2013年5月5日日曜日

セデック・バレを観て文明とは何かを考える




連休の時間を利用して、1930年(昭和5年)、日本植民地下の台湾霧社で起こった原住民の抗日武装闘争を描いた映画『セデック・バレ』を鑑賞。日本人警官の積み重なる横暴に霧社セデック族マへボ社の頭目モーナ・ルダオ率いる抗日原住民300名が蜂起、公学校(小学校)の運動会に集まった日本人住民を襲撃134人が惨殺される霧社事件発生までを描いた第1部「太陽旗」。その後この反乱を平定するために近代兵器を大量投入し反攻する日本軍にゲリラ戦を展開し、悲惨な結末を迎えるまでを描く第2部「虹の橋」。あわせて4時間36分という超大作である。
とにかく全編スプラッター映画並の出草(首狩)シーンの連続で壮絶な戦いがこれでもかと描かれていて、見終わった後はぐったり脱力してしまった。
監督脚本は『海角七号』のヒットメーカー魏徳聖。一昨年の台湾公開では、衝撃的な内容が話題を呼び大ヒット。その年の金馬奨でグランプリ含め6部門受賞した。


まあ、“悪虐非道”な日本人が次から次に殺される映画であるゆえ仕方ないのだが、日本人としてはなかなか気分は複雑ではある。『海角七号』で親日的なノスタルジーを描いた監督の作品だけにショックを受ける人も多かったのではないだろうか。日本統治下の抗日武装蜂起ということで、なにかと政治的な色眼鏡で見られがちではあるが、監督自身は「文明と野生の闘争」として描きたかったと語っていたようだ。台湾の中部山岳地帯の美しい自然と、太古よりそこに暮らしてきた人々の素朴な伝統。そこに轟然と入り込んでくる近代。文明の恩恵とは何なのか、それが魏徳聖の問いかけの本質なのかもしれない。
しかしながらこの事件以降皇民化教育を進め、太平洋戦争時には原住民たちを高砂義勇挺身隊として南方の激戦地に送り込み、多くの犠牲を強いた歴史を考えるならば、その端緒となった理蕃政策へ抗議する原住民の立場と、戦後補償もあいまいなままほったらかしにしてきた日本人の道義的な責任は免れない。その意味を深く考えさせられてしまった。


霧社には台湾駐在時代に訪問し、モーナ・ルーダオと顕彰碑を観て来たが、国民党政府の抗日義士化へのプロパガンダ的な作為を感じ嫌な感じを受けた。それに比べると映画の中でわが同胞が大量に惨殺されるシーンが満載のこの映画表現のほうが、歴史を冷静に検証しようという若い台湾の世代の姿勢が感じられ好感が持てた。歴史を学ぶということは韓国や中国が言うところの日本に対する戦争責任への「恨」にもとづく感情的な論陣ではなく、事実をいかに判断していくかという姿勢にこそ反省も,将来への道筋も見えてくるということに他ならないのだと思う。




霧社事件の記念碑

2 件のコメント:

ask さんのコメント...

2年前のベネチアの Worriors of the Rainbow がコレだったのですね。

たまたま買った別冊映画秘宝にも特集が載っていました(筑波久子表紙)。記事によると、出草は攻撃性や残虐性、怨恨よりも、民族的文化でありリスペクトでもあるとのこと。まぁ狩られた方には慰めにもならないでしょうが。

秋山光次 さんのコメント...

日本も戦国時代は敵将の首を取るのが栄誉ということですから、まあ出草があながち残酷なわけではないという理屈は成り立つんでしょうね。セデックの女性や子供の集団自決も沖縄戦を髣髴させます。やはり死生観はどこか似ていたりするんだなと思ったりしました。
キム兄はじめティピカルな日本人顔の首が飛びまくるんですけど、そんなに嫌な感じはしませんでしたw
原始から続いている生き方と、近代の圧迫からの絶望的反抗という図式がよく描かれていたと思います。