2013年12月13日金曜日

週間呑みアルキスト11.18~12.8



●11月19日
ポール・マッカートニー公演を観に東京ドームへ。ビートルズ時代、ウイングス時代、そして新アルバムからとそれぞれ年齢を感じさせぬエネルギッシュな演奏は素晴らしいの一言。終了後同行のES氏と飯田橋のBar『シェパード』で感激冷めやらぬポール談義を遅くまで語り合う。

●11月20日
早朝から欧州遠征中の日本代表対ベルギー戦をテレビ観戦。前試合でオランダと分ける健闘ぶりを示したザックジャパン、この日も絶好調。W杯のダークホース的な競合ベルギーに対し終始果敢に攻撃。何と3-2の大金星。

●11月21日
神保町に出てきた兄夫婦と妹を交えてすずらん通りの中華『SANKOEN』で会食。

●11月22日
この日から2年ぶりの台湾旅行。今回は同行のED氏、FT嬢の添乗員的な役割。朝一番の羽田発松山行きのJAL便で昼過ぎには台北へ到着。チェックイン開始前のホテルに荷物を預け近辺の小吃屋で牛肉麺の軽い昼食。早くも“美味しい!”の声。チェックイン後FT嬢の希望でもある九份にチャーターしたタクシーで向かう。ひとしきりお店を冷やかしたあと『阿妹茶酒館』で雨に煙る基隆港を見降ろしまったりとお茶をすする。台北に戻った後、白菜獅子頭が有名な『秀蘭小吃』で上海料理の夕食。永康街を散策した後、饒河街観光夜市へ。分刻みのスケジュールにさすがにホテルに戻ってバタンキュー。

●11月23日
朝飯をホテルで済ませチェックアウト後新幹線で一路高雄へ。ホテルに荷を預け今回の台湾旅行のメーンイベント・海鮮食いまくりのため早速フェリーで旗津の海鮮ストリートへ。巨大伊勢海老を刺身とみそ汁に、清蒸の魚料理と蛤など定番の海鮮料理に舌鼓を打つ。旗津の海辺でゆっくり南国の風景を散策した後、郊外の蓮池譚に観光。しかし気温は27度で少し歩くと汗がにじみ出る。夕食は『龍袍湯包』で小龍包。食事後は旧い日本家屋を利用した茶藝館『耕読園書香茶坊』でだらだらと贅沢な時を過ごす。宿泊先の国賓大飯店へ戻り最上階のBARで愛河の夜景を眺めながら就寝前の一杯。

●11月24日
台北へ戻り、台湾料理の名店『欣葉』本店で昼食。FT嬢は台湾のハンバーガー割包がすっかるお気に入りの様子。こっちは昨夜高雄のホテルで冷房つけっぱなしで就寝したためすっかり風邪をひいてしまう。迪花街、東区の繁華街を見学。夕食はK社台湾駐在のOT氏、SZ嬢と合流し済南路の隠れ家的なレストラン『四知堂』へ。ワインで創作台湾料理。美味し。雙城街のPUB街を冷やかし宿泊先の華国大飯店のBARで軽く一杯。

●11月25日
午前中、晴光市場の屋台で魯肉飯の朝飯。足つぼマッサージでリラックスしてホテルをチェックアウト、松山空港へ向かい日本へ帰国。大いに呑み食べした3日間でした。

●11月28日
昼時にTN社のNM氏がひょいと事務所に立ち寄ってくれたので、同部屋のNG氏とともにランチミーティング。水道橋近くの日本料理『花家』で純和風の定食。

●11月29日
先日コンサートに同行したES氏に誘われ、共通の知人でNC社のUT氏と30年ぶりの再会を果たすことになり新橋の居酒屋『虎徹』へ。UT氏30年ぶりにも関わらず昔とイメージはすぐ重なり当時の若かったころの思い出話に花が咲く。あっというまに終電タイム。

●12月1日
今年改築のため最後となる国立でのラグビー早明戦を生観戦。明治の奮起でゲームは拮抗し好ゲームとなった。結果は15-3で早稲田の勝利。試合終了後はスペシャルイベントとしてユーミンが登場。お約束の『ノーサイド』の生ライブでノーサイド。

●12月6日
村田涼のプロ第2戦、井上尚哉の東洋太平洋タイトル戦、八重樫東の世界タイトル戦とボクシングのビッグイベントがあるため早々に帰宅し家呑み観戦。3人ともこれぞボクシングという素晴らしい試合。亀田兄弟の試合がまったく茶番に見える。週明けの『明治屋2nd』でのマスターとのボクシング談義が楽しみ。

 
●12月7日
ワールドカップブラジル大会の組み合わせ抽選が決定。日本はコロンビア、ギリシア、コートジボアールのC組。ドイツやスペインはいないがそれなりに難しい相手が揃う。けっして楽な組み合わせではない。しかしはや気分は盛り上がりつつ本大会が待ち遠しい。なんとか現地観戦の道を見つけなくては。



2013年11月21日木曜日

グレート!ポール

ポール・マッカートニー東京公演。16500円のチケット料金は痛いが、ビートルズ生存者の生鑑賞もあと何度もあることではないだろうと思い、参戦を決意。19日の東京ドーム公演へ。

ポールの歳を感じさせぬ精力的なステージは、期待以上!高額チケットも惜しくない素晴らしい時間を楽しめた。

セットリストでもビートルズ時代、ウイングス時代、新曲と満遍なくラインアップされ、懐かしいやら新しい曲に感銘を受けるわで、久々に嫌なことを忘れ没頭。
やはり偉大なり、マージービート!


01.Eight Days a Week 
02.Save Us 
03.All My Loving 
04.Jet
05.Let Me Roll It
06.Paperback Writer 
07. My Valentine 
08.Nineteen Hundred and Eighty-Five 1985
09.The Long and Winding Road
10.Maybe I’m Amazed
11.Things We Said Today
12.We Can Work It Out
13.Another Day
14.And I Love Her
15.Blackbird
16.Here Today
17.NEW 
18.QUEENIE EYE 
19.Lady Madonna
20.All Together Now
21.Lovely Rita
22.Everybody Out There 
23.Eleanor Rigby
24.Being The Benefit For Mr.Kite!
25.Something
26.Ob-La-Di, Ob-La-Da
27.Band on the Run
28.Back in the U.S.S.R.
29.Let It Be
30.Live and Let Die
31.Hey Jude
アンコール①
32.Day Tripper
33.Hi, Hi, Hi
34.I Saw Her Standing There
アンコール②
35.Yesterday
36.Helter Skelter
37.Golden Slumbers/Carry That Weight / The End

2013年11月18日月曜日

週間呑みアルキスト10.14~11.17



●10月15日
東京は台風が未明に襲来するとの予報もあり早めに帰宅、欧州に遠征中のザックジャパンの対ベラルーシ戦をテレビ観戦。前週のセルビア戦に続きW杯本大会に進めない国にあえなく敗退。これでまた監督への風当たりが強くなると思われるが、もともと力の劣るアジアの代表レベルで欧州の中堅国の実力を考えると、そんなに結果において批判されるのもおかしなものである。まあここ10年の日本代表しか観てない世代、また観始めた人たちにとっては日本は強豪の一部と映るのだろうか?確かにザッケローニの采配がすべからく理にかなったものだとは決して思わないが、更迭論を唱える人間には後任のめどもないのに言いっぱなし批判するのもフェアではないだろう。代表監督の選任はそれほど簡単ではないし、日本人でも良ければ話は別だが、それこそザック以上の日本人なんて考えられんだろう。

●10月20日
午後から新宿『PIT INN』にて知人のサックス奏者KG氏のライブ。昨年に続き2度目だが、今回はポール・デズモンドばりの「TAKE FIVE」を披露。終了後中華料理の『隋園別館』で打ち上げ。紹興酒をしこたま飲んで解散後、東京国際映画祭へ。映画鑑賞中の睡魔に打ち勝つべく奮闘。

●10月27日
前日が台風だったため、この日に予定されていた『明治屋2nd』主催のBBQが中止になって、急遽神楽坂の広島風お好み焼き『かぼろ屋』に場所を移し宴会。広島カープ一色の店だがテレビでは楽天対巨人の第2戦目。

●10月28日
健康診断の結果、胃がん検診で再検査となる。母親が胃がんで亡くなったのとちょうど同じ年齢に差し掛かっているのでチョイと心配。まあ長い間の呑みアルキで再検査にならないほうが不思議だったのかもしれないが、さっそく内視鏡の精密検査を申し込むことに。

●10月30日
友人のED氏と、彼の新しい彼女KR嬢から呼び出され、KR嬢の知人の独身女性を紹介するとのことでひさびさの合コン。歌舞伎町の台湾料理『青葉』で会食したのち『RIT BAR』で2次会。もちろんお持ち帰りなんぞ無しではあるが。

●11月2日
秩父宮ラグビー場にて日本代表が世界最強のオールブラックスと対戦。ウェールズに歴史的勝利をおさめたばかりのエディージャパンにとって真価が問われる試合だったが、結果は完敗。スピード、フィジカル、テクニックどこをとっても実力差を露呈してしまった。小雨交じりでビールよりも熱燗が良かったのだが、超満員のスタジアム内の売店ではなかなか思うに任せず我慢。

●11月3日
楽天対巨人の日本シリーズ最終戦を家呑みしながらテレビ観戦。巨人杉内が早い時間でKOされ、予想外の展開に。最後に前日に160球を投げた田中マー君が抑えで登場。投球過多を心配する声もあろうが劇的な初優勝の胴上げ投手は彼以外には考えられないだろう。震災復興にいまなお大変な思いをしている東北のファンのためにも価値ある日本一である。酒も美味し。

●11月5日
古巣K社の海外事業部OT氏の台湾赴任が決定したということで、台湾駐在の先輩である小生とOK氏、それにOT氏と仲の良いライターTM嬢、海外事業部の広州駐在だったYD嬢が加わり神保町の中華ダイニング『SANKOEN』にて壮行会。OT氏には是非とも今後の足がかりを作ってほしいと依頼。

●11月8日
しばらく連絡の取れなかった仕事仲間であるKJ氏の突然の訃報に衝撃を受ける。すぐさま関係者への電話連絡に追われ、一段落したところで連絡を手伝ってもらった仲間のSM嬢、TM嬢、彼の後輩であるWS氏らとともに今後の対応を相談するために新宿に集合。若いころ苦楽を共にしよく集った思い出のある飲み屋『池林房』で故人の在りし日を思い浮かべながら献杯する。

●11月9日
一日中、喪に服す。

●11月10日
引き続き自粛。

●11月11日
お茶の水の杏雲堂病院にて内視鏡検査。検査医の所見では特に心配するようなことはないとのことで一安心。後日担当医師から詳細を教えていただけるとのこと。しばらく呑みアルキは控えようと自重。

●11月16日
EB社D誌の編集者で長い付き合いのNM嬢と、古い仲間である面々8名ほどが集まり井の頭公園内の居酒屋『サブライム』で旧交を温める。幸い天気にも恵まれ素晴らしいロケーションのお店ですっかり長居をしてしまう。現在闘病中でもあるNM嬢も久々楽しい会合だったようで励みになればと一同心から快癒を祈る。

●11月17日
友人のED氏に来週末からの台湾行に際してのフライトチケットやホテルバウチャーなど一式を手渡すために新宿で落ち合う。新宿三丁目の『BAKURAI』で食事後、池袋へ移動しサンシャイン通り近くのPUB&スナック『Clavis』へハシゴ。



 

2013年10月28日月曜日

今年の東京国際映画祭鑑賞作品

今年の東京映画祭、たまたま仕事も暇だったのでいつものようにアジア映画中心に10本ほど観ることができた。期間中天気も悪く、なんだか例年以上に寒々しい印象。お祭り感がまったく感じられないのは残念。今は昔だが、一時の夕張映画祭が懐かしい。
で今回の鑑賞作品だが以下の通り。

1本目はハリウッドものの『パークランド―ケネディ暗殺、真実の4日間』(ピーター・ランデズマン監督/ザック・エフロン主演)。今年はケネディ暗殺から50年、JFKの遺児キャロライン・ケネディが駐日大使に赴任するモニュメンタルな年でもあるので、日本人にとっても1963年11月22日はとても忘れがたいのだが、その22日から4日間、実際の現場はどう動いたのかというドキュメンタリータッチの歴史再現映画である。これまでにも映画製作者の多くが挑戦してきた“真犯人はだれなのか?”という謎解きはまったく無く、あくまでもその時何が起こったのかを主眼においた作品である。緊急治療にあたった病院関係者の衝撃、犯人と目されたりー・ハ―ヴェイ・オズワルドの家族の苦悩、シークレットサービスとFBI、州警察の確執と責任回避工作、狙撃の瞬間をを撮影したアマチュアカメラマン、ザプルーダの困惑、などなど当事者たちの群像劇は当時のファッションや時代背景をうまく再現してあり、なかなか見ごたえはあった。当直医としてケネディの救命治療にあたった医師役のザック・エフロンが好演。













2本目は、英豪合作『レイルウェイ 運命の旅路』(ジョナサン・デブリツキー監督/コリン・ファース主演)。第2次大戦下、泰緬鉄道敷設工事に駆り出され虐待されたある英国軍捕虜が戦後深い心の傷を受けながら生きてきたが、当時の憲兵の生存を知り彼に会い向かい合うことでついには和解に至るまでの道のりを描く。これは実話をベースにしたもので以前この主人公であるエリック・ロマックスの著書を読んだことがある。映画ではコリン・ファースに加え、二コール・キッドマン、真田広之という豪華キャストということもあって、いまひとつリアリティにかけてしまったところもあるし、旧日本軍の一方的な戦争犯罪という視点はちょっと引っかかるものがあったが、役作り以上にコリン・ファース、二コール・キッドマンの中年期を迎えた枯れぶりが魅力的。原作同様KADOKAWAが配給、納得。










3本目はワールドフォーカス部門からタイ映画の『マリー・イズ・ハッピー』(ナワポン・タムロンラタナリット監督)。卒業をまじかに控えたタイの女子高校生の揺れる心情を描いた作品。実際の400本にもわたるツイッターのの文面とともにストーリーが進むちょっと実験的な試みが面白い。主役を演じる二人の女子高校生もだが、周囲大人たちがまたなんともいえないタイ独特のペースというか、良い味を出している。                 
                                                               










4本目もワールドフォーカス部門で香港中国合作の『激戦』(ダンテ・ラム監督)。ドンパチアクションには定評のある監督が選んだ素材がリング上のバトル。聞けば香港・マカオは現在総合格闘技MMAが大人気だそうで、監督自らもファンを自認、いつか撮りたかったテーマであったという。かつて香港で八百長で追放され借金まみれの元プロボクサー(ニック・チョン)と、親の破産で無一文となった青年(エディ・ポン)がともに一攫千金と、自らの尊厳、愛する者たちのためにマカオの過酷なリングに挑戦する話。金網デスマッチの格闘シーンはド迫力で手に汗握る、名アクション監督の面目躍如といえよう。またニック・チョンと触れ合う孤独な母子との人間ドラマも泣かせる。香港、中華圏で大ヒットしたのもうなずける、これぞエンタテインメント、今回観た作品中一番面白かった一本である。













5本目からは台湾電影ルネッサンスという特集。今年は5本の新作に加え、候孝賢はじめとした台湾ニューウェーブの記念碑的作品となったオムニバス映画『坊やの人形』(83年)が上映される。その初っ端の作品として鑑賞したのが『高雄ダンサー』(何文薫/黄宇哲監督)。台湾の女流舞踊家と韓国の絵描きという二人の初監督作。早大の安藤研究室が共同制作として加わっている。ストーリーは高雄を舞台に幼馴染の男女3人のほろ苦い青春ドラマ。高雄の風景は個人的にはなかなか良かったが、いかんせんアマチュアの制作陣だけに人物設定もいまひとつでストーリーもいまひとつこなれていない。残念ながら日本でいえば自主映画の域を出ない作品に終わった感がある。













6本目は『Together 甜.秘密』(許肇任監督)。17歳の男子高校生の目を通して描く、父、母、姉のそれぞれの恋愛をシニカル、かつ温かく見守るストーリー。この作品も新人監督の撮ったものだがかつて楊徳昌ら大物監督の助監督をつとめた人で42歳にして初監督という苦労人である。そのせいか、馬志翔、李千娜といった台湾のベテラン実力派俳優も多く出演し映画に花を添えている。それはいいとして作品のほうは男女間の心の機微や人物の輪郭表現がいま一つ甘く、まあこんなもんかなというくらいの印象度。















7本目は『27℃―世界一のパン』(林正盛監督)。『浮草人生』『台北ソリチュード』と意欲作を発表してきた監督が9年ぶりにメガホンをとった作品。2011年度の世界コンクールで優勝した台湾のパン職人の一代記を描くサクセスストーリー。台湾はパンが美味くなかったのが駐在時代の記憶だったのでここ何年かの台湾のパン文化の変化にびっくり。映画自体は台湾っぽいべタな熱血青春もので、9年のブランクを少し感じてしまう出来に終わっている 。ただパンの発酵シーンなどパンが焼きあがる過程を、ここ何年か劇映画を離れドキュメンタリーを制作していたという監督らしく、リアルかつドラマチックに表現しているところはさすが。台湾のパン文化が日本と密接に関係しているのも成程と思わせられた。













8本目は『熱帯魚』『ラブゴーゴー』の鬼才・陳玉勲監督のこれまた16年ぶりの作品『総舗師―メインシェフへの道』。伝説の料理人を父に持つ少女の借金返済と老夫婦から依頼された宴席料理復活のためアイアンシェフばりのコンクールに挑む話。台湾中華料理を題材にしたコメディだが、仕掛けはなかなか大掛かりで笑いのツボも抑えているものの、以前の作品であったようなペーソスや風刺は感ぜられず単なるドタバタに終始したのはちょっと残念。やはりこちらもブランクが長すぎたのかしら。















9本目は3年前の本映画祭で『4枚目の似顔絵』で衝撃を与えた鐘孟宏監督の新作『失魂』。二重人格障害で他人となってしまい、新たな人格が凶暴なサイコパスに変わってしまった息子と、霧深い山林の山小屋で向かい合う老父。血しぶき舞うサイコホラー作品であるが、最大の話題は70年代の香港のアクション大スター、王羽(ジミー・ウォング)の主演。しかも難しい心理描写が要求される老人の役を見事に演じていて、今年の台北電影節の最優秀男優賞に輝いたという。霧がかかる山深き景色は不気味かつ美しいカメラワークで描かれ、見ごたえある作品であった。いま一つの作品が多かった今回の特集の中では唯一異彩を放っていたといえよう。













そして10本目の鑑賞作品となったのが1983年制作の『坊やの人形』。台湾の人気作家黄春明の短編小説を呉念眞が脚本におこし、「坊やの人形」(候孝賢)「シャオチの帽子」(曽壮祥)「リンゴの味」(萬仁)の三監督によるオムニバス。60年代台湾の庶民たちの日々懸命に生きる姿を描いたもの。DVDで何回か観たし、「リンゴの味」は小説も読んでいたが、改めてスクリーンで観て、60年代台湾社会の風景に(80年代に撮ったものの)心打たれる。今回の映画祭での台湾の出品作の中で、この30年前の作品がやはり秀逸なのは、この作品の素晴らしさを物語るとともに現在の台湾映画界の低迷を(『海角七號』などの興行的な大ヒットはあるが)指示している感じがして残念。しょぼい(国際)映画祭の中でもこれまで楽しみにしていた台湾映画だけに、来年に期待するとしよう。

2013年10月14日月曜日

週間呑みアルキスト9.22~10.13


●9月24日
友人ED氏らと11月の連休を利用して台湾へ行く計画が持ち上がり、さっそく航空券の手配等に動く。台湾も2年ぶりだがもうずいぶんと行っていないような気がする。今回は高雄にも行くので、特に高雄の美味い店を確認すべく過去に集めたお店の名刺類を整理。早くも気分は六合夜市へ飛ぶ。

●9月26日
プロ野球楽天イーグルスが球団創設以来初優勝。ひとえに田中マー君の驚異的な活躍のおかげだろう。今季6月以降1軍の出番がなかった後輩の高須洋介内野手もさすがに引退なんだろうか?数少ない近鉄の生え抜き選手だったが所属チームの優勝を見届けて引退というのもまあ引き際だろう。深夜のスポーツニュースをみながらこちらも缶ビールで祝福することに。

●9月27日
会社終りに隣の『明治屋2nd』に立ち寄った後に新宿三丁目で途中下車し『t’s bar』にひっかかる。金曜日の最終電車の混雑を避けるべく早々に退散。

●9月28日
かつて所属していたK社の先輩TN氏から仕事の打診あり。この先輩からの連絡は訃報が多かったので一瞬緊張したが仕事の話だったのでほっとするやら嬉しいやら。ただし、K社が現在推進中のデジタル化の校正がメインの仕事で、内容をよく聞けばちょっと物理的に難しいのでせっかくの話だったが辞退。申し訳なし。”いつまでもあると思うな人気と仕事”ではあるのだが。

●9月29日
所沢に墓参。帰りに実家に立ち寄り庭の木になっている酢橘の実を収穫する。今年は暑かったからかいつになく実も大きく数も多い気がする。さっそくさんまを焼いて酢橘サワーをで自宅呑み。

●10月2日
再開発工事が続いていた石神井公園駅で駅中のショッピングモール『Emio』がオープン。カフェやイタめしレストランなどの飲食店や夜11時までオープンのヨーカ堂も隣接。単なる郊外の変哲のない駅だった石神井も大きく変わることになる。便利になるのは結構なことだが、開発の反面消失していくものも多い。時代の流れと単純にかたずけられれないと思うのだが。

●10月3日
TK社OK氏、デザイン会社SB社TT氏、ST嬢と久々に会食。小川町の神田よりチャイ二ーズダイニング『HIRO』というおしゃれなお店に。聞けばシェフは『キハチチャイナ』『筑紫楼日本橋店』等で腕をふるった人だそうで、一品一品は少量でもなんとも品のある創作中華を出してくれる。前菜でたのんだピータンひとつとってもゼリーを添えたフレンチっぽい仕上げ、おすすめの麻辣豆腐も山椒が効いて絶品に辛美味く、近所の麻婆豆腐の名店『四川一貫』にも負けず劣らぬ味。値段もそこそこだったがSB社のおごり、ごちそうさまでした。

●10月8日
この日の朝から地元の健診センターで胃がん検診。バリウムの排出のために呑んだ下剤が効きすぎて出社後も腹具合が悪く、何度かトイレを往復。検査のために飲み食いを制限されていたため、腹の調子は悪くても空腹感だけはある。バリウム腹を気遣って優しいものをと『明治屋2nd』でホットウイスキー。あまり根拠は無いのだが。

●10月11日
わが日本代表がW杯に備えての欧州遠征でセルビア代表と対戦。深夜のキックオフに間に合うように仕事もそこそこに帰宅。出来たばかりの駅中のスーパー・ヨーカ堂でつまみ&ワインを用意してキックオフに備える。ヨーカ堂はセブン&ホールディングス傘下ということで品揃えのレベルは大したことはないが、小分け惣菜が多く種類も多く選べて酒の肴にはうってつけ。で試合のほうは香川も遠藤もミスが目立ちいいところなくセルビアのカウンターにやられて0-2の黒星。文字通り消化不良のまま就寝。

●10月13日
母校のラグビー部の対抗戦は慶応と対戦。シーズン唯一の秩父宮でのゲームでもある。天気は快晴、ようやく秋の気配も感じられ絶好の観戦日和。ここ何年か超高校級の選手のリクルートもあって徐々に力をつけている青学フィフティーンにとって慶応は最大のターゲットにしている相手である。上位校とはいえ過去何回も土をつけているし相性はいい。OBたちもいつになく気合が入って会場の7割方は青学関係者と見受けられる。ゲームは開始早々攻め込まれPGで失点したがこちらの期待も伝わってか、いつになく低い捨て身のタックルが決まり慶応の出足をことごとく止める、耐えているうちに先にトライを決めリードをしたまま前半を終える。ひょっとするとひょっとするかも後半に入っても青学のねちっこいディフェンスは慶応の焦りを誘いFW戦でも優位は崩れない。ロスタイムに1本返されたが、24-18でノーサイドのホイッスル。実に16年ぶりの大金星だ。さあ次は早稲田だ!ゲーム中は力が入ってビールも一杯だけ。あらためて渋谷に向かい『ボイルストン』で祝勝会になだれ込む。




2013年10月10日木曜日

東京オリンピックの選手たち。その後の人生を辿る

10月10日はかつては体育の日だった。
もちろん1964年の第18回オリンピック東京大会の開催日を記念してのことであった。

2020年の東京招致が決まって以来、半世紀前の東京オリンピックのことが再び語られ始めている。CS放送では9月に市川崑監督の記録映画のオリジナルノーカット版が繰り返し放送され、個人的にもあらためてあの日本中が熱狂した日々のことを思い返すことが多くなったし、同世代の人間と飲み屋に行ったりしたときは“あの時、何処にいたのか”という話題で盛り上がったりする機会も増えた。

2020年の東京再開催については世の中が浮かれるほど自分の中では期待はない。震災復興いまだしの中、経済的側面だけでオリンピックを強引に開催することは必ずしも是としないと思っているし、どんなに新しい時代の日本で世界最大のイベントが開催されようが、1964年の10月10日に経験した感激とホストカントリーの誇らしさ、その輝かしい日々に比ぶるべきもないからである。

1964年のことをあらためて振り返る機会が多い昨今、先日の東洋の魔女と謳われた女子バレーチームの主将だった中村(旧姓河西)昌枝さんの訃報は本当に残念な思いがしたとともに、彼女の享年が80歳という時の流れに改めて感慨を深くした。彼女の死をきっかけに、子どもごころに憧れたあの時世界から極東アジアの年に集まり生命の火花を散らした青年たち(あえてアスリートであるとかヒーローという言葉で表現するのではなく、あくまでその時代を生きた選手たちである)、の消息が気になって、当時には考えられなかったネットで時間を見つけてはその50年の足取りをたどったりするのが最近趣味になってきた。

そこで当時のメダリストたちがその後にたどった人生で、知ることもなかった事実に驚いたり、消息を追い求めた選手がすでに物故者になってしまったケースなど、いくつかの発見もあった。出来れば何かの機会に彼らのインサイドストーリーが記事にしたりできる機会があればいいなと思ったりもしているのである。

その中で特に印象に残った人たちの消息である。


①アン・エリザベス・パッカー(女子800m走)。
 
本職の400mで本命視されていたもののオーストラリアのベティ・カスバートに敗れ、過去数回しか経験のない800m走に出場、驚異的なラストスパートで見事優勝、ゴールとともに婚約者であったロ ビー・ブライトウェル選手の胸に飛び込んで行ったシーンは、強烈に覚えているし大会を代表する美しいエピソードであった。記録映画の映像でも好きなシーンである。800mは大会直前に不参加となった北朝鮮の辛金丹が大本命で、もし彼女が出ていたら金メダルは間違いなかったと言われるが、このときのパッカーは辛金丹の世界記録を上回る世界新記録での圧倒的な勝利だったことも特記すべきであろう。大会後競技生活から引退した彼女は、その年の暮れにブライトウェルと結婚。そして家庭に入り3人の男児の母となった。後年、そのうちの2人、両親のアスリートの血を受け継いだイアンとデビッドはマンチェスター・シティの選手として90年代から2000年にかけて活躍することになる。彼女自身は現在マンチェスター近郊のコングルトンで静かな老後を送っている。
東京大会の名花の一人、美しい人だった





















②アン・ローズマリー・スミス(女子800m走)
アン・パッカーの劇的な勝利のレースの陰で、8位と最後尾でゴールインした同僚選手である。華々しいパッカーに比べ、彼女の記憶は単なる風景の中の一人でしかなく、その人物に関して語られることはない。英国人としては小柄だったこの人もなかなかの美人選手だった。彼女のことが気になったのはネットのQ&Aサイトで、女子マラソンで一世を風靡した(ジョイス・)スミスがこのアン・スミスと同じ人物であるかという質問が目にとまったからである。もちろん別人物であることは言うまでもないが、回答者も同人物かどうかわからないということだったので、よっぽど彼女の人となりは知られていなかったということなのだろう。彼女はマイルレースと1500mのスペシャリストで、当時のオリンピックでは女子の長距離種目は無く800mが最長、1500m以上は72年のミュンヘン大会まで待たなければならなかった。17歳で競技生活を始めたスミスは、マイルレースの国内記録を次々に更新したものの1964年の東京大会では800mしかエントリーするチャンスがなかったのである。おなじように短距離ランナーだったパッカーも急造であったが、結果は明暗を分けてしまった。東京では決勝には残ったものの最下位に終わったため誰の記憶にも残らなかったが、1967年にはロンドンの競技会で4分17秒3の1500mの世界新記録を樹立した。ロンドンで体育学校の教師をつとめていたが、1993年脳出血で逝去。享年52歳。 
                                                                                 

悲運のランナーだった


                                                                                          




















③ ロバート・カーモディ(ボクシングフライ級)
ローマでのカシアス・クレイに続き、東京でのボクシングの米代表としてジョー・フレイジャーがヘビー級金メダリストになったことはよく知られている。米国が東京大会でボクシング競技にエントリーさせたもう一人の選手がフライ級のロバート・カーモディであった。彼は準決勝で優勝したイタリアのフェルナンド・アゾーリに惜しくも判定負けして銅メダリストとなったが、同僚のフレイジャーのように後年プロで活躍することはなかった。少年時代ブルックリンの貧しい白人家庭に生まれたカーモディはストリートファイトに明け暮れる荒んだ生活をしていたが1957年で陸軍に入隊しアマチュアボクサーのキャリアが始まる。小兵ながら“バターボール”とあだ名された俊敏さで頭角を現し、オール陸軍大会で優勝、汎アメリカ大会で銅メダルを獲得するまでになった。1964年の五輪予選で見事に優勝し晴れて米国代表として東京のリングに上がることになったのである。東京での銅獲得のあと、恋人のメアリー・サイクスと結婚。彼の幸福はしかし長く続くことはなかった。彼には軍務があった。当時徐々に泥沼化するベトナム戦争への従軍はオリンピアンといえども免れることはなかったのである。1967年10月27日。サイゴン近郊でパトロール中のカーモディ軍曹は解放戦線ゲリラの待ち伏せ攻撃に遭い戦死、29歳の若さだった。東京で一緒にトレーニングに励んだジョー・フレイジャーは“ボブはいい友達だったよ”と彼の死を惜しんだ。そのフレイジャーもいまは亡き人となった。ロバート・カーモディは東京オリンピックに参加した選手中、唯一のベトナム戦争の戦死者として記録されることになる。
代々木選手村でフレイジャーと。一番輝いていた時間













④キャシー・ファーガソン(水泳女子100m背泳ぎ)
東京五輪の水泳では、男子の19歳のエール大学生ジョン・ショランダーのメダルラッシュに熱狂したが、小生大会前からご執心だったのが女子100m背泳ぎの美人選手クリスティーヌ・キャロン(フランス)であった。“キキ”の愛称で知られる19歳の美貌のスイマーは大会前から世界を魅了していた。当時愛読していた少年向けの雑誌「ボーイズライフ」でも彼女のグラビアが特集され、ませがきだった小生の心をとらえて離さなかった。日本の女子高校生スイマー、ミミこと木原美智子(故人)も脚光を浴びたが、子供心にキキのあふれんばかりの笑顔の前にはすっかり霞んでしまっていた。本番の決勝戦でもキャロンの勝利は揺るがないと思っていたが、水泳王国アメリカもそうはさせじとティーンエイジャーの若きスイマーたちで対抗した。結果、16歳の少女キャシー・ファーガソンがキャロンに2ストローク差以上つけて勝利、王国アメリカ水泳陣の層の厚さを見せつける結果に終わった。キャロンに比べ子供のようなあどけなさを残すファーガソンは表彰台の上で泣き崩れそうになり、その腕を優しくキャロンは支えてあげたのが印象に残っている。グッドルーザーであったキャロンはその後美貌を生かし女優に転身。60年代後期までに何本かのフランス映画のスクリーンを飾ったが、五輪熱が冷めた後の日本であまり話題になることはなかった。
一躍ヒロインとして凱旋したキャシー・ファーガソンは故郷カリフォルニア州のフレズノで地域の名士としてその後の人生を生きたようだ。現在はガールスカウト協会の会長職を務める。YouTubeに地元テレビ局によるインタビューが上がっていた。表彰台で感極まった少女は気品のある婦人としていまなお健在なようである。
http://youtu.be/HMwYzjPE3xY

ファーガソンとキャロン。アイドルたちの競演


2013年9月24日火曜日

終わっていない戦火の記憶

今週がラストウィークということもあって、あわてて新宿シネマカリテでかかっているドキュメンタリー映画『メキシカン・スーツケース』を観に行ってきた。

この映画は70年という長い年月を経て、ロバート・キャパ、ゲルダ・タロー、デヴィッド・シーモアが撮りだめたスペイン内戦を記録した貴重なネガフィルムが奇跡的にメキシコの地で発見されたこrとを主題に置いた作品である。が、その発見された事実だけではなく、メキシコに亡命した多くの共和派スペイン人たちの当事者、係累が今なお心の傷跡を抱いたまま暮らしている、その様子を取材し、多くのインタビューからスペイン戦争とはなんであったのか歴史の掘り起こしに焦点を当てたものとなっている。

当時の共和国政府を承認したのはソ連とメキシコの2カ国だけだったというところから多くのスペイン人亡命者がメキシコで望郷の念を募らせながら今日まで暮らしている事実をどれだけの人が知っていただろうか。
沢木耕太郎の「キャパの十字架」などで再びスペイン内戦のことが最近取り上げだされた中、決してこの戦いが過去のものではなく、現在に至るまでリアルな問題として終わっていないことをこの映画で改めて認識させられた気がする。
人民戦線、反ファシズム、国際旅団...ともすれば現代史のロマンチシズムあふれる神話に彩られながら語られることが多いスペインの内戦が、実は当事者にとって今も進行形の悲劇であることを思い知らされるのだ。
久々に姿勢を正しつつ観た硬派のドキュメンタリーである。

2013年9月23日月曜日

週間呑みアルキスト9.2~9.22


●9月2日
某クライアント打ち合わせの後、MM社OG社長とNZ嬢と日比谷国際ビルの『JACK POT』で打ち合わせを兼ねた食事。同店はご存知牡蠣の専門店。季節はちょっと早いのでちょっと心配だったが、ままよと各地産の生牡蠣を数個ぺロリ。さらにアヒージョ&スモーク牡蠣を追加。白ワイン、ボウモアともによくマッチし大満足。

●9月4日
京橋で『グリフォン家のウェディングノート』の試写を見たのち、神保町へ戻り『明治屋2nd』で一杯やりながら食事。

●9月6日
日本代表ザックジャパンは国際Aマッチデーを利用しての親善試合グアテマラ戦。長居開催ということもあって例によって会社でビール観戦。守備崩壊の立て直しができるのか?ということだが相手の力不足は明らか。勝ってもこれでは参考にならず。

●9月9日
夕方、開けたての『明治屋2nd』の前を通りかかるとついふらふら立ち寄りスーパーコールドを一杯。するとやはり表をT出版のOK社長が通りかかったので、仕事上聞きたいこともあり彼をインターセプトしていっぱい付き合わせる。

●9月10日
日本代表のテストマッチ第2戦は横浜国際のガーナ戦。グアテマラに比して少し骨のある相手かと思ったが、やはりレギュラー4枚落ちの1.5軍。この試合も日本代表の解消で終わるもやはり勝って当たり前ではある。横浜開催だったので現地観戦も考えたが、仕事もあり会社でのビール観戦にしたが、まあ良かったかも。

●9月11日
沖縄在住のライターIM嬢が上京中で、ランチミーティング。神保町の数少ないまっとうな和食を食べられる『花家』で、まっとうな定食にありつく。夜はミニマム級の宮崎亮とライトフライ級井岡一翔のダブルタイトルマッチ。井岡のボクシングのうまさに感心。亀田的なマッチメークの防衛回数をのばしていきそうな実力は十分備えている。ボクシング好きの『明治屋2nd』のマスターに試合結果を話せないながらボクシング談義。

●9月13日
仕事の世話になっている神保町ST社のMM社長とばったり出くわし、誘われるまま近所の雑居ビルの2階にある『燭台』というバーに案内される。かつて出版社に勤めていたママさんが、早く店が終わってしまう神保町で遅くまで飲める店が欲しいという仲間の声に後押しされてオープンしたというお店。このひもSG社と思われる出版社員たちが止まり木に並ぶ。BGMは今時珍しいレコード。コレクションは客が寄贈というのも出自を物語っていて、居心地の良さを感じる。ただし神保町にしては値段がやや高めかな。

●9月14日
大学時代で唯一付き合いの続いているED氏と、彼のホームグランドの三軒茶屋で飲み会。魚の美味い居酒屋『茶番』で落ち合い、こちらのリクエストできれいどころのいる『レーヌ』にハシゴ。お目当てのF美さんは残念ながら土曜日でお休み。高歌放吟の後三角地帯の小さなバー(名前は失念)に移動。カウンターでついた女の子が福岡出身の歌手の卵ということで、HPを見せてもらう。明るく元気で将来の夢も持ち、という娘のような子にすっかり酔っていたが心から頑張ってとエールを送る。

●9月15日
台風到来の荒天で一歩も外に出ず。WOWOWでスーパーウェルターの統一戦メイウェザー対アルバレスのビッグマッチを昼からちびりちびりやりながら観戦。メイウェザーの大差の判定勝ち。脅威のスピードと完ぺきな防御をマスターしているこのスーパースターを倒すのはパンチの強さだけでは難しい。解説はロンドン金の村田。強豪居並ぶミドルでの彼の活躍が早く見たい。

●9月17日
編集プロダクションCA社OW市と打ち合わせで飯田橋の『PRONT』へ。この店はかつてK社勤務時代の最後に勤めていた部署があったビルのすぐそばにあり、当時よく立ち寄った懐かしい店。飯田橋から神保町まで散歩がてら歩いて帰ることに。季節はもうすっかり秋。

●9月20日
神保町シアターで「もう一度スクリーンで見たい洋画特集」ということでデイヴィッド・リーン『ドクトルジバゴ』がかかっているというので、会社を早めに終えて神保町駅横『中華厨房』で腹ごしらえをして3時間の大作に臨む。実にスクリーンで見るのは44年ぶりである。いろいろな思い出が巡りながらあっというまの至福の時間。
 

2013年9月22日日曜日

44年ぶりのドクトルジバゴ


週末会社を抜け出して神保町シアターで『ドクトルジバゴ』(1965 デイヴィッド・リーン監督)を観に行った。
『ドクトルジバゴ』は公開時はまだ小学生だったが、親が劇場パンフレットを買ってきていたのを覚えている(高校生ぐらいまで保存していたが…)。その後中学生だった1969年に新宿武蔵野館でリバイバル上映されたときに、満員の劇場通路に座り込んで観た。世相はまさに70年安保闘争で騒然としていたころ、ロシア革命を描いた壮大な歴史物語は時代の熱気にあいまって多くの観客を集めていたのだろう。「英語をしゃべるハリウッド製の革命映画なんて」などという皮肉も誰かから聞いた。それでも大画面に繰り広げられた革命と恋の物語に酔いしれた。

 
その後、テレビ放映された際のVHSをことあるごとに観ることもあったが、しばらくの間忘れてしまっていた。それが普段は日本映画の旧作を中心にした映画館神保町シアターで、「思い出の洋画特集」ということでフィルム上映されるという情報に、居てもたってもいられなくなり最終日に滑り込んだ次第。聞けば神保町シアターは劇場上映権が切れていた同作を含む何本か新たに権利保持社と契約を結びなおしたというから凄い。取材でお会いしたこともあるが同館の支配人はじめスタッフの情熱にあらためて感じ入った。確かにタトルエンドにTARNER ENTERTAINMENTのクレジットが追加されていたので、新しいプリントを仕入れたのかもしれない。

作品は前奏、インターミッション含むほぼ3時間全編、44年を経過していたがほぼ記憶に鮮やかに残っていたし、ユーリーとラーラの別れのシーンはロマンチックなバラライカの旋律が美しいモーリス・ジャール“ラーラのテーマ”とともに実に良かった。やはりこの時代の超大作はスクリーンで見るに限る。


2013年9月3日火曜日

週間呑みアルキスト8.12~9.1



●8月12日
WBCミニマム級八重樫東とWBAバンタム級山中慎介の王座防衛戦を会社でビールを飲みながら観戦。八重樫は順当に判定勝ちで初防衛したが、続いて放送された山中は世界7位の挑戦者を左一発で1ラウンドでKO勝ち。中継局のTwitterの勝敗投票企画も成り立たなくなるあまりにも早いKO防衛に鳥肌が立つ。会場に来ていた亀田三男坊と統一戦なんて話題も振られていたが、ここはやはりWBAスーパー王者のモレノとでしょう、やっぱ。

●8月13日
日比谷のクライアントで打ち合わせの後、デザイン会社MM社のOG社長とNZ嬢と新東京ビルのポルトガル料理『マニエル』で食事。全然ポルトガル料理っぽくない肉料理とフランスワインを賞味。『マニエル』は渋谷と四谷の店には以前行ったことがあるが、日比谷店は丸の内のビジネスマン相手ということもあるのかポルトガルぽくない感じ。

●8月14日
ザックジャパンのウルグアイ戦を会社で呑み観戦。この日も守備崩壊で2-4の完敗だったが、相手も苦戦中のW杯南米予選を見据えてのスパークリングということもあってスアレス、フォルランの2枚看板も登場したガチメンバーで本気モード。巷ではザック更迭論もまたぞろ出そうな気がするが、世界の力関係を見るにこんなところではないか、と順当な結果に落ち着いたと個人的には思う。あと1年で間に合うのかという議論がファンもよく持ちだすが、本気でブラジルやスペインに勝てるとか思っているのかしら。世界のサッカーの底時からは文化や歴史にも負っていることを考えれば、彼らに追い付くのはそんなに簡単なことではない。日本が世界に肩を並べるのはまだまだ先の話とオールドファンは覚めて見てしまうのだが。

●8月21日
神保町の街中中華『光華飯店』で餃子をつまみスポーツ新聞をめくりながら瓶ビール。夏のおやじ定番スタイルで暑気払い。

●8月23日
日比谷のクライアント打ち合わせ後、デザイン会社スタッフと編集プロダクション社長のOW氏と丸の内のフレンチビストロ『aux ami』で軽くお疲れ様会。ハッピーアワーでまだ十分明るい時間だが他の人たちはまだ仕事があるからということで珍しくアルコールを控えめにしている。こちとらもう帰宅ムードでキッシュをつまみにワイン。当然呑み足らず会社に戻りメールチェック後、週末のBBQイベントの打ち合わせも兼ねて『明治屋2nd』で延長戦。

●8月25日
『明治屋2nd』の常連さんたちと水元公園にて真昼間からBBQ。プロの飲食関係の人たちも加わってのBBQだけに食材も料理もボリュームたっぷり。小雨交じりの曇天でのBBQだったが、かえって涼しく飲み食いも進む。午前中から夕方まで公園の緑の中でだらだらと行く夏を惜しむ。帰宅後ロンドン五輪金メダリスト村田涼太のミドル級デビュー戦と、高校7冠のモンスター井上尚弥の日本タイトル戦。村田の戦慄の2回TKO勝ちに興奮。世界の化け物みたいな強豪がそろう階級だが俄然期待を持ってしまう。

●8月27日
会社の仕事を終えたのが夜の9時を回ってしまったため、水道橋の『日高屋』、もしくは『王将』あたりに行くかと見当をつけたが、あいにくナイター終了と重なり両店とも大混雑。仕方がないので飯田橋まで歩き『大阪王将』でビールに餃子で遅い夕食。大阪王将は初体験だったがニンニクが効いてなかなか美味し。


2013年8月19日月曜日

終戦のエンペラーの物足りなさ

 
まあ、ドキュメンタリーじゃないので、あまり目くじら立てても仕方ないけど、さも現代史の知られざる真実的な宣伝をされると、鼻白んでしまう。というかたとえ極東の片隅の歴史に無知な米国人ならともかく、ある程度の教育を受けた日本人なら誰しも知っていることばかりじゃないの。
映画『終戦のエンペラー』(ピーター・ウェーバー監督)を期待半分で見に行ったのだが、やはりまあこんなもんだろうという感想だった。

期待していたのはハリウッド的な撮影による焦土東京の再現、もしくはGHQ本部となった第一生命ビルや荻外荘(近衛邸)、厚木飛行場といったセットがどう組まれているのかということ。焼け跡時代を舞台にする映画はとかくセットに金がかかると聞いたことがあるので、邦画に比べて製作費的には潤沢であろうハリウッドのスケール感みたいなものには興味があった。当然SFXを多用しての1945年の東京を映しだしたわけだが、確かにこんなかんじだったのだろうかというイメージ作りにはある程度成功だったのかもしれない。またプロデューサーの奈良橋陽子さんの存在が大きかったのだろうが、現在の米国人が日本の占領時代に目を向けること自体が珍しいし、その時代の自国の評価をめぐっては、ニューディーラーたちの実験とその後の右旋回をたどる複雑な政治潮流を思えば、必ずしも制作するには面白い時代でもなかったかもしれない。

本国の公開時の反応を読むと、野心的な取り組みという評価とともに、侵略国の罪状を描かず日本に対して同情的すぎるという論評も当然のように起きたそうであるが、近衛文麿にアジアの侵略は近代の欧米に学んだと言わせたりするあたりに、奈良橋さんの気概も感じられる。泥縄式だった報復としての戦犯狩りへの疑問も盛り込まれたあたりは、まったく正義の味方という米国の価値観一辺倒ではない表現に好感はもてた。

でも、やっぱり全く架空のロマンスを話のメインに置くのもなあ・・・、ましてや主人公のボナー・フェラーズ准将が恋人の身を案じて爆撃目標を操作したなんてありえない設定はいかがなものだろうか?しかもフェラーズはじめ天皇を戦犯指定にせずに占領政策を円滑に進める施策に当たっては、戦後日本を共産主義の浸透に抗するのを一義にしてのイデオローグであったわけで、あたかもフェラーズが恋人も日本人で親日的な人だったからなどという表層的な描き方はちょっと納得しかねる。
外交官だった寺崎英成やクエーカー教徒の河井道さんなどの個人的人脈はあったものの、バターンボーイズのフェラーズが対日戦略上の知日派であったとしても必ずしも“愛する日本”のために奔走したわけではあるまい。
だとするならば、戦後の日本を民主主義の理想の実験場にすべく憲法草案や財閥解体をはじめ、明治以来の日本の旧弊に敢然と立ち向かい、その後赤狩りの前にパージされることになったニューディーラーたちの業績へもっと光を当ててほしい。ましてや、憲法改正が声高に語られるようになった現在ではなおさらである。
しかしいつになく映画館も中高年の観客も目立ち、そこそこ動員されているのはなぜなんだろう。中国韓国の歴史認識批判にうんざりする昨今の日本人のいらいらの反動というわけでもないと思うが。
配役的にはトミー・リー・ジョーンズのマッカーサーもなかなか雰囲気はあった。日本側では 近衛役の中村雅俊もよかったが、枢密顧問官・関屋貞三郎役の故夏八木勲の演技はみもの。奈良橋さんは関谷顧問官のお孫さんだけあって、フェラーズが宮中に会いに行くくだりはなかなか迫力をもって描かれているのは、この映画の見どころの一つ。

2013年8月14日水曜日

週間呑みアルキスト7.22~8.11

 
 
●7月23日
Jリーグはプレシーズンマッチまっただ中。前日のアーセナルの宮市亮凱旋試合(対名古屋)に続きこの日は、香川真司凱旋試合ということでマンチェスターユナイテッドが横浜マリノスと花試合。会社でビール飲みながらテレビ観戦。この週は東アジアカップはじめサッカーイベント目白押し。

●7月24日
T出版OK氏と会社近所に最近オープンしたそば割烹『弁慶』で軽呑み。珍しく鯨料理を出すのがウリのようでさっそくさらし鯨と鯨かつをつまみに一杯。鯨肉で育った世代としては懐かしい食感。シーシェパード何するものぞ。これでさらに百尋なんぞあれば文句はないんだがさすがに珍味までは無理か。

●7月25日
東アジアカップ第2戦の対豪州戦を缶ビールとともにテレビ観戦。女子の北朝鮮戦、セレッソ対マンU戦と3本立てのサッカーな1日。初戦の中国戦で3-1から追いつかれ引き分けた国内組男子代表。この日はスタメン全とっかえで臨むが、なんとか2-1でものにする。オージーも口ほどもない。『明治屋2nd』で引っかかって深夜帰宅。

●7月28日
東アジアカップ優勝をかけた韓国戦。案の定政治的メッセージやら、安重根、李瞬臣の横断幕の嫌がらせ。本当に辟易する民度の低さだがこんなやつら相手におめおめ負けて帰ってくるんじゃねえぞ!の叱咤の声が届いたか圧倒的にボールを支配されつつやっきになっている韓国を嘲笑うがごとくカウンターの2得点でタイトル奪取。あ~!酒うまwwww

●7月31日
旧友ED氏のお誘いで渋谷で会食。べトナム料理を所望したところ北か南かの選択に迷いながら、ハノイ料理の『ホァングン』に突撃。同じベトナムといっても広うござんす、サイゴン料理と一味違うエスニカルなメニューに舌鼓を打つ。2次会はED氏お約束の三軒茶屋。スナック『オロオロ』で台湾話で盛り上がった後、きれいどころいっぱいの『レーヌ』にハシゴ。聡明なチーママF美ちゃんに年甲斐もなく惚れてしまう♡

●8月1日
T出版OK氏と専大通りの居酒屋『雷門き介』で一杯。OK家のサイドビジネスである猫グッズのお店がいよいよオープンするとか。髪結いの亭主を目指すらしいが如何に?

●8月2日
曙橋のデザイン会社MM社で恒例のガレージバーベキュー。遅い時間に訪問したのだが、サザエ&焼き肉はふんだんに残っていて大汗かきながらこれでもかと食らいつく。KD社のかつての同僚でいまはすっかり偉くなってしまったOT氏、MN氏と久々に顔を合わし 遅くまで昔話に花が咲く。

●8月3日
仕事の参考に聞きたいことがあり妹を呼び出して地元呑み。この日の石神井公園は灯篭流しでいつになく人通りもにぎやか。駅北口のイタめしや『オステリアエンメ』を覗くとテラス席には客がいるものの店内はがら空き。聞けばエアコンが故障しているのでそれでもよければという。猛暑の中また他の店を探すのも面倒だから小一時間なら我慢もできるだろうと入店すると、スタッフ恐縮で色々サービスしてくれる。しばらくすると修理の人が到着しあっという間に直ったので結果オーライ。

●8月7日
定例の中国語学習飲み会。生徒グループの一人KB嬢がめでたくも誕生日ということで会社の近所のダイニング『エスぺリア』に教室を移し”生日快楽!”の乾杯。

●8月10日
TN社の幹部でかつてはKD社で同僚だったTN氏の奥様が逝去されお通夜へ。この日は記録的な猛暑で気温はなんと40度超え。通夜とはいえなかなか気温は下がらず喪服に身を包み大汗をかきながら下北沢の式場に向かう。TN社KD社ともにゆかりのある人も多く参列していたので、お悔やみをした後数名で下北沢南口の居酒屋(名前は失念)で献杯。

2013年8月12日月曜日

「椿姫」をスタッフ気分で楽しむ

今年は作曲家ジュゼッペ・ヴェルディ生誕200年のメモリアルイヤーなんだそうである。
という予備知識があったわけではないが、猛暑から逃れる目的もあって久々に試写に出向いた。
ヴェルディメモリアルイヤー企画なのだろう、2011年の南仏エクサン・プロヴァンス音楽祭でのオペラ「椿姫」の制作過程を追ったドキュメンタリー映画『椿姫ができるまで』(フィリップ・べジア監督)を鑑賞。

 全編ヴェルディ作『椿姫」のリハーサル風景を克明に記録していくのだが、気鋭の演出家のジャン=フランソワ・シヴァディエの独創的な演出に対して、ヴィオレッタ役の世界最高峰の呼び声高いナタリー・デセイが、その表現に対する要求を自分のものとしてどんどんと形作られていく工程はたんなる記録映像にとどまらない劇的な面白さがある。

ルイ・ラングレ率いるロンドン交響楽団の楽団員や、もちろん出演陣もだがTシャツやポロシャツやらの普段着である。ところがリハとはいえ本格的に演じ、奏でているわけで実際に現場の舞台裏に立ち会って、あたかも自分が制作スタッフの一員になっているような錯覚に陥る。ナタリー・デセイの素晴らしき美声(!)を公演に先立って堪能できるのも、なんだか得したような気分になるから不思議である。

オペラにさほど造詣が深くなくても人間ドラマとしても十分に楽しめる作品だ。
9月28日からシアターイメージフォーラムにてロードショー。

2013年7月24日水曜日

週間呑みアルキスト7.1~7.21



●7月2日
午前中から東銀座の『コートヤードマリオット東武ホテル』でフリーアナのNMさんの取材。取材終了後、スタッフのAR嬢、ライターSK嬢と遅めの昼食となったが銀座の裏通りの雑居ビルでランチの看板が出ていた『ラウローラ』というお店に駆け込む。純然たるバーにもかかわらず昼は煮込み定食やカレーなどを出しているそうだが、夜は一転フレアバーでバーテンさんたちがトム・クルーズ並みの妙技を見せてくれるお店なのだとか。昼のお店を預かっているのは若きマスターの話好きなお母さんで、いただいた煮込み定食は家庭的な味で言うことなし。次回は夜に訪問してみたい。夕方は編集のSM嬢が企画の話で来社、神保町のシンガポール料理『マカン』でタイガービールを一杯。

●7月3日
この日に予定されていた中国語レッスンがRN老師が所用で休講。せっかく集まったのでということで生徒連といっしょに小川町の麻婆豆腐で有名な『四川一貫』に足をのばし、食を通じた中国語の実地学習。たっぷりの山椒で口のヒリつきを癒すために人気ワインバーの『神田小西』で2次会。

●7月4日
年1回恒例の高校マスコミ会例会で日比谷の『松本楼』へ。この会も今年で30周年。年々昭和20年代、30年代卒業の大先輩達が鬼籍に入っていく中、あまり新会員も増えないままよくここまで続いているものだ。当店自慢のカレーライスをほおばりながら、先輩方の近況や昔話を聞くのもなかなか楽しい。終了後日比谷に流れ、居酒屋の『花しぐれ』で幹事のお疲れ様会。

●7月5日
昔の同僚だったTD嬢と、共にお世話になったT印刷のMT氏と赤坂見附の中華料理『黒猫夜』で会食。中国の家庭料理がウリのこの店はアヒルの舌をローストしたものや羊肉などちょっと手が込んだものが多く、なかなか面白いし好吃である。中国各地から集められた紹興酒もバラエティに富んでいる。楽しく飲み食いしているうちに時間はあっという間に終電間際に。

●7月9日
T出版OK社長、デザイン会社SB社のAK氏とST嬢で神保町の街中中華『大興』で食事。安くてメニューが豊富でなかなかうまいという大衆的なお店だが、前週放送された「アド街・神保町編」でもこういう店を取り上げればいいのに。『ランチョン』やカレーの名店はもうあたりまえって気がするが。

●7月12日
週末を利用してシンガポールに8年ぶりに旅行。同行はグルメサイト編集長のKN氏と立教大学に通う彼のご長男LO君。前日深夜便で到着。朝は宿泊の『ベルジャヤホテル』でコンチネンタルブレックファースト。午前中はチャイナタウン周辺を冷やかしてオーチャードへ移動、マンダリンホテル内にある『チャターBOX』でおのぼりさん定番の海南鶏飯を食し、金余りでなんでも高いシンガポールで早くも散財。駐在時代お世話になった邦字フリぺMC誌KT氏に面会し最近のビジネス事情を取材したのち、発展するこの国を象徴するようなマリーナベイサンズを見学。夕食はKN氏のかつての部下で現在当地で起業を目指しているKB氏と合流し、ボートキーの『富貴海鮮』でシンガポールリバーを眺めながらぺラナカン風の中華にぱくつく、気がつけばタイガービールのジョキ11杯に紹興酒1本。買単を見て嘆息する。 ままよとラッフルズホテルの『LONG BAR』で世界中のおのぼりさんと一緒にシンガポールスリングの試し呑み。ちなみの声をかけられた隣のテーブルの連中はスペインからのおのぼりさん。小生が注文したロングフラスコグラスのタイガービールに目を丸くしていた。

●7月13日
シンガポール2日目。ホテル近くのホーカーセンターの屋台飯で朝食。LO君はあっさりスープの魚丸麺がいたく気に入る。午前中、リトルインディアやアラブストリートをぶらついてホテルへ戻り、KB氏夫妻と合流。奥さんは当地の広告会社でSEの仕事に従事しているとのこと。ホテル近くの『京華小吃』で小龍包をたらふく食った後、彼らの案内でセントーサ島を午後いっぱいかけて歩く。街中もそうだが10年前の駐在時とがらっと様変わりしたのがこのセントーサ。クラークキーで小休止したのちかつて世界的美食家・蔡瀾さんに教わった『潮洲酒樓發記』で本格中華で宴会。マナガツオの清蒸や海鼠のソテーに舌鼓を打つ。すでにけっこう散在していたのでなんとか烤乳猪(子豚の丸焼き)は思いとどまるも大満足。勢いでマリーナベイサンズのカジノで散財分を取り戻そうと図るもLO君が21歳に満たず年齢制限で入場できずということで散会。お疲れ様でした。

●7月14日
シンガポール3日目。朝はホーカーへ出かけたKN親子と別行動でカヤトーストとコピの朝食。午前中はオーチャードを冷やかしタのちパラゴン地下の『鼎泰豊』で人気の行列に並ぶ。『京華小吃』も美味いが、やはりここの包子のレベルは台湾本店並みに高い。元盅鶏湯の優しい味が暴飲暴食の胃にしみわたる。午後はラッフルズプレイスを巡りKN氏親子のお土産買いに付き合い、ホテル近くの『Latteria Mozzarella Bar』で軽くPIZZAの夕食を済ませて荷物をピックアップし、ナイトサファリ経由の深夜便で帰国の途へ。チャンギ空港内のBARで飲んだこともあって機内では熟睡、気がつけば成田はもう間近だ。

●7月16日
T出版のOK社長と編集者NG氏とシンガポールと打って変わって神保町中華の『源來軒』で食事。日本ナイズされてはいるが、ここはここでなかなかのレベル。甕だし紹興酒も美味い。『明治屋2nd』に立ち寄り軽く一杯。

●7月17日
デザイナーNM嬢の発案で編集SM嬢、TM嬢とともに企画相談と暑気払い。水道橋の隠れ家的レストラン『アンチヘブリンガン』で怪気炎を上げる。

●7月21日
丑の日を前に外でうなぎは予算超過で手が出ず、うなぎの太巻きを肴に家呑み。ザックジャパンの新戦力発掘が目的で選ばれた若手日本代表チームが挑む東アジアカップ初戦の中国戦ををテレビ観戦。柿谷、工藤の活躍で3-1の楽勝と思われたがまたしても守備の崩壊で終わってみれば3-3のドロー。選挙も自民圧勝で気分はすぐれず早々にふて寝。

2013年7月22日月曜日

昭南島の朝ぼらけ

先週、8年ぶりにシンガポールに旅行してきた。東南アジア地域の金融センターとして躍進する国だけに8年という時間の経緯は当時の記憶を根底的に覆すような変貌ぶりで、すっかり浦島太郎のような気分に陥ってしまった。それにしても円安ということもあるのだろうが物価はなんでも高く、いささか閉口させられたが、それでもたまに海外に出るとやはり精神的に気分は高揚し、つぎはどこどこにと旅ごころが喚起されてしまう。

今回の旅行は8年ぶりの変貌ぶりを確認するだけではなく、編集仲間のKN氏が、自分の以前の部下が現地で起業したがっているので、なんか仕事につながらないかということで、一応ビジネスの視察という意味もあった。
自分が失敗したということもあるが、実際シンガポールで起業しても日本人社会相手にサービス業を展開するならともかく、シンガポーリアン相手では人口も商圏も小さくなかなか難しいと思うし、あまり過度の期待はしないほうがいいとKN氏にも伝えてあったが、まあ百聞は一見にしかずということでわざわざ出向いてきたというわけである。

KN氏の部下だったKB氏はまだ20代後半。東大大学院で数学を研究していたという経歴を聞かされていたが、実際会ってみると単なる(失礼)アニメオタク青年で拍子抜けしたものの、彼の奥さんを交えて1日色々な場所に付き合ってもらい話をしているうちに、物静かなうちにもやはり若さというか失敗何するものぞというような熱みたいなものも感じて、あまり後ろ向きなことばかり言っていても仕方がないような気がして、こんなのはどうだろうとか、こういう連中狙えばなどと、こちらもついつい引き込まれてしまう。
シンガポールはともかくも、閉塞した日本でこんままうだうだしているなら、本当にもう一度アジアで何かにチャレンジするのも悪くはないななどと改めて思ってしまった。

またシンガポールに続き近々台湾にでも行くことにしたい。


2013年7月1日月曜日

週間呑みアルキスト6.3~6.30




●6月4日
2014年ブラジルワールドW杯アジア最終予選。この日豪州に引き分け以上で世界最速の本大会出場が決まる。午後からの仕事の打ち合わせを終えて、国立競技場のパブリックビューイングへ。10倍以上の希望者があったチケット争奪戦に敗れ、不本意ではあるがせめて聖地でのサポーターたちと感動を共有したいということで実にスクリーンが見えづらい国立での観戦となった。結果は相手のロビングがそのままゴールを割るという交通事故の様な失点でヤバかったがなんとかロスタイムに本田がPKを決めて(ど真ん中だ!)、5大会連続でW杯の本大会へ駒を進めることに。祝杯もほどほどに会社に戻り翌日締め切りのラフ切り。

●6月9日
Jリーグ20周年企画でイタリア代表OBとJリーグのOBがフレンドリーマッチ。イタリア側の顔ぶれがロベルト・バッジョ、フランコ・バレージ、サルバトーレ・スキラッチ、ジュゼッペ・ジャンニーニとそうそうたる面々。ということで快晴の国立に観戦に出かける。懐かしい顔ぶれの中でも現役で唯一参加したカズの元気の良さが際立つ。初夏の日差しの中、ビールがうまい。笑顔ばかりのこういう試合もたまにはいい。

●6月11日
ブラジルW杯最終予選の最後の試合(カタールでのイラク戦)は消化試合となったが、コンフェデ前の大事な試合でもある。この日は原稿の締め切りが重なるので会社でビールを飲みながらTV観戦。後半、遠藤のドリブルからの折り返しに岡崎が流し込み1-0。一応勝つには勝ったが相変わらず低調な試合。コンフェデ大丈夫か?

●6月14日
朝から、元東映フライヤーズのエース尾崎行雄氏の訃報にショック。2年ほど前に水道橋の居酒屋で酒席に同席させていただいたことがあるので、その時のことを思い出して一日中気分は晴れず。
その仲介をしていただいた新宿2丁目の「t’s bar」のTDマスターのもとに立ち寄りしみじみと故人をしのぶ。

●6月15日
朝4時からコンフェデレーション杯の開幕戦で日本はブラジルと対戦。最近どうもいまひとつ調子のあがらないチーム状況がこの日も露呈し、0-3の完敗。なにもさせてもらえず選手のコメントからも落胆の声が続出するのも無理はない。まだまだ世界のトップクラスとの実力差がかなりあることを思い知らされる。しばらく寝た後、午後から久々にラグビーの日本代表のウェールズとのテストマッチに出かける、2019年の自国開催に向けて強化が進むエディー・ジョーンズ率いる新生日本代表がインターナショナルボード国相手にどこまでやれるか楽しみだったが、なんとなんと22-14と快勝。相手のメンバーは6枚落ちくらいではあるものの快挙に違いない。ビール美味し。

●6月18日 
DB誌のNM嬢が打ち合わせで来社。打ち合わせ後は山の上ホテルの「ヒルトップ」で食事。カンサーキャリアで闘病中のNM嬢の前向きな姿にちょっと胸打たれてしまう。快癒を心から願う。とともに相手に負担をかけないよう原稿の締め切りは順守せねばと決意。

●6月19日
ライターのTM嬢が来社、T出版のOK氏と合流してすずらん通りの中華ダイニング「SANKOUEN」で食事。店のお薦め特大餃子にかぶりつく。

●6月20日
朝からコンフェデ杯のイタリア戦。初戦のブラジル戦とは打って変わって果敢にアタックする日本代表の奮闘に眠さも吹き飛ぶ。しかしながらやはり守勢に回ったときのもろさを露呈。つまらないミスからの失点で3-4で惜敗してしまう。これで決勝トーナメントの道は断たれてしまった。

●6月23日
早朝のコンフェデは、メキシコとのグループ敗退組の対戦。しかしメキシコもなん的であることには変わりはない。世界大会での強豪との対戦がためにならないわけはない。だがしかしこの試合もいまひとつ煮え切らない。守備は相変わらず同じような失点を食らう。結局1-2の敗戦だったが点差以上の実力の開きを見せつけられる。後1年でどこまでこれらのお国に対抗できるまでのレベルに引き上げられるのだろうか?都議選の投票を済ませた後、秩父宮のラグビー日本代表対アメリカ代表の試合を観戦に。38-20で体格に勝るアメリカ相手に勝利。スクラムで重い相手に押し勝つ奮闘ぶり。サッカーもこの姿勢は見習うべし。

●6月26日
編集者のKN氏と新宿の蕎麦懐石「大庵」にて打ち合わせ。朝からの雨にもかかわらず満員なのに驚く。決して安い店だはないが若いサラリーマンやOLで賑わうのは少しは景気が回復したということなのか。こちらにはその実感はまるでなし。

●6月28日
会社の近所に新しく開店した蕎麦屋「弁慶」に事務所をシェアするNG氏と共に試しに入店。チェーン店らしいが、値段も味もまあまあ満足できるクォリティ。ちょくちょく利用することになりそうである。




2013年6月23日日曜日

ベロオリゾンテの仇を秩父宮で

早朝のコンフェデテレビ観戦。日本はメキシコに1-2で敗れグループ最下位で大会を終了した。
試合は序盤は日本のペースだったが、動きが落ちるとバックと前線の間が間延びし、決定力のあるエルナンデスにあっさり2得点を献上。
日本は終盤、岡崎のオフサイド気味の飛び込みで1点を返したが、その後も相手にPKを与える(失敗したが)など、点差以上にやられまくった感が強い。
ザッケローニの選手起用も相変わらず裏目に出るし、またぞろ解任論も飛び出しそうだ。

しかしザック以上の人材をホイホイ契約できるほど協会に力はないだろうし、前回同様国内監督という道筋もあるのかもしれないが、それじゃあ世界と瓦すには難しいかもしれない。まあ、選手起用は監督の専権事項なので、どんなにわれわれが闘莉王や佐籐寿人を使わないのかと憤ってみたところでせんないところだ。アジア予選で間なしでコンフェデという日程も含め、ザックジャパンにも選手層を厚くする余裕はなかっただろうし、外野にはわからない問題もあるのだろう。まあ、誰がやったところでゲームはホイッスルが鳴りゃ選手にすべてはゆだねられるものだ。基本は本田が言うところの“個の力”を押し上げるしかないようだ。

まあ、オールドファンとしてはブラジル、イタリア、メキシコとガチで対戦できて、しかもそこそこ相手になっているという事実は、昔の体たらくを知っているだけにもうちょっと評価してあげても良いような気がするが。

ということで、朝から落胆のブルー(これがホントのジャパンブルーだ)な気持ちを引きずりつつも前週に引き続き、日本残留組としてはラグビーの日本代表戦を応援に、秩父宮でのアメリカ戦を観てきた。いちおうIRB主催するのパシフィックネイションズという国際大会でトンガ、フィージー、アメリカ、カナダとそこそこ歯ごたえがある相手との対戦である。
前週、ウェールズに勝った勢いもあって、カナダを撃破している日本は、パワーで勝るアメリカにも、地の利を生かし38-20で勝利!2019年のワールドカップ日本開催に向けて、着々と力をつけてきた気もしないでもない。

ラグビーはワールドカップの常連ではあるが、かつてジンバブエに1勝したきりでいまだ勝ち星がない。サッカーはもう少し高い位置まで上り詰めているだけに、比較はできないが、フィジカルに対格差といった共通する問題においても、サッカーの後を行くラグビーの健闘は、戦術やテクニック以外の部分で参考になることもありそうだ。
サッカーとラグビーは伝統的に相いれない(仲が悪い)ということのようだが、ここはともにワールドカップという目標を控えて、少しでも上を目指して戦ってほしいものである。






2013年6月20日木曜日

イタリアに惜敗!世界との距離は縮まったのか?

 

初戦でブラジルに完敗を喫したコンフェデ2戦目。イタリアは欧州選手権準優勝国で世界ランク8位。言うまでもなく国際Aマッチでは過去一度も勝ったことがない格上国である。
ブラジル戦では何もさせてもらえなかったことで選手たちのショックがどこまで尾を引いているか、ここで2戦続けて大敗を喫したりすれば、来年の本大会にむけてのレベルアップということにおいても根本的な抜本策を強いられることになりそうだった。
ただ、イタリアのボックスで守る堅いディフェンスは、日本の中盤が比較的ボール回しができるのではないかと、その意味ではブラジルのスピードに比して幾分かはやりやすいのではないかと思っていた。しかも前回の屈辱で下を向いてばかりではないはずだ。まったくノーチャンスというわけではないだろう。
こちらのそんな期待通りに試合は序盤から日本が積極的にボールをつなぎ縦への攻撃を仕掛ける。イタリアは中2日の疲労もあるのか動きが重く、押し込まれる展開。
岡崎が敵陣に果敢に持ち込み、名手ブッフォンが足元に飛び込みラッキーなPKを獲得。これを本田が決め、ブラジル戦とは全く逆の展開となった。

日本先制!願ってもないスタートだ。
しかも前半早い時間にルーズとなった浮き玉に香川が反転しボレー一閃、日本が先に追加点まで奪ってしまう。
イタリア相手に2-0のリード。相手の焦りも蒸し暑い気候も圧倒的に日本に利するかと思ったが、前半終了間際課題のセットプレーから1点返されてしまった。
2-1でリードしながらの折り返し。点は奪われたもののこの日の日本の前からのプレスもよく効いていて相手ボールもよく奪えるシーンが目立つ。相手の脅威であるピルロ→バロテッリのラインもよく遮断している。このままスタミナが続くかどうかが心配だが、イタリアとて消耗は必至、なんとか優位を保って勝ち点奪取へ持ち込みたい。

ところがやはりイタリアは甘くない。日本の集中が切れる一瞬を見逃さず吉田のミスから折り返され内田のOG。長谷部のディフェンスから不運なハンドによるPKでたちまち逆転されてしまう。
日本は攻めながらも相手の少ないチャンスを最大限に活かす決定力で、せっかくの貯金をあっさり吐き出さされてしまった。
しかしドラマはまだ続く。右CKから岡崎がニアに飛び込み見事なヘッドによる同点弾をたたきこみ、ふたたび試合を振り出しに戻す。
このまま勝ち点を分け合うかに見えた試合終了5分前に、エリアの混戦から今野の中途半端なクリアを拾われ、サイドをえぐられジョビンコの決勝団を許してしまい万事休す。この瞬間日本の予選敗退が決定してしまうという結果だけが残ったのである。

いくら善戦したとはいえ勝ち点が拾えなければ何も与えられるものはないのである。ブラジルの観客やイタリアサイドからの賞賛も、選手たちにとっては悔しさだけが募るだけだ。
イタリア相手に3点はよくやったという評価の反面、あれだけポゼッションを取りながらもあっさり4失点したことはいまの世界標準での経験の浅さを露呈するものだ。
世界のトップクラスと伍して”やれないわけじゃない”ものの、まだまだ実は距離があるということを見せつけられた思いだ。

本大会まであと1年。日本サッカーの正念場はまだまだこれからである。この日の惜敗をターニングポイントとしてさらに世界との差を詰められるのか?消化試合となった次戦のメキシコ戦も、経験を蓄積する意味で日本にとっては重い意味のある試合だ。この連日の悔しさをなんとかして結果とを出すことによって払拭して欲しい。






 

2013年6月17日月曜日

勝利と敗北

15日、快晴の秩父宮ラグビー場でウェールズ代表を迎えた、エディー・ジョーンズHC率いる日本代表は。1週間前に花園で惜敗したが、第2戦となるこの日は必勝を期して挑んだ。ブリティッシュライオンズの遠征でチームの主力を欠くものの、やはりそこはIRB常任国の一角を占める強豪だけに、わがジャパンが正直どこまでやれるのか、不安と期待が入り混じった気分で会場に赴いた。というのも75年の国立で82対6で大敗した試合を見せつけられたイメージがあるだけに、当時に比べて長足の進歩があるとはいえやはり格上へのチャレンジということに変わりないし、75年の悪夢の再現だけはしてほしくないという気分だった。
試合は、立ち上がりから圧倒的なパワーで攻め込まれたが、ジャパンの低いタックルとゴール前の粘り強いディフェンスでなかなかゴールラインを割らせない。闘志あふれるジャパンの攻守にやがてウェールズも受けに回りだし、SH田中の素早い展開で立て続けにトライ、終わってみれば23-8と差をつけてノーサイドを迎えた。
ウェールズから13度目の対戦にして初めての勝利!
ラグビーも長く見てきたが、71年のイングランド戦の3-6の試合、89年のスコットランド戦の初勝利と幸運にも日本ラグビー史に残る試合すべてに立ち会えたことになる。

この歴史的快挙の同日、深夜にサッカー日本代表はコンフェデレーションカップでブラジルと対戦した。ラグビーを見た勢いで、この試合にも日本の健闘を期待したが、結果は立ち上がりのネイマールのスーパーゴールに度肝を抜かれ、なにもさせてもらえないままに0-3で敗北した。ラグビーという競技ほど番狂わせは起きにくいといわれるが、強い気持ちで勝利をつかんだジャパンに比してこの日のサムライブルーは、本当に世界との実力の差をまざまざと見せつけられたようで、文字通りブルーな気分に陥ってしまった。

明暗分けたフットボールの両代表だが、ジャパンの次戦はカナダとアメリカ。ここで負けたらウェールズの勝利の意味が問われてしまうということで、プレッシャーはかかる。サッカー日本代表はイタリアとメキシコ戦が控え、ここで落ち込んでばかりはいられない。世界を驚かすという宿題を背負った両代表の、魂の試合を期待したい。

2013年6月15日土曜日

怪童逝く





東映フライヤーズの往年のエース・尾崎行雄さんが亡くなった。
今の計測器があれば160kmは出ていたといわれる60年代の球界を代表する速球王だ。

数年前に機会があって会食の機会があった。憧れの選手だった人を前にしてコチコチに緊張していたが、当時の西園寺、毒島、青野、佐野、岩下といった東映の選手たちの思い出を話題にすると「よほどのファンだったんだね」と嬉しそうに握手をしてくれた。

実は自分が西鉄ファンで、憎っくき相手として記憶していたことは最後まで言い出せなかったが、サインボールを書いていただき、それは大事な宝物となった。

怪童とよばれた不世出の選手の早すぎる訃報に、そのときのことを思い出しながら今夜は献杯することにしたが、なかなか酔えないでいる。

心からのご冥福をお祈りいたします。


2013年6月8日土曜日

ブラジルへ!



4日、ホームの最終戦でオーストラリアと引き分け、世界最速でブラジルワールドカップ本大会出場を決めた日本代表。
国立競技場のパブリックビューイングで感動に浸る間もなく、友人の入院の報もあってバタバタと過ごした1週間だったが、やっとひと段落して、録画映像を見直したりしている。
しかし、85年の国立の韓国戦、93年のドーハの悲劇、97年のジョホールの歓喜とそれぞれ現地でその瞬間を目撃して来たが、初のホームでの出場決定をパブリックビューイングで観る羽目になるとは思わなかった。
確かにもはやサッカー日本代表は国民的関心事になっているだけに、通常の方法ではチケットなど手に入るわけもないが、今回は以前のように”どうしても!”とチケット争奪に走りまわることもなく、気持ちはちょっと冷えていたことも確かだ。

今回が5大会連続という「慣れ」のようなものもあるかもしれないが、2次予選の5試合を経過した時点で数字的にほぼ出場が決してしまっていた星取りの結果もある。興味はいつの時点で決まるのかということだけで、先日のアウェイでまさかの敗戦となったヨルダン戦の際に遠藤がPKを決めていればその時点で出場が決まっていたし。

ちょっと醒めた気持ちで試合を見ていると、今の代表は過去最強メンバーの呼び声も高いが、粗もみえてしょうがない。
現にオーストラリアにはいつもすんなり決着がつけられない。試合の質自体はもちろんテクニカルな面や戦術の面でも日本が完全に上回っているものの、相変わらずのフィジカルや放り込みの一揆戦、一発のカウンターにもろさを見せるのも、わかってはいるものの防げない進歩の無さはどうしたもんだろう。
ザッケローニは確かに悪い指揮官ではないが、期待値が高い分だけ新しい戦力の発掘や交代の選択等で、采配に疑問符がつくことも最近はよく見られるようになった。今回も先に点を取られた後のバタバタとした選手の入れ替えは首脳陣の動揺が顕著に表れていた。

選手たちは続くコンフェデで、さらには本大会での優勝を口にするが、実際昨年ポーランドで見た欧州選手権の試合のレベルと比べても明らかに見劣りする。ワールドカップ優勝なんて希望を口にするのはまだ100年早いというのが実感だ。オーストラリアや韓国、中東勢に苦戦を強いられるようなチームでは優勝は夢の夢だ。
正直コンフェデで一度世界との差を徹底的に体にしみこませるのも良い薬かもしれない。後1年でどこまで世界レベルに近づけるか?
来年は会社畳んで最後のワールドカップ現地観戦を、とまで考えているこいらの期待にこたえられるようになんとか頑張ってもらいたいとは思うが。

2013年6月3日月曜日

週間呑みアルキスト5.13~6.2



●5月15日
この日、Jリーグが始まって20周年を迎える。開幕戦のチケットの半券を見ながら日本サッカーの右肩上がりの日々を懐かしく思い出す。思えば、世界中いろいろな場所にサッカーを見に飛び歩いたのもこの頃からだ(最初は開幕前の88年のソウル五輪だったが)。いろいろな同好の士との邂逅と別れもあった。そんなことを思い出しながら『明治屋2nd』でちびりちびり。

●5月16日
洒落でやっていた中国語のレッスンが、新しい先生を迎えて再開。今回からは編集者のKN氏に加えてカメラマンのAD氏、玩具プランナーのKB嬢、天文台職員のMK嬢と生徒が増えた。レッスン後親睦を兼ねて専大通りの中華料理『東方園』で会食。そもそもが呑んで中国語を肴にするというコンセプトで集まった人たちだけに飲むわ飲むわ、あっというまに終電帰宅。

●5月23日
新しいパスポートの公布のため午後有楽町のパスポートセンターへ。久しぶりの銀座方面ということで、旧西銀座デパートの飲食店街にある『スーパードライ有楽町店』で真新しいパスポートをめくりながら昼からビール。ほろ酔いで午後のひと時を銀座をぶらぶら歩き。

●5月24日
夕方、上階のT出版OK氏が顔を出したので、現在事務所に同居中のNG氏も誘って『明治屋2nd』で軽呑み。

●5月25日
スポーツフォトグラファーのKG氏がコンフェデレーションズカップに取材に行くことが決定し、その壮行会と打ち合わせを兼ねて会食。KG氏が石川県出身ということで水道橋の能登料理『能登美』に行くもあいにくと満席。その道すがらやはり能登料理ということで迷った『手だれ屋敷本郷』という居酒屋へ落ち着く。魚は七尾産のものに限るね。

●5月28日
午後から旅行会社OH社の打ち合わせでデザイナーのNZ嬢と日比谷に。打ち合わせ終了後お茶でもと相成ったが、のんべで鳴らすNZ嬢だけに『AUX AMIS』というおしゃれなフレンチカフェでいきなりカンパリを注文。つきあわないのも無粋というものなのでご相伴。夜は高校のマスコミ会の幹事会で池袋のビアホール『ライオン池袋西口店』へ。今年のマスコミ会は30周年ということでビンゴ大会や豪華景品をつけたいということで、幹事一同京浜集めに奔走することに。先日事務所の共有で大掃除をしたばかりでその際出てきたノベルティ商品が多数あるので、こちらのノルマは早くも達成できそうだ。

●5月29日
T出版OK氏と、事務所の近所で食事。割烹の『卯佐』でビール党のOK氏には珍しく日本酒を注文。旬のホタルイカの刺身が美味し。陽気はすっかり初夏の様相。冷たいビールもだが冷酒もなかなかいい感じの季節になってきた。

●5月30日
K社で一緒だった昔の職場の仲間たちが、久しぶりに同窓会っぽい会合を開催。この日はわが代表のW杯出場をかけた大一番の豪州戦に向けたスパーリングでブルガリアを迎えての親善試合があり、すっかりだぶってしまったが、懐かしい面々との再会ということで試合結果を気にしながら新宿三丁目の沖縄料理『海森2』へ。お店の中にテレビもあったが思わぬ劣勢で呑みに専念。みなすこぶる元気だ。

●5月31日
帰宅途中に新宿二丁目の『t’s bar』へ立ち寄る。

●6月1日
所沢のくすのきホールで定例の古書市。時間をかけて数万冊の中から10冊ばかり選び出す。アルベルト・モラヴィアの「ふたりの女」、豊田嬢の『長良川』、など小説類と、最近山本直樹の漫画「レッド」を大人買いしハマってしまい、再びその意味を問うべく「赤軍 RED ARMY 1969-2001」なる物騒な1冊も発掘購入。東口駅前の『プロント』でビールを飲みながら戦利品を品定め。

2013年5月17日金曜日

弦楽四重奏で奏でる人生の機微


本日の業務試写は『25年目の弦楽四重奏』(ヤーロン・ジルバーマン監督)。 
結成25周年を迎えた世界的に有名な弦楽四重奏団<フーガ>のチェリストが、不治の病を宣告され引退を決意することから、それまで完璧なハーモニーが保たれていたメンバーの間に亀裂が入りだす・・・。芸術と個人生活、愛情と裏切り、人生の輝きと翳り。ベートーヴェン弦楽四重奏曲第14番にのせて奏でるちょっとほろ苦い人間ドラマである。主役の4人はクリストファー・ウォーケンをはじめフィリップ・シーモア・ホフマン、キャサリン・キーナー、マーク・イヴァニールと実力派ぞろい。それぞれが直面する人生の不協和音と再生への試みを緊張感あふれる演技で見事なアンサンブルを奏でてくれる。
最近見たトランティニャンやテレンス・スタンプ同様にウォーケンの<老い>の演技がなかなか良かった。クラシック音楽ファンもクラシックに疎い人も、おそらく見終わった後に生きる喜びと哀しみに思いを巡らし、しみじみしてしまうはず。

7
6日より角川シネマ有楽町他ロードショー。

2013年5月15日水曜日

フットボールと共にした20年





本日5月15日Jリーグがスタートして20周年を迎えた。
開幕戦の国立競技場の芝生の美しさに涙が出そうになったことを今でも鮮明に覚えている。
マイヤーのロングシュート、ディアスの劇的決勝ゴール。つい昨日のような感覚だ。60年代、日本リーグ時代からのフットボールファンとしてはもう20年たったの?と、あっというまに過ぎたような気もするが、思えばその間、日本のフットボールの右肩上がりの歴史とともに自分の人生でも、素晴らしい出会いや悲しい別れ、いろいろなことがあった。

ドーハ、ジョホールバルをはじめイングランド、イタリア、フランス、ドイツ、ポルトガル等々世界中を飛び回ったこと、日本代表やJリーグの試合で地方のスタジアムを巡礼した日々、その間に出会った忘れ難い多くの人々、みんな笑顔のイメージが残像として残っている。

Life is Football.

残りの人生がいつまで続くのか判らないが、これからもフットボールと共に人生は進むのだろう。
今日一日、20年の日々を振り返りながら、幸せだったFootball Lifeに思いをはせたいと思う。



2013年5月13日月曜日

週間呑みアルキスト4.22~5.12




●4月24日
神保町シアターに映画を観に来た兄夫婦と妹で珍しく会食。場所は神保町交差点近くのビル地下にある老舗寿司店の『いろは』。ランチでは入ったことがあるが夜は初めて。格式は極めて大衆的というかアボガド巻きみたいなものもあるお店だ。寿司は久しぶりだったので本音ではもっといい店あるのにと思っていたが相手の指定なので仕方がない。ところがいわゆる銘店ではないがそう思って注文すればまあ悪くない。つまみで頼んだ煮あなごは身とつめの加減がよくなかなか美味かった。隣のテーブル席が団体の会合があるとのことで、お店の人は恐縮していたが、あとからやってきたのはどこかの大学の関係者ご一行で全然騒がしくないので良かった。さすが神保町は客のレベルもいいね。

●4月26日
夕刻、事務所のコピー交換でバタバタしていたときに、シンガポール駐在時代に現地のフリーペーパーで働いていた元K社のIM嬢がひょっこり顔を出す。彼女は現在結婚して沖縄に在住だがたまに仕事で上京してくる。ちょっと手が離せなかったので事務所にキープしてあった缶ビールを飲んでもらい、一段落した後、隣の『明治屋2nd』へ。旦那さんが今度マレーシアかシンガポールで就職が決まりそうなのでまたアジアの生活が始まるかもということだが、ちょっとうらやましい。

●4月28日
事務所を新たにIG社のNG氏とシェアするため、NG氏とカメラマンのAT氏とで一日引っこし作業に明け暮れる。今までは一人でぜいたくに使っていたがさすがに3人のスペースだとちょっと窮屈な半面、メリットも多いはず。

●5月1日
大学時代の友人ED氏から呼び出し。彼のホームの三軒茶屋で落ち合う。まずは食事ということで茶沢通りからちょっと入ったところの『茶番』という店に。食工房と店名の頭についているだけに魚を中心とした料理はどれも手が込んでいて美味い。日本酒、焼酎と飲んでいるうちにすっかりいい気分に。その後お約束の女の子のいるスナック周りで、店名は失念したが2件ほどハシゴした後のとどめはいつものスナック『洒落人』。声をからしてうたっているうちに夜は更け、結局タクシーで帰還。すっかりゴチになってしまう。

●5月5日
例年、連休中は仕事だったが最近つとにヒマで、事務所の整理が終わると久々にゆっくりと時間がとれた。とはいえ計画性も資金もないのでレジャーといえばせいぜい都内で映画館めぐり。こういう時にこそと気合を入れて一部二部合わせて4時間半を超える長編「セデック・バレ」を観ることに。都内2館だけの上映なので自宅の眼の前からバスで行ける吉祥寺へ。日本統治下の台湾で起こった霧社事件を題材にした殺戮シーン満載の映画だったが内容の重さもあって観終わったときすっかりぐったりしてしまう。帰り際最終バスの時間まで『BOGA』という雰囲気のいいバーで喉をうるおす。

●5月8日
近所のローソンでブログなどで話題の「いなばのタイカレー」缶詰がワゴンセールで置いてあったので、帰り際立ち寄った『明治屋2nd』で話題にすると早速マスターがその足で買占めに走る。ちょこちょこっと暖めてもらいご飯にかけていただくと、これがバカにできない。タイの香辛料たっぷりの本格的な味にびっくり。きけばどこでも品薄だそうで確かに人気の秘密はうなずける。週末ちょっと地元で探してみることに。

●5月9日
3月決算の数字を整理しにK会計士が来社。早いもので今度9期目に入る。よくここまで持ちこたえたものと思うが、10年をめどに次のことを考えなくてはとも思う。これまたともに8年やってきたお隣の『明治屋2nd』に立ち寄った後、新宿3丁目の『T’s Bar』へ。こちらはもう30年の付き合いになる。たまたま隣り合わせたカップルのお客さんがご自身の娘さんとの大学入学祝いということだったが、彼女が生まれるはるか前から呑んでいることを考えるとちょっと複雑な気分に。

●5月10日
上階のT出版OK社長が顔を出したので食事に誘う。近場の店が週末でどこも満員ですずらん通り裏のタワービルにテナント入りしているこじゃれたイタリアン『ラ・コモディタ』に入ることにする。周囲が込んでいるのになぜか空いていたのでちょっと不安だったが、料理はそこそこ悪くないし、ワインもリーズナブル。神保町ではイタリア料理が成功しないといわれてきたが、最近は結構いい店が増えだした様な気がする。






2013年5月8日水曜日

久々の韓国映画






本日の業務試写はパク・シフ主演の韓国映画『殺人の告白』(チョン・ビョンギル監督)。
韓国映画は詳しくないが最終試写とはいえいつになく混んでいたので、期待度が高い作品なのだろうか?はたまた韓流ドラマで人気上昇中というパク・シフ主演ということだからだろうか?


15年前の連続女性殺人事件が時効を迎え、自分が犯人だと名乗り出た美貌の青年。彼は事件の真相を描いた告白本を出版しベストセラーとなるが、主任捜査官だった刑事は彼が犯人であるということに確信が持てない。事件の遺族たちは恨みを晴らすためこの青年の誘拐を図る。そんな折、テレビの公開番組を通してJという真犯人が名乗りでた。いったいどちらが本当の犯人なのか?

話が二転三転とスピーディーに展開する手が込んだ脚本に加え派手なカーチェイスなどアクションもダイナミック。主演のパク・シフも好演だが、はみ出し刑事役のチョン・ジョエン、真犯人Jを演じるチョン・ヘギュンという無名の役者がなかなかいい味を出し光っていた。でも、アジアの映画によくあるのだが、この作品でもせっかくシリアスに面白く描けているのにサービス過剰の映像の遊びを入れ込むことで、緊張感を削いでしまうのはいただけない。遺族たちもキャラが立ちすぎて逆に存在感が中途半端になってしまう。監督はこれが2作目という新鋭だけに今後に期待かな。

6月1日よりシネマート新宿、シネマート六本木ほか公開。

2013年5月7日火曜日

40~50年代初頭のLAは魅惑的だが

GW最終日は地元のシネコンに『LAギャングストーリー』(ルーベン・フライシャー監督)を観にいく。40~50年代のロスの闇社会を仕切っていたミッキー・コーエンに対して、ロス市警が秘密裏に組織した超法規的な手段を辞さない特別チームが死闘を繰り広げるクライムムービーである。

ミッキー・コーエンはハリウッドのおひざもとのヤクザもんだっただけに、よく映画や小説に登場する。実際にラスベガスの顔役だったベンジャミン“バグジー”シーゲルの弟分だったし、手下のジョニー・ストンパナートが人気女優のラナ・ターナーの愛人で、ジョニーはラナの娘に殺されるという大スキャンダルを起こしたりで、ド派手でセレブのコーエンはこの時代の裏社会を代表する存在として、実際の評価以上に悪のスーパーキャラとして取り上げられることが多いのである。この映画ではショーン・ペンが悪虐非道のモンスターのようなキレキャラを演じ、『アンタッチャブル』でカポネを演じたデ・ニーロ並みのアプローチで熱演している。

さまざまな組織犯罪で集めた金で、判事や警察官まで買収してしまうミッキー・コーエンの組織をつぶすには、半端なことでは勤まらない。ということで腕っこきの捜査官が選ばれ秘密裏にチームを組んで、時にはギャングのお株を奪う違法な手段で彼らを追い詰めていく。
実話を元にとしているものの、そこは娯楽作品だけにアクションまたアクションのどんぱちシーンが展開する。

それはそれで、黒澤の『七人の侍』やスタージェスの『荒野の七人』的な正義のために、組織からはみ出したものたちが、巨悪と対決するというプロットは面白く見れるし、ライアン・ゴスリングのばっちりソフト帽やスーツで決めたファッションは格好良いし、なによりも40年代、50年代というノスタルジックな時代の雰囲気の再現はたまらない魅力を感じる。
ただ、あまりにも単純明快な善悪の激突で、時代のバックグラウンドにひそむ社会問題や、登場人物たちのひきずっているものがまったく見えてこないのだ。よってドラマの深みの無さはいかんともしがたい。せっかく捜査官たちは戦争帰りという設定なのに、その体験を自らに内包する苦悩のようなものをもっと盛り込めばよかったのにと思う。

久々に大掛かりで大物スターも起用していて期待度が高かっただけに、ちょっとがっかり。あらためて『仁義なき戦い』など故笠原和夫氏の手がけた人間ドラマとしてのアウトロー映画のレベルの高さを再認識したような次第。

まあ、映画は楽しけりゃそれはそれでいいんだけどね。





2013年5月5日日曜日

セデック・バレを観て文明とは何かを考える




連休の時間を利用して、1930年(昭和5年)、日本植民地下の台湾霧社で起こった原住民の抗日武装闘争を描いた映画『セデック・バレ』を鑑賞。日本人警官の積み重なる横暴に霧社セデック族マへボ社の頭目モーナ・ルダオ率いる抗日原住民300名が蜂起、公学校(小学校)の運動会に集まった日本人住民を襲撃134人が惨殺される霧社事件発生までを描いた第1部「太陽旗」。その後この反乱を平定するために近代兵器を大量投入し反攻する日本軍にゲリラ戦を展開し、悲惨な結末を迎えるまでを描く第2部「虹の橋」。あわせて4時間36分という超大作である。
とにかく全編スプラッター映画並の出草(首狩)シーンの連続で壮絶な戦いがこれでもかと描かれていて、見終わった後はぐったり脱力してしまった。
監督脚本は『海角七号』のヒットメーカー魏徳聖。一昨年の台湾公開では、衝撃的な内容が話題を呼び大ヒット。その年の金馬奨でグランプリ含め6部門受賞した。


まあ、“悪虐非道”な日本人が次から次に殺される映画であるゆえ仕方ないのだが、日本人としてはなかなか気分は複雑ではある。『海角七号』で親日的なノスタルジーを描いた監督の作品だけにショックを受ける人も多かったのではないだろうか。日本統治下の抗日武装蜂起ということで、なにかと政治的な色眼鏡で見られがちではあるが、監督自身は「文明と野生の闘争」として描きたかったと語っていたようだ。台湾の中部山岳地帯の美しい自然と、太古よりそこに暮らしてきた人々の素朴な伝統。そこに轟然と入り込んでくる近代。文明の恩恵とは何なのか、それが魏徳聖の問いかけの本質なのかもしれない。
しかしながらこの事件以降皇民化教育を進め、太平洋戦争時には原住民たちを高砂義勇挺身隊として南方の激戦地に送り込み、多くの犠牲を強いた歴史を考えるならば、その端緒となった理蕃政策へ抗議する原住民の立場と、戦後補償もあいまいなままほったらかしにしてきた日本人の道義的な責任は免れない。その意味を深く考えさせられてしまった。


霧社には台湾駐在時代に訪問し、モーナ・ルーダオと顕彰碑を観て来たが、国民党政府の抗日義士化へのプロパガンダ的な作為を感じ嫌な感じを受けた。それに比べると映画の中でわが同胞が大量に惨殺されるシーンが満載のこの映画表現のほうが、歴史を冷静に検証しようという若い台湾の世代の姿勢が感じられ好感が持てた。歴史を学ぶということは韓国や中国が言うところの日本に対する戦争責任への「恨」にもとづく感情的な論陣ではなく、事実をいかに判断していくかという姿勢にこそ反省も,将来への道筋も見えてくるということに他ならないのだと思う。




霧社事件の記念碑

2013年5月3日金曜日

スヌーピーと日本の匠たち



仕事で雑誌のパブリシティを頼まれた「スヌーピー×日本の匠展」(松屋銀座イベントスクエア‐5.6まで)。いい歳こいて別に特にスヌーピーに思い入れがあるわけではないのだが、一応仕事でかかわった以上覗いておかなければと、連休後半の初日に出向いてきた。
作者のシュルツ氏の友人でもある日本のアーティスト大谷芳照氏が呼び掛け、日本の伝統工芸作家たちに声をかけて実現したスヌーピーをモチーフとした作品展である。
書画、焼き物、漆器、染め物などなかなかの力作ぞろいで、純和風のスヌーピーたちがユーモラスでもあり、アーティスティックであり、なおかつ可愛い、ということで、自分で宣伝をしておきながら結構感心してしまった。
グッズコーナーもなかなか充実していて思わず手が伸びそうになったが、いかんいかんと言い聞かせ我慢。
ミッキーマウスもそうなのだが50年代に誕生したころの初期のスヌーピーの、もっとビーグルビーグルした姿が個人的には興味深かった。
会場は幅広い層の人たちでいっぱい。あらためてスヌーピーの人気を思い知らされた。

2013年4月29日月曜日

週間呑みアルキスト4.1~4.21




●4月1日
新年度、8回目の会社創立記念日でもある。よく続いたものである。『明治屋2nd』にてひとり秘かに祝杯する。ここのお店も8日で8周年。同時期に店開きしたもののこちらは神保町でも人気店である。こちらも何とか頑張って10周年にはパーティーでお世話になりたいもの。

●4月3日
日本代表がヨルダンでW杯出場を決め切れなかったこともあり、某社に出していた雑誌の企画もあえなく頓挫。企画をともに提案していたKGカメラマンと、元編集者KJ氏も参加して神保町のうどん店『野らぼー』にて残念会。『明治屋2nd』にハシゴ。

●4月10日
T出版O社長、デザイナーAK氏とすずらん通りの居酒屋『八吉』で一杯。従業員の女の子が仕入れている魚の現物を見せに来るので頼まないわけにもいかず久々に魚三昧。


●4月12日
ライターTM嬢と打ち合わせ後会食。山椒たっぷりの激辛麻婆豆腐で有名な小川町の『四川一貫』へ。昔界隈に居たS商事の先輩から教わった店だが、S商事の台湾チームの根城だったそうだ。
台湾のホテル仕込みの親父は半分引退し2代目が調理の腕をふるっているが変わらぬ味を保っている。辛さを中和させるため神保町のBar『KLINE BLUE』へ。

●4月13日
T出版O社長と神保町の沖縄ダイニング『東京アチコーコー』で一杯。O社長は痛風気味ながらオリオンビール目当てだったが、残念ながらこの日は品切れ。結果的にオーガニックの飲み物で結果はオーライと思うのだが。

●4月15日
A誌の取材で教員評論家尾木ママこと尾木直樹氏インタビューの立ち合いで六本木のANAインターコンチネンタルホテルへ。取材前の条件ではいろいろと事務所から注文があったが、本人はサービス精神満点で話も面白く聞けた。最近の大学生を中心にソーシャルネットワーク時代に育った若者たちの実態を聞いたのだが、街には真新しいスーツの新入社員と思しき連中があふれている時期だけに帰り道でもその手の子たちを見かけるとなんだか自分がぐっと年をとってしまったようで複雑な心境に。

●4月18日
来月より事務所をシェアする都合上、2年にわたってわが事務所に飾ってあった仏頭を持ち主の編集者KN氏に返還する。荷造りを終えた後会社の近所の割烹『卯佐』で冷酒を味わいつつ、ホタルイカの刺身をつつく。仏頭はやはり同業の事務所に落ち着くらしい。2年にわたる加護に感謝。

●4月19日
T出版O社長と神保町中華の老舗『源來軒』へ。新メニューで麻婆麺なるものがあったので注文。『四川一貫』ほどではないが、そこそこに山椒が効いていて美味。甕だし紹興酒ですっかりいい気分に。






2013年4月17日水曜日

老人映画花盛り




今週の業務試写は英国映画『アンコール!!』(ポール・アンドリュー・ウィリアムズ監督)。『ブラス!』『フルモンティ』といった笑って泣かせる英国ハートウォーム音楽ものの系譜だが、今回は老人の合唱団のお話。合唱団といっても歌うのはマーサ&ヴァンデラス、チャカ・カーン、モーターヘッド、シンディ・ローパーといったノリノリの楽曲。演じるは英国の二大名優のテレンス・スタンプとヴァネッサ・レッドグレイヴというコンビ。夫婦愛に満ちた二人の微笑ましい関係もさることながら連れ合いを亡くす喪失感、息子とのすれ違う心象を描きながら、コミュニティに参加する老人たちの前向きさに心打たれる。そしてお約束のコンテスト参加の大団円での拍手喝采と泣かせどころも満載だ!

今年は『愛アムール』のジャン・ルイ・トランティニャンとエマニュエル・リヴァの老夫婦ぶりが話題になったが、テレンス&レッドグレイヴたちもなかなかどうして見ごたえのある老人ぶりを披露する。あの『コレクター』野郎が?あの『裸足のイサドラ』がか?と往時を知る人間にとってはその老けぶりはなかなかショックだが、こういう風にチャーミングに歳をとれたらと感じさせてくれる演技はさすが。三國連太郎ももう少し元気でいてくれたらスーさんとかじゃなくて晩年のハマり役がもっとあったのにとちと考えてしまった。それにしてもなんだか英国社会の老人問題に対するまなざしが日本より格段に優しく映る。彼らの間にも老老介護や団地の孤独死とかの問題はないのだろうか?

しかし最近は老人映画が妙に増えだした。これもやはり高齢化社会という世相が反映されているのだろうか。
今年も邦画の『ペコロスの母に会いに行く』も控えているし老人ものが今後ある種映画のトレンドになる様な気がする。

『アンコール!!』は6月28日よりTOHOシネマズシャンテにて公開。

2013年4月10日水曜日

週刊呑みアルキスト3.11~3.31





●3月13日
ライターTM嬢経由で、K社系列BW社のOT氏が相談がある旨連絡があり、3人で事務所の近所の台湾料理『台南坦仔麺』で会食。聞けばOT氏は人事異動で海外事業関連部署へ動くとかで、アジアでのコンテンツビジネスの現状などを伺いたい由。出版社も海外へのコンテンツ輸出に活路を見出そうとするのも当然のことだろう。逆にさっそく当方への仕事発注を売り込む。BAR『KLAIN BLUE』にハシゴ。大雨に降られ終電近くまで粘る。

●3月16日
デザイン会社NN社のOG社長と同社の女子2名、同じくデザイン会社を営むAK氏と女子1名の参加で、白銀高輪のイタリアン『トランテッラ・ダ・ルイジ』で食事会。窯焼きのナポリスタイルの本格的なPIZZAが楽しめ、ホールの従業員もイタリア人とあってちょっとした旅行気分。楽しく店が終わる夜遅くまで騒いでいたらもう終電が危なくなってしまう。呑み足りないメンバーと覚悟を決めてつきあうことにして渋谷へ移動。公園通り下のカラオケBOX『パセラ・リゾート』で久々に朝方まで。帰宅後沈没。

●3月20日
隣の『明治屋2nd』の常連さんグループと神楽坂『鳥茶屋』にて宴会。むかしK社在勤の際たびたび使わせていただいたお店。雰囲気がある個室の割にはうどんすきのコース料金もお手ごろでけっこう腹いっぱいになる。2次会は休日なので選択肢が限られてしまいなかなかいい店が浮かばないが、一計、新宿に移動し昭和歌謡を映像つきで楽しめる『ヤングマン』へ。参加者それぞれの世代のつぼにばっちりハマり大盛り上がり。

●3月21日
日本サッカー狂会会員にて74年の西ドイツ大会からW杯現地観戦をしているというTJ氏とお仲間のつわものおじさんサポ3人が神保町で会食するというので合流。BAR『KLAIN BLUE』で待ち合わせた後、ビアレストラン『放心亭』へ。皆さんそろって6月のコンフェデレーションカップのブラジル現地観戦を予定しているということで旅の打ち合わせも兼ねての会合でもありうらやましい限りだ。サッカーと旅の話で楽しいひと時を過ごす。


●3月22日
曙橋のデザイン会社MM社恒例のガレージバーベキューに参加。石川県直送の魚介類と牛肉をふんだんにいただく。帰り道、新宿2丁目の『t's bar』に立ち寄る。

●3月25日
今年は観測史上2番目に早い桜の開花ということだが、この日は寒の戻りで肌寒い1日。T出版OK社長、デザイン会社SB社AKI氏と誘い合わせて神保町の九州居酒屋『熱中屋』にてもつ鍋に熱燗、ひさびさの郷土食おきうとなぞをつまみに飲む。

●3月26日
この日は世界で一番早いW杯本大会出場決定がかかった大一番アウェイのヨルダン戦。キックオフは時差で11時から。中継までの間『明治屋2nd』で一杯入れて気勢を上げてから家に帰りその瞬間を待つ。しかしながらヨルダンがホームの利を生かし、気合の入った攻勢の前に本田、長友を欠いた日本代表は大苦戦。前回6-0と快勝した相手に1-2のよもやの敗戦。6月4日の豪州戦まで出場決定はお預けとなった。早々にフテ寝。

2013年4月5日金曜日

70年代フレンチエンターテイメントの実録作品




今日の業務試写はフランス映画『最後のマイ・ウェイ』(フローラン=エミリオ・シリ監督)。おじさんのカラオケ愛唱歌でもあるシナトラの『マイ・ウェイ』の原曲をうたったフランスの人気歌手クロード・フランソワの伝記映画である。クロード・フランソワは39歳で夭逝し、日本じゃいまいち知られていなかったがフランスの60~70年代の超スーパースターだった人。

『マイ・ウェイ』は「いつものように」という彼の曲をポール・アンカがカバーしてシナトラで世界的にヒットし、エルビスやシド・ヴィシャス(布施明もだけど)までがカバーした。劇中でもそのシナトラはじめジョニー・アリディ、ジルベール・ベコー、オーティス・レディングといった当時のエンターテイナーたちが次々に登場する。みなそれなりに特徴をよくつかんでいるが、フランソワ役を演じたジェレミー・レニエ自体もそっくり。とりわけ彼が恋人にしていたフランス・ギャル役のジョセフィーヌ・ジャピという女優さんは瓜二つで、実は中学生のころ彼女の大ファンだっただけに本当に感情移入してしまった(こんなに可愛い娘傷つけるなんて!と映画とはいえ思わずむかつきまくってしまったよw)。

フランソワ本人は病的なまでに神経質で嫉妬深く傲慢ないやな奴なのだが、スーパースターでいることの孤独感とか、人気を保つことに対する焦燥や不安な感情の起伏などがよく表現できていて人間ドラマとしてなかなか見ごたえがあった。フランスでは昨年公開されるや1週間で100万人を動員する大ヒットだったそうで、今でも彼の衰えぬ人気を示しているようだ。 また、60年代から70年代にかけてのパリの雰囲気が実によく再現されていて、音楽ファンじゃなくてもあの懐かしいポップでオシャレな時代を疑似体験するだけでも楽しい。

というわけで、本日は家に帰って段ボールにしまい込んであるフランス・ギャルのドーナツ盤を引っ張り出すことと(Youtubeでも見られるけどね)、次のカラオケの持ち曲は久々に『マイ・ウェイ』にしようと心に決めたのであった。

Bunkamuraル・シネマにて初夏ロードショー。

2013年3月29日金曜日

デンマークの近世史も面白い





連日の業務試写はデンマーク映画『ロイヤル・アフェア 愛と欲望の王宮』(ニコライ・アーセル監督)。”愛と欲望の~”なんてサブタイトルがついてしまうと、なんとなく昼メロっぽい感じがするが、史実に沿った硬質な作品だ。

18世紀後半、フランス革命直前の啓蒙思想の波が押し寄せ始めたころのクリスチャン7世治下のデンマーク。ちょっと精神が不安定な国王の侍医として側近にとりたてられたのはヨハン・フリードリヒ・ストルーエンセというドイツ人医師。この医師は開明的な自由主義思想の持ち主で娼館通いにつきあったりしてすっかり王のマブダチになってしまう。
イギリスから嫁いできたカロリーネ王妃はこの変わり者の王様と不仲でいつしか知性的なストルーエンセに魅かれ懇ろになってしまう。こうしてトップ二人を落とし摂政として宮廷内の権力を掌握したストルーエンセは保守的な貴族階級を退け次々と民衆に寄った改革を実現させていくのだが、出る杭は打たれるのである。王太后と結託した貴族階級から王妃とのスキャンダルをネタにネガティブキャンペーンの巻き返しにあい、ついには断頭台へ引き立てられてしまう。

ストルーエンセの早すぎた改革は一度は廃棄され中世に逆戻りしたものの、後の治世でつぎつぎと復活して近代への扉が開かれていくことになったということで、この話はデンマーク国民なら誰しもが学校で習う歴史物語だとか。ちなみにカロリーネ王妃との禁断の恋で出来てしまった王女の血統が現代のスウェーデン国王グスタフ2世まで続いているそうであるから、こういった意味でもストルーエンセの不倫もまた無駄には終わらなかったようだ。

監督のニコライ・アーセルは『ドラゴンタトゥーの女』の脚本で名をはせ、監督としては本作が3作品目。主演のマッツ・ミケルセンは『007/カジノロワイヤル』をはじめハリウッド作品でもちょくちょく顔を出すデンマークの国際スターで日本人でいえば山崎努っぽい感じで渋い。カロリーネ王妃を演じたスウェーデン人女優のアリシア・ヴィカンダーもキーラ・ナイトレイ主演の最新版『アンナ・カレーニナ』でキティ役に抜擢され今後が楽しみの美形。

デンマークの近世史の予備知識がなくても(私も世界史で大学受験したけど、この時代のデンマーク史はまったく知らないもんね)権力闘争につきものの陰謀渦巻く裏切り劇や、禁断のロマンスといったエッセンスがたっぷりで十分楽しめる。

4月27日よりBunkamuraル・シネマほかで公開。