2011年11月29日火曜日

究極の音をつくる至福に触れる


西田敏行じゃないけど「ピアノが弾けたら」と思うことが良くある。
子供の頃、一時、ピアノを習わされていたことがあった。稽古が嫌で嫌で、まあ才能も見込みも全くないのであっさり見放され、当時の自分にとってはそれはラッキーだと思っていた。それでも下手は下手なりにその後も続けていたらずいぶんと楽しい趣味となって酒場の余芸くらいにはなったのにと今になって残念に思うのだ。
稽古は嫌だったが、唯一、聴音はよく褒められて嬉しかった覚えがある。そんな記憶も頭の片隅で覚えていたのか大人になってからよくピアノを聴くようになった。

そんな個人的にも主題に対する興味もあって昨日『ピアノマニア』というドキュメンタリー映画の試写を見させていただいた。
たまたま前日に締め切りがあって徹夜で原稿を書いていたりしていたものだから、ピアノの音を暗い映写室で聞いたらひとたまりもなく眠りについてしまうだろうなあ、と心配しながらも試写を回す日程もあって強行して出掛けてきた次第。

『ピアノマニア』が制作されたのは2年前だが、その間、欧州の映画祭で激賞された作品だそうだ。
ウィーンのコンチェルトハウスに努めるドイツ人のピアノ調律師シュテファン・クニュップファーが、ピエール=ロラン・エマールやアルフレート・ブランデル、ラン・ランといった名だたるピアニストを相手に、彼らが追求する音を作り出すために、スタンウェイ社の逸品“245番”を相手に、職人の腕と誇りをかけて究極の音作りに挑む話である。
エマールが収録するバッハの「フーガの技法」を完璧なものにするための1年間の彼の日常を追っていくのだが、その本人自らが“病的”と言うほどの音への執着と職人魂は、息つく間も与えないほど緊迫した映像で迫ってくるので、眠気どころかシュテファンと一緒に、ピアノが発する音の表現を聞き漏らすまいとして上映中ずっと精神を集中させて引き込まれてしまった。
2年前にウィーンに行ったこともあって、彼が車を運転する際の街並みの美しさも楽しめたし、調律師と言う職業に焦点を当てたという以上に、人間ドラマとして素晴らしい作品に仕上がっていると思う。

シュテファン自体もかつてはピアニストを志したが、その完ぺきを求める性格ゆえ自らの才能を見限って、調律という道に入ったということだが。裏方とはいえ最高峰のピアニストに絶大な信頼のもとにともに崇高なる芸術の頂点を目指す至福の時間を共有している。こういう生き方もあるのだ。

監督はドイツ人のリリアン・フランクとロベルト・シビスのコンビ。
“ピアノマニア”の熱情を、ときに迫真にときに緩やかに、まるでピアノを弾くごとく撮り進めている、彼らもまた立派な映像の“マニア”のようだ。

2011年11月24日木曜日

時代の語り部の不在


21日、噺家・立川談志が逝去。享年75歳。

1984年に言葉とコミュニケーションをテーマにした『言想樂』という本を編集した際、インタビューに応じてもらった。
直接自分で取材したわけではなかったが、思い出深い収録である。

いわく「現代の落語家ってェのは、自分なりのメディアを確立しなきゃならない」
時代を常に見つめながら生きて、その生きている証明を語る人だったように思う。

合掌

2011年11月23日水曜日

週間呑みアルキスト10.31~11.20


●11月6日
この1週間は連日入稿作業で呑みアルキどころではなかったが、日曜のこの日は大学時代の後輩でポーランド在住のNM氏が一時帰国しているため、学生時代の友人ED氏ら4名で渋谷駅にほど近い『黄金の蔵渋谷南口店』にてささやかな歓迎報告会。ポーランドでは来年、サッカーの欧州選手権が開催されるので、その際はお世話になろうかと勝手に思っているので、興味津々で現在の国情などを取材。

●11月11日
神保町でTN社のIB氏とバッタリ。ちょうど夕刻だったので食事に誘われ、シンガポール料理の『マカン』にて海南鶏飯をパクつきながら地元のタイガービールを一杯。まったく水っぽいビールだが自分にとっては懐かしい味。熱いシンガポールの気候とニョニャ料理と呼ばれるマレー系チャイニーズ料理にはこのビールが良く合うのだ。早々に切り上げて事務所に戻り日本代表のタジキスタン戦をテレビ観戦。ちょっと手こずるが4-0で一蹴。入稿はビールが入ってしまったので一向にはかどらない。

●11月14日
AM誌のインタビューで女子マラソンの有森裕子さんのインタビュー。頭の回転も速くなかなか舌鋒も鋭いが持ち時間が1時間だったのであっという間に終了。できればもっと競技生活中のエピソードなども聞きたかったのだが。終了後、帰社途中に撮影の仕切りをお願いしていたAR嬢と信濃町の『あいざわ』でとりあえずお疲れ様会。

●11月15日
夕方から日本代表の北朝鮮戦をテレビ観戦。さすが究極のアウェイでの戦い。金日成スタジアム5万の観衆に後押しされた北朝鮮はスピードと激しいあたりで、控え選手が多い日本代表を完全に凌駕。0-1でザックジャパン初の黒星とあいなった。まあこんな試合で主力を壊されてもと思えば腹も立たないが、ビビリ負けっていうのが気に食わない。隣の『明治屋2nd』で渇いたのどを潤す。

●11月17日
築地の広告代理店で打ち合わせのあと、MC社のNO氏に誘われ銀座で食事をすることに。銀座一丁目のNO氏の事務所の近くに在る『宮崎地鶏炭焼き 車』という居酒屋で解禁になったばかりのボジョレーヌーボーを飲みつつ宮崎の地元料理の「冷や汁」を賞味。いわゆるぶっかけ飯だが酒粕で味付けされているので人によっては苦手な人もいるかとも思うが、呑みアルキストとしてはさっぱりとした味わいが気に入る。
 
●11月18日
SM嬢がAU誌の担当特集の入稿作業のため来社、やっと一段落し、ふと気がつけば終電のなくなった時間帯に突入している。満足に食事もしていなかったので水道橋のラーメン屋『博多風龍』で食事した後タクシーで新宿2丁目の『t's BAR』に移動。

●11月19日
AU誌の校了でゲラの読み合わせ。編集のSM嬢、TM嬢と共に終了後プチ打ち上げ。会社の近所の比内地鶏の串焼き屋『蘭奢待』へ。この日は土曜日でネタが限られているということでマスターお任せで色々見繕ってもらうが結構なボリュームで大満足。

●11月20日
AU誌の校了の続きで出社。ほぼ確認作業で終わったため帰宅途中にレイトショーで映画『1911』を観賞。食事をしていなかったので映画館で軽いスナックとビール。連日の入稿作業の疲れとすきっ腹に流し込んだビールで眠気と闘いながらだったが、映画のテーマ自体は興味があったのでなんとか最後まで眠らずに2時間を超える大作を見終わった。地元のシネコンだったのですっかり冷え込んできた夜道を徒歩で帰る道すがら、見上げれば満天といかずとも冬の星座がくっきり。気がつけばあっというまにもう師走だ。

2011年11月22日火曜日

辛亥革命から100年


土日の校了の合間に辛亥革命を描いた映画『1911』を観に行く。
今年は辛亥革命100年で、ちなみに主演のジャッキー・チェンも映画主演作100本目にあたるということだそうだ。

ジャッキーは中国同盟会で軍事部門で孫文(ウィンストン・チャオが好演)と肩を並べる革命指導者・黄興を演じるが、映画自体はこの二人の友情物語、同志愛を中心に、1907年の女性革命家・秋瑾の処刑、1911年に失敗に終わった黄花崗起義(3.29広州起義)、10月の武昌起義から1912年1月1日の中華民国成立までを描いている。

『レッドクリフ』のスタッフが制作を担当したということで戦闘シーンはなかなか見どころはあるものの、話自体は孫文の外国での華僑への支持訴えや列強の清国に対する鉄道借款を阻止する活動と、黄興の戦いが、どうもエピソードをかいつまんで駆け足で説明していくため、なんだか落ち着かない。
併せて清朝内の袁世凱の暗躍などもきれぎれに挟み込んであるので、よほど辛亥革命の経緯を知る人間じゃないとなかなか相関関係が判りにくいのではないだろうか。
またラストも孫文が宣統帝退位の見返りに袁世凱に臨時大総統の座を譲るまでなので、革命の達成感がないままあっさりと途中で終わってしまう印象を感じてしまう(まあ清朝崩壊までが辛亥革命だから仕方がないのかもしれないが)、少なくとも、その後の第2革命や、護国戦争(第3革命)までの道筋まで示してほしい気がした。

興味があったのは革命の功労者・汪兆銘の描かれ方だったが、さすがに中国・香港合作ということで後に漢奸になってしまった人なので、まあ、良くは描かれないと思ったが、やはり軽挙妄動する若僧的な描かれ方で、ちょっと可哀そうだった。また米国人同志の登場はあるが革命初動期や武昌起義で活躍した山田良政らの日本人たちは当然ながら無視、わずかにコメント内で宮崎稲天の名がでてきたのみだったが。まあここまで望むべきもないがこの時代の東アジアの関係性をもう少し掘り下げても良かったような気もする。

武昌起義の際に掲げられた湖北軍の軍旗・鉄血十八星旗は初めて見たが、なかなかデザイン的にカッコ良い。
戦いの末に掲揚され、兵士たちがそれを見上げるシーンはちょっとぐっときたけど。