2008年8月28日木曜日

ロニー、北京で失恋


ギャハハ
ロナウジーニョが北京でスウェーデンの女子サッカー選手ヨハンナ・アルムグレンにプロポーズして粉砕したって、本当にワラカスやつだwwwwww
さすがのテクニシャンも北欧のアマゾネスには通用しなかったかw

つーか、ブラジルもアルゼンチンに惨敗したチューのにナンパしてる場合かよ。
でもこれくらいの余裕は、我が代表にも必要かもしれないなw

http://www.zakzak.co.jp/spo/200808/s2008082701_all.html

2008年8月25日月曜日

30年の思い出とともに


反町および星野ジャパンの惨敗だけが印象に残った北京五輪もいよいよフィナーレ、そんな五輪の閉会式を誰が見てやるか、つーか、この日はサザンオールスターズ「真夏の大感謝祭」30周年記念ライブ最終日の中継だろうやっぱ。というわけで6.00PMから独占生中継のWOWOWにかじりついておりました。

会場の横浜スタジアムは涙雨、7万人の観客席は立錐の余地無く埋め尽くされ北京の鳥の巣なんぞにひけはとらない。
みんなそれぞれ一曲一曲に思い入れがあるのだろう、熱気にあふれながらもノリノリというよりどこか聴きに入っているような感じだ。
テレビ参加の我々も感慨は同じである。特に同世代の青学OBにとって見れば、相手がOBと知ると桑田の何級上か下かで相手の年齢を諮るのが習慣になっている位で、サザン結成30年の歴史は桑田とほぼ同じ歳の私にとっても社会人として歩んできた歴史とまんまダブるのである。
しかも選んだ仕事柄、サザンは日常的にいつも近しいところにあった。

レコードからCDへと変わる端境期にデビューし、最初に出現した弁当箱型のカセットテープのウォークマンにも当然サザンは選曲されていた。「ふぞろいの林檎たち」の特集記事を書いたときは“いとしのエリー”漬けになったっけ。T誌の表紙で特集が「夏の甲子園」だったのでメンバー全員に高校野球のユニフォーム姿で登場してもらったこともある。台湾に駐在していた時分は“TSUNAMI”が日本人駐在員のカラオケの定番だった。シンガポールのKTVでマレー系のホステス嬢キャサリンがへたくそな日本語で“真夏の果実”を歌ってくれたよなあ、彼女今どうしているんだろう…。
ああ、思い出せばきりがない。

MCで桑田本人も音楽活動やめたわけではなく、一区切りであることを強調していたが、30年も走り続けてきたら立ち止まりたくなるのも無理は無い。その気持ちは時代をともにしてきた身としては僭越だがよくわかる。それぞれの次にやりたい道もあるのだろう、今後のチャレンジを楽しみにしたい。
それでもハラボーの涙の挨拶に思わずこちらもウルウル来てしまった。

溢れ出る思い出とともに、これからもよろしく。そしてまたいつの日か。

セットリストは以下のとおり
・YOU
・ミス・ブランニュー・デイ
・LOVE AFFAIR~秘密のデート
・女呼んでブギ
・いとしのフィート
・お願いD.J.
・奥歯を食いしばれ
・ラチエン通りのシスター
・TO YOU
・C調言葉に御用心
・働けロック・バンド
・松田の子守唄
・Hello My Love
・朝方ムーンライト
・思い出のスター・ダスト
・夏をあきらめて
・Oh!クラウディア
・東京シャッフル
・そんなヒロシに騙されて
・あっという間の夢のTONIGHT
・メリケン情緒は涙のカラー
・顔
・Bye Bye My Love
・メロディ
・愛の言霊
・シュラバ★ラ★バンバ
・爆笑アイランド
・ごめんよ僕が馬鹿だった
・ロックンロール・スーパーマン
・涙のキッス
・チャコの海岸物語
・夕陽に別れを告げて
・いとしのエリー
・真夏の果実
・TSUNAMI
・I AM YOUR SINGAR
・希望の轍
・OH!SUMMER QUEEN
・エロティカ・セブン
・HOTEL PACIFIC
・ボディ・スペシャルⅡ
・マンピーのG★スポット
~アンコール
・夕方HOLD ON
・みんなのうた
・勝手にシンドバッド
・Ya Ya あの時代を忘れない

2008年8月18日月曜日

気が晴れなきゃ太鼓を叩け


友人の訃報もあって気が晴れぬ中、ご招待いただいたこともあり天王洲の銀河劇場に『ドラムストラック』の公演を観に行った。
『ドラムストラック』は1997年南アフリカのヨハネスブルグで初演、幕を開けるやいなや大ブレイクし世界ツアーでオーストラリアやアジア各国を回った後、2005年にNY進出。オフブロードウェイで18ヶ月のロングランを記録する成功を収めた。
この舞台の特徴は観客席すべてにアフリカの打楽器ジェンベが置いてあり、舞台上で繰り広げられるアフリカンビートの歌やダンスにあわせて、観客が太鼓を叩くという参加型のパフォーマンスであること。今までブッシュ大統領、ネルソン・マンデラ元南ア大統領、エリザベス女王をはじめニコール・キッドマン、ウィル・スミス、エルトン・ジョンと多くのVIPたちも観客席でともに太鼓を叩いたそうである。

夏休みということで親子連れも多かったが、年齢や性別関係なく、また人種や言語も関係なくリズムに合わせて太鼓を叩くうちに心がつながってくるのは本当に楽しい。アフリカの未開の部族の中には太鼓によって意思疎通を図る種族もいたように聞いたことがある。元々太鼓の音はコミュニケーションの伝達手段としての役割も果たしていたのだろう。
舞台自体は特にストーリー性があるわけではないが、舞台上の演技者の音頭につられていくうちに会場中のリズムはひとつになった時はちょっとした感動でもある。

アフリカの灼熱の大地を思わせるリズムの中に身をおきながら、頭を空っぽにして太鼓を叩き、軽い疲労感とともに舞台を見終わった後、心地よい爽快感に包まれた。

個人的にブルーな気分にいかばかりかの心の薬になったようだ。

2008年8月15日金曜日

喪失する日常

連休中で都内は比較的空いているが、気温は尋常ではなく上がっている。
外を歩くと汗は噴出し、午後の照りつけるような日差しに気が遠くなりそうだ。
15日は、終戦記念日ということなのだろう右翼の街宣車がフルボリュームでアジ演説をがなり立てている。
何もこんな日に、気分はささくれ立ち苛立つ。
街が陽炎のように揺らめき、風景は霞んでくる。
涙が流れるほど悲しい気分なのに、心は沈むものの涙は乾ききっている。

K君が亡くなった。

長い闘病生活だったから、いつかこの日を迎えるとは覚悟はしていた。
だからこそ、昨夜電話で連絡をもらってからことさら冷静は保とうとするのだが、やはり心の空白は埋めようがない。昨年の春先だったか見舞いに行ってから気にはなっていたが、この日が来ることを恐れて、考えなければ忌避できるとばかりに、考えないようにしてもいた。

K君とは前の会社で初めて雑誌を立ち上げたときにともに仕事をすることになった、そのつき合いはもう26年にもなる。当時25歳だったから彼の後半生を共有したことになるわけだ。
人懐こく、優しかった。
下北沢の街をこよなく愛し、1日とあかず立ち寄っていたよな。
ビールはサッポロ以外は飲まない酒飲みだった。
クレージーキャッツが好きで、酔うと良く歌ったね。
漢詩を諳んじるような意外な教養もあったけど
嫌なことは駄洒落で笑い飛ばし、よく人の世話をやく男だったっけ。
思い浮かべれば昨日の様にどんどん時間が甦ってくる。

私が会社をやめた後も、君がいれば会社とつながっていけた。
だって26年も必ずそこに居たじゃないか。
ニコニコ笑いながらいつも迎えてくれたよな。

これからはそんな当たり前の日常が、ぷっつりと無くなってしまう。
今は実感がないが、きっと君の不在を意識するたびに耐え難い寂寥感を感じるんだろう。

そんなことは考えたくない。
そんなことは考えられない。
そんなことは考えようもない。

2008年8月14日木曜日

覆水は盆にカイラスだって


前の日記をアップしたばかりで飛び込んできたのは雑誌『カイラス』の発行元アーバンコーポレイションの倒産のニュース!総額2558億の負債で今年一番の大型倒産らしい。不動産不況がたたったということらしいがここ何ヶ月かの株価の動きも変だったので大丈夫かなと心配はしていたのだが。
旧知の仲でもあるKN編集長から電話をいただいたのだが、いつもニヒルなKN氏もさすがに焦っていた。そりゃそうだろう。

せっかく第3号目の作業に入っていたのだが、雑誌自体の存続は決まってはいないものの多分難しいだろうなあとのこと。こっちにとっても取材や原稿発注も済ませていたので迷惑をかけてしまう関係者も多い、あるライター氏からは“覆水盆にカイラス”と笑わせてもらったが、こちらとしても仕事がなくなってしまうのはなんとも痛いので本当は笑い事ではない(涙)。たまたま昨日も別口の取材先(クライアント)で景気の悪さを嘆きあったばかりなのだが実際直接的にこんな形で体感させられるとは思わなかった。

与謝野経済相がここのところの景気後退を「対外的要因だから楽観的に考えるほうが正解ではないか」などと脳波がおかしいんじゃないかとしか思えない危機感ゼロの発言してたが、この倒産劇とかどう思うんだコラ。なんだか本当に嫌な時代になって行きそうだ。

『カイラス』は金がかかったスカした雑誌だったけど、地球環境にテーマを置いた骨太さも持ち合わせていた。これで終わらせてしまうには本当に残念のきわみだ。どこかで発行元変わって継続できないものだろうかと切に思う。

2008年8月13日水曜日

ターセム監督インタビュー


雑誌『カイラス』の仕事で、9月公開の映画『落下の王国』のターセム・シン監督のインタビューに立ち会う。インタビューに先立って先日試写も観て来たのだが、映像の美しさに関しては近年まれに見るというか今まで見たこともないような心揺さぶられるシーンのオンパレードに終了後もしばらく声も出なかった。

ターセムは1961年生まれの47歳、インド・パンジャブ地方出身で、イランの寄宿学校で学び24歳で渡米。CMやMTVの仕事で才能を開花させ、91年R.E.MのミュージックビデオでMTV最優秀ビデオ賞を受賞。ナイキの“Good vs Evil"などのCMで一躍映像の魔術師と謳われるまでになる。2000年にジェニファー・ロペス主演の『ザ・セル』で映画デビューした。この作品が第2作目だが構想自体は20代の頃から暖めてきたもので24カ国以上のロケ地で(うち世界遺産13箇所)4年間にわたって撮影が続けられたそうである。しかも過去のCM製作で稼いだ個人資産のほとんどすべてをこの映画につぎ込んで、執念で完成させた作品なのである。
都内のホテルの一室でインタビューは行われたのだが、挨拶の後、“素晴らしい映像美に感動しました”と我々が言うと、“本当に?やったね!”とガッツポーズしたのにまず驚かされた。映画監督によくある気難しさや芸術家肌を気取ることもない、なんとなくMTV出身の出自を感じさせるいい意味でのノリのよさが伝わってくる。わずか30分の短い持ち時間だったが、ひとつの質問にインド訛りの英語で延々としゃべるしゃべる。こちらは聞きたいことはたくさんあるのにといささかはらはらさせられたが、よほどこの作品に対して話すのが好きなのだということは本当によくわかる。

ストーリーは草創期のサイレント映画のスタントマンの青年が撮影中の事故で大怪我を負い、さらに恋人を失い生きる望みを失う。入院中に知り合った5歳の少女患者に創作した物語を語ることをだしにモルヒネを盗ませようとする、しかし少女の純真無垢な気持ちにいつしか自らが癒されていくという物語。想像上のファンタジーの世界が石岡暎子の幻想的な衣装とあいまって極彩色であるのに対して現実世界がモノクロームというまあそれほど新しい手法ではないのかもしれないが、主役のルーマニア人少女カティンカ・アントルーの瑞々しい演技がモノクロームの画面を逆にリアルな時間軸をつむぎだしていく。

“映像を学び始めたときブライアン・イーノの講義で非常に感銘を受けたんだ。いわくレコードのような記録メディアが出来る前の音楽家は聴衆に応じて演奏を変えた、ストーリーテリングもそれと同じで本来は聞いている相手によって語り方を変えていくのが物語ることのもっともプリミティブな形だというわけだ。ましてや相手がイノセントな子供なら誤解やズレも生まれ、それが逆に話す側の物語に思わぬ影響を与えていくと思うんだ。だから聴衆の反応を見ながら音楽のトーンやムードを変えていく、そういった語り口に、僕は映画という表現方法でトライしてみたかったんだよ”

“とにかく自分に正直に、やりたいことを撮って行ったんだ。弟(共同製作者)には家を売るまでになったら教えてくれといったんだけど、本当に重要なのはとにかくこの映画を作ったという事実。途中であきらめていたら本当に後悔しただろうな。映画は人生そのものなんだからね”

機関銃のように言葉が飛び出してくる濃密なインタビューの時間が終わると“試写には来てくれたの?”と逆に聞かれた。もちろんですと答えると“それは良かった。だってDVDで観るのとスクリーンを通してみるのとではやはり手作り感が伝わらないからね”CGをほとんど使わず(唯一タージマハルのロケ中に映りこんだ観光客と世界遺産の場所に観光用につけられた手すりを消した)ひとつひとつのシーンに金と情熱をつぎ込んだ映画バカの快心の笑顔がそこにあった。

映画『落下の王国』は9月6日、シネスイッチ銀座ほかで公開。

2008年8月11日月曜日

五輪も観ずに


北京五輪を完全にスルー、と日記に書いてしまったこともあって(意地になることもないけど)
日曜日は所沢に『埼玉西武×北海道日ハム』を観にいく。
というのもこの日はクラシックライオンズデー。西鉄のユニフォームの復活した姿だけが観たくて、いまや愛着ゼロの埼玉西武の本拠地に出向いたのであった。
試合前に西鉄ゆかりの記念グッズを仕入れ、西日本スポーツの昭和33年の日本シリーズ優勝号外の復刻コピーももらったのでもうすっかり満足して(子供かよ!)帰ろうかと思ったが、せっかくだから試合も観ることにした。

試合自体は埼玉西武の打棒爆発と先発帆足の好投で11-1で圧勝。まあ西鉄×東映といえばかつての黄金カードだったけど、少しは昔の記憶も甦ってくるかなと思いきや、ナイキ製の西鉄のユニフォームはスリムすぎてまったく別モンに見えてしまう。だいたい帆足みたいに長髪なびかせている選手なんかあのシンプルなユニフォームじゃ絵にならない。
応援団も当たり前だけどガキばかりで、外野席はむしろ青い現在のユニフォームで埋まっていたし青いジェット風船も阪神の真似でオリジナリティのかけらも無い。西鉄応援団は<炭坑節>に決まってるたい!
唯一、イニングの変わり目にスクリーンに映し出されていた稲尾様の映像だけが涙出るくらいに嬉しかった。

さて北京五輪は柔道で内柴が初の金(おめでたうさん)。反町ジャパンはグループリーグ敗退で北京五輪なのに北京に行けずじまい。オグシオの初戦はハラハラしたけど何とか初戦突破。まあスルーと言ったけど始まったら始まったでやっぱり結構観てしまう。

2008年8月7日木曜日

こうなるんじゃないかと

北京五輪の開幕を前に、サッカー五輪代表が男女ともいち早く戦いをスタートさせた。
なでしこジャパンはニュージーランドに痛い引き分け。2点のビハインドを背負い敗色濃厚だった試合を粘って何とか引き分けに持ち込んだ。続く男子の初戦はアメリカ、前半試合を支配しながら好機を決めきれず、後半逆に足が止まりかけたところをつかれて失点し試合を落としてしまった。

男女ともいわゆる死の組。ともに初戦は一番勝チャンスがある相手だったが勝ち点3は獲れずじまい。
女子の残る対戦はともに世界タイトルを取ったことがある強豪アメリカ、ノルウェー。男子はいわずと知れたナイジェリア、オランダ。はやくもグループ突破に黄信号がともった。

まあ、女子はともかく男子はあまり期待していなかったので別に驚くこともないが。

2008年8月3日日曜日

シェーの時代の思い出


赤塚不二夫氏死す。
享年72歳。

『少年サンデー』で『おそ松くん』の連載が始まったのが昭和37年。
悲しいことがあったときはいつも、『おそ松くん』で嫌なことを笑って忘れた。
ノートの端にはイヤミやちび太の絵を真似して書いたっけ。
おでんの買い食いをみつかって先生に怒られ、写真を撮られる時は必ず皆でシェーのポーズをとった。
畏友・泉麻人の『シェーの時代』(文春新書)で描かれた昭和子供社会の当事者としては、赤塚作品はすべて時代を共有した宝石のようだった。

今頃は手塚治虫先生をはじめ、寺田ヒロオ、石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄、森安なおや諸氏ら先に逝ったトキワ荘の面々に迎えられていることだろう。

思い出と感謝の気持ちとともに

合掌

2008年8月2日土曜日

スルー決定

北京五輪の開幕目前。日本大使館が中国当局の勧告を受けて発表した注意事項のなかで、サッカーの応援に鳴り物はもとより“頑張れニッポン”の横断幕や選手の名前を書いたボード、さらには揃いのユニフォームを着ての応援も禁止なのだそうだ。
おそらく当然にして日章旗、旭日旗の類も駄目だろう。

中国の試合にも同様の措置が取られるのだろうか見ものだが、しかしいかに治安維持が目的とはいえ、この露骨な全体主義にもうあきれて言葉も出ない。これならいっそのこと全試合無観客試合にしてしまえばいいのに。
建国以来初めて世界に対して国際イベントのホストカントリーとしてかつてない数の外国人観光客が訪れることになるのに、これでは世界に向けて後進性をあらわにしてしまうことに他ならない。

反町ジャパンにはたいして期待しているわけではないが、こんなところさっさと負けて帰ってこいよとも言いたくなる。こんなに興味のわかないオリンピックもまたとない。