2012年6月28日木曜日

RIP


塚越孝アナ、ザ・ピ-ナッツ伊藤エミ、ノ―ラ・エフロン。それぞれに思い出深い人たちの訃報が相次いだ日。
塚越さんは、ニッポン放送在職中の頃にシンガポールでお会いして仕事の打ち合わせをさせていただいた。結局仕事自体は成立しなかったが似顔絵入りのラジオ番組の宣伝用名刺をいただいたのでその日のことは今もよく覚えている。ノ―ラ・エフロンもPREMIRE誌をやっていた頃人気のあった監督さんだったなあ。脚本を担当した「When Harry met Sarry…」、「Sleepless in Seatle」「You gat a mail」。それぞれ洒落た映画だった。

各人のご冥福をお祈りします。

2012年6月26日火曜日

ポーランド日記


●6月9日
成田11:30初のSAS0984便でコペンハーゲンへ。空港で4時間のトランジット。コペンハーゲンは北欧随一のハブ空港でショッピングモールもそこそこ大きいのだが、店を覗くのも30分もあれば飽きてしまう。そうこうするうちにバーのカウンターに泊まってビールを飲んでいると目の前のスクリーンで欧州選手権グループBのオランダ対デンマークの試合が始まり、いつしか周囲は黒山の人だかり。オランダは個々の力量で攻め込むもなかなか得点とならず、その間隙をぬったデンマークのクローンデリに値千金の一発を食らってしまった。さすが地元の空港だけにショップの店員たちも商売そっちのけで大歓声を上げる。この雰囲気、やっとユーロにやってきたと実感。小型のSK0753便に乗り換えポーランドのグダニスクへ。既に日本から20時間近く経過しているがやっと日が暮れてくる。グダニスク到着後とりあえず市街地郊外の「ホテルショパン」へ。

●6月10日
この日の試合開始は午後6時、ホテルでゆっくり朝食を取った後、事前にネットでプリントアウトした地図を頼りに近郊線の駅プリュシュチ・グダンスキ駅に向かう。駅まではのどかな光景だが、駅がまたのどか過ぎてビックリ。15Kほど離れたグダニスク市街まで列車で20分ほどだが、その列車は1時間に1本しか来ないのだ。
30分ほど時間をつぶしてようやくグダニスク市内に向かう。中央駅のコンコースを出るとすでにスペインとイタリアのサポーター一色。歌声が響きわたる。その喧噪を後に旧市街とは反対側のはずれにある旧レーニン造船所の跡へ見学に行くことにする。いわずとしれた東欧民主化の象徴となった「連帯」の闘いの記念碑に連帯しに行くのだ。大きなモニュメントとともに弾圧に対する抵抗の歴史を刻む造船所壁面に飾られた記念レリーフなど、当時の熱い季節の記憶を反復させてみる。何人かの観光客も来ていたが、人影もまばらな静けさに意外な思いがする。20数年の時間の経過で今の世代にはそれほど訴えることはないのだろうか。旧市街地の広場という広場のレストランはスペイン、イタリアのサポーターに占拠されているので、ショッピングモールのテイクアウトのタイ料理屋で焼きそばのBOXとビールで腹ごしらえ、市内の名所をひととおり周って早めにスタジアムへ向かう。ビジャ、プジョルを欠く王者スペインにイタリアがどこまで食い下がれるか。スペインは比較的イタリアを苦手としているだけに興味は尽きない。試合は相変わらず流れるようなパスを廻すスペインに堅い守りからカウンターを伺うイタリアという構図。先制したのはイタリアのディナタ―レのファインゴール。目が覚めたスペインも10分経たないうちにセスクの1発で同点に。両者白熱したままドローゲームとなった。素晴らしい雰囲気、素晴らしきフットボール。素晴らしい時間が過ぎた。帰りは中央駅で列車の番線をボランティアに聞くと「タクシーの方が早い」成程。タクシー飛ばしてホテルのバーに駆けこんでパスタを食べながら冷たいビールで1日を締める。

●6月11日
朝一番で一旦ホテルをチェックアウトしワルシャワに向かう。仲良くなったフロントの女性がタクシー手配してくれたり弁当手配してくれたり親切に応対してくれる。ターミナル駅のトチェフまでタクシーで30分ほど。ワルシャワまでの長距離列車の番線が判らずにおたおたするが何とか自分の乗るべき列車に飛び乗り、約5時間の列車の旅の始まりだ。6人定員のコンパートメントはすべて女性(おばさん4人、若い女性1人)で2人のおしゃべりおばさんのほかは全員眠りこけている。車窓は延々欧州の田園風景。日本から持ってきた小説を読みふける。尻が痛くなった昼過ぎにワルシャワ中央駅に到着。タクシーで友人がブッキングしてくれたワルシャワ大学のゲスト用ホテル「ソクラテス」に向う。ここも市中心部から離れた郊外で周囲は公園があって環境はいいが何もない場所。チェックインしているとバングラ人の留学生から「日本人?」と話しかけられ、複雑な構造になっている施設の説明をしてくれ色々世話を焼いてくれる。友人に到着の電話を入れた後、朝が早かったのと疲れで爆睡、気がつけば夜の10時を回っていた。食事をしようにも周辺にはお店らしきものは何もなく10分ほど歩くと街道筋にマックのネオンサインを見つけ、ポーランドのマクドナルドで空腹を満たすハメに。

●6月12日
午前、午後とガイドブックを観ながらワルシャワ市内観光へ。聞けば地下鉄駅までは意外と近いことが判明。地下鉄で市の中心部に向かいワルシャワ蜂起記念碑や無名戦士像など戦争時の記憶に連なるスポットを観た後、戦後廃墟から再現された旧市街、ショパンゆかりの地など回りながらヴィスワ川のほとりでスタジアムを眺めながら休息。再び旧市街のロシアサポやポーランドサポで賑わうメーン広場に戻り、ガイドブックにも記載されている老舗レストラン「Zapiecek」でポーランド料理を賞味。夕方、中央駅近くの友人NK氏との待ち合わせ場所で合流、マリオットホテルのビル内にあるテラス席のある中華レストラン「福FOK」で地元サポ立ちと一緒に大型スクリーンで「ポーランド対ロシア」戦を一喜一憂しながら応援。1-1で引き分けたが得点シーンでは大騒ぎで見知らぬ人とハイタッチをかわしまくる。これも一つの海外大会の楽しみ方だ。試合後深夜まで騒ぎの終わらない街なかを友人の案内で地元の人が集まるバーで一杯。遅まきながら久々の再会を祝す。

●6月13日
朝から雨。午前中NK氏とともに彼の勤める職場にお邪魔する。日系の通信会社だがさすがに良いビルに入っている。午後からまたグダニスクに戻る鉄道の旅、その前にNK氏とポーランド・日本情報工科大学のTH先生との昼食会に同席させてもらう。日本料理店の「稲波」で和定食を食べながらTH先生のポーランドの学生たちの日本研究事情を聞く。食後時間があったので先生に大学を案内して頂いたが、学生たちが立ち止まってお辞儀をしながら挨拶してくるのに驚く。日本の若者より行儀は数段良いようだ。NK氏、TH先生と別れを告げ再びグダニスクを目指す列車の旅。今度の相席はビジネスマン風と若いアンチャン風の男性3人と赤ちゃん連れの美人のお母さん。お母さんは大荷物の上、子供にかかりっきりなので食事やトイレに行くにも大仕事。そのたびに我々が赤ちゃんを見てあげたりあやしたりで結構退屈せずに過ごす。グダニスクに近づくと行きに見逃してしまったドイツ騎士団の遺跡マルボルク城の威容を車窓から眺める。本当に線路の近くに位置していてそれが故なのか列車もスピードを落として徐行する。すっかり見とれてしまい写真を取るのも忘れてしまった。ショパンホテルにたどりつくと2日ぶりなのになんだか懐かしく感じる、フロントの女性がニコニコ笑いながら「ああ、無事帰って来たのね、同じ部屋とってあるわよ」と歓待してくれたのも嬉しい驚きだった。バーでホテルに前日入りしたアイリッシュたちと一緒に「オランダ×ドイツ」戦を観ながら食事。明日に備えて早めに就寝。

●6月14日
試合は夜8時からのキックオフなので午後からゆっくり市内へ繰り出す。1時間に1本の電車もあらかじめ時刻表をチェックしておいたのでスムーズに移動できるようになった。到着した列車の中から、アイルランドとスペインのサポを満載。中央駅を降りると緑と赤で街は占拠された状況になっている。さすがに熱いことで定評のあるアイリッシュサポたちは、ギリシア同様経済絶不調ながらなけなしのお金をはたいて大挙してやってきたのだろう。街中の飲食店はすべてアイルランド人たちに占拠され、これも少なくないスペインサポと応援合戦を展開している。メーン広場のネプチューン像前ではもう周辺がビール臭くなるほどだ。みんなスーパーとかで箱ごとビールを買ってぬるいまま回し飲みしている。どんだけ呑めば気がすむのだろう。すっかり人いきれで疲れたので比較的空いていると見当をつけたテラス席の無い中華レストラン「明陽飯店」に入ると、ここも中国のテレビクルーやスペインサポで満員だったが何とか席を確保して腹ごしらえをしながら試合までの時間を過ごす。アイリッシュたちまでとはいかないがこちらも結構呑んですっかり酔っぱらうが、小雨が降ってきた外気の寒さに一気に酔いがさめる。念のためトレーナーを持ってきていて大正解だった。スタジアムは日韓ワールドカップの時と同様アイルランドサポの応援歌がとどろき最高のムード。緑のオヤジたちは本当に人生の楽しみ方が判っている。試合はしかし世界王者のスペインが相手、ゲーム開始以来圧倒的にボールを支配される。キーンやダフ、ギブン、オシェイなどベテランが多いアイルランドはかつてのキレも衰えたか、なかなかマイボールを獲れない。しばらくはピンチもしのいでいたが完全復活したフェルナンド・トーレスのビューティフルの一発を皮切りに、結果終わってみれば0-4の大敗、結果グループリーグ全敗で姿を消すことになった。大まかで頭を抱えるサポも最後まで選手を讃える歌は途切れず相変わらず鳥肌ものの応援に感動した。終了後、すでに日付が変わりつつある時間なので速攻で中央駅に戻りちょっとてこずるがタクシースタンドにやってきた車を捕まえホテルに帰還、翌朝はもう帰国の途に就かねばならないのだ。

●6月15日
朝目覚めるとホテルの前に並んでいるベンチにアイルランドの青年がもうビールを手にして座っている。やけ酒は朝まで続いたのだろうか?フロントの女性にチェックアウトを告げると頼むまでもなくタクシーを手配してくれる。「また来ますね、ありがとう」「ぜひまたこのホテルに泊まってね」手を振って見送ってくれた。不便な場所だったが本当に気持ちのいいホスピタリティで居心地は良かった。彼女のおかげでポーランドは良い印象を持って帰国の途につける。レフ・ワレサ空港は到着時には判らなかったが小さくともモダンな空港だった。再びコペンハーゲン経由で日本に戻る時間を考えるとうんざりもするが、欧州のお楽しみの代償としてこればっかりは仕方が無い。SA0983便は白夜の中を日本の日常に向かって機首を上げて行った。















ゆるい逃避でも気休めにはなるか


椎名誠原作の『ぱいかじ南海作戦』の最終業務試写を東劇の松竹試写室に観に行く。離婚とリストラを同時にされた男が、人生をリセットする目的で西表島の浜辺に旅立つが思わぬことからロビンソン・クルーソー顔負けのサバイバル生活を強いられてしまう話。サバイバルといっても近くにスーパーはあるし、絶海の孤島の緊迫した状況とはほど遠いなんともゆるいサバイバルではある。まあそう思えば映画自体のゆるさも気にはならなくなるし、主役の阿部サダヲの一生懸命なコミカルさにはつい笑わされてしまう。子供の頃の隠れ家作りの延長みたいなレベルだが、原発やら増税やらの現実世界からの逃避としてはこんな映画でも気休めにはなるかも知れない。原作読んでいないので何とも言えないが、個人的にはさらなる楽天を目指すファンタジックなラストはなんだか無理やり感がある気がして残念。貫地谷しほりが意外と好演。監督はこれが初メガホンとなる脚本、演出家の細川徹。7月14日から公開。

2012年6月24日日曜日

ビルマに思いを寄せる


リュック・ベッソン監督が撮ったアウンサンスーチー女史の伝記映画「The Lady ひき裂かれた愛」の試写を見てきた。試写室が元在籍していた会社だったのでちょっと気が引けたが、在籍していたときには無かった試写室は思いのほかきれいで快適だったのでびっくり。
肝心の映画だが、主演のマレーシア人女優ミシェル・ヨーが実にスーチー女史の特徴をつかんでいて素直に感情移入が出来た。プレス資料を読むとエキストラで参加したビルマ人が88年当時のシュエダゴンパゴダ前の演説風景に感極まってしまったというほど本人の所作が似ているそうだ。緊迫感あふれる軍制の暴虐シーンにはらはらしながら、夫のマイケル・アリス教授と子供たちとの家族愛に心打たれる。今なお圧制と暴力にさらされ自由を求める困難な闘いに直面するビルマの民主勢力およびいまや15年にわたる軟禁生活を解かれ国際的に活動を再開したスーチー女史に対して心から敬意を表したいと思う。
劇中、国連本部内でツツ大主教が日本代表団を見て「アジアを巻き込む時期」と判断するというくだりがある。その後場面が変わって日本の外交団による軍事政権への提言がなされる場面があるが、実際のところは分からないが、日本人はビルマ情勢に対しもっと関心を持つべきだし、ビルマに対しての軍制の歴史は先の大戦下での日本の関与に端を発する歴史を持っていることも忘れてはならない。実際アウンサン将軍もスーチー女史も一時期日本に住んでいたこともある縁もあるし、現在の亡命ビルマ人も少なからず日本で生活していることもあるのだ。
というわけで少なくとも今後個人的にはミャンマーではなくビルマ、ヤンゴンではなくラングーンと呼ぶことからはじめようと心に誓うのであった。

2012年6月4日月曜日

週間呑みアルキスト5.7~6.3


●5月9日
高田馬場の中華料理「平大将」で定例の中国語レッスン。今回から旅行会話本をテキストにするのをやめて以前台湾に駐在していた時に使った台湾師範大学が作った教科書を使用するようにしてもらった。自分にとっては復習になるし、一緒に講義を受けるKN氏にとってもちゃんと身の入ったものになるはずである。ただJA老師は大陸の人なので繁体字で大丈夫かどうか心配だったが、全く問題は無いようだ。これで次回からは少し本格的なレッスンになりそうだ。

●5月14日
A誌の入稿作業に追われる。打ち合わせで来ていたTM嬢と神保町の「Logmi」で軽い食事をしながら冷たいビールを一杯。

●5月15日
A誌入稿でTM嬢、SM嬢と夜遅い時間に食事。近所の「大戸屋」でがっつり食べながら冷たいビールを一杯、社に戻ると寝不足の上酔いが回り、しばらくウトウトしてしまう。年齢的にも昔のように行かなくなったことを実感する。

●5月18日
TM嬢と食事。彼女の所望もあって「天鴻餃子房」に行くが満席、すずらん通りの中華ダイニング「三幸園」に場所を変えて大餃子をぱくつく。深夜作業が続くのでスタミナも必要だがやはり業座にはビールがついて回る。例によって社に戻り船をこぐ結末に。

●5月22日
入稿大詰め、ここのところすっかり相棒となったTM嬢と近所のイタ飯屋「ピアンタ」で食事。ビールやワインも飲みたかったが、ここは我慢でカンパリでお茶を濁す。

●5月24日
A誌がついに校了。最終修正を直し他のが朝方近くになってしまっていたので、九段下の「白木屋」で軽呑み。24時間営業の店ゆえに帰りはぐれた学生のグループとかが根腐っていて、あまり居心地が良くないので早々に退散。

●5月25日
A誌最終下版を確認。例によってSM嬢、TM嬢と水道橋の「台南坦仔麺」で打ち上げ、心おきなく呑むことに。GW前から続いていた入稿地獄もやっとひと段落した感じだ。6月はW杯最終予選とそしてユーロがいよいよ始まる。

●5月28日
台湾のK書店総経理TK氏が一時帰国していてK書店の先輩TN氏と呑んでいるので合流しないかという誘いの電話が入り、飯田橋の焼き鳥屋「鳥城酒蔵」へ。聞けばTN氏はもう今年で定年だそうで、かつて82年にK書店でT誌を立ち上げた幹部スタッフはほとんどいなくなるそうだ。創刊から30年、なんだかあっという間に時間が経った気がするが、自分もそろそろ世間的にはリタイアとなる年代に差し掛かっている事を痛感する。

●5月30日
A誌の見本誌発送でTM嬢、SM嬢が来社、作業終了後窯焼きのピザを食しに四谷のイタリアン「サルバトーレ クオモ」へ。オープンエアの席は気持ち良いがいささか肌寒い。しばらくワインを飲んでいるうちに逆に冷たい夜風が気分良く、ついつい呑み過ぎてしまう。来月には区の成人病健診、入稿作業で夜なんだかんだ間食したこともあって体重は一気に増加、怒られることは必至だな。

●5月31日
校了が終わると即呑み会の予定が立て続けに入るのは必然なのだろうか?デザイン会社MM社のOG社長と、社長のお友達であるAK氏と曙橋の中華料理「敦煌」で会食。ここはメニューが無く、その日の食材で料理が次々供されるシステム。ご夫婦で細々とやっている店だが料理もおいしく隠れた人気店なのだそうだ。OG社長とは翌日も会食の予定があるのでこの日は1次会で早々に帰還。

●6月1日
CXの報道局の震災記録本が完成したので内輪のスタッフでプチ打ち上げ。前日に引き続きOG社長と編集のSM嬢で神保町の自然素材ダイニング「東京アチコーコー」へ。ビール、赤ワイン3本と呑みまくりさすがに酔いが回る。ユーロのポーランド行きまで1週間、少しは体力もためておく必要もあるのだが。

オマーン一蹴


2014年ブラジル行きをかけたアジア最終予選がいよいよスタート、緒戦の対オマーン戦が埼玉スタジアムで6万の観衆を集め昨夜行われた。相手のオマーンは過去何度か対戦するも結構苦しめられてきた相手だが、3-0で一蹴、ザックジャパンはこれ以上ない幸先の良いスタートが切れた。前半は今野―前田―香川―前田―長友とワンタッチでつなぎ本田の見事なボレー弾で先制したものの、何度かのチャンスを相手GKアル・ハブシに阻まれ、次第とペースダウンするが、後半早々に香川からのパスを受けた前田がトラップミスをしたのが幸いしてかアル・ハブシのタイミングがずれて左隅に押しこんで2点目、さらに混戦から岡崎が叩きこんで3点目を挙げて試合を決めた。ディフェンスに関しても相手のシュートを1本に抑え込むなどほとんど何もさせない完勝だった。
 
オマーンも策士マチャラが率いていた時代に比べるとプレスも弱く、カウンターの切り替え氏も怖いものを感じさせず牙が抜かれてしまった感じがするが、しかしこのチームが2次予選ではオーストラリアを破っている。気温45度を超えるマナマでのアウェイ戦を考えると全く別な相手となることを認識しておくべきだろう、やはりアジアを勝ち抜くためには一筋縄ではいかないのである。そのためにも8日のヨルダン戦はホームの利を活かし確実に勝ち点を積み上げたいところだ。

ユーロも週末から開催され、いよいよまたフットボールの熱狂の日々が帰ってくる。