2017年11月17日金曜日

週間呑みアルキスト10.1~10.31








●10月1日

午前中武蔵野館で公開中の映画『ポルト』鑑賞。午後からはJAZZミュージシャンKG氏の年1回の恒例ライブで新宿『Pit Inn』へ。終了後『隋園別館』にて打ち上げに参加。デザイナーのRK嬢と新宿三丁目のBar『r.p.m』に流れる。


●10月3日
高校時代の友人SY氏が熊本から上京、新宿三丁目『かり屋』で旧交を温める。


●10月4日
CDブックの収録仕事最終日。発注社のGV社のAK氏と打ち上げで、新宿三丁目『池林房』でうtィ上げ。なかなか面白い仕事だった。次回は12月。


●10月7日
千葉稲毛のアクアリンクにて、子供たちのアイスホッケー大会を取材。素晴らしいハコなのだが、駅から遠く海辺にあり、バスも夕方で終了。食事をとる場所もアリーナ内のレストラン『オリンピア』のみ。試合の合間を縫ってカレーライスをかっ込むが空腹だったためもあり意外とうまかった。東京に帰還した時はすでに深夜に。それでも子供たちの大人顔負けのスケーティングに興奮。


●10月9日
今は亡き後輩のKJ氏の墓参りで用賀へ。K社の後輩や仕事仲間と用賀駅ビルの蕎麦屋『そじ坊』で献杯。新宿経由荻窪周りで帰宅途中、荻窪在住のTM嬢と駅前の焼き鳥の名店『鳥もと』で献杯の続き。


●10月10日
日本代表のハイチ戦観戦で横浜日産スタジアムへ。試合はちょっと寒い内容、ロシアは大丈夫なのか?新横浜駅で夜食用に崎陽軒のシューマイを買い込み帰宅後反省会呑み。


●10月12日
ロンドン在住のデザイナーWN嬢が帰国中ということで、新宿三丁目の沖縄居酒屋『海森
』で開かれたデザイナーの仲間たちの呑み会に参加。30年近く会っていなかった人たちと再会。デザイナー仲間同士の呑み会だったので先に辞去し『Rusty’s Bar』で一杯。


●10月13日
編集OK氏とK社の海外部門で働くSZ嬢が神保町に。近所の中華料理『大興』で食事&呑み。


●10月14日
母校のラグビー部の年に一度の秩父宮マッチを観戦に。相手は最強の帝京大だけに結果は最初から見えていたが、やはりそのレベルの差はいかんともしがたく大敗。100点ゲームにならず1トライ取れたのがまあ抵抗と言えば抵抗なのか。


●10月15日
社会人になった最初の会社TN社で世話になった先輩UY氏が逝去し、自宅のある平塚の通夜に参列。当時の先輩たちと久々の再会。広告部で親しかった先輩たちと平塚駅前の『中華居酒屋』で献杯。


●10月17日
元広告代理店MC社のUC氏と仕事になりそうな企画話で、UC氏の先輩SM氏と会食。渋谷道玄坂の路地にある蕎麦屋『ますだや』へ。台湾でのビジネスのアイデアフラッシュ。会食後、ロックbarの老舗『グランドファーザーズ』へ久々に立ち寄る。


●10月19日
台北へマイレージ消化の旅行。台風の影響で天候は雨しばらく続きそうということで、地方に足を延ばす計画は中止して台北で過ごすことに。夕食は『京鼎楼』で小籠包。林森北路のスナック『JUNO』に顔を出すと、昔なじみのKママの大歓待を受け、翌日の同伴を約束させられる。


●10月20日
台湾2日目は、最近人気の大稲程地区を散策。午後から林口に出来た三井アウトレットモールを視察。夕食はKママと雲南料理『人和雲南菜』でデートした後お店へ出勤。


●10月21日
台湾3日目は永康街『東門餃子館』で食事、青田街散策。青田街の静かでおしゃれなカフェで午後をゆったり過ごす。夕方は東区へ移動しかつて立ち上げた雑誌TW誌の18周年記念イベントを見学。大盛況に感慨無量。中山北路の『bochibochi bar』で軽く食事&呑み。


●10月22日
台湾4日目は行きたくてなかなか行けなかった歴史遺構の地馬場町へ。かつて白色テロ時代に多くの人々が処刑された慟哭の地である。現在は祈念公園となり平和そのものだが、モニュメントには献花が絶えることがない。青年公園、国立歴史博物館、植物園、二二八平和祈念館などを見学の一日。夕食は中山北路の『高記』で包子や菜飯を賞味。


●10月23日
帰国便が台風の影響で大幅にディレイ。関西空港でさらにディレイし羽田到着は深夜。航空会社からタクシー代が出ることになり帰って荷物とかの負担がなく帰れたのはまあよかったが、1日がかりの帰路に披露困憊。


●10月24日
T誌の正月号、箱根駅伝特集の取材で千葉で合宿中の渡辺康幸住友電工駅伝監督をインタビュー。誉田からバスで30分ほどの山中にある生命の森リゾートでのインタビューだったが立派な施設だったのでびっくり。取材終了後、同地のホテル内にあるレストラン『ブローニュ』でランチバイキング。


●10月25日
雨がそぼ降る寒い一日。夕方元広告マンのUC氏が打ち合わせで来社。会社近くの焼き鳥屋『福の鳥』で一杯。


●10月26日
BS民放局勤務のID氏が企画相談で来社。洋食レストランの『鳴海』で食事。テレビの営業もなかなか辛そうな時代のようだ。うまくジョイントできる企画があればいいのだが。


●10月28日
東京国際映画祭で六本木へ。この日一本目の台湾映画『大仏+』を鑑賞。なかなかの力作、風刺も効いて名もなき貧しい庶民のアイロニーもよく表現できている。鑑賞後事務所に戻り一仕事終えて『明治屋2nd』で一杯。


●10月29日
午後から東京国際映画祭。日本目は台湾の白色テロ時代のことを描いた90年代の名作『超級大国民』のデジタルリマスター版再映。先日馬場町へ鎮魂の旅をしたばかり、馬場町の処刑シーンもあり、殉難者の引き合わせか不思議な気分だった。


●10月30日
地元のシネコンで『ブレードランナー2047』鑑賞。前作の衝撃には及ばなかったが、なかなかよくできた続編だと思う。IMAX3Dで堪能。










2017年10月26日木曜日

祈りの場所にたたずみて

長らく台湾に関わってきたものの、いままで行く機会がなかった馬場町祈念公園をやっと訪れることができた。台風の影響で雨模様が続く中、ふっと青空が顔を出し、南国に秋の気配が漂う日曜日の午後、MRTの古亭駅から歩くこと30分。広大な青年公園に隣接する淡水河の川べりにその地はあった。ここが1940年代後半から50年代に国民党政権に「反乱分子」の汚名を着せられた多くの人々が処刑された慟哭の場所である。


広場中央に土盛られたモニュメントには今なお花が手向けられ続ける。
白色テロの殉難者たちが滔々と流れる淡水河を眺めつつ銃口の前に立たされた時、胸に去来したのは何だったんだろう。そんなことを考えると胸が締め付けられてくる。


夜中に突然ジープが家の前に泊まる恐怖の中、誰もが沈黙を強いられた暗く長かった時代からすでに半世紀以上が経過した現在、広場を歓声を上げて走る親子連れの姿、のんびりと散歩する老人たち、耳にヘッドホンをつけジョギングに励む若者、どこにでもある平和な日曜日の午後の風景が、目の前にあることが逆に胸に沁みる。
どうかこの平和をいつまでも見守ってください、深く頭を垂れながらしばらく祈り続けた。


母国はその日、嵐の中の総選挙である。戦争への記憶はすでに薄れつつあり、危険な時代の風が吹き荒れる予兆におののいている。




2017年10月4日水曜日

週間呑みアルキスト9.1~9.30



●9月2日
骨付き肉を卑しくしゃぶっていたら、前歯がボキッとへし折れてしまう。乳歯が生え変わった後、前歯を失うのは初めてのことでちょっと同様。根の部分は少し残っているが、果たして修正は可能なんだろうか?翌3日、日曜日は流山に鰻を食べに行く約束があったが、とりあえず歯の状態を診てもらうのが先決だろうと断りを入れる。地元で休日でも診療している歯科医を調べ、取り急ぎ予約を入れる。


●9月3日
ネットのアクセス地図を頼りに前日予約した歯科医院を訪ねるが、古い雑居ビルの中に入った年季の入った診療所だったので、少しビビる。年配の先生は幸い気やすい感じで少し安心。見立てとしては虫歯とかではなく「歯だって老化するからね」とあっさり。少し落ち込む。しばらくは治療に通う日々が始まることになる。


●9月6日
K社月刊TTV編集長のTK氏と彼の同期のWS氏、カメラマンのKG氏と四谷『徒歩徒歩亭』で会食。前歯がないので麺類が食べにくいが、痛みもないのでお酒も解禁。バー『3circle』にはしご。


●9月9日
所沢のくすのきホールで開催中の古書展へ。読まねばならないつん読の本が何冊もあるのに、ついつい数冊買い足してしまう。


●9月10日
WOWOWのエキサイトマッチで井上尚哉登場とあって、午前中から気合を入れてテレビ観戦。米国初上陸の井上が強さを見せつけるモンスターぶりを鮮やかに米国ファンに披露。メーンイベントのシーサケット×ローマン・ゴンザレス戦では、ロマゴンまさかのKO負け。マットに大の字になった姿に新旧交代の冷酷な時間の流れを感じてしまう。夕方からクリストファー・ノーランの話題の戦争長大作映画『ダンケルク』を地元のシネコンに観に行く。


●9月12日
東銀座の松竹試写室で『彼女がその名を知らない鳥たち』の試写鑑賞。後味が悪いストーリーではあったが蒼井優はじめ竹野内豊、阿部サダヲ、松坂桃李らの熱演が光る。


●9月20日
安室奈美恵引退表明のニュース。こちらも一つの時代終了。


●9月22日
会社帰りに『明治屋2nd』に立ち寄った後、新宿三丁目『Rusty’s Bar』へ。


●9月28日
臨時国会にて安倍首相が冒頭解散。小池百合子の希望の党に民進党が丸ごと身売り。小池は民進党左派は選別と宣告、枝野はリベラル新党設立への選択肢を匂わす。目まぐるしい政局だが、それにしても民進党の政治理念の欠落ぶりが際立つ。茶番。


●9月29日
編集ライターOK氏が来社。水道橋の『台南坦仔麺』で会食。


●9月30日
NHK朝の連続ドラマ前期の「ひよっこ」放送終了。j次週からのひよっこロスは確定だろう。






2017年9月7日木曜日

週間呑みアルキスト8.1~8.31



●8月3日
以前、仕事でお世話になった某民放局のYGさんが、新部署へと異動となったので激励を兼ねた食事会。ライターのSM嬢、TM嬢と久々に恵比寿のイタ飯屋『HEARTH』へ。ほとんど女子会にオヤジひとり混ざった感ありだが、ガレットなんぞでワインなんてのもたまには良いだろう。


●8月9日
新宿2丁目の行きつけだった『t's bar』が、3丁目に移転しリオープンした『Rusty's bar』に初訪問。2階だった前の店と比べ地下なのでより隠れ家感が漂う。帰宅時の地下鉄の連結ルートがますます
便利になってしまったので、寄り道も増えそうな予感。


●8月13日
日比谷のTOHOシネマズシャンテにて映画『ビニー・信じる男』を鑑賞。交通事故で頸椎骨折からチャンピオンに返り咲いた実在のボクサーがモデル。帰りに池袋東武の食料品売り場でつまみを仕入れ家呑み。


●8月15日
WBCバンタム級山中慎介対ルイス・ネリー(メキシコ)の世界タイトル戦を会社の事務所で観戦するが、衝撃のKO負け。帰りに隣の『明治屋2nd』に立ち寄るが、ボクシングファンのマスターからは結果を言ってくれるなと懇願される。知ってびっくりするだろうなあと思いつつ苦い酒をあおる。


●8月17日
大学の後輩でポーランド在住のNM氏が里帰り中ということで、大学時代の友人ED氏、NM
氏と同期のOK氏らと歓迎会。ED氏の勤務先の近所にある東京海上本社ビル地下のすし屋『銀蔵』に集結。いつもなら2次会で銀座というコースだが、珍しくED氏が忙しそうで1次会にて解散。この年になって新しい子供ができてしまったED氏、すこしはおとなしくなったということか。


●8月19日
ジェーン・バーキンの1日限りのコンサートのため渋谷のBunkamuraホールへと向かうが、突然の雷雨に足元がぐしゃぐしゃになりながら会場へ向かう。途中で買い込んだ『ナタ・デ・クリスチアーノ』のエッグタルトで腹ごしらえ、コンサートはバーキンの落ち着いた魅力満載、年齢も70になろうというのにチャーミングさは反則ともいうべき。すっかりやられてしまう。


●8月26日
マイレージ消化のため台湾へ。桃園空港から3月に完成したMRTを利用したらあっという間に台北市内へ到着。1年訪問しないうちにずいぶんと便利になったものだとビックリ。台北はユニバーシアードの開催で盛り上がっており、ホテルにほど近い台北スタジアムに陸上競技でも見るかと弁当を買い込んで向かうものの当日券はすでに完売。買った弁当を捨てるわけも行かずホテルに戻り台湾初日は弁当に台湾ビールという冴えないスタート。


●8月27日
朝食は豆漿で軽く済ませ、昼は中山の老舗『丸林魯肉飯』の自助餐+魯肉飯で満腹に。8月の台湾は滅茶苦茶に暑いので食後に飲んだマンゴージュースがことのほか美味い。前日の反省もありユニバーシアードの前売りチケットの購入方法を調べセブンイレブンで発券。希望の侍学生ジャパンの野球はソールドアウトだったが、翌日に行われるなでしこ学生代表の女子サッカー決勝戦をゲットする。人気の鳳梨酥のお店『微熱山丘』や『誠品書店信義店』などを周るがあまりの暑さでいったんホテルに避難。夕食は永康街の人気店『永康牛肉麺館』へ。小菜と粉蒸排骨(サツマイモの肉おこわ)に蒋経国も魅了したという牛肉麺を賞味。デザートで氷屋『芒果皇帝』に立ち寄りお約束の芒果冰。


●8月28日
遅い朝食ということで昼前に小籠包の名店『明月湯包』へ。お店の看板料理、湯包にシラス炒飯、炒青菜、元盅鶏湯。美味!特にシラス炒飯は香ばしくて絶品。天津街のご用達お茶屋『新純香』でお土産用のお茶うけなどを仕入れいったんホテルにシャワー休憩に戻る。夕方に『渡小月』で台南坦仔麺で腹ごしらえした後、新北市の輔仁大学のグラウンドに女子サッカー決勝対ブラジル戦を観戦しに行く。輔仁大学は日本でいう上智大学のようなカソリックの学校で、キャンパスの環境はなかなか素晴らしい。キャンパス内を案内板に沿って歩くと煌々とライトに照らされたスタジアムが見えてきた。たかが大学のグラウンドと高をくくっていたが、観客席も完備したちゃんとしたスタジアムだった。試合は残念ながら延長の後半に決勝点を決められ惜敗。充分称賛に値する熱戦で楽しめた。


●8月29日
桃園機場から帰国。機場内の台湾料理店『青葉』で最後の小吃。夕刻に成田到着。日本はさすがに幾分か暑さも和らぐ感じだ。


●8月30日
帰り際新宿三丁目『Rustys Bar』へ立ち寄り。


●8月31日
ワールドカップロシア大会最終予選の対豪州戦の大一番を家で見ようと早めに帰宅。結構苦戦するんじゃないかと思っていたが、日本代表のカウンターが奏功し序盤から浅野が先制弾。豪州のへなちょこパスサッカーにも助けられ、後半井手口が見事なミドルを決めて追加点。本田、香川抜きで6大会連続の本大会出場を決めた。祝杯!






2017年8月10日木曜日

磯野恭子さんのこと

8月6日を前にして、元山口放送のドキュメンタリスト・磯野恭子さんが亡くなられた。


広島県江田島出身の磯野さんは、放送史上に残る多くのすぐれたドキュメンタリーを制作、現場を離れても山口放送の役員まで務められた。彼女の作品のテーマは原爆をはじめ、戦争の惨劇と、その記憶を背負いながら戦後を生きてきた人々にフォーカスをあてたものが多かった。


1979年、『週刊TVガイド』の駆け出し記者だった私が、自分の担当する局の番組『ドキュメント’79』で放送された『聞こえるよ母さんの声が 原爆の子百合子』と出会った時の衝撃は今も忘れられない。原爆小頭症患者の娘と彼女を見守る家族の姿を克明に追った作品だったが、がんに侵されて娘の行く末を案じ、痩せ衰えていく身体で「死んでも死にきれない」と慟哭する母親。その死に際にまでカメラを回し続けたことの報道する側の「凄さ」に驚愕させられるとともに、そしてその結果として母親の死後、墓石に耳を当て母親の声が聞こえるという小頭症の娘の心を揺さぶられる感動的な一瞬を記録することができたことで、この番組が後世に残るものとなったのであった。その制作プロデューサーが磯野さんだった。


縁あってテレビにかかわることになったが、いつかこの作品を作ったスタッフの話を聞きたいと思い続けていたが、翌年すぐにその願いがかなった。山口放送が制作した『山口のヒロシマ』という番組が再び『ドキュメント’80』で放送されることになり、上司に猛烈に訴えて4Pの特集を組んでもらえることになった。勇んで山口放送にアポを入れると、磯野さんの東京出張のタイミングでインタビューの時間をとっていただけることになった。確か銀座の東京支社でコンビを組んでいる柴田剛カメラマンも同席していただけ、『山口のヒロシマ』で採り上げられた被爆者支援センター・ゆだ苑のことから『~百合子』のこと、そしてご自身の原爆体験に至るまで、まだ学校を出たての若造の質問に実に丁寧に優しく応対いただけ、さらに電話での追加取材まで快諾していただいた。いまでも汗顔の思い出である。
これが商業誌で初めて自分が書いた特集記事となったこと以上に、その後20数年にわたる編集者人生の原点ともいえるインタビューであった。


その後84年放送の『死者たちの遺言 回天に散った学徒兵の軌跡』(ギャラクシー賞受賞)で和田稔少尉の存在を知ったのも、自分のその後の精神史に大きな影響を与えられたと思う。和田が弾いた”タイスの瞑想”は、最も好きな曲となり今に至っている。


被爆者の念願であった国連の核兵器禁止条約が成立し、核の傘の前で肝心の被爆国が参加することなくその立場を厳しく問われている中、その無念を胸に抱かれたまま逝かれたのだろうか?
磯野さんの遺してこられた「仕事」が、いまこそライブラリーの収蔵作品というだけでなく多くの人々へ再び公開されていくことを願ってやまない。


磯野恭子さん。享年80歳。 合掌。