「今年は行くかもしれないよ」と毎年箱根を取材し続けている北川カメラマンから言われてはいたのだが、まあ3位になれれば大したものかなと思っていた。しかしふたを開ければ1区から強豪相手に一歩も引かない展開で、往路5区の神野の快走は正直度肝を抜かれた。往路優勝から一夜明けて復路の圧倒的なリードと危なげない走りに本当に安心して観れた。終わってみたらなんと区間賞5人でぶっちぎりの大会新!
こんなにうまい酒も久しぶり、良い正月になりました。
また大学卒業以来、こんなに母校の後輩たちを誇りに感じたことはない。
陸上競技部の皆さん、OB諸兄、関係者に心からの祝福と感謝の意を表したい。
ラグビー部も野球部も後に続いてほしい。
2013年10月10日木曜日
東京オリンピックの選手たち。その後の人生を辿る
10月10日はかつては体育の日だった。
もちろん1964年の第18回オリンピック東京大会の開催日を記念してのことであった。
2020年の東京招致が決まって以来、半世紀前の東京オリンピックのことが再び語られ始めている。CS放送では9月に市川崑監督の記録映画のオリジナルノーカット版が繰り返し放送され、個人的にもあらためてあの日本中が熱狂した日々のことを思い返すことが多くなったし、同世代の人間と飲み屋に行ったりしたときは“あの時、何処にいたのか”という話題で盛り上がったりする機会も増えた。
2020年の東京再開催については世の中が浮かれるほど自分の中では期待はない。震災復興いまだしの中、経済的側面だけでオリンピックを強引に開催することは必ずしも是としないと思っているし、どんなに新しい時代の日本で世界最大のイベントが開催されようが、1964年の10月10日に経験した感激とホストカントリーの誇らしさ、その輝かしい日々に比ぶるべきもないからである。
1964年のことをあらためて振り返る機会が多い昨今、先日の東洋の魔女と謳われた女子バレーチームの主将だった中村(旧姓河西)昌枝さんの訃報は本当に残念な思いがしたとともに、彼女の享年が80歳という時の流れに改めて感慨を深くした。彼女の死をきっかけに、子どもごころに憧れたあの時世界から極東アジアの年に集まり生命の火花を散らした青年たち(あえてアスリートであるとかヒーローという言葉で表現するのではなく、あくまでその時代を生きた選手たちである)、の消息が気になって、当時には考えられなかったネットで時間を見つけてはその50年の足取りをたどったりするのが最近趣味になってきた。
そこで当時のメダリストたちがその後にたどった人生で、知ることもなかった事実に驚いたり、消息を追い求めた選手がすでに物故者になってしまったケースなど、いくつかの発見もあった。出来れば何かの機会に彼らのインサイドストーリーが記事にしたりできる機会があればいいなと思ったりもしているのである。
その中で特に印象に残った人たちの消息である。
①アン・エリザベス・パッカー(女子800m走)。
本職の400mで本命視されていたもののオーストラリアのベティ・カスバートに敗れ、過去数回しか経験のない800m走に出場、驚異的なラストスパートで見事優勝、ゴールとともに婚約者であったロ ビー・ブライトウェル選手の胸に飛び込んで行ったシーンは、強烈に覚えているし大会を代表する美しいエピソードであった。記録映画の映像でも好きなシーンである。800mは大会直前に不参加となった北朝鮮の辛金丹が大本命で、もし彼女が出ていたら金メダルは間違いなかったと言われるが、このときのパッカーは辛金丹の世界記録を上回る世界新記録での圧倒的な勝利だったことも特記すべきであろう。大会後競技生活から引退した彼女は、その年の暮れにブライトウェルと結婚。そして家庭に入り3人の男児の母となった。後年、そのうちの2人、両親のアスリートの血を受け継いだイアンとデビッドはマンチェスター・シティの選手として90年代から2000年にかけて活躍することになる。彼女自身は現在マンチェスター近郊のコングルトンで静かな老後を送っている。
②アン・ローズマリー・スミス(女子800m走)
アン・パッカーの劇的な勝利のレースの陰で、8位と最後尾でゴールインした同僚選手である。華々しいパッカーに比べ、彼女の記憶は単なる風景の中の一人でしかなく、その人物に関して語られることはない。英国人としては小柄だったこの人もなかなかの美人選手だった。彼女のことが気になったのはネットのQ&Aサイトで、女子マラソンで一世を風靡した(ジョイス・)スミスがこのアン・スミスと同じ人物であるかという質問が目にとまったからである。もちろん別人物であることは言うまでもないが、回答者も同人物かどうかわからないということだったので、よっぽど彼女の人となりは知られていなかったということなのだろう。彼女はマイルレースと1500mのスペシャリストで、当時のオリンピックでは女子の長距離種目は無く800mが最長、1500m以上は72年のミュンヘン大会まで待たなければならなかった。17歳で競技生活を始めたスミスは、マイルレースの国内記録を次々に更新したものの1964年の東京大会では800mしかエントリーするチャンスがなかったのである。おなじように短距離ランナーだったパッカーも急造であったが、結果は明暗を分けてしまった。東京では決勝には残ったものの最下位に終わったため誰の記憶にも残らなかったが、1967年にはロンドンの競技会で4分17秒3の1500mの世界新記録を樹立した。ロンドンで体育学校の教師をつとめていたが、1993年脳出血で逝去。享年52歳。
③ ロバート・カーモディ(ボクシングフライ級)
ローマでのカシアス・クレイに続き、東京でのボクシングの米代表としてジョー・フレイジャーがヘビー級金メダリストになったことはよく知られている。米国が東京大会でボクシング競技にエントリーさせたもう一人の選手がフライ級のロバート・カーモディであった。彼は準決勝で優勝したイタリアのフェルナンド・アゾーリに惜しくも判定負けして銅メダリストとなったが、同僚のフレイジャーのように後年プロで活躍することはなかった。少年時代ブルックリンの貧しい白人家庭に生まれたカーモディはストリートファイトに明け暮れる荒んだ生活をしていたが1957年で陸軍に入隊しアマチュアボクサーのキャリアが始まる。小兵ながら“バターボール”とあだ名された俊敏さで頭角を現し、オール陸軍大会で優勝、汎アメリカ大会で銅メダルを獲得するまでになった。1964年の五輪予選で見事に優勝し晴れて米国代表として東京のリングに上がることになったのである。東京での銅獲得のあと、恋人のメアリー・サイクスと結婚。彼の幸福はしかし長く続くことはなかった。彼には軍務があった。当時徐々に泥沼化するベトナム戦争への従軍はオリンピアンといえども免れることはなかったのである。1967年10月27日。サイゴン近郊でパトロール中のカーモディ軍曹は解放戦線ゲリラの待ち伏せ攻撃に遭い戦死、29歳の若さだった。東京で一緒にトレーニングに励んだジョー・フレイジャーは“ボブはいい友達だったよ”と彼の死を惜しんだ。そのフレイジャーもいまは亡き人となった。ロバート・カーモディは東京オリンピックに参加した選手中、唯一のベトナム戦争の戦死者として記録されることになる。
④キャシー・ファーガソン(水泳女子100m背泳ぎ)
東京五輪の水泳では、男子の19歳のエール大学生ジョン・ショランダーのメダルラッシュに熱狂したが、小生大会前からご執心だったのが女子100m背泳ぎの美人選手クリスティーヌ・キャロン(フランス)であった。“キキ”の愛称で知られる19歳の美貌のスイマーは大会前から世界を魅了していた。当時愛読していた少年向けの雑誌「ボーイズライフ」でも彼女のグラビアが特集され、ませがきだった小生の心をとらえて離さなかった。日本の女子高校生スイマー、ミミこと木原美智子(故人)も脚光を浴びたが、子供心にキキのあふれんばかりの笑顔の前にはすっかり霞んでしまっていた。本番の決勝戦でもキャロンの勝利は揺るがないと思っていたが、水泳王国アメリカもそうはさせじとティーンエイジャーの若きスイマーたちで対抗した。結果、16歳の少女キャシー・ファーガソンがキャロンに2ストローク差以上つけて勝利、王国アメリカ水泳陣の層の厚さを見せつける結果に終わった。キャロンに比べ子供のようなあどけなさを残すファーガソンは表彰台の上で泣き崩れそうになり、その腕を優しくキャロンは支えてあげたのが印象に残っている。グッドルーザーであったキャロンはその後美貌を生かし女優に転身。60年代後期までに何本かのフランス映画のスクリーンを飾ったが、五輪熱が冷めた後の日本であまり話題になることはなかった。
一躍ヒロインとして凱旋したキャシー・ファーガソンは故郷カリフォルニア州のフレズノで地域の名士としてその後の人生を生きたようだ。現在はガールスカウト協会の会長職を務める。YouTubeに地元テレビ局によるインタビューが上がっていた。表彰台で感極まった少女は気品のある婦人としていまなお健在なようである。
http://youtu.be/HMwYzjPE3xY
もちろん1964年の第18回オリンピック東京大会の開催日を記念してのことであった。
2020年の東京招致が決まって以来、半世紀前の東京オリンピックのことが再び語られ始めている。CS放送では9月に市川崑監督の記録映画のオリジナルノーカット版が繰り返し放送され、個人的にもあらためてあの日本中が熱狂した日々のことを思い返すことが多くなったし、同世代の人間と飲み屋に行ったりしたときは“あの時、何処にいたのか”という話題で盛り上がったりする機会も増えた。
2020年の東京再開催については世の中が浮かれるほど自分の中では期待はない。震災復興いまだしの中、経済的側面だけでオリンピックを強引に開催することは必ずしも是としないと思っているし、どんなに新しい時代の日本で世界最大のイベントが開催されようが、1964年の10月10日に経験した感激とホストカントリーの誇らしさ、その輝かしい日々に比ぶるべきもないからである。
1964年のことをあらためて振り返る機会が多い昨今、先日の東洋の魔女と謳われた女子バレーチームの主将だった中村(旧姓河西)昌枝さんの訃報は本当に残念な思いがしたとともに、彼女の享年が80歳という時の流れに改めて感慨を深くした。彼女の死をきっかけに、子どもごころに憧れたあの時世界から極東アジアの年に集まり生命の火花を散らした青年たち(あえてアスリートであるとかヒーローという言葉で表現するのではなく、あくまでその時代を生きた選手たちである)、の消息が気になって、当時には考えられなかったネットで時間を見つけてはその50年の足取りをたどったりするのが最近趣味になってきた。
そこで当時のメダリストたちがその後にたどった人生で、知ることもなかった事実に驚いたり、消息を追い求めた選手がすでに物故者になってしまったケースなど、いくつかの発見もあった。出来れば何かの機会に彼らのインサイドストーリーが記事にしたりできる機会があればいいなと思ったりもしているのである。
その中で特に印象に残った人たちの消息である。
①アン・エリザベス・パッカー(女子800m走)。
本職の400mで本命視されていたもののオーストラリアのベティ・カスバートに敗れ、過去数回しか経験のない800m走に出場、驚異的なラストスパートで見事優勝、ゴールとともに婚約者であったロ ビー・ブライトウェル選手の胸に飛び込んで行ったシーンは、強烈に覚えているし大会を代表する美しいエピソードであった。記録映画の映像でも好きなシーンである。800mは大会直前に不参加となった北朝鮮の辛金丹が大本命で、もし彼女が出ていたら金メダルは間違いなかったと言われるが、このときのパッカーは辛金丹の世界記録を上回る世界新記録での圧倒的な勝利だったことも特記すべきであろう。大会後競技生活から引退した彼女は、その年の暮れにブライトウェルと結婚。そして家庭に入り3人の男児の母となった。後年、そのうちの2人、両親のアスリートの血を受け継いだイアンとデビッドはマンチェスター・シティの選手として90年代から2000年にかけて活躍することになる。彼女自身は現在マンチェスター近郊のコングルトンで静かな老後を送っている。
![]() |
| 東京大会の名花の一人、美しい人だった |
②アン・ローズマリー・スミス(女子800m走)
アン・パッカーの劇的な勝利のレースの陰で、8位と最後尾でゴールインした同僚選手である。華々しいパッカーに比べ、彼女の記憶は単なる風景の中の一人でしかなく、その人物に関して語られることはない。英国人としては小柄だったこの人もなかなかの美人選手だった。彼女のことが気になったのはネットのQ&Aサイトで、女子マラソンで一世を風靡した(ジョイス・)スミスがこのアン・スミスと同じ人物であるかという質問が目にとまったからである。もちろん別人物であることは言うまでもないが、回答者も同人物かどうかわからないということだったので、よっぽど彼女の人となりは知られていなかったということなのだろう。彼女はマイルレースと1500mのスペシャリストで、当時のオリンピックでは女子の長距離種目は無く800mが最長、1500m以上は72年のミュンヘン大会まで待たなければならなかった。17歳で競技生活を始めたスミスは、マイルレースの国内記録を次々に更新したものの1964年の東京大会では800mしかエントリーするチャンスがなかったのである。おなじように短距離ランナーだったパッカーも急造であったが、結果は明暗を分けてしまった。東京では決勝には残ったものの最下位に終わったため誰の記憶にも残らなかったが、1967年にはロンドンの競技会で4分17秒3の1500mの世界新記録を樹立した。ロンドンで体育学校の教師をつとめていたが、1993年脳出血で逝去。享年52歳。
![]() |
| 悲運のランナーだった |
③ ロバート・カーモディ(ボクシングフライ級)
ローマでのカシアス・クレイに続き、東京でのボクシングの米代表としてジョー・フレイジャーがヘビー級金メダリストになったことはよく知られている。米国が東京大会でボクシング競技にエントリーさせたもう一人の選手がフライ級のロバート・カーモディであった。彼は準決勝で優勝したイタリアのフェルナンド・アゾーリに惜しくも判定負けして銅メダリストとなったが、同僚のフレイジャーのように後年プロで活躍することはなかった。少年時代ブルックリンの貧しい白人家庭に生まれたカーモディはストリートファイトに明け暮れる荒んだ生活をしていたが1957年で陸軍に入隊しアマチュアボクサーのキャリアが始まる。小兵ながら“バターボール”とあだ名された俊敏さで頭角を現し、オール陸軍大会で優勝、汎アメリカ大会で銅メダルを獲得するまでになった。1964年の五輪予選で見事に優勝し晴れて米国代表として東京のリングに上がることになったのである。東京での銅獲得のあと、恋人のメアリー・サイクスと結婚。彼の幸福はしかし長く続くことはなかった。彼には軍務があった。当時徐々に泥沼化するベトナム戦争への従軍はオリンピアンといえども免れることはなかったのである。1967年10月27日。サイゴン近郊でパトロール中のカーモディ軍曹は解放戦線ゲリラの待ち伏せ攻撃に遭い戦死、29歳の若さだった。東京で一緒にトレーニングに励んだジョー・フレイジャーは“ボブはいい友達だったよ”と彼の死を惜しんだ。そのフレイジャーもいまは亡き人となった。ロバート・カーモディは東京オリンピックに参加した選手中、唯一のベトナム戦争の戦死者として記録されることになる。
![]() |
| 代々木選手村でフレイジャーと。一番輝いていた時間 |
④キャシー・ファーガソン(水泳女子100m背泳ぎ)
東京五輪の水泳では、男子の19歳のエール大学生ジョン・ショランダーのメダルラッシュに熱狂したが、小生大会前からご執心だったのが女子100m背泳ぎの美人選手クリスティーヌ・キャロン(フランス)であった。“キキ”の愛称で知られる19歳の美貌のスイマーは大会前から世界を魅了していた。当時愛読していた少年向けの雑誌「ボーイズライフ」でも彼女のグラビアが特集され、ませがきだった小生の心をとらえて離さなかった。日本の女子高校生スイマー、ミミこと木原美智子(故人)も脚光を浴びたが、子供心にキキのあふれんばかりの笑顔の前にはすっかり霞んでしまっていた。本番の決勝戦でもキャロンの勝利は揺るがないと思っていたが、水泳王国アメリカもそうはさせじとティーンエイジャーの若きスイマーたちで対抗した。結果、16歳の少女キャシー・ファーガソンがキャロンに2ストローク差以上つけて勝利、王国アメリカ水泳陣の層の厚さを見せつける結果に終わった。キャロンに比べ子供のようなあどけなさを残すファーガソンは表彰台の上で泣き崩れそうになり、その腕を優しくキャロンは支えてあげたのが印象に残っている。グッドルーザーであったキャロンはその後美貌を生かし女優に転身。60年代後期までに何本かのフランス映画のスクリーンを飾ったが、五輪熱が冷めた後の日本であまり話題になることはなかった。
一躍ヒロインとして凱旋したキャシー・ファーガソンは故郷カリフォルニア州のフレズノで地域の名士としてその後の人生を生きたようだ。現在はガールスカウト協会の会長職を務める。YouTubeに地元テレビ局によるインタビューが上がっていた。表彰台で感極まった少女は気品のある婦人としていまなお健在なようである。
http://youtu.be/HMwYzjPE3xY
![]() |
| ファーガソンとキャロン。アイドルたちの競演 |
2013年6月17日月曜日
勝利と敗北
15日、快晴の秩父宮ラグビー場でウェールズ代表を迎えた、エディー・ジョーンズHC率いる日本代表は。1週間前に花園で惜敗したが、第2戦となるこの日は必勝を期して挑んだ。ブリティッシュライオンズの遠征でチームの主力を欠くものの、やはりそこはIRB常任国の一角を占める強豪だけに、わがジャパンが正直どこまでやれるのか、不安と期待が入り混じった気分で会場に赴いた。というのも75年の国立で82対6で大敗した試合を見せつけられたイメージがあるだけに、当時に比べて長足の進歩があるとはいえやはり格上へのチャレンジということに変わりないし、75年の悪夢の再現だけはしてほしくないという気分だった。
試合は、立ち上がりから圧倒的なパワーで攻め込まれたが、ジャパンの低いタックルとゴール前の粘り強いディフェンスでなかなかゴールラインを割らせない。闘志あふれるジャパンの攻守にやがてウェールズも受けに回りだし、SH田中の素早い展開で立て続けにトライ、終わってみれば23-8と差をつけてノーサイドを迎えた。
ウェールズから13度目の対戦にして初めての勝利!
ラグビーも長く見てきたが、71年のイングランド戦の3-6の試合、89年のスコットランド戦の初勝利と幸運にも日本ラグビー史に残る試合すべてに立ち会えたことになる。
この歴史的快挙の同日、深夜にサッカー日本代表はコンフェデレーションカップでブラジルと対戦した。ラグビーを見た勢いで、この試合にも日本の健闘を期待したが、結果は立ち上がりのネイマールのスーパーゴールに度肝を抜かれ、なにもさせてもらえないままに0-3で敗北した。ラグビーという競技ほど番狂わせは起きにくいといわれるが、強い気持ちで勝利をつかんだジャパンに比してこの日のサムライブルーは、本当に世界との実力の差をまざまざと見せつけられたようで、文字通りブルーな気分に陥ってしまった。
明暗分けたフットボールの両代表だが、ジャパンの次戦はカナダとアメリカ。ここで負けたらウェールズの勝利の意味が問われてしまうということで、プレッシャーはかかる。サッカー日本代表はイタリアとメキシコ戦が控え、ここで落ち込んでばかりはいられない。世界を驚かすという宿題を背負った両代表の、魂の試合を期待したい。
試合は、立ち上がりから圧倒的なパワーで攻め込まれたが、ジャパンの低いタックルとゴール前の粘り強いディフェンスでなかなかゴールラインを割らせない。闘志あふれるジャパンの攻守にやがてウェールズも受けに回りだし、SH田中の素早い展開で立て続けにトライ、終わってみれば23-8と差をつけてノーサイドを迎えた。
ウェールズから13度目の対戦にして初めての勝利!
ラグビーも長く見てきたが、71年のイングランド戦の3-6の試合、89年のスコットランド戦の初勝利と幸運にも日本ラグビー史に残る試合すべてに立ち会えたことになる。
この歴史的快挙の同日、深夜にサッカー日本代表はコンフェデレーションカップでブラジルと対戦した。ラグビーを見た勢いで、この試合にも日本の健闘を期待したが、結果は立ち上がりのネイマールのスーパーゴールに度肝を抜かれ、なにもさせてもらえないままに0-3で敗北した。ラグビーという競技ほど番狂わせは起きにくいといわれるが、強い気持ちで勝利をつかんだジャパンに比してこの日のサムライブルーは、本当に世界との実力の差をまざまざと見せつけられたようで、文字通りブルーな気分に陥ってしまった。
明暗分けたフットボールの両代表だが、ジャパンの次戦はカナダとアメリカ。ここで負けたらウェールズの勝利の意味が問われてしまうということで、プレッシャーはかかる。サッカー日本代表はイタリアとメキシコ戦が控え、ここで落ち込んでばかりはいられない。世界を驚かすという宿題を背負った両代表の、魂の試合を期待したい。
2013年1月3日木曜日
国立詣で
2013年の元旦。我が家の窓から見る富士山は澄み渡った空のブルーに、真っ白に鮮やかにその美しい姿を現している。
昼からは恒例の天皇杯を観に国立競技場へ。自由席のチケットだったので早めに行ったのだが、キックオフ30分前にはほぼ満席。カードはガンバ大阪対柏レイソル。来季J2に降格するガンバが意地を見せるか、ACL出場に燃えるレイソルか、なかなか興味深い対戦である。試合は遠藤を起点に細かいパス交換でボールを支配するガンバの攻勢で、何度となくチャンスを作るもののレイソルの堅守に阻まれる展開が続いたが、レイソルがカウンターからCKを得て、これを渡部がヘッドであわせて先制しそのまま逃げ切った。一昨年のリーグ優勝時、レイソルの小見GMにロングインタビューしたこともあって個人的にレイソルびいきに試合を見ていたが、小見氏が未だ獲っていないタイトルは沢山あるので満足することはないと言っていたのを思い出した。ACLではさらに高みに向かって頑張って欲しいものだ。
試合後は神保町に向かい、会社の地元の三崎稲荷神社に初詣。今年も仕事が舞い込むように祈る。
2日は前日に引き続き国立詣で。今年は兄からVIP席チケットを融通てもらったのでロイヤルボックスでラグビー大学選手権準決勝観戦と相成った。4連覇がかかる帝京に早稲田が対抗戦の雪辱を果たせるのかが見所だったが、結果は前半風上で先行した早稲田だったが、後半帝京が地力を発揮して終わってみれば帝京が圧勝。帝京の強さもさることながら早稲田の凋落振りはどうしたことだろうか?しかし帝京はもとよりその“弱い”早稲田に大敗するわが母校の次シーズンを考えるとちょっと暗澹たる気分になる。箱根駅伝ではダークホースに挙げられるまでになった陸上競技部にひきかえ大学から同様に強化のためリクルートを優遇されているラグビー部の今季の戦いぶりは言い訳が出来ない成績だ、是非とも奮起を促したい。
例年同様、スポーツ三昧の正月だが、高校ラグビー、高校サッカーとさらにお楽しみは続く。
2012年10月15日月曜日
週末のお楽しみ
土曜、日曜とお楽しみのスポーツイベントが揃う中、知人より譲り受けた50インチのプラズマディスプレイの搬入もあって臨場感あふれる中継が楽しめた。
まずはサッカー日本代表のヨーロッパ遠征。強豪フランスに圧倒的に攻められながらもしのぎ切り、カウンターで終了間際に香川真司が止めを刺しての大金星。相手は1.5軍ではあったし、日本も決して状態は良くなかったのであまり過大評価はできないが、敵地サンドニで結果を出したのは素晴らしい。
ボクシングでもWBCスーパーバンタム級王者の西岡利晃が、WBO最強の王者ノ二ト・ドネアと統一戦に挑んだが、西岡の切れ味鋭い左を炸裂させる前にドネアに圧倒され強烈な右ストレート一閃でマットに這わされTKO負け。西岡にはひょっとしたらという期待もあったが、やはりパッキャオと並び称されるドネアの実力の前にはいかんともしがたかった。しかし、その意気やよし。最後の花道を飾った西岡のチャレンジは心から称賛したいと思う。
日曜午後には新宿の『PIT INN』で最近知り合ったアルトサックス奏者片桐智和君のライブを観に行く。『PIT INN』なんて何年振りだろう。スタンダード中心(2曲は彼のオリジナル)の演奏を聞きながら、色々と昔のことを思い出す。
まずはサッカー日本代表のヨーロッパ遠征。強豪フランスに圧倒的に攻められながらもしのぎ切り、カウンターで終了間際に香川真司が止めを刺しての大金星。相手は1.5軍ではあったし、日本も決して状態は良くなかったのであまり過大評価はできないが、敵地サンドニで結果を出したのは素晴らしい。
ボクシングでもWBCスーパーバンタム級王者の西岡利晃が、WBO最強の王者ノ二ト・ドネアと統一戦に挑んだが、西岡の切れ味鋭い左を炸裂させる前にドネアに圧倒され強烈な右ストレート一閃でマットに這わされTKO負け。西岡にはひょっとしたらという期待もあったが、やはりパッキャオと並び称されるドネアの実力の前にはいかんともしがたかった。しかし、その意気やよし。最後の花道を飾った西岡のチャレンジは心から称賛したいと思う。
日曜午後には新宿の『PIT INN』で最近知り合ったアルトサックス奏者片桐智和君のライブを観に行く。『PIT INN』なんて何年振りだろう。スタンダード中心(2曲は彼のオリジナル)の演奏を聞きながら、色々と昔のことを思い出す。
2012年8月13日月曜日
ロンドン五輪を観ていて

17日間にわたったロンドン五輪もいよいよフィナーレを迎えた。
今年は、仕事で久々に雑誌の五輪特集にかかわったので、いつも以上に結果が気になってテレビの前に居る時間が多かった。特に大会後半になって個人的に応援していた選手たちの活躍はうれしかった。
陸上男子10000mと5000mで2冠を達成した地元イギリスのモハメド・ファラーは、JICAのフェイスブックキャンペーンで記事を書かせてもらったが、ソマリア移民の出自で、彼の活躍がどれだけ内戦と飢餓に苦しむ人々に力を与えたことか。日本選手が予選敗退していたため話題にこそならなかったが、BSのライブ中継では手に汗握りながらデッドヒートに声をからした。
またボクシングミドル級村田涼太の金メダルは、ボクシング界にとって東京五輪以来48年ぶりの快挙だったが、実況アナウンサーも語っていたが、その東京五輪の金メダリスト桜井孝雄氏は、今年の1月に他界されている。
いまから40年ほど前になるが、予備校に通っている頃、高田馬場栄通りにあった桜井氏が経営するスナック『メダリスト』によく通った。店内に等身大に引き伸ばしたファイティングポーズをとる桜井氏の写真は格好良かったが、お店はなんとなくうらぶれ感があって引退した元栄光のメダリストの行く末としてもの悲しさを感じたのを思い出す。当時のバンタムはF原田はじめ強豪ぞろいで東洋は取ったものの、ライオネル・ローズやルーベン・オリバレスに敗れ世界には手が届かなかったこともあってその後すっかり忘れられた存在だった。村田の金メダルで久しぶりに桜井氏のことや東京五輪の記憶が呼び覚まされた。
村田の偉業には感動したが、早くもプロ転向が噂されているし日本では珍しい重量級の逸材だけに、プロ側もほうっておかないだろう。偉大な先輩がプロで果たせなかった夢をぜひとも実現して欲しいものである。
今回のロンドン五輪は序盤の日本選手の不信もあったが、終わってみれば史上最高のメダル数(金は少ないが)でそこそこ盛り上がった。何十年ぶり~、というフレーズもよく聞いたことからも若い世代の健闘はたたえられてもいいだろう。特に女子サッカーなでしこジャパンは、昨年のワールドカップ優勝の期待感でプレッシャーも大きかっただろうによくファイナルまで戦ったと思う。女子サッカーに関してはレベル的な問題もあってそれほど他人が騒ぐようにどうも熱くなれなかったのだが、宮間や沢はじめいつもながらのハートナイスなフェアな態度には感心させられたし、勝ってなお敗者を慮る彼女たちのメンタリティが世界の賞賛を浴びたことは本当に素晴らしいと思う。領土問題のプラカードをこれ見よがしに掲げる隣国の民度の低さと対比させたくもないが、スポーツ本来の意味を自分の娘(孫?)といっていいような若い彼女たちが範を示してくれたことに感謝したい。政治も経済もお先真っ暗な日本の未来へ一縷の救いを見たような気がした。
2010年11月14日日曜日
スポーツの秋満喫
毎年のことだが、11月中盤の週末はスポーツ観戦に出ることが多い。
今週末も大きなイベントが目白押しで、どの競技を観に行こうかと思案した。
13日は一昨年都立三鷹を選手権初出場に導き“三鷹旋風”を巻き起こした山下監督が新たに率いる都立駒場が、決勝に進出している高校サッカーの都予選の決勝、ドラフト組みの大学生が勢ぞろいする神宮大学野球選手権も捨てがたかったのだが、ここ何年か(昨年は長崎開催でさすがに行けなかったが)野球のアジアシリーズは欠かさず皆勤しているのでまずは恒例ということで千葉ロッテ対SKワイバーンズの日韓王者対決を勇躍観にいくことに。
自分の興味と巷の人気は必ずしも比例しないことも多いが、このアジアシリーズは最たるものでここ2年間は観客動員や経費の観点から採算が取れないことから冠スポンサーがつかず日韓チャンピオンチームだけの1戦勝負になってしまった。レギュラーシーズンの激闘の上、チャンピオンステージ、日本シリーズと続けば選手たちもいい加減休ませて欲しいというのが本音だろうが、野球という競技の国際的な位置づけをあげるためには国内リーグだけにとどまらず国際的カップ戦が重要なのは他の競技を見ても明らかである。こういう国際大会が花試合的に軽く扱われてしまうこと自体野球がドメスティックなローカル競技の域をなかなか出れない要因になっているだろうに。
今年もなかば客足はたいしたことがないと思って高をくくっていたが、先週地味なカードながら日本シリーズが7戦までもつれ込む激戦となった余韻が残っているためか、13日の東京ドームはシリーズを制した千葉ロッテのファンが続々とつめかけ一塁側内や指定席や外野席は売り切れで3万人を超す大盛況、いつにない盛り上がりにいささか驚いた。
ロッテもキャプテンの西岡、守護神小林宏がメジャー行きを希望しこれが日本での最後の姿になるのでロッテファンにとって観れば見逃せない一戦ではあるが、肝心のSK側はエースの金廣鉉を怪我で欠き、アジア大会の代表にも主力を持っていかれているので、いくら第2エースの門倉(中日→巨人)が凱旋先発を努めようともちょっと迫力不測は否めない。試合は清田のタイムリー、今江のホームランで案の定ロッテが危なげなく3-0で完封勝ちしてしまい、特にロッテファンでもないだけにいまひとつ面白みにかける観戦となってしまった。
ただし来年は台湾職棒球連盟主催で台湾での3カ国対戦が予定されているらしいので、そうなりゃ台湾での観戦ということになるのでこれはちょっと楽しみである。
試合終了後、同行の仲間たちが所要のため現地解散となってしまったので、時間がちょうど塩梅が良いのでその足で国立競技場で行われるサッカーのAFCアジアチャンピオンズリーグ決勝にハシゴすることにした。こちらの対戦はクラブワールドカップ出場権もかかっているのだが、今年は日本勢がすべて敗退していて韓国の城南一和天馬とイランのゾブアハンの対戦という日本人にはあまり意味のない対戦となってしまっていた。
こんなカードではよほど物好きか、団体で招待されている子供たちとかしか入らんだろうと思ってガラガラのスタジアムを想定していたが、あにはからんや城南サポーター中心にこちらも3万近い入り。城南は統一教会系企業がスポンサーなので動員にかけてはお手の物なのだろうが、数は少ないが在日イラン人・イスハファンから遠来のサポーターでイラン勢もにぎやかに気勢を上げていて意外な盛り上がりを見せている。
試合はスピードのある城南とテクニックのゾブアハンの真剣勝負で面白かったが、ポゼッション的に上回るも精度を欠いたゾブアハンの拙攻にも助けられカウンターから3得点した城南が3-1でアジアチャンピオンの座を獲得した。日本で観る外国のチーム同士の戦いもなかなか楽しめるものであるが、来年再来年はクラブワールドカップの開催地もUAEから日本に戻るので、是非日本のクラブがアジア代表となって欧州南米のナンバーワンチームに挑戦してもらいたいものである。
明けて14日の日曜日は、高校ラグビーの都予選の決勝。母校が2部落ちしてしまったので秩父宮通いもここのところめっきり回数が減ったが、昨年に引き続き高校生たちの熱き戦いぶりを応援しに午前中から駆けつけた。今年の第一代表の決勝は本郷と目黒学院の対戦。ここ何年か低迷していた目黒が久々に決勝にコマを進めてきた。伝統のエンジのユニフォームを見るのも本当に久しぶりだ。外国人留学生も交えて伝統の大型FWも健在だったが、試合運びに一日の長がある本郷にのっけから立て続けにトライを重ねられてしまう。後半は持ち直し五分以上の戦いぶりを発揮したが終わってみれば37-5で本郷が快勝した。
第二代表は国学院久我山対東京。こちらはいずれも昨年の予選優勝チーム同士。実力校のガチ対決に場内も盛り上がる。しかしながら常に先手を取った久我山が追いすがる東京に苦しみながらなんとか31-14で振り切った。しかし優勝した本郷も久我山も以前ほど絶対的な強さを感じない。確かに上手いしセンスも感じさせるがいまひとつ荒々しさに欠ける気がする。果たして正月の花園で東福岡や京都成章といった強豪にどこまで伍して戦えるのか気になるところではある。
秩父宮の隣の神宮球場では斉藤祐樹の早稲田が愛知学院と対戦していた、惹かれるものはあったがこの2日間のスポーツ漬けでさすがに生観戦はパス。帰ったら帰ったで女子バレー世界大会、ボクシングのマニー・パッキャオのタイトル戦と今度はテレビで気になる中継が待っている。Jリーグの結果も気になるし、あ、アジア大会もだし、そういやF1もあるんだよな。いや~忙しい!
登録:
投稿 (Atom)







