2009年1月30日金曜日

果敢なアタックが必要だぜ

またもやオマイらかよ!とアジアカップ予選でも繰り返し対戦することになったバーレーンだったが、わが岡田ジャパンは全くいいところ無く完敗してしまったらしい。
代表戦の中継が無くて、翌日の報道で結果を知るってーのも久しぶりだが(昔はそれが当たり前だったけどね)、前のイエメン戦の起用や出来から考えるとこの結果もやっぱりねといったところで驚きもしない。
まあ策士マチャラには手玉に取られてしまっているな岡田も。

今回中継できなかったのは放送権を吹っかけられて、人気がある頃ならともかく現在ではとても視聴率に見合う額ではなかったということらしいが、各テレビ局だってこのところの営業成績を考えれば二の足を踏むのもいたし方が無いのだろう。
世の中の動きに呼応しているように停滞気味の代表ではあるが、次の大一番であるW杯予選のオーストラリア戦ではスカッとした試合を見せてほしい。

そんな中で鹿島の相馬崇人のポルトガルリーグへの挑戦は驚いた。しかもベンフィカやスポルティング、ポルトといったビッグクラブではなくマデイラ島に本拠を置くCSマリティモである。トライアウトでの入団なのだそうでギャラだって知れている。それでも安泰であるはずのJリーグを飛び出て海外へ挑戦する心意気は買える。相馬の持ち味である積極果敢なアタックのようなこのチャレンジで代表の一翼となるようなプレイヤーに成長してほしいと切に思う。
ポルトガルといえばヴェルディ時代の僚友の廣山望(来期はザスパ草津らしい)がブラガに所属していたことがあった。現在ギリシアリーグ2部で活躍中の福田健二も廣山の幼馴染だったらしいので、このような意欲的な海外挑戦は彼らのアドバイスとかの影響もあったんだろうか?
まあともかく、相馬の果敢な挑戦が成功することを願ってやまない。今の代表に賭けているところはこの果敢なアタックそのものだからな。

2009年1月22日木曜日

理念と現実


寒風の中もものともせず、熱い視線と期待をこめて見守る200万人の大観衆。
第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマの就任演説のシーンを見ていると、やはりなかなか感動的なものがあった。最後まで最低の大統領だった政権下で、ベトナム戦争以来こんなにも権威を失墜し、自信を喪失したアメリカも見たことが無いが、その裏返しでオバマへの期待と転じたということなのだろうか(にもかかわらず市場はシビアに下落したからなあ orz)

演説の内容も、美辞麗句が並んだわけではないが力強い意志を感じさせるものだったと思う。“対立からの脱却”“責任を果たす新時代”という施策に関する文言はさておき、歴代の大統領就任演説の素晴らしいところは理念を高らかに謳うところだろう。
“将来我々の子孫に言われるようにしよう。試練に曝されたときに、我々は旅を終わらせることを拒み、たじろぐことも後戻りすることもしなかったということを。我々は地平線と注がれる神の愛を見つめ、自由という偉大な贈り物を前に送り出し、それを次世代に無事に届けたのだということを”
今回の演説も結びの部分での名調子をあらためて読み返してもなかなか心に響いてくる。

草稿を作成したのは27歳の若き首席スピーチライターのジョン・ファブローで、ワシントンのスタバで書いたと報道されていたが、言ってみればまだまだ政治的にはひよこのようなスタッフが歴史に残るスピーチを作るわけであるから驚きである。そういえば思い起こされるのはJ・F・ケネディの“国が何をなしてくれるか問う無かれ、国に対して何をなせるかを問おう”という演説だが、この語り草となった名スピーチを起草したセオドア・ソレンセンも当時31歳という若さだった。

ひるがえってわが国の首相の所信表明をみたときの文学性の無さ、ボキャブラリーの乏しさときたら本当に情けなくなる。直接選挙の大統領制と議院内閣制の差もあるだろうが国民に向けてあれをやります、これをやりますといった説明に終始する味気ないものばかり。小泉は“米百俵の精神”の意味を捻じ曲げ国民に犠牲を強い、安倍は“美しい、日本”という訳のわからない観念論を標榜し、福田なんか記憶にすらないし(“あなたとは違うんです”は強烈に記憶に残ったがw)、麻生にいたっては民主党の攻撃に終始するだけで、いずれも崇高な理念なんか微塵も感じさせないものばかりだった。
日本ではスピーチライターという存在にはなじみが無いので。おそらくは秘書官や官僚にまとめさせるのが関の山なのだろうが、そうは言っても、名文が書けるスピーチライターを起用したところで、こうコロコロ政権が変わってしまったりすれば、そのつど崇高な理念を諭されてもしらけるだけかも知れない。

まあ、その前に漢字が読めなければ意味は無いが。

2009年1月19日月曜日

週間呑みアルキスト 1.1~1.18


●1月2日
ラグビー大学選手権準決勝を観戦したあとに、プロ野球マスターズリーグ観戦へハシゴ。スタジアムでのビールが本年の呑みアルキはじめに。マスターズリーグは新宿2丁目『T's Bar』のTマスターの仕事のお仲間からいつもグラウンドへ降りられるVIPチケットを手配していただいている。今年もお声掛けしていただいたのだが、今回は福岡ドンタクズが登場するので往年のアイドル西鉄・池永投手のサイン狙いでレプリカユニフォーム持参で勇んで駆けつけたものの見事空振りに終わる。少々気落ちしたがそれでも懐かしいプロOBたちの真剣(?)勝負を楽しんだ。

●1月5日
仕事始め。今年は早々から打ち合わせが入っていきなり仕事で遅くなってしまう。新宿2丁目の『T's
Bar』にマスターズリーグのチケット手配をしていただいたお礼に立ち寄ると、観戦に同行した銀座の老舗バー『ルパン』のH氏も来ていて、近々に『ルパン』にも呑みアルキを約すことに。

●1月7日
会社の隣の『明治屋2nd』がこの日から店開き。挨拶かねて立ち寄ると常連さんたちが次々と顔を見せる。皆さんオープンを待っていたのか初日から大盛況。

●1月9日
『明治屋2nd』で呑んでいたらご近所のT出版O社長から呼び出しがかかる。会社でいろいろと酒のつまみの頂き物があって呑んでいるからということなので、T出版の事務所で早々の新年会に。

●1月14日
上野の東京文化会館で行われた加山雄三コンサート立会い後、広告会社D社と音楽関係のスタッフと食事に。上野駅ガード下のスペイン料理『バニュルス』のシートで囲われたテラス席に陣取ったが、電熱器も入っていて思ったほど寒くもなくかえって貸しきり気分で快適。タパス中心にいろいろな種類の小皿料理を楽しみつつ音楽プロデューサーT氏の業界話で盛り上がる。帰りはD社の送りで久々のタクシー帰宅。

●1月16日
デザイン会社M社の新年会に参加。場所は丸の内の国際ビル地下のオイスターバー『Jack Pot丸の内店』。岩手や宮城、広島と産地を変えて生牡蠣を次々に平らげる。昨年はノロウィルスにやられて七転八倒したことがあったのでちょっと不安だったが、いつしか殻の山を築いてしまっていた。2次会は同ビル内のBar『クルヴァ』へ。フロアのテーブルがすべて曲線を描いているつくりから店名がつけられたそう(スペイン語のカーヴ)だが、丸の内のビル地下は最近すっかりおしゃれな店が進出していてなかなか侮れん。

●1月17日
『明治屋2nd』で知り合った常連さんたちと、お休み中のマスターを誘って新年会。巣鴨の本格的モンゴル料理『シリンゴル』でモンゴルウォッカと羊肉という変わった趣向の飲み会となった。この店は巣鴨といってもちょっとはずれたまったくの住宅地にひっそりと営業しているのだが、口コミが効いているのかお店は満員の盛況ぶり。骨付き羊肉の塩茹で“チャンサンマハ”、羊肉のしゃぶしゃぶ“ハロントガ”といただいたが臭みもなくてすごくおいしい、ちょっとハマりそうだ。2次会はここのマスターの紹介で巣鴨駅近くの中国PUB『燦燦』へ移動。大陸出身の小姐たちに囲まれて“さんざん”呑んで高歌放吟の巻。

2009年1月15日木曜日

若大将はペリー・コモなのである


最近、パチンコのCMで時ならぬ露出している加山雄三。御歳71歳のご存知元“若大将”のコンサートを昨夜ひょんなことから観に行く機会があった。
昔はそりゃ世代的にも当初は怪獣映画のつまみだった“若大将”シリーズにすごく夢中になったし、実は日本のアーチストでは初めて自分のおこづかいでシングル版レコードを購入したのも小学校5年生のときの『君といつまでも』である。東宝スター時代の黒澤作品『椿三十郎』、『赤ひげ』や、成瀬巳喜男の晩年の『乱れる』『乱れ雲』も後追いで観た印象深い好きな映画だが、なんと言っても若い頃の加山雄三といえば憧れの人だったことは確かだ。
そんな思い出はあるにはあったが、しかし、ここ何年かすっかりその存在自体が頭の片隅に浮かぶことも無く、いわば忘れていた人だったといえる。
それが、いきががりとはいえコンサートに招待されたとき正直“いまさら”感を少し感じたものの、仕事に通じる可能性もあったので会場の上野・東京文化会館へと重い足を運ぶことになったのである。

このクラシックの殿堂でなぜ若大将かというと、文化会館の音楽監督・大友直人(東京交響楽団常任指揮者)のプロデュースで作・編曲家の千住明が加山の持ち曲をフルオーケストラのスコア化した、シンフォニックツアーということからである。
多彩な才能で知られる加山には、弾厚作としてピアノコンチェルトも描いているわけだが、所詮歌える俳優の余芸とたかをくくっていたので、東フィルや大友が大真面目で『君といつまでも』を演ったところでどうよといった先入観もまだどこかにあった。
しかも詰めかけた(ほぼ満席!)観客たちの年配度もかなりのものがある、普段観に行くオヤジロックのコンサートに増してジババ度はかなり高いが、それでも往年の人気の片鱗は十分感じせる。

しかし、そのような先入観はコンサートの幕が開いたとたん打ち砕かれた!
『夜空の星』のオーバーチュアのあと、『夜空を仰いで』を御大が歌いながら登場したときは思わず“カッコええ!”とうなり声を上げつつ総毛立ってしまったのだ。
恰幅の良いタキシード姿!フルオーケストラで昔よりずっと渋みを増した声で次々と自作のヒット曲を歌っていく。そのエンターテナーぶりはまさにペリー・コモ、シナトラを彷彿させるといっても過言ではない。日本人でいま、スタンダードをこれだけ存在感を持って、ぶれることなくオーケストラバックに歌える人はそんなに思い当たらない。壇上に呼ばれた千住明(慶応の後輩でもある)の、“若い僕らが死んだ後も後世に残るスコアを残したつもり”という談も全然大げさには思わなかったほどだ。大友いわく、以前実際に演奏した楽団員がその後自腹切って地方公演まで追っかけた、というくらい演奏する側にも若大将マジックは強烈な輝きを放っている。まさしくオーラとはこのことだろう。

しかし耳に親しんだ曲の歌詞が次々と口をついて出てくるのに我ながら驚く。目を閉じれば田沼雄一の名シーンが脳裏を駆け巡る。いやあ、本当に実にエバーグリーンやね。
アンコールでの『旅人よ』の大合唱で思わずウルウルしてしまったのも単に自分が歳をとってしまった証なのか?たとえそうであったとしたってやはり若大将は同時代を生きてきたものにとって永遠であることに違いない。
来年、加山雄三は芸能生活50周年を迎えるそうである。
偉大なり“若大将”!

2009年1月10日土曜日

白鳥は舞い降りた


昨日からニュースになっていたが石神井公園にオオハクチョウが舞い降りたということで、さっそく朝から散歩がてら見物に行く。
石神井公園は最近ではワニの目撃情報があって(結局ガセっぽかった)勇名を馳せたが、やはり“ハクチョウがやって来る”というほうが聞こえがいいし、地元としてはちょっと誇らしくも思ってしまう。

かなりメディアで取り上げられていたので、さすがに人も集まっているだろうなとは思っていたが、いるいる!遠目からでも人垣ができていてアマチュアカメラマンのカメラの砲列が出来ていたので池に浮かんでいるハクチョウもすぐに目に飛び込んできた。
でかい!
普段見慣れているのはアヒルや鴨、かいつぶりといった類だからその大きさにまず目を見張る。
白い番が2羽、灰色がかった幼鳥が2羽、親子なのだろうか都合4羽が水上で優雅に羽を休めている。自然あふれる三宝寺池のほうならそれなりに風景に溶け込むのだろうが、降り立ったボート池は対岸が一般道路と住宅が並んでいるロケーションなので、なにかハクチョウたちも落ち着かないように見えてしまう。昨日一日は雪が舞ったりして公園もひと気がなかったがハクチョウたちも一夜明けてさぞかしビックリしたことだろう。
ハクチョウは秋にはるばるシベリアから北海道に渡ってきて、さらに寒さが厳しくなると本州に渡ってくるのだが東京に飛来してくるのは珍しいそうだ。

だいたい石神井は特別天然記念物のミツガシワの群生地でもあり(わが母校の中学校の校章だ)水生野鳥の生息地でもある。ハクチョウも見飽きたので三宝時池のほうに足を進めるとオナガガモやゴイサギ、カワセミなどさまざまな種類の野鳥が群れていた。ハクチョウたちもそれこそ三連休で見物客が増えるだけではなくボートを浮かべる客も出るだろうし、餌の水草だって比べ物にならない。早くこちらに移れば良いのにと思うのだが捕まえて移すわけにもいかないのでこればっかりは本人(鳥?)たちに気づいてもらうしかない。
それでも、朝から多くの人たちが笑顔で話しながら、ハクチョウ観察に急ぎ足で向かっている姿もなかなかほほえましい。地球環境の変化というわけでもなさそうなので、こいつは春から縁起がいいぜと何かの吉兆だと考えたいものだ。




2009年1月1日木曜日

初詣


正月には近所の氷川神社に初詣に出かけるようになった。
元々は幼児期にキリスト教教育を受けていたり、若い頃は弁証法的唯物論者を自認していたので神頼みなんぞ偶像崇拝じゃと思い込んで神社的なものには縁遠かったのだが、大人になって(精神的にも)からは自然と足がむき出した。
以前は天皇杯や大学ラグビー観戦の後ついでに東郷神社に立ち寄ったり、仕事が始まった後に勤務先の近くの神社に行ったりしていたのだが、現在のマンションに越してきてからは元旦に石神井公園や三宝寺池の散策も兼ねて歩いて20分ほどの地元氷川神社参拝が恒例となっている。

規模としては小さな神社だが歴史はなかなか古く、建立は室町期の応永年間(1394~1498)。この地に城を構える豊島氏が斉奉したものだが、太田道灌によって石神井城が攻め落とされ豊島氏が滅んだた後も地元民が奉り続けてきたという由来を持つ。よって小さくとも近在の総鎮守という権威ある古社ということで例年の初詣には延べにして約10万人が訪れるそうだ。確かに例年結構大勢の人が並んでいて神社前の住宅地の道路には警察官が何人か交通整理に借り出されれている。この日も500mほどの列ができていた。

約40分ほど行列に並んで参拝を待つあいだにも、参拝客たちが連れてくる犬の品評をしたり、閑静な住宅地ゆえ軒を連ねるよそ様の家の造作を眺めいったり(失礼!)、屋台のたこ焼きや焼蕎麦の美味しそうな匂いをご馳走になったり、境内のなかなか立派な狛犬を観賞したり(狛犬捕獲隊でも紹介します)。意外と待ち時間も楽しかったりもする。
さて、ようやくやってきた自分の番。二拝二拍手一拝。
今年も世界平和(w)と、無病息災をお祈りいたしました。
さて、昨年の世界経済崩壊で年頭から暗いニュースが多いなか、今年はどんな年になることやら。