2010年5月31日月曜日

週間呑みアルキスト4.27~5.30


ここしばらく仕事に忙殺されておりまして週間とはいうもののすっかり月間になってしまいましたが、ようやく仕事も一段落。晴れて呑みアルキ再開とあいなりました。

●4月28日
スポーツフォトグラファーKG氏と元KS社のKJ氏と打ち合わせのため、会社の近所のイタリア居酒屋『ピアンタ』で食事。KG氏は今回のワールドカップ特集雑誌で日本代表の写真を担当。この日直近の4試合で撮影した写真のデータを持ってきてもらい、自然と話題は誰が代表に選ばれるかということに集中。翌日から世の中はゴールデンウィークだが、こちとら仕事の山場に突入するので呑みアルキもしばらくはお休み。

●5月4日
編集を手伝ってもらっているKJ氏と神保町『上海美食 酔仙飯店』へ。GW中界隈はお店も休みのところが多いが押し並べて中華系はやっている。すでに深夜作業が続きへろへろしているがKJ氏につられて思わず生ビールを注文。社に戻ったら睡魔に襲われるのは必至だが、ええいままよと1杯が2杯に、KJ氏は気がつけばウーロンハイへ突入、だめだこりゃ。

●5月6日
KJ氏と深夜に九段下の『デニーズ』で1杯が2杯に。

●5月7日
KJ氏と夕食、神保町のダイニングカフェ『Logumi』で1杯が2杯に。

●5月11日
KJ氏と深夜に九段下の『デニーズ』で1杯が2杯に。

●5月12日
KJ氏と深夜に神保町『天鴻餃子館』で1杯が2杯に。

●5月14日
やっと校了日を迎える。3日ぶりに帰宅ができるのだが、解放感もあいまって帰り道に久しぶりに『明治屋2nd』に立ち寄ってしまう。1杯で酔いが全身に回る。

●5月17日
KJ氏が仕事の後始末で来社後、帰って仕事というプレッシャー無しに呑む。神保町の蕎麦屋『たかせ』で麦焼酎のそば湯割り、仕上げに美味しいそばを堪能。『明治屋2nd』にハシゴ。

●5月18日
KJ氏と今期常駐で仕事を手伝ってもらったHK嬢、デザイン会社B社のスタッフと出来上がったばかりの雑誌を届けながら桜新町の居酒屋『火の国』でお疲れ様会。徹夜続きで力技で何とか出来上がった雑誌をめくりながら苦労話で盛り上がる。のど元過ぎれば苦労も大したことがなかったように感じるが、疲れているのか酔いも早い。二軒目の『旬菜いおり』ではところどころで意識が途絶える。終電に飛び乗り乗り過ごしのプレッシャーで睡魔と闘いながらなんとか家にたどり着く。

●5月20日
KGカメラマンが掲載誌を取りに来たので神保町の中華料理『東方園』で食事。思えばこの企画はKGカメラマンと昨年秋以来の営業の結果形になったもので、KG氏も感激の面持ち。後は売れてくれればと願うのみ。『シャルルボイル』にハシゴ。

●5月21日
今年初めに仕事でご一緒したライターのYS嬢とR社編集のIT嬢の招待で恵比寿のイタリアン『DAL-MATTO』で会食。西麻布に本店を置く人気のレストランで予約が取りづらいので有名な店だ。天然素材の野菜をふんだんに使っている創作メニューが主体ということなので女性客で一杯、確かに素材にこだわった料理はなかなかにエクセレント。ギャルソンのくどいくらいの料理の説明も食べてなるほどと思わせる。久々の高級イタ飯にすっかり満足。ごちそうさま。

●5月24日
KGカメラマンの車に便乗し埼玉スタジアムへ、雨をついて日韓戦観戦。これが国内最後の壮行試合だったので期待も高まったが結果は無残な惨敗。岡田監督の進退伺も話題になるなどファンも怒りを超えてドッ白け。これはせっかく苦労して作った雑誌の売れ行きにも響きかねない。帰路、KGカメラマンと愚痴を言い合いながら都内へ戻り、千川の『福しん』でギョーザをつまみながら〆る。

●5月26日
編集制作会社数社による勉強会に参加。終了後は懇親会ということで曙橋のフレンチレストラン『one's』へ。
濃厚なフルボディのワインを2本ほど開け、会社に戻ったのはいいがすっかり寝てしまい、きがつけば終電間際、あわてて駅にダッシュ。


●5月27日
大手代理店D社のTS嬢とランチミーティング。汐溜カレッタの地下にある高級中華料理『湘坊』で待ち合わせ。銀座の名店『天厨飯店』の経営だが、ランチタイムはリーズナブルな値段で本格中華が楽しめるとあって界隈のビジネスマンで込み合う。昨今のインバウンドビジネスについていろいろ情報をヒアリング。この日もすっかりゴチになってしまった。ありがとうございます。

●5月28日
副都心線経由の帰りがけ新宿三丁目で途中下車し、ずいぶんと久しぶりに『T's Bar』に立ち寄る。給料日の直後で天気も良かったので週末の新宿は人通りも多い。景気は少しは回復したのだろうか?

2010年5月24日月曜日

織田昭子さんの思い出


子供のころ我が家には馬の絵が描かれた「アリババ」というバーのマッチがよく転がっていたのを覚えている。
酒好きの父親が、呑んで酔っ払って帰ってくるとき持ち帰ったものである。酒臭い息で子供たちの部屋に入ってくるのは嫌だったが、たまには銀座の「ビクトリア」や「エルドール」のケーキのお土産があったりする余禄もあった。そんなときもテーブルの上にタバコとともにこのお店のマッチを見かけたものだ。

大学に合格したとき、その頃はあまり父親と口をきくことが少なくなっていたが、せっかくの人生の節目ということで久しぶりに外食に誘われた。銀座の「みかわや」で洋食を食べた後、時間があったので思いついて“親父がよく行っている店に行きたい”というと、父親はやはり息子と一緒に飲めることになったのが嬉しかったのだろう“若い女の子はいないけどいいのか?”と言いいながらも上機嫌で資生堂の裏辺りにあった「アリババ」に連れて行ってもらった。
その頃はもう、その店のマダムが作家の織田作之助の内縁の妻だった織田昭子さんだということも知っていたし、銀座のバーなるものがどんなところなのか凄く興味があった。

お店の入り口にはマッチにあしらわれている馬の絵の看板がほの暗い照明に照らされ、老舗のバーというムードが漂っていた。
珍しい若い客が来たこともあって、確かに女性はみな“大人の女性”ばかりだったが、席は盛り上がった。“親父がいつも迷惑かけちゃって”というと“え~、お父様はぜんぜん乱れない紳士よォ”と家とは違う外向きの親父の顔が思いがけずわかったりして、なかなか楽しい時間だった。
われわれより遅れて出勤してきた昭子ママはちょっと貫禄のある中年女性だったが、ああ、この人が織田作が最後に愛した人なんだと無頼派作家の連れっぽくないふくよかさを意外に思ったことだけ覚えているが、その日話した内容も(他愛ないことだったと思う)昭子さんの顔もそれからもう30年余りたってしまいすっかり記憶は薄れてしまった、お店自体ももうすでに残っていない。

たまたま最近、織田昭子さんが昭和46年に上梓した『わたしの織田作之助 その愛と死』(産経新聞出版局刊)を読む機会があった。ちょうど彼女と会った2,3年前に書かれたものだ。昭和18年から昭和21年までのお二人の出会い、織田作がヒロポンを打ちながら作品にのめりこむ毎日、そして肺結核の闘病生活を経て死を看取るまでの凄絶な日々が綴られている。登場人物も太宰治、坂口安吾、林芙美子、菊池寛、川島雄三。これら当時の作家たちの息遣いが聞こえてくるようなエピソードが次から次へ出てきて、すっかり惹き込まれてしまった。
女優志願だった当時の10代の頃のポートレートを観ていると、お会いしたときのおぼろげながらの印象となんとなくイメージが重なってくるような気もしてくる。

常連だった親父は、当時の作家たちの話をお店で見たり聞いたりしたのだろうか?三島由紀夫もよく店に顔を出していたらしい。そんな時代が、とてもうらやましく思うとともに、あの「アリババ」の一夜、もっともっと昭子ママと話しをしておけばよかったと、いまさらながら悔やまれてならない。
確かお店は平成になった頃に閉店したと記憶しているが、その後の織田昭子さんの消息をネットで調べてもよく分からない、まだご健在なのだろうか?ご存命なら80も半ばといった高齢かとは思う。
昭和という時代が、すっかり遠くなっていくことに一抹の寂しさを感じつつ、いまだに当時の面影を残す銀座のバー「ルパン」あたりに顔を出して当時を偲ぶのもいいかもしれない。それも今のうちだろう。

2010年5月19日水曜日

本田の表紙はなかなか冒険だったぜ


このゴールデンウィークに会社に缶詰めになっていた仕事がついに一段落。昨夜やっと雑誌の形になって上がってまいりました。
『2010ワールドカップをぜんぶ見る』ということで、スカパー!、NHK BS、地上波のすべての中継スケジュールが入ったテレビ観戦ガイドの決定版です。
なんといっても、南アはあまりにも遠い。治安も悪いし金もない、今回は現地観戦をあきらめてテレビで観るぞ、なんて人が多かろう(かくいう私も)ということから企画されましたが、番組表解説以外にも読みどころ満載です。サッカーのにわかファンからオタクまで充分楽しめるものと自負しております。
しかも定価500円は安すぎ!

6月11日の開幕日には是非お手元に。よりワールドカップが楽しめること間違いなしです。


月刊ザハイビジョン7月号増刊
『2010ワールドカップをぜんぶ見る! TVサポーターブック』(角川マーケティング刊)定価税込500円
5月20日(木)発売

2010年5月3日月曜日

祭りの真っただ中でツイ―トなう


連休中出勤の毎日、昨年は単行本の仕事だったが、今回は雑誌の増刊号。
知人のライターがTwitterで“版元は連休明けに入稿してくださいといかにも休み中に仕上げろと言わんばかりの発注をする”とつぶやいていたが、まったくどこも同様である。

休日出勤は静かで電話もあまりかからないし、急な打ち合わせもないので確かに仕事ははかどるのだが、この時期のわが社周辺は地元の三崎神社の例大祭ということでお祭り一色。朝から法被姿の老若男女がそぞろ歩き笛太鼓が鳴らされ、午後は神輿が威勢のいい掛け声で会社の目の前をうねり歩く。夜は夜で地元の青年団や老人たちが車座で歩道に座り込んで遅くまでコップ酒でとぐろを巻く。とても静かに執筆どころではないのである。
家で仕事を持ち帰って、とも思うのだが資料や相次ぐデザイナーからのメール、ライターの依頼原稿のメールが届くのでやむなく浮かれ気分に満ちた街で仕事を余儀なくされるのである。
でも良く考えれば、地元の人たちにとっては年に一度の楽しみの場だし、休みの日にやっていて当たり前、こちらが異常なのではあるのだが。

と昼間から近所の喫茶店に非難して原稿の割り付け確認や、対談の録音とか聞いていたが、ようやくのこと静かになってきたので事務所に戻ってきた。といってももう終電までは3時間もないではないか!やっぱりこんな日は中途半端に出勤するよりはすっぱり休んでしまった方がよかったと思うのだが、やはりカレンダーを見て入稿下版までのスケジュールを考えるといてもたってもいられなくなる。気が小さいのか貧乏症なのかわれながらあきれてしまう。まあ責任感のなせる技と思いたい。

ああ、来年こそはすっぱりこんな生活から足を洗って神輿担ぐ側に回りてえ!