2015年12月28日月曜日

クリスマスに召された心優しき先輩を偲ぶ

12月24日。クリスマスイブになんともやりきれない訃報が入る。
以前勤めてた会社の先輩のSMさんがどうも亡くなられたらしいが聞いていないかという問い合わせがあり、あまりに突然のことだったので声にもならなかった。
22日には4月に亡くなったかつての仲間の偲ぶ会があり、SMさんは欠席していたので「元気なんでしょうか?」と何人かに聞かれたばかりのことだった。
昨日、追加の情報が入り肺がんで亡くなられた、と確かな筋からの連絡が入り、本当のことだったのかとようやく現実のことなんだと認識させられた。

SMさんと最後に話したのはさる9月末のこと。全国の米の生産地を特集する企画で助言を仰げればと思い連絡したのだが、声に元気がなく「身体の調子がおもわしくないんだよ」と言っていたので気にはなっていたのだが、まさか死に至る病であったとはつゆにも思わなかった。

SMさんは1982年TV誌の創刊時に、広告代理店を辞め雑誌広告マンとして我々の仲間に加わった。以来苦楽を共にしてきた。個人的には編集時代にもお世話になったのだが、自分が広告部に異動になった際に、いろいろとアドバイスをいただいたのが忘れられない。後輩や部下からは慕われ、彼らをかばうあまり上からの覚えがいまひとつだったが、業界的にも多くの人たちからその優しい人柄と仕事への真摯な態度から愛され、信頼された人だった。

先に会社を辞め起業した小生を追いかけるように、やりたかった産直品を扱う食の通販会社を立ち上げられ、ここ何年か企画をご一緒させていただいていた。苦労も多かったと思うが、まだまだこれから面白くなるのに、早すぎますよ。
でも、やっと色々な気苦労から解放されるね、どうかゆっくり休んでください。
いまはまだ心の整理もつかず、そんな月並みなことことしか頭に言葉が浮かんでこない。 SMさんと過ごしてきた時間を考えれば、語られなければいけないことはたくさんあるのに。




2015年12月6日日曜日

週間呑みアルキスト11.1~11.30



●11月5日
夕方、ライターTK嬢来社。打ち合わせ後、事務所の近所に最近できたバル『路地裏バル O’s』で食事。小さな店だが、コスパはまあまあ。

●11月7日
土曜日だが打ち合わせで編集者OK氏、カメラマンNY氏が来社。向いのデザイン事務所のTK氏、ST嬢を誘って専大前『森のブッチャーズ』で食事会。『東京アチコーコー』『コンセール』とハシゴ。

●11月8日
会社の御隣の『明治屋2nd』の常連さんでジャズサックス奏者KG氏の年に一度のライブを聴きに『新宿Pit Inn』へ。終了後応援の常連さん仲間と新宿5丁目の中華料理『東順永』にて打ち上げ。

●11月12日
曙橋のデザイン事務所で会議の後、編集者OK氏と住吉町の中華料理『福餃子』にて軽呑み。

●11月13日
昨年早世されたカメラマンSZ氏の1周忌の会が四谷の『PBE Dining』で開かれ、仕事でお付き合いがあった仲間が参集。久々に会う人も多く、故人の思い出話をしながら懐かしさもあふれる会となった。

●11月19日
月末校了の仕事が重なり、忙しい日々が続く中、市ヶ谷のD印刷での打ち合わせの後、最近多くの仕事を共にしている編集者OK氏と打ち合わせ方々市ヶ谷『鳥元』で食事。翌日が健診も控えていたので早々に切り上げる。

●11月21日
仕事をお願いしているライターTM嬢と打ち合わせ後、九段下のイタリアン『ヴィノサルテ』で食事。この日も何杯か飲んだ後、会社に戻って入稿作業が続く。

●11月25日
12月発売のムック本がどうにか校了。久々に早い時間に店じまいして帰宅。途中新宿三丁目で『t’s bar』に寄り道。

●11月28日
『明治屋2nd』でチーズフォンデュを囲む会に誘われて参加。食材も多く、その割には出席者もそこそこだったのですっかり満腹に。早めに切り上げて『t 's bar』にハシゴ。

●11月30日
兄夫婦が神保町に出てきたというので食事をごちそうになることに。駿河台下の喫茶店『古瀬戸』で集合したのち、日本橋室町の鰻屋『亀とみ』へ。美味し。

 

2015年11月3日火曜日

週間呑みアルキスト10.1~10.31

 
 
●10月1日
EB社ON社長と、水道橋の仕事発注先で打ち合わせの後、軽く食事をということで『揚州商人』にて炒飯をかきこむ。EB社とは某官庁系の仕事をお願いしているのだが、官の仕事はなかなかすんなり進まないのがつらい。迷惑かけているのでせめて炒飯くらいはごちそうしなけりゃね、ということでひとまず勘弁してもらう。早く打ち上げにこぎつけたいものだが。

●10月2日
福岡KY社に日帰り出張。インタビューの仕事だが午後一番に入り、滞在役時間でとんぼ帰り。せっかくの食の都にまで来てゆっくり食事もできないのも辛いものがあるが、一計を案じて天神地下の大丸で子供のころからの大好物の折尾名物『東筑軒』のかしわ弁当を購入。B級グルメとはいえ、東京ではめったにお目にかかれない。これさえ食えれば福岡まで出かけた甲斐があるというもの。

●10月3日
昨年早世した後輩KJ氏の3周忌の「偲ぶ会」を前に、用賀に「偲ぶ会」の幹事メンバーと墓参りへ。
ついこの間まで一緒に仕事をしていて、本欄にもたびたび登場していたというのに、それを想うと時の経つ速さを実感させられる。この追悼の会もいつまで続くことができるのだろうか。墓参後は用賀駅ビルの『そじ坊』にて献杯。この日の夜は、わがブレイヴブロッサムがサモアと激闘し見事な勝利、南ア戦の勝利がフロックでないことを実証した。

●10月5日
以前勤めていたK社グループの青学会にOBとして参加。会場はOGのAS嬢が一番町で経営するキッチンスタジオを提供していただき、AS嬢の手料理、セレブな環境で、昔話を楽しむ。最後に美人パティシエ嬢に供された校章入りのケーキに大歓声。ごちそうさまでした。

●10月7日
福岡の代理店GA社IJ氏が上京してきて、デザイン会社MM社にて打ち合わせ。夜はIJ氏をまじえてMM社のスタッフとの会食に誘われたので、少し遅れて四谷のイタリアン『La Vita』へ駆けつける。この店はかつてK社時代によく通った。当時は知人のHTシェフが腕をふるっていて素晴らしい料理を出してくれていた。HTシェフが独立して店を移られた後は足が遠のいていたが、おおきなポルチーニ茸のソテーを始め変わらぬクォリティで感心した。伝統は引き継がれているということか。

●10月11日
ラグビーW杯、ジャパンの最終戦となる米国戦を家呑みで観戦。すでにこの試合に勝っても決勝トーナメントには進めないが有終の美を飾ってほしいもの。1勝へのメンツをかけた米国も激しいプレーでガチの勝負になったが、ジャパンはここでも変わらぬチームワークとひたむきなプレーですがる米国を突き放し見事な勝利で3勝目。3勝してトーナメントに上がれない初めてのチームとなったがこれも勲章といっていい。MVPに選ばれた五郎丸の感涙にもらい泣き。

●10月15日
K社TK氏、カメラマンKG氏で年末年始のスポーツイベントの企画の打ち合わせ。終了後四谷の『こうや』で会食、Bar『3circle』へハシゴというKG氏定番のコースにお付き合い。

●10月22日
かつて台湾時代の部下だったTD嬢と久しぶりに会食、小川町の『巴里の介』という小さなフレンチ。安価なコースを頼んだのだが、結構な量の料理が供され、味も悪くない。TD嬢の近況、昔話に花が咲いてあっというまに余も更けていく。

●10月23日
KJ氏の3回忌の「偲ぶ会」を、KJ氏ゆかりの店四谷のイタリアンダイニング『LARGO』を貸し切って行う。TT誌時代のKJ氏の関係者を中心に約30名で賑やかに故人を偲んだ。

●10月24日
東京国際映画祭が開幕。この日は台湾、香港映画を朝から一気に3本観る。最初の作品、王童監督の「風の中の家族」は外省人兵士たちの半世紀の人間ドラマという重いテーマ。2本目の『百日草』も事故で配偶者を失った2組のカップルの癒しの時間を淡々と描いた作品。ここまでが割と暗いものだっただけに3本目の香港映画『レイジー・ヘイジー・クレイジー』のぶっ飛びエロ青春ストーリーにちょっと感情移入できず。歳をとったということ?

●10月25日
東京国際映画祭でこの日も六本木へ。4本目となったのはフィリピン映画『KID KLAFU 少年パっキャオ』。タイトル通り、フィリピンの国民的ヒーロー、ボクサーのマニー・パっキャオの伝記もの。この日はこの一本。

●10月29日
東京国際映画祭5本目は台湾映画『小孩 The Kids』。16歳で1児の父母となってしまった若いカップルたちの苦闘を描く青春もの。社会の冷たい現実に考えさせられる。主演女優の温貞菱がなかなか魅力的。

●10月30日
東京国際映画祭、朝一番で、今年最後の1本となる香港映画『破風』を鑑賞。自転車ロードレースに賭ける青春群像だが、アクションにかけてはぴか一のダンテ・ラム監督作だけあって迫力のシーンと素晴らしい空撮シーンに酔う。夜は曙橋MM社のハロウィンバーベキューに参加。六本木や渋谷じゃなくとも夜遅くまで盛り上がる。

●10月31日
会社の隣の『明治屋2nd』で行われる恒例の日本酒利き酒会に参加。呑み比べで出される日本酒のどの銘柄も素晴らしい。日本酒はそれほど得意ではないのだが、こんな会なら参加してよかったとつくづく思う。次回も期待。
 






2015年10月13日火曜日

エディージャパンの偉業



ラグビーを観戦し出してから半世紀余り。
1971年のイングランド代表戦の惜敗、1989年のスコットランド戦の勝利(テストマッチではなかったが)、2013年のウェールズ代表戦の勝利も秩父宮で目撃したが、今回のワールドカップの3勝ほど胸を打つ体験は初めてだ。
多くの現地のファンが日本のために熱狂してくれ、賞賛を得るなどと誰が考え得たであろうか。
スポーツ紙やスポーツニュースではない、一般のトップニュースでその勝利が報道され、ワイドショーで特集が組まれ、女性週刊誌の表紙となる。 いったいどこの国の話だろう。勝つということの凄さを改めて感じさせられた。

さて次に2019年日本開催のワールドカップが待っている。
新国立に関するごたごただけではない、名匠エディー・ジョーンズが呆れて去ることになるスーパーラグビー参戦問題における協会サイドの不手際など、問題は色々山積している。
「選手たちも歴史を変えた。協会もかわらなければならない」とは、さる元代表選手の言葉。
次期ヘッドコーチに、大事な時期に辞める発表をしたなどと、いかにも日本的なエモーショナルな批判をして、その本質を判っていない清宮とかを就任させる愚だけは辞めていただきたいと切に願う。もう、従来の早稲田とか明治とか、同志社とかの旧態然とした親睦組織では、次の極みに進むことなど出来やしない。

 

2015年10月3日土曜日

週間呑みアルキスト9.1~9.30

 
 
●9月3日
ハリルジャパンのW杯予選、対カンボジア戦。チケットを持っていたものの仕事が立て込み埼スタ観戦はあきらめ会社でビール飲みながらテレビ観戦。カンボジアは11人がペナルティエリア内に固まる超守備的布陣で、ワンサイドゲームながら3-0で終了。こうなると取れないんだよなあ。67年のメキシコ五輪予選の韓国×フィリピン戦思い出す。消化不良につき『明治屋2nd』へ憂さ晴らしに。

●9月8日
ハリルジャパンW杯予選、アフガニスタンとのアウェイ戦は、政情不安のためイラン開催。アフガニスタンはさすがに中東のチームらしく、カウンター狙いで攻勢を仕掛ける姿勢を見せる。こうなるとすべてにおいて力量が上回る日本代表はゴールが容易になる。終わってみれば6-0の圧勝。でもまあ、戦時下にある相手国の事情を考えればもっと取れなくてはという不満も残る。代表ではなぜかパフォーマンスを発揮できない香川のゴールは朗報。

●9月10日
一昨年亡くなったKJ氏の3回忌で、追悼吞み会の計画。ここ何日か続く雨の中、後輩のTK氏、TM嬢、SM嬢と下調べで会場候補の四谷『LARGO』へ。この店は深夜までやっているイタ飯ダイニングで、KJ氏とは生前というか20年近く前に足しげく通った思い出の店。お店の人に貸し切り話を聞いていたら奥からオーナーが出てきて名前を呼ばれて挨拶されたのでびっくり。あの頃からすっかり足が遠のいていたのに覚えていただいていてすっかり恐縮。 北関東、東北ではまた大きな水害。日本の災厄は続く。

●9月16日
かつて同僚だった新潟のM酒造のHR社長が上京。当時の仲間AS氏とともに三田の居酒屋『和飲屋 七代目 音次郎』という店で久々に酒を酌み交わすことに。HR氏が指定する店は大抵がM酒造が入れてある店、この日もやはり途中からM酒造の日本酒しばりに。

●9月17日
BG社の編集会議。帰社途中の渋谷で、まだ日は高かったが編集OK氏とチョイ呑み。マークシティ裏の焼き鳥屋街『鳥市』へ。この辺は学生時代に日参した地域だけに懐かしい。親父たちのたまり場とあって早い時間から客が入ってくる。話題はどこも大詰めを迎えた安保法制の話ばかり。総じて親父たちは憤りを感じているようだがこんなところでオダあげていても何も変わらんわな。

●9月18日
以前仕事でお世話になったFテレビ局のTG氏と、ライターのSM嬢とで荻窪の割烹『さかもと』で会食。TG氏は地元の都立高校出身ということは聞いていたが、話しているうちに中学が同じだったことが判明(大分学年は違うが)し盛り上がる。シルバーウイーク前の呑みということで、EG先輩がオーナーの深夜まで営業している『寄港地』へハシゴ。

●9月19日
イングランドで開催されているラグビーW杯。ジャパンの緒戦は南アフリカのスプリングボックスが相手。大量点覚悟だったが終ってみたら34-32の歴史的勝利。朝まで勝利の美酒を家呑み。そんな興奮しているすきに安保法案が可決されてしまう。こちらも歴史的分岐点だが。

●9月22日
彼岸ということで実家の墓参りの後、秩父宮で母校の帝京大戦を観戦。久々いい天気でビールが美味い。ジャパンの奇跡の例もあるとちょっと期待したが、12-108の順当負け。帝京の強さは学生の域を超える。夜はボクシングのタイトルマッチ山中慎介戦。こちらも強敵相手だが判定で辛勝。

●9月23日
ラグビーW杯第2戦のスコットランド戦を楽しみにしていたが、奇跡は続かず10-45の大敗。点差ほどの実力差は感じなかったが、百戦錬磨のインターナショナルボードの古豪の巧い試合運びにやられてしまう。経験の差という奴だろう。次戦も強豪のサモア。気合を入れ直し頑張ってほしい。

●9月24日
連休明けはKS社の会員誌の仕事で地方出張取材。この日は姫路の先の網干という場所。終了後静岡まで新幹線で移動。静岡泊。KS社のTR嬢、代理店のIJ氏、メイクのNO嬢で静岡の老舗居酒屋『多可能』で食事。せっかくなので名物の静岡おでんのメッカ青葉横町『しょうちゃん』へハシゴ。

●9月25日
静岡取材。夕方終了で当日入りのカメラマンNY氏と静岡駅ビルパルシェ内の牛タン専門店『塩や』で食事。帰京の新幹線内でもビールを飲んで心地よい疲労とともに爆睡。

●9月26日
神保町『明治屋2nd』にて常連さんのOG嬢の誕生会。店内が他の団体も入り大混雑になってきたので先に辞去、新宿二丁目の『t's bar』に流れる。

●9月30日
以前お世話になったAS社のスタッフとすっかり定例になった食事会。今回は赤坂のエチオピア料理『SAFARI』。ワニやらダチョウやら、変わった食材の料理とともにケニアのビール「タスカー」を楽しむ。AS社KR氏行きつけの銀座のBAR『WILL』で2次会。久々AS社のタクシーチケットで帰還。
 






2015年9月27日日曜日

川島なお美さんの思い出





川島なお美さんの訃報で、激やせ写真ばっかり報道されるのがかわいそうに思っていた。確かに女優としてはそれほど評価される作品もなく、歌手だったことも忘れられている感もあるが、1980年代の初頭、彼女はある種われわれ世代のディ―バだった。あのころは(その後整形したのかどうかは知らないが)顔もいまほど面長ではなく水着のグラビアが似合う健康的なアイドルだったように思う。歌の方も杉真理や伊藤銀次など多くのミュージシャンが楽曲提供していて、「泣きながらDancin'」などは、ディスコ世代としては胸がキュンキュンするくらい好きな曲だ。写真は1982年9月21日、今はもうない新宿厚生年金会館のティールームでのザテレビジョン創刊2号のインタビュー取材で。当時21歳。本当に可愛らしい人でした。 謹んでご冥福をお祈りいたします。

2015年9月21日月曜日

歴史的勝利

日本34-32南アフリカ

ワールドカップイングランド大会。世界が驚愕したインジュアリータイムのラストプレーでの大逆転劇。
ラグビー観始めて50年近くたったが、こんな日が来るなんて。

新国立問題はじめ、なんだかもやもやしていたスポーツ界だったが、この男たちの心震える魂の闘いで嫌な雰囲気も雲散霧消した。2019年日本開催成功への確かな手ごたえとなったのではないだろうか。主役は政治家でも官僚でもない、ハードなトレーニングに不断の努力を積み上げてきたアスリートたちにあるということを、あらためてし指し示してくれた。

さあ、次戦からのスコットランド、サモア、アメリカと再び魂の闘いを見せてくれ!

2015年9月5日土曜日

週間呑みアルキスト8.1~8.31

 
 
●8月3日
福岡に日帰り出張。昼過ぎに博多到着、薬院の居酒屋で海鮮丼をかきこんで会議に。夕方のフライトで帰京するまでの間、地元出身のMM社の編集担当YO嬢をつきあわせ、天神地下街のパルコ内にある「カノヤバル」でお疲れ様の一杯。帰ってからの夜食用に大丸で折尾名物・東筑軒のかしわ弁当を買い込み空港へ。

●8月5日
ライターTM嬢と打ち合わせ後、神保町の人気店『森のブッチャーズ』で食事。安くて美味い肉がたっぷり食えるため近隣の若いサラリーマンでいつも賑わっている。この日はたまたまラッキーにも予約なしで席が確保できた。最近レコードでJAZZを聴かせる本格Barとしてオープンした『コンセール』に流れる。美人バーテンダーさんはかつてよく行っていた有楽町のBar『季立』のマスターの薫陶を受けたとか。居心地抜群、今後も通いたくなる店である。

●8月6日
被爆70年。まだ20代の頃TT誌の取材で広島の原爆報道ルポをやったのを思い出す。あの時は被爆37年目だったが、時の流れのはやさ、変わらぬ核廃絶、色々と感慨にふける。退社後『明治屋2nd』に立ち寄る。40代の常連さんと安保法制で議論になり、つい熱くなる。30代~40代の保守的な考え方にいささか腹が立つとともに世代の考え方の差にちょっと驚く。Sealsの抗議なんか全然甘っちょろいと思っている老境を迎えたこちらが過激ってことなのか。

●8月7日
SI誌の企画で旧知の映画ライターWB嬢を事務所でインタビュー。終了後久々だったので食事でもと『東京アチコーコー』を目指すが生憎予約で満席。流れて『ウィースラーカフェ』へ。

●8月10日
残業中に、昨年末に何十年かぶりに会った高校の同級生3人から合流しないかとお誘いの電話。地元の石神井で呑んでいるということで帰宅ついでに指定された居酒屋に向かうが、もう2次会に出たと再度電話があり『カラオケ館 石神井公園店』にいきなり指定される。さんざできあがった面々に追いつくのは大変だったが、まあかつてはよくつるんでいた奴らだけにあっという間に昔に戻り大騒ぎに。

●8月11日
曙橋のデザイン会社MM社でライターのTM嬢と打ち合わせ。終了後荒木町に出てスペインバルの『カリーニョ』で食事。カウンターBarの『ハンダヒロコ』にハシゴ。この日も安保法制の話になるが、30代のTM嬢もやはり法案賛成でネトウヨ的意見を吐く。彼女にとっては若い世代に当たるSealsに対しては全面否定。隣の止まり木で一人で呑んでいたわが同年輩と思しきお姉さんも話に加わるが、安保法制に対する危機感は大きく、反安部の論陣を張る。かわいそうにTM嬢、過激な爺婆にサンドイッチで思わぬ口撃を受け涙目にw

●8月12日
旧知のライターKM氏に食事に誘われる。貧乏ライターを自負するだけに安さで知られるファミレスの『サイゼリヤ 神保町店』へ連れて行かれる。確かに安さは抜群。1000ベロもいいところですっかり呑んだ気になる。

●8月20日
丸の内の旅行会社GO社へプレゼン。先日のタイの爆破事件の余波もありアジア専門の同社もなかなか大変そう。また航空券やホテルのブッキングサイトとの競合に苦戦を強いられているようで、それも時代の波ということなのだろう。同行したデザイン会社MM社OG社長と新東京ビルの『ブラッセリーオザミ』で軽く一杯。

●8月21日
ライターSM嬢、TM嬢と某テレビ局の企画持ち込みで打ち合わせ。神保町のレストラン『ル・窯ぞう』で食事。

●8月26日
デザイン会社MM社で打ち合わせ。OG社長に編集のOK氏ともども荒木町の和食レストラン『肴月』でごちそうになる。久々の日本酒でちと飲みすぎてしまう。

●8月30日
この日は安保法制に抗議する国会前統一集会。ニュースによると主催者発表で12万人が集結したようだ。この力の結集で少しは政権に影響を与えられるのか?一瞬現場に足を運ぼうかとも思ったが、原稿書きに追われていてパス。デモの無力さを十分知っているものの、あたらしい可能性への期待もいまだ捨てきれないでいる。



2015年8月5日水曜日

週間呑みアルキスト7.1~7.31




●7月1日
KGカメラマン、編集者OK氏と暑気払い。石川県出身のKGカメラマンに合わせて新宿の能登の食材をウリにした『方舟 新宿西口店』で北陸の地酒を楽しむ。日本酒を飲むのは本当に減ってしまったが学生の頃に出会って以後もけっこう美味いと思い続けている天狗舞の大吟醸がやはり口に合う。ついつい杯がかさんでしまった。ほろ酔いで三丁目のBAR『EORNA』に移動。終電で自宅に帰還するとKGカメラマンが鍵が見当たらなくて自宅には入れないと連絡が入る。しばらく店に電話したり対応策でおおわらわだったが、結局大家に連絡を取ったとメールが入る(翌朝、カバンの底で鍵が見つかったと再度メール有り)、自分も気をつけねばと自戒。

●7月2日
年1回恒例の高校のマスコミ会が日比谷の『松本楼』にて開催。ここ2~3年会のお楽しみのイベントになっているビンゴ大会の景品集めを任されているが、会社勤めから10年もたてばいいかげんツテも減ってちょっと苦戦したが、幹事の先輩たちの協力もあってなんとか色々と景品を取りそろえることが出来た。しかし、事務局やっていると進行に忙しく自分が良いものを持って帰るわけにはいかず、複雑な気分。

●7月3日
新宿で開催中の若尾文子映画祭で増村保造監督の『赤い天使』を鑑賞。若尾文子は中国戦線の従軍看護婦を熱演、自分的にはこの作品が若尾の最高傑作だと思っている。映画終了後『t’s bar』で余韻とともに一杯。

●7月4日
前日に引き続き、若尾文子映画祭で初期の作品『十代の性典』を鑑賞。終了後、新宿御苑前の『福包』で餃子、高菜飯でビール。

●7月5日
渋谷のヒカリエ内シアターオーブでブロードウェイミュージカル『ジャージーボーイズ』公演落日。映画も良かったがオリジナルの舞台も素晴らしかった。この日1日中ついついフォーシーズンズの曲を口ずさんでしまう。同行した神保町『明治屋2nd』マスターご夫婦とOG嬢、AB嬢と大塚に移動、店の構えも料理もシブい『上海チキン 小閣楼』で打ち上げ。

● 7月7日
SI誌の仕事でアナログレコードを聴ける店ということで、新宿三丁目のBAR『rpm』で撮影取材。店の雰囲気、選曲もすっかり気に入ってしまう。撮影は開店前だったので編集のOK氏と5丁目の中華料理『東順永』で食事後、再び立ち寄っることに。

●7月8日
AS社のKR氏、KB氏、IJ嬢で会食。雨の中、巣鴨のモンゴル料理『シリンゴル』へ。夏バテ払拭とばかりにメインメニューの羊肉料理ををしこたま詰め込む。

●7月9日
市ヶ谷の印刷会社にて打ち合わせの後、曙橋まで歩いて、高校マスコミ会の後輩で墨絵アーチストの垂井ひろし氏の個展を見にギャラリーカフェの『ゑいじう』へ。ここのオーナーのTMさんも以前いた会社の先輩という関係。墨で表現するF1グランプリの絵に囲まれながらひと時を過ごす。

●7月11日
元旅行会社勤務の友人HT氏と会食。新宿の『福包』で餃子をしこたま食べた後、先日撮影で使ったBAR『 rpm』へ。アメリカンロックが好きなHT氏としては趣向もバッチリと踏んでのこと。案の定マスターとの話もすっかり盛り上がり、楽しいひと時を過ごす。

●7月14日
編集のOK 氏、デザイナーTK氏と神保町の人気のクラフトビール専門店『クラフトビアマーケット神保町テラス店』へ。予約無しだったが運よく次の予約まで2時間ばかりあるテーブル席に時間限定で通される。以前取材でお世話になった修善寺のベアードブルーイングで乾杯。あっという間に予約時間が近づいたので場所を変えて居酒屋『卯佐』にハシゴ。

●7月15日
『明治屋2nd』の常連さんたちで麹町のうなぎの名店『秋本』へ。うなぎも高騰して以来足が遠のいていたが、こう暑くてはせいぜい精をつけねばと敢行。30分ほど席が空くのを待ったが、待った甲斐ありの絶品のうなぎを賞味。下から2番目のランクで2800円也。充分美味しかった。さすがに内田百聞先生が愛した店だけのことはある。『明治屋2nd』で2次会。

●7月16日
福岡の印刷会社GA社のIK氏が出張してきてデザイン会社MM社にて打ち合わせ。遠来のお客さんだけにMM社のスタッフと荒木町のフレンチ『つるや』で会食。ワインが4本くらい空いてけっこう酔っぱらうも終電が危ない時間まで宴は続き、雨中走って地下鉄曙橋に走る。間に合ったか!と思った矢先、終電2本前から人身事故で電車はストップ。復旧したのは夜中の1時半過ぎ、新宿から先は交通機関はとっくに終了、仕方なく久々のタクシー帰還。

●7月20日
フリーの編集者SM嬢、TM嬢と休日を利用して新規事業のブレーンストーミング。それぞれに地の利のある西武線富士見台にあるこじゃれた中華料理『 源烹輪』に集結。呑みながら食べながらのアイデア出しで盛り上がる。

●7月22日
曙橋のデザイン会社MM社にてB社の会員情報誌SI誌の会議。終了後MM社のOG社長と食事へ。荒木町杉大門通りのおしゃれな和風ダイニング『和酒 月肴』にて日本酒。

●7月30日
帰り道、新宿三丁目で途中下車、くそ暑い中汗をかきながら『博多天神』でラーメンで腹ごしらえした後、『t's bar』にて一杯。もう8月に突入かと思うとちょっと気が滅入る。



2015年7月7日火曜日

君の瞳に恋していた時代

週末、ブロードウェイミュージカル『ジャージー・ボーイズ』の最終公演を渋谷シアター・オ―ヴへ観に行って来た。

言うまでもなく、クリント・イーストウッド監督で映画化されて話題を呼んだ、フランキ―・ヴァリとフォー・シーズンズの実話をベースにしたストーリー。ニュージャージーのイタリア移民出身の彼らが、身を起こし、音楽で成功をつかむ中で、それぞれが味わう挫折を描いたものだ。
 この日のシアターオ―ヴは落日ということもあって全席満員だったが、ミュージカルにしては年配者が多いこと(自分も含めて)、男性率が高いのでちょっと驚いた。
扱うテーマもなのだが、劇自体がヒット曲全33曲がナマで楽しめるとあって、通常のミュージカルというよりはライブコンサートのノリで楽しめるということもあったからだろう。これならばタモリの様な会話の途中で歌が入る不自然さを嫌うアンチミュージカル派も納得するに違いない。

映画同様、舞台の方も60年代のアメリカのノスタルジックなムードがぷんぷんにおうステージングで独特の高音が冴えわたるヴァリのボーカルが再現され 、3時間ちょっとの上演時間のあいだじゅう胸がいっぱいで、涙が出たり曲とともに身体が動いたりと、本当に満喫することが出来た。

 そういえば、 大学生の頃だったかに観た『ワンダラ―ズ』(ケン・ウォール主演)と言うオールディーズ映画でフォー・シーズンズの曲が時代を象徴させるのに効果的に使われていたのを思い出す。アメリカ人はなおさらだろうが、あの繁栄とベトナム戦争を予兆させる底抜けに明るく切ない時代を思い起こさせるには、フォーシーズンズはあまりにもハマりすぎる。

スタイリッシュで、懐かしく、そして切ない。 最高の時間――。





週間呑みアルキスト6.1~6.30



●6月1日
福岡出張。夕方現地のクライアントK社と会議打ち合わせ、夜は中洲の居酒屋『ごっそう道楽』にて、旧知の現地の編集マン、デザイナー連中と宴会。翌日は午前中早い時間から撮影があるのでほどほどに引き上げる。

●6月2日
出張2日目。午前中の撮影終了後、他のスタッフと別れてひとり先に帰京。フライトまでの時間があったので柳橋商店連合の市場を覗いて明太子と東京では手に入らない鯨の豆ワタ、百尋などの珍味を購入。空港で定番『はち屋』で福岡のソウルフードごぼ天うどんで小腹を満たし、レストラン『YOSHIMI』で海鮮セットのつまみで生ビール。空港でもおきうとを買い込む。翌日からの朝食のお楽しみである。

●6月4日
打ち合わせで曙橋のデザイン会社MM社へ。打ち合わせ後、編集者OK氏と住吉町の居酒屋『酒蔵 和心』で一杯。

●6月7日
『明治屋2nd』の常連さんたちで房総に日帰りの浜焼き&びわ狩りバスツアーへ。東京駅集合で品川経由、ベイブリッジ海ほたるから千葉入り。富津『ザ・フィッシュ』にて昼食の浜焼き。さざえや牡蠣などの海鮮が食べ放題で炭火コンロで自分たちで焼くのだが、1時間という制限時間では焼くのがあわただしくてなんだかゆっくりと賞味できない。人気のスポットらしく振りのお客さんが長蛇の列で待っているので、早々に終了。そして館山に近いびわ農園までバスに揺られる。この農園のびわは皇室献上品とかで、みずみずしく実も大きくて素晴らしい。食べ放題なので欲張って食べまくっていたが早々たくさん食べられるわけでもなく、しばらくたつともういいかなと腹をさする。帰路はさすがに日曜の夕方だけあって渋滞。バスの中で熟睡。

●6月8日
最終便で再び福岡へ1泊出張。この日の九州地方は土砂降り。ついた時間も遅いのでホテルから夕食に出るのもおっくうなので、空港の博多ラーメン屋『空香』にて腹ごしらえ。

●6月9日
朝一番で薬院のクライアント先で取材。午後からは郊外の宗像工場まで場所を変えて取材。3月に取材した際にも行った、周辺で唯一の気のきいたお店『玄海食堂 温や』で鯛茶漬け定食、美味し。夕方空港まで戻ってあわただしく帰京。空港の『ROYAL カフェテリア』で博多一口餃子をつまみにフライトまで一杯。

●6月12日
静岡のテレビ局東京支社勤務の先輩ON氏と会食。有楽町の大衆居酒屋『日の基』でもつ煮込みや焼き鳥で一杯。有楽町のBar『季立』で軽くハシゴ。

●6月16日
原稿制作の赤字修正とかで忙しかったが、ロシアW杯2次予選の初戦、しかも相手がシンガポール代表ということもあって、埼玉スタジアムまで観戦。結果は日本代表の怒涛の攻撃をGKの神がかったセーブと堅い守りで得点を許さず、スコアレスドローに持ち込む。さすがに格下相手のこの体たらくに会場は大ブーイング。こちらはシンガポール代表“ローアーライオンズ”の大健闘に心の中で拍手を送る。この情けなさに天が怒ったのか突如バケツをひっくり返したような雷雨。浦和美園駅まではたっぷり20分は歩かなければならないためしばらくスタジアム内で雨宿りしていたが、終電の時間も迫ってきたので意を決して小さな折りたたみを開いて飛び出したが、駅に着くころにはズボンはぐっしょり。

●6月19日
社からの帰り道、新宿二丁目の『t's bar』に立ち寄り。居合わせたEB社ST氏とよもやま話。

●6月22日
品川シーサイドのBR社で打ち合わせ。終了後、編集者OK氏とビル群の一角にある台湾料理『阿里城』にてハッピーアワーの一杯。

●6月26日
新宿二丁目『t's bar』に立ち寄り。旧知のピアニストHS氏と同席。聞けば翌日はJAZZの殿堂『Pit
inn』にてライブとのこと。健闘を祈って乾杯。

●6月27日
角川シネマ新宿で開催される若尾文子映画祭青春の初日。舞台あいさつもあるというので午前中のオープニング作品『青空娘』(1957年 増村保造監督)を観に行く。観に来ると聞いていたが混雑の中、兄夫婦にバッタリ出会う。お二人はさらに続く作品も観るとのこと。こちらは久々に新宿三丁目の熊本ラーメン『桂花』で太肉麺すすりながらビール。夕方会社に立ち寄ると隣の『明治屋2nd』が土曜営業していたので立ち寄り。結局終電近くまで呑んでしまう。





 

2015年6月24日水曜日

野獣暁に死す


文化人類学者の西江雅之さんの訃報を知った。
自分がこれまで長く編集の仕事してきた中でも、印象に残った仕事に西江雅之さんとJAZZピアニスト山下洋輔氏との対談がある。

1984年のザテレビジョンのムック本『言相樂』を編集した際、「音楽とことば、人類とことば」というテーマでお二人のお話を伺った。確か西新宿の高層ビル街の近くの石鍋料理の店の個室でやったような気がする。
アフリカのフィールドワークでお忙しい中、これも確か山下さんのリクエストで実現したと思った。西江さんによるとアフリカ現地部族のコミュニケーションが“音楽”によって構成されているというようなお話でそのぶっ飛んだ内容の面白さに、山下氏も立ちあっていた我々も大笑いしながらも西江ワールドにすっかり惹きこまれたものだ。

また、西江さんの個性と言うか、その野人ぶりにも度肝を抜かれた。料理は獣や、魚の原形をとどめていない加工されたものは食さない、と言って最後まで練り物の肉団子などには手をつけなかったのも驚いたが、体質的に肌の老廃物が出ないので何カ月も入浴をしなくても臭くならないしつやつやしたままだというのには、ほんまかいなと、飄々とした口ぶりにどこまでが本当なのかなかなか信じ難かったことを記憶している。

訃報を知った時、あの自然のまんまのワイルドな人でもすい臓がんで倒れるのかと、不思議に思ったが、やはり、人は人である限り亡くなってしまうんだなあと妙な気分にさせられた。


それにしても、もう30年ほど前のあの初夏の夕暮れのひととき。
なんとも不思議で、忘れ難い楽しい時間だったのを思い返している。


謹んでご冥福をお祈りいたします。

2015年6月2日火曜日

週間呑みアルキスト5.1~5.31




●5月10日
3月に亡くなられた昔の同僚NMさんの偲ぶ会が銀座のレストランの宴会場『高松』にてとり行われた。GWの最終日ではあったが100名近い友人関係者たちが集まり、在りし日の彼女の思い出を語り合った。こういうときにしか会わない昔の知人たちにも久しぶりの交歓があったり、NMさんを媒介にして大勢の人と旧交を温めることにもなった。故人もさぞかしどこかで面白がっていたのかもしれない。予定されていなかった献杯の発声を頼まれて焦り、ろくな挨拶にならなかったが、付き合いの長かったNMさんの弔いに少しでも役に立てたか。

●5月15日
デザイン会社MM社恒例のガレージバーベキューに参加。3月来MM社とわが社で仕事を始めたクライアント が初参加されるということで、その接待を任される。相当にワインを飲まされすっかり酔っぱらいつつ先方にも喜んでいただけたようでいい気分にて帰路電車を一駅乗り過ごす。

●5月18日
クライアントBG社の打ち合わせで品川シーサイドへ。 打ち合わせ終了後編集をお願いしているOK氏と新しく開店した『阿里城』という台湾料理レストランのハッピーアワーを利用し軽呑み。そこにK社勤務時代に出向していたことのある衛星放送会社の現在名古屋在住の先輩から電話が入り、K社のKB氏と飯田橋で会食するのでとのお誘い。急きょ飯田橋へと向かい神楽坂のうなぎ割烹『志満金』で合流、旧交を温めることに。

●5月20日
カメラマンKG氏から久々に呑みのお誘いで四谷の 『徒歩徒歩亭』へ。最近の仕事の状況を聞かれたのでSI誌のフライフィッシング特集を見せると「なんで僕に言ってくれないの」とオカンムリ。釣り好きとは聞いていたもののKG氏、フライフィッシングもキャリアは長く、現在も時間を見ては出かけているとのこと。近所のBAR『3circle』にハシゴして話しが続くうち、近々の同行を約束させられる。

●5月25日
デザイン会社MM社にて 打ち合わせ。打ち合わせ終了後編集OK氏と曙橋の中華料理『和平飯店』でお疲れ様の一杯。料理が全体的に塩辛かったこともあって、ついついビールが進んでしまう。

●5月26日
大学時代の友人ED氏と彼の会社の同僚KR氏とで神保町の台湾料理『台南坦仔麺』で会食。以前彼らとここで食事した際にすっかり気に入ったとのことで、台湾料理の定番を点菜(メニュー選び)してあげる。すっかり上機嫌のED氏に連れられ久々の銀座のクラブ活動。『WILL』、『昴』ときれいどころが揃う2軒回ってタクシー券にて帰還といういまどき珍しいバブリーな展開。タクシー券も以前と違ってCABカードというプリペイド式になっていてビックリ。

●5月27日
昼間に会計士から決算報告があって前期の真っ赤な業績に嘆息。夜はSI誌のクラフトビール特集企画で撮影協力してもらった新宿『t's bar』に掲載誌を届けに行く。すぐに帰宅するつもりだったが旧知の常連EB社ST氏が来店していたため、出版業界の裏話で遅くまで呑んでしまう。どこもこの業界大変だ。こちらもいつまで会社を続けられるのか心配になってしまう。
 かといって引退しても食っていけるわけでもないし、悩みは尽きない。

● 5月28日
NMさんを偲ぶ会で名刺交換させてもらったPR会社を経営するKNさんと水道橋のレストラン『アンチへブリンガン』で会食。KNさんはかつては映画会社の宣伝部に在籍していたので、共通の知人の話で盛り上がったのと、アジアでのインバウンドのPRをやっていると聞いていたので是非ともということで会食が実現することに。これもNMさんのお引き合わせなのだろう。

●5月30日
たまっていた仕事や原稿書きを するために土曜出勤。夜になって急きょ小笠原を震源とする震度5の地震の発生でビビる。3.11以来の大揺れで山手線も止まったという情報も。隣の『明治屋2nd』も営業日だったので立ち寄ると地震のことなどどこ吹く風でいつもの常連たちで一杯。しかし火山の噴火も多発しているし凶兆の様で不安がつのる。いったい関東に大地震は来るのだろうか?






2015年5月8日金曜日

週間呑みアルキスト4.1~4.30



●4月1日
この日を持って会社設立10周年を迎える。あっという間だったような気もするが反面だらだらと不完全燃焼のまま10年間を過ごしたような気もする。少なくとも10年はやってみようと思って始めただけに今後どうするのか色々思うところもあるが、まずは通過点ということで当面は引き続きこの体制を維持することになりそうではある。色々起こすにはエネルギーが要るからな。とりあえず、時を同じくして隣の立地に出来たこともあり、会社設立時からお世話になってきた『明治屋2nd』にて一杯。

●4月3日
雑誌のクラフトビールを紹介する企画で、撮影に協力してもらうために新宿二丁目『t’s bar』へロケハンかたがたお願いに行く。

●4月4日
『明治屋2nd』10周年で、常連さんたちが集まってお祝い。自分の会社はともかく競争の激しい飲食の世界でここまで神保町の人気店の位置を保ち続けているのは素晴らしいこと。お店を切り盛りするマスターご夫妻のお人柄もあるのだろうが、界隈のオアシス的な場所としてまだまだこれからも頑張っていただきたい。

●4月8日
『t’s bar』にて撮影。お世話になるのは2度目。撮影料はお支払いできる予算は無いのでせいぜい売り上げ協力で呑みに行くようにしなければ。

●4月9日
品川シーサイドでS誌の企画会議。手伝ってもらっている編集者OK氏と帰り道に中途下車。渋谷の中華料理『香港ロジ』で小吃でお疲れ様会。

●4月10日
前に在籍していたK社はここのところ大規模なリストラを進めているが、かつて職場を共にしていたメンバーが何人も早期退職を決めたようである。その中でシンガポールビジネスでお世話になったHR君、MD嬢の慰労会を銀座『でですけ』という焼肉専門店で開催。当時同じセクションに銀行から出向で来ていたHS氏、KT氏、K社で執行役員に出世したOK氏らも駆けつけ昔話に花が咲く。2次会は7丁目のBar『FAL』に。

●4月13日
憂鬱な雨が朝から降りしきる月曜日に訃報が飛び込んでくる。しかも同日に2人もである。1人はK社の広告部時代から仕事でお付き合いがあった制作会社EF社のTD氏。もともと若くして糖尿病を患い必ずしも健康体というわけではないが、まだ40代、早すぎる急逝に驚く。同日の夕刻、またもやSK出版専務のTS氏の訃報に何ともやりきれない気分に。TS氏はもう30年を超える付き合いで歳もほぼ同じ、K社TTV誌での創刊誌にともに苦闘した戦友である。何が起こったのか死因も定かではないのだが、謹んで冥福を祈るほかなすべきこともない。先月亡くなったNM嬢の追悼の会に提供する写真を呑みながら整理していたら、TS氏の若き日の姿も写っていて切なくなってくる。いくら呑んでも酔えない夜。

●4月14日
やはり亡くなったTS氏と昔から付き合いのあった『t's bar』のTDマスターにも撮影のお礼も兼ねて報告に。やはり皆さんも突然の訃報に驚きは隠せない。

●4月16日
夕方、TS氏と付き合いのあったOK氏とTAデザイナーが社に顔を出したので早くから開いている水道橋の居酒屋『でん』でささやかに献杯。この日は別口で約束があったので早めに切り上げ、御茶ノ水の四川料理『川菜館』でT印刷MZ氏、とかつての同僚TD嬢と会食。海外ビジネスの可能性で色々語り合う。


●4月20日
編集を請け負っているS誌のスタッフ会議。特集記事のクラフトビールの飲み比べの終了後荒木町のフレンチ『つるや』で懇親会。さらに2次会で荒木町のスペインバル『CARINO』へ。久々にしこたま呑んだ赤ワインで酩酊。

●4月23日
K社の早期退職組で広告部時代の後輩ID氏の送別会で小川町の老舗居酒屋『みますや』へ。すでに先行して転職しているAS氏、WT氏も集まって過去の尉労と前途の成功を祈って杯をあげる。10年前の自分を考えると彼らの再挑戦も応援しなければという気分にさせられる。

●4月25日
『明治屋2nd』で日本酒の試飲会。日本酒マイスターOD氏が厳選した銘酒約10銘柄を楽しむ。もともと日本酒には疎く蔵元の名前も初めて聞くものが多かったが、どれも気鋭の蔵元だそうだ。さすがの美味しさについつい杯が重なる。日本酒の奥の深さに感嘆。

●4月27日
この1カ月色々なことが起きたが、東京ドームのポール・マッカートニーのライブですべて気持ちをrいフレッシュさせる。ポールも見納めかもしれないが素晴らしい演奏に酔う。同行のサイトマガジン編集長のKN氏と新宿に移動。居酒屋『かり屋』で遅い食事。

●4月28日
事務所に同居するIG社NG氏、デザイナーNM嬢、ライターTM嬢、編集者GT氏と食事会。神保町で7周年を迎えたダイニング『東京アチコーコー』へ。よく食べ、よく笑う。くよくよしていても道は開けない、気分一新して11年目に突入ということにしたい。







2015年4月28日火曜日

ポール・マッカートニー再び

昨夜はポール・マッカートニーの東京ドーム公演へ。本当は最終日の武道館が良かったんだけど、チケットも高いので断念。
それでも、ドームの席は久々アリーナ。後ろの方だったけどライブ感はいや増す。さすがに立ちっぱなしはちょっとつらかったけど。
一昨年のツアーのときもよかったが、御歳72歳となった今年のポールもほぼ2時間半歌いっぱなしで健在をアピールした。ビートルズはやはり偉大なり。WINGS時代や最近の曲も良いのだが、古い曲はさすが胸にこみあがるものがある。また今後生のポールを聴くことがあるだろうか。

T君、何があったか知らないけど、これを現世で観に行かずして死んだりしちゃあかんだろう。
君の分まで満喫したわ。聴いていたかい?

セットリスト

01. Magical Mistery Tour
02. Save Us 
03. Ca’nt buy me love
04. Listen To What The Man Said
05. Let Me Roll It
06. Paperback Writer 
07. My Valentine 
08. Nineteen Hundred and Eighty-Five 1985
09. The Long and Winding Road
10.Maybe I’m Amazed
11.I’ve Just Seen a Face
12.We Can Work It Out
13.Another Day
14.Hope For The Future
15.And I Love Her
16.Blackbird
17.Here Today
18.NEW
 
19.QUEENIE EYE
 
20.Lady Madonna
21.All Together Now
22.Lovely Rita
23.Eleanor Rigby
24.Being The Benefit For Mr.Kite!
25.Something
26.Ob-La-Di, Ob-La-Da
27.Band on the Run
28.Back in the U.S.S.R.
29.Let It Be
30.Live and Let Die
31.Hey Jude
(uncole
①)
32.Day Tripper
33.Hi, Hi, Hi
34.I Saw Her Standing There
(uncole
②)
35.Yesterday
36.Helter Skelter
37.Golden Slumbers/Carry That Weight / The End





2015年4月1日水曜日

週間呑みアルキスト3.1~3.31



●3月1日
かつて関わっていたいまは無きE誌の恒例となったスタッフ新年会。中目黒のイタリアン『リゴレット・ショートヒルズ』で日が高いうちから呑み続ける。暮れてから大雨の中恵比寿まで歩いてレトロなたたずまいの喫茶兼スナック『銀座』にて続き。

●3月3日
ここのところ仕事で協力いただいている編集者のOK氏と打ち合わせ方々、白山通りの『台南坦仔麺』にて食事。以前はなんちゃって台湾菜的な感じもあったが、台湾観光協会からの推奨店になったらしくメニューも一段と本格化した。昨今の台湾人気を実感する。

●3月5日
夏から始まる健康食品会社のKS社との打ち合わせで、先方のヘッドクォーターのある福岡へ出張。挨拶および打ち合わせの後は先方との食事会。薬院の肉料理がメインのビストロ『かがみ』にてスタッフとの顔合わせ。終了後はかつて勤務したK社の福岡在住のHD氏はじめ、デザイナーNG氏らと合流、『磯ぎよし』という店で博多ならではの旨い刺身にありつく。さらに〆は『にわかや長介』という居酒屋へ移動し、博多名物の薄味うどんで。

●3月6日
KS社の視察で、午前中は宗像にある工場見学。昼食は田舎の街道筋にある和食レストラン『玄海食堂 温や』。ここがなかなかの当たりで鯛茶漬け定食はめちゃうま。九州はこれだから油断ならん。薬院本社に戻り夕方まで社内レクチャー。飛行機の時間もあるので終了後早々に帰途を急ぐ。博多食いおさめは空港内のうどんや『はち屋』でごぼ天うどん。あわただしく中洲のお楽しみもスルーだったが、食は結構満喫。

●3月9日
以前の会社で30年来の付き合いだったNM嬢が、がんで闘病中だったのだが容体が悪化との知らせ。入院先のがん研有明病院に見舞う。幸い意識ははっきりしていたので昔話を話したりしてあげる。疲れてもいけないのですぐ辞去するつもりだったが、旦那さんと話したりしているうちに30分を越えてしまった。仕事が終わってからすぐに帰る気もせず新宿『t's bar』に酔えない酒を飲みに行く。グラス越しに思い出はあふれ、尽きず。

●3月10日
心落ち着かず仕事帰りに『明治屋2nd』でチョイ呑み。帰り途の駅で『明治屋』の常連のKD氏と一緒になったので、前夜に続いて『t's bar』に付き合ってもらう。

●3月12日
品川シーサイドBG社で打ち合わせの後、臨海線で大崎経由で渋谷へ。東急プラザが3月いっぱいで再開発のため無くなってしまうのを思い出し、学生時代よく通った地下の蕎麦屋『家族亭』で好きだった納豆そばで一杯。渋谷はどんどんと姿を変えていってしまう。時の流れとはいえ寂しさが募る。

●3月13日
K社時代の後輩SM氏が来社。神保町『東京アチコーコー』で食事。現在K社をあげて募集している早期退職に手を上げるそうだ。いつもポジティブな人だけに心は既に自分で温めている新規事業一色。さっそくプレゼンを受け、できることがあれば協力を惜しまないと約す。

●3月17日
朝からNM嬢逝去の報。覚悟はしていたもののつい色々思いが巡り、来社したOK氏との会話もはずまない。春の陽気の暖かい日だけにOK氏をつき合わせ『神保町cafe』で昼からビールを煽る。

●3月19日
早稲田奉仕園スコットホールにてNM嬢の葬儀。大勢の旧知の仲間たちの顔をみて、また泣けてくる。夕方からはクライアントとの会議があるので早々に社に戻る。会議があることが色々と考えなくてもすみかえって救われた感じだ。

●3月21日
深夜興行で話題の映画『アメリカン・スナイパー』鑑賞。やるせない。安部政権の右傾化と危険な対米追従は日本の青年たちも大義なき戦いを強いられることになるのか?

●3月24日
高校マスコミ会の後輩KM嬢と、旧知の大手広告代理店マンKW氏が共通の知り合いであることが判明し、急遽親睦会をすることに。場所も地元西武線沿線ということで富士見台の中華の名店『源亨輪』に集合。奇縁を肴に呑み、食い、はては『サウンドスクエア富士見台店』で終電まで懐メロ縛りのカラオケ大会。

●3月25日
ライターのTM嬢来社。神保町のやすうま中華『大興』で食事。帰り途、新宿『t's bar』に寄り道。


●3月26日
九州のKS社の工場見学第2弾で島根県益田市の工場と農場を見学。午前の便で昼過ぎに現地入り、益田駅前の和食レストラン『亀地』で昼食。バイキング形式のランチだったので特にどこにでもある普通のメニューでちょっとがっかり。その日一日は益田の郊外にある工場を見学。ホテルが満室だったため先方が宿泊場所に手配してくれたのが日本海に面した『荒磯館』という温泉旅館。露天風呂から目の前に入江を眺望できる絶景の宿でびっくり。ただしチェックインが遅かったので食事は無し、益田市内まで車を飛ばす。ネット検索で選んだ居酒屋『あんじょう』で地元の上手い海の幸に舌鼓を打つ。生でいただいた岩ガキ、名産の赤天は絶品。宿に戻り久々ゆったりと湯につかる。

●3月27日
早朝からKS社の農場見学。ケール畑の収穫風景を見学。朝から食事もままならずだったが新鮮な空気のせいで空腹も感じず、また現場のスタッフの熱のこもった説明で時間はあっという間に立つ。車で萩・津和野空港へ。空港のレストランで牛丼定食を頬張りながら先方と最後の打ち合わせ。羽田到着後事務所に立ち寄りハリルホジッチ率いる新生日本代表のチュニジアとの一戦をテレビ観戦。『明治屋2nd』で一杯。

●3月31日
友人からの依頼でちょっと関わっている調剤薬局会社AS社のKR氏とKB氏が年度末の報告で来社。仕方なく味スタでの日本代表戦はお流れにして、神保町のシンガポールレストラン『マカン』で会食。海南鶏飯につける黒いとろみがついたソースがダークソイソースという名であることを初めて知る。恥ずかしし。帰宅後代表選のVTR観戦で一杯。


2015年3月30日月曜日

農場視察

ここのところ福岡に本拠を置く某健康食品会社の仕事で、国内出張の機会があり、先週は島根の益田市までその会社の製品で使用する農場と加工工場を視察してきた。
工場は勿論食品を扱うので、見学者とはいえ外気の不純物を持ちこませないために厳重なチェック体制が義務付けられている。原発作業員のような防護服に着替え工程に従って部屋から部屋へ移動する際もすべて、ほこりを落とし手洗い消毒を課せられるのである。さらに虫や生物の混入が間違っても起きないように工場自体の構造も工夫されており、何重ものハードルが存在する。某国のように干からびたカエルが混入するなど、人為以外ではまずあり得ないのである。

農場も有機農法ということなので、手作業に負うところも多くいたるところで気を配られているし、天候や、虫、鳥類や野兎、イノシシといった外敵にも気を配らなければならないのだ、案内していただいた現場の方々の苦労は大変なものがあるのだろう。
農場と一口にいっても、最終的には製品出荷とリンクするわけなので、ただたんに育て収穫すれば済むというわけではない。販売状況に合わせた在庫管理や工場とのライン調整ともリンクするので、収穫量の調整は絶えず行われる。農業は厳密な数字にもとずく経営管理の一貫なのである。
手作業に頼る部分は大きいので、ファームで収穫に従事する働き手の人事管理も大事になってくる。作業開始前の朝礼や、一日の作業安全確認、ラジオ体操なども大事な日課なのだ。

日本の食に携わる企業の管理体制の素晴らしさを目の当たりにしてきたのだが、現場でまじめに取り組んでいる多くのスタッフの方々、農場で働く農家のおじさんおばさんの笑顔に接するに、なかなか日本人の仕事に取り組むひたむきさを感じて誇らしい気分にさせられてしまう。単にパッキングされ店頭で手にする商品の裏に、目に見えない多くの人々の関与があることを改めて思い知らされた機会となった。


2015年3月21日土曜日

大橋美加ライブ




取引先から回ってきたチケットで「赤坂bフラット」で行われたJAZZライブ、『大橋美加+松尾明&TakeTen featuring山本玲子 One Night Stand Live』を観に行く。
ヴォーカルの大橋美加はご存知大橋巨泉氏の愛娘、母親はマ―サ三宅という血統で実力は折り紙つき。松尾明&TakeTenも日本のジャズ界でそれぞれ活躍するベテランぞろいの9人編成オーケストラ。それに加え、山本玲子はバークレー音楽院を優秀な成績で出たという日本では珍しいJAZZビブラフォン奏者である。
なかなかのメンツでホレス・シルバー、バド・パウエル、デューク・エリントンといったインストの熱演に大橋のスタンダードという構成で楽しく楽しめる一夜だった。
2部構成だったが、1部終了時に幕間の時間が長かったので、一瞬勘定をして出ようと席を立ったが、休憩中(CD営業中)の大橋さんご本人から「もう少しで始まりますから、どうかお時間が許せば観て行ってください」と声をかけられ、ご本人から言われたとあっては聞かざるを得まいと席に戻ったが、引き続き始まった第2部もなかなかの熱演で残ってよかったと実感。特に山本玲子の華奢な身体にもかかわらず力強いビブラフォンは演奏に素晴らしいスパイスを利かせていて素晴らしかった。
帰り際、再び大橋さんから握手でお礼を言われ、すっかりお二人のファンになってしまう。
親しい人を亡くしたばかりだったのでビクター・ヤングが書いた『Beautiful Love』『My Foolish Heart』がちょっと心に染みる夜となった。

セットリスト
第1部
The Hippest Cat In Hollywood
Tempus Fugit
Goody Goody
Guilty
Beautiful Love
My Foolish Heart
Cotton Tail

第2部
Such Sweet Thunder
Sticks
Funny
Its Only A Paper Moon
My Heart Belongs To Daddy
Allright OK You Win
Someone's Rocking My Jazz Boat
 
(encole)
Rhythm-A-Ning
What A Wonderful Word






2015年3月17日火曜日

Kへ


1984年晩夏。

新宿のネオンのきらびやかな大通りを

君と急いで歩いていたね。

もうすぐ映画の最後の回が。始まってしまう。

勇壮な、勇壮なビル・コンティの調べ

サム・シェパードの孤独

あの時盗み見たスクリーンを見つめる君の横顔に

なぜか深い安堵をおぼえた

そんなフィルムのひと駒が鮮明に

まだ若かった君とその後過ごした何千時間の中でも

妙に鮮明に、思い出されてならないのだ。

 

1994年春。

愛していたひとを失った日

心が空洞になった夜

四谷の店の地下の止まり木で、

覚えているだろうか。

その空洞にそっと蓋をしてくれたことを。

それがどんなにささやかな気持ちであっても

あのときの赦しの気持ちを

あのときの情けない気持ちを

あのときの後悔を

いまだに、いまだに忘れることが出来ないでいる。

 

2007年冬

冬枯れの神宮の並木道を

国立競技場の人の流れとともに歩き

暖かいカフェの窓際に座り、

君が手をかけて育てた幼子の巣立ちを

深い嘆息とともに見送った。

過去の時間への愛惜と

これからやってくるだろう時間への不安と

あの時のはかなげな君の横顔も

遠くから聞こえるスタジアムの歓声とともに

これからも繰り返し思い出すに違いない。

 

2013年晩秋

黄色く色づいた公園の中にある

静かなレストランで

懐かしい仲間たちとの再会の時

君が思い出とともに悲しいストーリーの結末を語り

なすべきこともなく

君の決意に応えられない

無力さに言葉さえかけてあげることが出来なかった

あの日の吉祥寺の茜色の空が

涙で滲んでいたのを

君は気が付いていただろうか。

 

ああもう君はもういないんだね。

ああもうちぎれたフィルムは回ることが無いのか

物語の終焉が

いつかは来るのは判ってはいても

エンドロールが

多くの人の名前とともに

スクリーンに現れ消えても

再びカタカタと映写機が回らないのかと

いまは

まだ まだ 諦められずにいる。
 

 

2015年3月3日火曜日

週間呑みアルキスト2.1~2.28


●2月1日
久々に朝方まで事務所で作業。テレビの朝一番のニュースでISIS(イスラム国)に捕えられていた日本人ジャーナリストが殺害されたとの一報があり、何とも嫌な気分で家路に就く。彼が拘束されているのを承知で、イスラエルくんだりで西側十字軍への支援を脳天気に宣言していたどこかの国の首相の国際感覚のなさにあらためて嘆息する。日が高くなってもなかなか寝付けずもらいもんのウイスキーの力を借りる。

●2月2日
ノンフィクションライターFJ氏と会食。最近出版された書籍はどれも好調ということで忙しそうだが、神保町の居酒屋『福兆』で飲み食いし、渋谷の『グランドファーザーズ』とハシゴするころには完全にいい気分に。こっちは終電時刻が迫ったので先に辞したが、あとから聞くとFJ氏は店にいた外国人団体さんと意気投合、朝方近くまでどんちゃんやっていたとのこと。先に辞して大正解。

●2月3日
早稲田の穴八幡神社の御守り「陽来福」を深夜零時に事務所の恵方に貼る。終電近い時間だったのであわてて外に出るが、隣の『明治屋2nd』も『ラーメン二郎』も、みんな同様に貼っていたので可笑しくなる。みなさん商売繁盛でありますように。

●2月4日
台湾の金門行き復興航空機が松山空港を飛び立って間もなく基隆河に墜落したニュース。かつて何度か同機に乗ったことがあるのでびっくり。偶然高速道路を走っていて記録された墜落寸前の映像に見入ってしまった。なんだか嫌なニュースが続く。

●2月9日
静岡の放送局勤務の先輩ON氏のお誘いで有楽町へ。ガード下にあるサラリーマンでにぎわう居酒屋『ヒノマル食堂』でもつ鍋、2軒目は交通会館の地下にあるこじんまりとした日本酒バー『后バー有楽』へ。壁一面にジュリー・ロンドンのレコードジャケットがありつつ食い物飲み物はすべて和一色。「獺祭」「開運」と銘酒がズラリ。

●2月13日
午前中から仕事の打ち合わせで大崎へ、終了後デザイン会社のMM社OG社長とKR嬢で次の打ち合わせ移動の間を利用して新宿で昼食。小田急ミロードのモザイク通りのスペイン料理屋『パラドリーナ』でランチ。ワインを飲みたかったがぐっと我慢。といいながら珈琲マシーンの故障とかで珈琲もお預け。

●2月16日
午前中は銀座で座談会取材、午後は有明の病院取材ということで、朝から銀座界隈へ。まだお店も空いていないというのに銀座通りはアジアの買い物客がそぞろ歩いている。昼食はスタッフ陣と銀座は土橋のG10ビル内にあるオシャレな中華料理店『A・DINING』へ。ランチコースはどれもコスパよし、味はまあまあ。銀座グランドホテルのカフェ『ノーザンテラスダイナー』で時間つぶし。しかし昼間の銀座はあまり来ないのだが、すっかり変わってしまった感がある。

●2月19日
旧K社の後輩たちTN君、SM嬢、TM嬢、デザイナーNM嬢と吞み会で、新宿の燻製料理『ab!(アブ―)』へ。なんだかこそこそとおかしいと思っていたら、お店からケーキのプレゼントで「祝還暦」のデコレーションというサプライズ。赤いちゃんちゃんこは絶対拒否と思っていたがリバプールFCのネクタイとタイピンとあっては怒れない。ありがとうございました。

●2月21日
A誌の入稿で土曜出勤。遅くに戸締りした後、『明治屋2nd』へ立ち寄り。普段はスタンディングなのだが、この日は常連さんが2~3人ということで、イスを出してくれてまったりと過ごす。

●2月24日
曙橋MM社で打ち合わせの後、編集のOK氏とK社時代の先輩TMさんの経営する画廊カフェ『ゑいじう』へ。その足で新宿二丁目『t’s bar』。EB社のST氏、K社のグループ会社営業のDM氏と合流。

●2月25日
新橋第一ホテルで90歳の現役サッカー記者としてFIFA会長賞を受賞した賀川浩翁の祝賀パーティーにスポーツカメラマンのKG氏と出席。昨年ご自宅に取材に伺ったこともありサッカー界のお歴々をかきわけちょこんと貴賓席に座る賀川さんにご挨拶。KG氏と新橋烏森口の焼き鳥屋『きたがわ』で軽呑みしたあと、仕事の流れででざ淫会社MM社OG社長から呼び出しを受けて四谷三丁目のスペイン料理屋『タぺリア』に向かい、終電まで荒木町のスペインバル『カリーニョ』でワイン攻め。

●2月28日
『明治屋2nd』の常連さんたちとTV番組「孤独のグルメ」でも紹介された小岩の四川料理『珍々(ぜんぜん)』まで遠征。テレビで紹介されて以来予約の取れない人気店となったそうで、この日かお店に顔が利くOGさんに予約を取っていただいた。重慶出身の女将さんの家庭料理は山椒はたっぷり利いているものの思ったより辛くもなくなかなか美味。特に「じゃがとろ」は秀逸でした。



 

2015年2月26日木曜日

時空を超えて祖父との対面を果たす

以前、当ブログで祖父・秋山光清の著書を紹介したのだが(2009年9月4日)、祖父の地元・福岡県遠賀郡芦屋町のYさんという方から、芦屋町で開催されている山鹿素行展の情報とともに、生前の祖父・光清が写っている写真を送っていただいた。昭和の二宮尊徳と称された篤農家・安高團兵衛氏のご遺族の手元に保管されていたものだとか。

時は皇紀2600年(昭和15年)に神武天皇社に地元の名士たちと瑞兆旗を奉納した際に撮影された集合写真で、白い大島を着た人の3人右に顔をのぞかせているのが祖父の姿である。祖父は私が生まれた翌年の昭和31年に84歳で没したので、もちろんほとんど記憶にない。昭和15年というと68歳の頃で、実際自分にも何となく似ているようにも見え何とも感慨深いものがあるし、時を超えて対面することができて何とも不思議な気分でもある。

歌人として歌碑まで残した祖父の名に恥じないように、わが人生の晩節を汚さないように心がけなければと気分も引き締まる思いだ。

写真を提供していただいた、安高團兵衛氏のご子孫の方、送っていただいたYさんにあらためて感謝したいと思う。





2015年2月23日月曜日

アカデミー賞雑感

今年のアカデミー賞は、結局作品賞、監督賞は『バードマン』に決定。主演男優のエディ・レッドメイン、主演女優のジュリアン・ムーアもさることながら、確かに獲るだろうなあと納得だったのが『6才のボクが、大人になるまで』のママ役を演じたパトリシア・アークウェットの助演女優賞だ。
 先日、ゴールデングローブを受賞しアカデミー賞の下馬評も高かったので観に行ってきたのだが、何年にもわたって撮影を続けた話題性や、家族の絆への感動というよりも、パトリシアの存在感に度肝を抜かれたw 若くしてデキ婚して、大学にいき直し、2度の離婚を経ながら2人の子どもを育て、大学の研究者の道を突き進む!という役柄をリアルに感じさせるたくましい肝っ玉母さんぶりにほとほと感心したものだ。テレビドラマシリーズで三人の子持ち役ということで体重を増やしたということのようだが、あのぴちぴちしていた『トゥルー・ロマンス』の頃が、いまとなっては懐かしく感じてしまう。
 個人的にはお姉さんのロザンナひいきではあるが、かつて彼女自身が感じていた妹からのプレッシャーを自身が監督した『デブラ・ウィンガーを探して』で語っていたが、完全にぶっちぎられてしまったな。
オスカー受賞スピーチでは女性の賃金格差に関して訴えるくらいの貫録、今後もこのオバさんパワーは要注目だ。

しかし公開時にオスカー最有力という宣伝文句に飾られていた『アメリカン・スナイパー』『ゴ―ン・ガール』や『フューリー』の無冠ぶりはかわいそうなくらいだった。まあ煽りのキャッチもちょっと考えなきゃね。

 

2015年2月2日月曜日

週間呑みアルキスト1.1~1.31


●1月1日
ここ何年か元旦は天皇杯と相場が決まっていたが、今年は国立の移転で1日中家呑みを決め込む。さて、今月中にはもう還暦を迎えるわけだが、全く自覚がないし59歳から60歳になったところで何かが劇的に変わるわけではない。ただ、思えば母親も60で他界したわけなので、まあ厄年ということでせいぜい節制に気を配らねばということか。

●1月2日
箱根駅伝観ながら家呑み。母校の往路優勝はやはり嬉しい。午後からはラグビーの大学選手権の準決勝。早明不在、慶応じゃ帝京の敵じゃない。面白くも無し。

●1月3日
箱根駅伝復路も驚異的な記録で総合優勝で気分良し。何本か祝電も。午後から兄の家へお呼ばれ、竹鶴17年を拝領。帰宅後早速封を切ってニュースを見ながら祝勝呑み。

●1月5日
本日より出社。早速大学時代の友人ED氏より、駅伝祝勝会のお誘いが入る。銀座八丁目の小料理屋『えざわ』で援団OBまじえ大盛り上がり。空手部OBが経営する八丁目のバー『alica』でまた乾杯。さらに七丁目のクラブ『ウィル』にハシゴ。エールを切ってカレソンを歌い他の客のひんしゅく買う。来年は大手町読売前集合を約す。

●1月9日
帰宅前に新宿の『t’s bar』へ立ち寄り。EB社のST氏AD氏と合流。

●1月12日
高校サッカー決勝戦、アジアカップ初戦パレスティナ戦で家呑み。アギ―レジャパンの真価を問われる大会だが、まずは快勝。まあ相手が相手なので割り引いて考えなければと思うが、確かに調子はいま一つか。

●1月15日
昨年末ひょんなことから久しぶりにアポイントを取ったA広告社のUD部長と、K社時代の後輩TZ氏交えて新宿二丁目の中華料理『荘園』にて会食。2月に訪台するUDさんに、美味しい店をレクチャー。すぐ近くの『t’s bar』で続き。

●1月16日
会社でアジアカップイラク戦観戦。最少得点差だが内容的には圧倒していた。ライターTM嬢が節分で貼る穴八幡神社の護符を持ってきてくれたので、神保町の中華ダイニング『SANKOEN』にて食事。『KLAIN Bar』で軽呑み。

●1月19日
KGカメラマンとK社の後輩WS氏、TN氏と市ヶ谷に新しくできたレストランビル内の居酒屋『伊達藩いろり屋』にて新年会。K社の状況もなかなか大変そう。出版業界の行く末を案じつつ次なる展開を真剣に考えねばと反省。

●1月20日
三番町のVD社のAO氏、IS嬢と近所のレストラン『タナカヤ』にてランチミーティング。何かうまく仕事につながればいいのだが。京橋で今年初の試写を観る。アイリッシュの気鋭の監督のジョン・カーニーの『はじまりのうた』。前作『ONCEダブリンの街角で』から舞台をニューヨークへ移すが、やはりテーマは音楽もの。主演のキ―ラ・ナイトレイが意外とギターや歌が上手いのに感心。会社で3戦目となるヨルダン戦観戦。なかなか調氏はいい感じだ。

●1月21日
小雪舞う寒い日。天王洲アイルのスポーツ新聞社へ企画の打ち合わせ。広告代理店J社のおごりで品川の『リブラボキッチン』へ。サラリーマンで満員、ボリュームあるリブを喰らう。

●1月22日
ひっそりと還暦を迎える。AS社KR氏より花束をいただき恐縮。さして感慨も無し。夜は大学時代の友人HT氏と新橋『いし井』にて新年会。銀座のBar『FAL』へハシゴ。

●1月23日
アジアカップ準々決勝UAE戦。なんと立ち上がりに先制され、圧倒的にゲームを支配しながらもなかなか1点を返せず、終了間際柴崎のミドルでなんとか同点に追いつく。延長も雨あられとシュートを打つものの詰めが甘くPK戦。本田と香川の両エースが揃って外して敗退。またぞろ決定不足病。こりゃもうつける薬なしか。むしゃくしゃするので隣の『明治屋2nd』へ憂さ晴らし。

●1月26日
世話になった先輩MT氏の訃報。会社勤め引退後故郷の栃木に引きこもっていたが年末に亡くなられたとのこと。連絡をくれたSM氏と落ち合って神楽坂の居酒屋『萬月』で献杯後、音楽好きだった故人をしのんで赤坂見附の『ミュージックラウンジm.』にてとむらいの歌合戦。合掌。

●1月29日
『明治屋2nd』でちょっと遅くなったが誕生日のお祝いをしていただく。あまりめでたく思っていないことを公言していたので、他のお客さんと合同の会だったのだが、色々な頂き物や、ケーキなどもふるまわれまずは感謝。

●1月30日
市ヶ谷のアルカディアにてK社の先輩TN氏の送別会。約30年前の創刊時のメンバーも集まって盛会。冒頭MT氏への黙とうもあったが、30年間を振り返るとすでに先に逝ってしまったメンバーも多い。それを想うとみんな歳をとったし時間の長さを感じる。後輩のTJ氏に誘われ西麻布の『PB』というBARへ。ここも近々店じまいなのだそうだ。TJ氏の歌う拓郎『私は今日まで生きてきました』が沁みる夜。


 

2015年1月27日火曜日

悲しい知らせ

イスラム国の日本人人質事件の報道があふれる中なんだか嫌な気分でいたところ、個人レベルでも悲しいニュースが舞い込んできた。
またまた親しかった先輩の訃報である。詳細はよくわからないのだが年末の27日に亡くなられた旨、ご家族(といっても母上だけだったと思う)から、彼が原稿を寄稿していた版元にはがきで連絡があったようだ。
享年63歳。
故人のMYさんは、今をさかのぼる30年ほど前に一緒に雑誌を立ち上げたスタッフの一人で、前身は代理店マンとしてテレビ番組の制作などにタッチされていた。音楽に造詣が深く学生時代からラジオのDJをつとめ、音楽情報など雑誌に寄稿したりしていたので、縁あってスタッフに加わってもらった。以後20年にわたって同じ会社でともに机を並べてきた仲間である。
自分より2年ばかり早く体調を崩され社を辞められた。何年か前にお会いした時は「その後は模型グライダーの飛距離を競う趣味の世界にのめりこんでいるんだ」とお元気そうだったし、彼がフリーのライターとして寄稿している雑誌の連載を読むのが楽しかった。
MYさん、早すぎますよ。またみんなで30年前の寝れなかった日々を懐かしんで語り合おうと思っていたのに。
先に逝った他の仲間たち同様、笑顔のイメージのまま忘れません。
さようなら。

2015年1月4日日曜日

母校の優勝

「今年は行くかもしれないよ」と毎年箱根を取材し続けている北川カメラマンから言われてはいたのだが、まあ3位になれれば大したものかなと思っていた。しかしふたを開ければ1区から強豪相手に一歩も引かない展開で、往路5区の神野の快走は正直度肝を抜かれた。往路優勝から一夜明けて復路の圧倒的なリードと危なげない走りに本当に安心して観れた。終わってみたらなんと区間賞5人でぶっちぎりの大会新!
こんなにうまい酒も久しぶり、良い正月になりました。
また大学卒業以来、こんなに母校の後輩たちを誇りに感じたことはない。
陸上競技部の皆さん、OB諸兄、関係者に心からの祝福と感謝の意を表したい。
ラグビー部も野球部も後に続いてほしい。



2015年1月2日金曜日

週間呑みアルキスト12.1~12.31



●12月1日
六本木の『Billbord Live TOKYO』にてMC嬢の招待にてトム・ベイリーのライブへ。飯を食べながらというコンセプトの会場にはやはりこの手のミュージシャンはいまいちそぐわないかも。トンプソンツインズ時代からの熱心なファンも来ているのだろう、結構恥ずかしそうではあったけど結局は目の前の客に立たれてしまいスクリーンの映像頼みになってしまった。やっぱりこういう小屋ならJAZZとかに限るね。この日、高倉健に続く東映の二枚看板・菅原文太の訃報。

●12月3日
夕方、事務所の隣の『明治屋2nd』のマスターからTELあり。聞けば以前親しくさせていただいていた大手出版社S社の販売部長さんだったUE氏が、久々に店に来ているというのですぐに仕事を放り投げて尊顔を拝しに行く。というのもUE氏は何年か前大病を患いもう呑みには来られないだろうと風の便りで聞いていたためだが、声を失ってしまいボードでの筆談とはいえ以前同様にこやかで、極めて元気そうな姿を見られてホッとする。最近では障害者手帳で優遇されるJRを利用して遠出もするそうなので、そのポジティブさに敬服させられる。

●12月7日
兄のつてで秩父宮に移行した早明戦を観戦に。国立では空席もあったこのカードも、キャパの違う秩父宮では超満員。ちょっと早めについていたので景気づけに『HUB 外苑前店』で生ビール。試合は帝京とはちょっと差をつけられている両校だが、そこは伝統の一戦ということで結構実力伯仲の面白い試合となった。終了後は日本青年館1階の『べファーナ』で暖まる。

●12月9日
銀座の広告代理店A社でプレゼン。その流れで東銀座の『樹の花』にて打ち合わせ。ジョンとヨーコが来訪した店として有名であるが、奇しくも昨日はジョンの命日だった。夕方フリー編集者として再出発したOK氏とデザイン打ち合わせ後、新宿5丁目の中華料理『東順永』へ。

●12月16日
今年からお世話になっている薬剤系IS社のスタッフと忘年会。場所は湯島の『Vullin House』というカフェバー。2階はカウンター、吹き抜けの3階は結構広いBOX席という変った造りの店。みなさん全く違う業界なので話は興味深かった。

●12月17日
夕方ライターのTM嬢が顔を見せたので、神保町『東京アチコーコー』で会食。彼女の主戦場となっている出版大手のG社も、なかなか厳しいとのこと。本当に業界がこうも冷え込むと会社もますますじり貧になっていく。年が明ければもう独立10年目を迎えるのだが。出版社系の『燭台』へ移動し愚痴の続き。

●12月20日
『明治屋2nd』恒例のクリスマスJAZZ LIVE。KG青年のトリオが今年も気持ちのいい演奏をしてくれる。ワインのピッチも早かったのでライブ終了後早めに切り上げる。

●12月22日
帰りに新宿2丁目で途中下車し『t’s BAR』に立ち寄り。EB社のST氏、AD氏、DW社のKB氏が来ていたので同席させてもらう。結構昔話が楽しくて気がつけば終電が無くなっている時間に、久しぶりのタクシー帰宅。

●12月23日
ずっと見たかったクリストファー・ノーラン監督『インターステラー』をIMAXで観るためユナイテッドシネマとしまえんまで足を延ばす。期待通り大迫力の画面で手に汗握る展開だったが3時間超えの長尺なので、観覧前に呑んだビールが効いてきてトイレとの戦いを強いられる。途中退席をするにはあまりに話に引き込まれていたので最後まで我慢、エンドロールとともにトイレに駆け込む。歳ともに確実に膀胱の許容量も縮小しているのを実感。

●12月24日
大崎のB社のプレゼン。デザイン会社MM社のOG社長、SK氏と終了後ゲートシティ内のイタリアン『オリーブの木』にてゴチになる。

●12月25日
TN社IB氏が来社、近所の『エスぺリア』で会食。来年の企画を売り込むがなかなか難しそうという観測。来季も変わらず厳しそうだ。

●12月26日
恒例となった編集者のKN氏、KT氏、SZ氏と男ばっかりの焼肉忘年会。いつもは皆が近いということで会場はひばりが丘だったのだが、今年はKN氏が引っ越したため吉祥寺に変更。KS氏のアテンドで老舗の人気店『李朝園』へ。ここもいつものひばりが丘の『千里』に勝るとも劣らないクオリティですっかり満腹、大満足。ニンニク臭ぷんぷんで『BIG ECOH吉祥寺店』で昭和歌謡しばりのカラオケ大会、これもすっかり恒例になった。

●12月27日
『明治屋2nd』の忘年会。会費制飲み放題なのでいつになく日本酒をがぶ飲み。途中で事務所に戻ってうとうとし、終電ぎりぎりで電車に飛び乗る。

●12月29日
この日は別会場で忘年会があったが、年の瀬に急遽入った仕事の打ち合わせでOK氏、デザイナーTK氏と神保町の居酒屋『福兆』へ。年明けすぐにラフ案を出さなければいけないのでなんだか落ち着かない正月になりそうだ。

●12月30日
高校時代の友人たちが年末に必ずやっているという同期会に今年はやっと参加することができた。大泉学園の『腹八分目』という居酒屋に集まったのは本当に卒業以来という懐かしい面々。みんなそれなりの年輪を積んだ容姿へと変貌しているが、10分も経たないうちに45年前に時空を超えてしまう。あんなこともあったこんなこともあったと昔のワル話で涙が出るほど笑うことに。カラオケ『バンバン大泉学園店』が2次会。やはりここでも昭和歌謡かw

●12月31日
午前中に両親の墓参りを済ませた後は、正月準備もそこそこにテレビの前のソファにくぎ付け。前日録画していたボクシングの世界タイトル戦のVTRから始まり、この日紅白の裏番組となった世界タイトル戦の連続観戦で一日中自宅呑み。さらに深夜まで呑んじゃうたたねし、あっというまに一年が終了。まったくもって住みづらくなった日本だが来年は少しはいいこともあるんだろうか?としがあければもうすぐ還暦を迎え、前期高齢者への仲間入りである。いやだいやだ。