2009年6月28日日曜日

週間呑みアルキスト6.15~6.28


●6月15日
昔世話になったK社の総務部の女性のご父君が逝去され、とりもなおさず通夜に出向く。K社OBのT出版O社長、akiさん、ST氏と帰りに水道橋のシンガポール料理『海南鶏飯』にて食事。駐在時代毎日飲んでいたシンガポールのタイガービールで献杯。

●6月19日
引越しがカウントダウンに入ったジェイクさんの新宿の事務所でもつ鍋パーティー第2弾。参加者は前回同様、ジェイクさんに、ON氏、UM嬢、ST氏。むしむしする季節ではあるが汗を拭き拭き食す鍋もまたいいものである。ビールのみならず小生が持ち込んだ秘蔵の紹興酒はじめ、ジェイクさんの秘蔵の梅酒を爆呑み。ジェイクさんいつもすみません。ごちそうさまでした。

●6月22日
T出版のO社長がビールを携えて夜遅く来社。事務所でゴチになった後、食事がまだというO社長につきあって軽メシ&呑みに出かける。昼間、営業でサービス券を配っていた近所のイタリア居酒屋『ピアンタ』で、早速ビール1杯割り引いてもらう。この不景気風ですっかり財布が軽くなってしまったこちらにとっては、ビール1杯といえどもありがたい。こういう状況下では店側にしてもどこも客寄せにはいろいろと苦労しているのだろう。神保町界隈で安泰なのは相変わらず列の途切れることがない『ラーメン二郎』だけか。

●6月23日
サッカー仲間のHT氏と新宿で飲み会。新宿三丁目の居酒屋『かり屋』に入ると、つい最近怪我で入院していたaskさんに遭遇。この日は病院の通院日で退院後初のアルコール体内注入ということだとか。早々にask氏が引き上げた後は、近所のブリティッシュバー『EORNA』へハシゴ。

●6月27日
行きつけの『明治屋2nd』で最近知り合ったFC東京の営業N氏から、1000円でビール1杯つきという超リーズナブルな法人チケットの購入要請があって、マスター夫妻はじめお店のお客さんたち総計11人で国立競技場の「FC東京×清水」をナイター観戦。大体の参加者がビール目当てのサッカー素人(というか国立競技場にきたのも初めて)ばかりでほとんどはとバスツアーの引率状態だったが、天気もまあまあで試合も白熱し皆さん満足の態。試合後は格闘技好きのマスターたってのリクエストで新宿の『アントニオ猪木酒場』で2次会。

2009年6月26日金曜日

消える瞬き

末期がんで闘病中のファラ・フォーセットが亡くなった。62歳だった。
死の直前パートナーだったライアン・オニールと籍を入れたそうで、泣かせる。
テキサス大学のミスコンで芸能界入りし、チャーリーズ・エンジェルのジル役でブレイク、70年代を代表するセックスシンボルとうたわれる華やかな肉食系ブロンド美人だった。フォーカスのノーパン写真の号、プレイボーイのヌード…本屋を回って手に入れたよなあ。大したことなかったけど。


そこへきてマイケルの急逝のニュース。
もう50歳だったんだね。
インディアナ州ゲーリーの貧しい黒人家庭の少年が、歌とダンスで世界のスーパースターとなって、隠れるがごとくひっそりと亡くなった感じがしてならない。
朝からラジオはマイケルの曲一色。プレスリーが死んだ日、ジョンが死んだ日を思い出す。

2009年6月22日月曜日

痩身の大捕手


西鉄黄金時代、不世出の大投手・稲尾和久の女房役だった和田博実氏が22日、すい臓がんのため72歳の生涯を終えた。一昨年、先に旅立った、稲尾の後を追うかのような訃報であった。

大分県立臼杵高校から1955年に西鉄ライオンズに入団。翌年から年齢的に衰えの見えた日比野武にかわって野武士とうたわれた最強チームのマスクをかぶり、年齢の近い同県人のエース・稲尾と若きバッテリーを組み伝説の日本シリーズ3連覇に貢献し、その後も18年の長きにわたりライオンズの不動の正捕手として平和台のホームを守ってきた。
生涯成績 1565試合出場、打率.257 1164安打、100本塁打、121盗塁。

珍しく痩身のキャッチャーだった。しかもチームきっての俊足でどこからみても遊撃か外野手、打順も1番、2番がふさわしいようなスマートな選手だった。背番号12(当初は47)は20の池永、24の稲尾と並んで憧れだった。
今年の正月、マスターズリーグの試合ですぐ近くまで行けるチャンスがあって、サインをもらうべく福岡ドンタクズの試合前、ベンチ裏で子供のようにどきどき心ときめかせながら練習が終わるのをずっと待っていたのに、その時は会うことがかなわなかった。なんとも心残りである。

こころからのご冥福をお祈りいたします。

2009年6月18日木曜日

この人では…


結果のいかん以上に失望は思ったより深かった。
昨夜のワールドカップ予選1位決定戦たる対豪州戦の敗北は、消化試合の順位決定戦という意味での勝敗だけではなく、この代表が抱えている根本的な問題があからさまにされたような気がする。

一番に層の薄さ。海外組を加えたスタメンと控えの個々のレベルの差は思ったより大きかった。
二番目はドイツ大会での惨敗を受け、まがりなりにも日本の戦い方を試行してきた3年余りの取り組みが実はなにも進歩していなかったという事実(キリンカップ以降の3連戦の日本はドイツ以前のクォリティだった)、三番目は世界レベルにおける指揮官の経験不足。

はっきり言って岡田は世界を驚かす結果を残せる器ではないし、世界の強豪を相手にしてきた修羅場もくぐってきていない。世界の戦いの現場を知らないからこその“ベスト4”発言なのだろうが、観念的な期待値をお題目に抱える前に、チームとしての戦術プランがまったく出来ていない現実を思い知るべきである。今のチーム力でベスト4発言をすることこそ世界が驚くというものだ(韓国をクビになったファーべクあたりに皮肉られるんじゃねえよ)。

確かにオシムの急病という非常事態の後に引き受け手がない中、ワールドカップの予選を勝ち抜いたことに関して、まあ無難に最低限の仕事をしたことは確かだが、論功賞的な感情論で代表監督を続けさせていいものでもない。本大会まで1年。現状の日本代表を見る限り(また愚かにも今のチームをいじるつもりがないことを広言する)岡田では本大会を勝ち抜くことは至難だろう。
契約は契約である。本大会の監督を誰にするのか、選手同様選考はまた一から始めるのが当たり前ということを協会も認識すべきである。

話は変わるが、アジアのもう一つの組の代表に北朝鮮が決まった。環境的には日本の比ではない劣悪な状況で勝ち抜いた彼らの偉業に政治的な立場を変えて心からの祝福を送りたいと思う。1966年に世界を驚かせた彼らが、南アフリカで44年ぶりに世界を驚かせる確率は意外と日本より高いかもしれない。

2009年6月17日水曜日

紫陽花


6月10日の梅雨入り以来、雨が続く毎日。
昨夜は仕事の連絡待ちもあったのだが、あまりの雷雨で会社から帰る気にもなれず雨脚が弱まった終電近くまで事務所でうだうだしていた。
今朝は何となく雨も一段落したが、なんとなくどんよりの曇天。

雨自体は比較的きらいではないが、こう毎日続くとさすがに飽きる。

先週末、実家に立ち寄ったら庭の紫陽花が見事な花を咲かせていた。
全然手入れもしていない猫の額のような庭なのだが、秋にはすだちが実るし、放っておいてもそれなりに四季の移ろいを感じさせてくれる。
もうしばらくしたら今度はかあーと暑い日がやってくるのだろう。

なんだかんだ焦ってみたところで万物はあらかじめなるようになっていくのが自然の摂理、と思うようにしよう。

2009年6月14日日曜日

週間呑みアルキスト6.1~6.14


●6月2日
今年の春は、元所属していたK社で早期退職者が相次ぎ、旧知の仲間も何人か社を去っていったのだが、その中の一人で女性誌や情報誌の編集に長く携わっていた女性編集者ARさんの労をねぎらって、T出版O社長を交え食事会を催す。場所は水道橋の西安料理『鐘楼』。ARさんは3月に退社した後は旅行に行ったり悠々自適の生活で20年近い不健康な編集生活のリハビリに勤めていたということで、そろそろ新しい道を考え始めているとのこと。ARさんに限らず今回の退職者はみな結構明るく前向きに今後を考えている。自分も4年前の退職時の高揚した気分をもう一度思い出して、ともすれば愚痴りがちな昨今の閉塞気分を払拭せねばと猛省。2次会で『明治屋2nd』に場所を移し終電まで盛り上がる。

●6月4日
S商事OBでK社のアジアビジネスで大変世話になった大先輩のMKさんが夕方ふらりと来社。さっそくせきたてられるように開いたばかりの『明治屋2nd』に誘われる。仕事も残っていたのだがいつも陽のMKさんの楽しいペースにのせられてついつい呑んでしまう。

●6月6日
この日はわが日本代表のワールドカップ本大会への出場がかかった運命のウズベキスタン戦が中継される。こんな大事な試合は仲間と一緒に騒ぎながら観たいもの。ところがアウェイでの試合なので時差で23時のキックオフ、当然試合終了時には終電もなくなるため朝まで飲むか、どこかに泊まるかということになる。ドーハの悲劇、ジョホールの初出場をともに体験した友人のHT氏いわく、もう朝まで騒ぐのは若い連中にまかせて大人の観方をしましょうということで、試合前に軽く飲んだ後、ホテルの部屋で観戦する事に。当日新宿三丁目の居酒屋『虎連坊』で集合し、試合開始前に新宿御苑に出来たばかりのシンガポール系のアパートメントホテル『シタディーン』にチェックイン。ここはキッチンもあるし液晶テレビも備えてありサッカー観戦にはうってつけ。ワインを持ち込みその瞬間を待つが先制はしたもののピンチの連続で最後まで手に汗握る展開に。
そしてホテルまで取った甲斐あって見事4大会連続となる出場を決めてくれた。祝杯を挙げに街に再度繰り出すにはすでに呑みすぎており早々に夢の中へ。


●6月7日
前夜のワールドカップテレビ観戦イベントのしめくくりは新宿高島屋の中華料理『天厨菜館』での祝勝昼食会。サッカーの後は野球。この日は『明治屋2nd』のマスターご夫妻と常連さんのOG嬢と夕方からプロ野球の交流戦『巨人×楽天』戦を観戦予定。いったん家に帰った後、東京ドームへ。楽天はマー君も岩隈もローテでひっかからず、主砲中村紀もスタメン落ちと興をそぐことはなはだしい。巨人圧勝かと思ったが1点差のゲームで最後までもつれる。長い試合と前日からのイベント続きで疲れ果て、水道橋の格闘技ファンの集う『ファイティングカフェ・コロッセオ』で食事後、解散。

●6月8日
夕方仕事の打ち合わせで高円寺のデザイナーのところに立ち寄ったので、そのまま直帰を決め込む。K社のOBが経営する荻窪『寄港地』に寄港。売り上げに協力するつもりが逆にマケてもらって恐縮。ごちそうさまでした。

●6月10日
会社の隣の西洋骨董屋の店主WT氏に誘われて、神保町の焼肉屋『焼肉処 三幸園』にて食事。事務所に戻ってワールドカップ予選の消化試合をテレビ観戦。

●6月13日
『明治屋2nd』で顔を合わせる近隣の常連のオジサンたちで定例の飲み会を開催。小川町の明治38年から続く老舗の居酒屋『みますや』に集合。いつも超込み合う有名店ということで土曜日だというのにこの日も6時半ごろには満員状態。冬は桜鍋やどじょう鍋が人気だが、夏場は残念ながらやってないそうで馬刺しを食すが、肉はとろとろに柔らかくかつ臭みもなく実に旨い。馬で元気をつけた後の2次会は出版社のS社の子会社の役員UE氏の案内で湯島へ繰り出す。白人パブの『Mariposa』で遠路はるばる出稼ぎのルーマニア美人INちゃんとすっかり意気投合。この大不況下会社もピンチだというのにこんな浪費していていいんだろうかと一瞬思ったが、阿呆なヤポンスキーのオヤジパワーは泊まらない、ええいままよと国際親善の夜は更けゆく。

三沢リングに死す


13日夜、ノアの社長でもあるレスラー三沢光晴がマットに沈み心肺停止状態へ、病院に送致されたが治療の甲斐なく死亡。試合中に相手選手のバックドロップをまともに受けたことにより、いわば凄絶な殉死を遂げた。

三沢社長はじめノアの選手たちは、昨年ロンドンのヒースロー空港でお見かけしたことがあった。地上波の放送打ち切りという事態で興行的に大変な時期に直面して欧州興行を企画したり、経営者として精力的に活動されているんだなあと感心した覚えがある。
46歳。下り坂になったとはいえ、プロレスの世界ではまだまだやれる年齢である。団体としても遣り残したことは多いと思うしさぞかし無念だっただろう。
プロレスの試合中の事故死は何度かあったが、スター選手がメーンイベントの真っ只中で死亡事故を起こしてしまうのは、おそらく初めてのことではないだろうか(猪木とホーガンのときも焦ったけどアングルだった)。それだけに衝撃的な訃報だった。

三沢社長のご冥福をお祈りするとともに残されたノアの選手たちが遺志を継いでくれることを願うばかりである。

2009年6月7日日曜日

一夜明けて


ワールドカップ南アフリカ大会最終予選。日本代表は見事敵地・ウズベキスタンで4大会連続の本大会出場を決めた。
パスの走らない深い芝、レベルの低いジャッジ、そして負けたら終わりの必死の相手というアウェイの悪条件に苦しみながらも、どこかゴン中山の雰囲気を匂わす伏兵岡崎の値千金の先制弾で世界最速の出場権を手に入れたのである。
なにはともあれ今日だけは、出来不出来にかかわらず選手、監督・コーチ、関係者におめでとうを言いたい。
そして、明日からは世界へ向けての戦いの準備が始まる。

思えば、自分がサッカーにかかわった60年代には、生きているうちにワールドカップに日本が出場する日が来るなんて考えようもなかった。16カ国から出場枠が格段に増えたとはいえ、若いサポーターにとって見れば物心ついてから4大会連続でこの感動の日を迎えている(一度は開催国だったが)わけだから“出れて当たり前”といった感覚かもしれない。まさに隔世の感がある。
自分にしたところで、若ければ当然タシケントの現地にいたところだが、さすがに昨夜は東京でこの試合を見つめていた。どこかで出れて当然といった慣れのような気持ちが確かにあった。
しかしやはり昔を知るだけに出場権を決めた日の思いは格別なものがある。

ジョホールバルで初出場を決めたフランス大会の予選。あの感動の瞬間から一夜明けたシンガポールで現地のすべての人たちから優しく祝福されたことを昨日のように思い出す。気分のいい朝だった。
あれから12年たった今日、あの時と同じ抜けるような晴天。実に気持ちのいい晴れやかな気持ちの朝を迎えることが出来た。

2009年6月1日月曜日

週間呑みアルキスト5.18~5.31


●5月18日
女性漫画家のOKさんが来社。インターネットを利用してマンガをB to Bにも応用するような新しいビジネスモデルを考えていらっしゃって啓発される。すずらん通りの『揚子江菜館』で食事、お店が"元祖”と自負する冷やし中華をいただく。

●5月20日
向かいのデザイン会社SB社のakiさんより食事のお誘い。SB社のST嬢、T出版O社長といういつものメンバーで呼び込みにひかれ小川町の中華料理『四季茶坊』に飛び込む。呼び込みの元気なお姉さんが言うには各種お得なコースがあるが一番のお勧めは北京ダックのコースに飲み放題のセットをつけて一人398というので、それに決定。しかも4人では食べ切れないほどの料理が出されるので、途中から編集者のON氏を呼び出して加勢を頼む。一流中華料理店で食べる北京ダックというほどの高級感はもちろんないが、十分満喫できる質感に大満足。

●5月22日
SB社akiさんとT出版O社長が隣の『明治屋2nd』で飲んでいますという連絡が入り合流。
実は開店時に外出先から戻った時に軽くビールを飲んで社に戻っていたため2度目の入店。終電近くまで粘る。

●5月23日
土曜出勤の帰りに新宿二丁目の『T's Bar』に顔を出す。
手持ちでリー・ワイリーの古の名盤「Night In Manhattan」を持っていたので、他の客が帰った後かけてもらう。酒場で聴くヴォーカルはなかなかムードがあっていいものだ。

●5月25日
以前在籍していたK社のハウスエージェンシーKM社のKB社長とAB嬢、FT嬢。KG社のSZ氏の5人で会食。場所は久々のK社の地元・神楽坂の『和菜れとろ』という居酒屋さん。KB社長とSZ氏はかつてK社時代に衛星ラジオ放送で苦労した仲。おじさんたちの思い出話で盛り上がったが若いFT嬢あたりではそれこそ"れとろ”の話で困惑の態。

●5月26日
KS社を早期退職したKJ氏を激励しようということでカメラマンのKG氏と四谷の『支那そば こうや』で飲み会。たまたま出がけに現れたT出版のO社長も合流する。さらに近所のBar『3Circle』へ移動して深夜まで飲むのだが、ながっちりのKJ氏はこれからが本番ということでO社長を人身御供にして退散を決め込む。

好調持続


キリンカップ、対ベルギー戦。
日本4-0ベルギー

朝から雨だったので気が重かったが、国立についたころには小降りになり試合開始時にはすっかりあがっていた。ピッチはスリッピーだったがちょっと肌寒いくらいの絶好のコンディション。

ベルギーはチリとの対戦を前々日に済ませた中1日。試合開始早々、疲労もあるのだろう日本のスピードにちょっと戸惑い気味。俊輔、闘莉王、長友が戻ってきてほぼベストのメンバーの日本はすばやしパス回しと、高い位置でのチェイシングが功を奏し、序盤から完全にゲームを支配した。
前半は長友の左サイドからの落ち着いたシュートと中村憲剛のミドル。この2点でゲームの行方はほぼ決まったが後半も貪欲に攻め続ける日本。さらに岡崎のダイビングヘッドと矢野貴章のダメ押し。ワールドカップ予選を控え、チリ戦に続き欧州の強豪を相手にしたスパーリングは圧勝という形で最高の締めくくりとなった。

最大の収穫は控えの選手の底上げ。トップの選手が加わったときときのコンビネーションも問題なくスムーズにゲームプランが展開出来ていたことも評価できる。それといつになくシュートを打つことに向けた各選手の意識が高くなっていることも見逃せない。この日もミドルレンジからフリーでシュートを打つ積極性が何度も見れた。

本番の6日のウズベキスタン戦は、この日のベルギーどころではない激しさでやってくるので、簡単にはいかない手ごわい相手であることは確かだが、ここ2試合のコンディションの好調さをさらに持続できれば次の試合で本大会出場は必ずやつかめるはずである。
次のタシケントで決めてくれ!