2009年4月23日木曜日

甦るジョイス


アイルランドが生んだ20世紀の文豪ジェイムズ・ジョイス、いままで『ダブリン市民』『ダブリンの人びと』として知られている初期短編集の新訳『ダブリナーズ』(新潮文庫)を読んだ。
ジョイスといえば、数ヶ国語の言語表現をおりまぜ、音楽的要素も加わった難解な表現のため絶対邦訳は無理といわれた『フィネガン徹夜祭』に代表される翻訳者泣かせの代名詞のような作家である。かつて1971年にこの『フィネガン徹夜祭』の一部が翻訳されたのだが、このときの翻訳に加わった6人の翻訳者の一人柳瀬尚紀氏がその後20年の歳月をかけて『フィネガンズ・ウェイク』として完訳させた。今回の『ダブリン市民』の新訳はこの柳瀬氏の手によるもの。

柳瀬氏は『フィネガンズ・ウェイク』を翻訳するに当たってルビを多用する“ルビ奏法”という表現で日本語を多彩に使い分けたのだが、今回の新訳でもその手法を縦横無尽に駆使し、訳者あとがきでは“日本語は天才”(訳者の著書タイトルでもある)と記しているように、抑制された文体で、モノの本質を一気にひらめかせる“エビファー”(顕現)と称されたジョイスの超読みづらい表現を逆に楽しくも感じさせるような日本語に置き換えている。実は安藤一郎氏による旧訳『ダブリン市民』はずいぶん昔に途中で挫折してツンドクになっていたのであったが、今回の『ダブリナーズ』は一気に読むことができた。
帯で標榜されている“画期的新訳”もそうなのだろうが、自分自身、その後に仕入れたアイルランド史の知識によって小説の背景が少なからず理解できたことで、より小説を読み解けるようになったことが大きいのかもしれない。

『ダブリナーズ』は20世紀初頭のジョイスが“半身不随の、もしくは中風”と表現したダブリンに暮らす様々な階層、年代の人々の15篇の日常の出来事をたんたんと描いたものだ。それぞれドラマ的展開のない群像劇ではあるがいいようのない停滞と麻痺した心象を実によくスケッチしている。カソリックの教義とプロテスタントとの相克、君臨する支配者イギリスへ向けた複雑な心情、産業の発展と貧困、時代の波の中で置いていかれてしまった労働者階級や知識人、白人植民地国家の首都に暮らす人たちの諦観がよく理解できる。
特にジョン・ヒューストンによって映画化され、また彼自身の遺作となった『ザ・デッド』の原作である一篇「死せるものたち」の静かな夫婦劇は読後も余韻を残し胸に迫った。この作品などはやはり自分が今の年齢になったからこそ共感を覚えるのだろう。いわゆる歴史に残る文芸作品は読む年代によって捉え方も理解度も変わってくる。特にジョイスなんかはガキが読んでも手に余ってしまうのも仕方がない。

訳者のあとがきによる翻訳の苦闘のネタ明かしも本編以上にw興味深いし、各編の冒頭に挿入された物語のイメージを膨らませるダブリンの昔の写真も素晴らしい。
こうなるとほこりをかぶっていた旧訳に再び手を延ばしたくなってきた。
最近は古典の新訳がちょっとしたブームになっているが、確かに誇りをかぶっている旧作品にも再び光を当てることになり、出版社としても読者としても目からウロコ的発見は多いのは確かである。

7 件のコメント:

ask さんのコメント...

Joyce, rejoice!
て感じでしょうか(英語になってませんが)。

よく考えるとアラン・パーカー(「コミットメンツ」「アンジェラの灰」)や「父の祈りを」がアイリッシュ知識だったりするので自省してしまいます。

アイリッシュ魂はやっぱりジョン・フォードから!

とはいえ「コミ…」の台詞「アイルランド人はヨーロッパの黒人だ〜!」(by草彅剛っぽい)は、と胸を突かれました。

秋山光次 さんのコメント...

rejoice>ワロタ

『ダブリナーズ』に描かれた庶民のなかにもアイルランド語やカソリックに対する民族的な自負を表現するようなシーンがあって興味深かったです。
その反面、ロンドンやパリのような繁栄に対する複雑な劣等感とかもあったり。

フォードの『静かなる男』もこの時代のアイルランド人ですかね。素朴なアイルランド魂マンセーだったような。

ロディ・ドイルの『コミットメンツ』まで来ると、田舎もんの劣等感を笑い飛ばすような余裕が感じられますねw

ask さんのコメント...

なるほど「ダブリナーズ」も読みたくなってきました(今頃かい)。昔の文庫本はどこかにありますが、確かに挫折しました。

ジョン・フォードの場合はルーツとしてのアイリッシュだと思いますが、まだ世界的にアイリッシュが非差別対象だった時代、声高にアイリッシュをいえたのは「静かなる男」ぐらいでしょうか。それもヒットしなかったし、批評もよくはなかったはず(当時)。

トム・クルーズの、遥かなる大地とかいうアイリッシュ・ルーツものもありましたね、ナンチャッテ映画で誰も覚えたない? ヒューストン息子の映画と同じ時期だったような。

文学の話なのに無理矢理、映画に持ってってすみません。「フィネガン徹夜祭」はどこかの段ボールに入ってるはずです。

「アリス」、「フィネガン」、ジョン・レノンの絵本がナンセンス3部作といわれた(?)70年代育ちです。

秋山光次 さんのコメント...

え、『静かなる男』は批評よくなかったんですか?
だってフォードはこれでオスカー獲りましたよね。まあ、興行とは別ですが。
へえ~。
やっぱりWASPの偏見みたいなものがあったんでしょうかね?

『フィネガン』は当時結構話題になったのを僕も覚えています。検索すると71年都市出版社から出ていてブックデザインが堀内誠一だったようですね。都市出版社といえば沼正三の『家畜人ヤプー』とかぶっ飛んだ本出版してましたっけ。

ask さんのコメント...

あ、すみません、「批評よくない」は違いますね。派手な西部劇や名画扱いされる“社会派モノ”に比べ評価が低くなりがち、ぐらいのことでお許しを。

「男の敵」とともに、フォードはアイリッシュ映画でオスカー監督賞を2度とってるんですね。(あと2回が農民ものの「谷」と「葡萄」)<(_ _)>

興行の件はもっとあやしいw
当時のデータ、見当たりませんでした。<(_ _)>

ask さんのコメント...

50年代以前のハリウッドはユダヤ人、移住者、亡命ヨーロッパ人の巣窟でもあり、むしろ非WASP勢力が根強かったのではないでしょうか。スタジオのボスはほとんどユダヤ系だし。

ハリウッドスター個人はつねに金髪碧眼白人ですが、オスカーでのアイリッシュ映画への高評価?もマイナー系称揚か、とか言ってみたりして。
大部屋出身?のウォルター・ブレナンが3回も助演賞とって、組合員の組織票が問題になったとかならなかったとか。

その後、スタジオシステムの崩壊、マッカーシズムなどがあって、スタジオの上にウォール街が立つようになった(政治的経済的WASP優位)ような気が。

秋山光次 さんのコメント...

なるほどですね。

確かにハリウッドがマイナー系に同情的だったのはユダヤ系のシマだったからというのはうなづけますね。