2011年3月9日水曜日

週間呑みアルキスト2.14~3.6


●2月15日
A新聞社KS氏主宰のジャーナリストの「日本サッカーを語る会」に参加。会場は青山一丁目のもつ鍋屋『青山元気』。ここの店長さんは元フットサル日本代表選手でサッカーファンの集まる店で有名な場所。この日のゲストスピーカーははワールドカップの招致のロビー活動に従事しこのほど帰国した電通のHG氏。残念ながらカタールに決まってしまった2022年招致の基調報告を聞く。カタールのFIFA役員に対する一人あたりの接待費が日本の総予算と同等と、まさに国家をあげての招致活動のすさまじさをなまなましく語ってもらったが、今後五輪、ワールドカップはほぼ100年は日本招致は無理なのではというのがHG氏の実感だそうだ。それは日本がアジアで先んじて様々な国家イベントを成功させ、今後は“豊かになった”中国なり湾岸諸国なりが開催を希望するのもいたしかたないのだろう。幸いサッカーに関してはこのたびのアジアカップの優勝に見られるごとくアジアでの輝ける地位をようやく手にしたわけなので、今後はこのサッカーを通じたアジアのハブを目指すべきなのではと言うHG氏の論点に納得させられる。

●2月16日
もとW誌の編集長を歴任した女性編集者のSGさんと打ち合わせ方々、神保町の居酒屋『平蔵』で会食。SGさんとは90年のW誌創刊以来のつき合いだが、現在はフリーになってしばらく休養されていた。今後の仕事でのアライアンスを含め、このあっという間の20年を振り返りながらしみじみ語りあう。

●2月18日
かねてからサッカーアジアカップの優勝を祝して飲み会をやろうと、わが社の近所の焼き鳥ダイニング『ぼんちゃん』で宴席を設ける。集まったのはサッカー好きのデザイン会社BN社の面々と編集者のKJ氏、HZ嬢、SM嬢と総勢6名で夜遅くまで大騒ぎ、勢いで深夜まで営業しているBAR『シャルルボイル』に流れ、解散になったのは深夜3時、一行はそれぞれタクシー帰宅。こちらはケチって会社に戻って始発が出るまで仮眠。

●2月23日
FK誌の仕事で菅平高原に1泊2日の出張取材。スキーシーズン真っただ中で車での雪道走行に気を使ったがスキー場周辺は積雪もなく、気候も日中は春スキーのように暖かいが、飲みに出かける夜になるとさすがに氷点下。凍結して滑る道に気をつけながら菅平の居酒屋『永吉』で暖を取る。聞けばこの店、夏はラグビーの有名選手たちでにぎわうそうだ。このあたりは水も美味しく当然酒もすすむ。こういう出張もなかなかいいもんおである。

●2月25日
FK誌の取材で、編集部の近くの新宿富久町『和風ダイニング 然』で少年サッカーの指導者HD監督と食事をしながらインタビュー。少年サッカークラブの経営的な問題とNPO化に向けた取り組みを熱く語ってもらう。こういう熱心な草の根の指導者たちの取り組みが、日本サッカーの底上げにつながるのだろう。

●3月2日
FK誌の取材が続く、この日は甲府の山梨学院大学まで日帰り出張。山梨学院サッカー部の名物監督塚田雄二氏のインタビューである。塚田氏はJ2甲府、セレッソ大阪、さらにはU20日本代表監督も務めた経験もあるJFAを代表する指導者でもあるが、自身で実家のブドウ園をつぶしてサッカー場を造り子供たちを日々教えているという、まさに「フィールド・オブ・ドリームス」を実践しているほどのいわゆるサッカー馬鹿である。
こういうサッカー馬鹿の情熱が、今回のアジアカップの戴冠につながっていると改めて認識させられた。帰りには山梨学院特製のワインをお土産に頂き恐縮する。せっかく甲州路であるのでとっぷりと日が暮れた帰路、中央道のインターに乗る前に『雲亭』という店で名物ほうとう鍋と馬刺しに舌鼓を打つ。

●3月4日
元編集者のKJ氏が来社、この日も寒い一日だったのでそのシメということで神保町は専大通りの『侘助』という蕎麦屋にて鍋焼きうどんで一杯。『明治屋2nd』に流れる。

●3月5日
EAGLESの東京ドーム公演の初日。5時からのコンサート開始は終了後余韻に浸る時間の余裕があるのが良い。同行のディランフリークのKN氏も、EAGLESの時代を作った数多い名曲の素晴らしさには異論もあろうはずがない。終了後は神保町の『東京アチコーコー』でワインを飲みながら80年代の良き時代を語り合う。

●3月6日
EAGLES東京公演の2日目。この日もツイ友さんのBB氏が同行。ことEAGLESに限ってはやはりオヤジのロックフリークと行くのが楽しいのだ。終了後は日曜も営業する新宿三丁目の居酒屋『かり屋』に。ここで偶然にもやはり共通のツイ友の広告マンTDご夫妻が居合わせ合流。EAGLESの余韻に浸るにはBGMが昭和歌謡なのが気にかかるがまあ、EAGLESもある意味昭和歌謡であるというBB氏の説にいたく納得。

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