2010年10月6日水曜日

レクイエムに歴史の意義はあるのか?


一昨年の東京国際映画祭で見逃して、ずっと観たかったが観る機会がなかった馮小剛監督の『戦場のレクイエム』(2007年原題「集結蹏」)が先日WOWOWで放送されていたので録画でやっと観る機会を持てた。
何故観たかったかと言えば、テーマが国共内戦を中共軍の立場から描いたものが珍しかったのと、中国共産党の国策宣伝映画ではなく、実話に基づいた楊金遠の短編小説の映画化であるということから、1948年の淮海戦役の実相がうかがい知れるのかもしれないというちょっとした現代史の興味からであった。

映画のあらすじは、中原野戦軍(劉伯承や鄧小平が指揮した)に所属する中隊が国共内戦の三大激戦として知られる淮海戦役で、陣地を張ったある廃坑の死守を命じられ圧倒的な敵軍の攻撃で奮戦するも全滅してしまう。唯一生きのこった中隊長は国共内戦、朝鮮戦争とつづく軍の再編の混乱の中で部隊の戦死者が革命烈士ではなく失踪者扱いになったことに義憤を感じなんとか部下たちの名誉を回復するために、その後の人生をかけて彼らの戦いの記録を証明しようと孤独な戦いを続けていくという話。

映画自体はなかなか良くできた人間ドラマに描かれていて、戦闘シーンも韓国の『ブラザーフッド』の撮影スタッフが協力したとあって、確かに真に迫った映像で見ごたえがある。いわば中国版『プライベート・ライアン』といったところか。
主演の谷子地隊長を演じた無名の俳優から抜擢された張涵予も、部下を死地にやった責任感に押しつぶされそうになる指揮官の苦悩をリアルに演じていた。
ただし若い馮監督がどこまで時代考証に迫れたか、昔の記録フィルムの映像と比して中共軍側の装備とかが妙に近代化されているのはどうなんだろうか?

映画は結果的に人民解放軍は晴れて主人公の中隊の名誉回復を認め、顕彰するラストで大団円を迎えるのだが、その途中で共産党指導部の硬直化した縦の命令系統を巡る官僚的体質や、人海戦術の消耗戦で多くの名も無き兵士たちが報われること無く使い捨てにされていくむなしさ、革命烈士の遺族と失踪者の遺族に対する不公平(プーゴンピン)でいい加減な認証制度もうかがえ、単なる英雄讃美となっていない描き方は、中国映画界の若い世代の気骨のようなものも感じる。

しかし、政治的プロパガンダ色があまり感じられないとはいえ、民主派の学生たちに天安門で血の弾圧を繰り広げたり、軍備拡張した揚句、尖閣諸島や南沙諸島に領土的野心をあからさまにする現在の軍を考えれば、多少の政治的な不満はあろうが過去の輝かしき(人民のものは針一本、糸一筋盗らない)伝統を取り上げただけでも、当局としては充分満足なのだろうな。
逆に言わせてもらえば、折からの、軍の膨張主義と領土的野心をあからさまにする中国の共産党指導部や軍幹部に、この時代の清廉だった原点に立ち戻れ、と言いたいくらいだ。

今回は中国をめぐる現在の情勢下、中国の若い世代が描き再現を試みた中国現代史の一ページともいうべき作品を、いろいろな思いとともに興味深く観ることができたが、今度は国民党サイドからこの時代を描いたものが観たい気がする。従来国民党軍側から見た台湾の戦争映画といえば主に抗日がテーマのものが多かったし、あったとしてもエピソード的に取り上げられるか、勝利的に終わった金門戦役ものに限られていたが(屈辱的な敗北の歴史はタブーなのはよく理解できるのだが)、国際情勢の大転換にともない党プロパガンダ的手法が意味をなさなくなった現在、この辺でぜひ台湾映画の総力を挙げて国共内戦を描くのも大きな意義があると思うのだが。

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