2008年8月3日日曜日
シェーの時代の思い出
赤塚不二夫氏死す。
享年72歳。
『少年サンデー』で『おそ松くん』の連載が始まったのが昭和37年。
悲しいことがあったときはいつも、『おそ松くん』で嫌なことを笑って忘れた。
ノートの端にはイヤミやちび太の絵を真似して書いたっけ。
おでんの買い食いをみつかって先生に怒られ、写真を撮られる時は必ず皆でシェーのポーズをとった。
畏友・泉麻人の『シェーの時代』(文春新書)で描かれた昭和子供社会の当事者としては、赤塚作品はすべて時代を共有した宝石のようだった。
今頃は手塚治虫先生をはじめ、寺田ヒロオ、石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄、森安なおや諸氏ら先に逝ったトキワ荘の面々に迎えられていることだろう。
思い出と感謝の気持ちとともに
合掌
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4 件のコメント:
赤塚不二夫。
死んでも死なないような気がしていましたが(フジオが不死身に聞こえたのか)、倒れて以後は死につつ生きているような状態だったのかもしれません。30年代から始まった小生の昭和のなかでは(なんせ物心ついたのがその頃)、天皇はいま思うと赤塚不二夫でしたな、手塚より、お嬢より、黒澤より、あのひとより。
手塚マンガは先生のような気がしましたが、赤塚ギャグは、親友のような感じだった気がします。
それにしても椎名町あたりのアパートから時代を作った才能が、これだけ輩出したのもあらためて凄いと思いますね。
確かに「おそ松くん」が我々の世代のバイブル的な漫画でしたね。
私もイヤミやチビ太の似顔絵をよくノートに書いておりました。
新聞で知りましたが、赤塚先生は唐十郎に赤テントをプレゼントしたそうですね。よく観にいった状況劇場のテントがそうだったなんて、やはり大した人物です。
合掌。
>たかんさん
レスありがとうございます。
赤塚さんは漫画家の枠を超えていわゆる新宿系の文化人でしたね。漫画だけの人なのに色々な人が集まっていたのもすごい。
談志がテレビで“赤塚不二夫という狂気”と言っていたのが印象的でした。
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