1984年晩夏。
新宿のネオンのきらびやかな大通りを
君と急いで歩いていたね。
もうすぐ映画の最後の回が。始まってしまう。
勇壮な、勇壮なビル・コンティの調べ
サム・シェパードの孤独
あの時盗み見たスクリーンを見つめる君の横顔に
なぜか深い安堵をおぼえた
そんなフィルムのひと駒が鮮明に
まだ若かった君とその後過ごした何千時間の中でも
妙に鮮明に、思い出されてならないのだ。
1994年春。
愛していたひとを失った日
心が空洞になった夜
四谷の店の地下の止まり木で、
覚えているだろうか。
その空洞にそっと蓋をしてくれたことを。
それがどんなにささやかな気持ちであっても
あのときの赦しの気持ちを
あのときの情けない気持ちを
あのときの後悔を
いまだに、いまだに忘れることが出来ないでいる。
2007年冬
冬枯れの神宮の並木道を
国立競技場の人の流れとともに歩き
暖かいカフェの窓際に座り、
君が手をかけて育てた幼子の巣立ちを
深い嘆息とともに見送った。
過去の時間への愛惜と
これからやってくるだろう時間への不安と
あの時のはかなげな君の横顔も
遠くから聞こえるスタジアムの歓声とともに
これからも繰り返し思い出すに違いない。
2013年晩秋
黄色く色づいた公園の中にある
静かなレストランで
懐かしい仲間たちとの再会の時
君が思い出とともに悲しいストーリーの結末を語り
なすべきこともなく
君の決意に応えられない
無力さに言葉さえかけてあげることが出来なかった
あの日の吉祥寺の茜色の空が
涙で滲んでいたのを
君は気が付いていただろうか。
ああもう君はもういないんだね。
ああもうちぎれたフィルムは回ることが無いのか
物語の終焉が
いつかは来るのは判ってはいても
エンドロールが
多くの人の名前とともに
スクリーンに現れ消えても
再びカタカタと映写機が回らないのかと
いまは
まだ まだ 諦められずにいる。
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