2011年3月14日月曜日

その日の事、そしてこれから


3月11日午後2時46分、東北を中心とする日本列島を強襲した大地震は、戦後日本最悪の惨事となった。

当日は会社に居たが地震発生時その衝撃に正直生きた心地がしなかった。一瞬、ついに東京大震災が起こったのかと思って机の下に潜り込んでいたがなんとか揺れが収まって外に避難していると、さらに何度も余震が襲う。
近所の立ち飲み屋のマスターや、ラーメン屋のお兄さん、向いの会社のスタッフたち、そういつもの人たちがいる。神保町のご近所さんたちと顔を合わせるとようやくなんとなく落ち着いた。
一段落して事務所に戻ると高いところにあった物はすべて落下、PCは倒れ、デスクの上の書類は散乱、本棚とかよく倒れなかったものだ。
家人や友人へ安否をたずね電話をかけるもなかなかつながらない。
不思議とツイッタ―だけは生きていて、様々なメッセージが伝わりだす。
かなり大きな被害が出ているらしい。

やれやれと部屋を片付けていたが、そのころはまだ事態の重大さを理解できていなかった。夕方になってテレビで観たのは東北地区の目を覆うような津波の惨状である。刻々と伝わってくる被害の大きさに慄然とする。
まるで映画のように嘘くさい映像がまぎれもない現実であることに寒気がする。福島の原発が破損して深刻な事態になっている事にも不安が募る。

この日の東京は帰宅難民であふれたが、幸いにも深夜になって電車が復旧し帰宅することはできた。妹とも連絡が取れ実家も無事である。居住するマンションもワイングラスがいくつか落下して割れたくらいで大きなダメージはなかった。
メールも復旧し、あの津波の映像をNWESでみたのだろう台湾や海外にいる友人から安否を確認する連絡が多く入っていて、とりあえずの無事を報告する。1999年の台湾大震災を現地で被災した時のことを思い出す。あのときは日本から多くの問い合わせがあったが、今回は台湾からである。
気遣ってくれたすべての人たちに心から感謝したい。

東北の人たちのことを思うと心が張り裂けそうになるし、福島の原発の不安も大きくなるばかりだ。
今回の震災における津波の被害は戦時下の空襲に匹敵するのではなかろうか、復興までの長い時間と膨大な労苦を考えるとただただ茫然とする。
われわれは未曾有の国難に直面しているのである。
一夜たって、電力不足につき節電の要請が公告される。台湾の時も震災後ずいぶん長く停電で苦労したことを思い出す。
被災地のための支援で何が出来るのか、ということで当面せめてもの節電で協力するくらいしかできないが、
個人としてはやれることをやっていくしかない。ひとり一人は無力だがせめて前だけは向いていくこと、いつも被災した人たちのことを心に宿し、精いっぱい暮らしていくだけだ。

世界中からこの国難に立ち向かう日本に支援の輪が広がりだしたのも涙が出るほど嬉しいし、日本人の高潔さとモラルの高さを賞賛される度に誇らしい気分にもなる。
必ずやこの国家的な危機から立ち上がれる、海外からの心温まる支援の声はそう信じさせてくれる。

明日から、また。歩きださなければ。


謝謝!台湾


ありがとうレアル


ありがとうセビージャ、バルサ


ありがとうチェゼ―ナ


ありがとうクロアチア

2 件のコメント:

ask さんのコメント...

なるほど、台湾の時もかなり停電があったのですね。

津波や悲しみの被災者を客観視する画はもういいから、阪神淡路ではこうだった、新潟中越では、台湾では、ハリケーン・カトリーナでは、みたいに被災地、周辺地それぞれでの◎だった対処の仕方なんかも教えてくれればいいのに。(見てないだけかもしれませんが…)

秋山光次 さんのコメント...

本当におっしゃる通りです。成功例や反省面含め過去の体験から学ぶことはたくさんあると思います。
もっとも今回はそれを踏まえているから、これでもまだ外国から理性的と言われているのかも。

ただメルトダウンだけはねえ、チェルノブイリやスリーマイルの教訓ったって、それを思い知った時点で終わってしまってますからね…。