2014年11月21日金曜日

未央ちゃんのこと

2日ほど前に電話で羽仁未央さんが亡くなったという知らせを受けて以来、なんだかボーっとしている時間が多くなった。若いころから大好きだった健さんの訃報もショックではあったが、もちろんそれは単なるファンとしての惜別の思いということである。でも一時期一緒に多くの時間を共有した未央ちゃんの訃報は、もっとリアルな寂寥感が胸に迫ってきて心のどこかに穴が空いてしまったような虚脱感に捕らわれて仕方がないのだ。
未央ちゃんと初めて会ったのは、前の会社に勤務していた2002年、彼女が代表を務める映像製作会社CompudiaとシンガポールでJVを組んでブロードバンド放送局を立ち上げるという話があった時のことだ。初対面の時から僕が台湾に駐在していた経験もあり、アジアの事情を少なからず理解していることから、香港・シンガポールをベースに活動している彼女とはすっかり意気投合してしまった。
以来2年間、シンガポールの地でお互いに仕事を通して、プライベートでも、ある種濃密な日々を過ごしてきた。よく口論をしたし、彼女のある種エキセントリックな物言いに腹を立てたことも山ほどあったけど、...よく飲んで、よく笑った時間はそれ以上に心に残っている。
未央ちゃん。ジェンダーに関する突っ張った生き方を、よくユーモアたっぷりに効かせてもらったよね。
僕が自由学園の生活団出身と話した時は「一族で迷惑かけてる?」と面白がってたよな。
安彦さんの「虹色のトロツキー」論で夜を徹して話したっけ。
10歳も歳が上なのに、あなたに仕事で使うレポートを褒められてスタッフに翻訳してまわしてくれた時は先生に褒められたようにうれしかったよ。
そうそう見かけによらず料理が得意だったね。よくごちそうになったよなあ。
帰国し会社を辞めてからこっち10年近くも会っていなかったけど、いつかまたあの頃の苦しくも楽しかったクリエイティブな日々を笑って語り合えることを楽しみにしていたのに。もうそんな時は永遠に来ないなんて哀しすぎないか。
こんなことを書いたりすること自体、「割と俗物なのね」と例によって皮肉られそうだけど、関さんともどもそんなに生き急ぐ必要は絶対になかったと思うよ。

色々と背負っていたものはもう解きほぐされたのかな、どうか安らかに。いまはただそうであってほしいと願うのみ。そしてそれしかできない自分になんだか無性に腹がたっている。

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