2011年8月8日月曜日

週間呑みアルキスト7.18~8.7


●7月18日
なでしこ優勝の余韻さめやらぬ中、日本代表のメキシコ五輪戦士だった森孝慈さんの訃報。長沼監督はじめ渡辺正、湯口、宮本輝、宮本征、八重樫氏とすでに多くのメンバーが鬼籍に入ってしまった。日本サッカー史に燦然と輝く偉業達成の日を見届けたかのような森さんの死に寂しさが募る。休日だったが打ち合わせのため出社。BD誌のNMさんが来社し入稿の日程等を調整した後食事へ。休日の神保町で閉まっている店が多かったが三省堂はさすがに営業しているだろうと踏んで地下のビアホール『放心亭』へ。

●7月19日
雑誌で名画座の取材をして者に戻ると原田芳雄の訃報。ニュースで観た遺作『大鹿村騒動記』舞台あいさつでの姿が痛々しい。『新宿アウトロー ぶっ飛ばせ』『赤い鳥逃げた?』『竜馬暗殺』『祭りの準備』…、青春という気恥かしい季節に観たスクリーンのむこうでいつもカッコ良かった。仕事終了後『明治屋2nd』に立ち寄るが、なでしこ優勝で嬉しそうに話しかけてくるマスターに相槌合わせながら、原田を偲び酔えない酒を呑む。

●7月22日
ドーハの悲劇以来のサッカー仲間のみなさんがなでしこジャパンの祝勝会を開催。歴史の舞台となったドイツに敬意を表して赤坂のドイツレストラン『アイヒェンプラッツ』を会場に選ぶのもサッカー観戦の楽しさを知る歴戦の勇士たちらしい。バイツェンビールはじめドイツの各種のビールが楽しめ、大いに呑み食べ盛り上がる。山積する仕事を放り出しての参戦だったが久々楽しい一夜をすごす。

●7月23日
練馬区の成人病保健指導でメタボ対策の面接。食生活と酒量を朝からこってり絞られる。出社後、その解放感からつい精のつくものをと駿河台下の『寿々喜』にてうな丼を所望。下の根も乾かぬうちからこってりランチ、これでは内臓脂肪が落ちるわけもない。


●7月24日
アナログ停波というテレビ史的には歴史的な日。秋葉原に取材したが特に何事も起こるわけでもなく平穏のうちに地デジ化完了。事務所に戻りついでに買った『肉の万世』のカツサンドをつまみにビールを呑む。中国温州にて高速鉄道事故発生。誇らしげだった中国の独自技術の結末に不謹慎ながら嗤わせてもらう。台湾の新幹線導入時に日本とオランダの発注合戦で、一度は価格でオランダに落ちたが運行システムのノウハウを考え、日本に切り替えた台湾の英断を思い出す。

●7月25日
1日に開かれた高校マスコミ会の幹事反省会を池袋西口の『ライオン』にて開催。事務所に戻って仕事をするつもりで出たが、呑んでしまった後では帰宅途中の池袋からは戻る気も失せ、ままよと家路につく。

●7月27日
またまた悲報、今度は伊良部秀輝だと。ヒーローの輝かしき日々と舞台から降りた後の孤独。打ち合わせにやってきたKJ氏とTM嬢、SM嬢と神保町『エスぺリア』で食事。仕事も残っているしあまりはしゃぐ気分にもなれず一人事務所に戻る。

●8月1日
KJ氏、TM嬢と後輩のデザイン事務所を経営するIG氏と打ち合わせ。神保町『ピアンタ』にて会食後、『明治屋2nd』へ。IG氏の事務所は新宿山吹町、めしや呑みの場に苦労しているらしく飲食店の多い神保町はうらやましいという。7年もこの地にいる当方にすれば少し飽きてきたのだが、確かに他の地にといわれてもここより便利なところもそうそうないのは確かかもしれない。

●8月5日
訃報相次ぐ。2日に練習中に倒れて心肺停止のまま信州大病院集中治療室に運ばれていた元日本代表の松田直樹選手がすべてのサッカーファンの祈りも届かず34歳の若さで4日に逝去。打ち合わせで事務所に来ていたKJ氏、TM嬢と九段下の中華料理『東方園』で食事をしていたが、店のテレビでも盛んに追悼のニュース特集が放送されていて気分がすぐれぬまま、2次会の誘いを断り事務所に一人戻る。 死者を偲んで呑みたい気もするが呑んでもいられない、晴れぬ気分は当分続きそうだ。

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