2008年8月15日金曜日

喪失する日常

連休中で都内は比較的空いているが、気温は尋常ではなく上がっている。
外を歩くと汗は噴出し、午後の照りつけるような日差しに気が遠くなりそうだ。
15日は、終戦記念日ということなのだろう右翼の街宣車がフルボリュームでアジ演説をがなり立てている。
何もこんな日に、気分はささくれ立ち苛立つ。
街が陽炎のように揺らめき、風景は霞んでくる。
涙が流れるほど悲しい気分なのに、心は沈むものの涙は乾ききっている。

K君が亡くなった。

長い闘病生活だったから、いつかこの日を迎えるとは覚悟はしていた。
だからこそ、昨夜電話で連絡をもらってからことさら冷静は保とうとするのだが、やはり心の空白は埋めようがない。昨年の春先だったか見舞いに行ってから気にはなっていたが、この日が来ることを恐れて、考えなければ忌避できるとばかりに、考えないようにしてもいた。

K君とは前の会社で初めて雑誌を立ち上げたときにともに仕事をすることになった、そのつき合いはもう26年にもなる。当時25歳だったから彼の後半生を共有したことになるわけだ。
人懐こく、優しかった。
下北沢の街をこよなく愛し、1日とあかず立ち寄っていたよな。
ビールはサッポロ以外は飲まない酒飲みだった。
クレージーキャッツが好きで、酔うと良く歌ったね。
漢詩を諳んじるような意外な教養もあったけど
嫌なことは駄洒落で笑い飛ばし、よく人の世話をやく男だったっけ。
思い浮かべれば昨日の様にどんどん時間が甦ってくる。

私が会社をやめた後も、君がいれば会社とつながっていけた。
だって26年も必ずそこに居たじゃないか。
ニコニコ笑いながらいつも迎えてくれたよな。

これからはそんな当たり前の日常が、ぷっつりと無くなってしまう。
今は実感がないが、きっと君の不在を意識するたびに耐え難い寂寥感を感じるんだろう。

そんなことは考えたくない。
そんなことは考えられない。
そんなことは考えようもない。

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