2009年12月31日木曜日

週間呑みアルキスト12.14~12.31


●12月14日
友人のHT氏、前週の忘れたマフラーを取りに再訪。無事ピックアップした後は神保町の女性スタッフでまかなう沖縄風ダイニング『東京アチコーコー』へ。ワインを軽くあけた後に、お決まりの『明治屋2nd』へハシゴ。

●12月15日
肩の負傷のリハビリ中のKJ氏が顔を出す。神保町東京パークタワーの蕎麦屋『柳屋』で軽く一杯。ここはむしろKJ氏が最近まで勤めていたKS社の御用達で、KJ氏もお店のスタッフと親しげに挨拶している。そのKS社も来年早々に神田錦町から虎ノ門へと引っ越すそうで、割とKS者の連中とは界隈の飲食店でよく遭遇していただけにちょっと寂しくなりそうだ。軽くですまないKJ氏だけにバー『クラインブルー』に河岸を変えるが、まだまだ本調子ではないのだろう終電前に解散。

●12月16日
デザイン会社MM社のOG社長と女性スタッフ2名にT出版O社長を加えて忘年会。場所はフジテレビが引っ越して以来閑散とした感がある曙橋は住吉町の『Dining&Bar ONE』というお店。急な螺旋階段の2階にあるこじんまりしたレストランだが、通りに比してお店は盛況。ランチ時には行列ができるというだけあって、料理は手が込んだフレンチ&イタリアン、ワインもリーズナブルな価格帯でなかなかのパフォーマンス。厚岸の生牡蠣は超美味で、一度ノロウィルスの洗礼を受けただけにちょっと心配だったがええいままよとあっというまに殻の山を築いてしまう。

●12月18日
旧K社つながりで現在はそれぞれ独立している面々で忘年会。お店の選択を任されたため地の利を生かさせてもらい神保町のわが社の隣にオープンしたばかりの焼き鳥屋『ぼんちゃん』で開催。シーズンど真ん中の金曜日で予約がとりにくい日ではあったが、ここは開店したてでいつもかわいそうなくらい空いていた。案の定うまく7名でOKになったが、さすがにこの日だけはいつになく混んでいて、3人のスタッフはてんてこ舞い。焼き鳥自体はとってもおいしくコース料理もコストパフォーマンスがよいので結構高評価、これで何ではやらないか不思議だ。認知不足?店の構えが高そうに見える?そもそも飲み屋には不向きな場所柄ということなのか?水商売も難しいものだ。会のほうも厳しき時節の折もあって愚痴のこぼしあいになるかと思ったが、それはそれで楽しく終了、皆さん来年も頑張りましょう。

●12月21日
わが社の向かいのデザイン会社SB社で、恒例となった社内忘年パーティーに参加。事務所内パーティーとはいえ料理は乾き物にあらず、特別に『明治屋2nd』に発注した大皿プレートが並び、シャンパンもワインも何でもござれで結構ゴージャスな会である。いつもの仲間に加え今年はSB社が装丁した本の著者の織物作家・龍村光峯先生のゲスト参加もあって椅子が足らなくなるほどの盛況ぶり。こういう手作りの忘年会もなかなかいいものだ。わが社の5周年でも是非と思うが、後片付けがちょっと大変かな?

●12月25日
帰りがけ新宿2丁目の『T's Bar』に今年の行き収めと思い立ち寄る。常連の元気なオジサマW氏の与太話に耳を傾けながら軽く呑んで帰る。


●12月26日
いきつけの『明治屋2nd』はこの日が最終営業日で、常連さん貸切の忘年会。この日の料理はいつものMZママさんの手料理だけでなく近隣の飲食店から届いたプレートがずらりと並ぶ。『エスペリア』のパスタ料理、『いもや』のとんかつ、『蘭奢待』の焼き鳥、なかなか珍しい『ラーメン二郎』の特製やきそばなどてんこもり。これもマスターご夫妻のお人柄ということもあるのだろう。今年も毎日のようにお世話になりました。

●12月27日
学生時代の友人ED氏から忘年会のお誘い。ED氏行きつけのスナック『洒落人』の女性スタッフたち3名とやはり学生時代の友人で現在D大学で教鞭をとるST教授を交えて中年男3人との合コンとあいなる。場所は渋谷は東急プラザ裏の割烹『むつみ湊』。ED氏いわく“茨城の本場よりうまい”絶品のあんこう鍋に舌鼓を打つ。最後の雑炊を何杯もおかわりし一粒残らず平らげたあとに道玄坂のカラオケBOX『カラNET24』に場所を移し大騒ぎ。一年の鬱積を晴らす。

●12月30日
今年最後の呑みアルキは西武池袋線沿線に住んでいる元K誌のKN編集長と地元での忘年呑み会。KN氏の地元ひばりが丘でどこかいいところないのということで連れて行ってもらったのが焼肉『千里』。予約なしには入れないということで何とか予約を入れてもらったのだが、確かにこの年の瀬も押し迫ったのに超満員の人気ぶり。本当にカルビはじめ肉はどれも分厚くしかもジューシー、特にタン塩は絶品。またここにおいてあるマッコリがイイ。福島白河の『虎』マッコリという日本製のものだが口当たりもよく特有の甘ったるさもない。店には済州島産のものもあるが朝鮮系と思しきお女将さんですら“これ呑んだらほかの呑めないわよ”と言うだけのことはある。牛の肉をくらいつつ阪神ファンのKN氏と虎を飲む。なんだか干支の交代にちなんだようでもある。食事後バー『ブラウニーストーン』で軽く打ち上げ。今年も良く呑みアルキました。

2009年12月26日土曜日

中国企業のボルボなんて


ハマーに続きボルボも中国の企業(吉利汽車)のものになってしまったニュースには感慨深いものがある。
最近はすっかり車の運転をすることがなくなったが、かつてはエンスーだったし10年前まではなにあろうボルボ車のオーナーでもあったからだ。

所有していたのはアマゾンの愛称で知られる120シリーズの1967年型の122Sで、買ったときは1988年だったからすでに20年落ちで走行距離不明(おそらくは20万キロははるかに超えていた)という代物で、カーステはもとよりエアコンすらなく、バッテリー上がりはしょっちゅう、有鉛のハイオクを入れないとすこぶる機嫌が悪く(こんなガソリンを置いているスタンドはごくわずかだった)、ブレーキオイルが漏れたり、ベアリングを包むゴムが裂けたり、雨の日はいずこから水が漏れ床は水浸しというようなアンビリーバブルなトラブルに見舞われ続けた車だった。

それでも、40~50年代のモータリゼーションの雰囲気を持つフォルムや、スウェーデン鋼を使った頑丈で重厚かつヨーロッパのテイストが好きで、手はかかったが丹念にレストアしだすと、思ったよりも高速走行も可能で居住性もよく伊豆や軽井沢あたりまでよく遠出したものだ。上段の写真は、某雑誌の広告企画に“モデル”として使用されたわが愛車の在りし日の勇姿である。
苦労しながらもその後10数年乗り続けたが、海外赴任の際に泣く泣く手放さざるをえなかった、今でも惜しいことをしたと思う。


特に驚かされたのは本国のボルボ社の企業マインドで、発売30年近くを経てもなお純正のパーツを供給してくれたし(基本60年は対応するとのこと)、英文のスペック集をFAXしてくれたり、自分たちの生んだ製品に対する誇りと愛情を感じ取れたものだ。

ボルボはスウェーデンのコングロマリットで航空宇宙産業まで包括している。90年代に業績不振で乗用車の部門だけ米国のフォードに売却し、ボルボ・カーズとしてブランドをシェアしていたが、その後も業績不振の歯止めがかからず今回の中国企業へ転売される形になった。箱型のスタイリングにマンネリ感があったのか日本車や他の欧州車との競争に追いつけなかったのか、一説によるとベルトコンベアの工程を拒否し数人のグループで組み立てる職人気質のためコスト的に高級車製造以外の商品ラインアップができなかったという説もあるが、そもそも職人気質など皆無のアメ車のメーカーに売ってしまったのが問題だといいたい。同様にスウェーデンのもうひとつのブランド・サーブはGMに売却され、GMはオランダ企業に転売しようとして失敗、サーブはこれによって消滅の危機にさらされている(サーブ本社自体は軍事用航空機メーカーで健在だが)のでもわかろうというものだ。

欧米でも業績不振が解消できなかったのに国際的には新参の中国企業がどこまで経営策を打ち出せるのかという疑問もあるようだが、中華圏では意外とボルボの人気は高く、台湾でもベンツに次ぐセカンドクラスの高級車として位置づけられていたので、フォードよりは販売環境はまだマシかもしれない。
でもパクリーランドやネットで体制批判したら懲役11年食らうような国だ(これは関係ないか)、事実、吉利汽車だってロゴはBMWのパクリ、生産している車もアルファもどきやベンツもどきというトンデモ車をモーターショーに出品する悪名高きメーカーである(だからこそ本物の知的所有権が欲しかったのかもしれないが)、パーツを60年も保存するようなメンタリティがどこまで理解されるのか、ちょっと絶望的な気分である。

環境問題もあって自動車そのものの基本的な構造変化の前で、過去を懐かしんでも仕方がないかもしれないし所詮車も経年すれば消えていく運命にあるものかもしれないが、20世紀の文明の一端を担った文化と、その歴史のなかで培われた技術者たちの匠と技の伝統が消えてしまうのはなんとも寂しい気がしてならない。

いずれまた古いアマゾンを手に入れて、どこかの田舎に引っ込んで日夜愛情を注いでメンテナンスする、なんていう夢もいまだに捨てきれてはいないのだが。

2009年12月20日日曜日

スプレンディッドな夜


クラブワールドカップという呼称はどうもなじめない。FIFAがいくら大陸間のチャンピオン集めましたといっても、結局は欧州対南米でしかない。
昨夜の深夜の150分間。今年から東京からUAEに舞台を移し1週間にわたり繰り広げられてきた大陸間同士のトーナメント戦とはまったく別物の時間がそこにあった。

バルセロナ2-1エストゥディアンテス。世界中のフットボールプレイヤーの最高峰、彼らが全選手生活を賭して手に入れることを夢見るインターコンチネンタルカップ(トヨタカップではない!)は、延長の激闘の末、大会史上初めてバルセロナの手に渡った。
それも89分までは、ほぼエストゥディアンテスの掌中にあったのにである。

試合は圧倒的に攻めつつも、前半カウンター一発で唯一のチャンスを与えてやられたまま守りきられ、バルサは三度屈辱に沈むかと思われていた残り1分で追いついた。失意と疲労に沈むエストゥディアンテスはなおも渾身の力を振り絞り残された30分間を耐え抜こうとするものの、延長後半、バロンドールに輝くメッシの胸に当てて気迫で押し込んだ劇的なゴールで劇的な勝利を収めた。
美しく勝利せよ!バルサのこの日の勝ち方はかれらが身上とするテーゼとは程遠い泥臭い激闘だったが、こんなドラマティックな勝ち方ができるのもバルサだからに他ならない。

トヨタカップ(クラブワールドカップ)がFIFAの戦略上、2年間とはいえ他国の地に行ってしまい失ってしまった大きさを、この試合だけであらためて感じる。
日本のチームが彼らの域に達するのは、いくらワールドカップで世界を驚かせようが(まだだけど)あと何十年かかっても無理な話ではあろうが、たとえ彼らの彩を与えるだけの存在だとしても来年こそはACLを勝ち抜いて、せめて、せめてこのファンタジックな世界の一端にでも身を置いて欲しい。

2009年12月19日土曜日

“ジェニファー”の肖像


映画『慕情』の女優ジェニファー・ジョーンズが17日、老衰のため死去。享年90歳。


香港に行くたびに、“Love is many splended things”の甘い旋律がいまだに口をついて出てくる。
まだホテルだったころのレパルスベイに行った時は感動したなあ。


『聖処女』『白昼の決闘』『ジェニーの肖像』そして『終着駅』。
セルズニックと結婚して、その後早く引退したので作品数は多くないけど、映画史に残る業績を残したと思う。

なんとも美しい人でした。

2009年12月17日木曜日

天晴れかな景子たん


久々に日本映画のマスコミ試写に出向く。作品は友人が製作者に加わっている東映配給の時代劇『花のあと』(3月13日公開)。彼にとっては『山桜』『青い鳥』に続く三本目のプロデュース作品で『山桜』同様藤沢周平の原作ものである。監督には『青い鳥』でメジャーデビューした中西健二を起用、三本とも企画を担当する小滝祥平プロデューサーが『山桜』で庄内の素晴らしいロケーションにひかれ再び藤沢ワールドに挑んだということのようだ。

キャストは主人公の以登役に北川景子。熊川バレエの第一人者で役者としても売出し中の、なんと北川景子の現在のカレシ(お泊り愛がすっぱ抜かれたとか)という噂もある宮尾俊太郎が相手役。お二人とも時代劇は初である。また市川亀治郎、甲本雅浩、國村隼、柄本明といった渋い面々が脇を固めている。
意外と豪華なキャストではあるが、まあなんといっても北川景子にはじまり北川景子に終わるシャシンでありました。女性にありながら剣の達人という役どころで殺陣とかスタンド入れなくても大丈夫なのかいなと思っていたがなかなかどうして様になっている。プレスシートを見ると結構ハードに稽古を重ねたようで動きもピタッときまって大した美少女剣士ぶり。武家のお女中としてしゃなりしゃなりと歩く着物姿のセリフ回しの方が逆に危なっかしいくらいである(笑)。
宮尾や亀治郎と仕合うシーンでハアハア息が上がり髪を乱しながら睨みつける表情に思わずモエ~、天晴れかな景子タン。とすっかりアニオタ気分になってしまいました。

物語自体は舞台となった海坂藩の庄内ロケの美しい自然はあるものの、藤沢ワールドの微妙な機微や心象描くにはちょっと物足りなさを感じてしまう。原作とは違って(顔にちょっとコンプレックスがある設定)景子たんも美丈夫すぎるし、なんだかお女中姿もバタ臭い感じがして違和感があるけど、まあいいでしょう。キリリとした少女剣士のコスプレ(失敬!)だけでも一見の価値ありだ。

個人的には亀治郎の浮気相手役で出ている伊藤歩ちゃんの方も、まったく色気は感じられないが意外と時代劇向きなんだなという発見もあり、まあ満足。
ヒットはなかなか難しいしいと思うが、映画はそんなに儲からないねと嘆く友人には、頑張って今後もいろいろ企画を続けて下さいなとエールを送っておきたい。

2009年12月15日火曜日

週間呑みアルキスト11.30~12.13


●12月3日
元KS社KJ氏来社。会社の近所のイタリア居酒屋『ピアンタ』で食事、量り売りのワインを軽くボトルで消化してしまう。KJ氏は肩を骨折して以来リハビリの日々とはいえ、徐々に本来のペースを取り戻しつつあるようだ。結局呑み足らずに『明治屋2nd』へ。

●12月4日
新宿に所用があったため、久々に2丁目の『T's Bar』を覗く。比較的早い時間だったが珍しく(失礼)ほぼ満席の盛況ぶり。フリの団体さんが2組入ってきたんですよとTマスターはせわしく切り盛りしながらちょっと嬉しそう。そういえば師走最初の週末で結構通りにも人通りが多いようだ。忘年会の季節がそろそろ始まったのだろうか。

●12月7日
T出版O社長とSB社のAkiさん、ST嬢と火鍋を囲む会。水道橋の西安料理『鐘楼』で赤白ツートンのおなじみのスープの鍋をつつく。もともと辛いものはあまり得意ではないが、火鍋に限っては唐辛子満載で激辛の赤スープについつい箸が伸びてしまう。翌日の朝のトイレがきつくなるのを分かっちゃいるけどやめられない。

●12月11日
友人のHT氏が来社。元旅行会社に勤務していたということで『明治屋2nd』のマスターたちの年末年始タイ旅行のブリーフリングを請われての登場である。さっそく開店少し前から店を訪問しビールをごちそうになりながら小1時間の講義の後、神保町の寧波料理『源來軒』で食事。その後、飯田橋のホテルエドモントの対面に新しく開店したこぎれいなBar『Shepard's』で〆る。深夜帰宅中にHT氏からマフラーを忘れたという連絡が入り問い合わせると2軒目の店で発見。歳をとると物忘れが激しくなるが、週明けに取りに行くということでまた呑みにつきあうことになりそうである。まあ物忘れもいい口実ではあるが。

●12月12日
『明治屋2nd』の常連客として知り合った近所のR40の会社経営者たちで忘年会。ということでとある神保町のビルの5階でひっそりと営業している料亭『隠れ家 栄家』に集結。2部屋の個室だけで1日2組だけをもてなしてくれるというコンセプトの店である。ちいさな庭をのぞむなかなかにムーディーな部屋でなぜかおおきな人形が安置されているのが気にかかる。ちょっと金額がはりそうだが自家製こんにゃく料理、築地の魚料理、ふぐちりのコースで4500円とお値打である。最後の雑炊をおかわりしたころは満腹で大満足。下町方向が多い参加者たちは湯島方面のキャバクラに2次会へ行くという。山の手組は帰りの足が心配なので後ろ髪をひかれつつ帰途につくことに。

●12月13日
草サッカーチーム『四谷ユナイテッド』の忘年会で、新宿・歌舞伎町の和風ダイニング『禅家』へ。創設メンバーのわれわれはすでに引退同然でチームの主力は以前の会社の後輩たち20代後半から30代中ばまでの連中に代替わりしていて、当然ながら最長老である。なんだか若いのに囲まれて気を使われつつ呑むのも窮屈だったがサッカーの話になると次第に饒舌になってくる。料理は呑み放題つき鍋コース2時間3980円というデフレ気味のセットだったが意外とちゃんとしている。なにせよく食いよく呑む団体なので店も赤字になってしまうのではと余計な心配をしてしまうが、一本締めで納会終了。すっかり試合には足が遠のいてしまったが今年は出版社リーグのフルコート準優勝、フットサル優勝と輝かしい成績だったそう、来年も怪我がないように頑張ってほしいものだ。今度はちょっと見にいってみるか(出ろと言わないでね)。

2009年12月11日金曜日

豆菓子ウマ


いただきもの


麻布十番に事務所を構えるID社のIH社長が来社。
手土産で、麻布十番に本店を置く慶応元年(1865年)創業『豆源』のご進物セットを頂戴しました。

外は昼から薄暗く、冬の寒さいや増す雨降りの午後。
熱い日本茶で老舗の豆菓子をポリポリといただく幸せ。

ありがとうございました。

2009年12月5日土曜日

あ~あ、やっぱり死の組だ


ワールドカップの組み合わせ決定!

A組 南アフリカ/メキシコ/ウルグアイ/フランス
B組 アルゼンチン/ナイジェリア/韓国/ギリシア
C組 イングランド/アメリカ/アルジェリア/スロベニア
D組 ドイツ/オーストラリア/セルビア/ガーナ
E組 オランダ/デンマーク/日本/カメルーン
F組 イタリア/パラグアイ/ニュージーランド/スロバキア
G組 ブラジル/北朝鮮/コートジボワール/ポルトガル
H組 スペイン/スイス/ホンジュラス/チリ

E組日程
6・14 カメルーン戦(ブルームフォンテーン)
6.19 オランダ戦(ダーバン)
6.24 デンマーク戦(ルステンブルク)

日本にとっては結構厳しい組み合わせになったな(まあ、北朝鮮よりかはマシかも)
なんだか1勝は遠そうだ…orz

2009年12月4日金曜日

妖怪饅頭


いただきもの。

鳥取県は境港市は水木しげるさんの出身地。

ということで新名産の妖怪饅頭です。

鬼太郎、目玉おやじ、猫娘、ねずみ男の4人(?)セットの人形焼きで、ちなみにいただいたのはカスタード味でした。

2009年12月3日木曜日

光のドーム

表参道ヒルズや神戸ルミナリエ、はたまたNYのロックフェラーセンター前広場とイルミネーションの点灯が始まり季節はいよいよクリスマスシーズンに突入といった感がありますが、LEDの普及による省エネ化とコスト軽減によって、昨年くらいからこんなところでもと思うところでもきれいな光の飾り付けがみられるようになりましたね。

最近会社の帰り道でよく歩くようになった東京ドーム周辺も表参道に負けじとライトアップされております。
ということで、野球やコンサート以外の夜のスタジアム回りのスナップです。


JCBホール前には光の帆船が出現


ドームわきの木々もライトアップされています


ラクーア前の巨大な球体


球体と併せて空中に浮かぶ星? 地球と宇宙を表現したのでしょうか。


広場のベンチも光の天井が


後楽園駅に向う通路もミニルミナリエ風。普段はこの上をジェットコースターが嬌声とともに駆け巡っています

2009年11月30日月曜日

週間呑みアルキスト11.16~11.29


●11月17日
関西の編集プロダクションRW社のKC氏が夕方来社、かつてやっていた雑誌で共に働いていたが本当に会うのは10年ぶりくらいだ。今後またいろいろ仕事ができないか連絡を取り合うようにしようと確認。KC氏は次の打ち合わせまで少し時間をつぶすとのことで『明治屋2nd』で軽くつき合うことに。

●11月19日
友人のサッカー仲間HT氏が来社。先日『明治屋2nd』のマスターご夫婦とサッカー観戦でご一緒した縁で是非お店にも伺いたいというリクエストで早速お店へ移動。この日は超満員だったがKS社の広告部の連中や知り合いの常連さんも多く話の輪がいろいろできる。出色だったのが常連のST企画のMT社長とHT氏が同年齢で同じ地元で少年時代を送っていて共通の友人が大勢いたこと。思わぬ展開でHT氏、MT社長ともすっかり盛り上がってしまって、終電間際まで昔話に興じていた。

●11月21日
この日は健康診断だったのでここ2日ばかりアルコール断ち。懸案のメタボ対策だが若干体重減も認められ医者からもおほめの言葉をもらう。ということでアルコールも気分良く解禁。解禁ついでに西友で仕入れた話題の780円ボージョレーヌーヴォー(フランソワ・フィッシュ)を空ける。ワインの瓶の形を模したペットボトルはそんなに違和感は持たなかったが、何せ値段が値段だけに期待はしていなかったがなかなかの出来。というか充分に美味い。今年は当たり年というが、デフレ気味の価格は経済への影響はさておき得した気分になってちょっとうれしい。この調子だとせっかくの体重減も元のもくあみか。

●11月25日
ここ2週間、健康診断やら仕事の締切やらですっかり呑みアルキせずにもっぱら『明治屋2nd』のワンショット呑みで済ませる。この日はJリーグのFC東京の球団営業職員のNK氏と同席。ナビスコカップのタイトル奪取に祝杯をあげたあと、最近のチームの調子を肴に話しているといきなり“今年いっぱいで退職するんです”と爆弾発言。聞けばやはりいろいろな会社のバックボーンを持つ会社だけにプロパーとしての苦労も何かと多いらしい。今後はサッカーに関する仕事を続けるかは未定というがどんな世界でも頑張ってほしい。気がつけばお店の棚にあたらしいサイン入り色紙が飾られていて、聞けばFC東京が誇る日本代表の長友選手のものだとか。NK氏のこの気配りがあればどんな世界でも大丈夫だろう。

王座から降りる日


WBC世界フライ級タイトルマッチ
内藤大助 対 亀田興毅 はチャンピオン内藤の防衛ならず。

亀田は手堅くカウンター主体のアウトボクシングで点数を稼ぎ、判定でベルトを獲得した。
点差ほどのひらきは正直なかったと思うが、有効打よりりクリーンヒットのポイントが重視されたようだ。

亀田は強いのか弱いのかこの試合でもはっきりとしなかったが、この試合に限っては内藤本人の言うように勝ったやつが強いということなのだろう。

ただ、内藤の衰えは隠せなかった。倒せると思ったパンチが効かない、捕まえられると思った相手が捕まえきれない。逆にもらったパンチが肉体にダメージを与えられる。後半の彼の焦燥感は痛いほど良くわかった。
悲しいかなどんなチャンプでもリングを降りる日は来るし、その日は若い亀田より間近であることは仕方がないことだ。そう今日は王座を降りる日だったのだ。

このまま引退するのか再度リングに上がるのか、気持ち次第だと思うがいずれにしても本人の結論に異をはさむことはできまい。

亀田の次の対戦は暫定王者のポンサクレックとの指名試合。いままでのようなかませ犬的なボクサーとはわけが違うホンマモンだ。内藤だって変則スタイルだからこそ勝てたようなもの。今日のような試合ではおそらく苦戦は免れないだろうが、これに勝って初めて新の王者だといえよう。

内藤は残念だったが、時の流れに抗すことは誰にもかなわないし、彼の偉大な過去がこれで損なわれるわけではない。

2009年11月23日月曜日

W杯は日本酒観戦


西友の700円台ボージョレーヌーボーにすっかり気を取られていたが、ワールドカップ南アフリカ大会の公式ライセンスプロダクトに日本酒があるんですって!
はせがわ酒店がライセンシーとなって全国の蔵元のなかから日本代表17種(清酒13、本格焼酎2 和リキュール2)が、オフィシャルロゴはもちろんのこと開催地のイメージを表すアニマル柄やサッカープレイヤーをかたどった柄のデザインで全世界で発売されたそうである。
さすが麻布十番や表参道ヒルズで店舗展開している店だけのことはあるぜ。
http://www.hasegawasaketen.com/2010_fifa_worldcup/


写真で見たらなかなかにカッコいい。記念にもなる(私だってイタリアワールドカップ、フランスワールドカップのワインは今も空けずに保存しているもんな、多分もう物理的に呑めないだろうけど)。

う~ん、銘柄もなかなか渋いね。
選手に例えると南部美人(岩手)はさしずめ縦横無尽のミッドフィルダー、天狗舞(石川)は鉄壁な守りのGK、雨後の月(広島)は佐藤寿人みたいな切れ味鋭いFWといったところか。
こりゃ、来年のテレビ観戦は日本酒ぐびぐびで観戦ということになることは必至。酔眼朦朧で試合どころではない危険性大である!

2009年11月22日日曜日

そんなに急にはかわらないね


朝早くから練馬区医療検診センターまで定期健康診断へ行ってきた。
いろいろと検査のトッピングをお願いしていたので、検便や採尿に加え喀痰検査まで事前にサンプルを揃えるので2日ごしでバタバタし苦労したがなんとか準備できた。
昨年、従来所属していた出版健保の任意継続が切れて国民健保にかわってからここのセンターでお世話になっているのだが、国保とはいえ練馬区はなかなか立派な設備を持っていて土曜日対応もしてくれるのでありがたい。案内してくれる職員の女性もみんなにこやかで対応も感じがよい(でも、ちょっと人数多くネ?人件費はどうなっているんだ?いかん、いかん、事業仕分け人に毒されているな)

昨年は立派にメタボ判定が出て講習会に何度か呼ばれていたのだが、その怖さも原因も対策も耳にたこ、十分よくわかっているので欠席していた。確かに海外赴任で車手放してからゴルフは止めちゃったし、草サッカーも足が遠のいて引退同然だし、運動不足は歴然としていて、酒量だけは変わらないのでメタボ度が進むのもいたし方がない。
その代わりといっては何だが半年くらい前から通勤の“一駅前から歩き”、とか休日のウォーキングとかなるべく運動不足を補うような心がけはしてきたつもりだ。

その甲斐あってかどうか、最近は少しウェストもベルトがゆるくなってきた感じがする。
結果、体重は昨年から約5キロ減に成功!問診でも医者からお褒めの言葉をいただいたのだが、腹囲が1センチしか変わっていないのはいただけない。何年も続けてきた不摂生の証のような皮下脂肪はそう簡単には燃焼してくれないということなのだろう。

採血でわかる数値は2~3週間か後になるのだが、こちらのほうも少しは改善されているのだろうか?通信簿をもらうみたいでちょっぴり期待半ば不安半ばの気分ではある。

2009年11月19日木曜日

全出場国決定


ワールドカップ予選のプレーオフ最終戦が世界各地で繰り広げられ、ついに32代表が出揃った。
応援していたアイルランドは、フランスを敵地パリで追い詰めトータル1-1のタイとしたが延長戦の激闘の末、惜しくも決勝ゴール(しかもアンリのハンド疑惑付!)を奪われ涙を呑んだ。

ヒディンク・ロシアもスロベニアに1-0と追いつかれトータル2-2、アウェイゴール差でまさかの逆転負け。
ギリシアはウクライナを1-0で競り勝ち、ポルトガルもボスニア・ヘルツェゴビナを1-0で退けた。
アフリカの残る1枠はアルジェリアが勝ち点で並んだエジプトと第3国スーダンでの一発勝負で1-0で勝利。南米と中南米の大陸間プレーオフでウルグアイがコスタリカにトータル2-1で競り勝った。

それにしてもアイルランドは残念だった。本当に彼らが大会に出られないでアジアのたいしたことのないチームが本戦にでてくるのは理不尽な気がしてならない。
ただアイルランド国民は判定の疑惑にさぞかし悔しいことと察するが同時にこんな魂の代表チームを持っていることを誇りに思っていることだろう。

世界最速で本大会出場を決めたわが代表は、アジアカップ予選で香港と対戦。南ア遠征からの長距離移動のコンディションを考えると4-0の結果はまあまあの出来といえようが、それにしてもミスは多いしシュートははずすわ苛々しっぱなしだった。ごっつあんゴールをふかすFW(大久保)なんてそれだけで失格。ロビー・キーンのつめの垢でも煎じて飲めってーの。

出場国が出揃い、対戦カードが決まる注目のドローは来月4日だ。

2009年11月16日月曜日

週間呑みアルキスト11.2~11.15


●11月5日
わが社の監査役でもあるミキリン氏が来社。ミキリン氏がネットでニュース検索しているときに神保町の老舗ビアレストラン『ランチョン』が100周年を迎え、それを記念して1杯目のビール100円、記念ビアグラスをもれなく進呈という情報を得たということで、さっそく連れだって100周年の恩恵を受けに繰り出す。ことこういうことならとビール党のT出版O社長も電話でお誘いを入れてみる。検査明けでアルコールも解禁になったO社長“今ちょっと手が空いていない”と言うものの数分後には姿を現す。なんのこっちゃ。
ビール1杯目が100円とは言うが、それで止まるような客は基本考えにくい。結局われわれも杯を重ねること数度、記念グラスのお土産と引き換えにお店へのご祝儀をたっぷり払う羽目に。

●11月8日
隣の『明治屋2nd』のお客さんたち総勢30余名でバスを仕たててのワインセラー見学会を敢行。朝早くに店の前に集合し一路紅葉の甲州路をめざす。途中、武田信玄の菩提寺、恵林寺に立ち寄り信玄餅で軽くお茶した後にいよいよマンズワインの勝沼ワイナリーに到着。さっそくワイナリーのガイドさんに連れられて工場内を見学した後、試飲コーナーでマンズワインの自慢の作りたてのワインを次々に味見していく。そこは呑みアルキストばかりのメンバーゆえ、試飲どころか本格的に呑みに入る輩も多く工場側も悲鳴を上げる始末。早々にもう一つのお楽しみバーベキュー会場に案内される。ワイン、ビール飲み放題、有料でとれたての生ワインも賞味でき、もちろん食べ放題で大満足。さんざっぱら呑みかつ食べて帰りのバスはサービスエリア各駅停車はやむを得ない。意外と渋滞にも合わずにいい加減酔いも回って良い気分になった一同、解散地点に到着寸前までカラオケは途絶えることなく鳴り響いておりました。運転手さん大騒ぎですみません。みなさんおつかれさまでした。

●11月9日
先ほど30年ぶりに再会を果たした大学時代のM先輩を訪ねて、M先輩が経営する一番町のMT出版にお邪魔する。会社の現状や仕事内容の説明を受けた後、食事に。M先輩が利用しているという四谷・荒木町の京料理『八平』で、秋の味覚をごちそうになる。一番町の会社付近も以前近くに編集部があったし荒木町はこちらも散々通っていたがいままでよくも合わなかったものだ。食事後は四谷駅に先輩をお見送りした後にBar『3Circle』で軽く〆る。


●11月12日
肩の骨折でしばらくじっとしていたKJ氏が、少し回復傾向にあるのか外のネオンが恋しくなったか神保町にやってきたので、会社の近所のイタリア居酒屋『ピアンタ』に。神保町はイタめしの店が根付かないといわれるが、安価でスタッフに若い可愛い女性が多いこの店は意外と健闘しているといってよいかも。この日も新しく入った若い自分の娘のようなホール係りにすっかりタメ口きかれたが、オジサン二人不思議と腹も立たずちょっと嬉しかったりもする。これが計算された接客だったらなかなかあなどれない。2軒目は『明治屋2nd』で軽く一杯。軽くすませてくれるということはKJ氏の回復度合いもいまだ半ばといったところか。

●11月13日
打ち合わせで新宿五丁目のTW社へ。打ち合わせ後近所で隠遁生活を送っている(と思われる)JAKEさんを呼び出しお茶をすることに。しばらくよもやま話をしていたが陽も落ちてくるとやっぱりちょっと一杯ということになる。JAKEさんなじみの開いたばっかりの居酒屋『酔郷』に行き延長戦。一口サイズの小アジのフライを肴にJAKEさんのところの若衆だったMO君を呼び出しオヤジ二人でかわるがわる仕事のアドバイス(お小言?)。MO君仕事の邪魔してごめんなさい。

2009年11月15日日曜日

ラグビーな一日


秋の楽しみのひとつにラグビー観戦がある。サッカーフリークとしてはラグビーは観るだけなのだが中学生の頃から秩父宮通いは飽きずに続いているからもう相当な年季である。
黄色く色づいた神宮外苑の銀杏並木を歩きながらラグビー場を目指す休日は、季節の移ろいを味わう意味でもとても好きなひと時である。
若い頃は、早稲田や明治の試合が好きだったが、最近は自分の母校の応援が主目的となっている。ところが一昨年2部に降格してしまってからというもの、秩父宮で後輩たちの黒黄のジャージを観ることがかなわなくなってしまいさびしい限りである。
今日15日は、昨年に続き母校の入れ替え戦の権利を得るための重要な試合の日ではあるのだが、何せ会場が遠い淵野辺のグランドなので、今年は母校の試合はごめんなさいして秩父宮の高校選手権の東京都予選決勝2試合を観に行くことにした。

秋晴れのラグビー日和で、秩父宮周辺には応援の制服の高校生たちがスクールカラーの小旗を手に大勢たむろしている。自分の子供のような年代の生徒たちとともにスタンドに座るとグランドにはすでに第一代表を決める第一試合の国学院久我山と東京朝鮮学校の選手たちがウォームアップしている。乗っかっている顔こそあどけなさも残っているがその体格は立派な大学生レベルで驚かされる。
サッカーではよく知られているがラグビーでも東京朝鮮は近年めきめきと力をつけてきてついに決勝まで駒を進めてきた。一方の名門中の名門・久我山は花園でも優勝争いに加わるであろう実力校。試合は東京朝鮮の果敢な挑戦にもかかわらず実力差はいかんともしがたい。モール・ラック、バックスの展開、巧みな試合運び、すべての面で久我山が圧倒し終わってみれば76-0の圧勝。


第2試合は、東京高校と本郷高校の対戦。ここ何年かは東京が花園の切符をつかむことが多いが古豪本郷も久々に全国を狙える力を備えてきた。実力校同士の対戦で試合は伯仲。先制した東京にFW戦で本郷が逆転し前半を折り返す。後半本郷は東京の猛攻に耐え抜いていたが後半半ばに再逆転されると立て続けにトライを奪われ突き放されてしまう。ロスタイムに意地のトライを返すが結局34-14で東京が花園行きを決めた。

白い歯がこぼれる勝者たち。涙に暮れる敗者たち。いい歳こいてしまってもこういうドラマはなかなかいいものである。

さて、肝心の母校青山学院の試合はというと、なんと明治学院にロスタイムで逆転勝ちするという薄氷の勝利だったようだ。一応、入れ替え戦の権利は勝ち取ったが、これでは対戦が想定される立教、成蹊が1部の下位校とはいえ日体大や筑波に善戦していることを考えると、ちょっと勝てそうもない。
ここ2,3年有望選手の加入もあって学校上げて強化が試みられているとも聞いているので(もちろんいい選手がいれば強くなるわけではないが)、何とかがんばって来年は高校ラグビーに加え本来の秩父宮通いのお楽しみを復活させて欲しいのだが。

サッカーな1日


11月14日は国際マッチデーということで、世界中がサッカーの話題で彩られた1日となった。
なんといっても、ワールドカップの出場がかかった試合の結果であるがアジア=オセアニアの大陸間プレーオフでニュージーランド(オールホワイツという愛称らしいね)がバーレーンを1-0でやぶりスペイン大会以来28年ぶり2度目の出場を決めた。バーレーンは前回大会に続きまたしても手が届かず!

アフリカでは“不屈のライオン”カメルーンと“スーパーイーグル”ナイジェリアが勝ち抜き。特にナイジェリアは大逆転で薄氷の勝利での本大会出場だった。アフリカ最後の枠はエジプトが2-0でアルジェリアを下し勝ち点で並び、再度の決戦で決着をつけることに。

残るヨーロッパの4枠を決めるプレーオフのHAの1戦目の結果は、
アイルランド0-1フランス
ポルトガル1-0ボスニアヘルツェゴビナ
ロシア2-1スロベニア
ギリシア0-0ウクライナ
と、それぞれ僅差の大熱戦、2戦目の結果次第ではまだまだどこが勝ち抜くかわからないままだ。
う~、アイルランド頑張ってくれ!

早々に出場を決めた国もそれぞれ本大会を見越してのテスト戦。
韓国0-0デンマーク なかなかやるな!韓国
アメリカ0-1スロバキア スロバキアあなどれない
ブラジル1-0イングランド 横綱健在
スペイン2-1アルゼンチン マラドーナ大丈夫か?
イタリア0-0オランダ 一歩も引かず 

そしてわがサムライブルーはホストカントリー・南アフリカ(バファナバファナ)と大会使用スタジアムでスパーリングマッチ。結果的には0-0で痛み分けというところだったが、ある程度ゲームを支配できながら細かなパスの精度に欠けたり、フィニッシュが相変わらず甘かったり、で収穫もありつつ反省点も多々アリ。本田はいまいち不発で新戦力もあまり輝きなし、あと半年、どこまで世界を驚かせられるのか?
しかしあの会場を覆いつくすブブゼラの音はツエツエバエの羽音みたいでイラつき度満点!本当にクソうるせえ~orz

こうして結果を書いているだけでいよいよワールドカップイヤーが実感として身近に迫ってきた感じがする。
ああ、早くも心が浮き立ってくるぜい。

2009年11月11日水曜日

恵林寺詣り


日曜日、ワイナリー見学とバーベキューを目的に秋の甲斐路をめざしたのだが、途中で武田信玄の菩提寺である恵林寺に立ち寄り、その墓所にも訪れることができた。信玄公の墓前にたたずんで古を偲んだのだが実はこの場所には個人的には特別な感慨がある。

信玄公の墓の後ろにはあまり知られていないが武田家臣の供養塔も70基並んでいるのだ。
武田の家臣にはわが秋山家の祖なのではないかと推察される秋山氏の武将が大勢連なっており、その中には私と同姓同名の秋山(紀伊守)光次という武将もいて、なんとなく自分の背後霊が潜んでいるようで厳粛に深くこうべを垂れてきたような次第。

この同姓同名の武将は、織田軍に追われた信玄公の遺児・勝頼の8人の侍大将のひとりとして天目山の戦いで勇猛果敢に奮戦したうえ2代にわたって仕えた武田家とともに運命を共にし殉死したそうである。この秋山光次自体が恵林寺に祭られているかどうかは定かではないが(勝頼とともに天目山近くの景徳院に祀られたのかもしれない)武田二十四将の誉れ高い秋山信友の叔父に当たるのでいずれにせよここ恵林寺も所縁は深いと思われる。

先日、秋山家の由来について書いたことがあったが、氏素性がはっきりしている祖母・波多野家に比べて秋山の血統は今一つわからない。だが、代々、阿波の国で蜂須賀氏に仕え藍商の専売権を与えられたと聞いていたので、下野源氏の血を引く蜂須賀との縁を考えれば同じ関東の甲斐源氏の秋山氏がルーツに連なるのは充分に考えられる(といっても本当のことはわかりはしないけど)。
秋山姓の武将のなかには光清という祖父とも同姓同名の人物もいる。祖父は成年してから源之進という名から改名したそうだから、ひょっとしたら孫の名を考えるときに(祖父が名付け親なのである)ついでに歴史をヒントにしゃれてみたのかもしれない。400年後の秋山光次の風貌だって前頭部の髪の後退とともに落ち武者っぽくなってきたのでこれも案外武田家臣のDNAだったりしてw
そんなことを考えていると本当にこの地に祭られている秋山氏の武将たちは他人とは思えなくなってくるのである。

すっかり紅葉した名刹の美しい庭で名物・信玄餅を頬張りながら、武田の忠臣であった同姓同名の先祖(かも知れない)に思いをはせた一日であった。

2009年11月2日月曜日

週間呑みアルキスト10.19~11.1


●10月20日
台湾でのフリマイベントに商品を出してくれたSB社ON氏にお礼かたがたお土産を渡すため、新宿一丁目のオフィスに伺う。その帰りに新宿二丁目の『T's Bar』へ立ち寄ることに。ちょうどマスターが常連さんの青森県土産、田子町の「にんにくカレー」を調理中でなんともいいにおいをたてていたのでさっそくご相伴にあずかるが、にんにくの風味が効いていてすこぶる美味し、ルーだけでも酒のつまみによく合う。帰りの電車で顰蹙必至でちょっと反省。

●10月26日
会社帰りに『明治屋2nd』に立ち寄る。常連の一人大手出版社S社のUEさんが今週いっぱいでリタイアだそうだ。S社は業界でも珍しい企業年金まであって社員に手厚い会社ゆえ悠々自適な生活が待っているようだ。こんな時代にうらやましい限りだが人のことを羨んでも仕方がない、ぐだぐだ呑んでばかりいないで少しは前向きに仕事を作っていかねばと反省。

●10月29日
スポーツカメラマンのKT氏、元KS社の編集者KJ氏と打ち合わせ後、T出版のO社長を加え会食。白山通りの『西安刀削麵酒楼』で紹興酒をガンガンと呑んでしまう。『明治屋2nd』に流れると、既知のお客さんで某Jリーグクラブの営業担当N氏のグループに割り込み、遅い時間までつきあわせてしまう。若者相手に延々と昔話を語ってしまい反省しきり。

●10月30日
やたら炒飯が食べたくなって、近所の中華レストラン『ぶん華』へ。ビールを飲みながら炒飯と焼きそばのセットをつい欲張ってしまい、ここの店の料理のボリュームは半端じゃないのを注文してから思い出す。結果、必死の思いで完食を目指すも、ビールをほとんど半分以上残してしまう。いたく反省。

●10月31日
ラグビー観戦で国立競技場へ。試合は白熱。終了後興奮冷めやらぬままアフターゲームで同行のT出版O社長と四谷三丁目方向に歩いて出て、飛び込みで居酒屋『浅間』に入ってみる。日本酒の品ぞろえが充実しているお店のようだが料理の方もまあそこそこ美味しかった。2階席で呑んでいたのだが帰り際1階に下りるとテレビで日本シリーズ初戦がまさに9回裏の土壇場を迎えていてマスターや店員のおばちゃんたちと座り込んで観戦。『明治屋2nd』のマスターと食事をかけて日ハムに賭けているので、日ハムのサヨナラ劇を祈っていたが願いは通じずあえなくゲームセット。あ~あ、こりゃシリーズの勝ち目はないな、変な賭けして失敗したなとここでも反省。

●11月1日
大学のサークルの同窓会が卒業30年ぶりに開かれ、渋谷の土佐料理『称保希』で懐かしい顔と再会。ほぼ全員、卒業以来とんとコンタクトがなかったので最初は誰だか分らなかった人も徐々に記憶がよみがえる。今後の定期的な会合を約し流れ解散。その後所用で会に間に合わなかった友人のED氏と渋谷で待ち合わせして『グランドファーザーズ』で会の報告かたがたチョイ呑み。その後、つい懐かしさから学生時代よく通ったED氏の地元・赤羽で呑むことにして移動。本蓮沼駅寄りの住宅街にポツンとあるED氏いきつけの街中スナック『オールディー』へ。ここのマスターとやはり30年ぶりの再会を果たしすっかり盛り上がる。地元の若い女性客とも仲良くなってついついカラオケで高歌放吟。気がつけばなんと午前2時をまわってしまっており、タクシー帰還となってしまう。なんという散財、心から深く深く反省。

2009年11月1日日曜日

世界最高峰


世界最高レベルの戦いはやはり迫力があった。
2019年のワールドカップ日本開催を記念して誘致したオールブラックス対ワラビーズの定期戦、ブレディスローカップでついに世界最強チーム同士の戦いをナマ観戦することができた。

国立競技場周辺は黒と黄に色分けられたラグビージャージを着た人たちであふれ、日本にいるオージーとニュージーランド人はみんな集結しているんじゃないかというように国際色もあふれていた。
最近ちょっとさびしかったラグビーのビッグマッチでもさすがにこの試合だけは別格なのだろう、高額のチケットにもかかわらず(最高のプレステージチケットは7万円!)4万4千人の大観衆で国立はほぼ満員になった。聞けば高校のラグビー部に協会サイドが結構招待券を配ったらしいが、部員が15人そろわず他校との合同チームを組まざるを得ないくらい若い競技人口が落ち込んでることを考えると、高い金払わされている当方も納得する。10年後は彼らがこの両チームとあいまみえるわけだしね。

オールブラックスのウォークライ(ハカ)の雄たけびは観ているこちら側もいやでも心が昂ぶってくる。
そしてキックオフとともにラグビー世界一のプライドをかけた迫力のゲームが目の前で繰り広げられた。
FWのモールラックでの肉弾戦、高い高いラインアウト、正確無比なキック、スピードあふれるライン攻撃。夢のような80分間である。

試合自体はトライの応酬というような派手な展開ではなく、実力拮抗のチーム同士の勝負をかけたガチンコマッチゆえ、ちょっとしたミスや反則が試合の行方を左右するのだろう結局は後半カーターの4PGゴールで得点を重ねたブラックスが32-19でワラビーズを下した。
それでもこれぞ世界クラスというプレーが随所に観ることができて久々にラグビーの魅力を満喫させてもらった。
10年後、かつて145点を取られて屈辱をなめさせられたこのチームに、どれだけ近づけることができるのだろうか? この世界最高峰の試合をスタンドで観戦した日本代表チームの、そして将来の代表チームを背負う中高校生たちは何を感じ取っていたのか? よりいっそうの努力と奮起を期待したい。

2009年10月28日水曜日

呑みアルキストの朝アルキ


最近はよっぽどの雨や直行の仕事がない限り神保町のオフィスに通う際、ひとつ前駅から歩くことを心がけている。
もちろん、メタボ対策用ということで日頃の運動不足を補うのが主目的なのだが、神保町駅への乗継ぎで使う都営地下鉄を使わなくても済むので往復にしてみれば340円が浮くことになる。たかが一区間分だがひと月換算約10000円弱の交通費が軽減されるのは意外と大きい。健康と節約、まさに一石二鳥である。

路線的には地下鉄の有楽町線・飯田橋駅からかもしくは市ヶ谷駅からか、丸ノ内線だったら後楽園から約20分ほどのウォーキングである。夏の間は汗だくになるので、ともすれば挫折する日も結構あったのだが、秋の気配を感じるあたりから身体も慣れてすごく心地よく感じるようになった。

ルートはたまたま乗った電車やその日の気分にもよるのだが、飯田橋からは東口の再開発で整備された、かつては殺風景だった旧飯田町貨物駅跡を抜ける。「平川の径」のあたりは人工的だがなかなか緑も多く、幾分きれいになった神田川の川っぺりの風にあたりながら歩くのも気分がいい。市ヶ谷からだったら靖国神社の境内を玉砂利を踏みながら抜けていく。九段上あたりには古い商店なんかも残っていて意外な発見もあるのだ。

後楽園からは東京ドームの周囲を半周し水道橋駅に出るのことになるのだが、野球博物館やスタジアムグッズのスーベニアショップを冷やかし、アディダスショップの原監督の等身大フィギュア(?)に悪態つくのも気分が晴れていい。夜はドームホテルの周辺がきれいにライトアップされて噴水に光が踊り出すとついついこちらの心も躍る。
いつもは後楽園駅からライトスタンド側を左回りに一塁側を通って正面ゲート方向、黄色いビルのほうに歩いていくのだが、今日はたまたま逆回りのセンター方向から三塁側方向へ半周してみた。ちょうどドームの裏側でなんだか殺風景な感じがしていたのでこれまでこちらのほうから歩いたことがなかったのだが、じつは小石川後楽園に隣接していて園内の様子も少しだけ覗けるのにびっくり。深い木々が秋の日差しに揺れ、一部は紅く色づきだしていて、秋晴れの午前中、実に気分良く歩くことができた。今度は道草して園内を散策してみるか。

来月は1年ぶりの定期健康診断。昨年はメタボ治療の必要性をさんざっぱら諭されていささかへこんだが。今年は少しは運動の効果があがったのではないかと内心秘かに思っているのだが、鏡の前に立ってみるとあまり見た目にはさしたる変化は…。

2009年10月24日土曜日

伝説の役者と亜細亜の新星


週末の金土と立て続けで、東京国際映画祭に出向いてきた。
今回3本目となる作品は、故松田優作の“最初で最後の”公式ドキュメンタリー『SOUL RED 松田優作』(御法川修監督)。いまや伝説と化してしまった優作のフィルモグラフィーのなかから語り草となっているような名場面をふんだんに挿入しながら、彼のスピリットを継ぐ役者たち、過去の共演者、監督、脚本家らゆかりの人、そして優作の生き方を継承することになった二人の遺児のインタビューを織り込みながら優作の軌跡を追っていく構成。
実は今年は松田優作の生誕60年没後20年に当たるそうだ。もうそんなに時間がたってしまったんだと、色あせない彼の演技を見ながらあらためて時の流れの速さを実感する。直接、会ったことはなかったが、80年代に仕事上、彼の作品の数々に接してきただけに自分史と重ね合わせてみることができた。特に担当局だった日本テレビの『探偵物語』の映像に懐かしさで胸が熱くなる。
上映前の会見で、未亡人でもありこの映画のエグゼクティブプロデューサーでもある松田美由紀さんが、構想から9年間、突き動かされるようにこの映画の実現に傾注できたことに“宗教上だけでなく、生きてる人間にも神のような人がいるんだ”としみじみ語っていたのが印象的だった。
11月5日より新宿ピカデリー、6日より丸の内ピカデリーにて公開。



明けて土曜の朝一番から観たのは4本目となる台湾映画『陽陽(ヤンヤン)』(鄭有傑監督)。例年作品選びの中心となる「アジアの風」だが、今年観れたのはこの作品のみ。主人公ヤンヤンを演ずる主演の台仏ハーフの張榕容(サンドリーナ・ピンナ)のほろ苦い青春模様を描いたものだが、彼女の愛らしい笑顔の陰には妖艶な魔性が見え隠れし実に魅力的な女優さんである。手持ちのカメラ中心に揺れる画像と逆光を差し込んだカメラワークが中心で観ていてちょっと疲れてしまうが、逆に彼女のナイーブな心の動きが効果的に表現されている。鄭有傑監督は『シーディンの夏』『一年の初め』に続いて東京国際映画祭出品は3度目。今回の作品は巨匠・李安(アン・リー)の若手助成プログラムの作品でもあるが、撮影、音響に独特の才を見せる鄭監督だけに巨匠のお眼鏡にかなったのもよくわかる。
サンドリーナの魅力炸裂の作品ではあるが、個人的には彼女の義理の姉妹で恋人を取り合うことになるシャオ・ルー役の新人・何思慧もちょっと推したいところだ。二人は揃って今年の台湾のアカデミー賞・金馬奨の主演女優賞、新人賞にノミネートされている。
台湾映画というと、候孝賢や楊徳昌、蔡明亮という名がすぐ浮かぶが、若い才能も続々輩出している。いまいちメジャーになれない東京国際映画祭ではあるが、鄭有傑のようなアジアの若き映画人の作品が観られることにおいては個人的には捨てがたいイベントである。

2009年10月22日木曜日

フットボールというファンタジー


東京国際映画祭、2本目は『麦の穂をゆらす風』で前々回のカンヌ映画祭パルムドールを受賞したケン・ローチ監督の新作『エリックを探して』(2009)。昨日の『カティンの森』とうって変わってハートウォームコメディである。
『麦の穂をゆらす風』ではアイルランド独立闘争の悲劇を描きワイダに劣らぬ硬派な作品を撮ってきたローチではあるが、前作の『この自由の世界で』に見られるように実はユーモアあふれる作品にも手腕を発揮しているのだ。しかしそこは左翼を自認する巨匠ゆえ、どの作品にも共通して社会風刺のエッセンスをピリリと利かせている。描くのは労働者階級だったり移民だったり、つねに社会的弱者に立ち位置を合わせているのがローチの真骨頂といえる。

『エリックを探して』のエリックとは90年代のマンチェスター・ユナイテッドでキングと称されたフランス代表選手エリック・カントナのことであり、カントナ自ら準主演をつとめている。
ケン・ローチの作品としては他にもグラスゴー・セルチックのサポーターたちを主人公としたやはりハートウォームなロード―ムービーの『明日へのチケット』があるので、ローチ本人も相当なフットボールファンなのだろう。現役当時のカントナの華麗な映像も随所に登場したり、パブでのサポーター同士の会話の中にも巨額な資本が流入する昨今のプレミアリーグの問題にも批判的な台詞が飛び交ったり、監督のフットボールマニアぶりがいかんなく発揮されていて、とくにサッカーファンは楽しめること請け合いである。

とはいっても話はサッカーのことだけではない。うまくいかない夫婦関係、子どもたちとの断絶とそこに浸み込んでくる犯罪の罠、英国の工業地帯マンチェスターを舞台にした今日的な問題も巧みに取り入れられている。何につけても冴えない自信を喪失している中年の主人公にとってカントナは憧れのヒーローだが、ある日突如妄想の中に本人が現れる。主人公が直面する様々な悩みや難題にカントナは“パスを通すように”アドバイスを与えていくのだ。
ウッディ・アレンの『ボギー!俺も男だ』にちょっぴり似たシチュエーションだが、このエリック・カントナは実に人間的なのである。アドバイスを与えている端からマリファナをちゃっかり拝借したり、ともに腹を突き出しトレーニングに出たりする。アドバイスが裏目に出ることもあるが“戦術を変えろ”と心もとないことも言う。カントナ本人は引退後すでに俳優として数本のキャリアを積んでいて、なかなかどうして堂々たる演技者ぶりである。ちなみに好きな映画監督はパゾリーニだそうで、けっこう映画オタクでもあるようだ。

結局カントナのアドバイスによって主人公は一番大事なものが何かに気づいていく。
犯罪に巻き込まれそうになる子どもたちの危機に対し、奇想天外なアイデアで敢然と立ち向かうラストに笑いとともに勇気と感動を与えられ、思わず拍手したくなった。
また、主人公の職場の仲間たち、パブにたむろするユナイテッド親父たちが実に良い。本当に彼らとビールを酌み交わしながら中継を一緒に楽しみたいと思ってしまう。

なんといってもこの作品の出資構成をみると英国はじめ、フランス、スペイン、イタリア、ベルギーの合作ということだからフットボールこそわが人生と心得る各国の観客には、大人のファンタジーとして支持されるのもうなずける。いまだにこの作品の日本での公開予定はないそうだが、この辺でフットボールの文化尺度がわかろうというものだ。ワールドカップベスト4を目指すなら、この映画をチーム全員で観るべしと岡ちゃんには言っておきたい。

2009年10月21日水曜日

森で何が起こったのか?


開幕中の東京国際映画祭。今年は観たい映画と観れる時間のやりくりの中、チケット入手がなかなかうまくいかずに4作品のみの予定。昨日はその1本目、といっても提携企画の東京国際女性映画際のエントリーなのだがアンジェイ・ワイダ監督の問題作『カティンの森』(2007ポーランド作品)を観てきた。

『カティンの森』に関しては一昨年、NHKスペシャルでもワイダ監督のドキュメンタリーが放送され、彼がポーランド最大の政治的タブーだったカティンの森虐殺事件に挑んでいることはすでに話題となっていたし、完成当初からポーランド大使館に縁ある友人からポーランド国内用プレスリリースとかも入手していて、作品の持つテーマとかアウトラインはずっと把握していた。しかしそれから日本公開はずいぶん待たされ、やっと今年の年末、アルバトロス配給で岩波ホールでの公開が決まった。昨日が一般向けには本邦初上映となるとのことで、勇んで東京写真美術館ホールに出向いたのである。

上映前に駐日ポーランド大使の挨拶の後、戦後『地下水道』『灰とダイヤモンド』でポーランド派を形成した巨匠から、自らそのポーランド派を止揚する作品としたいというメッセージを主宰の高野悦子さんによって代読された。

カティンの森虐殺事件とは第2次大戦下、ソ連によって引き起こされた2万5千人にも上るポーランド国内軍将校、警備隊員、警察官、民間人捕虜の虐殺事件である。1939年ナチス・ドイツのポーランド侵攻と同時に、ナチと不可侵条約を締結したソ連が東から同様に侵略を開始し、ポーランドは瞬く間に両国によって蹂躙されてしまう。降伏後大量の捕虜となったポーランド軍人はソ連軍によって強制収容所に連行され、1940年、スモレンスク郊外のカティンの森林でスターリンの命により裁判もなしに片っ端から銃殺されてしまう。独ソ戦開始後の41年になってドイツ軍はこの凄惨な現場を発見、共産主義者の非道さを世界にプロパガンダ展開する絶好の題材にとりあげるのだが、ドイツ敗戦後、ポーランドを支配するソ連はこの事件をナチの陰謀にすり替え逆にプロパガンダ戦を展開するのである。1980年代にソ連の政治支配が終了するまでポーランド国内では誰の仕業なのか明らかだったのにもかかわらず、その真相を語ることは固く禁じられ、そのタブーを犯すものには過酷な弾圧が強いられてきたのであった。ワイダ監督の実父もこの虐殺の犠牲となっていて、彼自身が事件の当事者でもある。

映画上映中、息をのむような衝撃を何度も与えられた。老境を迎えた巨匠の映像表現やテクニックという以前にそのテーマ性だけで圧倒されてしまう。そこには『灰とダイヤモンド』で観られるような悲劇的なヒロイズムやロマンチシズムは微塵も感じられない。虐殺の犠牲者たち、そして生き残ったもの、家族たちの呻吟と祈りが聴こえて来るのみである。特に印象に残ったのは、家族たちに待ち受けていたその後の運命。単に嘘を嘘ということ、真実を語ることこそ最大の敵対行為として、二重に加えられた弾圧であった。留守を預かっていた母たち、妻たち、兄妹たちの視線から語られる悲劇、それゆえにこの映画が女性映画祭にエントリーされた理由もよく理解できる。

スターリニズムの残虐さや犯罪性を告発するといってしまえば簡単なのかもしれないが、冒頭の象徴的なシーンで、負傷者が収容された教会に愛する夫を探しにきた妻が、夫のと思しきコートをめくるとそこには祭壇からはぎ落とされたキリスト像が現れる。あたかも人間の持つ業の深さ、人類が犯した救いようのないおろかさを告発しているかのようである。『灰とダイヤモンド』で瓦礫の教会に残された逆さに磔になってしまったキリスト像のシーンを思わず想起させられる。その意味で監督自ら最後というポーランド派の作品の連続性がここまで変わらず表現されてきていることにも深い感銘を受ける。

ラストは目を覆いたくなるような真相が淡々と映され続けていく。続いていた銃声が消え、頭部を打ち抜かれた後意識が消えるかのように突然場面は暗転して、ドラマは終わる。観終わった後、本当に重い気分で会場を後にした。

感想を語りだしたらきりがないし、語るべき言葉も出てこない。ただただアンジェイ・ワイダの生涯をかけた執念と民族の矜持に対して無条件に敬意を表したい。

12月5日より、岩波ホールにて公開。

2009年10月20日火曜日

週間呑みアルキスト10.5~10.18


●10月6日
会社で亀田兄弟の次男坊・大毅の世界タイトル戦をテレビ観戦。試合開始までの間『明治屋2nd』で軽呑みしながら待っていたら、ボクシングファンのマスターがビデオ録画を帰宅後に楽しみにしているので、もし試合が終わって立ち寄るようだったら絶対に結果を教えないでと懇願される。そういわれればいじりたくなるのが人情というもの。試合後さっそく再び店を訪れると思わせぶりに試合談義を開始。結果を言うなという反面、結果を知りたくて知りたくて仕方がないマスターをさんざっぱらいたぶる。われながら意地が悪いが、亀田も負けたしビールが美味い。

●10月8日
日本代表の試合では珍しくアジアカップ予選の香港戦の中継がBSでしか放送しない。会社のテレビはBSがないので向かいのakiさんの事務所SB社に観る事ができるか問い合わせると、SB社もBSのアンテナがないとのこと。そこでakiさんとともに確実にBSが映りしかも大型テレビのあるT出版のO社長に頼むと人間ドックを控えているためもあって“糖質ゼロのビール持参”という条件で押しかけることに。テレビをよその家に観にいくなんて「三丁目の夕日」じゃねえてーの。試合は香港相手にゴールラッシュ、こちらは糖質たっぷりのビールがぶ飲みでメートルも上がりっぱなし。

●10月9日
仕事後、『明治屋2nd』に立ち寄ると、KS社の広告部のST部長と女性部員のIKさんがやってくる。きけばIKさんがST部長からこの店に私がよく出没していることを聞いて連れて行ってほしいと頼んだとかで、そうは言っても本当に会えるとは思っていなかったと大喜び。IKさんは昔、職場をともにしていたことがあったが会合以外で個人的に呑むのは初めて。会社の昔話や業界の噂話などいろいろと面白い話も聞けて楽しい時間をすごす。

●10月10日
最近サッカーにも興味を持ち出した『明治屋2nd』のご夫婦を連れて横浜日産スタジアムにスコットランド戦を観にいく。お二人は代表戦生観戦は初めて。試合自体は相手のメンバーの問題もあっていまひとつだったが話題の森本、本田に加えごひいきのFC東京の石川も活躍しすっかり満足された様子。現地で合流した友人のHT氏とともに試合が終わったあとに決まって立ち寄る新横浜の焼き鳥屋『もへじ』へご案内。

●10月12日
前週に西武池袋線・秋津にて沿線呑みをしたKN氏から連休中暇なのでと再戦のお誘い。今回はKN氏のおともだちの広告代理店J社のKS氏も合流。前回見当をつけていたシブい店は残念ながらお休み。さすがに居酒屋街とはいえ休日は閉まっているところも多い。民芸調の店の構えから『北条』という居酒屋に入ってみるがごく普通のお店であまり面白くない。仕方がないので前回行って感激した『立ち飲みスタジアム なべちゃん』を再訪。さらにやっぱり前回と同じコースでひばりが丘まで戻って隠れ家的バー『BlarneyStone』で〆る。

●10月14日
日本代表3連戦の最後を飾るトーゴ戦は地上波の中継もあったのだが、せっかくの慣例を変えることもないだろうとakiさんに編集者ON氏を加え3人で再びT出版に糖分カットのビールを手土産にあがりこむ。相手が2軍だったこともあって再び大勝。縁起がいいので毎回ここで観ることにするか。O社長ごめんなさい、以後よろしくね。

●10月15日
成田発夕方便で台北へ向かう。17日に開催されるTaipeiWalker誌の10周年記念のイベントとパーティーへ参加するためである。夕方最終便なので現地に着いたのが夜10時近く。ホテル入りは11時を超えていたが早速、クラブ街の林森北路にあるごひいきのお店『麻美』へ直行。こんな遅い時間でも麻美ママさんは本当に来店を喜んでくれる。客はもう私しかいないので店を閉め貸切り状態にしてくれ深夜2時過ぎまでカラオケで大騒ぎ。

●10月16日
寝不足気味の目をこすりながらTaipeiWalker編集部にて明日のフリマのイベントについての打ち合わせ。午後に今回イベントのお手伝いということで日本からアシスタントで来てくれたIM嬢とST嬢をホテルに迎えに行き、台湾初体験のお二人のガイドをつとめる。江浙料理の『秀蘭小吃永康街店』で夕食後、夜市や茶藝館を観光し、台湾レトロの装飾が異国情緒を誘うバーの『掌櫃』で軽呑み。二人を無事ホテルに届けた後、現地のTK社長、TG氏、香港ブランチのOB氏と合流し林森北路のなじみのクラブ『MARCH』で連夜の放歌高吟。

●10月17日
午前中から東区の市政府近くの駐車場で行われる10周年イベントのフリーマーケットへ。われわれもわざわざ日本からジャンクグッズを持ち込み出店。午後になったら会場は人また人の大盛況で、われらの“お店”も売れ行き好調でうれしい悲鳴。イベント終了後は誠品書店信義店ビルの地下にあるビアホール『金色三麦』にて10周年記念パーティー。創刊のころに苦楽をともにしたOB・OGも多数つめかけ久々の再会に旧交を温める。200人近くの大盛会でTK社長ともども感無量。会終了後はT出版O社長と日本からのゲストのIM嬢、ST嬢と連れ立って台湾小吃の『台南大腩担仔麺』へ。担仔麺と魯肉飯で小腹を満たし台湾ビールで軽く打ち上げ。
あっという間の台湾の3日間はこれにて終了。

2009年10月19日月曜日

悲しくてやりきれない



この限りないむなしさの

救いはないだろうか。

なんでまた…

2009年10月15日木曜日

アルゼンチンよかったねえ


来年のワールドカップ予選もいよいよ大詰め。
敗退の危機にあったマラドーナ監督率いるアルゼンチンはウルグアイに薄氷の勝利、なんとか4位通過を果たした。アルゼンチンのいないワールドカップなんて気の抜けたサイダーみたいなもの、まずはよかったけど、マラドーナで本大会大丈夫なのか??? アルゼンチン国民も気が気じゃないだろうw

今回の予選で姿を消した常連国では、チェコ、クロアチア、スウェーデン、ルーマニア、トルコ、ブルガリア、スコットランド、ベルギー、ノルウェー、エクアドル、コロンビア…。
それに加えて欧州でプレーオフに回ったポルトガル、ウクライナ、ギリシア、スロベニア、ロシア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、フランス、アイルランドの8チームの中から半分は落ちる。
アフリカでもセネガル、トーゴ、モロッコの姿は早くもなくなり、ナイジェリア、エジプトも最終戦にすべてをかける瀬戸際にいる。

今回、本大会に出られないこれらのチームを見ると、本当にアジアは大甘だとつくづく思う。
世界で一番早く出場を決めたとかいって、敗退国の2軍と勝って浮かれている場合ではないね。

やらないよりは


日本代表10月の3連戦、ラストゲームは“アフリカの隼”トーゴ代表を相手に5-0の大勝でしめくくった。
この日のトーゴは本来のニックネームとは程遠い代表という名もつけたくないようなチームだった。そりゃそうだろうアデバイヨルがシーズン真っ盛りのプレミア投げ出して親善試合で30時間も飛行機に乗って極東の果てまでやってくるわけがないし、ワールドカップ予選の敗退が決まった直後の脱力状態で14人もよく集めたと逆に思ってしまう。結果は勝とうとする覇気も意欲もない、ピッチに立ってかろうじて試合を続けただけの烏合の選手たちが、なすべくもなく失点を重ねただけのことでしかなかった。長旅の上休むまもなく試合をやらされる選手たちが気の毒ですらある。代表の国際試合を待ち望んでいた仙台のファンには申し訳ないが、トーゴが間に合わなくて地元のベガルタと試合したほうが、よっぽどましだったような気もする。

とはいえ、本来ならあんなに簡単に相手陣のバイタルエリアに攻め込めるわけではないことを割り引いても、岡崎の決定力には希望を持てたし、将来を嘱望される森本の初ゴール(これはセリエAっぽい得点だった!)も産まれたし、新しい選手たちにある程度メドがたった、等等。まあ、やらないよりはやったほうがいい、というくらいなことは言えたのかも知れない。

ホームに完璧なフル代表を迎えるマッチメークの難しさはいうまでもないのだが、同じように代表強化の評価試合を重ねる韓国は、セネガルとW杯出場を決めたデンマーク、アメリカと試合を組んでいることを考えると、やはり日本協会の国際舞台での力のなさを疑ってしまう。“弾丸(ツアー)でいいから遠征したい”という岡田監督のコメントもむべなるかなである。

3試合トータルで13得点0失点。
こんなに点を取って勝ったところで、むなしさだけが残ってしまう3連戦だった。
ワールドカップ本大会まで残された時間を考えると、あまり回り道している余裕はないのはもち論なのだが。

2009年10月11日日曜日

フェノメノ誕生?


秋晴れの連休初日、体育の日は絶好のサッカー日和だった。
この日の日本代表3連戦の2本目はスコットランド代表戦。FIFAランク30位、ワールドカップ本大会出場はかなり難しくなったが欧州の強豪、相手にとって不足はない。と、おもいきや直前になって負傷者続出ということで若手主体のメンバーとなってしまい、あきらかに1軍半の相手である。
日本代表もこのメンバーを見ての起用なのだろう、トップにリーグで好調の前田。トップ下に本田、石川の話題の新戦力を配し、最終ラインにも初キャップの岩政。ゲームメーカーに中村憲剛を置くフレッシュな布陣となった。そして交代出場でセリエAカターニャで3得点の森本貴幸登場予定とあって、ベストとは程遠いスコットランド相手とはいえ横浜国際は久々6万1千の大観衆を集めた。

試合は引き気味のスコットランドを相手にレジスタ的な稲本を起点に憲剛からのショート、ロングを使い分ける展開で石川がトップ下から再三裏へ飛び出す。プレスも相手を上回りボールを支配する。
石川は持ち味のスピードを存分に発揮して何度もチャンスに絡んでくる。久々の代表選出でここで頑張らなければ次が来ないという意識もあったのだろう気迫のこもった好プレーで存在感を十分示した。
0-0のまま後半に入って、10分にいよいよ話題の森本登場でスタジアムがどよめく。さすがにはいってしばらくは周囲と合わない感じだったが、徐々に本領発揮、ゴール前へのポジションの取り方とか非凡な動きを見せ始める。20分に松井が投入されてからチームは明らかに単調だった攻撃にアクセントがつき始め、いい感じでゴールに肉薄できるようになった。そして1点目が内田に代わった駒野の正確なフィードに戻りながらの相手DFがオウンゴール、彼がさわらなければその先には森本が鋭くつめていたので代表初ゴールとなっっていたところだった。終了間際の2点目も森本の振り向きざまの反応にボールがこぼれ本田が落ち着いて流し込んだ得点だった。
この日の本田は以前のような荒削りさは影を潜め、またシュートコースを作ろうとする強引なボールキープが裏目に出て精彩を欠いてしまったが、きっちりと決めるところはさすがオランダで結果を出しているだけのことはある。

石川といい森本といい、彼らの持っている高い能力を6万観衆に十分に見せ付けたし、岡田監督も新たなカードを手に入れたといってよいだろう。いささか物足りない相手ではあったがつめかけたファンには見せ場も多かったし満足したのではないだろうか、また代表にとっても色々収穫があった試合だったと思う。
次のトーゴ戦。代表初ゴールはお預けとなった森本が結果を出せるのか、ロナウド2世とイタリア現地でも呼び声が高い21歳の若きストライカーが、真のフェノメノ(怪物)と化ければ岡田の唱えるワールドカップ本大会の上位進出も、あながち夢物語ではなくなる。

2009年10月9日金曜日

岡ちゃん、少し見直す


日本代表の10月の3連戦の初戦は折からの台風18号の襲来で開催が危ぶまれたがなんとか事なきを得た。アジアカップ予選ラウンドでもあるこの日の日本平での香港戦は、岡崎のハットトリックを含む6得点という久々のゴールラッシュで完勝という幸先の良いスタートとなった。

もともと岡田監督をあまり評価はしていなかったが、試合前にスタメンを見た限りでは岡田の指揮官としての資質を少しだけ見直した。せっかく森本、石川といったフレッシュなメンバーを招集したにもかかわらず、格下の香港相手でなんで使わないのかと思った向きも多いと思うが、アジアカップの予選という正規の大会の本選をかけた真剣勝負であること、しかもバーレーンに手痛い1敗を喫し現在グループ2位の座に甘んじていて、この試合を万が一落とすようなことがあると窮地に陥りかねない状況であること、香港はFIFAランクでは格下といえるかもしれないが決して侮れないチーム力があり東アジア大会の予備予選で北朝鮮を蹴落としたばかりであること。これら現在置かれている状況で外野から何を言われようが必ず勝ち点3が必要であり、そのためには“将来へむけた”テストなどは考えられない試合だった。岡田監督はそれゆえに現在考えられるベストのメンバーを組んできたのだろう。それは勝負に関しての定石だし、相手を値踏みしなかった時点で、日本代表というチームのマネジメントがきっちり分かっている証左でもある。

結果、岡崎の裏への飛び出し、長友、駒野といったサイドからの切り崩し、セットプレーでの中澤、闘莉王の高さ、とヴァリエーションのある攻撃と、中盤の早いディフェンスで6-0という最良の結果を導き出した。これで今後のアウェイの戦い、星取りを考えた上で大きなアドバンテージとなった。さらにこれでむしろ明日のスコットランド戦、続くトーゴ戦という強豪とのテストマッチで森本、本田といった新戦力を心おきなく試せる(玉田が負傷したのでなおさら)のではないだろうか、本当に彼らの登場が楽しみになってきた。

それにしても日本の出来も良かったのだが、香港は少し物足りなかった。聞けばスタメン3人を欠いていたとはいえ、サイドをあけわたして中央を固めたため長友にかなり自由にやられてしまったのと、中盤にボールを持てる選手が不在だったため、DFとトップの間にスペースが空いてしまったし攻撃が単調にならざるを得なかった。伝統的に個人技のさえた選手がいるはずなのだが、今回のメンバーにそれと言って怖さを感じさせる選手も見当たらなかった。本当にこのチームが北朝鮮とガチで良い勝負をしたのだろうかと疑いたくなるような拍子ぬけ加減だ。この相手ではゴールラッシュも当然と言えば当然だが、まずは勝たなければならない戦いを確実に取ったことは大いに評価できよう。

来年のワールドカップ本大会に向けて、つぎの2試合の戦い方で、新戦力を含めてどれだけやれるのか。欧州勢、アフリカ勢を相手に得点を重ねることができるのか、さらにレベルアップした姿を期待したい。

2009年10月8日木曜日

微笑みの降る星


台風一過の午後、招待券をいただいていたカメラマン・長倉洋海氏の写真展『微笑みの降る星~ぼくが出会った子供たち~』(三越日本橋本店ギャラリー)を見にいってきた。
長倉氏はフォトジャーナリストとして40カ国以上の紛争地の修羅場をくぐってきた人だが、いつしかそのファインダーを戦火の中に、また貧困の中に、けなげに生きている子供たちに向けることが多くなってきたという。今回の写真展はその子供たちのあふれる笑顔や、厳しい日常の中での喜怒哀楽の姿を撮った作品を中心に“紛争地の子供たち”、“アフガニスタン・山の学校”“子どもたちの大地”“ザビット一家 家を建てる”という4つの章建てで構成されている。

長倉氏とは1982年、創刊間もないT誌の特集で仕事をお願いしたことがある。その年西ベイルートのシャティーラキャンプで起こったイスラエル兵の難民虐殺事件の現場から戻ったばかりの時期だった。そのとき見せていただいた息をのむような紙焼き写真の数々を前に衝撃を受けるとともに、長倉氏の温和な語り口に凄く違和感を抱いたのを覚えている。その後、エルサルバドルやアフガニスタンをはじめ世界中の紛争地で子どもたちの笑顔をもう一つのテーマにしていくのを、後になってあのときの温和な人間像を思い出して妙に納得した。戦争という人類の災厄をみつめるそのまなざしの先には、それでも生きていく人々の命の力強さ、子供たちの眼の中に残された希望の光、そういうものこそが氏の撮ることのテーマだったのかもしれないと。

今回の展覧会に展示されている子供たちも、みな今この時間を同じ星のうえで、ともに生きていることを実感させられる。紛争地のがれきの中、辺境の山間地の厳しい環境下、貧困や未開の大地の上で、子どもたちとその家族たちはただひたすら変わらぬ日常を生き続けている。どんなひどい世の中であったとしても明日はくるんだとでもいうように涙の後が乾いた顔に、白い歯がこぼれる。ヒンヅークシ山脈のとある村にできた学校で、雪を踏みしめ、雪解け水の急流を越えて登校する子供たち、ようやく平穏な日々が戻り瓦礫から家を再建するコソボの子沢山の一家、エルサルバドルで、南アフリカで、ブラジルのアマゾン流域で、フィリピンで写真の中から子供たちが微笑み、歓声が聞こえてくる。今日よりもいい明日を信じて。
そして世界のなかの日本の中の東京の午後、彼らの笑顔に救いと力を与えられた自分がいる。

長倉さんの仕事に改めて心からの賛辞を送りたい。

●長倉洋海写真展『微笑みの降る星~僕が出会った子どもたち』
日本橋三越本店新館7階ギャラリー
10月12日(月 祝日)まで

2009年10月5日月曜日

週間呑みアルキスト9.21~10.4


●9月21日
世の中はシルバーウイークという連休中。暇をもてあましていたら友人のHT氏よりお誘いがあり新宿に向かう。新宿三丁目の割烹『虎連坊』ではじめたばかりという松茸ご飯などいただき季節の移ろいを味わう。焼酎ばかり飲んでいたので2軒目で洋酒でもと『T's Bar』に向かうが休日につきお休み。仕方がないのでお隣の『BURA』へ。評論家のN部某氏のご一行がグループで盛り上がっていてママさんのSEさんも忙しそうなので早々に切り上げる。

●9月24日
つい最近、かつて台湾で立ち上げたTaipeiWalker誌の創刊スタッフで飲んだ際、創刊10周年を記念してまた呑みましょうという約束もあり、連休明けのこの日台湾から来日するTK社長にあわせてあらためて飲み会を設定。前回同様、赤坂の台湾料理屋『三彩居』で円卓を囲む。今回は新規に当時本社から応援で来ていたTM氏のゲスト参加もあり昔話に花が咲く。あっというまの10年間だったと時の流れの速さを実感。

●9月25日
2年ほど前に店じまいしてしまった編集制作会社旧JP社のスタッフKM氏、TD氏と久しぶりに会うことになり新宿三丁目の『かり屋』に集合。KM氏、TD氏ともにその後フリーでなんとか頑張っているとのこと。業界的にはまったくいい話もないし展望も見えない状態だがみんな苦労しつつもなんとかしのいでいるようだ。若い若いと思っていた二人も聞けばもう40代と聞いて驚く。
先日休みだった『T's Bar』にはしご。二人はさらにもう1軒いきましょうと誘われるが、“若さ”の差もあるので辞去させてもらう。一応業界の先輩としては彼らに負けてはいられないんだけどね。

●9月26日
土曜日出社のあと、隣の『明治屋2nd』に顔を出す。この日は常連さんの一人、S学館のフリー編集者のOG嬢とマスターご本人のW誕生会でほぼ貸切り状態。マスターへのウケ狙いのプレゼントで簡易ミラーボールなる代物がありさっそく店内に設置、BGMも懐メロソウルミュージックへ変わり気分は80年代ディスコに。

●9月28日
K社時代の先輩TN氏の父上の通夜へ。不幸のあるときに限ってしか会わなくなったかつての仲間も多いが、焼香を済ませた後そんな一人である先輩MT氏を食事に誘う。MT氏は帰る路線が同じなので一度事務所に寄ってもらい『明治屋2nd』で昔話やいろいろな人の消息を聞いたり懐かしい時間をすごす。MTさんは来年が還暦で年金生活に入るそうで、現在は趣味の模型飛行機の投擲競技に力が入っているとか。身体を壊したと聞いていたので安心するが悠々自適の生活はちょっとうらやましい。

●9月30日
ドゥービー・ブラザーズ&デレク・トラックスバンドのコンサートを観にNHKホールへ出向く。興奮冷めやらぬコンサート評を交わしに同行のHT氏と渋谷の百軒店の路地にある居酒屋『ごまや』へ。学生時代渋谷は地元だったが最近はあまりくることも少なくなった。それでも当時全盛だったドゥービーのヒット曲の数々が頭の中に反響していて、一気に当時の渋谷にテレポートした感じだ。

●10月2日
久しぶりにT出版のO社長がひょっこり来社したので神保町の庶民派中華料理屋『大興』で食事。ビール党のO社長がこの日に限って珍しくノンアルコールのウーロン茶なんぞ呑んでいるので聞けば週明けが人間ドックの検査で節制しているそうだ。それは模擬試験でカンニングするのと同じと思うのだが、本人曰くやはり数値がいい方が安心するからだそうだ。まあ気持ちはわからんでもないが。

●10月3日

休刊したKL誌のKN編集長から、週末地元の沿線で飲まないかと誘われる。ひばりが丘在住の彼は暇にかこつけ地元の飲み屋を探訪していたようで、秋津にいい飲み屋がたくさんあるのを発見したという。夕方まだ日が高いうちに落ち合い西武線の秋津駅からJR武蔵野線の新秋津駅に抜ける商店街を歩く。すると確かにあちらこちらに焼き鳥の煙がもうもうと立ち込めるイイ感じのいっぱい飲み屋や立ち飲み屋が軒を連ねている。そんな中から『立ち飲みスタジアム なべちゃん』という店に入ってみると、狭い店内には西武ライオンズの選手たちのグラブやバット、ユニフォームが所狭しと飾られ、なかには西鉄、太平洋、クラウンライターの貴重なユニフォームなどもあってビックリ。店内のテレビが西武×楽天戦を中継しだすといつのまにか西武ファンのお客さんで超満員。皆さん一喜一憂しながらホッピーを次々におかわり君とくる。西武ファンならずとも安くて楽しいお店で満足度はかなり高い。
熱気と歓声を後に店を出ると次は新秋津駅ロータリー前のいっぱい飲み屋、その名も『サラリーマン』のカウンターに陣取ることに。元気な店員さんたちの掛け声の中、ここもサラリーマンらしからぬ府中競馬、西武園競輪帰りとおぼしきおじさんたちで熱気むんむんの混雑振りだ。店内中に張り巡らされたお品書きはどれも一品せいぜいが450円くらい。それでも店のランクからすればちょっと高い?と思いきや出された料理の量はボリューム満点で人気ぶりに合点がいく。
埼玉・所沢との境のベッドタウンにありながら下町っぽい居酒屋ワンダーランドが展開しているとは知らなかった。秋津おそるべし。
さらに上り方面に三駅戻ってKN編集長の地元ひばりが丘へ移動。こちらの北口はちょっと中央線沿線の趣を感じさせるような飲食店街だが、KN編集長たっての希望で雑居ビルの地下に位置するガールズバーの『TOP SPIN』なるお店に入ってみる。ガールズバーといってもがらがらの店内に女の子が一人暇そうにしていたので、彼女相手にちびちび飲んでいると、やっと二人の女性が出勤。高校出たての娘のような年齢(19歳だそうな)の子を相手では話がかみ合うわけもなく、早々にお店を後にする。口直しにちょっと隠れ家的な大人のバー『BlarneyStone』に移動すると、隣に座っていた御歳74歳のしゃれた常連のお婆さんが両切りピースくゆらせながら話しかけてきたので、すっかり仲良くなるが19歳から74歳という世代のギャップで話も一気に戦前、戦後の時代へと時空を超える。
何かとても不思議な呑みアルキの一夜、ぶらり沿線の旅とあいなった。

2009年10月3日土曜日

♪東京五輪こんど


2016年の五輪招致はリオデジャネイロに決定!
日本は1988年の名古屋、2008年の大阪に続き、切り札の東京をもってしても誘致はならなかった。

リオに決定した最大要因はやはり南米大陸初ということが挙げられる。大本命視されていたシカゴも、東京も、これを覆せるほどの理念的な根拠がなかったということなのだろう。
シカゴ、東京ともに住民の支持が少ないことも微妙に響いたという論評も見受けられる。

そもそも2008年にアジアでやっておいて、2大会でアジアに戻るなんてちょっと考えれば非常に難しいのは誰にだってわかりそうなものだ、このタイミングで招致に立候補したのが良かったのかどうか、慎太郎にしてみれば自分の任期中というか自分が生きているうちに五輪を開催するという野望もあったのかもしれないが、やはり無理があったと思わざるを得ない。
ゲストスピーカーに呼ばれたアスリートたちの熱意にくささすつもりは毛頭ないが、だいたい五輪の誘致の裏にある経済効果とか、都市構想とか、本来の五輪憲章なんかどうでもいいような国家あげての利権構造みたいなものばかりが見え隠れしていては、どうしても開催を熱望するといった機運も産まれようがない。実は最初にシカゴ、次に東京が落ちるだろうという予想はIOCの委員の間では普通にあったようである。
まあこれで、築地市場が国際プレスセンターになったりするこのとなくなったわけだし、五輪がなくたって環境都市目指すの止めるわけではないと思いたい。

とはいうものの個人的にはこの世界的な不況構造をなんとかするためにもシカゴ、東京で決めてもらいたかった気もしないでもない、こうなりゃBRICSの成長株であるブラジル経済が発展して世界経済に好影響を与えてもらいたいものだ、ただし熱帯雨林は保護されることは言うまでもないけどね。

2009年10月1日木曜日

新旧ロックヒストリーの競演


70年代ロックを代表するドゥービー・ブラザーズの3年ぶりの来日公演をNHKホールに観に行ってきた。ドゥービーはイーグルスと並んでわれらの世代ど真ん中のバンドで、大学時代、それこそ「ロング・トレイン・ランニン」は日常的に耳にしていたものである。
あれから、ドゥービーもマイケル・マクドナルドの時代を経て、解散、再結成と変遷を経てきたわけだが、もはやオリジナルのメンバーとはすっかり様変わりしてしまったもののトム・ジョンストンを中心に、かわらぬスピリットで栄光の歴史を紡いできている。
今回は気鋭のデレク・トラックスバンドとのジョイントコンサートということで、一部、二部制の一粒で二度おいしいプログラムということなので13,000円という目もくらむような大枚はたいてはせ参じたのであった(しかし団塊狙いのビッグネームのコンサートチケットの高騰ぶりはなんとかならないものか)。

一部はデレクのスライドギターの妙技炸裂、オールマンブラザースバンドのブッチ・トラックスの甥っ子という血筋のこの男の才能は半端ではない。前回のクラプトンのツアーメンバーとして来日した時に初めてみて驚かされたが、ピン立ちしてさらに腕に磨きがかかった感じだ。二部との入れ替え前の曲ではドゥービーのメンバーも加わってのジャムセッションとなり、伝説を作ってきた連中とこれから伝説となる男の時間の交差という意味でも、貴重な“いいものを見せていただいた”という満足感に浸っていた。

そして第二部で真打ち登場。オープニングこそPAの調子が悪くボーカルマイクが効いていなくて“てめえ!金返せ”状態だったが、そんな観客側のざわめきもどこへやら額に青筋立てて(?)煽りまくるトム・ジョンストンの熱気に、いつしか演奏も最高潮に!団塊世代のネクタイ組も上着を脱ぎ棄て乗り乗り状態に。やはり偉大なるアメリカンロックヒストリーの体現者たる貫禄を示すに充分な、さすがなコンサートだったといえよう。

アンコール最後の曲は当然にして「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」で、例によって学生時代の思い出が走馬灯のように脳裏によぎり、懐かしさで胸がいっぱいになってしまった。

で、セットリスト(ウドーのHPより初日のやつ)
第1部 デレク・トラックス・バンド
1.Down in the Flood
2.Sweet Inspiration
3.I'll Find My Way
4.I Know
5.Get What You Deserve
6.My Favorite Things
7.Meet Me at the Bottom
8.Any Day
9.Key to the Highway

第2部 ドゥービー・ブラザーズ
1.Take Me In Your Arms
2.Jesus is Just Alright
3.Dangerous
4.Rockin' Down The Highway
5.Double Dealli'Four Flusher
6.Nobody 
7.Showdown
8.Back to the Chateau
9.One Step Closer
10.Takin'in to the Streets
11.Don't Start Me to Talkin'
12.Little Bitty Pretty One
13.Black Water
~encore~
14.Long Train Runnin'
15.China Grove
16.Without You
17.Listen to the Music

2009年9月26日土曜日

嗚呼憧れのローマ航路


日本航空の経営悪化に伴う再建策が大きく取りざたされている。
政府の公的支援要請に対する経営努力の提示のなかで2011年までに6800人の人員削減、赤字路線国内29路線、7空港の廃止に加えて国際便もどうやら成田―ローマ、成田―サンパウロの2路線の廃止を検討しているらしい。

成田―ローマ便は1983年だったか、始めてのヨーロッパ旅行で南回りの帰国便として使ったので個人的には実に思い出深い。当時の仕事でテレビの海外ロケの同行取材に行った際、入稿の関係で一人先に帰国することになりスペインからローマまでイベリア航空で飛び、このローマ便に乗り換えた。
ローマ→バーレーン→ニューデリー→バンコク→香港と継地して22時間のフライトだった。もちろんエコノミーの狭い座席だったうえ、ローマの乗り換えで8時間以上ディレイしたので日本に帰ってきたときにはさすがに疲労困憊だったが、ローマからニューデリーまで隣り合わせたイタリア人のご婦人と下手な英語で会話したり、ニューデリーからのインド人の団体のスパイシーな体臭に閉口したり、その後乗り合わせたイラン人がとてもインテリジェンスがあって会話が弾んだり、日本人CAからは日本人と思われずに英語で対応されたり(面白いから成田に着く直前まで日本語話さなかった、最後に日本語で話したときはびっくりして恐縮しまくっていたなあ)、なかなかにロードムービー的な趣もあった。
その後、湾岸戦争やニューデリーでの墜落事故もあって南回り便はとっくに廃止になっていて、今回検討課題となっているローマ便はシベリア上空を飛ぶ直行便なのであまり関係ないかもしれないが、成田とローマをつなぐ航路はヨーロッパへの憧れとともにこれまで幾千、幾万の人がさまざまな旅の思い出を乗せながら飛び続けてきたのだと思う。

ローマ便を利用する人はほとんどが観光目的だろうから(ビジネスはミラノ便だろう)、景気によって乗客数は大きく左右されるので赤字になってしまうのも仕方がないのかもしれない。実際、その後何度となく海外へ旅行した自分にしてみても、この1回きりしか乗っていないので偉そうなことは言えないが、ローマ便の廃止はなんとなく淋しい気分がしてならない。
日本の航空時代幕開けとともにナショナルフラッグとして歴史を刻んできた日航も、世界的な経済危機の中ではいかんともしがたいということなのだろう。親方日の丸的な経営感覚を批判する声も大きいが、「日本の翼」である以上はたとえ採算が取れない便があったとしても、“飛ばす意義”の路線拡充も国策として行われたこともあったはずである。放漫経営のツケという一方的な批判もあろうが同情する部分もなきにしもあらずという面もあろう。

聞けば、にわかに経営支援を打診したデルタ=スカイチーム、アメリカン=ワンワールドという航空連合の袖の引き合いも始まったという情報もある。今後どんな展開を見せていくのかその行く末が気になるが、今回の日航再建案のニュースに接して、20年以上も前の憧れだったローマ航路を利用した初めての欧州への旅の記憶がまざまざと蘇ってきた。

2009年9月21日月曜日

週間呑みアルキスト9.7~9.21


●9月10日
仕事場の移転で大変だったJAKEさんが、ようやく一段落したということで、SB社の編集者ON氏とともに企画会議をかねて新宿三丁目の『かり屋』に集合。このメンバーで“何か面白いこと仕掛けましょうよ”という合言葉でブレーンストーミングをやるのは2回目なのだが、やはり今回も呑んで馬鹿話をして終わってしまう。あっと気がつけばもう終電タイム。まあそれだけ話は弾むわけなのでいつかは仕事の話にもなるのではと、次の“企画会議”を約して解散。

●9月13日
お隣の『明治屋2nd』の常連さんたちで、シーズンも終了間近の『神宮外苑森のビヤガーデン』でバーベキュー会。参加は老若男女役18名。前日までは強い雨だったが一夜明けてすっかり快晴の一日となり、秋の気配を感じさせる緑の中でのバーベキューはなかなか気持ちが良かった。2時間食べ放題呑み放題なので、つい元を取ろうと結構な速さでつぎつぎと肉や野菜のプレートが空になっていく。終了タイムにはすっかり満腹、時間も宵の口だったが一同動けないほど詰め込んでいたのでこの日はおとなしく散会することに。

●9月14日
帰り際に向かいの事務所のAkiさんにちょっくら届け物で立ち寄ると、ライターのYN氏とともにこれからSB社のON氏と新宿で食事をするので合流しないかとのお誘いを受ける。昨夜のバーベキューのコレステロールが落ちる間もなく、新宿三丁目の『情熱ホルモン』で再び肉を焼く煙立ち込める中、またまた生ビールが進んでしまう。今年のメタボ健診もすっかりスルーしてしまったのを思い出し、いずれ天罰があたるかもと少し反省モード。

●9月16日
スポーツカメラマンのKT氏、元K社のKJ氏とともに代々木上原の蕎麦屋『山せみ』で呑み会。昨今の出版不況はカメラマンも直撃しKT氏も経費節減から事務所を四谷から千歳烏山に移転したそうである。悪いことにKT氏は先日のベルリン世界陸上の現地取材で、ホテルのチェックイン時に置き引きにあって仕事道具のカメラからパソコン、パスポートやカードまで盗難にあってしまったということで元気がない。自ら蕎麦を打つほど蕎麦好きのKT氏、われわれ一押しの『山せみ』の美味い蕎麦を賞味してもらいやっと場も盛り上がる。2軒目は上原に呑みに来る定番コースとなった『ファイヤーキングカフェ』へ。密かに熱を上げていたお気に入りのメガネ美人スタッフの女性が辞めてしまっていて(もう1年来ていないので仕方ないが)、こんどはこっちが意気消沈の巻。

●9月17日
ST企画のMT社長が同伴者にドタキャンされたとかで、急遽、恵比寿『アートカフェフレンズ』で催される美人ヴァイオリニスト松本蘭のサロンコンサートのお誘いを受ける。一見クラシックとは似つかわしくないMT社長だが、ご本人とは幼いころからの知己だとか。現地でMT社長と家族ぐるみのお付き合いをしているMG医師ご一家と合流。MG医師の奥様とヴァイオリンを習っているお嬢さんもみなわが母校の出身と紹介されてすっかり打ち解ける。コンサートを楽しんだ後、MG医師をお誘いして男性だけで天現寺の『Le Bar』へ。アンビエントな大人の空間で中年男性3人で来る店ではないが、この手の店も久しぶりなのでつい遅くまでグラスを傾ける。気がつけば終電はすでにない時間、事業好調のMT社長とMG医師のお二人は問題なかろうが、こちとら練馬の田舎までタクシーで帰還するには万札飛ぶのが必定。仕方がないので神保町の事務所まで戻って朝まで時間をつぶすことに。クラシックの調べ、バブリーなBarというひとときから急に現実に引き戻されてしまいすっかり酔いも覚めてしまう。現実は厳しい。

●9月18日
シルバーウイーク前、『明治屋2nd』に立ち寄ると以外に空いている。行楽の前夜だからというより給料日前だし、5日も連休で仕事を休んでは界隈の自営業者にとってみれば飯の食い上げだし、外に出れば金もかかるし、ということではないだろうか。政権交代した鳩山内閣もようやく組閣も終わり動き出した。なんとか景気が上向くように頑張ってほしいが…。

2009年9月18日金曜日

美貌のヴァイオリニスト


美貌のヴァイオリニスト松本蘭のコンサートを観にいってきた。
すでに高嶋ちさ子のプロデュース“12人のヴァイオリニスト”の一人として活動していたが、今回が彼女のプロとしてピン立ちした初めてのデビューコンサートである。
なんといってもこの人、2009年度ミス日本グランプリコンテストで、ミス日本「ミス着物」に選ばれたというビジュアル!昨今、美形のクラシック奏者がとりざたされるが、ミスに輝いたのはこの人ぐらいだろう。

会場は恵比寿のアートカフェ・フレンズ。キャパ80くらいの飲み食いありのいわばサロンコンサートだったが、くつろいだ雰囲気でしかもその美貌振りを間近にできるとあって、開演のころには予備の椅子も出されほぼ満席。

そのビジュアルもさることながら、桐朋学園大学在学時から数々のコンクールで入賞し、ソリストとして東京交響楽団やロイヤルチェンバー楽団と共演を果たしたり演奏の実力のほうも折り紙付である。
比較的耳に親しんだ曲が多いデビューアルバム「蘭ing」を中心とした選曲だったが、マスネの「タイスの瞑想曲」の情感あふれる演奏にしばし忘我の境地。

きさくなMCも好感度大。
チェリストの長谷川陽子さんと並んでお気に入りの一人になりそうだ。