2011年2月4日金曜日

マリアの宝物


3日、闘病中のパリの病院でひっそりと女優マリア・シュナイダーが亡くなった。58歳だった。

マリアとは2006年の6月4日、ある雑誌の仕事で来日中の彼女のインタビューの編集立ち合いでお会いした。場所は赤坂の料亭「弁慶橋清水」。インタビュアーは彼女が個人的に親しかったエッセイストの伊藤緋沙子さん、カメラはリウ・ミセキさんという豪華な取り合わせだった。

マリアは20歳の時にベルナルド・ベルトルッチ監督の『ラスト・タンゴ・イン・パリ』でマーロン・ブランドと共演し大胆な性描写で鮮烈なデビューを飾った。この時のスキャンダラスなデビューが彼女を世界的なスターにしたのだが、この印象があまりにも強く逆に女優としての役どころが制限されてしまうきらいがあった。また若いころは気難しいことでたびたびトラブルで降板事件を起こしたりした。薬の中毒になったり情緒不安になることもあるような時期もあったという。使いずらいというイメージがあったのだろうか30年のキャリアの割にはそれほど多くの作品を残していないが、84年に黒井和男監督、武田鉄矢主演の日本映画『ヨーロッパ特急』に出演したことがあったからか大の日本びいきで、自宅には畳をひいているほどだと笑っていた。この時は3度目の来日だった。

元『PREMIERE日本版』の編集長という経歴を彼女に紹介していただくと、映画の話で意気投合してとても盛り上がった。ベルトルッチの話、マーロン・ブランドの話、ジャック・ニコルソンの話、彼女の父であるダニエル・ジェランの話、そして自分が関わっている引退女優の老後の生活の支援をする活動など、本当に楽しい時間を共有でき、あっという間に時がたったような気がする。気難しさなどみじんも感じさせない飾り気のないチャーミングな中年女性という感じであった。なんだか国籍の違う友人のような親しみを感じていたくらいだ。

記念にしようと持参した個人的にも大好きな映画、ミケランジェロ・アントニオーニ監督『さすらいの二人』(1974)のDVDのパッケージにサインをせがむと、逆にそのDVD自体を所望されてしまった。聞けば、フランスの版権はジャック・ニコルソンが持っていて、なぜかフランスでは権利問題があって未発売のままなのだそうである。リージョンコードがあるので欧州の家庭用のDVDデッキでは観れないかも、と教えたところ「それでもかまわない。作品として手元に持っていたい。私の宝物だわ」と大事そうに仕舞い込んでいた。
そのお礼にと伊藤緋沙子さんの著書でマリアがパリの案内役となっているガイド本「パリおしゃべり散歩」にサインをしていただいた。Vive le cinema!(映画万歳!)と一言添えてあった。
それは逆に私の宝物となった。

あのDVDは彼女の遺品の中に今も残っているのだろうか?
彼女の訃報に接し、嬉しそうにはしゃいでいたあの時の笑顔がすぐに浮かんできた。

どうか安らかに。

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