2016年1月7日木曜日
週間呑みアルキスト12.1~12.31
●12月2日
KS社の会員誌の仕事で帯広に出張。翌日には台北へ行くという寒暖差もスケジュール的にもハードな2日間。午後一で帯広空港へ降りると一面の銀世界。KS社の担当TH嬢、代理店GA社IK氏、カメラマンNY氏とレンタカーで市内へ移動、地元のメイクKM嬢を帯広駅でピックアップし、車で約1時間のKS社の顧客で剣武の女性師範を取材。取材後宿泊先のホテルへ戻り、一同で遅い夕食へ。
帯広の有名料理は豚丼ということらしいが、お疲れ様の一杯を飲むために『じんぎすかん北海道』という地元でも評判が良いジンギスカン料理屋へ。北海道ならではの新鮮な生マトン、生ラムとも絶品。地方出張の醍醐味を満喫。
●12月3日
朝一番の飛行機で東京に戻り、北海道の耐寒装備を会社にほっぽリ投げて夕方の成田便で台北へ。離陸待ちで大幅にディレイして、台北到着が深夜に。宿泊先の国聯大飯店にチェックインしたのち、ホテル周辺の延吉街の深夜まで開いていた名もなき食堂で水餃子をかっこむ。
●12月4日
今回の台湾旅行のミッションの一つにCXの提携ゲーム会社のコンベンションに花を贈ったのだが、日本からアレンジを頼んだ 花屋に代金を支払うという仕事がある。午前中に民権西路にある花屋を訪ねて、最初のミッションを果たしたあと忠孝東路の『度小月』で食事、久々の台湾啤酒が美味い。夜は第2のミッションである台北在住のかつての後輩KB氏とのミッションで新生南路の『無老鍋』という蒙古風火鍋店へ。KB氏の仕事のパートナーの女性社長TNさんを紹介され、台湾ビジネスの体験的苦労話ですっかり意気投合。もう一軒ということで日本のテレビでも紹介された隠れ家的居酒屋『阿才的店』へハシゴ。あいにく閉店時間ということだったが、食事はいらない飲むだけというと阿才おじさんが招き入れてくれて、もう出来上がって最後まで居残っていたカップルと我々2組で啤酒をふるまってくれる。お勘定を聴くと「飯もないからおごりでいいよ!」という。なんていい人なんだ阿才。居残っていたカップルの妙齢の女性とちょっとした言葉を交わしているうちに「あなたと以前会ったことがある」と言い出す。おそらくは林森北路かなあ?KB氏、TN氏、紹介したい人がいるので翌日の夕食もご一緒にということになり解散。
●12月5日
朝はホテルのバイキング、昼から市庁舎の台北探索館で開催されていた鄧麗君(テレサ・テン)の記念展を見学。懐かしい映像や写真で亡き歌姫を偲ぶ。昼食は小龍包の名店『明月湯包』と思っていたがタッチの差で昼の営業が終了。通化街の名もなき食堂で肉魯飯と意麺をパクつく。夕方からミッションその3、東区のATTビルにて台湾のゲーム会社RA社のコンベンションにCXの代理として参加。花もちゃんと届いていたのを確認。しかしながら明らかに熱気むんむんのオタク青少年の集団の中では浮きまくり、居心地も悪かったので、証拠写真を撮って頭だけ見学して退散。KB氏、TN氏と待ち合わせた亜都麗緻大飯店の杭州料理『天香楼』へ。お二人からこちらで長くビジネスをされているコンサル会社のSK氏を紹介される。こちらが駐在していた時代も現地に居たということで当時の話でいろいろと盛り上がる。お二人とは次の店へということで永康街に移動し、『Maui』というワインバーで紅酒をきこしめす。あっという間の滞在で翌日は朝一番で東京へとんぼ返りである。
●12月7日
先月末に苦労させられた箱根駅伝ムックの完成打ち上げでK社TK編集長と、カメラマンKG氏、ライターTD氏と四谷『こうや』へ。陸上界に詳しいTD氏の裏話が凄く面白く、楽しい一夜となる。KG氏いきつけの『3Circle』へハシゴ。
●12月8日
KS社の会員誌の地方取材第2弾で岐阜の男性を日帰りで取材。 夕方、京都から新幹線で駅弁ビールの夕食。これもまた楽し。
●12月10日
EB社ON社長と、編集者OK氏が来社。クラブW杯の初戦の中継を中途で断念して水道橋の中華料理『鐘楼』で忘年会を兼ねた会食。
●12月17日
CXの企画会議でお台場へ。先日の台湾イベントの報告と、KB氏らから仕入れた情報で新しい企画の可能性を話し合う。 帰り道が一緒のライターTM嬢と渋谷で途中下車。中華粥屋の『香港ロジ』で食事のあと、クラシックロックのBAR『グランドファーザーズ』にハシゴ。
●12月19日
会社のご近所『明治屋2nd』のクリスマスライブ&パーティーに参加。店の常連であるサックスプレイヤーのKG君のバンドで盛り上がる。終電途中中座で事務所に戻り年賀状の制作。だんだん年も押し迫って来る。
●12月20日
クラブW杯の決勝は『バルサ対リーベル』。チケットがあまりにも高額なので今年は家飲みで観戦。メッシ、ネイマール、スアレスのそろい踏みでバルサが圧倒。彼らの芸術的な妙技にため息がでる。多少高額だろうとこれは生で見る価値はあったと反省。
●12月22日
今年の4月に亡くなってしまったかつての同僚TC氏を偲ぶ会が、神楽坂の『RUKO』というイベントスペースで約100名を集めて行われる。 時間も立っているので湿っぽくならないように故人を偲ぼうとまるで同窓会の様なノリの回になった。故人との付き合いも30年近かったので懐かしい人たちとの再会も多かった。2次会で軽子坂の居酒屋『てけてけ』へ移動。参加者が多く入りきれないのでな神楽坂仲通りのビストロ『BOON』へ再度移動、貸し切り状態に。
●12月25日
かつての職場の先輩で世話になったSM氏が急逝されたとの連絡が入る。 夕方からデザイン会社MM社で会議があったが、その間もなにかやるせない気分で身が入らず・。終了後編集者のOK氏を誘って四谷四丁目の中華料理『榕荘園』でSM氏に献杯。
●12月26日
『明治屋2nd』の貸し切り忘年会に参加。あまりにも人が多かったのでしばらくして事務所に戻る。
●12月27日
新宿のJAZZの老舗『ピットイン』の50周年記念のJAZZフェスを新宿文化ホールに聴きに行く。午後から夜までの長丁場だったが、吉田美奈子、日野皓正、大西純子、辛島文雄、渡辺貞夫と豪華メンバーであっという間に時間が過ぎていく。トリはヒノテル、ナベサダのセッションも実現JAZZ界のジャイアントたちの競演に大満足。
●12月29日
この日が仕事納め、。早めに帰宅してIBF世界ライトフライ級に挑戦する八重樫東、WBOスーパーフライ級王者井上尚哉の防衛戦を、家飲みしながらの観戦。井上の2RKOという怪物ぶりに興奮。
●12月30日
練馬の居酒屋『月 GATSU』で行われた高校時代の仲間たちの忘年会に参加。昨年から誘われて出席しだしたが、今年初めて会う同級生たちも何人かいて昔話に花が咲いた。 2次会もほぼ全員で移動『伍大』という焼き肉居酒屋を占拠して大騒ぎ。年かっこうはすでに全員見事にジジイだが、気持ちは当時にすっかり戻ってしまう。
●12月31日
午前中に墓参りをすませ、正月の酒と食糧を買い込んで、夜はお楽しみ恒例になったボクシングのタイトルマッチ三昧。IBFミニマム級王者高山勝成、WBAフライ級王者井岡一翔の防衛戦。曲と時間が変わってWBAライトフライ王者の田口良一、WBAスーパーフェザー王者内山高志の防衛戦。大晦日はボクシングファンにとってはたまらない一日となった。TKOで判定負けの高山以外は全員が見事なKO防衛。内山の3RKOも戦慄が走るような凄いボディブローで悶絶する相手がかわいそうなくらいの一発だった。すっかり一年のう例も吹っ飛ぶ大晦日であった。
2015年12月28日月曜日
クリスマスに召された心優しき先輩を偲ぶ
12月24日。クリスマスイブになんともやりきれない訃報が入る。
以前勤めてた会社の先輩のSMさんがどうも亡くなられたらしいが聞いていないかという問い合わせがあり、あまりに突然のことだったので声にもならなかった。
22日には4月に亡くなったかつての仲間の偲ぶ会があり、SMさんは欠席していたので「元気なんでしょうか?」と何人かに聞かれたばかりのことだった。
昨日、追加の情報が入り肺がんで亡くなられた、と確かな筋からの連絡が入り、本当のことだったのかとようやく現実のことなんだと認識させられた。
SMさんと最後に話したのはさる9月末のこと。全国の米の生産地を特集する企画で助言を仰げればと思い連絡したのだが、声に元気がなく「身体の調子がおもわしくないんだよ」と言っていたので気にはなっていたのだが、まさか死に至る病であったとはつゆにも思わなかった。
SMさんは1982年TV誌の創刊時に、広告代理店を辞め雑誌広告マンとして我々の仲間に加わった。以来苦楽を共にしてきた。個人的には編集時代にもお世話になったのだが、自分が広告部に異動になった際に、いろいろとアドバイスをいただいたのが忘れられない。後輩や部下からは慕われ、彼らをかばうあまり上からの覚えがいまひとつだったが、業界的にも多くの人たちからその優しい人柄と仕事への真摯な態度から愛され、信頼された人だった。
先に会社を辞め起業した小生を追いかけるように、やりたかった産直品を扱う食の通販会社を立ち上げられ、ここ何年か企画をご一緒させていただいていた。苦労も多かったと思うが、まだまだこれから面白くなるのに、早すぎますよ。
でも、やっと色々な気苦労から解放されるね、どうかゆっくり休んでください。
いまはまだ心の整理もつかず、そんな月並みなことことしか頭に言葉が浮かんでこない。 SMさんと過ごしてきた時間を考えれば、語られなければいけないことはたくさんあるのに。
以前勤めてた会社の先輩のSMさんがどうも亡くなられたらしいが聞いていないかという問い合わせがあり、あまりに突然のことだったので声にもならなかった。
22日には4月に亡くなったかつての仲間の偲ぶ会があり、SMさんは欠席していたので「元気なんでしょうか?」と何人かに聞かれたばかりのことだった。
昨日、追加の情報が入り肺がんで亡くなられた、と確かな筋からの連絡が入り、本当のことだったのかとようやく現実のことなんだと認識させられた。
SMさんと最後に話したのはさる9月末のこと。全国の米の生産地を特集する企画で助言を仰げればと思い連絡したのだが、声に元気がなく「身体の調子がおもわしくないんだよ」と言っていたので気にはなっていたのだが、まさか死に至る病であったとはつゆにも思わなかった。
SMさんは1982年TV誌の創刊時に、広告代理店を辞め雑誌広告マンとして我々の仲間に加わった。以来苦楽を共にしてきた。個人的には編集時代にもお世話になったのだが、自分が広告部に異動になった際に、いろいろとアドバイスをいただいたのが忘れられない。後輩や部下からは慕われ、彼らをかばうあまり上からの覚えがいまひとつだったが、業界的にも多くの人たちからその優しい人柄と仕事への真摯な態度から愛され、信頼された人だった。
先に会社を辞め起業した小生を追いかけるように、やりたかった産直品を扱う食の通販会社を立ち上げられ、ここ何年か企画をご一緒させていただいていた。苦労も多かったと思うが、まだまだこれから面白くなるのに、早すぎますよ。
でも、やっと色々な気苦労から解放されるね、どうかゆっくり休んでください。
いまはまだ心の整理もつかず、そんな月並みなことことしか頭に言葉が浮かんでこない。 SMさんと過ごしてきた時間を考えれば、語られなければいけないことはたくさんあるのに。
2015年12月6日日曜日
週間呑みアルキスト11.1~11.30
●11月5日
夕方、ライターTK嬢来社。打ち合わせ後、事務所の近所に最近できたバル『路地裏バル O’s』で食事。小さな店だが、コスパはまあまあ。
●11月7日
土曜日だが打ち合わせで編集者OK氏、カメラマンNY氏が来社。向いのデザイン事務所のTK氏、ST嬢を誘って専大前『森のブッチャーズ』で食事会。『東京アチコーコー』『コンセール』とハシゴ。
●11月8日
会社の御隣の『明治屋2nd』の常連さんでジャズサックス奏者KG氏の年に一度のライブを聴きに『新宿Pit Inn』へ。終了後応援の常連さん仲間と新宿5丁目の中華料理『東順永』にて打ち上げ。
●11月12日
曙橋のデザイン事務所で会議の後、編集者OK氏と住吉町の中華料理『福餃子』にて軽呑み。
●11月13日
昨年早世されたカメラマンSZ氏の1周忌の会が四谷の『PBE Dining』で開かれ、仕事でお付き合いがあった仲間が参集。久々に会う人も多く、故人の思い出話をしながら懐かしさもあふれる会となった。
●11月19日
月末校了の仕事が重なり、忙しい日々が続く中、市ヶ谷のD印刷での打ち合わせの後、最近多くの仕事を共にしている編集者OK氏と打ち合わせ方々市ヶ谷『鳥元』で食事。翌日が健診も控えていたので早々に切り上げる。
●11月21日
仕事をお願いしているライターTM嬢と打ち合わせ後、九段下のイタリアン『ヴィノサルテ』で食事。この日も何杯か飲んだ後、会社に戻って入稿作業が続く。
●11月25日
12月発売のムック本がどうにか校了。久々に早い時間に店じまいして帰宅。途中新宿三丁目で『t’s bar』に寄り道。
●11月28日
『明治屋2nd』でチーズフォンデュを囲む会に誘われて参加。食材も多く、その割には出席者もそこそこだったのですっかり満腹に。早めに切り上げて『t 's bar』にハシゴ。
●11月30日
兄夫婦が神保町に出てきたというので食事をごちそうになることに。駿河台下の喫茶店『古瀬戸』で集合したのち、日本橋室町の鰻屋『亀とみ』へ。美味し。
2015年11月3日火曜日
週間呑みアルキスト10.1~10.31
EB社ON社長と、水道橋の仕事発注先で打ち合わせの後、軽く食事をということで『揚州商人』にて炒飯をかきこむ。EB社とは某官庁系の仕事をお願いしているのだが、官の仕事はなかなかすんなり進まないのがつらい。迷惑かけているのでせめて炒飯くらいはごちそうしなけりゃね、ということでひとまず勘弁してもらう。早く打ち上げにこぎつけたいものだが。
●10月2日
福岡KY社に日帰り出張。インタビューの仕事だが午後一番に入り、滞在役時間でとんぼ帰り。せっかくの食の都にまで来てゆっくり食事もできないのも辛いものがあるが、一計を案じて天神地下の大丸で子供のころからの大好物の折尾名物『東筑軒』のかしわ弁当を購入。B級グルメとはいえ、東京ではめったにお目にかかれない。これさえ食えれば福岡まで出かけた甲斐があるというもの。
●10月3日
昨年早世した後輩KJ氏の3周忌の「偲ぶ会」を前に、用賀に「偲ぶ会」の幹事メンバーと墓参りへ。
ついこの間まで一緒に仕事をしていて、本欄にもたびたび登場していたというのに、それを想うと時の経つ速さを実感させられる。この追悼の会もいつまで続くことができるのだろうか。墓参後は用賀駅ビルの『そじ坊』にて献杯。この日の夜は、わがブレイヴブロッサムがサモアと激闘し見事な勝利、南ア戦の勝利がフロックでないことを実証した。
●10月5日
以前勤めていたK社グループの青学会にOBとして参加。会場はOGのAS嬢が一番町で経営するキッチンスタジオを提供していただき、AS嬢の手料理、セレブな環境で、昔話を楽しむ。最後に美人パティシエ嬢に供された校章入りのケーキに大歓声。ごちそうさまでした。
●10月7日
福岡の代理店GA社IJ氏が上京してきて、デザイン会社MM社にて打ち合わせ。夜はIJ氏をまじえてMM社のスタッフとの会食に誘われたので、少し遅れて四谷のイタリアン『La Vita』へ駆けつける。この店はかつてK社時代によく通った。当時は知人のHTシェフが腕をふるっていて素晴らしい料理を出してくれていた。HTシェフが独立して店を移られた後は足が遠のいていたが、おおきなポルチーニ茸のソテーを始め変わらぬクォリティで感心した。伝統は引き継がれているということか。
●10月11日
ラグビーW杯、ジャパンの最終戦となる米国戦を家呑みで観戦。すでにこの試合に勝っても決勝トーナメントには進めないが有終の美を飾ってほしいもの。1勝へのメンツをかけた米国も激しいプレーでガチの勝負になったが、ジャパンはここでも変わらぬチームワークとひたむきなプレーですがる米国を突き放し見事な勝利で3勝目。3勝してトーナメントに上がれない初めてのチームとなったがこれも勲章といっていい。MVPに選ばれた五郎丸の感涙にもらい泣き。
●10月15日
K社TK氏、カメラマンKG氏で年末年始のスポーツイベントの企画の打ち合わせ。終了後四谷の『こうや』で会食、Bar『3circle』へハシゴというKG氏定番のコースにお付き合い。
●10月22日
かつて台湾時代の部下だったTD嬢と久しぶりに会食、小川町の『巴里の介』という小さなフレンチ。安価なコースを頼んだのだが、結構な量の料理が供され、味も悪くない。TD嬢の近況、昔話に花が咲いてあっというまに余も更けていく。
●10月23日
KJ氏の3回忌の「偲ぶ会」を、KJ氏ゆかりの店四谷のイタリアンダイニング『LARGO』を貸し切って行う。TT誌時代のKJ氏の関係者を中心に約30名で賑やかに故人を偲んだ。
●10月24日
東京国際映画祭が開幕。この日は台湾、香港映画を朝から一気に3本観る。最初の作品、王童監督の「風の中の家族」は外省人兵士たちの半世紀の人間ドラマという重いテーマ。2本目の『百日草』も事故で配偶者を失った2組のカップルの癒しの時間を淡々と描いた作品。ここまでが割と暗いものだっただけに3本目の香港映画『レイジー・ヘイジー・クレイジー』のぶっ飛びエロ青春ストーリーにちょっと感情移入できず。歳をとったということ?
●10月25日
東京国際映画祭でこの日も六本木へ。4本目となったのはフィリピン映画『KID KLAFU 少年パっキャオ』。タイトル通り、フィリピンの国民的ヒーロー、ボクサーのマニー・パっキャオの伝記もの。この日はこの一本。
●10月29日
東京国際映画祭5本目は台湾映画『小孩 The Kids』。16歳で1児の父母となってしまった若いカップルたちの苦闘を描く青春もの。社会の冷たい現実に考えさせられる。主演女優の温貞菱がなかなか魅力的。
●10月30日
東京国際映画祭、朝一番で、今年最後の1本となる香港映画『破風』を鑑賞。自転車ロードレースに賭ける青春群像だが、アクションにかけてはぴか一のダンテ・ラム監督作だけあって迫力のシーンと素晴らしい空撮シーンに酔う。夜は曙橋MM社のハロウィンバーベキューに参加。六本木や渋谷じゃなくとも夜遅くまで盛り上がる。
●10月31日
会社の隣の『明治屋2nd』で行われる恒例の日本酒利き酒会に参加。呑み比べで出される日本酒のどの銘柄も素晴らしい。日本酒はそれほど得意ではないのだが、こんな会なら参加してよかったとつくづく思う。次回も期待。
2015年10月13日火曜日
エディージャパンの偉業
ラグビーを観戦し出してから半世紀余り。
1971年のイングランド代表戦の惜敗、1989年のスコットランド戦の勝利(テストマッチではなかったが)、2013年のウェールズ代表戦の勝利も秩父宮で目撃したが、今回のワールドカップの3勝ほど胸を打つ体験は初めてだ。
多くの現地のファンが日本のために熱狂してくれ、賞賛を得るなどと誰が考え得たであろうか。
スポーツ紙やスポーツニュースではない、一般のトップニュースでその勝利が報道され、ワイドショーで特集が組まれ、女性週刊誌の表紙となる。 いったいどこの国の話だろう。勝つということの凄さを改めて感じさせられた。
さて次に2019年日本開催のワールドカップが待っている。
新国立に関するごたごただけではない、名匠エディー・ジョーンズが呆れて去ることになるスーパーラグビー参戦問題における協会サイドの不手際など、問題は色々山積している。
「選手たちも歴史を変えた。協会もかわらなければならない」とは、さる元代表選手の言葉。
次期ヘッドコーチに、大事な時期に辞める発表をしたなどと、いかにも日本的なエモーショナルな批判をして、その本質を判っていない清宮とかを就任させる愚だけは辞めていただきたいと切に願う。もう、従来の早稲田とか明治とか、同志社とかの旧態然とした親睦組織では、次の極みに進むことなど出来やしない。
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