2014年7月8日火曜日

週間呑みアルキスト6.1~6.30




●6月3日
ワールドカップに臨む日本代表が、アメリカ・タンパのキャンプ地にてコスタリカ代表とテスト戦。午前中の中継ということで、会社は午後からと決め込む。先制を許したものの、結果は3-1とスコア的には快勝。だがやはり取られ方が良くない。DF陣の不安を抱えたまま本大会突入せざるを得ないのがつらいところだ。点を取られても取り返せばという哲学はもっと強力な得点能力の裏付けがなければ、まあ本大会の強豪には通用しないだろう。夜は『明治屋2nd』から新宿の『t's bar』というコース。

●6月4日
夕方から、横浜ベイシェラトンの『sea wind』でラグビーライターのLさんと打ち合わせ。Lさんはなかなかラグビー界の現状に対して熱い意見の持ち主で、2019年のワールドカップ日本開催へ向けてのラグビー界の取り組みの内実に警鐘を鳴らす。ラグビー協会の壁に掲げられた「早明戦で満員の国立」の写真、サッカー協会の壁に掲げられた「空席でガラガラの国立」の写真。この対比はなかなか面白かった。成功事例に学ぶのか、失敗事例に学ぶのか、どちらに成果が上がったのかは一目瞭然だ。

●6月5日
生憎の荒天ではあったが、ワールドカップ観戦本のスタッフ打ち上げを新宿の居酒屋『犀門』でささやかに行う。サッカーや出版の話で遅くまで盛り上がる。階下のアイリッシュパブ『HUB 新宿南口店』でFJ氏、TM嬢と延長戦。

●6月7日
朝から、日本代表の最後のテストマッチであるザンビア戦をテレビ観戦。点を取ったり取られたりのスリリングな展開で、最後は大久保のファインゴールで4-3で決着をつけた。仮想コートジボワールということなのだろうが、ザンビアと違うのはドログバ、ヤヤ・トゥーレ、ジェルビーニョと段違いに得点能力が高いこと。仮想敵に勝って喜べるほど簡単な相手ではないことを肝に置くべきだ。

●6月9日
この週からB社の電子書籍の入稿が続く。週末からはブラジルなのに終わるのかどうかちょっと心配。

●6月13日
この日の早朝、いよいよワールドカップが開幕。ブラジルがクロアチアに3-1と快勝。開幕戦でジャッジを担当する栄誉を授かった西村主審は、ブラジルのFWフレッジの自作自演っぽいファールを認めPKを与えたため紛糾。試合をさばく方のプレッシャーもいかばかりか?まあこれでクロアチアの対日感情が悪くならなきゃいいのだが。ライターのFJ氏とB社K誌の最終打ち合わせ。翌14日には大体めどがつきそうだが、こぼれた分の対応を依頼。ブラジルからの連絡用にとポケットWiFiのレンタル確保に奔走するが、どの社ももう在庫なし。まあ直前に手配してもブラジル用の在庫なんか数が知れているので当たり前なのだろうが。ただ先行で入っている人からの連絡によるとホテル等の通信環境はまあまあ問題ないレベルとのこと。

●6月14日
前回優勝国スペインがオランダに1-5で大敗する衝撃的な展開。深夜0時から翌朝まで3戦連続っていうのも観る側としては辛いものがある。眠れない日々のスタートである。

●6月15日
ブラジル行きの荷物のパッキングをしながら、早朝までずっとテレビ観戦。コロンビアはギリシャを一蹴、やはり前評判通りの強さ!死の組となったD組の草刈り場と目されたコスタリカが、なんとウルグアイに勝利という番狂わせ、続くイングランド対イタリアがイタリアが辛勝。この組の今後の展開に目が離せなくなりそうだ。そして荷物の整理出発準備も完了し、朝10時から日本対コートジボワールの大一番。本田の先制弾で雄たけびを上げるものの、後半ドログバ投入から立て続けに2点取られ逆転負け!でがっくり。早くも前途が相当厳しくなってしまった。この代表チームには守りきって勝つだけのポテンシャルがないだけに本当につらい。
夕方に成田到着、JAL004便にてNY経由、AA便にてリオまでほぼ30時間のフライト。

●6月16日
NYでトランジット中に、かつてツアーで一緒になったことのある音楽会社勤務のT氏に声をかけられる。ほぼ一緒の旅程なので、良い道づれに出会えラッキー。フランスやアルゼンチンの結果が気になる。午前中にリオのホテルへ到着、しばらくチェックインを待つ。T氏とやはり日本人サポのKS氏と早速連れだってリオ散策。イパネマ海岸、コパカパーナ海岸と歩き、アントニオ・カルロス・ジョビンゆかりの『ガロ―ダ・ジ・イパネマ』を覗き、『ヴィニシウス・バー』でドイツ×ポルトガル戦を観ながら一杯。夕食はリド広場のシュハスカリヤ『カへドン・リド』でシュハスコ三昧。

●6月17日
ポンジ・アスカールの現地ツアーに乗ろうとしたが集合場所が遠いので断念。リオの旧市街地区を歩き、老舗の高級コスメショップ『グラナード』を冷やかしたり、旧大聖堂やチラデンチス宮殿などを巡る。。ブラジル料理のビュッフェ『パパフィナ』で昼食、しばらくすると街は一斉に店じまい。気がつけばうるさいぐらい道路でバッタものの代表Tシャツを売っていたあんちゃんもすべていなくなった。みんな午後からのブラジル戦に備えているようだ。こちらもホテルに戻ってブラジル×メキシコ戦を部屋でビール飲みながら観戦することに。ブラジルは難敵メキシコにてこずりスコアレスドロー、ブラジル人たちの嘆息が聞こえてきそうだが、負けて暴動になるよりは良かったのかも。夕食に出ようと思っていたらT氏がファンゾーンのPBから戻ってきていわく、"市内はどこの店もしまってますよ”とのこと。ということでホテルに宿泊している日本人のグループの人たちとホテル(「リオス・プレジデントホテル」)のレストランで急遽懇親会に。メニューはイタリアンだったが味はどこがイタリア?という代物。量も多くほとんど食べ残すことに。まあ、これも地元ブラジル戦ゆえ、仕方なしか。

●6月18日
念願だったマラカナンスタジアムのスペイン×チリ戦をナマ観戦。ホテル近くのカリオカ駅から地下鉄で一本。期待にたがわぬ素晴らしいスタジアムである。かつての20万収容という時代からは大分スリムになったがそれでもやはり何とも言えない威容を誇る。試合は衝撃のスペイン0-2の完敗!無敵艦隊の落日を目撃してしまった。ホテルに戻って荷物をまとめるとこの日のうちにレシフェに移動である。11時のレシフェ行きGOL航空最終便は2時間ディレイして、やっと出発。4時間余りのフライトで早朝レシフェに到着、ほうほうのていでホテル『インテルナシオナウ・パラシ』へチェックイン。

●6月19日
早朝到着時には気がつかなかったが、ホテルは海岸が目の前でなかなかロケーションはいい。
海を眺めながらの朝食も気持ちがいい。午後からは夜のナタールでの日本×ギリシャ戦観戦のため長距離バス移動が待っているため、同行のT氏やリオで知り合ったOD氏、OB嬢、OM嬢、KT嬢らと近くのスーパーで水や食料を調達。休む間もなくナタールへ向かう。バス中では爆睡。気がつけばナタールのエスタジオ・ダス・ドゥナスももう間近とのこと。休憩で停車したショッピングモールのフードコートで腹ごしらえ。いよいよわが日本代表決戦の地に向かう。試合はエースストライカーのミトログルガ前半で退き、相手が警告2枚で一人減るという絶好の好機がやってきたにもかかわらず、本田は不調だわ、香川はスタメン落ちするわで攻めあぐね続け、結局なすすべもなくスコアレスで終了。地元のブラジル人たちも全員応援してくれたのに日本のグループ突破はほぼ可能性がなくなった。帰りのバスで再びレシフェへ。落胆と疲労で声も出ず。

●6月20日
フリータイム。この日はレシフェで行われるイタリア対コスタリカ観戦か、世界遺産オリンダ地区の観光ツアーか迷ったが、せっかくここまで来たのだからとOM嬢、KT嬢らとオリンダを巡る。素晴らしい景観と現存する古い街並みデ、なかなか素晴らしい場所。カーニバル(三大カーニバルの一つ)の時期はこの静かな地区が人波で埋まるとのこと、いつか来ることがあるだろうか?夕食は『ポンティオ・シュハスカリア』で各国のサポーターとともに日本人グループの懇親会。もう翌日は日本への長い帰国の旅である。

●6月21日
午後にレシフェからサンパウロへ向かい。そこからNY経由でふたたび長い長いフライト。サンパウロの空港でドイツ×ガーナの激戦を観戦。サンパウロの空港からNYまではラッキーにも英語が堪能なブラジル美女と隣り合わせ、しばらくつたない英語でサッカー談議。

●6月22日
機中泊。日付変更線を越える。

●6月23日
JL005便で映画を5本鑑賞しつつ夕方成田へ到着。帰宅後オランダ×チリ戦、カメルーン×ブラジル戦テレビ観戦。寝る間も無し。

●6月24日
午前中爆睡。昼過ぎから出社。ひさびさの『明治屋2nd』で一杯。深夜4時から日本の最終戦。メンバーを落としたコロンビアに勝ちさえすればなんとか決勝トーナメントへの道もあったのだが、その期待も前半終了間際の岡崎の同点弾まで。後半から本気を出され今大会ブレイクしたハメス・ロドリゲスにちんちんにされあえなく敗退。ザックジャパンの4年間が同時に終了した。

●6月25日
家呑み。ナイジェリア×アルゼンチン、エクアドル×フランスほか。

●6月26日
家呑み。アメリカ×ドイツ、韓国×ベルギーほか。

●6月27日
『明治屋2nd』から『t's bar』。ブラジル話。

●6月28日
家呑み。ブラジル×チリ、コロンビア×ウルグアイ。ブラジル薄氷のPK戦勝利。

●6月29日
実家に立ち寄り。家呑み。オランダ×メキシコ、コスタリカ×ギリシャ。熱戦続く。

●6月30日
家呑み。フランス×ナイジェリア、ドイツ×アルジェリア。まだまだ続く。

 
























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