2012年12月6日木曜日

詩と音楽


友人からのお流れの招待券でトッパンホールのクラシックコンサートへ。

プログラムはドイツを中心に活躍するピアニストの河村尚子さんと、ドイツのソプラノ歌手クリスティアーネ・エルツェによるリート(歌曲)。

リートをちゃんとリアルで聴くのは初めての体験。セットリストはシューベルト、ウェーベルン、ブラームス、プーランク、リヒャルト・シュトラウスから数編づつ。いずれも1曲1曲は短いのでパンフレットに邦訳された詩(ハイネやゲオルゲ)を追いながら聴けるので判り易かったし、エルツェ嬢の伸びやかでよく澄んだ声は聴きごたえがあった。ただドイツ一色の中で唯一プーランクだけがフランス語だったが全然フランス語に聞こえなかったw

解説書のプロフィールによるとエルツェ嬢は20世紀音楽に注力しているようで、ナチによって頽廃音楽として弾圧されたユダヤ系作曲家の歌曲でリサイタルやCDを発表しているとのこと。機会あればこちらも是非聴いてみたいもの。

トッパンホールも初めてだったがウッディな作りのホールで音も柔らかくなかなか素晴らしい環境だった。

2012年12月5日水曜日

140越え


 年に1回の健診で血圧測定で初めて140を記録してしまった。

いままでは比較的血圧は安定していて医師からはかつておほめの言葉をもらっていたこともあったのだが、昨年初めて「高めですね」と言われ驚いた。気にしつつはいたのだが今年はついに高血圧の分岐点ともなる140を記録してしまったのである。

もちろん加齢もあろうが生活習慣に根差すところは明らかで、飲酒、外食、運動不足の3要素が確実に数値を押し上げているわけだが、こればっかりはすぐに改めよと言ってもなかなか出来ることではない。まあ友人たちに言わせれば、「140なんてまだまだ」「俺なんて医者から降圧剤飲まなきゃ死ぬよって脅された」とか大した部類には入らないらしいが、高血圧自慢をしていてもはじまらない。

中村勘三郎が逝去した。何とか言う肺の疾患だが、元は食道がんだ。
昨夜よく行く飲み屋の大将が食道がんになったことを聞き、そういえば仕事で付き合っている高校の1級後輩も肺がんの闘病中だったことを思い出し、われわれも気をつけなければねなどと会話していた矢先のことで驚いた。

勘三郎は1級下の同じ歳。学生の頃、在学していた八十助(現板東美津五郎)を訪ねて来ていたのを見かけたことがある。歳が近い人の訃報は本当に身にしみるものがある。心から哀悼の意を表したい。

晴れて140を超え、立派な生活習慣病予備軍に加わってしまった今、明日はわが身を自戒しつつ、せいぜいガンジーの言う「明日死ぬことを考えて、今を生きよ」を肝に銘じて生きてかねばなるまい。

まずは少し身体を動かそう。仕事もそこそこにしなければ。




2012年11月19日月曜日

週間呑みアルキスト10.29~11.18



●11月2日
後輩IK君の結婚パーティーで六本木・アークヒルズの『CHOICE!』へ。広告営業の責任者だけあって業界関係者が多数参加の今時珍しい大規模なパーティーだった。会社在籍中にお世話になった懐かしい面々とも再開し色々と話に花が咲く。こういう公の席は葬式の方が圧倒的に多くなってしまったが、やはり晴れやかな席は気分もはずむというものだ。

●11月5日
取材先の近所で遅いランチ。九段・二松学舎大学の13階展望レストラン『そら』は一般人もOKということなので編集のSM嬢とともに大学構内(といってもビルだが)へ。地階には学食があるのだがこちらはちょっと値も張るためか学生さんの姿はちらほら、職員や一般客が多く見受けられる。メニューもヴォリュームよりはオーガニックな質に気を使ったもの。社食や学食っぽくドリンクが無料なのは嬉しい。明るい窓から九段、千鳥が淵の遠景を観ながらゆっくりすごすには良いかもしれない。

●11月6日
打ち合わせで編集のTM嬢、SM嬢が来社。終了後神保町すずらん通りの『SANKOEN』で食事。店自慢のジャンボギョウザとシュウマイで腹いっぱいに。夜遅い食事で身体にいいわけは無いのだが。

●11月8日
早いものでこの日は一の酉。出社前に地元の大鳥神社に参拝。夕方学生時代の友人ED氏が来社。近所のタワービル内の蕎麦屋『柳屋』で軽く一杯。混乱する政局の話題でかつては国家主義的な思想の持ち主だったが「この国はもう駄目だ」と嘆息。彼がそういうくらいだから本当にダメさ加減は深刻だ。余生は海外でというこちらの青写真にもいたく同意してくれる。

●11月9日
桜新町のデザイン事務所BN社で打ち合わせ、帰り道に編集のTM嬢と駅近くの蕎麦屋『田中庵』で食事。大正3年創業の老舗ということだが店は新装されてきれい。蕎麦のメニューもヴォリュームも大衆的で郊外の街なか蕎麦屋としてはまあまあ上等の部類か。

●11月14日
わが代表チームのワールドカップ最終予選が折り返しに入り、アウェイのオマーン戦に臨む。この日の首都マナマの気温は35度、現在0度近くの気候で戦っている欧州組にはつらいアジア予選独特の試練ではある。前半サイドの長友の崩しから清武が先制はしたものの、後半はやはり体力が奪われ、エースの本田も動きが重くほとんど機能しない。セットプレーから同点にされやはり中東の過酷なアウェイ戦では勝ち点3は難しいとあきらめかけた残り1分で、酒井高のサイド突破から遠藤のヒールでゴール前に流し、岡崎が飛び込むという見事な展開で決勝点をゲット、総勝ち点で2位以下を大きく離すことになり、ブラジルへのチケットにぐっと近づいた。事務所のテレビで観ていたのだが、さっそく店じまいして隣の『明治屋2nd』で祝杯。


2012年11月12日月曜日

桜井センリも


桜井センリ氏の訃報。


高度経済成長をC調で無責任を合言葉に駆け抜けたクレージーキャッツのメンバーで生存するのは犬塚弘氏のみになってしまった。


昭和が、いつも日向だった時代が、本当に遠くなっていく思い。


合掌

2012年10月29日月曜日

TFF3本目 五月の後

東京国際映画祭最終日にフランス映画『5月の後』(オリヴィエ・アサイヤス監督)を観賞。1971年のパリの革命派高校生たちの群像劇で、タイトルの5月は1968年のパリ5月革命のことを指すので、いわば“遅れてきた青年たち”が主人公。
まさに自分とまったく同じ世代の話だけにもう胸がきゅんきゅんに締め付けられてしまう。謄写版印刷のインクやスプレー缶のペンキとかの匂いが甦って来る。映画でのフランスの高校生たちとはインテリジェンスや男女関係の進み具合!が大分違えども、これでもかと再現される当時のカウンターカルチャーをはじめとする時代の雰囲気の中で、政治や恋愛に挫折し将来の方向性を見いだせずに悶々としていた自分のあの頃をいやおうなしに思い出さされた。
監督の自叙伝的な作品ということで調べてみると、アサイヤスはなんと3日違い生まれ。どうりで同じ歳の世代観が胸に響くわけである。