2009年5月1日金曜日

この世界の片隅に


『夕凪の街 桜の国』の、こうの史代のコミックス最新作『この世界の片隅に』(双葉社刊)の完結編が一昨日発売され、上、中巻既読し、かねてからその発売を待ち望んでいたので早速入手した。

この作品は昭和18年に広島市の少女・浦野すずが、見合いで呉市の北條家に嫁ぎ、戦時下の嫁として暮す日常の出来事を坦々と描いたものである。すずをはじめ登場する人々はそれぞれが、戦争という非常時を特に肯定も批判もせずに何の疑問もなく生活の不自由を工夫しながら生きている、いわゆる大多数の“世界の片隅に”生きている庶民である。
夫・周作は海軍の軍法会議の録事という文官でいわゆる軍人らしくないサラリーマンのような男で、やさしい両親と、夫を亡くし実家へ小学生の娘とともに出戻ってきたなにかと口うるさい義姉とともに同居している。
すずは絵が好きで、それが縁で遊郭の女性と友情を結んだり(後に夫が彼女の客の一人と判明する)、水兵となった幼馴染の同級生と再会しほのかな恋心を寄せられたりといった些細な“事件”もあるのだが、総じて平凡な日々が過ぎていく。そして昭和20年、軍都・呉は空襲に曝され平穏だったすずの日常も一転していくのである。

当然ながらこの時代の広島を描いているわけなので、完結編となった下巻の結末がただで終わらないことは容易に想像ができたが、上中巻で描かれた不便だが健気ですらあった市井の平穏さが暗転し悲惨なクライマックスへ向かっていく展開に思わず肩に力が入って作品にぐいぐいと引き込まれてしまった。
心身ともに打ちのめされたすずが、生き残った人たちと終戦を告げる玉音放送を聞いた後、ひとり畑に出て“この国から正義が飛び去っていく”事実の前で失ったものの大きさに大粒の涙で崩れ落ちるシーンに不覚にももらい泣きをしてしまった。この筆者の骨太の絵力というか表現力は魂をゆすぶられるほどの迫力で胸に迫ってくるのだ。
登場人物の中に消息が最後までわからないままのものもいる。また運よく生き残ったものの原爆の2次被害を受けているものもいる、この人物たちのその後の人生の結末を予感させながらも、すずは夫とともに戦後を再び歩み始めるのである。

昭和43年生まれの作者は、手塚文化賞を受賞した『夕凪の街 桜の国』で初めて出身地・広島の過去に向き合ったのだが、戦争とは無縁だった作者が、家族や縁者の証言に触れ、さらに多くの文献からその時代の世相を掘り起こし紡ぎ出していく作業は筆舌つくしがたい苦労があったことだろう、あらためて深い敬意を表したいと思う。『この世界の片隅に』はその結実であるといってしまっては簡単だが、その苦労に加え彼女を突き動かす何か大きな力が“降りて”きていたのかもしれない。
本人のあとがきにも“正直書き終えられるとは思わなかった”という率直な言葉が述べられ“幾つもの導いてくれる魂”に出会えたと記されている。

昨今の北朝鮮をめぐる政治状況の中、先制攻撃の論議が声高に叫ばれ始めている。
核クライシスの前でかき消されてしまう過去の記憶。
こうの史代の作品の価値が、だからこそ時代の必然であるような気がしてならないのだ。

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