人を主人公とする映画が多い気がすると書いてあったが、この映画もその伝統に即しているのかもしれない。実際、日常的にも義捐活動は街中でよく目にする。東日本震災でも発揮された台湾社会に通底する優しさみたいなものの一端がこの映画からも感じさせられるような気がした。
しかし主会場が六本木ヒルズに移って以来、映画祭っぽさがまったく感じられなくなったが、帰りがけ、昔の仕事仲間からタイミングよくはかったように西麻布での飲み会へのお誘いを受ける。たまにはヒルズでもいいことがあるもんだ。

2012年10月15日月曜日

週末のお楽しみ

土曜、日曜とお楽しみのスポーツイベントが揃う中、知人より譲り受けた50インチのプラズマディスプレイの搬入もあって臨場感あふれる中継が楽しめた。
まずはサッカー日本代表のヨーロッパ遠征。強豪フランスに圧倒的に攻められながらもしのぎ切り、カウンターで終了間際に香川真司が止めを刺しての大金星。相手は1.5軍ではあったし、日本も決して状態は良くなかったのであまり過大評価はできないが、敵地サンドニで結果を出したのは素晴らしい。
ボクシングでもWBCスーパーバンタム級王者の西岡利晃が、WBO最強の王者ノ二ト・ドネアと統一戦に挑んだが、西岡の切れ味鋭い左を炸裂させる前にドネアに圧倒され強烈な右ストレート一閃でマットに這わされTKO負け。西岡にはひょっとしたらという期待もあったが、やはりパッキャオと並び称されるドネアの実力の前にはいかんともしがたかった。しかし、その意気やよし。最後の花道を飾った西岡のチャレンジは心から称賛したいと思う。
日曜午後には新宿の『PIT INN』で最近知り合ったアルトサックス奏者片桐智和君のライブを観に行く。『PIT INN』なんて何年振りだろう。スタンダード中心(2曲は彼のオリジナル)の演奏を聞きながら、色々と昔のことを思い出す。

2012年10月8日月曜日

週間呑みアルキスト9.10~10.7

●9月11日
ワールドカップ予選のイラク戦。埼スタのチケットを抑えてあったのだが、A誌の入稿の関係で生観戦は断念。せめて事務所のテレビで缶ビールを開けてみることに。ジーコ率いるイランの堅い守備に手こずりながら、右サイド、早いスローインから岡崎が折り返し、前田のファインゴールでゴールをこじ開けた。これで日本は勝ち点的にはダントツ。今年11月からのアウェイ戦ばかりの折り返しでもかなり優位に立った。はやくも2014年のブラジルが現実味を帯びてきた。
●9月14日
Fテレビの会議から戻り、編集のSM嬢、TM嬢と神保町のイタめし『オステリアアプント』で食事。A誌の入稿が佳境に。
●9月16日
事務所に出社する前に、秩父宮ラグビー場で母校の試合を観戦。相手は大学王者の帝京大学。まあはなから勝てるなんて思っていなかったが年に1回の秩父宮での観戦だけに負けが分かっていても仕方がない。せめて50点以内の善戦を期待したが、FW戦でディフェンスラインを粉砕され、また相手バックスの勢いを止めるすべもなく100―0の大敗。久々に三桁負けを見る羽目になった。9月とはいえ30度を越す猛暑で、美味い筈のビールはただただ苦いだけ。
●9月18日
A誌校了に向けての作業が続く。先方から山ほど入る修正指示の嵐に思わず悪態をついてしまう。事務所のそばの中華料理『正香園』でSM嬢、TM嬢と食事しながらもぼやきが止まらない。
●9月19日
兄夫婦が神保町に来て食事を誘われる。校了作業を中断して三省堂地下のビアホール『放心亭』で軽く一杯。
●9月20日
A誌の校了が苦労しながらも終了。この号を限りに不定期刊に移行するためしばらくは校了のバタバタはお休みになるのかもしれない。深夜、新宿三丁目の『かり屋』でSM嬢、TM嬢と打ち上げ。
●9月22日
K書店のT誌が30周年を迎える。30年前の創刊スタッフと横浜・関内の蕎麦屋『利久庵』でささやかな宴会。普通なら社を挙げてパーティーでもするべきだろうが、雑誌不振のK社にそれを望むべきもないか。30年前には20代,30代だったスタッフもいまや年金と病気の話が話題の中心。それでもしばらく話しているとすっかり気分は30年時計の針を戻した気分に。いまやリタイヤした人たちばかりだが、それぞれ第2の人生に幸あらんことを。
●9月25日
兄夫婦が再び「神保町シアター」で映画鑑賞のため神保町に来ているとの連絡があって、すずらん通りの中華ダイニング『SANKOEN』で食事。
●9月26日
仕事でかかわっているJICAの国際支援のキャンペーンの記者勉強会に立ち会うため竹橋の共済会館合同ビルへ。動員の協力で無理やり出席をお願いしたSW嬢と終了後パレスサイドビルのビアホール『ライオン』でご馳走する。
●10月1日
A誌の発送作業と新規仕事の打ち合わせでSN嬢、TM嬢と神保町『鉄火炉火』で会食。
●10月3日
のWEB掲載用の対談で麹町のJICA本部へ。評論家勝間和代さん、JENの木山啓子事務局長のスーダン,ハイチ支援の体験から今後の国際支援のあり方を聞く。終了後、四谷の居酒屋『テング酒場』でD社のおごりで慰労会。
●10月7日
対談のテープ起こしで出社。新規仕事の打ち合わせを兼ねてSM嬢、TM嬢と新宿南口の『韓花』で食事。ポッサム、トッポギ、海鮮チジミ美味し。

2012年9月16日日曜日

まだ暑い秩父宮へ


大学ラグビーのシーズン開幕。
母校の初戦は昨年の学生王者帝京大が相手。下位チームゆえたった1試合だけの秩父宮でのゲームでもある。
昨シーズンは1部昇格で、日体大、成蹊大を破ってそこそこ健闘したので、勝てないまでもどれだけやれるか興味があったのだが、試合開始早々から帝京のパワフルな攻撃でディフェンスが崩壊、トライの山を重ねられ終わってみれば0-100の目を覆うばかりの完敗だった。
前節に立教が帝京相手に0-74だっただけに、スコア的にいえば当面のライバル立教にも差を空けられたわけだ。

メンバー表を見れば、出身高校的には大して差があるわけではないし、むしろ高校代表候補はこちらの方が多い感じだ。だが個々の体格からして鍛え挙げられ方は一目瞭然、これは基本的には練習量の差としか言いようがない。何とか残りの試合で、少しは汚名を晴らしてくれればよいのだが。

2012年9月10日月曜日

週間呑みアルキスト8.20~9.9


●8月20日
ライターのTM嬢と打ち合わせ後、神保町の中華『大興』にて食事。後にまだ仕事が控えていたこともあって、店内のボードに貼り出されていた果実系のサワーのラインアップから選ぶ。桃やぶどうはじめなかなか濃厚なものが多く美味。店主がしきりに勧めるので一瞬自分とこで密造?と疑うが、台湾じゃあるまいし(かつて駐在時に田舎で体験)と思直す。昨今のサワ―のもてはやされ方でどこかの酒造メーカーが開発したんだろう。ということにしておこう。

●8月22日
JK氏が久しぶりに来社。いつものように蕎麦で軽く(そうならずにヘビーになるのもいつものことだが)一杯という誘いで、すずらん通りの『静邨』へ。案の定2件目というパターンになりそうだったが、仕事も山積なので丁重にお断りして帰社。

●8月24日
近所のTM社のOK社長が来社。TM社の事務所の移転がどうも同じビルになりそうなので事前にスペース確認をということなのか、最近よく覗きに来るようになった。『東京アチコーコー』で軽く一杯。OK氏は翌日にK社時代にの同僚だったST氏と呑む予定があるとのことで、こちらも合流することに。

●8月25日
OK氏、ST氏との飲み会は、なんと葛飾区の立石。いい居酒屋が多いということは聞いているが山の手の住人としては産まれてから京成立石の駅に降りるのは2度目。夕方4時の待ち合わせだったが、人気の『鳥房』とかは既に行列ができているので断念し、呑みや横町からはずれたもつ焼き『かんちゃん』という店に落ち着く。下町の昭和の風情が色濃い土地柄なので、流儀に従ってホッピーともつ焼き各種でいい時間が流れていく。二軒目は名前は失念したが駅裏路地の家族で(おばあさん、旦那、奥さん、息子)でやっている居酒屋に流れる。路地裏には小さい店がびっしり軒を並べているがいずれこういう風景も再開発で消えてしまうのかもしれない。スタートが下町時間で早かったこともあって結構呑んだが早い時間に山の手に帰還。

●8月30日
夕方から事務所で中国語のレッスン。相棒のKN氏が仕事が入って間に合いそうもないとのことでJ老師と二人で世間話。尖閣問題で揺れる日中関係を意地悪く聞くが、J老師はいたってノンポリで「よくわかりませ~ん」とはぐらかされる。KN氏から講義が終わるタイミングで仕事終了の連絡が入り、せっかくなので同方向に帰路につくことからKN氏の地元のひばりが丘で軽く呑むことにして、最近出来たというイタリアン系のダイニング『EASTWOOD』という店に。

●8月31日
A誌の仕事で、夏休み最後の日にアポイントが取れた現役高校生のインタビュー。友人関係のつてで都立R高に通う生徒さん3人が神保町にまで来てもらう。インタビュー終了後、特集担当のTM嬢とタイレストラン『ムアン・タイなべ』で打ち合わせ。久々にシンハ―、タイガーと東南アジア系のビールを賞味。

●9月1日
NT社の雑誌企画で麹町のBS社にて阿川佐和子さんのインタビュー。メディアで観ての通りの聡明かつチャーミングな人で、“聞く”達人と言われるのも自身の魅力があってのことと納得。終了後、編集で担当してもらったAR嬢と四谷まで出て『PIZZAサルヴァトーレ クオモ』でお疲れ様会。

●9月3日
TK社OK社長と、デザイナーAK氏と会社の近所の中華料理『正香園』で食事。OK氏の引っ越しが決まれば3社とも凄く至近距離になる隣人同士だ。OK氏が会社から忘れ物を届けさせる電話をしていたが、彼の息子さんが届けに現れたので同席させる。台湾駐在時は小学生だったが今や大学4年生だ、時がたつのも早いものだ。

●9月4日
ヤングなでしこの対ドイツ戦の試合をテレビ観戦しながらライターTM嬢と打ち合わせ。終了後『大戸屋』で食事、隣の『明治屋2nd』で軽く一杯。といってもすぐ終電タイムに。

●9月7日
TK社OK社長が、ついに同じビルの5Fの事務所に引っ越しの手続きを完了したとの報告。前祝いということで神保町の鉄板焼き『鉄火炉火』で食事。また頻繁に呑みアルキのお付き合いが復活しそうな状況。ほどほどにしないと仕事も身体も、資金も持ちましぇ~ン。

2012年8月20日月曜日

週間呑みアルキスト7.23~8.19


●7月25日
前週よりテレビ雑誌のオリンピック特集で忙殺。この日よりいよいよロンドン五輪が開幕するが、週刊誌のデイリー特集の製作に突入しなかなか終わらない。翌週の見どころなぞを書きながら、なでしこジャパンのカナダ戦を鑑賞。

●7月26日
ロンドン五輪は男子サッカーのスペイン戦。この日ばかりは早めに帰宅してスペイン産ワインを準備しての家呑み観戦。サッカー史に残る番狂わせ達成!

●7月27日
開会式。深夜(というか早朝)にちびりちびりやりながら、東京五輪の開会式を思い出し、古いVTRを取り出して市川崑監督「東京オリンピック」を全編見てしまう。

●7月28日
いよいよサッカー以外の本番が開幕。女子柔道の福見の敗退に唖然。なでしこは予選ラウンドの大一番スウェーデン戦。家呑み。

●7月29日
男子サッカー、モロッコ戦。家呑み。北島100平あかん。男子体操団体予選も不振。

●7月30日
『明治屋2nd』でちょい呑み。やっと柔道で松本が金、中矢は惜しくも金を逃す。

●7月31日
なでしこ、南アフリカ戦。家呑み。グループリーグ2位位狙い当然のこと。

●8月1日
男子サッカー、ホンジュラス戦。家呑み。 1位通過!関塚ごめん。

●8月2日
柔道不振続く。『明治屋2nd』でちょっとした論争に巻き込まれ終電まで。

●8月3日
なでしこは決勝トーナメント1回戦。ブラジル撃破!

●8月4日
久しぶりにカメラマンのKG氏、KJ氏と外呑み。四谷の中華『徒歩徒歩亭』で食事、『3Circle』にハシゴ。
男子サッカー、準々決勝エジプト戦は3発快勝でベスト4へ!

●8月5日
女子マラソンを見ながら家呑み。室伏は3位、ボルト完全復活。

●8月6日
なでしこは準決勝フランス戦。厳しい試合だったが少ないチャンスを活かして2-1の勝利!いよいよ決勝進出だ!

●8月7日
会社帰りに新宿二丁目『t's bar』で一杯ひっかけて気勢を挙げてから男子サッカー、準決勝メキシコ戦。しかしながら大会前のダメ代表に戻って完敗。ここまでか。

●8月8日
女子レスリング強し!

●8月9日
神保町に新しくオープンしたイタリア料理『オステリアアプント』にデザイナーAK氏、ST嬢、T出版O社長で会食。小じんまりしたレストランだが明るい店内はきれいで感じが良い。味もそこそこ。神保町はイタメシが根付かないと言われているので是非頑張って欲しい。なでしこはいよいよ決勝戦。強敵アメリカに2発先行され苦しい展開だが魂の戦いで肉薄。惜しくも1-2でワールドカップの再現ならず。

●8月10日
お台場のテレビ局で会議後、編集のTM嬢、SM嬢とアクアシティ『TO THE HERBS』のハッピーアワーでピザをつまみながらビールを一杯。

●8月11日
李明博の竹島上陸で騒然とする中、男子サッカー3位決定戦は因縁の韓国戦で家呑み観戦。2発くらって気合負け。この敗戦でこれまでの快進撃全てが無に帰す。関塚ごめんは取り消し。

●8月12日
男子マラソンを家呑み観戦。後味の悪い韓国戦は政治アピールでメダルはく奪の可能性も。お笑い反日愛国主義自爆で笑かしてくれる。めしウマ~。閉会式を観ながら寝落ち。

●8月14日
T出版O社長、デザイナーAK氏と神保町のシンガポールレストラン『マカン』で会食。久しぶりにタイガービールをがぶ飲み。

●8月17日
新宿二丁目『t's bar』に立ち寄り、常連のEB社ST氏と呑んでいるうちに、元K社でお世話になった編集者のFJさんと映画ライターのUB嬢が入店してきてビックリ。映画の話はやはり楽しい。







2012年8月14日火曜日

4時間半の試写 『ミステリーズ 運命のリスボン』


世の中はお盆休み、都心の交通はガラガラ。本日は会社にいても電話も鳴らないので、こういうときじゃないとと全編4時間半の長編映画『ミステリーズ 運命のリスボン』の試写に午前中から出掛ける。昨年8月に没した名匠ラウル・ルイス監督が生前最後に完成させた作品でポルトガルの文豪カミロ・カステロ・ブランコが原作。19世紀、リスボンの教会の寄宿舎に身を寄せる一人の孤児の出生の秘密を解き明かしながら、登場人物たちの万華鏡を見るような運命が徐々にパズルのように組み立てられていく仕掛け。没落する貴族階級の愛憎劇なのだが、~侯爵の嫁が~男爵と不倫して、その不義の子が~伯爵の娘と恋に落ちるといったぐちゃぐちゃした人間関係をひたすら追うというお話なので、割と単純なのだがややこしい。リスボン好きなのでタイトルに魅かれて行ったものの、こちらもコスチュームプレイなのでリスボンの街の情景が描かれるわけでもなくやや期待外れ。試写室の冷房が効きすぎということもあったのだがちょっとつらい4時間半だった。
10月、シネスイッチ銀座他にてロードショー。

2012年8月13日月曜日

ロンドン五輪を観ていて


17日間にわたったロンドン五輪もいよいよフィナーレを迎えた。
今年は、仕事で久々に雑誌の五輪特集にかかわったので、いつも以上に結果が気になってテレビの前に居る時間が多かった。特に大会後半になって個人的に応援していた選手たちの活躍はうれしかった。

陸上男子10000mと5000mで2冠を達成した地元イギリスのモハメド・ファラーは、JICAのフェイスブックキャンペーンで記事を書かせてもらったが、ソマリア移民の出自で、彼の活躍がどれだけ内戦と飢餓に苦しむ人々に力を与えたことか。日本選手が予選敗退していたため話題にこそならなかったが、BSのライブ中継では手に汗握りながらデッドヒートに声をからした。

またボクシングミドル級村田涼太の金メダルは、ボクシング界にとって東京五輪以来48年ぶりの快挙だったが、実況アナウンサーも語っていたが、その東京五輪の金メダリスト桜井孝雄氏は、今年の1月に他界されている。
いまから40年ほど前になるが、予備校に通っている頃、高田馬場栄通りにあった桜井氏が経営するスナック『メダリスト』によく通った。店内に等身大に引き伸ばしたファイティングポーズをとる桜井氏の写真は格好良かったが、お店はなんとなくうらぶれ感があって引退した元栄光のメダリストの行く末としてもの悲しさを感じたのを思い出す。当時のバンタムはF原田はじめ強豪ぞろいで東洋は取ったものの、ライオネル・ローズやルーベン・オリバレスに敗れ世界には手が届かなかったこともあってその後すっかり忘れられた存在だった。村田の金メダルで久しぶりに桜井氏のことや東京五輪の記憶が呼び覚まされた。
村田の偉業には感動したが、早くもプロ転向が噂されているし日本では珍しい重量級の逸材だけに、プロ側もほうっておかないだろう。偉大な先輩がプロで果たせなかった夢をぜひとも実現して欲しいものである。

今回のロンドン五輪は序盤の日本選手の不信もあったが、終わってみれば史上最高のメダル数(金は少ないが)でそこそこ盛り上がった。何十年ぶり~、というフレーズもよく聞いたことからも若い世代の健闘はたたえられてもいいだろう。特に女子サッカーなでしこジャパンは、昨年のワールドカップ優勝の期待感でプレッシャーも大きかっただろうによくファイナルまで戦ったと思う。女子サッカーに関してはレベル的な問題もあってそれほど他人が騒ぐようにどうも熱くなれなかったのだが、宮間や沢はじめいつもながらのハートナイスなフェアな態度には感心させられたし、勝ってなお敗者を慮る彼女たちのメンタリティが世界の賞賛を浴びたことは本当に素晴らしいと思う。領土問題のプラカードをこれ見よがしに掲げる隣国の民度の低さと対比させたくもないが、スポーツ本来の意味を自分の娘(孫?)といっていいような若い彼女たちが範を示してくれたことに感謝したい。政治も経済もお先真っ暗な日本の未来へ一縷の救いを見たような気がした。

2012年7月23日月曜日

週間呑みアルキスト7.2~7.22


●7月5日
年に1回の恒例の高校OBのマスコミ会に参加するために日比谷の『松本楼』へ。自分が参加するようになってから(というか、事務局を任されたため逃げられなくなったからでもあるのだが)もう10年以上たつが、来年は何と30回を数えるというから、けっこう歴史を重ねてきたものである。ここ10年間で物故者となってしまった先輩たちも多いのだが、最近ではぼちぼちと若い参加者も増え平成卒もちらほら登場し出しているので一時期会の存続が不安視された新陳代謝も回りだした感もある。2次会も誘われたが入稿を抱え仕事が山積してるので辞去し事務所へ戻る。

●7月6日
仕事の打ち合わせ先から戻り、車で送ってきてもらった編集のSM嬢、TM嬢と神保町の中華料理店『正香園』で食事。週明けの入稿のためあまり呑んだりはできないのだが(もちろんSM嬢は車の運転もある)、最近はどの店でもアルコールフリーのがあるので、やはり気分だけでもとビールもどきで代用する。

●7月7日
土曜出勤。応援で頼んだバイトの若者MS君と仕事の合間に近所のイタメシ屋『ピアンタ』に。MS君は20代半ば過ぎでずいぶんと若く感じるが、自分がその頃にはけっこう生意気だったし今とそんなに変わっているとは思えないので、あまり先輩風を吹かしても仕方が無いと思い、ついしがちな“俺らの頃は”話は極力避けるようにしたが、こちらから話題を探さないと会話もはずまないので結構気を遣う。

●7月9日
昼時に大学時代の友人で現在D大学の准教授となっているST氏がひょっこり顔を出したので、近所の回転ずし『もりいち』で食事。この店は彼の紹介なので彼が来た時ぐらいしか行かないのだがまあそこそこ美味い。食事後は昼は喫茶になっているBAR『クラインブルー』で一服。ST氏がこの時期化を出すのは学生たちの就職で近辺の大手出版社の人事にあいさつ回りに訪れるからなのだが、つかの間の昔話で楽しい午後のひと時を過ごす。夜入稿のため飯田橋のK社に入稿原稿を届け、その足で手伝ってもらっている元編集のKJ氏とHZ嬢と『北町商店』で終電近くまで。K社の地元だけに店で後輩の連中にも遭遇、久々の近況を聴く。

●7月10日
編集のTM嬢と神保町『ランチョン』でビールを飲みつつ打ち合わせ。この日も引き続き入稿デーでTM嬢にも手伝ってもらいKJ氏とともに夜中の作業。入稿時間が朝方近くになったため、始発までの時間をつぶすので新宿3丁目に移動し朝まで開いている居酒屋『呑者家』へ。お店ですっかりご無沙汰の新宿のBAR『BURA』のEさんとバッタリ。

●7月11日
K社の仕事がやっと校了。校了紙を戻しにKJ氏、TM嬢、TZ嬢とやはり真夜中に飯田橋のK社へ。たまたま帰宅途中の昔の後輩TK嬢と鉢合わせしたため彼女も併せて24時間営業の飯田橋『土間土間』で打ち上げ。

●7月13日
夕方、電話で呼び出され兄夫婦と神保町駅に隣接するイタリアン『ボーナマイア』でごちそうになる。最近はシルバー料金を利用して神保町劇場の古い日本映画をよく鑑賞しにくるそうだ。60過ぎたら自分も少し余裕を持って映画三昧なんてのもいいのかもしれないが、貧乏ヒマなしを絵に描いている現在まだまだ忙しい日々が続く。

●7月16日
休日だが、いつも溜まっている『明治屋2nd』の常連のおやじ予備軍の連中と飲み会。有楽町の老舗のビヤガーデン『ニュートーキョー』でジンギスカンのバーベキュー。おやじ予備軍の会=コヤジ会というだけあって30代40代の男ばっかりなので、勇躍新橋のセクシー居酒屋『はなこ』へ行くが、セクシーといっても単にフロアのお姉さんがへそ出しのミニスカユニフォームで注文を取るだけで健全そのもの。昔のノーパンしゃぶしゃぶとかバブルの頃のイケイケさはどこへやらである。

●7月19日
お台場のFテレビの会議後に、編集のTM嬢と駅ビルの台湾料理の老舗『ビーフン東』で食事。ひさびさにここの肉粽を食べていたく満足し無性に台湾に行きたくなる。ここのところ雑誌の入稿仕事が続いていたので寝不足もあって早々に退散。

10代のことなんてついぞ考えてなかったが


 現在、仕事で受けている雑誌の特集企画が進んでいるが、テーマは「いまどきティーンの実態」。
齢50を超えて、自分の息子より若い世代のことを調べなきゃならないのだが、バブルを教科書で習った(!)という連中がどんなことを考えてこの危機的な世の中を見ているかは結構興味がある。もちろん時代の変遷で彼らの考えに理解しがたいことも多々あろうが、思えば自分たちだって大正生まれや昭和ひとけた生まれの親たちの世代から同じように思われてきたので、わからないのはいつの世代だって同じことだ。

 きっかけはとある出版社からニコニコ動画にハマっている中高生に向けた企画の相談を受けたことで、大体そんなものに10代の連中が一生懸命になっている事すら知らなかった。件の雑誌の企画会議でちょっと知ったかぶりで伝聞したことを披露したので、それじゃということで特集することに決まってしまった。言いだしっぺが担当することを考えると余計な事を言わなければよかったとちょっと悔やんだが、雑誌の発行先であるテレビ局が乗ったのも、少子化で数は減っているもののだからと言って今後の視聴者の主体へとなって行くであろうこの世代のことは研究する必要があったのだろう。

 数年前に博報堂の生活研究所がまとめた「10代のぜんぶ」(ぽぷら社刊)という本がある。既に絶版となってしまったが2004年から2年間にわたって調査した10代のヒアリング調査で構成されていて、携帯電話に依存する彼らのコミュニケーションの取り方とかはなかなか参考になる。それから数年たってスマホの時代になって生活自体がどう変わっているのだろうか?時代のスピードが著しく早まっていて、情報ツール自体も日進月歩かわっていくわけだが、この本でも分析していた「自分の将来に対するイメージ」なんかはそれほど変わったかといえば、そうでもないような気がしてくる。自分の頃だって明確な将来のビジョンなんて持ってるやつはそんなにいなかった気がするし、大人になって行く過程で直面する事態に影響されながら変わって行くものではないのだろうか。
 
 年をとると「俺らの頃は」とつい言いがちだが、そう言いたくなるのを抑えつつ今後の調査の結果の進展を見ていきたいと思う。しかし、少子化、衰退する経済、3.11以降混迷する日本人の状況を考えると、いまの10代の行く末はなかなか厳しいんだろうなと心配せざるを得ないが、まあ自分たちもそのうち老いて彼らに依存するわけだから自分たちの問題でもあるのだけど。

2012年7月1日日曜日

週間呑みアルキスト6.4~7.1


●6月5日
夕方から中国語のレッスン。今回から高田馬場から神保町に場所を移す。授業終了後、受講生のKN氏と九段下の居酒屋『幻蔵』にて軽呑み。

●6月6日
仕事の打ち合わせで久しぶりに以前所属していたK社へ。当時の同僚たちの多くは既にやめてしまったが、それでも見知った顔は多く色々なところで声をかけられる。打ち合わせ後、担当のTK編集長とTJ役員が飯田橋の和風ダイニング『北町商店』にて宴席を設けてくれる。

●6月8日
お台場のテレビ局で会議の後、新橋で編集のSM嬢、TM嬢と食事。この日は日本代表のワールドカップ最終予選の対ヨルダン戦があるのと、翌日からポーランドに旅行に行くため準備もあるということで、本当は早く帰りたかったのだがテレビのあるところならいいんでしょと押し切られてしまう。たまたま看板で中継予定が描いてあった韓国風居酒屋『然』に入ると、大きなスクリーンのまん前という好ポジション。店自慢のチジミをパクつきながら日本代表の圧勝劇を大騒ぎしながら観戦。当然ながら深夜の帰宅寝ないで旅行準備の荷物詰めになる。

●6月9日~6月16日
ポーランド(グダニスク、ワルシャワ)行

●6月18日
この日から出社。『明治屋2nd』に顔を出すが、なでしこジャパンのアメリカとの親善試合の中継があるため会社に戻り、ビールを飲みながらテレビ観戦。この時期サッカーの中継づくしで帰国後もなんだか時差ぼけを感じないくらいに昼夜は逆転している。ユーロは益々加熱しており連日寝る間もない。

●6月19日
季節はずれの台風が近づき大雨の中、先月校了したFテレビの報道部の仕事の打ち上げが築地の『江戸肉割烹ささや』という古民家を改造した料理屋で行われる。766頁の震災報道記録集の制作は大変ではあったが、なんとか納期に間に合わせたのと、出来あがりも評判が良いそうで一安心。お店は雰囲気も料理もなかなか良かったが帰り際は大雨になってしまった。それでもタクシー券を出してもらい大名帰還ということだったので言うことなし。

●6月20日
編集のKJ氏来社。打ち合わせ後、専大交差点の中華料理『東方園』で食事。ウーロンハイでメートルが上がっているKJ氏のもう1軒の誘いを振り切り帰宅。

●6月22日
お台場テレビ局会議後、神保町に戻りいつものメンバーで三省堂地下のビヤホール『放心亭』で食事。テレビ局は次週が人事異動の発表。こちらも大きく仕事に影響があるので噂話でもちきり。

●6月26日
『明治屋2nd』に顔を出すと、常連客の一人OG嬢が人事異動で広島に転勤になるとのこと。どこの会社も人事異動の真っ最中であるが、地方転勤はなかなか本人にはつらい出来事のようですっかりしょげ返っている。まあいつでも東京に来ればこの店があるじゃない、となぐさめるが会社勤めもそれはそれで大変なものだ。お台場の局も窓口の長が異動になってしまうというニュースに驚く。

●6月27日
ライターTM嬢と打ち合わせ。終了後、九段下の居酒屋『幻蔵』に行き軽呑み。仕事が一段落してしばらく平穏だったが五輪関係や編集担当雑誌の次号の企画などでそろそろあわただしくなってきた。

●6月30日
『明治屋2nd』を貸切にして、常連さんたちでOG嬢の送別パーティーが行われるので一応顔を出す。広島に行っても時々は東京に顔を見せて欲しい。頑張ってください。

2012年6月28日木曜日

RIP


塚越孝アナ、ザ・ピ-ナッツ伊藤エミ、ノ―ラ・エフロン。それぞれに思い出深い人たちの訃報が相次いだ日。
塚越さんは、ニッポン放送在職中の頃にシンガポールでお会いして仕事の打ち合わせをさせていただいた。結局仕事自体は成立しなかったが似顔絵入りのラジオ番組の宣伝用名刺をいただいたのでその日のことは今もよく覚えている。ノ―ラ・エフロンもPREMIRE誌をやっていた頃人気のあった監督さんだったなあ。脚本を担当した「When Harry met Sarry…」、「Sleepless in Seatle」「You gat a mail」。それぞれ洒落た映画だった。

各人のご冥福をお祈りします。

2012年6月26日火曜日

ポーランド日記


●6月9日
成田11:30初のSAS0984便でコペンハーゲンへ。空港で4時間のトランジット。コペンハーゲンは北欧随一のハブ空港でショッピングモールもそこそこ大きいのだが、店を覗くのも30分もあれば飽きてしまう。そうこうするうちにバーのカウンターに泊まってビールを飲んでいると目の前のスクリーンで欧州選手権グループBのオランダ対デンマークの試合が始まり、いつしか周囲は黒山の人だかり。オランダは個々の力量で攻め込むもなかなか得点とならず、その間隙をぬったデンマークのクローンデリに値千金の一発を食らってしまった。さすが地元の空港だけにショップの店員たちも商売そっちのけで大歓声を上げる。この雰囲気、やっとユーロにやってきたと実感。小型のSK0753便に乗り換えポーランドのグダニスクへ。既に日本から20時間近く経過しているがやっと日が暮れてくる。グダニスク到着後とりあえず市街地郊外の「ホテルショパン」へ。

●6月10日
この日の試合開始は午後6時、ホテルでゆっくり朝食を取った後、事前にネットでプリントアウトした地図を頼りに近郊線の駅プリュシュチ・グダンスキ駅に向かう。駅まではのどかな光景だが、駅がまたのどか過ぎてビックリ。15Kほど離れたグダニスク市街まで列車で20分ほどだが、その列車は1時間に1本しか来ないのだ。
30分ほど時間をつぶしてようやくグダニスク市内に向かう。中央駅のコンコースを出るとすでにスペインとイタリアのサポーター一色。歌声が響きわたる。その喧噪を後に旧市街とは反対側のはずれにある旧レーニン造船所の跡へ見学に行くことにする。いわずとしれた東欧民主化の象徴となった「連帯」の闘いの記念碑に連帯しに行くのだ。大きなモニュメントとともに弾圧に対する抵抗の歴史を刻む造船所壁面に飾られた記念レリーフなど、当時の熱い季節の記憶を反復させてみる。何人かの観光客も来ていたが、人影もまばらな静けさに意外な思いがする。20数年の時間の経過で今の世代にはそれほど訴えることはないのだろうか。旧市街地の広場という広場のレストランはスペイン、イタリアのサポーターに占拠されているので、ショッピングモールのテイクアウトのタイ料理屋で焼きそばのBOXとビールで腹ごしらえ、市内の名所をひととおり周って早めにスタジアムへ向かう。ビジャ、プジョルを欠く王者スペインにイタリアがどこまで食い下がれるか。スペインは比較的イタリアを苦手としているだけに興味は尽きない。試合は相変わらず流れるようなパスを廻すスペインに堅い守りからカウンターを伺うイタリアという構図。先制したのはイタリアのディナタ―レのファインゴール。目が覚めたスペインも10分経たないうちにセスクの1発で同点に。両者白熱したままドローゲームとなった。素晴らしい雰囲気、素晴らしきフットボール。素晴らしい時間が過ぎた。帰りは中央駅で列車の番線をボランティアに聞くと「タクシーの方が早い」成程。タクシー飛ばしてホテルのバーに駆けこんでパスタを食べながら冷たいビールで1日を締める。

●6月11日
朝一番で一旦ホテルをチェックアウトしワルシャワに向かう。仲良くなったフロントの女性がタクシー手配してくれたり弁当手配してくれたり親切に応対してくれる。ターミナル駅のトチェフまでタクシーで30分ほど。ワルシャワまでの長距離列車の番線が判らずにおたおたするが何とか自分の乗るべき列車に飛び乗り、約5時間の列車の旅の始まりだ。6人定員のコンパートメントはすべて女性(おばさん4人、若い女性1人)で2人のおしゃべりおばさんのほかは全員眠りこけている。車窓は延々欧州の田園風景。日本から持ってきた小説を読みふける。尻が痛くなった昼過ぎにワルシャワ中央駅に到着。タクシーで友人がブッキングしてくれたワルシャワ大学のゲスト用ホテル「ソクラテス」に向う。ここも市中心部から離れた郊外で周囲は公園があって環境はいいが何もない場所。チェックインしているとバングラ人の留学生から「日本人?」と話しかけられ、複雑な構造になっている施設の説明をしてくれ色々世話を焼いてくれる。友人に到着の電話を入れた後、朝が早かったのと疲れで爆睡、気がつけば夜の10時を回っていた。食事をしようにも周辺にはお店らしきものは何もなく10分ほど歩くと街道筋にマックのネオンサインを見つけ、ポーランドのマクドナルドで空腹を満たすハメに。

●6月12日
午前、午後とガイドブックを観ながらワルシャワ市内観光へ。聞けば地下鉄駅までは意外と近いことが判明。地下鉄で市の中心部に向かいワルシャワ蜂起記念碑や無名戦士像など戦争時の記憶に連なるスポットを観た後、戦後廃墟から再現された旧市街、ショパンゆかりの地など回りながらヴィスワ川のほとりでスタジアムを眺めながら休息。再び旧市街のロシアサポやポーランドサポで賑わうメーン広場に戻り、ガイドブックにも記載されている老舗レストラン「Zapiecek」でポーランド料理を賞味。夕方、中央駅近くの友人NK氏との待ち合わせ場所で合流、マリオットホテルのビル内にあるテラス席のある中華レストラン「福FOK」で地元サポ立ちと一緒に大型スクリーンで「ポーランド対ロシア」戦を一喜一憂しながら応援。1-1で引き分けたが得点シーンでは大騒ぎで見知らぬ人とハイタッチをかわしまくる。これも一つの海外大会の楽しみ方だ。試合後深夜まで騒ぎの終わらない街なかを友人の案内で地元の人が集まるバーで一杯。遅まきながら久々の再会を祝す。

●6月13日
朝から雨。午前中NK氏とともに彼の勤める職場にお邪魔する。日系の通信会社だがさすがに良いビルに入っている。午後からまたグダニスクに戻る鉄道の旅、その前にNK氏とポーランド・日本情報工科大学のTH先生との昼食会に同席させてもらう。日本料理店の「稲波」で和定食を食べながらTH先生のポーランドの学生たちの日本研究事情を聞く。食後時間があったので先生に大学を案内して頂いたが、学生たちが立ち止まってお辞儀をしながら挨拶してくるのに驚く。日本の若者より行儀は数段良いようだ。NK氏、TH先生と別れを告げ再びグダニスクを目指す列車の旅。今度の相席はビジネスマン風と若いアンチャン風の男性3人と赤ちゃん連れの美人のお母さん。お母さんは大荷物の上、子供にかかりっきりなので食事やトイレに行くにも大仕事。そのたびに我々が赤ちゃんを見てあげたりあやしたりで結構退屈せずに過ごす。グダニスクに近づくと行きに見逃してしまったドイツ騎士団の遺跡マルボルク城の威容を車窓から眺める。本当に線路の近くに位置していてそれが故なのか列車もスピードを落として徐行する。すっかり見とれてしまい写真を取るのも忘れてしまった。ショパンホテルにたどりつくと2日ぶりなのになんだか懐かしく感じる、フロントの女性がニコニコ笑いながら「ああ、無事帰って来たのね、同じ部屋とってあるわよ」と歓待してくれたのも嬉しい驚きだった。バーでホテルに前日入りしたアイリッシュたちと一緒に「オランダ×ドイツ」戦を観ながら食事。明日に備えて早めに就寝。

●6月14日
試合は夜8時からのキックオフなので午後からゆっくり市内へ繰り出す。1時間に1本の電車もあらかじめ時刻表をチェックしておいたのでスムーズに移動できるようになった。到着した列車の中から、アイルランドとスペインのサポを満載。中央駅を降りると緑と赤で街は占拠された状況になっている。さすがに熱いことで定評のあるアイリッシュサポたちは、ギリシア同様経済絶不調ながらなけなしのお金をはたいて大挙してやってきたのだろう。街中の飲食店はすべてアイルランド人たちに占拠され、これも少なくないスペインサポと応援合戦を展開している。メーン広場のネプチューン像前ではもう周辺がビール臭くなるほどだ。みんなスーパーとかで箱ごとビールを買ってぬるいまま回し飲みしている。どんだけ呑めば気がすむのだろう。すっかり人いきれで疲れたので比較的空いていると見当をつけたテラス席の無い中華レストラン「明陽飯店」に入ると、ここも中国のテレビクルーやスペインサポで満員だったが何とか席を確保して腹ごしらえをしながら試合までの時間を過ごす。アイリッシュたちまでとはいかないがこちらも結構呑んですっかり酔っぱらうが、小雨が降ってきた外気の寒さに一気に酔いがさめる。念のためトレーナーを持ってきていて大正解だった。スタジアムは日韓ワールドカップの時と同様アイルランドサポの応援歌がとどろき最高のムード。緑のオヤジたちは本当に人生の楽しみ方が判っている。試合はしかし世界王者のスペインが相手、ゲーム開始以来圧倒的にボールを支配される。キーンやダフ、ギブン、オシェイなどベテランが多いアイルランドはかつてのキレも衰えたか、なかなかマイボールを獲れない。しばらくはピンチもしのいでいたが完全復活したフェルナンド・トーレスのビューティフルの一発を皮切りに、結果終わってみれば0-4の大敗、結果グループリーグ全敗で姿を消すことになった。大まかで頭を抱えるサポも最後まで選手を讃える歌は途切れず相変わらず鳥肌ものの応援に感動した。終了後、すでに日付が変わりつつある時間なので速攻で中央駅に戻りちょっとてこずるがタクシースタンドにやってきた車を捕まえホテルに帰還、翌朝はもう帰国の途に就かねばならないのだ。

●6月15日
朝目覚めるとホテルの前に並んでいるベンチにアイルランドの青年がもうビールを手にして座っている。やけ酒は朝まで続いたのだろうか?フロントの女性にチェックアウトを告げると頼むまでもなくタクシーを手配してくれる。「また来ますね、ありがとう」「ぜひまたこのホテルに泊まってね」手を振って見送ってくれた。不便な場所だったが本当に気持ちのいいホスピタリティで居心地は良かった。彼女のおかげでポーランドは良い印象を持って帰国の途につける。レフ・ワレサ空港は到着時には判らなかったが小さくともモダンな空港だった。再びコペンハーゲン経由で日本に戻る時間を考えるとうんざりもするが、欧州のお楽しみの代償としてこればっかりは仕方が無い。SA0983便は白夜の中を日本の日常に向かって機首を上げて行った。















ゆるい逃避でも気休めにはなるか


椎名誠原作の『ぱいかじ南海作戦』の最終業務試写を東劇の松竹試写室に観に行く。離婚とリストラを同時にされた男が、人生をリセットする目的で西表島の浜辺に旅立つが思わぬことからロビンソン・クルーソー顔負けのサバイバル生活を強いられてしまう話。サバイバルといっても近くにスーパーはあるし、絶海の孤島の緊迫した状況とはほど遠いなんともゆるいサバイバルではある。まあそう思えば映画自体のゆるさも気にはならなくなるし、主役の阿部サダヲの一生懸命なコミカルさにはつい笑わされてしまう。子供の頃の隠れ家作りの延長みたいなレベルだが、原発やら増税やらの現実世界からの逃避としてはこんな映画でも気休めにはなるかも知れない。原作読んでいないので何とも言えないが、個人的にはさらなる楽天を目指すファンタジックなラストはなんだか無理やり感がある気がして残念。貫地谷しほりが意外と好演。監督はこれが初メガホンとなる脚本、演出家の細川徹。7月14日から公開。

2012年6月24日日曜日

ビルマに思いを寄せる


リュック・ベッソン監督が撮ったアウンサンスーチー女史の伝記映画「The Lady ひき裂かれた愛」の試写を見てきた。試写室が元在籍していた会社だったのでちょっと気が引けたが、在籍していたときには無かった試写室は思いのほかきれいで快適だったのでびっくり。
肝心の映画だが、主演のマレーシア人女優ミシェル・ヨーが実にスーチー女史の特徴をつかんでいて素直に感情移入が出来た。プレス資料を読むとエキストラで参加したビルマ人が88年当時のシュエダゴンパゴダ前の演説風景に感極まってしまったというほど本人の所作が似ているそうだ。緊迫感あふれる軍制の暴虐シーンにはらはらしながら、夫のマイケル・アリス教授と子供たちとの家族愛に心打たれる。今なお圧制と暴力にさらされ自由を求める困難な闘いに直面するビルマの民主勢力およびいまや15年にわたる軟禁生活を解かれ国際的に活動を再開したスーチー女史に対して心から敬意を表したいと思う。
劇中、国連本部内でツツ大主教が日本代表団を見て「アジアを巻き込む時期」と判断するというくだりがある。その後場面が変わって日本の外交団による軍事政権への提言がなされる場面があるが、実際のところは分からないが、日本人はビルマ情勢に対しもっと関心を持つべきだし、ビルマに対しての軍制の歴史は先の大戦下での日本の関与に端を発する歴史を持っていることも忘れてはならない。実際アウンサン将軍もスーチー女史も一時期日本に住んでいたこともある縁もあるし、現在の亡命ビルマ人も少なからず日本で生活していることもあるのだ。
というわけで少なくとも今後個人的にはミャンマーではなくビルマ、ヤンゴンではなくラングーンと呼ぶことからはじめようと心に誓うのであった。

2012年6月4日月曜日

週間呑みアルキスト5.7~6.3


●5月9日
高田馬場の中華料理「平大将」で定例の中国語レッスン。今回から旅行会話本をテキストにするのをやめて以前台湾に駐在していた時に使った台湾師範大学が作った教科書を使用するようにしてもらった。自分にとっては復習になるし、一緒に講義を受けるKN氏にとってもちゃんと身の入ったものになるはずである。ただJA老師は大陸の人なので繁体字で大丈夫かどうか心配だったが、全く問題は無いようだ。これで次回からは少し本格的なレッスンになりそうだ。

●5月14日
A誌の入稿作業に追われる。打ち合わせで来ていたTM嬢と神保町の「Logmi」で軽い食事をしながら冷たいビールを一杯。

●5月15日
A誌入稿でTM嬢、SM嬢と夜遅い時間に食事。近所の「大戸屋」でがっつり食べながら冷たいビールを一杯、社に戻ると寝不足の上酔いが回り、しばらくウトウトしてしまう。年齢的にも昔のように行かなくなったことを実感する。

●5月18日
TM嬢と食事。彼女の所望もあって「天鴻餃子房」に行くが満席、すずらん通りの中華ダイニング「三幸園」に場所を変えて大餃子をぱくつく。深夜作業が続くのでスタミナも必要だがやはり業座にはビールがついて回る。例によって社に戻り船をこぐ結末に。

●5月22日
入稿大詰め、ここのところすっかり相棒となったTM嬢と近所のイタ飯屋「ピアンタ」で食事。ビールやワインも飲みたかったが、ここは我慢でカンパリでお茶を濁す。

●5月24日
A誌がついに校了。最終修正を直し他のが朝方近くになってしまっていたので、九段下の「白木屋」で軽呑み。24時間営業の店ゆえに帰りはぐれた学生のグループとかが根腐っていて、あまり居心地が良くないので早々に退散。

●5月25日
A誌最終下版を確認。例によってSM嬢、TM嬢と水道橋の「台南坦仔麺」で打ち上げ、心おきなく呑むことに。GW前から続いていた入稿地獄もやっとひと段落した感じだ。6月はW杯最終予選とそしてユーロがいよいよ始まる。

●5月28日
台湾のK書店総経理TK氏が一時帰国していてK書店の先輩TN氏と呑んでいるので合流しないかという誘いの電話が入り、飯田橋の焼き鳥屋「鳥城酒蔵」へ。聞けばTN氏はもう今年で定年だそうで、かつて82年にK書店でT誌を立ち上げた幹部スタッフはほとんどいなくなるそうだ。創刊から30年、なんだかあっという間に時間が経った気がするが、自分もそろそろ世間的にはリタイアとなる年代に差し掛かっている事を痛感する。

●5月30日
A誌の見本誌発送でTM嬢、SM嬢が来社、作業終了後窯焼きのピザを食しに四谷のイタリアン「サルバトーレ クオモ」へ。オープンエアの席は気持ち良いがいささか肌寒い。しばらくワインを飲んでいるうちに逆に冷たい夜風が気分良く、ついつい呑み過ぎてしまう。来月には区の成人病健診、入稿作業で夜なんだかんだ間食したこともあって体重は一気に増加、怒られることは必至だな。

●5月31日
校了が終わると即呑み会の予定が立て続けに入るのは必然なのだろうか?デザイン会社MM社のOG社長と、社長のお友達であるAK氏と曙橋の中華料理「敦煌」で会食。ここはメニューが無く、その日の食材で料理が次々供されるシステム。ご夫婦で細々とやっている店だが料理もおいしく隠れた人気店なのだそうだ。OG社長とは翌日も会食の予定があるのでこの日は1次会で早々に帰還。

●6月1日
CXの報道局の震災記録本が完成したので内輪のスタッフでプチ打ち上げ。前日に引き続きOG社長と編集のSM嬢で神保町の自然素材ダイニング「東京アチコーコー」へ。ビール、赤ワイン3本と呑みまくりさすがに酔いが回る。ユーロのポーランド行きまで1週間、少しは体力もためておく必要もあるのだが。

オマーン一蹴


2014年ブラジル行きをかけたアジア最終予選がいよいよスタート、緒戦の対オマーン戦が埼玉スタジアムで6万の観衆を集め昨夜行われた。相手のオマーンは過去何度か対戦するも結構苦しめられてきた相手だが、3-0で一蹴、ザックジャパンはこれ以上ない幸先の良いスタートが切れた。前半は今野―前田―香川―前田―長友とワンタッチでつなぎ本田の見事なボレー弾で先制したものの、何度かのチャンスを相手GKアル・ハブシに阻まれ、次第とペースダウンするが、後半早々に香川からのパスを受けた前田がトラップミスをしたのが幸いしてかアル・ハブシのタイミングがずれて左隅に押しこんで2点目、さらに混戦から岡崎が叩きこんで3点目を挙げて試合を決めた。ディフェンスに関しても相手のシュートを1本に抑え込むなどほとんど何もさせない完勝だった。
 
オマーンも策士マチャラが率いていた時代に比べるとプレスも弱く、カウンターの切り替え氏も怖いものを感じさせず牙が抜かれてしまった感じがするが、しかしこのチームが2次予選ではオーストラリアを破っている。気温45度を超えるマナマでのアウェイ戦を考えると全く別な相手となることを認識しておくべきだろう、やはりアジアを勝ち抜くためには一筋縄ではいかないのである。そのためにも8日のヨルダン戦はホームの利を活かし確実に勝ち点を積み上げたいところだ。

ユーロも週末から開催され、いよいよまたフットボールの熱狂の日々が帰ってくる。

2012年5月19日土曜日

邱飯店の閉店に思う


直木賞作家で経済評論家の邱永漢氏が亡くなった、88歳だった。
氏は、後年すっかり金儲けの神様として経済雑誌で引っ張りだこになってしまったが、自分としては作家、文化人としての存在の方が心に残っている。
彼が、国民党政権に追われ焦躁の日々を送っていた頃を題材とした『濁水系』『香港』にはいたく感動したし、その当時の事情は『わが青春の台湾、わが青春の香港』(中央公論社)に詳しい。

台湾に駐在していた頃は、氏の経営する『永漢書局』によく日本の出版物を探しに行った。日本語学校はじめ台湾での氏の影響力に間近に接して以来、面識はないもののテレビや雑誌でお姿を拝見するになんとなく近しい気になっていた。
また稀代のグルメとしても知られているのは言うまでもない。伝説でもあるご自宅の「邱飯店」に機会があらば担当編集で著書の出版に関わり招待されることを夢見ていたりもしたが、もうそんなことを思い描くことも無くなってしまったのはさびしい限りである。

先日たまたま古書店で『母から娘に伝える邱家の中国家庭料理』(中央公論社)というムック本を買い求めていた。邱飯店のシェフである玉蘭夫人ただ一度きり出版されたレシピ本で、1980年の発行で写真こそ色あせてしまったものの、ページから料理の匂いが沸き立つような気がする好著だと思う。邱氏の波乱の生涯に思いをはせながら、このレシピ本の料理に挑戦してみたいと思う。

邱永漢氏のご冥福を祈りつつ。

2012年5月6日日曜日

週間呑みアルキスト4.16~5.6


●4月19日
高田馬場で中国語の定例レッスン食事会。会場の中華料理屋『平大将』へ。月一回ではあるが仕事の合間でのッスケジュールだ氏が結構難儀でこの日もリスケしてもらったものの、結局仕事が山積みで終了後会社へ即戻り。

●4月20日
兄夫婦と妹で水道橋の洋食堂『アンチヘブリンガン』で会食。兄弟3人が集まるのはあまりないが、たまの長男のおごりとあって料理をガンガン注文、社に戻らなくてはならなかったが満腹だわワインが効いただわ仕事にならず。

●4月21日
深夜まで作業をし事務所の戸締りして外に出ると、隣の『明治屋2nd』が日本酒利き酒イベントで店を開けてあと片づけ中。ちょっと顔を出すと残った名酒のおこぼれにあずかる。●4月23日高校マスコミ会の今年の懇親会の打ち合わせで招集がかかる。『LION池袋西口店』で1級上の先輩たちと会合。業界の人たちなので色々と媒体の不景気話が切実なのと、間近に迫る定年後の処遇話オンパレード。この日もこちらは早めに辞して仕事に戻る。個人営業は愚痴もゆっくりできない。

●4月27日
お台場Fテレビ会議。いつもながら消耗。一緒に会議に出ていたT嬢と新橋まで戻り胡椒饅頭の美味い中華レストラン『KIKI』で憂さ晴らし。

●4月28日
八王子の病院に入院中のFK誌YD氏の見舞いに。心臓の大手術で生死をさまよったとは思えない回復ぶりで一安心。同行のKJ氏と八王子の駅ビルの蕎麦屋『そじ坊』で軽く呑む。この日も写真データの受け渡しで事務所に戻る。

●5月1日
デザイン事務所MM社で打ち合わせの後、編集のSM嬢と新宿三丁目の『かり屋』で食事。新宿によるのも久しぶり。

●5月2日
ゴールデンウイークの後半4連休前だが、こちらは当然休めそうもない。ゴールデンウィーク明けの入稿ラッシュの準備でやることは山ほどある。『明治屋2nd』に食事が寺立ち寄るが、いつになく空いている。世間的には1日2日も休みにして9連休と言う会社も多いのだろう。

●5月4日
いつもなら神輿が繰り出し騒がしい地元三崎神社の祭りも、今年は雨で気勢が上がらぬ様子。打ち合わせで事務所にやって来たTM嬢と食事に出るが、さすがに閉めている店が多く、すずらん通り『上海庭』という新しく出来た中華料理屋が開いていたのでに入ってみる。上海点心などメニューは多いのだが味の方は可もなく不可もなくか。

2012年5月4日金曜日

ダーラム・ブルズ

やっと所属球団が決まった松井秀樹選手。タンパベイ・デビルレイズとの契約ということで報道されていたので気づかなかったが、マイナー契約なので当然所属は傘下のAAAからのスタートとなる。タンパベイの傘下はどこ?と思っていたらなんとあのケビン・コスナー主演で有名になった『さよならゲーム』(88年 ロン・シェルトン監督)のダーラム・ブルズでやんの。当時はアトランタの傘下にいたけどタンパベイに移っていたんだな。球団のHPを覗くとユニフォームは映画公開時と同じくトロントとそっくりのブルーを基調としたもので、いくら55番を背負っても絶対にゴジラには似あわない。映画じゃ松井同様に峠を越えた元メジャーのコスナーが新人のティム・ロビンスを鍛える役どころだったが、松井は映画に習わずに早く上にあがって是非タンパベイのユニフォーム(結構かっこいいと思う)にそでを通してもらいたいものだ。それでも全然知らないチームに比べてちょっと応援したくなる。久々に聞いたダーラム・ブルズ、DVDも見直して見るか。

2012年4月16日月曜日

再開した劇場で・・・


国際協力機関のFACEBOOKの原稿制作で、ソマリアを中心とした東アフリカ支援の話題をここ4カ月ほど書いてきたのだが3月いっぱいでひと段落、5月からは環境をテーマにしたものに内容が変わることになる。最後に書いたネタがソマリアで20年間閉鎖されていたモガディシュの国立劇場が戦闘が落ち着いたため再開し、多くの市民が平和をかみしめたというニュースだった。いつまでもこの平和が続くことを願うと〆た文章は好評で多くの「いいね!」もつき、我ながらなかなか良い話が書けたと満足もしていた。

ところがまさにこんな遠く離れた日本人の気持ちをあざわらうかのように、4日、この再開したばかりの国立劇場で反政府勢力アルシャバブの自爆テロが発生! 多くの暫定政府の閣僚やジャーナリスト、オリンピック委員会の委員長、サッカー協会の会長までもが犠牲になる惨事が起こったとの報道を知る。

先日「サッカーと独裁者」という元BBC特派員の書いたドキュメンタリーを読んだばかりで、そのうちの1章をこの犠牲になった協会会長のことに割いてあったのを思い出した。困難な状況下私費を投じて、また反政府勢力の妨害に遭いながらもサッカーの持つ希望への力に賭けていたそんな人物の崇高な思いを、この日のテロは一瞬で打ち砕いてしまったというわけである。

イスラム原理主義の狂信的なテロ行動に対して、異教徒異民族の自分がどういう考えを示しても、それが正論となるかどうかも分からないが、少なくとも暴力の連鎖が、平和を望む人々の願いを阻害し、塗炭の苦しみを敷いていることは確かだ。
どこにも持っていきようもない怒りとともに何とも言えない無力感を感じる。

週間呑みアルキスト3.26~4.15


●3月29日
Fテレビの機関雑誌A誌の編集に携わって1年たったこともあり、スタッフの慰労会が有楽町の『ヴァンピックル』にて開催してもらう。埼玉の契約農家が手塩に育てた吉田豚というブランド肉を供してくれる店で、他にも鶏肉や羊肉など肉づくしのメニューで食べ終わった端から顔が脂っぽくなるような感じだ。久々の接待を受ける身としては遠慮抜きにメニューのワインを片っ端から試す。店内に飾ってある等身大の豚の姿はあまりぞっとしないが、逆に残しては申しわけないとイノチを無駄にしない気は生まれてくるかも。

●3月30日
デザイン会社MM社が年に数回実施するガレージバーベキューにお呼ばれ。この日のメインは石川県七尾から直送の牡蠣。炭火で焼いた殻をむいて食す肉厚のぷりぷりの身は絶品。まだまだ外の空気は冷たいものの東京の都心のど真ん中でバーベキューをやる風情もいいものである。

●3月31日
神保町の『明治屋2nd』が土曜日に店を開けて白ワインの試飲会を開催。チリやイタリアなどの6種類ほどの銘柄を試す。マスター的には同時に昭和ポップスの映像を楽しむ目的もあってスクリーンを張って懐かしのポップスをBGVで流すのだが、あまりに多くの出席客がワインで大ヨッパライ大会でせっかくの企画も皆完璧スル―。ちっとも試飲会で無くなってしまうのがこの店らしいと言っては失礼か。

●4月3日
春の大嵐到来で、会社はどこも早引き。神保町も夜は風雨も収まっているにもかかわらずどの店もガラガラ。『明治屋2nd』に立ち寄るとここもいつになく空いているのでマスターご夫妻と話し込む。ちょうどここもわが社も4月で7周年を迎えた。思えばちょうど事務所に荷物を運び込んだりしていたときに、同時にこの店の開店準備も進んでいたんだっけ。そんな話をしながらた閑散とした神保町の夜は更けていく。

●4月5日
友人のHT氏が久しぶりに来社、すずらん通りのビストロ中華『SANKOEN』で食事。かつての知人たちの近況などを聞きながら紹興酒の杯が進む。

●4月10日
Fテレビ編集会議後社に戻り、スタッフのSM嬢、TM嬢とともに打ち合わせを兼ねて近所の中華料理店『正香園』で会食。GWウイーク前あたりからまた忙しくなりそうでちょっと憂鬱になる。

●4月13日
元編集者のKJ氏が久しぶりに来社。蕎麦屋の『侘助』で軽く一杯呑んだ後、Bar『シャルルボイル』へ。いつも呑み出したら止まらないKJ氏だが、最近はこちらが忙しいのを汲んでくれて早々に切り上げてくれる。ちょっと進歩したかな。この日も社に戻ってもう一仕事。

2012年4月15日日曜日

ザッツエンタテインメント


先週本年度アカデミー賞5部門受賞の『アーティスト』(ミシェル・アザナヴィシウス監督)を地元のシネコンで観て来た。映画愛に満ちた噂にたがわぬ素晴らしいエンタテインメントで、全編隅から隅まで20~30年代のムードをつくりこんだオタク魂に感嘆!主演の二人以外にも(犬のアギー含め)脇を固める顔ぶれもいい。ひいきのぺネロープ・アン・ミラーも出演していたので(嫌な役だったけど)個人的には大満足だった。色々なシーンで過去の名作にインスパイアされた描写やスコアが散見されるし(「めまい」でキム・ノヴァクからはクレームついたらしいが)マルコム・マクダウェルのカメオ出演映画などもファンにとってトリビア的な楽しみ方も出来る。ラストはアステア=パウエルの「踊るニューヨーク」へのオマージュなのだろうか?思わずYoutubeで再確認してしまった。
こういう映画を企画するユニークな発想と、それを商業的な作品へと作り上げ、ヒットさせる文化的な素地は素晴らしいが、これがハリウッドではなくフランスの映画青年たちの手によるところも考えさせられる。まあだからこそ消え逝くフィルム映画の惜別をこういう形で表現するエスプリとかは外からじゃなければ気がつかないのかもしれないな。

それにしてもサイレントという原点に立ち戻り、映画は楽しいと改めて感慨に浸らせてくれる作品であった。