2009年12月26日土曜日

中国企業のボルボなんて


ハマーに続きボルボも中国の企業(吉利汽車)のものになってしまったニュースには感慨深いものがある。
最近はすっかり車の運転をすることがなくなったが、かつてはエンスーだったし10年前まではなにあろうボルボ車のオーナーでもあったからだ。

所有していたのはアマゾンの愛称で知られる120シリーズの1967年型の122Sで、買ったときは1988年だったからすでに20年落ちで走行距離不明(おそらくは20万キロははるかに超えていた)という代物で、カーステはもとよりエアコンすらなく、バッテリー上がりはしょっちゅう、有鉛のハイオクを入れないとすこぶる機嫌が悪く(こんなガソリンを置いているスタンドはごくわずかだった)、ブレーキオイルが漏れたり、ベアリングを包むゴムが裂けたり、雨の日はいずこから水が漏れ床は水浸しというようなアンビリーバブルなトラブルに見舞われ続けた車だった。

それでも、40~50年代のモータリゼーションの雰囲気を持つフォルムや、スウェーデン鋼を使った頑丈で重厚かつヨーロッパのテイストが好きで、手はかかったが丹念にレストアしだすと、思ったよりも高速走行も可能で居住性もよく伊豆や軽井沢あたりまでよく遠出したものだ。上段の写真は、某雑誌の広告企画に“モデル”として使用されたわが愛車の在りし日の勇姿である。
苦労しながらもその後10数年乗り続けたが、海外赴任の際に泣く泣く手放さざるをえなかった、今でも惜しいことをしたと思う。


特に驚かされたのは本国のボルボ社の企業マインドで、発売30年近くを経てもなお純正のパーツを供給してくれたし(基本60年は対応するとのこと)、英文のスペック集をFAXしてくれたり、自分たちの生んだ製品に対する誇りと愛情を感じ取れたものだ。

ボルボはスウェーデンのコングロマリットで航空宇宙産業まで包括している。90年代に業績不振で乗用車の部門だけ米国のフォードに売却し、ボルボ・カーズとしてブランドをシェアしていたが、その後も業績不振の歯止めがかからず今回の中国企業へ転売される形になった。箱型のスタイリングにマンネリ感があったのか日本車や他の欧州車との競争に追いつけなかったのか、一説によるとベルトコンベアの工程を拒否し数人のグループで組み立てる職人気質のためコスト的に高級車製造以外の商品ラインアップができなかったという説もあるが、そもそも職人気質など皆無のアメ車のメーカーに売ってしまったのが問題だといいたい。同様にスウェーデンのもうひとつのブランド・サーブはGMに売却され、GMはオランダ企業に転売しようとして失敗、サーブはこれによって消滅の危機にさらされている(サーブ本社自体は軍事用航空機メーカーで健在だが)のでもわかろうというものだ。

欧米でも業績不振が解消できなかったのに国際的には新参の中国企業がどこまで経営策を打ち出せるのかという疑問もあるようだが、中華圏では意外とボルボの人気は高く、台湾でもベンツに次ぐセカンドクラスの高級車として位置づけられていたので、フォードよりは販売環境はまだマシかもしれない。
でもパクリーランドやネットで体制批判したら懲役11年食らうような国だ(これは関係ないか)、事実、吉利汽車だってロゴはBMWのパクリ、生産している車もアルファもどきやベンツもどきというトンデモ車をモーターショーに出品する悪名高きメーカーである(だからこそ本物の知的所有権が欲しかったのかもしれないが)、パーツを60年も保存するようなメンタリティがどこまで理解されるのか、ちょっと絶望的な気分である。

環境問題もあって自動車そのものの基本的な構造変化の前で、過去を懐かしんでも仕方がないかもしれないし所詮車も経年すれば消えていく運命にあるものかもしれないが、20世紀の文明の一端を担った文化と、その歴史のなかで培われた技術者たちの匠と技の伝統が消えてしまうのはなんとも寂しい気がしてならない。

いずれまた古いアマゾンを手に入れて、どこかの田舎に引っ込んで日夜愛情を注いでメンテナンスする、なんていう夢もいまだに捨てきれてはいないのだが。

2 件のコメント:

ask さんのコメント...

懐かしすなぁ!

サーブもボルボもハマーも実質消滅の危機ですか。寂しすなぁ。

欧州車がアメリカに渡り、さらに中国に。(背景は日本車が作ったのか…) 人類の調和と進歩はどこ行っただ?

秋山光次 さんのコメント...

なんだか気がついたら金持ちの成り上がり野郎に昔の恋人をとられてしまっていたような気分です。