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2018年6月8日金曜日

軍中楽園



仕事が詰まっていてなかなか行けなかった映画だが、ユーロスペースで公開中の台湾映画『軍中楽園』(鈕承澤監督)をやっと観ることができた。


 舞台は1969年の金門島。当時は大陸反攻を夢見る蒋介石政権による対共産中国との最前線で対峙していた島で、まだ日常的(定期的)に砲撃があったりしていた「戦地」である。主人公の台湾本島から徴兵されて赴任してきた小寶(阮經天)は猛訓練で知られる精鋭部隊のフロッグマン部隊(海龍蛙兵)に配属されるが、泳ぎが苦手で落伍、831部隊へと転属になる。831部隊とは兵站部隊で専ら兵士たちの慰安を目的とする、『軍中楽園』と呼ばれる娼館の管理を担当していた。様々な過去を持ち流れ着いてきた慰安婦たちの中で、小寶は陰のある妮妮(萬茜)という女性と徐々に打ち解けていく。


 この作品では国民党兵士として内戦に強制され駆り出された外省系の下士官兵や、隊内暴力で逃亡する新兵、極限下における過酷な軍務などを背景に、娼婦として彼らの相手をする女性たちの哀しみなどを描いていくのだが、実際このような慰安所は1990年代まで存在していたという。台湾でも公然の秘密だった慰安所の存在を世に知らしめるということだけでもこの映画の持つ意味は大きい。第二次大戦中の日本軍による慰安婦問題は、韓国ほどクローズアップされてはいないが台湾でも補償問題は当然あって、ともすれば反日的な政治課題ともなっているのだが、この映画の公開で「日本の批判ばかりできないではないか」という声もあがっているとのことだ。


 戦後日本のRAA(特殊慰安施設協会)や韓国の洋公主(在韓米軍慰安婦)の例を引くまでもなく、軍と慰安所の問題はどこの国にも存在していたし、人権問題としてとらえなければならないことも確かなのだろう。しかし、当時その場で交錯した多くの男女たち、過酷な歴史の中で翻弄されてきた時代時代を生きてきた人々の背景の物語に思いをはせると、そこには語りつくせないようなドラマがあったはずである。鈕承澤監督は決して声高にではなく、そんな人々の物語の断片を淡々と拾い集め紡ぎ合わせ、逆に多くのことを考えさせられる作品に仕上げたように思う。


 1969年という時代背景も興味深く観ることができた、2000年代に2度金門島を訪ねたが、すでに観光地化され、軍の施設もそれなりに残っているものの、映画で表現されていた兵士たちであふれ、商店が賑わっているような光景は見ることはできなかった。その意味でも忘れられつつある現代史のタブーを果敢にテーマとして取り上げたこと、近年再び台湾海峡に緊張が高まっている現状とあわせて鑑みてこの作品は広く日本人にも観て欲しい。


 第51回金馬奬の主演女優賞を獲った萬茜(レジーナ・ワン)の美しさにはすっかり心奪われたが、助演男優賞の中国人俳優陳建斌の外省人老兵士の人間味あふれる演技も特筆ものだった。大陸の役者だそうだが国民党軍人を台湾で演じて何か問題にならなかったのだろうか?






 
 


 


2016年11月3日木曜日

東京国際映画祭 終わりよければ…

第29回を迎えた今年の東京国際映画祭(TIFF)。今年はのっけからチケット販売のシステムトラブルという「事件」があって、一時はモチベーションが大きく下がってしまったが、それでも6作品ほど観ることが出来た。


1本目は台湾映画『ゴッドスピード』(原題・一路順風 鍾孟宏監督 許冠文、納豆主演)。麻薬取引の運び屋をやっている冴えない若者が、ブツの引き渡しでタクシーを使って台湾の南部の田舎まで出かけることに。何をやっても中途半端なチンピラ青年(ナードウ)と、タクシー(強引に乗せられた)の風采の上がらない運転手(許冠文)との奇妙なドライブが始まる。ダメダメな二人のはずまない会話がなんともいえずに可笑しい一方で、麻薬取引現場の黒道連中の裏切り、殺戮といったハードな場面が同時に進行する。一路順風とはいかぬアクシデントの発生で二人も思わぬ危機に巻き込まれてしまうのだが。
鍾孟宏監督作品はTIFF3回目の出品。前回の『失魂』で、香港のカンフー映画のスターだった王羽(ジミー・ウォング)を起用したのと同様、今回はやはり香港のコメディ映画のスター許冠文(マイケル・ホイ)を起用。香港映画へのリスペクトだけでなく、まったく彼らの土俵外の役どころで、演技者としての実力を引き出すその演出ぶりは見事。また、ロケーション含め独特の世界観の映像表現は今回もいかんなく発揮されている。今後も注目していきたい監督である。


2本目は香港映画『メコン大作戦』(原題・湄公河行動)。TIFFでは人気の高いアクション映画の巨匠林超賢(ダンテ・ラム)監督の作品。主演の台湾人俳優彭于晏(エディ・ポン)とは3年連続のタッグだ。今回はアジア五カ国の麻薬特別捜査チームが、メコン川流域に根を張るゴールデントライアングルの麻薬王と対決する。まあ、ストーリー展開はともかく、ダンテ作品の魅力は何と言っても大仕掛けのアクションに次ぐアクション。カーチェイス、ヘリの銃撃戦、爆破シーン、水上のモーターボートチェイスと手に汗握る展開が目白押し。映画の醍醐味ここにありと今年も楽しませてもらった。



3本目は台湾のドキュメンタリー映画『四十年』 (侯季然監督)。1970年代、日本同様台湾でも学生を中心にフォークソング(民歌)がブームになるが、違うのは彼らの当時置かれていた政治環境。米国をはじめ同盟国の中共との国交回復に伴う国連脱退といった背景の中、戒厳令下の省籍矛盾を抱え、先住民族、客家とルーツを異にする国民の民族的なアイデンテティの模索、というような彼らが内包する社会的な問題を表現することが主眼だった。当時、彼らを積極的にラジオで紹介し続け“台湾フォークの母”ともいうべき(日本でいえば落合恵子的な)陶曉清のプロデュースのもと、四十年の歳月を経過した彼らが再集結したライブの模様を中心に、台湾現代史を音楽から切り取っていく。
いままで、不覚にも彼らの楽曲を知らなかったが、次回是非とも訪台の際にはCDを買い求めたいと思う。



4本目はこうの史代原作のアニメ映画『この世界の片隅に』(片淵須直監督)のワールドプレミア。クラウドファンディングで製作され、声優がのんこと能年玲奈ということでかねてから注目されていた作品でもある。もちろんこうの史代の作品自体のクォリティはいうまでもなく素晴らしいので、それが動画になってどれだけ原作の持つ世界を再現されているかが気になっていたのだが、片淵監督の手腕で原作に更に息を吹き込んだような気がした。主人公と遊郭の女性とのからみがあっさりと飛ばされていたことにはちょっと残念だったが、おおむね原作にも忠実で十分満足できる出来だった。改憲勢力が声高に国防を叫ぶきな臭さが漂う昨今、こういう作品が是非とも多くの若い世代に見てもらいたいと願うばかりだ。


 5本目は香港映画『シェッド・スキン・パパ』(原題・脱皮爸爸 監督司徒慧焯)。岸田賞を受賞した演出家佃典彦の戯曲が原案。呉鎮宇(フランシス・ン)、古天楽(ルイス・クー)のダブル主演。認知症の父親が脱皮しながら若返っていくというシュールな親子劇。スラップスティック的でいささかついていくのが大変だったが、それはそれでシニカル且つブラックなウイット満載で観る者を飽きさせない。芸達者のルイス・クーの熱演ぶりは凄い。



最後の作品となったのは1957年公開のハリウッド作品『黒い牡牛』(アーヴィング・ラッパー監督)。
当時吹き荒れた赤狩りの迫害にあった脚本家ダルトン・トランボがロバート・リッチの名で執筆し、見事オスカー原案賞を受賞したことでも有名な作品だ。孤高の映画評論家故小川徹の本でこの作品を知り機に成りながらもようやく観ることが出来た。メキシコの牧場を舞台に少年と子牛の心の交流を描いたものだが、名カメラマンジャック・カーディフの手に寄る闘牛シーンの撮影がすごい迫力。赤狩りへの反骨心を盛り込んだ、トランボの足跡をたどるためにも必見の名作ではないだろうか。50年代のシネマスコープ作品をTOHOシネマズ六本木の巨大なスクリーン7で観られる醍醐味も映画祭の魅力でもある。















2015年2月23日月曜日

アカデミー賞雑感

今年のアカデミー賞は、結局作品賞、監督賞は『バードマン』に決定。主演男優のエディ・レッドメイン、主演女優のジュリアン・ムーアもさることながら、確かに獲るだろうなあと納得だったのが『6才のボクが、大人になるまで』のママ役を演じたパトリシア・アークウェットの助演女優賞だ。
 先日、ゴールデングローブを受賞しアカデミー賞の下馬評も高かったので観に行ってきたのだが、何年にもわたって撮影を続けた話題性や、家族の絆への感動というよりも、パトリシアの存在感に度肝を抜かれたw 若くしてデキ婚して、大学にいき直し、2度の離婚を経ながら2人の子どもを育て、大学の研究者の道を突き進む!という役柄をリアルに感じさせるたくましい肝っ玉母さんぶりにほとほと感心したものだ。テレビドラマシリーズで三人の子持ち役ということで体重を増やしたということのようだが、あのぴちぴちしていた『トゥルー・ロマンス』の頃が、いまとなっては懐かしく感じてしまう。
 個人的にはお姉さんのロザンナひいきではあるが、かつて彼女自身が感じていた妹からのプレッシャーを自身が監督した『デブラ・ウィンガーを探して』で語っていたが、完全にぶっちぎられてしまったな。
オスカー受賞スピーチでは女性の賃金格差に関して訴えるくらいの貫録、今後もこのオバさんパワーは要注目だ。

しかし公開時にオスカー最有力という宣伝文句に飾られていた『アメリカン・スナイパー』『ゴ―ン・ガール』や『フューリー』の無冠ぶりはかわいそうなくらいだった。まあ煽りのキャッチもちょっと考えなきゃね。

 

2014年12月27日土曜日

今年のベストテン

今年劇場で観た極私的映画ベストテン
1位 インターステラー(クリストファー・ノーラン監督)
2位 グランドブダペストホテル(ウェス・アンダーソン監督)
3位 ゴーン・ガール(デヴィッド・フィンチャー監督)
4位 ジャージーボーイズ(クリント・イーストウッド監督)...
5位 シーズ ファニー ザット ウェイ(ピーター・ボグダノビッチ監督)
6位 GF★BF(ヤン・ヤーチェ監督)
7位 リスボンに誘われて(ビレ・アウグスト監督)
8位 ミッドナイトアフター(フルーツ・チャン監督)
9位 オール・イズ・ロスト(ロバート・レッドフォード監督)
10位 ドラッグ・ウォー/毒戦(ジョニー・トー監督)

見逃してしまって後悔度が高いベスト5
1位 エレ二の帰郷(テオ・アンゲロプロス監督)
2位 イーダ(パヴェウ・パヴリコフスキ監督)
3位 新しき世界(パク・フンジョン監督)
4位 アデル ブルーは熱い色(アブデラティフ・ケシシュ監督)
5位 トム・アット・ザ・ファーム(グザヴィエ・ドラン監督)

極私的監督賞 クリストファー・ノーラン(インターステラー)
極私的男優賞 ダヴィド・オグロドニク(幸せのありか)
極私的女優賞 グイ・ルンメイ(GF★BF)
極私的助演男優賞 シャイア・ラブーフ(フューリー)
極私的助演女優賞 ジュリアン・ムーア(マップ トゥ ザ スターズ)
 
今年は多くの映画人が世を去ったが、残念だったのはなんといっても高倉健と菅原文太の東映2枚看板の訃報だった。心からの哀悼の意を捧げたい。
以下今年亡くなられた映画人たち(敬称略)
淡路恵子、スコット・カルバート、野中マリ子、高橋昌也、マクシミリアン・シェル、フィリップ・シーモア・ホフマン、アラン・レネ、安西マリア、宇津井健、蟹江敬三、ジェームズ・レブホーン、松本典子、ミッキー・ルーニー、鈴木晄、ボブ・ホスキンス、葛井欣士郎、九條今日子、鈴木則文、林隆三、深町幸男、藤井浩明、ジェームズ・ガーナー、ジェームズ繁田、ロビン・ウィリアムス、ローレン・バコール、リチャード・アッテンボロー、曽根中生、米倉斉加年、山口淑子、中川安奈、桂小金治、田宮五郎、羽仁未央、マイク・ニコルズ、ジョニー大倉、大津幸四郎、ビルナ・リ―ジ、川北紘一、品田雄吉。 〈合掌〉
 
 
 

2014年10月31日金曜日

今年の東京国際映画祭

27回目を迎えた今年の東京国際映画祭、今回はいつも楽しみにしている台湾映画が1本のみということで、気合が入らない。
今年から会場に日本橋コレドに出来たTOHOシネマズも使うことになって、毎年思うことだがまったくもって、映画祭的な雰囲気は皆無に等しい。おりしも六本木界隈はハロウィーンのコスプレに身を包んだ若い連中がそぞろ歩いており、そっちのほうがよっぽど「祭」っぽく映ってしまう。元々渋谷から六本木に会場が移ったのは、当時総合プロデューサーだった角川さんと森ビルの談合による結果だったと記憶しているが(真偽のほどは知らん)、なんとかならんのかね。
ということで、今年は最近になくチケットを入手したのは3本と寂しい結果になってしまった。

まず1本目は唯一の台湾映画『共犯』(張榮吉監督)。通学途中でたまたま同じ学校の女生徒が飛び降り自殺した現場に居合わせた三人の高校生たちが、その真相をつきとめようと行動するうちに思わぬ事態へと物語が展開していく、というサスペンスタッチのストーリー。いじめやSNSによる言葉の暴力、教師をはじめとする大人たちの無関心とか、台湾の高校生が置かれている問題が映画のバックグラウンドに描かれつつ、思春期の子供たちの揺れる心象に迫っていく。タイプの違った三人の主役たちも一人を除いて全くの素人だそうだが、なかなかキャラクターが巧く演じ分けられていたように思う。まあ作品から感じ取れることは見た者の解釈にゆだねられるということではあろうが、もう少し話の行く末が示すドラマ性があってもいいのかなと感じた。監督は前作の『光に触れる』でも色彩の取り入れ方に特徴があり、今回も緑の使い方に心理的な効果を盛り込んでいる。特別に評価をということではないが、まあまあ楽しめた。

2本目は香港の陳果監督の異色のSF作品『ミッドナイト・アフター』。旺角から大埔に向かう深夜バスに乗り合わせた17人が、高速道路を超えた瞬間に世界から彼らを残して無人の街にワープしてしまう。しかしながら彼らを監視する謎の人物が登場する中、彼らに一人ひとり原因不明の死が近づいてくる。とプロットを書くと、いかにも正当時空ものSFみたい(名作SF漫画「少年の町ZF」を彷彿してしまう)だが、そこは香港、しかも陳果ということで基本は笑えるギャグ満載で、ニヤニヤさせられつつ事件の展開に引き込まれていく。しかも乗客たちの個性が強烈過ぎて、また気のきいたブラックな笑いは秀逸。監督は絶対揺頭丸でぶっ飛んで撮影したに違いないと確信するクレイジーさである。終了後深夜の人っ気のない日本橋を歩きながら、このまま街から人間が消えてしまったら…と変な感覚を味わわされた。結構楽しめた。

                                               

3本目はハリウッド作品の『シーズ・ファニー・ザット・ウェイ』。ピーター・ボグダノヴィッチの10年ぶりの作品ということなので、見逃すわけにはいかない。ニューヨークを舞台にコールガールからスター女優になった主演のイモージェン・プーツがインタビューに答えながら、彼女がブロードウェイの演出家に見出され女優になれたいきさつが展開するロマ・コメ。オールニューヨークロケがなんとも素晴らしいのと随所に40~50年代の映画へのリスペクトに満ちたスクリューボールコメディへのオマージュ。一見、ウッディ・アレン調だが、ひいき眼かもしれないが粋さという意味ではより洗練されているようにも思える。こういう小粋な作品が撮れるのはハリウッドでももうそんなにいない。ボグダノヴィッチ組ということで久々のシビル・シェパードの出演もサプライズ。さらにサプライズだったのは監督本人が上映後のトークセッションにオーウェン・ウィルソンとともに登壇したこと。なかなかウイットに富んだチャーミングな老人という態ではあったが、ナマのボグダノヴィッチを間近に観れたのが、今回の映画祭最大の収穫であった。凄く楽しめた。



 

2014年10月26日日曜日

芸術の秋

芸術の秋ということで最近見た2本の映画が『ザ・テノール 真実の物語』と『至高のエトワール~パリ・オペラ座に生きて』。

『ザ・テノール』は世界的な韓国人テノール歌手べー・チェチョルが、がんで声を失ってしまい、日本人プロデューサーの奔走で日本人医師の執刀による声帯回復手術で奇跡の復活を遂げる実話をもとにしたドラマ。主演はユ・ジテと伊勢谷友介。映画自体の出来云々よりは、この時期の日韓の美しき友情物語という政治的な思惑をカンぐったりも出来たのだが、映画内で使われるべー・チェチョルのテノールの力強さは確かに「神」レベル。下手なお涙映画より実際の彼のオペラ公演を観に行きたくなってしまった。




『至高のエトワール』は長年パリ・オペラ座のエトワール(宝塚で言うトップ?)を務めてきたアニエス・ルテステュの引退までの2年間を追ったドキュメンタリー。アデュー公演の「椿姫」、はじめ「白鳥の湖」「天井桟敷の人々」「ドン・キホーテ」「放蕩息子」などの演目に加え、コンテンポラリーの舞踊まで、優美で流れるがごとき彼女の素晴らしい舞台の映像が満載。バレエやダンスにそれほどの知識を持ち合わせていなくてもため息が出るような至高の美しさに嘆息させられた。ドキュメンタリーゆえに映像的にはリアリティにより重きを置いたフィルム撮影でいまいち華やかさに欠けるのだが、舞台の記録映像も記録として撮られているのでこれも仕方がないのだろう。こちらも現役時代のオペラ座の舞台を観たかったなあと思ってしまった。実際、過去何度かパリに行った時に行こうと思えばそのチャンスは十分にあったわけだが、まあ映画で観たからこそ彼女の存在の大きさを始めて認識したので、当時はその素晴らしさを知る由もなかったのだが。

 

2014年7月30日水曜日

すべてなげうって旅に出たい気持ちをそそられる

 
ジェレミー・アイアンズ主演、ビレ・アウグスト監督『リスボンに誘われて』(2012年ドイツ/スイス/ポルトガル)の試写を六本木のアスミックエース試写室で鑑賞した。まさにタイトルに誘われて、観たかった作品である。
原作はスイスの作家パスカル・メルシエの「リスボンへの夜行列車」(早川書房刊)で、世界31カ国で翻訳されたベストセラーということだ。
 
物語はスイス・ベルンの初老の高校教師ライムントが自殺を図ろうとしていた女性を救うことから、100冊限定で出版された「言葉の金細工師」と題された本と遭遇。そのページをめくるや一言一句に魅せられてしまい、その足ですべての仕事を投げうって列車に飛び乗り、本の物語の舞台となっているポルトガルへ作者にまつわる人々の足跡をたどる旅に出る。
そこには70年代ポルトガルのサラザール独裁体制を打倒したいわゆるカーネーション革命前夜の緊迫した時代を舞台に若者たちの切ない青春の傷跡が浮かび上がってくる――。

“自分が選ばなかった人生”に思い...をはせるようになる、われわれの世代にとってはちょっとセンチな気分にさせる内容。構成上ご都合主義的な展開もちょっと気にはなったが、個人的には2004年に行って魅せられた場所リスボンが舞台というだけでもう大満足。バイロ・アルトの石畳の坂道とチンチンと音を立てて走る路面電車、海のようなテージョ川の陽光、アルファマの路地に立ちこめる鰯を焼く煙、ナザレの海岸と箱庭のような白き街並み、映画を見ながら色々と思い出してしまった。
 
登場人物たちの青年時代を演じるジャック・ヒューストン、メラニー・ロラン、アウグスト・ディールという若手役者陣もさることながら、爺さん婆さんたちが素晴らしい。主演のジェレミー・アイアンズ以外にも彼に心寄せる中年眼科医マルティナ・ゲデックはじめ、トム・コートネイ、クリストファー・リー、ブルーノ・ガンツ、レナ・オリン、シャーロット・ランプリングというシニアの欧州オールスター出演は見ごたえ満点。
 

2014年7月18日金曜日

ちょっとビターな台湾版「ジュールとジム」


ワールドカップの昼夜逆転の日々も一段落、先日、ひさびさに映画館に出向いて台湾映画『GF★BF』(2012年 原題=女朋友、男朋友 監督/楊雅喆) を鑑賞。
1985年、いまだ戒厳令下にあった台湾・高雄の男子高校生2人と女子高校生の、約25年の愛情の交錯を描く、ちょっとビターな物語である。
いわば『突然炎のごとく』、『冒険者たち』のような男二人と女一人の典型的なプロットなのだが、台湾の映画でよく取り上げられる同性愛がこの3人の関係をより複雑なものとしている。
かつて台湾に駐在時によく耳にしたのは“台湾は兵役があるので”という理由から社会的にホモセクシャルな関係が確かに多いように感じたが、特に映画や、文学においてもよく取り上げられる。
この映画の主演の一人張孝全(ジョセフ・チェン)は何年か前の『花蓮の夏』でも、男同士の性的シーンを演じていたが、今回もこの経験を?買われたのか、親友役の鳳小岳(リディアン・ボーン)相手に繊細な恋心と秘めたる激情を巧く演じていた。
よって、正確には三角関係とは言えないものの二人のミューズ的存在であるヒロインの桂綸鎂(グイ・ルンメイ)が男勝りの性格であることが、三人の友情(愛情)の均衡を保つファクターになっている。

この映画のもう一つのポイントは台湾現代史の「時代性」である。物語の始まる85年という戒厳令末期(87年に解除)の蒋経国強権政治にほころびが見え始めた時代、李登輝政権による民主化への道に伴う90年の学生運動(野百合運動)などが、当時の若者たちが激動の台湾でどう生きたのかという歴史体験を再現しているのだが、学生運動後の挫折、社会での成功のためにそれぞれが価値観が変わっていく様子などもほろ苦く心を打つ。
85年の高校時代に夜市で「民主」や「フォルモサ」というような禁署扱いの反体制派の雑誌をこっそり売って小遣い稼ぎをしたり、森進一の「港町ブルース」を原曲とした「誰来愛我」の劇中での使い方だったり、高校生たちの部室に松田聖子のポスターが貼ってあったり、日本語をはやり言葉で使ったり日本との強い影響も細部まで忠実に描いて時代の雰囲気を作っているのも感心させられる。

個人的には『藍色夏恋』(2002年)の鮮烈なデビューが記憶に刻まれている桂綸鎂の演技派女優としての成長に目を奪われた。実際もう30歳を迎えるそうで少女の面影を残しつつも成熟した大人の色香を感じさせる。この作品で2012年の金馬奨最優秀女優賞を獲ったのもうなづける。また監督の楊雅喆(ヤン・ヤ―チェ)は『藍色夏恋』の助監督だったそうで少女のころからの彼女との長い付き合いゆえ、その魅力を巧く引き出すことができたのだろう。今後彼女の作品を追っかける楽しみが俄然広がった。

 



2014年4月25日金曜日

こんなかっこういい爺いになりたい的な・・・

 久々に観た試写がジョン・タートルトーブ監督の『ラストべガス』(5月24日角川シネマ有楽町ほか公開)。とにかく内容よりも先にメンツで観なければと思わせる豪華共演(最近多いな)。何と驚くなかれマイケル・ダグラス、ロバート・デ・ニーロ、モーガン・フリーマン、ケヴィン・クラインとくりゃ、それだけで客呼べるちゅーもんだろう。それに彼らにからむ女性キャストが『バック・トゥ~』のメアリー・スティーンバージェンというから素晴らしい。

内容は58年前のブルックリンでつるんでいた悪ガキ4人組が、老境の域に達してそれなりの問題を抱えつつそれぞれの人生を送っている。ある日そのうちのひとり、実業家として成功している風のダグラスが長年の独身生活に別れを告げて娘のような歳の差婚をするという知らせが届き、結婚式のラスベガスでバチェラー・パーティーをやらなきゃいかんだろう、ということで4人が久々に再会し、いろんな偶然が重なりひょんなことからべガスを舞台に最高におしゃれで、ゴージャスで狂乱の一夜が繰り広げられることになるというストーリー。

まあ、みんな格好いい爺いたちだからこその痛快で愛すべきばかばかしさあふれる展開なのだが、でもやはり人間ひとしくやってくる「老い」ということのなんとも言えないアイロニーや、だからこその人生の晩年を迎えつつある男たちの生きざまが胸に沁みる。
「昨日まで17歳だと思っていたら、あっという間に老人になっている。心が老いに追いつかないんだ」なんて他人事とは思えないセリフにはちょっとほろりとさせられてしまう。

でもまあ、先日観たパチーノ、ウォーケン、アーキンの『ミッドナイト・ガイズ』はじめ、最近のビッグネームたちの元気な老人もの映画は本当にハリウッドのトレンドのようになってきた感じだ。アメリカだからといっても老人問題の深刻さは日本とそれほど違いはないとは思うけど、いかに脳天気で現実からかけ離れているとはいえ、しれっと笑い飛ばせるようなメンタリティは夢を売る工場=ハリウッドというテーゼからして王道なんだろう。
日本でも旭、錠、藤竜也とかで企画してくれないかな~なんてね。

それにしてもバックでかかる昔の音楽はみんないいなあ~、なんてノスタルジーに浸って、爺いもの作品の術中にハマってしまっている自分に気づいてしまうのが、ちょっとやるせないのだが。

2014年3月12日水曜日

台湾で観た2本の映画


3月7日からマイレージ消化のためた台湾に行ってきたが今回の目的は主に台湾映画の記録的ヒットを続ける『KANO』を観るため。映画鑑賞日に決めた土曜日は前日からの雨で、多くの人が映画館に詰め掛けていたので、午後から出向いたころには夜の回までソールドアウトだった。他の映画館に出かけても同様で、いきなりその人気ぶりを実感させられた。
とりあえず空席のある深夜のシートを押さえ、空いた時間に『ウォルト・ディズニーの約束』(中文タイトル=大夢想家)を観ることにした。
 

英国の児童文学「メアリー・ポピンズ」の映画化を巡る、ディズニーと原作者パメラ・L・トラヴァースの完成までの対立を描いた作品だが、「メアリ―・ポピンズ」は子供のころの愛読書で、いまだにわが本棚に大切に保管されている。自分自身ディズニー映画の『メリー・ポピンズ』が公開されたときに味わった幻滅を鮮明に覚えているので(このときから自分の中ではタイトル表記同様別物と認識している)、エマ・トンプソン演じるトラヴァース女史の作品へのこだわりはまったく感情移入できるし、ディズニーの俗物的な作品理解に対しては怒りすら覚える。

そもそも『ウォルト・ディズニーの約束』(ジョン・リー・ハンコック監督)自体がディズニー作品だけに、その対立の軸もなんだかうまくはぐらかされ、完成披露試写の際のトラヴァースの認めたのか認めていないのかわからないような結末は致し方なかったのかもしれない。トラヴァースの作品へのこだわりも彼女の出自である少女時代のシーンに帰結しているのも、まあ映画的には効果的ではあったが本質的な違和感はポピンズフリークとしては最後まで拭えなかったし、ディズニーの単なるエンタテインメント=商業主義の中で原作の大事なエッセンスさえも勝手に書き換えてしまうことの愚かさが、やはりこいつら本質的に理解できていないのではないかと思えて仕方がなかった。
 


実際もトラヴァース女史は死ぬまでこの映画を評価しなかったと聞いているし、自分もまた愛読者としてその立場は不変であるのだが…。
ただし、だからといってこの作品がまったくつまらなかったかというとそうでもなく、トム・ハンクス、エマ・トンプソン、ポール・ジアマッティといった名優たちの渋い演技に感心させられたし、少女時代の父親への追憶に関してはほろりとさせられてしまったのも確かである。そういう意味では映画『メリー・ポピンズ』否定論者でさえも十分堪能させられる作品であったとはいえよう、悔しいけど。事実帰国後すぐに何年も手に取ることもなかった本棚の原作本をめくってみたことからも、そのことは判るというものである。

 

続いては深夜にもう一度映画館を再訪して観た『KANO』(馬志翔監督 魏徳聖制作脚本)である。1931年に初めて甲子園の土を踏んだ嘉義農林中学が準優勝するまでの道のりを描いたものだが、こちらのほうは 前評判から期待値が高すぎたこともあったせいかちょっと肩すかしをくらった感じが正直した。
日本統治時代の台湾南部の情緒あふれる時代の再現は確かに興味深くあり、この時代に思いを寄せる台湾の人々の愛憎交えた複雑な気持ちも理解できる。野球という競技を通して植民地下の人種を超えて協力し合う原初的な感動も判る。
ただ、監督初作品という馬監督のキャラクターの活かし方(特に生徒たち)をもう少し深めてもらいたかったし、まあなかなか望めないかもしれないが日本語台詞の精度を高めてほしかった。

台湾では大ヒットの反面、日本の植民地支配を美化するものだという批判も一方ではあるという。省籍矛盾も含め、この時代の評価は日本人の関知するところではないのではあるのだが、歴史の中に埋もれていた史実を掘り起こしたという試みは一応評価されられるべきではないだろうか。若い台湾の青少年たちが熱心に映画に集中していたのは、何よりもこの映画の成功した部分なのかもしれない。
 

2014年2月10日月曜日

76年へのタイムトリップ


大雪が降った翌日、残っている雪で氷の街と化した深夜に公開されたばかりの映画『ラッシュ/プライドと友情』(ロン・ハワード監督)を観に行く。
70年代のF1を舞台に、当時ライバル関係にあったニキ・ラウダとジェームス・ハントを主人公にした人間ドラマだが、当時のことを知るファンにとってはたまらない作品だった。

自分自身それほどモータースポーツファンというわけではなかったが、1976年のシーズンを描いたストーリーのクライマックスとなった富士スピードウェイの日本GPのことは結構覚えていて(当時大学生だった)、特にオイルメーカーの「elf」のロゴが大きく描かれたタイレル(当時はティレルと呼んでいなかった)のP34フォードの6輪の雄姿は強烈に覚えている。星野、長谷見、高原といった日本人ドラーバーのスポット参戦も話題になった。日本人ドライバーはさすがに無視されていたが、ジョディ・シェクターのタイレルは映画の中でも正確に再現されており、思わず「おお!」と声をあげてしまったぜ。

すでにレギュレーションも変更されている昨今の軟なF1と違って、事故死亡率20%という当時のV12エンジン搭載のF1マシーンのド迫力は、デジタルエフェクト技術の素晴らしい向上ぶりも相まって手に汗握る映像が展開し、これまたそっくりな俳優起用で堅実なラウダ×アナーキーなハントの確執がよく表現されていたと思う。アンドレッティ、フィッツバルディ、レガッツォーニ、マスとか実況でも懐かしい名前がポンポン飛び出し、久々に20代前半の気分に戻った心地よい2時間だった。

それにしてもジェームス・ハントの妻スージーの、リチャード・バートンとのスキャンダルとかはじめて知ったけど、日本のファンの間でも当時有名だったのかしら。ひとつ利口になりました。
 


2013年10月28日月曜日

今年の東京国際映画祭鑑賞作品

今年の東京映画祭、たまたま仕事も暇だったのでいつものようにアジア映画中心に10本ほど観ることができた。期間中天気も悪く、なんだか例年以上に寒々しい印象。お祭り感がまったく感じられないのは残念。今は昔だが、一時の夕張映画祭が懐かしい。
で今回の鑑賞作品だが以下の通り。

1本目はハリウッドものの『パークランド―ケネディ暗殺、真実の4日間』(ピーター・ランデズマン監督/ザック・エフロン主演)。今年はケネディ暗殺から50年、JFKの遺児キャロライン・ケネディが駐日大使に赴任するモニュメンタルな年でもあるので、日本人にとっても1963年11月22日はとても忘れがたいのだが、その22日から4日間、実際の現場はどう動いたのかというドキュメンタリータッチの歴史再現映画である。これまでにも映画製作者の多くが挑戦してきた“真犯人はだれなのか?”という謎解きはまったく無く、あくまでもその時何が起こったのかを主眼においた作品である。緊急治療にあたった病院関係者の衝撃、犯人と目されたりー・ハ―ヴェイ・オズワルドの家族の苦悩、シークレットサービスとFBI、州警察の確執と責任回避工作、狙撃の瞬間をを撮影したアマチュアカメラマン、ザプルーダの困惑、などなど当事者たちの群像劇は当時のファッションや時代背景をうまく再現してあり、なかなか見ごたえはあった。当直医としてケネディの救命治療にあたった医師役のザック・エフロンが好演。













2本目は、英豪合作『レイルウェイ 運命の旅路』(ジョナサン・デブリツキー監督/コリン・ファース主演)。第2次大戦下、泰緬鉄道敷設工事に駆り出され虐待されたある英国軍捕虜が戦後深い心の傷を受けながら生きてきたが、当時の憲兵の生存を知り彼に会い向かい合うことでついには和解に至るまでの道のりを描く。これは実話をベースにしたもので以前この主人公であるエリック・ロマックスの著書を読んだことがある。映画ではコリン・ファースに加え、二コール・キッドマン、真田広之という豪華キャストということもあって、いまひとつリアリティにかけてしまったところもあるし、旧日本軍の一方的な戦争犯罪という視点はちょっと引っかかるものがあったが、役作り以上にコリン・ファース、二コール・キッドマンの中年期を迎えた枯れぶりが魅力的。原作同様KADOKAWAが配給、納得。










3本目はワールドフォーカス部門からタイ映画の『マリー・イズ・ハッピー』(ナワポン・タムロンラタナリット監督)。卒業をまじかに控えたタイの女子高校生の揺れる心情を描いた作品。実際の400本にもわたるツイッターのの文面とともにストーリーが進むちょっと実験的な試みが面白い。主役を演じる二人の女子高校生もだが、周囲大人たちがまたなんともいえないタイ独特のペースというか、良い味を出している。                 
                                                               










4本目もワールドフォーカス部門で香港中国合作の『激戦』(ダンテ・ラム監督)。ドンパチアクションには定評のある監督が選んだ素材がリング上のバトル。聞けば香港・マカオは現在総合格闘技MMAが大人気だそうで、監督自らもファンを自認、いつか撮りたかったテーマであったという。かつて香港で八百長で追放され借金まみれの元プロボクサー(ニック・チョン)と、親の破産で無一文となった青年(エディ・ポン)がともに一攫千金と、自らの尊厳、愛する者たちのためにマカオの過酷なリングに挑戦する話。金網デスマッチの格闘シーンはド迫力で手に汗握る、名アクション監督の面目躍如といえよう。またニック・チョンと触れ合う孤独な母子との人間ドラマも泣かせる。香港、中華圏で大ヒットしたのもうなずける、これぞエンタテインメント、今回観た作品中一番面白かった一本である。













5本目からは台湾電影ルネッサンスという特集。今年は5本の新作に加え、候孝賢はじめとした台湾ニューウェーブの記念碑的作品となったオムニバス映画『坊やの人形』(83年)が上映される。その初っ端の作品として鑑賞したのが『高雄ダンサー』(何文薫/黄宇哲監督)。台湾の女流舞踊家と韓国の絵描きという二人の初監督作。早大の安藤研究室が共同制作として加わっている。ストーリーは高雄を舞台に幼馴染の男女3人のほろ苦い青春ドラマ。高雄の風景は個人的にはなかなか良かったが、いかんせんアマチュアの制作陣だけに人物設定もいまひとつでストーリーもいまひとつこなれていない。残念ながら日本でいえば自主映画の域を出ない作品に終わった感がある。













6本目は『Together 甜.秘密』(許肇任監督)。17歳の男子高校生の目を通して描く、父、母、姉のそれぞれの恋愛をシニカル、かつ温かく見守るストーリー。この作品も新人監督の撮ったものだがかつて楊徳昌ら大物監督の助監督をつとめた人で42歳にして初監督という苦労人である。そのせいか、馬志翔、李千娜といった台湾のベテラン実力派俳優も多く出演し映画に花を添えている。それはいいとして作品のほうは男女間の心の機微や人物の輪郭表現がいま一つ甘く、まあこんなもんかなというくらいの印象度。















7本目は『27℃―世界一のパン』(林正盛監督)。『浮草人生』『台北ソリチュード』と意欲作を発表してきた監督が9年ぶりにメガホンをとった作品。2011年度の世界コンクールで優勝した台湾のパン職人の一代記を描くサクセスストーリー。台湾はパンが美味くなかったのが駐在時代の記憶だったのでここ何年かの台湾のパン文化の変化にびっくり。映画自体は台湾っぽいべタな熱血青春もので、9年のブランクを少し感じてしまう出来に終わっている 。ただパンの発酵シーンなどパンが焼きあがる過程を、ここ何年か劇映画を離れドキュメンタリーを制作していたという監督らしく、リアルかつドラマチックに表現しているところはさすが。台湾のパン文化が日本と密接に関係しているのも成程と思わせられた。













8本目は『熱帯魚』『ラブゴーゴー』の鬼才・陳玉勲監督のこれまた16年ぶりの作品『総舗師―メインシェフへの道』。伝説の料理人を父に持つ少女の借金返済と老夫婦から依頼された宴席料理復活のためアイアンシェフばりのコンクールに挑む話。台湾中華料理を題材にしたコメディだが、仕掛けはなかなか大掛かりで笑いのツボも抑えているものの、以前の作品であったようなペーソスや風刺は感ぜられず単なるドタバタに終始したのはちょっと残念。やはりこちらもブランクが長すぎたのかしら。















9本目は3年前の本映画祭で『4枚目の似顔絵』で衝撃を与えた鐘孟宏監督の新作『失魂』。二重人格障害で他人となってしまい、新たな人格が凶暴なサイコパスに変わってしまった息子と、霧深い山林の山小屋で向かい合う老父。血しぶき舞うサイコホラー作品であるが、最大の話題は70年代の香港のアクション大スター、王羽(ジミー・ウォング)の主演。しかも難しい心理描写が要求される老人の役を見事に演じていて、今年の台北電影節の最優秀男優賞に輝いたという。霧がかかる山深き景色は不気味かつ美しいカメラワークで描かれ、見ごたえある作品であった。いま一つの作品が多かった今回の特集の中では唯一異彩を放っていたといえよう。













そして10本目の鑑賞作品となったのが1983年制作の『坊やの人形』。台湾の人気作家黄春明の短編小説を呉念眞が脚本におこし、「坊やの人形」(候孝賢)「シャオチの帽子」(曽壮祥)「リンゴの味」(萬仁)の三監督によるオムニバス。60年代台湾の庶民たちの日々懸命に生きる姿を描いたもの。DVDで何回か観たし、「リンゴの味」は小説も読んでいたが、改めてスクリーンで観て、60年代台湾社会の風景に(80年代に撮ったものの)心打たれる。今回の映画祭での台湾の出品作の中で、この30年前の作品がやはり秀逸なのは、この作品の素晴らしさを物語るとともに現在の台湾映画界の低迷を(『海角七號』などの興行的な大ヒットはあるが)指示している感じがして残念。しょぼい(国際)映画祭の中でもこれまで楽しみにしていた台湾映画だけに、来年に期待するとしよう。

2013年9月24日火曜日

終わっていない戦火の記憶

今週がラストウィークということもあって、あわてて新宿シネマカリテでかかっているドキュメンタリー映画『メキシカン・スーツケース』を観に行ってきた。

この映画は70年という長い年月を経て、ロバート・キャパ、ゲルダ・タロー、デヴィッド・シーモアが撮りだめたスペイン内戦を記録した貴重なネガフィルムが奇跡的にメキシコの地で発見されたこrとを主題に置いた作品である。が、その発見された事実だけではなく、メキシコに亡命した多くの共和派スペイン人たちの当事者、係累が今なお心の傷跡を抱いたまま暮らしている、その様子を取材し、多くのインタビューからスペイン戦争とはなんであったのか歴史の掘り起こしに焦点を当てたものとなっている。

当時の共和国政府を承認したのはソ連とメキシコの2カ国だけだったというところから多くのスペイン人亡命者がメキシコで望郷の念を募らせながら今日まで暮らしている事実をどれだけの人が知っていただろうか。
沢木耕太郎の「キャパの十字架」などで再びスペイン内戦のことが最近取り上げだされた中、決してこの戦いが過去のものではなく、現在に至るまでリアルな問題として終わっていないことをこの映画で改めて認識させられた気がする。
人民戦線、反ファシズム、国際旅団...ともすれば現代史のロマンチシズムあふれる神話に彩られながら語られることが多いスペインの内戦が、実は当事者にとって今も進行形の悲劇であることを思い知らされるのだ。
久々に姿勢を正しつつ観た硬派のドキュメンタリーである。

2013年9月22日日曜日

44年ぶりのドクトルジバゴ


週末会社を抜け出して神保町シアターで『ドクトルジバゴ』(1965 デイヴィッド・リーン監督)を観に行った。
『ドクトルジバゴ』は公開時はまだ小学生だったが、親が劇場パンフレットを買ってきていたのを覚えている(高校生ぐらいまで保存していたが…)。その後中学生だった1969年に新宿武蔵野館でリバイバル上映されたときに、満員の劇場通路に座り込んで観た。世相はまさに70年安保闘争で騒然としていたころ、ロシア革命を描いた壮大な歴史物語は時代の熱気にあいまって多くの観客を集めていたのだろう。「英語をしゃべるハリウッド製の革命映画なんて」などという皮肉も誰かから聞いた。それでも大画面に繰り広げられた革命と恋の物語に酔いしれた。

 
その後、テレビ放映された際のVHSをことあるごとに観ることもあったが、しばらくの間忘れてしまっていた。それが普段は日本映画の旧作を中心にした映画館神保町シアターで、「思い出の洋画特集」ということでフィルム上映されるという情報に、居てもたってもいられなくなり最終日に滑り込んだ次第。聞けば神保町シアターは劇場上映権が切れていた同作を含む何本か新たに権利保持社と契約を結びなおしたというから凄い。取材でお会いしたこともあるが同館の支配人はじめスタッフの情熱にあらためて感じ入った。確かにタトルエンドにTARNER ENTERTAINMENTのクレジットが追加されていたので、新しいプリントを仕入れたのかもしれない。

作品は前奏、インターミッション含むほぼ3時間全編、44年を経過していたがほぼ記憶に鮮やかに残っていたし、ユーリーとラーラの別れのシーンはロマンチックなバラライカの旋律が美しいモーリス・ジャール“ラーラのテーマ”とともに実に良かった。やはりこの時代の超大作はスクリーンで見るに限る。


2013年8月19日月曜日

終戦のエンペラーの物足りなさ

 
まあ、ドキュメンタリーじゃないので、あまり目くじら立てても仕方ないけど、さも現代史の知られざる真実的な宣伝をされると、鼻白んでしまう。というかたとえ極東の片隅の歴史に無知な米国人ならともかく、ある程度の教育を受けた日本人なら誰しも知っていることばかりじゃないの。
映画『終戦のエンペラー』(ピーター・ウェーバー監督)を期待半分で見に行ったのだが、やはりまあこんなもんだろうという感想だった。

期待していたのはハリウッド的な撮影による焦土東京の再現、もしくはGHQ本部となった第一生命ビルや荻外荘(近衛邸)、厚木飛行場といったセットがどう組まれているのかということ。焼け跡時代を舞台にする映画はとかくセットに金がかかると聞いたことがあるので、邦画に比べて製作費的には潤沢であろうハリウッドのスケール感みたいなものには興味があった。当然SFXを多用しての1945年の東京を映しだしたわけだが、確かにこんなかんじだったのだろうかというイメージ作りにはある程度成功だったのかもしれない。またプロデューサーの奈良橋陽子さんの存在が大きかったのだろうが、現在の米国人が日本の占領時代に目を向けること自体が珍しいし、その時代の自国の評価をめぐっては、ニューディーラーたちの実験とその後の右旋回をたどる複雑な政治潮流を思えば、必ずしも制作するには面白い時代でもなかったかもしれない。

本国の公開時の反応を読むと、野心的な取り組みという評価とともに、侵略国の罪状を描かず日本に対して同情的すぎるという論評も当然のように起きたそうであるが、近衛文麿にアジアの侵略は近代の欧米に学んだと言わせたりするあたりに、奈良橋さんの気概も感じられる。泥縄式だった報復としての戦犯狩りへの疑問も盛り込まれたあたりは、まったく正義の味方という米国の価値観一辺倒ではない表現に好感はもてた。

でも、やっぱり全く架空のロマンスを話のメインに置くのもなあ・・・、ましてや主人公のボナー・フェラーズ准将が恋人の身を案じて爆撃目標を操作したなんてありえない設定はいかがなものだろうか?しかもフェラーズはじめ天皇を戦犯指定にせずに占領政策を円滑に進める施策に当たっては、戦後日本を共産主義の浸透に抗するのを一義にしてのイデオローグであったわけで、あたかもフェラーズが恋人も日本人で親日的な人だったからなどという表層的な描き方はちょっと納得しかねる。
外交官だった寺崎英成やクエーカー教徒の河井道さんなどの個人的人脈はあったものの、バターンボーイズのフェラーズが対日戦略上の知日派であったとしても必ずしも“愛する日本”のために奔走したわけではあるまい。
だとするならば、戦後の日本を民主主義の理想の実験場にすべく憲法草案や財閥解体をはじめ、明治以来の日本の旧弊に敢然と立ち向かい、その後赤狩りの前にパージされることになったニューディーラーたちの業績へもっと光を当ててほしい。ましてや、憲法改正が声高に語られるようになった現在ではなおさらである。
しかしいつになく映画館も中高年の観客も目立ち、そこそこ動員されているのはなぜなんだろう。中国韓国の歴史認識批判にうんざりする昨今の日本人のいらいらの反動というわけでもないと思うが。
配役的にはトミー・リー・ジョーンズのマッカーサーもなかなか雰囲気はあった。日本側では 近衛役の中村雅俊もよかったが、枢密顧問官・関屋貞三郎役の故夏八木勲の演技はみもの。奈良橋さんは関谷顧問官のお孫さんだけあって、フェラーズが宮中に会いに行くくだりはなかなか迫力をもって描かれているのは、この映画の見どころの一つ。

2013年8月12日月曜日

「椿姫」をスタッフ気分で楽しむ

今年は作曲家ジュゼッペ・ヴェルディ生誕200年のメモリアルイヤーなんだそうである。
という予備知識があったわけではないが、猛暑から逃れる目的もあって久々に試写に出向いた。
ヴェルディメモリアルイヤー企画なのだろう、2011年の南仏エクサン・プロヴァンス音楽祭でのオペラ「椿姫」の制作過程を追ったドキュメンタリー映画『椿姫ができるまで』(フィリップ・べジア監督)を鑑賞。

 全編ヴェルディ作『椿姫」のリハーサル風景を克明に記録していくのだが、気鋭の演出家のジャン=フランソワ・シヴァディエの独創的な演出に対して、ヴィオレッタ役の世界最高峰の呼び声高いナタリー・デセイが、その表現に対する要求を自分のものとしてどんどんと形作られていく工程はたんなる記録映像にとどまらない劇的な面白さがある。

ルイ・ラングレ率いるロンドン交響楽団の楽団員や、もちろん出演陣もだがTシャツやポロシャツやらの普段着である。ところがリハとはいえ本格的に演じ、奏でているわけで実際に現場の舞台裏に立ち会って、あたかも自分が制作スタッフの一員になっているような錯覚に陥る。ナタリー・デセイの素晴らしき美声(!)を公演に先立って堪能できるのも、なんだか得したような気分になるから不思議である。

オペラにさほど造詣が深くなくても人間ドラマとしても十分に楽しめる作品だ。
9月28日からシアターイメージフォーラムにてロードショー。

2013年5月17日金曜日

弦楽四重奏で奏でる人生の機微


本日の業務試写は『25年目の弦楽四重奏』(ヤーロン・ジルバーマン監督)。 
結成25周年を迎えた世界的に有名な弦楽四重奏団<フーガ>のチェリストが、不治の病を宣告され引退を決意することから、それまで完璧なハーモニーが保たれていたメンバーの間に亀裂が入りだす・・・。芸術と個人生活、愛情と裏切り、人生の輝きと翳り。ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番にのせて奏でるちょっとほろ苦い人間ドラマである。主役の4人はクリストファー・ウォーケンをはじめフィリップ・シーモア・ホフマン、キャサリン・キーナー、マーク・イヴァニールと実力派ぞろい。それぞれが直面する人生の不協和音と再生への試みを緊張感あふれる演技で見事なアンサンブルを奏でてくれる。
最近見たトランティニャンやテレンス・スタンプ同様にウォーケンの<老い>の演技がなかなか良かった。クラシック音楽ファンもクラシックに疎い人も、おそらく見終わった後に生きる喜びと哀しみに思いを巡らし、しみじみしてしまうはず。

7
月6日より角川シネマ有楽町他ロードショー。

2013年5月8日水曜日

久々の韓国映画






本日の業務試写はパク・シフ主演の韓国映画『殺人の告白』(チョン・ビョンギル監督)。
韓国映画は詳しくないが最終試写とはいえいつになく混んでいたので、期待度が高い作品なのだろうか?はたまた韓流ドラマで人気上昇中というパク・シフ主演ということだからだろうか?


15年前の連続女性殺人事件が時効を迎え、自分が犯人だと名乗り出た美貌の青年。彼は事件の真相を描いた告白本を出版しベストセラーとなるが、主任捜査官だった刑事は彼が犯人であるということに確信が持てない。事件の遺族たちは恨みを晴らすためこの青年の誘拐を図る。そんな折、テレビの公開番組を通してJという真犯人が名乗りでた。いったいどちらが本当の犯人なのか?

話が二転三転とスピーディーに展開する手が込んだ脚本に加え派手なカーチェイスなどアクションもダイナミック。主演のパク・シフも好演だが、はみ出し刑事役のチョン・ジョエン、真犯人Jを演じるチョン・ヘギュンという無名の役者がなかなかいい味を出し光っていた。でも、アジアの映画によくあるのだが、この作品でもせっかくシリアスに面白く描けているのにサービス過剰の映像の遊びを入れ込むことで、緊張感を削いでしまうのはいただけない。遺族たちもキャラが立ちすぎて逆に存在感が中途半端になってしまう。監督はこれが2作目という新鋭だけに今後に期待かな。

6月1日よりシネマート新宿、シネマート六本木ほか公開。

2013年5月7日火曜日

40~50年代初頭のLAは魅惑的だが

GW最終日は地元のシネコンに『LAギャングストーリー』(ルーベン・フライシャー監督)を観にいく。40~50年代のロスの闇社会を仕切っていたミッキー・コーエンに対して、ロス市警が秘密裏に組織した超法規的な手段を辞さない特別チームが死闘を繰り広げるクライムムービーである。

ミッキー・コーエンはハリウッドのおひざもとのヤクザもんだっただけに、よく映画や小説に登場する。実際にラスベガスの顔役だったベンジャミン“バグジー”シーゲルの弟分だったし、手下のジョニー・ストンパナートが人気女優のラナ・ターナーの愛人で、ジョニーはラナの娘に殺されるという大スキャンダルを起こしたりで、ド派手でセレブのコーエンはこの時代の裏社会を代表する存在として、実際の評価以上に悪のスーパーキャラとして取り上げられることが多いのである。この映画ではショーン・ペンが悪虐非道のモンスターのようなキレキャラを演じ、『アンタッチャブル』でカポネを演じたデ・ニーロ並みのアプローチで熱演している。

さまざまな組織犯罪で集めた金で、判事や警察官まで買収してしまうミッキー・コーエンの組織をつぶすには、半端なことでは勤まらない。ということで腕っこきの捜査官が選ばれ秘密裏にチームを組んで、時にはギャングのお株を奪う違法な手段で彼らを追い詰めていく。
実話を元にとしているものの、そこは娯楽作品だけにアクションまたアクションのどんぱちシーンが展開する。

それはそれで、黒澤の『七人の侍』やスタージェスの『荒野の七人』的な正義のために、組織からはみ出したものたちが、巨悪と対決するというプロットは面白く見れるし、ライアン・ゴスリングのばっちりソフト帽やスーツで決めたファッションは格好良いし、なによりも40年代、50年代というノスタルジックな時代の雰囲気の再現はたまらない魅力を感じる。
ただ、あまりにも単純明快な善悪の激突で、時代のバックグラウンドにひそむ社会問題や、登場人物たちのひきずっているものがまったく見えてこないのだ。よってドラマの深みの無さはいかんともしがたい。せっかく捜査官たちは戦争帰りという設定なのに、その体験を自らに内包する苦悩のようなものをもっと盛り込めばよかったのにと思う。

久々に大掛かりで大物スターも起用していて期待度が高かっただけに、ちょっとがっかり。あらためて『仁義なき戦い』など故笠原和夫氏の手がけた人間ドラマとしてのアウトロー映画のレベルの高さを再認識したような次第。

まあ、映画は楽しけりゃそれはそれでいいんだけどね。





2013年5月5日日曜日

セデック・バレを観て文明とは何かを考える




連休の時間を利用して、1930年(昭和5年)、日本植民地下の台湾霧社で起こった原住民の抗日武装闘争を描いた映画『セデック・バレ』を鑑賞。日本人警官の積み重なる横暴に霧社セデック族マへボ社の頭目モーナ・ルダオ率いる抗日原住民300名が蜂起、公学校(小学校)の運動会に集まった日本人住民を襲撃134人が惨殺される霧社事件発生までを描いた第1部「太陽旗」。その後この反乱を平定するために近代兵器を大量投入し反攻する日本軍にゲリラ戦を展開し、悲惨な結末を迎えるまでを描く第2部「虹の橋」。あわせて4時間36分という超大作である。
とにかく全編スプラッター映画並の出草(首狩)シーンの連続で壮絶な戦いがこれでもかと描かれていて、見終わった後はぐったり脱力してしまった。
監督脚本は『海角七号』のヒットメーカー魏徳聖。一昨年の台湾公開では、衝撃的な内容が話題を呼び大ヒット。その年の金馬奨でグランプリ含め6部門受賞した。


まあ、“悪虐非道”な日本人が次から次に殺される映画であるゆえ仕方ないのだが、日本人としてはなかなか気分は複雑ではある。『海角七号』で親日的なノスタルジーを描いた監督の作品だけにショックを受ける人も多かったのではないだろうか。日本統治下の抗日武装蜂起ということで、なにかと政治的な色眼鏡で見られがちではあるが、監督自身は「文明と野生の闘争」として描きたかったと語っていたようだ。台湾の中部山岳地帯の美しい自然と、太古よりそこに暮らしてきた人々の素朴な伝統。そこに轟然と入り込んでくる近代。文明の恩恵とは何なのか、それが魏徳聖の問いかけの本質なのかもしれない。
しかしながらこの事件以降皇民化教育を進め、太平洋戦争時には原住民たちを高砂義勇挺身隊として南方の激戦地に送り込み、多くの犠牲を強いた歴史を考えるならば、その端緒となった理蕃政策へ抗議する原住民の立場と、戦後補償もあいまいなままほったらかしにしてきた日本人の道義的な責任は免れない。その意味を深く考えさせられてしまった。


霧社には台湾駐在時代に訪問し、モーナ・ルーダオと顕彰碑を観て来たが、国民党政府の抗日義士化へのプロパガンダ的な作為を感じ嫌な感じを受けた。それに比べると映画の中でわが同胞が大量に惨殺されるシーンが満載のこの映画表現のほうが、歴史を冷静に検証しようという若い台湾の世代の姿勢が感じられ好感が持てた。歴史を学ぶということは韓国や中国が言うところの日本に対する戦争責任への「恨」にもとづく感情的な論陣ではなく、事実をいかに判断していくかという姿勢にこそ反省も,将来への道筋も見えてくるということに他ならないのだと思う。




霧社事件の記念碑