2014年3月12日水曜日

台湾で観た2本の映画


3月7日からマイレージ消化のためた台湾に行ってきたが今回の目的は主に台湾映画の記録的ヒットを続ける『KANO』を観るため。映画鑑賞日に決めた土曜日は前日からの雨で、多くの人が映画館に詰め掛けていたので、午後から出向いたころには夜の回までソールドアウトだった。他の映画館に出かけても同様で、いきなりその人気ぶりを実感させられた。
とりあえず空席のある深夜のシートを押さえ、空いた時間に『ウォルト・ディズニーの約束』(中文タイトル=大夢想家)を観ることにした。
 

英国の児童文学「メアリー・ポピンズ」の映画化を巡る、ディズニーと原作者パメラ・L・トラヴァースの完成までの対立を描いた作品だが、「メアリ―・ポピンズ」は子供のころの愛読書で、いまだにわが本棚に大切に保管されている。自分自身ディズニー映画の『メリー・ポピンズ』が公開されたときに味わった幻滅を鮮明に覚えているので(このときから自分の中ではタイトル表記同様別物と認識している)、エマ・トンプソン演じるトラヴァース女史の作品へのこだわりはまったく感情移入できるし、ディズニーの俗物的な作品理解に対しては怒りすら覚える。

そもそも『ウォルト・ディズニーの約束』(ジョン・リー・ハンコック監督)自体がディズニー作品だけに、その対立の軸もなんだかうまくはぐらかされ、完成披露試写の際のトラヴァースの認めたのか認めていないのかわからないような結末は致し方なかったのかもしれない。トラヴァースの作品へのこだわりも彼女の出自である少女時代のシーンに帰結しているのも、まあ映画的には効果的ではあったが本質的な違和感はポピンズフリークとしては最後まで拭えなかったし、ディズニーの単なるエンタテインメント=商業主義の中で原作の大事なエッセンスさえも勝手に書き換えてしまうことの愚かさが、やはりこいつら本質的に理解できていないのではないかと思えて仕方がなかった。
 


実際もトラヴァース女史は死ぬまでこの映画を評価しなかったと聞いているし、自分もまた愛読者としてその立場は不変であるのだが…。
ただし、だからといってこの作品がまったくつまらなかったかというとそうでもなく、トム・ハンクス、エマ・トンプソン、ポール・ジアマッティといった名優たちの渋い演技に感心させられたし、少女時代の父親への追憶に関してはほろりとさせられてしまったのも確かである。そういう意味では映画『メリー・ポピンズ』否定論者でさえも十分堪能させられる作品であったとはいえよう、悔しいけど。事実帰国後すぐに何年も手に取ることもなかった本棚の原作本をめくってみたことからも、そのことは判るというものである。

 

続いては深夜にもう一度映画館を再訪して観た『KANO』(馬志翔監督 魏徳聖制作脚本)である。1931年に初めて甲子園の土を踏んだ嘉義農林中学が準優勝するまでの道のりを描いたものだが、こちらのほうは 前評判から期待値が高すぎたこともあったせいかちょっと肩すかしをくらった感じが正直した。
日本統治時代の台湾南部の情緒あふれる時代の再現は確かに興味深くあり、この時代に思いを寄せる台湾の人々の愛憎交えた複雑な気持ちも理解できる。野球という競技を通して植民地下の人種を超えて協力し合う原初的な感動も判る。
ただ、監督初作品という馬監督のキャラクターの活かし方(特に生徒たち)をもう少し深めてもらいたかったし、まあなかなか望めないかもしれないが日本語台詞の精度を高めてほしかった。

台湾では大ヒットの反面、日本の植民地支配を美化するものだという批判も一方ではあるという。省籍矛盾も含め、この時代の評価は日本人の関知するところではないのではあるのだが、歴史の中に埋もれていた史実を掘り起こしたという試みは一応評価されられるべきではないだろうか。若い台湾の青少年たちが熱心に映画に集中していたのは、何よりもこの映画の成功した部分なのかもしれない。
 

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