2009年1月22日木曜日

理念と現実


寒風の中もものともせず、熱い視線と期待をこめて見守る200万人の大観衆。
第44代アメリカ合衆国大統領バラク・オバマの就任演説のシーンを見ていると、やはりなかなか感動的なものがあった。最後まで最低の大統領だった政権下で、ベトナム戦争以来こんなにも権威を失墜し、自信を喪失したアメリカも見たことが無いが、その裏返しでオバマへの期待と転じたということなのだろうか(にもかかわらず市場はシビアに下落したからなあ orz)

演説の内容も、美辞麗句が並んだわけではないが力強い意志を感じさせるものだったと思う。“対立からの脱却”“責任を果たす新時代”という施策に関する文言はさておき、歴代の大統領就任演説の素晴らしいところは理念を高らかに謳うところだろう。
“将来我々の子孫に言われるようにしよう。試練に曝されたときに、我々は旅を終わらせることを拒み、たじろぐことも後戻りすることもしなかったということを。我々は地平線と注がれる神の愛を見つめ、自由という偉大な贈り物を前に送り出し、それを次世代に無事に届けたのだということを”
今回の演説も結びの部分での名調子をあらためて読み返してもなかなか心に響いてくる。

草稿を作成したのは27歳の若き首席スピーチライターのジョン・ファブローで、ワシントンのスタバで書いたと報道されていたが、言ってみればまだまだ政治的にはひよこのようなスタッフが歴史に残るスピーチを作るわけであるから驚きである。そういえば思い起こされるのはJ・F・ケネディの“国が何をなしてくれるか問う無かれ、国に対して何をなせるかを問おう”という演説だが、この語り草となった名スピーチを起草したセオドア・ソレンセンも当時31歳という若さだった。

ひるがえってわが国の首相の所信表明をみたときの文学性の無さ、ボキャブラリーの乏しさときたら本当に情けなくなる。直接選挙の大統領制と議院内閣制の差もあるだろうが国民に向けてあれをやります、これをやりますといった説明に終始する味気ないものばかり。小泉は“米百俵の精神”の意味を捻じ曲げ国民に犠牲を強い、安倍は“美しい、日本”という訳のわからない観念論を標榜し、福田なんか記憶にすらないし(“あなたとは違うんです”は強烈に記憶に残ったがw)、麻生にいたっては民主党の攻撃に終始するだけで、いずれも崇高な理念なんか微塵も感じさせないものばかりだった。
日本ではスピーチライターという存在にはなじみが無いので。おそらくは秘書官や官僚にまとめさせるのが関の山なのだろうが、そうは言っても、名文が書けるスピーチライターを起用したところで、こうコロコロ政権が変わってしまったりすれば、そのつど崇高な理念を諭されてもしらけるだけかも知れない。

まあ、その前に漢字が読めなければ意味は無いが。

2 件のコメント:

ask さんのコメント...

一国のみならず国際政治の主役か準主役でもある千両役者(たとえメッキ張りでも)と、永田町のボスザルでしかないのとの違いでしょうか。まぁオバマへの支持率が米国より高い日本(なにを支持するというのか?)では、新しいタレント誕生!ぐらいの認識でしょうが…マスコミの意気込みに比べて就任式中継などTV視聴率が大したことなかったらしいので、マスコミでのオバマ人気もすぐ沈静化しそうですが…。

それより日本に厳しいといわれる国務長官を抱えたオバマ政権、どんな対日政策になるのか戦々恐々でわ。先方の出方によっちゃぁ、自民党も民主党も(その交渉相手たる)与党になりたくない、のが本音だったりして??

秋山光次 さんのコメント...

まとめてありがとうございます。


そのうち国際貢献の名の下にタリバンと戦わされるのは間違いないでしょう。その意味では新政権の日米同盟堅持路線は逆に強化されるかもしれませんね。