2010年12月13日月曜日

週間呑みアルキスト11.22~12.31


●11月23日
FK誌の取材で編集長兼カメラマンのYD氏とイベント旅行企画会社のKT氏とともに車に同乗し、晩秋の菅平高原へ1泊の取材旅行へ。KT氏が主宰する少年サッカー大会イベントの来春の受け入れ準備のための事前取材だったが、真っ赤に色づいた信越路は折からの雨で霧がかかり、ひっそりと静寂に包まれていた。12月も中盤になるとスキー場がオープンになり、スキー客でにぎわうのだろうが、この時期はラグビーや陸上の人影もなくまったくのシーズンオフ。こんな時期だけに街の皆さんも凄くフレンドリーに迎えてくれ、宿泊した菅平サンホテルは、まさに映画「シャイニング」のホテルがごとく宿泊客も我々のみだった。取材終了後皆で車で30分ほど離れた公営の温泉施設『十福の湯』に出向きすっかり温まった後、菅平に戻ってなぜか山の中なのにサーファーだというマスターがバリ風の料理を供してくれる超ミスマッチな無国籍居酒屋『ワルンジュン』にて夜遅くまで盛り上がる。久々の国内旅行で心身ともにリラックスできたと思いきや夜はKT氏のいびきの大轟音で朝までなかなか寝付けず、翌日の帰路はすっかり憔悴する羽目に。

●11月25日
スポーツフォトグラファーのKG氏と元SY誌のKJ氏とともに会食。四谷の街なか中華の名店『こうや』が新しく近所に開いた新店『徒歩徒歩亭』へ。『こうや』のオーナーが愛娘のために出店したとのことでオーナー自ら厨房に立ち美人の娘さんがフロアを担当している。出す料理はいわゆる中華の屋台料理だが本店より美味いのではと思わせる力の入り方。すっかり満腹になった後、KG氏いきつけの『3Circle』に立ち寄るが、以前紹介されたことがあるSG社のライターHM氏とバッタリ。数年ぶりの再会にビックリ。

●11月27日
土曜出勤で原稿入稿の準備で忙しかったが、Twitterで新宿『T’s Bar』のマスターが厚岸の牡蠣に加えて「白州」のHEAVILY PEATEDを入荷しましたというので、これは見過ごせない。さっそく駆けつけ国産ウイスキー最高峰の「白州」がアイラ島同様のピートで燻したスモ―キ―な逸品に北海道から空輸された生牡蠣という絶妙な組み合わせで実に幸福な時間を過ごす。その後、大先輩のスポーツ記者のST氏がべろんべろんになって乱入、海老蔵ほどではなかったが強引に話し相手にされて、夢見心地の気分からすっかり現実に引き戻されてしまった。

●12月4日
突然無茶振りされたUJ誌6Pの入稿に追われた1週間だったが、やっと下版にこぎつける。ということでKM社の女性編集者NKさんとかねてから約束していた飲み会が実現。神保町の沖縄風フレンチ『東京アチコーコー』へ。NMさんは彼女が20代前半からの付き合いだが成人した息子さんがいるとはちょっと想像できないくらいに若いままだ。時間の経過に驚きながらも懐かしく昔を振り返り楽しいひと時を過ごす。

●12月8日
いつものごとくKJ氏が呑みの誘いで顔を出したところに共通の知人である女性漫画家のOKさんがたまたま近所で打ち合わせがあったそうで来社。事務所の近所のイタリアン居酒屋『ピアンタ』へ。ここはワインが量り売りで飲めるのでついつい飲みすぎてしまう。KJ氏と『明治屋2nd』にハシゴした頃はすっかり酔っ払ってしまった。早々に切り上げて仕事に戻るつもりだったが断念。ハイデッガーは学生に呑みに誘われると相手をつぶして自らは勉強にもどったというが、そんな芸当は凡人には不可能である。

●12月9日
昔の仕事仲間の編集者やデザイナーたちと新宿で忘年会。会場は昔よくこのメンバーたちと呑みかつ食べた懐かしの『池林房』。太田トクヤ氏が経営するマルビ編集者のたまり場と謳われた店だが、マルビを流行らせた渡辺和博さんももう故人となってしまった。みんなそれぞれに歳をとったが昔話に花が咲くと時間はあっというまに過去にさかのぼって行く。全員朝まで呑むなんてせずに終電を気にするようになったのが唯一の進歩か?と思いきや有志のメンバーで2次会のカラオケ行きの提案が。冗談じゃないと思ったがジョンの命日にちなんでレノンしばり、ということなら話は別。終電までほぼ1時間、20曲はいけるぜと靖国通りの『シダックス』に直行。

●12月12日
隣のスタンディングバー『明治屋2nd』の常連ER嬢がめでたくも結婚式を迎えたということで、その2次会をこれまた近所のレストランバー『エスぺリア』にて仲間内のパーティーを執り行う。この歳になると葬式ばっかりで結婚でのお呼ばれは超久しぶり。新潟出身であぶさん並みの大の酒豪、酔ったうえで巻き起こした数々の伝説を持つER嬢だったが、この日はいたってしおらしい。どうかこのままほどほどに旦那相手の晩酌に専念し幸せになっていただきたいもの。まずはおめでとうございます。

●12月15日
新宿三丁目の居酒屋『かり屋』でライターのSKさんと打ち合わせ兼忘年会。SKさんは以前居た会社の先輩で長年編集プロダクションをやってこられた。アウトドアに造詣が深く一時フライフィッシングの手ほどきを受けたこともある。当然自然関係の著作も多く最近では歴史、史跡ものに新境地を開かれている。現在2冊同時に単行本の企画をお願いしていてその慰労をかねて一席設けたような次第。SKさんと話しているとまた山奥の渓流でフライをやってみたくなる。三日坊主に終わってしまった不肖の弟子だが仕事が一段落した暁にはまた修行させていただくことに。

●12月16日
KM社VD誌の女性編集者NMさんと、深夜打ち合わせの後神保町の『天鴻餃子房』で食事。前回呑んだときに仕事発注の打診があって、今回は具体的な企画概要の説明を受ける。結構手間がかかりそうな仕事だったが、現在の状況では断れるわけも無く、年末は結構忙しくなりそうな感じである。二人でにんにくの臭いぷんぷんさせて終電車に飛び乗る。

●12月21日
サッカー雑誌FK誌の取材で中目黒のイタリアン『ポルトフィーノ』でJリーグ鹿島アントラーズのSMスカウト部長にインタビュー。プロリーグの新人獲得でスカウトはどういう眼で選手を選ぶのかということを中心に話を聞いてなかなか興味深い内容だった。『ポルトフィーノ』はFK誌のYD編集長の友人FMさんがオーナーシェフで、実はSM氏の高校時代の先輩と独立前に同じ職場だったという縁もあり、取材後は昔話で盛り上がる。SM氏は現役時代は日本リーグの実業団でプレーしたディフェンダー。冷静で落ち着いた話しぶりはいかにも守りの要という感じで人間的にも信頼が置ける雰囲気をかもし出している。定評ある鹿島の新人スカウトの成功の要員はSM氏の個人キャラに負うところも大きいはず。

●12月22日
お取り寄せサイトを運営するFO社の忘年打ち上げということで若松河田の中華料理『梅香園』で会食。夜はそれぞれ忙しいということで遅めのランチで個室を貸しきってもらい会を催してもらったが、出席したメンバーの中であまり飲める人がいないという珍しい会でもっぱら用意されたアルコールはこちらが担当。昼に飲む酒は後になって効く定石どおり夕方からしばらく仕事机につっぷして熟睡。起きても頭がボーっとしたままほとんど仕事にならずに帰宅。

●12月28日
忙しい入稿作業が一段落してスポーツフォトグラファーKG氏と元スポーツ誌編集長だったKJ氏と飲み会。KG氏が落ち合う前に勝どきにいるということだったので、足場がいい門前仲町で合流することに。お目当ての有名下町居酒屋の『だるま』が超満員だったので、飛び込みで『雷電』という居酒屋に。ここもこの日が仕事納めらしい会社の宴席でにぎやかだったが、いわゆる下町の風情たっぷりの居酒屋でゆっくりとくつろぐ。二件目は初老の女性が一人でひっそりとやっている『クワイエットウーマン』でお店こだわりのアイラウイスキーを賞味。KG氏はアイラ島に取材旅行をしたことがあるのでお連れしたのだが、アイラ島話であっというまに終電の時間に。

●12月29日
会社の隣のスタンディングバー『明治屋2nd』の忘年パーティー。狭い店内に常連さんたちが30名弱つめかけ大盛況。事前に皆さんの子供時代の写真を提出させられていてそのプロジェクター上映などの余興もあり楽しいひと時をすごす。

●12月30日
ひばりヶ丘在住の元KL誌編集長のKN氏と、KN氏の友人で広告代理店勤務のKS氏と3人で、ひばりヶ丘の焼き肉屋『焼肉千里』で忘年焼肉パーティー。ここの福島産の『虎マッコリ』は絶品。あっという間に2本空けてしまう。すっかり腹を満たした後はカラオケBOX『PLAZA』で発散することに。酔っ払い親父三人組でさんざん懐メロを放歌高吟、さらにBar『Blowny Stone』に流れておだをあげる。

●12月31日
所沢に墓参した後、つい何時間前まで騒いでいたひばりヶ丘で下車し、昔からこの地でやっている蕎麦屋『柳屋』で年越し蕎麦。民家風の渋い店構えにそぐわない可愛らしい女子高校生のバイトがてんてこまいでフロアをこなしている。たまに注文を間違えたりするのだが、ほろ酔いの地元のおじさんたちもニコニコ顔。店構えの風格の割りに蕎麦もごく普通の出来だったが値段を考えるとこんなものか。気がつけば大晦日。あっという間の2010年だった。さて、来年は少しは景気が上向いて欲しいと思うが、それ以前に健康で美味い酒が飲めることが肝要。来年も一年元気で日記を綴れれば良しとするか。

2010年12月8日水曜日

国際ジャーナリストの“証言”


現在手伝っている競馬専門誌の仕事で国際ジャーナリストの手嶋龍一さんのインタビューに立ち会ってきた。
手嶋氏はNHKワシントン総局長として9.11テロを現地から長時間にわたって伝えてきたことで一気に有名になったのだが、NHK退局後はご自身の経験も生かし『ウルトラダラー』『インテリジェンス―武器なき戦争』と多くの話題作を書き、近著『スギハラダラー』も好評である。
その気鋭のジャーナリストがなぜ競馬?というと、実は知る人ぞ知る競馬ファンというかフリークなのである。

出身も北海道岩見沢で子供のころから生産者とのつながりが深く社台ファームの吉田一家とは家族ぐるみの付き合いだという。
この極東情勢が緊迫したなかで競馬の話でもないのではと思っていたが、快く応じていただけたのも逆にこちらが競馬の雑誌であったからこそのようだ。

実際のっけから“競馬ファンと言われるのが嫌というわけではないけど、ファンというよりはもっと内側の人間、英語で言うとWittness=証言者とでもいうような立場ですから”とたしなめられてしまったほどである。
インタビューも現在の競馬会の抱える問題を中心に社台ファームとのかかわり、駐在員時代の競馬遍歴と競馬の奥深さまで実に幅広くまた熱が入ったお話しで、取材時間の1時間圧倒されっぱなしだった。

一見ソフトな容貌だが、なかなかどうしてさすがに修羅場をくぐってきた気鋭のジャーナリストだけに、その一つ一つの言葉に迫力と説得力があり、また現在は大学で教べんもとられていることもあるからか取材側が教えられる学生のごときで、すっかり勉強になりました。

しかし国際ジャーナリストへの取材で、まったく国際情勢が話題に出ないというインタビューも珍しいというかなんというか…。