2011年4月23日土曜日

84年の雑誌をめくって


同世代の人間に会うたびに、スーちゃんの訃報でショックを受けていると聞かされる。
昨日は雑誌「ぴあ」の休刊の話もあって、時代の移り変わりの寂しさを嘆く仲間のTwitterの書き込みも多かった。
震災や原発で心がざらついているところに追い打ちをかけるようなニュースが立て続けに舞い込んでくる。
――いやおうなしに時代は変わった。なんだかあの巨大な津波が戦後の日本の記憶を一気にリセットしてしまったかのような気になる。
まったく空白になった社会の空虚さをかみしめながらこれからは生きていかなければならないのだろうが、その描き手はもう我々ではないような気もする。

前の日記でも書いたが、かつてT誌でスーちゃんの取材をしたことがあって、その雑誌が無いだろうかと何冊かとってあった80年代のバックナンバーをひっくり返していたら、ビンゴ! 1984年の2月24日の当該号を発見した。表紙は当時18歳の人気絶頂だった頃の伊代ちゃん。黄ばんだページをめくっていると、“蘭咲きました”のコピーでスクーターのCMに起用されたランちゃんの広告も掲載されている。皆それぞれの道を頑張っていたんだ。この「週刊ザテレビジョン」ではランちゃんもミキちゃんも取材したことがある。ランちゃんは生田スタジオで、みきちゃんは旧TBSの近くじゃなかっただろうか。

そうそう、このときはスーちゃんが女優転向後に初めて歌手として6年ぶりくらいでレコード(当時)発売したタイミングだったな。
当時仲良くさせてもらっていたビクターインビテーションETさん、YGさんからの熱心な売り込みで担当していた“今週の赤マル急上昇”に押し込んだんだ。
あの時「カボシャール」というタイトルを聞いて、あまりヒットするようなタイトルじゃないんじゃないかと秘かに思ってしまったけど、YouTubeでいまあらためて聞いてみると結構いい曲で、大人になったスーちゃんの魅力が良く引き出されている。
確か原宿の裏道の喫茶店で待ち合わせて取材したんだっけ。Yカメラマンによる写真はちょっと憂いを含んだ表情だけどインタビュー中は終始明るくよく笑っていた気がする。店の窓の布張りのシェードからこぼれてくる冬の午後の陽光が彼女の美しい横顔に差し込んでいたなあ、写真を見ているとその日の記憶が甦ってくる。思えばあの頃は、自分も含めみんな若かった、それからの未来は知る由も無いイノセントな時代の中にいた。

しばし彼女のグラビアを見ながら在りし日の記憶を辿りつつ思い出にふけっているうちに。なんだか自分がすごく歳をとってしまった感じがしてきた。
ただ、先に逝った人たちの記憶を抱きながら、明日からまた空白になった時代を歩き出さなければならないのは確かだ。時代の流れは止まらないしまだまだ人生は続く。

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