2014年2月13日木曜日

美少女も歳をとりやがて朽ちるという当たり前の話

シャーリー・テンプルが亡くなった。85歳だったそうだ。女優引退後は米国のガーナ大使、チェコ大使をはじめ外交官としても活躍していたのはニュースで聞いていたが、最近名前を見なくなったと思っていたらいつのまにかこんなにお年を召されていたとは。心からご冥福をお祈りいたしたい。

さすがに彼女の子役時代の作品はニュース映像等でしか観たことはないが、1949年のジョン・フォード監督、ジョン・ウェイン、ヘンリー・フォンダ主演の『アパッチ砦』で、若い騎兵隊員と恋に落ちる可憐な将軍(フォンダ)の娘役を演じていたのはよく覚えている。しかしその後若くして映画界を去ってしまったので彼女をちゃんと観たのはこの作品だけである。子役のころのシャーリーに対しての思い出は映画というより不二家のフランスキャラメルのキャラで会った少女が、シャーリーの写真をもとに図象化されたと聞いて、その印象の方が大きかったくらいだ。

ロリコン癖があったグレアム・グリーンが彼女の映画で欲情を感じる男が多いと評論し、まだ保守的だった米国社会からドン引きされ、批判にさらされたのは時代を感じる。後年共和党員として米国内でチャイルドポルノを厳しく規制する法案成立にを彼女が立ちあがったのは、こういう論評にさらされた経験からだったからだろうか。いまの日本のアニメ見たらグレアム・グリーンもぶっとぶかもしれない。

昨年、当時のもう一人の美人少女女優だった『オーケストラの少女』のディアナ・ダービンも亡くなったばかり。それにしても、あんなに可愛らしい少女が、時間とともにやはり歳をとって、老女となりやがて鬼籍に入る。こんな当たり前のことが最近自分も歳をとったせいか妙に感じ入ってしまうのである。ハーマイオーニーのエマ・ワトソンもヒットガールのクロエ・グレース・モレッツもやがては同じ道を辿るんだろうなあ、と変な想像をしてしまった。

そういえば『シベールの日曜日』のパトリシア・ゴッジはいまどうしているんだろう。









2014年2月10日月曜日

76年へのタイムトリップ


大雪が降った翌日、残っている雪で氷の街と化した深夜に公開されたばかりの映画『ラッシュ/プライドと友情』(ロン・ハワード監督)を観に行く。
70年代のF1を舞台に、当時ライバル関係にあったニキ・ラウダとジェームス・ハントを主人公にした人間ドラマだが、当時のことを知るファンにとってはたまらない作品だった。

自分自身それほどモータースポーツファンというわけではなかったが、1976年のシーズンを描いたストーリーのクライマックスとなった富士スピードウェイの日本GPのことは結構覚えていて(当時大学生だった)、特にオイルメーカーの「elf」のロゴが大きく描かれたタイレル(当時はティレルと呼んでいなかった)のP34フォードの6輪の雄姿は強烈に覚えている。星野、長谷見、高原といった日本人ドラーバーのスポット参戦も話題になった。日本人ドライバーはさすがに無視されていたが、ジョディ・シェクターのタイレルは映画の中でも正確に再現されており、思わず「おお!」と声をあげてしまったぜ。

すでにレギュレーションも変更されている昨今の軟なF1と違って、事故死亡率20%という当時のV12エンジン搭載のF1マシーンのド迫力は、デジタルエフェクト技術の素晴らしい向上ぶりも相まって手に汗握る映像が展開し、これまたそっくりな俳優起用で堅実なラウダ×アナーキーなハントの確執がよく表現されていたと思う。アンドレッティ、フィッツバルディ、レガッツォーニ、マスとか実況でも懐かしい名前がポンポン飛び出し、久々に20代前半の気分に戻った心地よい2時間だった。

それにしてもジェームス・ハントの妻スージーの、リチャード・バートンとのスキャンダルとかはじめて知ったけど、日本のファンの間でも当時有名だったのかしら。ひとつ利口になりました。
 


2014年2月6日木曜日

週間呑みアルキスト1.1~1.31


すっかり、月間になってしまった感があるが久々の更新。というのも、あるイベントの連絡用にGoogleで新しいアカウントを取ったら、自分のブログへの書き込みがアクセスできなくなってしまい、イベント終了まで使えなかったのがここまで更新をさぼった最大の理由。今更1月のことを思い出そうとしてもよる年波みでき奥に定かではないことも多いのでだが、あまり更新しないと孤独死したんじゃないかという心配の声もあり、、呑みアルを再開の重い腰を上がることにした次第。

●1月1日
恒例の天皇杯サッカー観戦で国立競技場へ。広島×横浜Mというリーグ戦優勝を最終日まで競ったチーム同士の対決は、加えて現行の国立最後の試合ということでいつになく盛り上がった。結果的には横浜Mの勝利への執念が広島を上回り見事リベンジを果たす。これも恒例なのだが会社の事務所に立ち寄り年賀状をピックアップした足で、会社の地元の神社である三崎神社に初もうで。新しい1年の安寧を祈願する。帰宅後家呑みで早々に沈没。

●1月2日
これまた恒例の大学ラグビー選手権の準決勝戦観戦で連日の国立通い。早大対明大、帝京大×慶大の組み合わせ。対抗戦では慶応に勝ったわが母校の姿がないのは悔しいが(まあもとよりここまで勝ち上がれるとは思ってもいないが)午前中の箱根駅伝での躍進で溜飲を下げる。今回は兄のコネもありロイヤルボックスでの観戦。温かい1日であまり必要性もなかったが協会のブランケットも貸出される特典付きがうれしい。帰宅後箱根駅伝のダイジェスト観ながら家呑みで寝落ち、沈没。

●1月3日
船橋法典の兄の家に年始のお呼ばれ。義姉の手料理でワイン。帰宅後引き続きワイン呑み、日本酒呑みで沈没。母校は箱根で5位と健闘。でも5位くらいが一番中継で無視されてしまうという罠。

●1月6日
仕事始め。といっても早々から仕事なんてあるわきゃない。仕事のあいさつ回りは放っておいて行きつけの飲み屋に年始のあいさつ。いつもの『明治屋2nd』から新宿二丁目『t’s bar』へ。『t’s』で常連客のEB社のST氏に加えかつての職場での後輩だったAD氏と遭遇。旧交を温めていたところ日頃お世話になっているFM氏、HK氏という編集者の先輩方とEN社ON氏TK出版OK氏という仲間たちが偶然に合流。期せずしてにぎやかな新年会となってしまう。

●1月8日
カメラマンKT氏とTK出版OK氏と新年の飲み会。四谷の『こうや』で中華つまみに紹興酒。引き続き場所を移動して『3Circle』へ。年末にクラブワールドカップの取材にモロッコに行っていたKG氏の土産話、今年の箱根駅伝の現場で感じた評価などを聞く。腹いっぱいの夜。

●1月9日
年末の西武沿線地元呑みで1年ぶりにあったBB社のSZ氏から連絡があって神保町『さぼうる』で落ち合う。電子出版への協力要請だったが内容の面白さに興味津津。仕事になるかどうかはわからぬもののぜひ協力したいと約束。

●1月10日
事務所をシェアしているIG社のNG氏、カメラマンAT氏と珍しく(いつも忙しい人たちなので)連れ立って食事会。会社の近所の中華料理『東方園』で同居して初めての新年会となる。

●1月13日
昨秋亡くなったKJ氏を偲ぶ会の世話人たちで、会の開催を翌週に控え瀬田の墓所へ報告を兼ねた墓参り。帰りに用賀のイタリア料理『サザンダイニング』で食事、WS氏、TK氏のK 社現役男性組は社に戻り、TM嬢SM嬢の女性組とともに神保町へ移動。『さぼうる』で軽呑み。

●1月14日
一昨年昨年と企画でお世話になりつつ連絡をせぬまま不義理をしていたVR社AO氏と会食。すずらん通りの『SANKOEN』に後からライターのTM嬢が合流。『Klain Bar』で呑み直し。さらに3人とも
帰路が同方向なので終電で荻窪まで出てEG先輩がやっている『寄港地』へ新年の挨拶かたがた顔を出す。久々に深夜とっぷりの時間まで呑み、接待するつもりのAO氏にタクシーで送ってもらう羽目に。

●1月20日
同じビルに事務所を持っていたOK氏が事務所を閉めてしまうということであいさつに寄ってくれたので、向かいのデザイン事務所のTK氏を誘って『明治屋2nd』で軽呑み。OK氏は店じまいということだが机はTK氏の事務所に置かしてもらうとのことで、神保町でのお付き合いは変わらぬままのようだ。ともあれ次のステップでがんばってほしいものだ。

●1月21日
高校の後輩でもあり、この2年ほど仕事で大変世話になったKN社のIG氏の訃報で、この日通夜に列席するためにKJ氏を偲ぶ会で一緒に世話人を務めるSM嬢、TM嬢、デザイナーNM嬢で埼玉の戸田斎場まで駆けつける。そういう歳になったとはいえ、仲間うちの訃報が相次ぐのには本当にめげてしまう。遺影になったアロハ姿のIG君の笑顔に生前の姿を思い出し泣けてくる。IG君の冥福を祈り浮間舟渡の居酒屋『千年の宴』で献杯。

●1月22日
59歳の誕生日。四十路でありながらもれっきとした現役女子大生TM嬢とホテルニューオータニ内の『石心亭』で会食。久々のぜいたくだが誕生日ということでまあいいだろうと自ら納得させる。そのの後偲ぶ会の最終打ち合わせがあって九段のホテルグランドパレスへ。ホテルに縁のある一日。

●1月23日
京橋のテアトル試写室で今年初の試写鑑賞。作品はポルトガルの105歳の現役監督マノエル・ド・オリヴェイラ監督の『家族の灯り』。クラウディア・カルディナーレ、ジャンヌ・モローの二大おばあさん女優競演で老人監督と老女優たちのある意味凄い映画。それゆえ一幕の会話劇だから動きがないのには納得だがちょっと最後まで集中するのがつらかった。が、周囲の反応は割合と高評価だったのに驚く。しかしボケない人たちはボケないものだと妙に感心。

●1月25日
故KJ氏を偲ぶ会を色々と思い出深いホテルグランドパレスで開催。120有余人の出席で賑わう。故人の人柄らしくあまり湿っぽくならず、同窓会的なイメージで心のこもった良い会になった。年明けから会場の準備や当日配布した故人の思い出を記した小冊子制作など、仕事そっちのけだったが無事終了して肩の荷が下りた気分。会場撤収後、先に散会していた故人が活躍していた雑誌SY誌のスタッフたちの2次会に呼ばれる。故人をしのんで飯田橋のKTV『コートダジュール』でサザンしばりの追悼歌合戦。さらに終電後、故人とともにドイツW杯に行ったK社のFJ氏、CN社のWR氏と朝まで飲み明かす。

●1月28日
KJ氏を偲ぶ会に所用で参加できなかったFM氏、HK氏、OK氏と偲ぶ会で約20年ぶりくらいに顔を合わせたGT氏で、会の報告を兼ねて飲み会。新宿6丁目の中華薬膳料理の『歓』でしこたま飲んだ後、FM氏行きつけの居酒屋『酔郷』にハシゴ。

●1月29日
会社をチョイぬけして神保町シアターでかかっていた候孝賢監督の『憂鬱な楽園』を鑑賞。台湾のローカルやくざたちのやるせない日々を描いたものだが、台南、嘉義、平渓のど田舎の風景や台湾語のべタな会話が妙に懐かしい。『明治屋2nd』の常連客IS嬢の誕生会にちょっと顔を出すがすでに皆出来上がっていたので場になじめず早々に退散。

●1月31日
ライターTM嬢が来社。穴八幡神社に祈願ついでにわが社分の護符を届けてもらう。彼女が以前カナダ産のビーフの会に参加してやたら美味かったと言っていたのを思い出し、神保町のカナダPUB『ウイースラーカフェ』に誘いカナダ産ローストビーフでカナディアンクラブをがぶ飲み。あっという間に1月が終了。