2008年12月22日月曜日

マンU世界制覇


クラブワールドカップファイナルは結局<順当に>マンチェスターユナイテッドが1-0で南米代表のリガ・デ・キトを下した。
序盤から圧倒的に早いパス回しで試合の主導権を握ったマンUだったが、リガ・デ・キトのDF陣の“堅さ”とGKセバジョスの攻守もあってなかなか決定機をモノにできない。キト側もMFのアルゼンチン人プレイヤー、マンソがゲームをつくりカウンターを狙うもののいかんせん守備に費やす時間が長すぎる。なんとか0-0で折り返したが、後半に入ってすぐビディッチがもつれ合った後相手をひじで打ち一発退場になり、ゲームの流れが急に変わってしまう。マンソを起点にキトも攻勢に転じなんどか決定機を演出するが、これまたガンバ戦に3失点したGKのファンデルサールがファインセーブを連発しゴールを許さない。試合はなかなか見ごたえのある好ゲームへとなった。
しかし後半24分、ワントップに入っていたCロナウドがボールをキープし相手DFを二人ひきつけて左から走りこんだルーニーへ渡し、ルーニーは落ち着いてゴール右隅に狙い済ましたシュートを決め均衡を破った。まさに千両役者同士が演出した見事な得点だった。これを見るだけでも高い入場料を払ったかいがあったというものだ。
結局終わってみればマンUが手こずりはしたが順当に貫録勝ちしたということだろう。大陸別の代表戦というものの大陸に跨る多国籍スター軍団ゆえ勝つのが当たり前と言われればそれまでだが、南米代表も元々この大会にかけるモチベーションはより高いものがあるので、今回も根性は見せてくれたように思う。

特筆すべきは3位決定戦でメキシコのパチューカを破ったガンバ大阪の健闘ぶりだ。
おたがいすばやいパス回しの攻撃的なチームでガチで面白い試合を見せてくれた。日本の単独チームで世界の強豪相手にここまでやれるということを実証してくれたことに感慨深いものがあった。


さて来年から2年間、この大会はUAEへと会場を移すことになるのだが、3年後に再び日本に戻ってきたときトヨタがスポンサーをこのまま続けることが出来るのか、そんな事態になっていないことを願うばかりなのだが。

2008年12月19日金曜日

健闘は称えられるが


クラブワールドカップ準々決勝に“赤い悪魔”マンチェスターユナイテッド登場ということで、横浜国際競技場へ観に行く。この欧州チャンピオンに挑むのはACLを制したガンバ大阪。
実際レベルの差があるのは当然のこととして、どこまでくらいつけるかが焦点。昨年はレッズがミランに0-1で健闘したが、Cロナウド、ルーニー、テベス、ギグスといった破壊力はシャレにならないし、プレミアリーグは現在世界最高峰のリーグだ。さすがにどう考えてもガンバに勝ち目は無い。

ところが長旅の疲れもあるのか、立ち上がりマンUは意外とプレスをかけてこない。そこにボランチに入った遠藤を起点にサイドの安田が果敢に攻め上がり、また播戸の裏への飛出し動き出しも冴え、何度かチャンスをつかみ、惜しいシュートもあった。しかし、前半20分を過ぎだし徐々にエンジンがかかったマンU、Cロナウド、テベスが前を向いてボールを持つとガンバDF陣はあっという間に置いていかれてしまう。そしてセットプレーからあっという間に2点を献上してしまった。
“やっぱりねえ”
“虐殺開始か?”
スタジアム全体に諦めにも似たため息が漏れる。

しかしガンバは押されながらも反撃の機会を狙い続けた。後半29分、遠藤のスルーパスから橋本の折り返しを山崎がGKファンデルサールの壁を破った。
“お見事!”大会がトーナメント制になって以来初めて、準決で欧州のチームに失点させたのだ。
湧き上がるガンバサポーター席。
これに対して、試合を流しながら軽くプレーしていたマンUについに火がついた。ガンバの得点の余韻も冷めないうちにテベスに変わった真打ちルーニーがすぐさま驚異的なスピードで背後からのボールを胸で受けあっさり突き放すゴール。こうなるともう止まらない。その後、5分もしないうちにフレッチャー、ルーニーがガンバ守備陣を粉砕し加点してしまった。

これほどまでに差がつくとはと呆然とするガンバイレブンだったが、ここから彼らは「根性」を見せる。安田の切れ込みがネビルのハンドを誘いPKが与えられる。PK職人・遠藤がファンデルサールの指先を掠めて確実に決める。そしてロスタイムには橋本のミドルが飛び出し3点目をゲット。本気のマンUに対してひるむことなく2点差まで粘ったガンバの戦いぶりには正直よくやったと褒めていいだろう。観客も派手な点取り合戦にみな満足して帰路に着くことができた。

しかし5失点のすべての局面はいかんともしがたい失点で、まあ、このレベル差はどうしようもない。Cロナウド、テベス、ルーニーあたりがスピードに乗り出すとマーカーはついていけないし、枠にきっちり決めてくるシュートにGK藤ヶ谷は反応すら出来ない。セットプレーの高さ含めどれもこれもため息が出るような失点だった。試合後のファーガソン監督の賛辞に西野が社交辞令だろうと言ったのもよくわかる。現場としては完膚なきまでにやられたという意識の方が強いのだろう。

結果的にアジア代表としてまあ恥ずかしくない試合は出来たと言えるかもしれないが、この2点差を埋めるにはまだまだ遥かなる時間がかかる事を思い知らされた。
さて、決勝は日曜日。この日の戦いぶりを見る限りマンUの世界一は疑う余地は無いと思うのだが、ガンバよりははるかにレベルの高いディフェンス力を持つリガ・デ・キトがどこまで耐えられるか、今度は南米の誇りを見せてもらいたいものだ。

2008年12月15日月曜日

週間呑みアルキスト12.1~12.14


●12月2日
夕方打ち合わせのあと広告代理店D社のS氏、プランニング会社N氏と中野のJAZZバー『ZAZIE』で飲み会。早稲田通りに程近い路地にあるこの店はS氏の行きつけなのだが、お客さんたちも地元の常連さんが多くわきあいあいと飲んでいる。マスターが台湾の淡江大学に留学していたということで台湾にいた者同士盛り上り、よくよく話を聞いてみるとその後シンガポールで働いていたということで、まったく自分と同じルートをたどっていたのでさらにびっくり。しかもどうやら同じ頃に在住していたらしいということで日本人のよくたまっているお店の話題を振ってみるとなんと共通の知人が多く、お互い縁は異なものと驚いていた。そのやり取りを聞いていたお客さんの一人が、自分も会社でアジア担当だよと話に加わってきたので勤務先を聞くとN新聞社だという。“自分の兄が同じ会社だよ”と、またまたちょっとした偶然に笑って名刺交換すると、なんとなんと兄の直属の部下だということが判明!以後、深夜まで大騒ぎとあいなった。S氏と一緒じゃなければ絶対来ないであろう店でこんなにも偶然が重なる奇妙な夜であった。

●12月4日
編集制作会社FY社のY社長が打つあわせで来社、夕食を共にする。街はそろそろ忘年会も始まりつつあるのだろうか結構込んでいたので、会社のそばの和風ダイニングの大型店『鶏・旬菜・お酒 てけてけ神保町店』に入りなんとかカウンター席を確保。博多風の水炊きが店の自慢料理ということらしかったので注文してみたが、どうもしょっぱすぎて期待はずれ。店のデザイン等はけっこうこっているのに他の料理もおしなべてイマイチ。早々に切り上げる。

●12月6日
土曜出勤だったがある単行本企画のブレーンストーミングがあり大手町のS新聞社へ。S新聞発行のテレビ雑誌の編集長I氏はかつてライバル関係にあった雑誌の編集長だったこともありよく知っていたが、10年ぶりくらいの再会である。会議終了後I氏と部下のH嬢、TエージェンシーのY氏と大手町の地下鉄に連結したフードコートにある『ビストロ リヨン』で親睦をかねて軽く一杯。ここのシェフはフレンチの名店『三国』出身でなかなか料理もおいしいということで平日のランチタイムは行列ができるそうである。土曜のしかも午後遅い時間だったのでゆったりできたのだが、軽く一杯のつもりが結局ビールからワインへ変わって2本ほどボトルが空いてしまう。しかもせっかく料理に定評のある店だったにもかかわらず軽いつまみのみでひたすら飲んでいたのですっかり酔いが回ってしまい仕事にならず。『いもや 専大前店』で夕食。

●12月8日
編集プロダクションB社のY社長が来社。ここのところの出版不況に加えて景気の後退で先行き不透明なのは紙を主体にした会社ではどこも同じで愚痴のこぼしあいになる。以前Y社長のところの仕事をちょっと手伝ったのでお礼に夕食をおごってくれるということで、景気が悪い話の後で恐縮したが会社の近所のレストラン『SOUP DERI』でゴチになる。

●12月9日
T出版O社長が来社、食事に誘われ雨の中水道橋にほど近い路地にある知る人ぞ知る中華料理屋『大興』へ。安くてうまくて飲めるということで遠くからもわざわざ客が探してやってくるひそかに人気のある店である。
雨にもかかわらず店は込んでいたがなんとか空いていた2人席に座った。ところが隣が数人の大学生で酒が入って大騒ぎしているは煙草のけむりはもうもうと立ち込めているはで閉口する。安くてうまいを味わうにはそれなりの代償もあるが、安くてうまいに勝るものはないので多少のことは仕方がないか。

●12月11日
お世話になっているデザイン会社M社のOG社長と忘年会ということで、M社の女性デザイナー3名とT出版O社長が加わり四谷荒木町のスペイン料理『ラ・タペリア』へ。それにしてもアラフォー(失礼!)のデザイナー嬢たちは実によく食べ飲み、すっかり彼女たちのペースにはまってしまい次々とワインのボトルが空いていく。なかなか楽しく盛り上がった会だったがOG社長にはすっかり散在させてしまった。ごちそうさまでした。

2008年12月14日日曜日

牛のげっぷが問題といわれても


ポーランドのポズナニで開催されていたCOP14(気候変動枠組み条約締約国会議)が約2週間の協議をほぼ終了したが、京都議定書に続く地球温暖化対策の国際枠組み作りにほとんど進展はなかった。ほとんどの国が2020年までに25~40%の削減が必要との認識を持ちながらも途上国と先進国の溝は埋まることはないということのようだ。
今回特に事務局の報告書から明らかになったことのひとつが、農畜産業関連分野は工業や運輸部門に比べ削減対策が遅れており対策強化の急務が訴えられたこと。水田や畑などからは微生物の働きでCO2の20倍もの温室効果を持つメタンが発生することと、家畜の消化管で発生するガス=いわゆる牛のげっぷにも同様のメタンが含まれていて、さらには窒素肥料の利用でCO2の300倍の温室効果がある一酸化二窒素が発生するのだとか。驚くのは現在の農畜産分野での温室効果ガスの排出量は全体の10%相当に達していて、ここ十年で17%あまり増加しているという事実である。

当然この分野の排出は途上国がメイン(約75%)で、人口の増加、肉食の増加で排出は今後も増え続けてしまうのである。経済発展の途上にある国が先にその恩恵を甘受してきた先進国と同等の排出規制は不公平という理屈が国際的な枠組みを阻害しているのだが、途上国は今後の経済発展の工業部門の伸張ということだけではなく、すでに農業部門でも排出の増加が垂れ流されているわけだ。しかも先進国の食糧供給のためには途上国の農畜産業は前提でもあるゆえ、一概に対立の図式だけでは計れない。

以前民放の番組で、松村邦洋が牛のげっぷを吸い取るというオバカな企画をやっていたが、あながち的外れとはいえないところがかえって空恐ろしくなる。たかが牛のげっぷと笑い飛ばせない、事実、このニュースを伝えるロイター電の写真でメタンを集めるタンクを背負わされたアルゼンチンの牛の写真が掲載されていてびっくりした。
昨今のBSE問題で食の安全が問われたが、単に飼育されているだけで環境に悪影響を与えていると決め付けられては牛だって心外だろう。肥料の適正使用や、農地や飼料の改良で改善の道を探るしかないようだが、報告書では特に途上国への技術支援や排出量取引等の政策措置が重要と指摘しているそうである。

来年は丑年。
100年に一度の不況の嵐に見舞われている現在、少しは節制と環境問題も考え高い牛肉を控えてみるのも悪くないかもしれない。それでもお寒い懐具合のときは安くて早くてうまい吉野家は止めようがないけど。

2008年12月8日月曜日

現代史を描いた2本のドラマを観て感じたこと

週末2本のテレビドラマを観た。両方とも戦争をテーマに取って現代史を描いた長時間スペシャルドラマである。

一本目は6日土曜日にテレビ朝日で放送された『男装の麗人~川島芳子の生涯』。清朝の粛親王の王女として生を受け、日本人の大陸浪人・川島浪速の養女となり満州国建国の影で暗躍し、戦後漢奸として処刑された女スパイの一生を描いたもの。
原作は村松友視の同名著作で、村松の祖父にあたる作家・村松梢風が当時川島芳子との交友を通してしたためた実録風小説を題材にとり、彼女の数奇な運命をたどっていくという内容。主演は芳子役に黒木メイサ(晩年は真矢みき)。掘北真希(李香蘭)、仲村トオル(甘粕正彦)、中村雅敏、平幹二郎、高島政伸、吹越満といった豪華な配役である。現代史ものを制作する場合はオープンセット等に金がかかると聞いたことがあるが、日本、満州、上海と舞台が点々とするだけに、テレ朝もかなりの力を入れたのだろう。ただし、内容の方はなんだか駆け足で芳子の生涯を説明的にたどるのみで深みが全然感じられない。時代に翻弄される悲劇の女性の内面を描こうとするのだが、肝心の時代の描き方、雰囲気がちゃっちいので女性像自体も浅薄なものになってしまった感がある。
よもや会社の企業的な姿勢ということもないのだろうが、日本及び傀儡国家・満州国と中国との歴史認識が単純に一元化されてしまい、女真に端を発する清朝と漢民族国家としての中国の相克を日本対中国というようにごっちゃにしていて、川島の存在の意味が全く判然としない。まあ、民放のエンタテイメントにそこまで求めるのも酷かもしれないが、かつて民放でもテレビマンユニオンが手がけたように製作者としての理念、歴史の真相をできるだけ極めたいという熱みたいなものが無いと、現代史ものなんかやめておいたほうがいいだろう。まあ、黒木メイサのチャイナドレス姿は結構「萌え」るものがあったので、それなりにお楽しみはあったんだけどね。

もう一本は7日日曜のNHKスペシャル枠で放送された『最後の戦犯』。これは実際にBC級裁判の横浜法廷で最後の戦犯として裁かれた油山事件の被告・左田野修氏の手記を基にした小林弘忠著『逃亡<油山事件>戦犯告白録』をドラマ化したもの。戦犯ものは現在中居クンのリメイク映画『私は貝になりたい』の大宣伝で変な脚光の浴び方をしているが、個人的にはつい最近、帚木蓬生の長編小説『逃亡』を読んで圧倒されてしまっていたので、そういう意味では戦後の戦犯容疑者の潜伏事例にすごく関心がありタイムリーなものとなった。
主人公に最近の日本映画界で独特の存在感を放ち人気上昇中のARATAを起用したのだが、逃亡下のスリリングな緊迫感や焦燥感、心理的な葛藤や懊悩をよく演じきっていたように思う。超縦割りの日本の軍の命令系統で捕虜虐待の実行為者となった現場の兵を、勝った側が非人道行為を理由に一方的に裁くことができるのか?また、戦争に積極的に加担した日本の警察機構や一般の庶民が、戦犯とされた人間に対して手のひらを返す資格があるのか?ドラマは全編を通して常に問いかけ続けていく。東京裁判史観を右へ習え的なムードで批判する昨今の風潮の中でNHKの看板で正面から戦犯問題を取り組むにはなかなか根性が必要だっただろう。
さらには巣鴨プリズンの同房に朝鮮人戦犯を登場させ国家の狭間で浮かび上がった矛盾を提起するなど、製作者サイドの意欲的な取り組みは大いに評価できる。制作はNHK名古屋だが、ここの局は『中学生日記』や『ながらえば』とか、昔から社会派もので頑張っていたよなあ。

別に民放だからNHKだからと見方を変えるわけではないが、戦争に翻弄される人間像というテーマで見比べたときの質的な差は大きい。戦争の記憶が風化していく時間の経緯のなかでどれだけ現代史の実相に迫れるのか?作り手側の世代がぐっと若くなっていくなか、セットや配役に金を賭けるだけでは歴史が持つ意味まで表現はできない。膨大な資料、情報をこつこつとあたり、原作者やモデルとなった人間にどれだけ近づけるかという熱意、志というものが大前提なのだ。