2009年11月11日水曜日
恵林寺詣り
日曜日、ワイナリー見学とバーベキューを目的に秋の甲斐路をめざしたのだが、途中で武田信玄の菩提寺である恵林寺に立ち寄り、その墓所にも訪れることができた。信玄公の墓前にたたずんで古を偲んだのだが実はこの場所には個人的には特別な感慨がある。
信玄公の墓の後ろにはあまり知られていないが武田家臣の供養塔も70基並んでいるのだ。
武田の家臣にはわが秋山家の祖なのではないかと推察される秋山氏の武将が大勢連なっており、その中には私と同姓同名の秋山(紀伊守)光次という武将もいて、なんとなく自分の背後霊が潜んでいるようで厳粛に深くこうべを垂れてきたような次第。
この同姓同名の武将は、織田軍に追われた信玄公の遺児・勝頼の8人の侍大将のひとりとして天目山の戦いで勇猛果敢に奮戦したうえ2代にわたって仕えた武田家とともに運命を共にし殉死したそうである。この秋山光次自体が恵林寺に祭られているかどうかは定かではないが(勝頼とともに天目山近くの景徳院に祀られたのかもしれない)武田二十四将の誉れ高い秋山信友の叔父に当たるのでいずれにせよここ恵林寺も所縁は深いと思われる。
先日、秋山家の由来について書いたことがあったが、氏素性がはっきりしている祖母・波多野家に比べて秋山の血統は今一つわからない。だが、代々、阿波の国で蜂須賀氏に仕え藍商の専売権を与えられたと聞いていたので、下野源氏の血を引く蜂須賀との縁を考えれば同じ関東の甲斐源氏の秋山氏がルーツに連なるのは充分に考えられる(といっても本当のことはわかりはしないけど)。
秋山姓の武将のなかには光清という祖父とも同姓同名の人物もいる。祖父は成年してから源之進という名から改名したそうだから、ひょっとしたら孫の名を考えるときに(祖父が名付け親なのである)ついでに歴史をヒントにしゃれてみたのかもしれない。400年後の秋山光次の風貌だって前頭部の髪の後退とともに落ち武者っぽくなってきたのでこれも案外武田家臣のDNAだったりしてw
そんなことを考えていると本当にこの地に祭られている秋山氏の武将たちは他人とは思えなくなってくるのである。
すっかり紅葉した名刹の美しい庭で名物・信玄餅を頬張りながら、武田の忠臣であった同姓同名の先祖(かも知れない)に思いをはせた一日であった。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿