2011年1月30日日曜日

胸に輝く4つの星


アジア王座奪回!
カタールで開催されていたアジアカップでザッケロ―ニ監督率いる若き代表は、ついに頂点を極めた!
決勝の相手は4年前まではオセアニア協会に所属していたオーストラリア、アジアの覇権を競うのは今回が初めてである。フィジカルに勝りキーウェル、ケーヒルといった世界レベルのタレントを擁する攻撃力はアジア随一。日本は序盤からおされぎみぎみの展開で何度も日本ゴール前にロビングをあげられセカンドボールを狙われる。単純だが日本のDF陣にとって一番嫌な定石通りの戦い方に防戦を強いられるが、GK川島の神がかり的なセーブもあってゴールを割らせないまま延長へ。そして長友の見事なクロスから、延長から投入された李忠成が値千金のボレーを叩き込んだ。

これで日本は4度ものアジア王座へ輝いたが、今回の戦いに関しては昨年のワールドカップ後に世代交代し、若い選手が多い急造チームで臨んだ。そんな準備不足の中で戦いのたびごとに経験を積んで勝ち進んだ事を考えると、その内容は過去の3度の戴冠に増して大きな価値がある。しかも準々決勝から開催国カタール、韓国、オーストラリアと、難しい相手ばかりの対戦だったことも大きい。ザッケロ―ニ監督の手腕と共に発展途上のチームの今後の世界ステージでの挑戦がより楽しみになってくる。

もちろん今回の優勝は素晴らしいが、なによりもアジアから世界への飛翔する可能性を感じさせてくれたのが嬉しい。アジアの勝利だけにとどまらないさらなる前進にむけて頑張れザックジャパン!!

2011年1月27日木曜日

韓国撃破


アジアカップ準決勝の日韓対決。確かに日本は延長ロスタイムで試合を終わらせられなかったし、前半流れの中で加点できていたらこれほどまでに苦しまなかったのにとは思うが、細かいことは言うまい。一発勝負のトーナメントでPK戦といえども決勝のピッチに立てるのは日本で、韓国は消えたという事実こそが重要である。新生日本代表、成長しながらのここまでの快進撃は掛け値なしに素晴らしいし、世界へ向けてさらなる可能性を感じさせる。29日、アジアの頂点に立つことを確信している。
ファッチソニャーレ!夢を見させてくれザッケローニ!

2011年1月23日日曜日

週間呑みアルキスト1.1~1.23


●1月4日
初出社。大概の会社はまだ休みだろうが家でだらだら飲んでいても仕方ないのでしばらくため込んでいた伝票類の整理や会社に届く年賀状の返信を書いたりの一日。早めに切り上げ後楽園はラクーアにあるイングリッシュパブ『HUB』の前を通りかかる。キルケニーでもあればとふらっと立ち寄ったがやはりチェーン店だけにせいぜいがバスペールエール。ちょっとがっかりしたが気を取り直して初ビール。

●1月6日
この日から会社の隣の『明治屋2nd』が店開き。新年の挨拶かたがた立ち寄り恒例のお年賀のタオルをもらう。界隈の会社もすでにほとんどが5日から仕事始めで、常連さんたちが待ちかねたように次々と入ってくる。早めに切り上げるつもりだったが入れ替わりやってくる顔見知りとついつい話し込んで遅くまで飲んでしまう。今年もお世話になります。

●1月7日
昨年来ちょくちょく会社に顔を出すようになったKJ氏が今年初の神保町見参。だがこちとら翌日が胃がん健診でバリウムを飲まなければならないため8時以降の飲酒はできない。まあ、それまではということで蕎麦屋の『柳屋』でそばすすりながら軽く熱燗を一杯。KJ氏相手だとこういう規制がないとエンドレスになってしまうのでこのくらいがちょうどいい。

●1月11日
女性漫画家のKHさんが来社。一緒に神保町の沖縄風フレンチの『東京アチコーコー』で食事。いきなり近所の大手出版社の新年会のグループの予約が入っていて賑わっていたがなんとかカウンター席を確保。女性スタッフばかりの店だが帰り際に手作りのニューイヤーカードをもらう。料理もそこそこ美味しいのだがこういうちょっとした心遣いがなかなか気が利いていて人気があるのもわかろうというもの。

●1月12日
前回健診前であまり付き合えなかったKJ氏が飲み直しで来社。老舗中華の『源来軒』がやはり新年会の団体で一杯だったため専大交差点のビル下にある中華料理『東方園』へ移動。この店の主人はかつて「料理の鉄人」に出演し陳健一と腕を競ったことがあって店の扉にも写真が飾ってあったりするのだが、そんなに飛び切り美味いとは思えずごくフツーの中華レストランとしかいいようがないのだが。軽く紹興酒を空けた後、『明治屋2nd』で仕上げ。

●1月18日
女性漫画家KHさんが手がけているホスピタリティをテーマにした企業漫画の企画で、人気のある飲食店の秘訣が知りたいということで『明治屋2nd』を取材することに。開店前の時間でKHさんとマーケティングの専門家であるKGさんのお二人がマスターの開店秘話と経営ポリシーを聞く。こちらはオブザーバーで立ち合っていただけだが今まで聞いたことが無かった起業までの経緯や苦労話はなかなか面白かった。いったん社に戻った後3人でそのまま飲みに突入。

●1月20日
沖縄在住のライターIN嬢が上京し来社。沖縄料理以外のものなら何でもというリクエストで岩波ビル別館に最近オープンしたシンガポール料理の『マカン』へ。この店を選んだのはIN嬢はもともとシンガポールで現地紙の仕事をしていて、こちらが駐在時代に現地で知遇を得た間柄でシンガポールは共通の話題が多いということもある。この店は近辺にインド、タイ、など数店のエスニックレストランを経営するグループの新しいコンセプトショップでブラジルレストランから最近になって業態変えしたのだが、メニュー的には定番の海南鶏飯だけでなくラクサやホッケンミー、バクテーなどもあって、シンガポール、インド、ぺラナカンがごったになっている感じだ。まあ現地で食べていたホーカーの屋台料理だってそんなに特別美味いものでもなかったので気分を味わうには十分である。ということで海南鶏飯をぱくつきながらシンガポールの共通の知人の消息を聞くうちに無性にシンガポールを再訪したくなる。すんでいたときは死ぬほど退屈した街だったがしばらく離れていると妙に懐かしくなるものである。今年の目標の一つにするか。

2011年1月22日土曜日

次からが世界標準


アジアカップ準々決勝、対カタール戦。わが若き代表はザッケロ―ニ監督が言うところの成長過程を見事に体現してくれた。2度までもリードを許しなおかつ退場者を出しながらも決して気持ちを切らすことなくホストカントリーで地の利のある相手を苦しみながら3-2で下した。

ただし、あえて苦言を呈するが、意味のないFIFAランキングや過去の対戦成績とかの素人くさい煽りはまったく参考にはしないものの、またいくらホストカントリーで3大会先のワールドカップ開催国とはいえ、現在のカタールに対しては“若さ”を割り引いたとしてももっと簡単に勝ってほしかった。
FWのセバスチャンがウルグアイ人、FKを決められたモンテシンはブラジル人、他にもナイジェリア、スーダンと言ったアフリカから帰化させた多国籍軍団だとはいえ、自国の代表になれない選手のレベルをいくらそろえようが(それは純血代表より強いに決まっているけど)欧州や南米の強国に比べようもない、むしろオーストラリアや韓国、イランのアジアの実力国以下と見るべきだろう。試合後のザッケロ―ニのコメントにもあったが、序盤から飛ばしたものの完全に試合の主導権を掌握できるかと言うとまさに「それ以上の事はできない」チームであった。

そういう意味では、レベルの低いレフリングがあったにせよ、そのセバスチャンあたりにあっさりかわされ、ファウルで止めざるを得ない吉田とかはまだまだこれから経験を積む必要があるだろうし、楢崎に代わって守護神となった川島の判断もまだまだ前任者に遠く及ばない。伊野波の不用意な受渡しミスやラインコントロールのミスなども含め日本の失点はすべてやらずもがなのものだと思う。昨年のW杯の代表との新旧交代において、やはりディフェンス力の強化は課題が残った試合でもあった。

もちろん不利な状況から勝ったことに対する精神力はじめ収穫(成長の跡)は大きいのも確か。香川の加入と長谷部のチームコントロール、本田のゲームメークは、わずか半年前の代表チームとその姿を大きく変貌させたと言ってよいだろう。岡崎、長友、今野の安定感も確かなものである。選手の交代に関してもザッケロ―ニの采配はさすが修羅場をくぐってきた、とその経験値の高さを伺わせるに十分といえる。彼自身も言っているが本当に今後の可能性が楽しみなチームが生まれつつある。

次は今日22日に決まるイランもしくは韓国。このステージに来て初めて真剣勝負で相まみえる世界標準の相手である。
果敢なチャレンジを期待したい。

2011年1月15日土曜日

ドービルにて


俳優の細川俊之さんが亡くなった。
転倒して頭を強打したそうである。享年70歳という年齢も、もうそんな歳になっていたんだと少し驚きだった。ツイッタ―でも書いたが、細川さんとは1983年に日本テレビのグルメ番組取材でフランスを一緒に旅したことがある。細川さんは当時まだ43歳だったわけで時の流れの速さを改めて実感させられる。

番組ホストの関口宏とノルマンディー地方のフランスの田舎料理を訪ねるということで、ドービル、オンフルール、モンサンミッシェルと食べ歩く、実に楽しく美味しい旅だった。
オンフルールで食べたオテルサンシメオの料理の味は今も忘れ難く覚えているほどエクセレントだったし、食事も良かったのだが、料理以上に石畳の多い北フランスの街並みの美しさに感銘を受けた。映画『男と女』のロケ地を歩けたのも思い出深い。
二枚目の細川さんはノルマンディーの風景がまた良く似合った。片言のフランス語もあの渋い低音の囁くような声ですごく上手く聴こえたものである。ロケの途中で入った食堂のウェイトレスも話しかけられ顔を赤らめるほど格好良かった。
若いころ、演技の勉強でパリのアパルトマンに下宿したことがあったとかで、屋根裏にあった部屋から観る町並みの光景と下宿先の女将さんが朝届けてくれるバゲットの美味しさを本当に謡うように聞かせてもらったものだ。

その後お会いすることもなく、もっぱらテレビで活躍する姿を拝見するだけだったが、外国をともに旅したという体験もあって、今回の訃報もなんだか縁が遠くなっていた身内の不幸のような気分がしてならない。最近も、戦後の映画スターたちの訃報が相次いで届いているが、細川さんなんかはまだまだ現役としか思えないし、鬼籍に入るにはなんとも早すぎる。そういえばこの時の写真があったはずと、引き出しをひっくり返して探し出ししばし見入っていた。アップしたのはドービルの海岸の桟橋をバックに撮ったものだ。あの時おふたりで口ずさんでいた『男と女』のスキャットが聞こえてくるようだ。

謹んでご冥福をお祈りしたい。

2011年1月2日日曜日

年の初め


朝起きぬけの我がマンションのベランダから望んだ富士山。
ここのところ毎年正月は好天で富士山が見事なのだが、写真にすると大して変わりばえがない。
とはいうものの思わずカメラを取り出したくなるね。


朝からお屠蘇でいい気分になったあとは恒例の天皇杯決勝戦を観戦しに国立競技場に向かう。ツィッターで“なう”をつぶやくと何人かの知人から「らしい正月ですね」との反応だが、この元旦の国立詣でも海外駐在だった4年間を除けば、もう40年以上続く行事となった。今年の対戦は鹿島対清水。なかなかの好ゲームだったが熱戦の末、鹿島が2-1で勝利。
昨年は90年から続いていたワールドカップ観戦が途絶えてしまったが、今年はアジアカップは間に合わないものの南米選手権も、ワールドカップブラジル予選も控えている。ここ2年は資金も無くておとなしくしていたがなんだかそろそろ海外に行きたい病がぶり返してきた。サッカー以外でも韓国・大邱の世界陸上観戦なんていうのも面白いかもしれない。野球のアジアシリーズも台湾で開催される予定だという。まあだんだんと余生も短くなってくるわけだから元気なうちにせいぜい楽しいことをするに限る。


天皇杯終了後は、初詣。いつもは石神井の氷川神社に行くのだが例年長蛇の列なので今年は会社のある神保町の地元の神社『三崎神社』に行ってみることにした。
さすがに元旦のこの地域は人通りも無くひっそりとしている。三崎神社は大晦日から元旦にかけて福もちをつくそうで、大勢の人が来るようだが一夜明けると参拝客もポツリポツリ。おかげでゆっくりと参拝することが出来た。寄進先を記した掲示を見ていると近所の銀行や企業、商店がならんでいる。ということであれば来年からはここで初詣というのが常道というものであろう。


夜は馬鹿馬鹿しいお笑い番組を見る気も起こらず、飲みながら年末に亡くなった高峰秀子を偲んで成瀬巳喜男監督の『浮雲』を見直すことに。森雅之が若く美しい彼女の姿を回想するシークェンスでご本人と重ね合わさり、ちょっとグッとくる。
池部良、高峰秀子、2010年に相次いで逝ってしまった「時代」を感じつつ、2011年の元旦は静かに更けていく。