2014年12月27日土曜日

今年のベストテン

今年劇場で観た極私的映画ベストテン
1位 インターステラー(クリストファー・ノーラン監督
2位 グランドブダペストホテル(ウェス・アンダーソン監督)
3位 ゴーン・ガール(デヴィッド・フィンチャー監督)
4位 ジャージーボーイズ(クリント・イーストウッド監督)...
5位 シーズ ファニー ザット ウェイ(ピーター・ボグダノビッチ監督)
6位 GF★BF(ヤン・ヤーチェ監督)
7位 リスボンに誘われて(ビレ・アウグスト監督)
8位 ミッドナイトアフター(フルーツ・チャン監督)
9位 オール・イズ・ロスト(ロバート・レッドフォード監督)
10位 ドラッグ・ウォー/毒戦(ジョニー・トー監督)

見逃してしまって後悔度が高いベスト5
1位 エレ二の帰郷(テオ・アンゲロプロス監督)
2位 イーダ(パヴェウ・パヴリコフスキ監督)
3位 新しき世界(パク・フンジョン監督)
4位 アデル ブルーは熱い色(アブデラティフ・ケシシュ監督)
5位 トム・アット・ザ・ファーム(グザヴィエ・ドラン監督)

極私的監督賞 クリストファー・ノーラン(インターステラー)
極私的男優賞 ダヴィド・オグロドニク(幸せのありか)
極私的女優賞 グイ・ルンメイ(GF★BF)
極私的助演男優賞 シャイア・ラブーフ(フューリー)
極私的助演女優賞 ジュリアン・ムーア(マップ トゥ ザ スターズ)
 
今年は多くの映画人が世を去ったが、残念だったのはなんといっても高倉健と菅原文太の東映2枚看板の訃報だった。心からの哀悼の意を捧げたい。
以下今年亡くなられた映画人たち(敬称略)
淡路恵子、スコット・カルバート、野中マリ子、高橋昌也、マクシミリアン・シェル、フィリップ・シーモア・ホフマン、アラン・レネ、安西マリア、宇津井健、蟹江敬三、ジェームズ・レブホーン、松本典子、ミッキー・ルーニー、鈴木晄、ボブ・ホスキンス、葛井欣士郎、九條今日子、鈴木則文、林隆三、深町幸男、藤井浩明、ジェームズ・ガーナー、ジェームズ繁田、ロビン・ウィリアムス、ローレン・バコール、リチャード・アッテンボロー、曽根中生、米倉斉加年、山口淑子、中川安奈、桂小金治、田宮五郎、羽仁未央、マイク・ニコルズ、ジョニー大倉、大津幸四郎、ビルナ・リ―ジ、川北紘一、品田雄吉。 〈合掌〉
 
 
 

2014年12月3日水曜日

週間呑みアルキスト11.1~11.30



●11月2日
朝一番で練馬区健診センターで胃がん検診。バリウムを出し切った後に休日出勤にて出社。夕方早い時間から打ち合わせでやってきたOK氏、TKデザイナーと神保町の居酒屋『酔の助』でホッピーでちびちび。すずらん通りの『日比谷Bar神保町店』で締めの一杯。

●11月4日
ロンドン在住のデザイナーWA嬢が一時帰国。久々に呑みましょうということで彼女がかつて所属していたMM社のOB/OGたちと新宿三丁目『バクライ』へ。ワイン好きのMM社OG社長の参加もあって結構なワインが次々空いていき、気がつけば割り勘で福沢諭吉が飛んでいくほど呑んでしまった。懐も寂しいので早々に撤退。

●11月8日
神保町の『明治屋2nd』で知り合いとなったOG嬢の結婚式の2次会パーティーに参加。場所は大人数でもOKのダイニング『エスぺリア』。それなりに座興もあって手作り感満載の披露パーティーであった。お幸せに。終了後まっすぐ帰るつもりだったが乗り継ぎで新宿三丁目で下車したついでに『t’s bar』に寄り道。

●11月14日
以前立ち上げに参加したK社の台湾法人15周年のパーティーに参加するため成田から台北へ向かう。午後ホテルにチェックインし一休みしてから民生東路の『Chilis』という大きなレストランバーの貸し切り会場へ。会場はすでに大勢のスタッフ、関係者で一杯。受付の子も10年前にいた日本人のオジサンを知る由もなく、なんとか董事長TK氏の名を出し案内してもらう。やっと知り合いの日本人スタッフたちや現地の古株社員たちと合流でき歓待される。しかし15年はあっという間の感がある。会が終了後TK氏と総経理KT氏、駐在員OT氏と林森北路のスナック『JUNO』で2次会に繰り出す。ここのママさんは自分が駐在時代に行きつけだった店の小姐だったMT嬢。10年ぶり位の再会で大騒ぎに。こういう楽しさがあるから台湾はやめられない。

●11月15日
朝昼兼用の食事をとるためホテル近くの晴光市場近くの屋台街で食事。意麺とか焼餅とか腹に詰め込み、東区の新しいスポットなどをぶらつき、誠品書店信義旗艦店で買い物をしたりCDコーナーで時間をつぶす。夕食はKT総経理、OT氏と古参の女性スタッフSM嬢と錦州街の雲南料理の名店『雲南人和園餐庁』で会食。店の名物料理・過橋麺はじめ料理はみなエクセレント。これだから台湾はやめられない。OT氏と『台北之家』のカフェバー『珈琲時光』へ。

●11月16日
再びホテル近くの『晴光市場』で肉魯飯の朝食をすませ、新幹線で台南へ向かう。台南はかつて2度ほど旅行したが、高雄への通りすがりに寄ったりだったので駆け足だった。今回はリニューアルオープンした歴史建造物『林百貨』やニニ八事件ゆかりの場所や日本統治時代の面影が残る舊街(ふるい街並み)を散策したり、台南名物の小吃を食べたり一日台南をそぞろ歩く。夕方新幹線に乗れば2時間弱で日帰りで台北へ戻れるので本当に便利になったものだ。

●11月17日
桃園空港で帰国便にチェックインした後、レストランで今回食べる機会がなかった小龍包をつまみにビール。第2ターミナル『晶華』というリージェントホテルと関係がありそうなテナントだったが割と美味い。かつての第1は『亜太大飯店(現神旺大飯店)』だったが、よっぽど美味い。帰国後、会社に立ち寄り雑事を済ませた後、『明治屋2nd』で軽く一杯。

●11月18日
アギ―レジャパンのオーストラリア戦を会社でテレビ観戦。結局W杯時のメンバーに戻ったが、勝つことが求められるアジアカップを必要以上の若手起用で戦力を落としても何もならない。結果、当面のライバルであるオーストラリアに勝利したのは大きい。

●11月22日
専門誌のデザイン会社から手配してもらって、『明治屋2nd』のマスターほか計4名でボクシングのW世界タイトル戦を観戦に横浜国際プールへ。カードはスーパーフェザー「三浦隆司×エドガル・プエルタ(1位)」とフライ「ローマン・ゴンザレス×ロッキー・フエンテス(8位)」。三浦のメガトンパンチ炸裂に興奮。渋谷に出て同行の4名に、マスターの奥様はじめ女性陣が合流して中華料理『香港ロジ』で宴会。

●11月26日
帰宅途中、新宿三丁目で道草。『博多天神新宿御苑店』で遅い夕食、『t’s bar』で一杯といういつものコース。厚岸の牡蠣が入荷。そんな季節になったと実感。

●11月27日
K社勤務時代の後輩たち、現蔵元社長のHR氏、印刷会社勤務AS氏、フリーのSG嬢と新橋で吞み会。会場は80年代ロックで日本酒を楽しむといういささか変わった趣向の『'80専科 洋楽いし井』という店。s-haやらユーリーズミックスやらMTVが店内のスクリーンにガンガンかかり、こっちの世代の琴線に触れるには幾分若いが、雑誌編集でバリバリ働いていたころの曲が多く、それなりに懐かしい。30後半から50代はじめくらいが中心のお客さんたちは大盛り上がり。お店の趣味はともかく、肴の料理も手が込んだものが多くなかなかのもの。

●11月29日
トップイーストの某チームのマッチレポートの取材も今季最終戦。場所は厚木に近い海老名運動公園陸上競技場と結構遠い場所。しかも朝から怪しかったが厚木到着時には土砂降り。最悪のコンディションでの取材となった。試合後半からやっと天気も持ち直し終了時には晴れ間が見えるようになったのでまだ良かった。会社に戻ると『明治屋2nd』が土曜営業で開けていたので一杯。

●11月30日
『明治屋2nd』で知己を得たMC嬢の、現在修行中のヴォーカル教室の発表会を聴きに御茶ノ水の『NARU』へ。8名の男女の生徒さん達がJAZZスタンダードナンバー中心に生バンドで歌う趣向。うまい下手は別として皆楽しそう。終了後、『明治屋2nd』応援チームで『温野菜水道橋店』にて打ち上げ。
 

2014年12月2日火曜日

時代の終焉

昭和という時代が終わっていく。
何年から前から、戦後に活躍してきた人たちの訃報を聞くたびに言われてきた言葉であるが、無理もない。もうすぐ平成も27年目だ。それにしても高倉健、菅原文太という東映の大スターの相次ぐ訃報は、昭和の終焉という以上に自分自身のこれまでの人生の大事なものが朽ち果てていくような悲しみを感じさせる。

しかも、戦後という時代が、それ以前の時代の文化が戦火とともに灰燼と帰したところから、貧しくても先の曙光を信じられる時代だったが、いま終わろうとしている時代の先には、明るさは見えてこない。菅原文太の晩年の社会的な発言の裏には、そんな危機感もあってのことだろう。

『仁義なき戦い・頂上作戦』で広能昌三は、敵味方に分かれてしまったかつての仲間・服部武にこんなことを言う。
「もう、わしらの時代は終いで...18年も経って口が肥えてきたけんのう。わしら、もう野良突くほどの性根はありゃせんのよ」

自分もこれからそんなに遠くなく老境を迎える。野良突くほどのことをやってきてはいないかもしれないが、身にしみる台詞だった。
この脚本を書いた笠原和夫もいまはもう亡き人である。

高倉健、菅原文太両人の不在。何ともやりきれない。

合掌。

2014年11月21日金曜日

未央ちゃんのこと

2日ほど前に電話で羽仁未央さんが亡くなったという知らせを受けて以来、なんだかボーっとしている時間が多くなった。若いころから大好きだった健さんの訃報もショックではあったが、もちろんそれは単なるファンとしての惜別の思いということである。でも一時期一緒に多くの時間を共有した未央ちゃんの訃報は、もっとリアルな寂寥感が胸に迫ってきて心のどこかに穴が空いてしまったような虚脱感に捕らわれて仕方がないのだ。
未央ちゃんと初めて会ったのは、前の会社に勤務していた2002年、彼女が代表を務める映像製作会社CompudiaとシンガポールでJVを組んでブロードバンド放送局を立ち上げるという話があった時のことだ。初対面の時から僕が台湾に駐在していた経験もあり、アジアの事情を少なからず理解していることから、香港・シンガポールをベースに活動している彼女とはすっかり意気投合してしまった。
以来2年間、シンガポールの地でお互いに仕事を通して、プライベートでも、ある種濃密な日々を過ごしてきた。よく口論をしたし、彼女のある種エキセントリックな物言いに腹を立てたことも山ほどあったけど、...よく飲んで、よく笑った時間はそれ以上に心に残っている。
未央ちゃん。ジェンダーに関する突っ張った生き方を、よくユーモアたっぷりに効かせてもらったよね。
僕が自由学園の生活団出身と話した時は「一族で迷惑かけてる?」と面白がってたよな。
安彦さんの「虹色のトロツキー」論で夜を徹して話したっけ。
10歳も歳が上なのに、あなたに仕事で使うレポートを褒められてスタッフに翻訳してまわしてくれた時は先生に褒められたようにうれしかったよ。
そうそう見かけによらず料理が得意だったね。よくごちそうになったよなあ。
帰国し会社を辞めてからこっち10年近くも会っていなかったけど、いつかまたあの頃の苦しくも楽しかったクリエイティブな日々を笑って語り合えることを楽しみにしていたのに。もうそんな時は永遠に来ないなんて哀しすぎないか。
こんなことを書いたりすること自体、「割と俗物なのね」と例によって皮肉られそうだけど、関さんともどもそんなに生き急ぐ必要は絶対になかったと思うよ。

色々と背負っていたものはもう解きほぐされたのかな、どうか安らかに。いまはただそうであってほしいと願うのみ。そしてそれしかできない自分になんだか無性に腹がたっている。

2014年11月17日月曜日

週間呑みアルキスト10.1~10.31


●10月3日
デザイン会社MM社が、ほぼ隔月に開催しているガレージBBQに出席。このイベントは長らく会っていなかった業界関係の知人と再会したりすることも多い。今回も20年以上もあっていなかった懐かしい顔も見えたり、しばらくぶりの女性編集者にからまれて彼女の酒癖を思い出したり、こちらも顔見知りのMM社社長のご友人にからんだりと、どうもふんだんに用意されているワインについつい度を越してしまうのである。さんざんごちになって毒気にも当てられぐったりしながら退散。

●10月5日
朝からの荒天をついて知人の若きサックス奏者KG君の恒例ライブを聴きに新宿『PIT INN』へ。終了後KG君と懇意にしている『明治屋2nd』のお客さんたちと、打ち上げ会場を探すが目当てのお店が地上げで消滅。雨もひどいので急遽昨年も使った新宿通りの『隋園別館』へ。

●10月7日
昨年急逝した故KJ氏の1周忌ということで、彼がかつて所属していたTW誌の立ち上げメンバーで追悼の飲み会で在りし日のKJ氏を偲ぶ。場所は2日前と同じ『隋園別館』。TW誌ゆかりの場所ということで本来はこっちが先に決まっていたのだが、たまたま日をあけず同じ店での宴会が続くことになった。まあ懐かしい話はなかなか語りつくせず、2次会の新宿三丁目『かり屋』にて延長戦。

●10月8日
この日も新宿にて友人のHT氏と吞み会。5日の日に目指しながらも閉店していた新宿御苑店の本店に当たる新宿5丁目『東順永』へリターンマッチ。本店の方は変わらず営業していたのでさっそく名物の水餃子で乾杯。ここはお客以外はいい際の会話が中国語というディープさ。中国東北部仕込みの水餃子や羽根つき焼き饅頭などの包子類は絶品。新宿3丁目に移動しアイリッシュパブ『82 ALE HOUSE』へ。

●10月9日
JAZZ VOCALを勉強中の知人のMD嬢のお誘いで六本木『billboard LIVE』にミシェル・シャプロウのステージを観に行く。ジャイルス・ピーターソンが絶賛した新星でイエール大学出という才媛だとか。コズミックなコスチュームで幻想的なステージパフォーマンスでPurfumeっぽいテクノ調の曲から、スローテンポの囁き系な曲まで披露。『billboard』で食事をしながらというイメージではなかったが、なかなか面白いアーティストで今後が楽しみではある。

●10月10日
台湾駐在時代に同じ会社で働いていたライターのSZ嬢が3月に帰国し、いつか報告会をやろうと言っていたがようやく実現。彼女の台湾時代の上司に当たるOK氏や、共通で付き合いの長いAR嬢と新橋の台湾料理『香味』へ。台湾出身のご夫婦が切り盛りするこの店も、店内の雰囲気からお品書きなどもまるで台湾にいるかのようなディープさ。料理も台湾のまんまでお店は台湾好きのOLやサラリーマンたちで超満員。喧噪のなか終電近くまで呑み、食い、語りの一夜。

●10月13日
日本代表がシンガポールにてブラジルに対戦ということで、これは勝手知ったる場所での一戦ということで代表とともに遠征。今季最大の台風が接近する中、夕刻タッチの差で無事離陸に成功。深夜に定宿と化したかつての職場に近いタンジョンパガー『DAXTON HOTEL』へチェックイン。

●10月14日
朝はさすがに遅くまで熟睡、昼近くにチャイナタウンに出向きスミスストリートの『KOO-KEE』という小吃屋で、麺と青菜で腹を満たした後、オーチャードでショッピング。夕刻その足で「SPORTS HUB」と名を変えて、新装なったナショナルスタジアムへ。経済的には東南アジア随一の金満国だけあって以前の駐在時とは見違えるほどの素晴らしい近代的なスタジアムに変貌していたが、ピッチ状況まで目が届かないのがいまいち残念なところ。まあ見た目が一番のこの国らしいと言えば言えるかも。6万収容の観客はほぼ満席、5万人の在星邦人の7割は入っているんじゃないだろうか、青いユニフォーム一色でほぼホーム状態。しかしながらこのワクワク感もスタメン発表とともに一気に冷水を浴びせられることに。岡崎と川島を除けばほぼU23レベル。なんで王国相手に若手中心なんだよ、これじゃ楽しみにしていた在星邦人もがっかりだし、わざわざ旅費をかけて日本からやってきた我々サポーターにとっては目も当てられない。好きできたのだから金返せとまでは言わぬがちょっとなあ、まあ若手にはいい経験なんだろうがブラジルに失礼だろう。結果は案の定ネイマール一人に4点決められる惨敗!まあ観えていた結果だったがアギーレの指揮官としての適性に疑義をサシはさむことになったのは確か。夜はチャイナタウンの焼飯で有名な『陳福記』で粥を啜りながらタイガービールで怒りを鎮める。

●10月15日
朝飯兼ランチで絶品の小龍包を楽しみにしていたNiel Roadの『京華小吃』へ出かけてみるとなんと定休日!前夜に引き続きついていないことはなはだし。仕方がないので『Maxwellホーカーセンター』で海南鶏飯に予定変更。これはこれで満足ではあるのだが、いまひとつ釈然としない。午後から、シンガポール郊外に位置するジュロンのブーンレイショッピングセンターへ、知人の現地制作会社がプロデュースする日本物産館を見学に行く。ここはシンガポール最大のショッピングセンターで来ている人たちはほぼローカル。何かイベントを仕掛けるなら観光客ばかりのOrchardStreetじゃ意味がないというのは確かに納得させられる。日本物産館も国籍不明の寿司とかじゃなく、庶民的なかりんとう饅頭とか、おでんとか日本の素の食文化が紹介されるなど、なかなかに制作サイドの意気込みを感じさせ、いたく感心する。ホテルで荷物をピックアップした後チャンギ空港へ、深夜の夜這い便にて早々に帰国。

●10月16日
週末KJ氏の1周忌を今度はTT誌の後輩たちが「偲ぶ会」を開催するということで、下打ち合わせで会場の飯田橋の居酒屋『北町商店』へ出向き事前の一杯。店長はKJ氏が現役当時よく呑みに通った前身の『バッカス』の頃からの付き合いということもあって快くこちらの要望にこたえていただける。

●10月18日
その『北町商店』にて、故人の人柄に合わせ賑やかに?偲ぶ会を開催。故人のTT誌時代の同僚や若い部下たち総勢30人近くが参集した。勢い来年もという話にはなったが、いつまで続けられるのだろうか?

●10月21日
台湾駐在時代にお世話になった、当時大手広告代理店現地法人の副総経理だったHR氏と吉祥寺で会食、旧交を暖めあうことに。HR氏が指定した場所は『にほん酒や』という名が示す通り厳選した日本酒とそれにあった肴を提供してくれるお店である。特に店の一押しの「十字旭日」という出雲の大吟醸は、初めてだったがこくといいまろみといいビックリするほど素晴らしい。気がつけば足元もおぼつかなくなるほど杯を重ね、結局タクシーにて帰宅する羽目に。

●10月23日
仕事の対談を御茶ノ水の『山の上ホテル』の本館宴会場の会議室にて執り行う。最近火事を出したり水道料金の不正とかでトラブルもあったが、昭和の面影を残す重厚な雰囲気はなかなかのもの。仕事後Barとかでじっくり呑みたかったが、やりのこしていた仕事の準備もあって次の機会へ。

●10月24日
仕事の打ち合わせにて夕方OK氏が来社。流れで近所の中華料理『大興』で食事。ここの店でやたら薦められる口当たりのいい果実酒をばかばか呑んでいたが、結構後になって効いてくる。帰りの電車で熟睡、あやうく乗り過ごすところだった。

●10月26日
仕事でラグビーのトップイースト日野自動車レッドドルフィンズの取材に秩父宮ラグビー場へ。神田古本まつりを冷やかした後、ワインを買い込み久しぶりの家呑み。寝落ちの巻。




 

 

2014年10月31日金曜日

今年の東京国際映画祭

27回目を迎えた今年の東京国際映画祭、今回はいつも楽しみにしている台湾映画が1本のみということで、気合が入らない。
今年から会場に日本橋コレドに出来たTOHOシネマズも使うことになって、毎年思うことだがまったくもって、映画祭的な雰囲気は皆無に等しい。おりしも六本木界隈はハロウィーンのコスプレに身を包んだ若い連中がそぞろ歩いており、そっちのほうがよっぽど「祭」っぽく映ってしまう。元々渋谷から六本木に会場が移ったのは、当時総合プロデューサーだった角川さんと森ビルの談合による結果だったと記憶しているが(真偽のほどは知らん)、なんとかならんのかね。
ということで、今年は最近になくチケットを入手したのは3本と寂しい結果になってしまった。

まず1本目は唯一の台湾映画『共犯』(張榮吉監督)。通学途中でたまたま同じ学校の女生徒が飛び降り自殺した現場に居合わせた三人の高校生たちが、その真相をつきとめようと行動するうちに思わぬ事態へと物語が展開していく、というサスペンスタッチのストーリー。いじめやSNSによる言葉の暴力、教師をはじめとする大人たちの無関心とか、台湾の高校生が置かれている問題が映画のバックグラウンドに描かれつつ、思春期の子供たちの揺れる心象に迫っていく。タイプの違った三人の主役たちも一人を除いて全くの素人だそうだが、なかなかキャラクターが巧く演じ分けられていたように思う。まあ作品から感じ取れることは見た者の解釈にゆだねられるということではあろうが、もう少し話の行く末が示すドラマ性があってもいいのかなと感じた。監督は前作の『光に触れる』でも色彩の取り入れ方に特徴があり、今回も緑の使い方に心理的な効果を盛り込んでいる。特別に評価をということではないが、まあまあ楽しめた。

2本目は香港の陳果監督の異色のSF作品『ミッドナイト・アフター』。旺角から大埔に向かう深夜バスに乗り合わせた17人が、高速道路を超えた瞬間に世界から彼らを残して無人の街にワープしてしまう。しかしながら彼らを監視する謎の人物が登場する中、彼らに一人ひとり原因不明の死が近づいてくる。とプロットを書くと、いかにも正当時空ものSFみたい(名作SF漫画「少年の町ZF」を彷彿してしまう)だが、そこは香港、しかも陳果ということで基本は笑えるギャグ満載で、ニヤニヤさせられつつ事件の展開に引き込まれていく。しかも乗客たちの個性が強烈過ぎて、また気のきいたブラックな笑いは秀逸。監督は絶対揺頭丸でぶっ飛んで撮影したに違いないと確信するクレイジーさである。終了後深夜の人っ気のない日本橋を歩きながら、このまま街から人間が消えてしまったら…と変な感覚を味わわされた。結構楽しめた。

                                               

3本目はハリウッド作品の『シーズ・ファニー・ザット・ウェイ』。ピーター・ボグダノヴィッチの10年ぶりの作品ということなので、見逃すわけにはいかない。ニューヨークを舞台にコールガールからスター女優になった主演のイモージェン・プーツがインタビューに答えながら、彼女がブロードウェイの演出家に見出され女優になれたいきさつが展開するロマ・コメ。オールニューヨークロケがなんとも素晴らしいのと随所に40~50年代の映画へのリスペクトに満ちたスクリューボールコメディへのオマージュ。一見、ウッディ・アレン調だが、ひいき眼かもしれないが粋さという意味ではより洗練されているようにも思える。こういう小粋な作品が撮れるのはハリウッドでももうそんなにいない。ボグダノヴィッチ組ということで久々のシビル・シェパードの出演もサプライズ。さらにサプライズだったのは監督本人が上映後のトークセッションにオーウェン・ウィルソンとともに登壇したこと。なかなかウイットに富んだチャーミングな老人という態ではあったが、ナマのボグダノヴィッチを間近に観れたのが、今回の映画祭最大の収穫であった。凄く楽しめた。



 

2014年10月26日日曜日

芸術の秋

芸術の秋ということで最近見た2本の映画が『ザ・テノール 真実の物語』と『至高のエトワール~パリ・オペラ座に生きて』。

『ザ・テノール』は世界的な韓国人テノール歌手べー・チェチョルが、がんで声を失ってしまい、日本人プロデューサーの奔走で日本人医師の執刀による声帯回復手術で奇跡の復活を遂げる実話をもとにしたドラマ。主演はユ・ジテと伊勢谷友介。映画自体の出来云々よりは、この時期の日韓の美しき友情物語という政治的な思惑をカンぐったりも出来たのだが、映画内で使われるべー・チェチョルのテノールの力強さは確かに「神」レベル。下手なお涙映画より実際の彼のオペラ公演を観に行きたくなってしまった。




『至高のエトワール』は長年パリ・オペラ座のエトワール(宝塚で言うトップ?)を務めてきたアニエス・ルテステュの引退までの2年間を追ったドキュメンタリー。アデュー公演の「椿姫」、はじめ「白鳥の湖」「天井桟敷の人々」「ドン・キホーテ」「放蕩息子」などの演目に加え、コンテンポラリーの舞踊まで、優美で流れるがごとき彼女の素晴らしい舞台の映像が満載。バレエやダンスにそれほどの知識を持ち合わせていなくてもため息が出るような至高の美しさに嘆息させられた。ドキュメンタリーゆえに映像的にはリアリティにより重きを置いたフィルム撮影でいまいち華やかさに欠けるのだが、舞台の記録映像も記録として撮られているのでこれも仕方がないのだろう。こちらも現役時代のオペラ座の舞台を観たかったなあと思ってしまった。実際、過去何度かパリに行った時に行こうと思えばそのチャンスは十分にあったわけだが、まあ映画で観たからこそ彼女の存在の大きさを始めて認識したので、当時はその素晴らしさを知る由もなかったのだが。

 

2014年10月4日土曜日

週間呑みアルキスト9.1~9.30




●9月4日
遅くなったがブラジルW杯の報告を兼ねて元旅行会社勤務の友人のHT氏と新宿で飲み会。新宿御苑駅そばの餃子専門店の『福包』で餃子つまみのビール。チェーン店らしいが安くてそこそこうまい。腹いっぱいの後は『t’sbar』で軽く続きをやったあと、じかnンもまだまだあったので渋谷へ寄り道して『グランドファーザーズ』でロック談義。

●9月5日
新生アギーレジャパンの初戦は、札幌での強豪ウルグアイ戦。この日は引き続き八重樫と井上のダブル世界タイトル戦もあるので早めに仕事を終わらせ帰宅してからのテレビ観戦。サッカーは0-2でやはり世界のトップクラスの壁を打ち下すには至らなかったが、武藤はじめ初代表の若手選手たちのはつらつとした動きは可能性を感じさせる。ボクシングは最強の相手rオーマン・ゴンザレスに挑んだ八重樫が胸が熱くなる打ち合いで玉砕。井上は順当勝ち。家呑みでも酒が進む進む。

●9月7日
『明治屋2nd』の常連客の皆さんの企画で神楽坂の『すしアカデミー』ですしの食べ放題イベントに参加。ここはすし職人の卵たちが実践を積むための練習も兼ねているということで、安い料金設定でたらふく寿司が賞味できるので評判の店。ネタはそこそこだが形がよくなかったり、ワサビの量がバラバラだったりシャリの量もまちまちと、確かに決してベストではないものの量だけはもう1ミリも入らないというほど胃に詰め込んだ。飲料も飲み放題にしたのだが、そんなに呑めるものでもなく大失敗。帰って胃薬のお世話に。

●9月9日
アギーレジャパンの第2戦ベネズエラ戦を横浜日産スタジアムで生観戦。前半相手の素早い押し込みに苦戦した日本代表だったが、後半若手が躍動、武藤、柴崎の得点で2-2の引き分け。武藤はなかなかスター要素も感じられ今後の期待度は高い。失点はDF陣のミスによるPKとGK川島の信じられないようなファンブルで与えたもの。失点は言い訳ができないひどいものだったがまあ若手が使えることが確認できたので収穫もありといったところ。帰りはカメラマンのKT氏の車に高井戸まで便乗させてもらう。吉祥寺のバール『BOGA』で渇きをうるおす一杯。

●9月11日
サラリーマン時代の先輩でKD社のTN氏と、共通の知人である地方局SD社のON氏と同窓会的な飲み会。場所も3人が若いころそれぞれよく飲んでいた場所ということで銀座コリドー街の居酒屋『淡路島と喰らえ』。それぞれ60の声をきく年齢になり昔話に花が咲いた。TN氏とは帰りの方向も一緒なので有楽町の隠れ家BAR『季立』でMORE一杯。

●9月16日
ボクシングの井岡と宮崎の復帰戦。この日も早めに帰宅して家のみにて観戦。両者とも階級を上げての試合だが、井岡の相手はなかなかに強く、ちょっと手を焼くも見事にカムバック。再び世界王者への道筋が見えてくる。

●9月17日
会社をたたんでフリー編集者になったOK氏が午後顔を出したので、早い時間から一杯やることに。神保町では最も早く4時過ぎに営業開始の居酒屋『酔の助』でホッピー。2件目は新宿に移動して知人の編集者の弟さんが経営する『BAR ICE』を見学がてら立ち寄る。

●9月18日
デザイナーのNM嬢が来社。お土産のお菓子の御礼にと軽くどう?と食事に誘い『東京アチコーコー』へ。デザイナーだけにアチコの手書きのメニューにいたく感心。料理もおいしいと気に入った模様。清水出身のサッカー好きの人だけにブラジル話で盛り上がる。

●9月20日
仕事で三鷹の横河電機グラウンドでラグビートップイーストの「横河×日野」戦を取材。帰りにライターのLE氏と駅前の居酒屋ビルの一軒『くろ○』の呼び込みに導かれ一杯やっていく。ラグビーの協会サイドの内幕話はなかなか興味深い。

●9月22日
かつての同僚で大阪に嫁いだKW嬢が出張で来社。渋谷で待ち合わせた後、東急本店通りのベトナム料理屋『ホァングン』で北部のベトナムの味を堪能。KW嬢のリクエストでかつて一緒に何度か呑んだこともあった『グランドファーザーズ』へ。人妻とはいえかつての美人アナとのたのしいひと時。

●9月24日
昨年急逝してしまったKJ氏の仲間内で1周忌の会合を開く計画で、KD社の後輩たちと飯田橋の『北町商店』で視察を兼ねて打ち合わせ飲み会。年初に偲ぶ会をやったのだが月日のたつ早さを実感。

●9月25日
兄夫婦が映画観賞のため神保町にいると連絡があり、『窯ZOU』というビストロで会食。あるのは知っていたが入るのは初めてだが、店名の由来でもある窯焼きピザはなかなかおいしい。すっかりごちそうになってしまう。

●9月28日
昨日からの木曽の御嶽山の噴火は結構な被害をだしそうだ 。また香港では民主的な選挙を望む学生たちが国慶節を前に金融街を占拠と大きな事件が続く。そんななか母校青山学院のラグビー対抗戦の対慶応戦を秩父宮で鑑賞。久々バックスタンドで日にあたりながらの観戦ですっかり焼けてしまうがビールがうまく感じる。試合は昨シーズンからの連勝を期待したものの慶応の猛攻に前半から受けに回り雪辱を晴らされてしまう。今年はまた入れ替え戦か。

●9月29日
学生時代からの友人ED氏が会社の後輩と来社。いろいろと新会社のレクチャーをしてくれる。とりあえず食事ということで白山通りの『台南坦仔麺』で台湾料理。紹興酒に酔ったかED氏いつもの迫力はなく『明治屋2nd』で軽く一杯立ち寄って早々に帰宅。

●9月30日
友人のTN氏が宣伝プロデュースする銀座のギャラリーの記者発表会へ。NK社のSD氏、HSサイト編集長のKN氏とか業界の知人たちとも顔を合わせ近況を報告しあう。KN氏と誘いあって新橋に流れおでん割烹『銀座九丁目』へ。今年初のおでんであrうが、もうあっという間の10月である。
 

2014年9月10日水曜日

平和の申し子だった聖火ランナーの死


昭和20年8月6日、広島生まれ。
平和の申し子として、1964年10月10日、秋晴れの国立競技場の聖火台への長い階段を一気に駆け上った青年。

東京五輪聖火最終ランナーだった坂井義則氏が亡くなられた。享年69歳。

ある年代以上の人ならば、だれしもが知る名前だが、以前氏の勤務先だったテレビ局の企画会議で、定年退職された本人に五輪放送に関してのインタビューを提案したら、若い局員が誰もその名を知らなかったのに愕然とし、時の流れの速さを痛感したものだ。

2020年には観客席で成果を仰ぎたいという氏の望みもかなうことはなかった。

まったく趣を異にする新スタジアムを知らないままに、あの栄光の記憶が最後のイメージであったであろうことは、幸せなのかもしれない。

謹んでご冥福をお祈りしたい。



2014年9月5日金曜日

週間呑みアルキスト8.1~8.31



●8月1日
松竹試写室で『ザ・テノール 真実の物語』の試写を観た後、銀座を歩いていたら偶然に先月何年かぶりに旧交を温めたSD社のON氏にバッタリ遭遇。東銀座の『TENGU酒場』で軽く一杯ということに相成る。別れた後、なんとなく呑み足りない感じで『BAR FAL』にて一人呑み。

●8月4日
新たに仕事の取引を始めるAY社のKR氏が契約の話で若手社員2人連れて来社。打ち合わせ終了後、事務所の近くの『エスぺリア』で会食。ハッピーアワーだったこともあっていかにも酒豪を想わせる風体のKR氏につられてオリオンの生ビールをがぶ飲みしてしまう。

●8月5日
KD社TJ氏、TV誌NZ編集長、YZデスクが、同社の仕事で編集に関わったW杯別冊の慰労会をやっていただけるということで、ライターのFJ氏ともども四谷の『PBE Dining』に招待される。売り上げも好調らしいが、もう4年後はこちらも体力的にも無理な感じがする。会が終了後、再び会社に戻って仕事を続けるという彼らを見送りながら、かつての自分も同様だったことを思い返し自分の年齢を痛感。

●8月11日
台湾時代の同僚だったTD嬢と、当時の印刷担当だったT印刷のMT氏で同窓会兼暑気払い。夏休みで閑散とする馬喰横山のオフィス街という結構レアな場所にある『楓林』という中華料理屋が会場。中国語には定評のあるTD嬢が結構通っている店ということで、メニューに載っていない料理も次々供される。締めの炒飯は店の自慢メニューということだったが確かに美味かった。

●8月12日
知人を通じて回ってきた東京ドームの『巨人×阪神』首位攻防戦を観戦。同行のジャズミュージシャンKG青年は大の巨人ファンで、しかも一塁側というアウェイ環境で小さくなっていたが、阪神快勝でメシうま~!肩を落とすKG君と『明治屋2nd』にて延長戦へ。

●8月14日
ロビン・ウィリアムス、ローレン・バコールと相次ぐ名優の訃報。バコールはともかく、ウィリアムスは現役バリバリなだけにちょっとショック。あすから夏休みという『明治屋2nd』に立ち寄った後、新宿二丁目『t's bar』にハシゴ。

●8月19日
夕方にBB社のSZ氏が電子出版の契約打ち合わせで来社。SZ氏は西武線で帰る方向が同じなので『明治屋2nd』『t's bar』と定番の立ち寄りコースをつきあわせる。SZ氏車内でうとうと舟をこぎ出していたので無事の帰還を祈りつつ先に下車。

●8月21日
約30年前初めて編集長を務めたTC誌の表紙撮影をお願いしていたカメラマンのSZ氏が、闘病の末なくなったとの報。2年ほど前に旅行会社のPRパンフのビジュアル撮影でご一緒したが、その際は痩せてはいたがまだまだ元気に軽口を飛ばしながら仕事をともにしたのが思い出される。昔の仲間の訃報は寂しさもひとしおである。昨年まではしょっちゅう同じカウンターに並んでいたKJ氏の不在を感じつつ『明治屋2nd』で両名の在りし日の思い出を反芻しながら献杯させていただく。

●8月25日
白金台のお寺でカメラマンSZ氏の通夜に参列。SZ氏の人柄もあって大勢の参列者の焼香の列が続いた。。KD社の先輩TN氏に会ったので帰り路の神保町で下車し居酒屋『ふくの鳥』でともにSZ氏の冥福を祈って献杯。

●8月28日
アギ―レ新体制初の国際試合に臨む新生日本代表のメンバーが発表される。遠藤、今野といったベテラン勢はやはり外れ、Jリーグで活躍する6人の若手が初選出。FC東京でプレーする慶応の学生Jリーガー・武藤嘉紀や鹿島の柴崎岳らには期待大だ。9月5日のウルグアイ戦、9日のベネズエラ戦が俄然楽しみになってきた。

 



2014年8月13日水曜日

口笛を吹いてももう届かない

  ローレン・バコール(8/12 age89)
 
                   ロビン・ウイリアムズ(8/13 Age63)
                                              ジェームズ・ガーナー(7/22 Age86)


相次ぐハリウッドレジェンドの訃報。
詮無いこととはいえ、輝かしい時代が終焉していくようで寂しい。

R.I.P.

2014年8月4日月曜日

週間呑みアルキスト7.1~7.31



●7月1日
ワールドカップの決勝トーナメント「フランス×ナイジェリア」「ドイツ×アルジェリア」テレビ観戦で早朝家呑み。フランスは若い世代が素晴らしい。ポグバも前評判通りの強さ。ナイジェリアも気合を見せたがフランスの2発に沈む。アルジェリアは優勝候補ドイツ相手に一歩も引かない健闘で延長戦へ。気合、運動量ともに彼らの勝ちたい気持ちが伝わってくるが、終わってみれば2-1でドイツの順当勝ち。それでもアルジェリアの最後まであきらめないハートの強さは感動的。日本代表はこうべを垂れて爪の垢を煎じるべし。

●7月2日
ワールドカップ決勝トーナメント「アルゼンチン×スイス」「ベルギー×アメリカ」。両試合とも白熱した戦いで延長戦へ。トーナメントに入ってから本当に目が離せない試合展開が続く。アルゼンチンはメッシ→ディ・マリアのパス一発で試合を決め、ベルギーはアメリカと延長で点の取り合いに競り勝った。最後まで死闘を繰り広げ力尽きたアメリカに思わず拍手。好試合の数々に眠気も吹っ飛んでしまう。

●7月3日
年に1度恒例の高校マスコミ会に出席。会場もいつも通り日比谷『松本楼』。元サッカー雑誌編集長で現在はA新聞に勤めるIT氏が、ワールドカップ開催中にもかかわらず登場していたので、聞けば自著の日光アイスバックスを追ったルポがミズノスポーツドキュメント大賞を受賞したので、その宣伝を兼ねての出席とのこと。さっそく購入を約す。幹事の面々と有楽町の居酒屋『鉄兵』にて打ち上げ。昨年はこの場にいた後輩の故IG君の不在が寂しい、あらためて献杯。

●7月5日
ワールドカップは準々決勝に突入。「フランス×ドイツ」「ブラジル×コロンビア」。欧州同士の強豪対決は1-0でドイツ。早い時間に先制できたドイツが試合をうまくコントロール、やはり若いフランスに対しての優位が結果に。南米同士の対決は2-1でブラジル。ブラジルは勝ったとはいえネイマールの負傷と累積警告のチアゴ・シウバと、次戦は主力を欠いてのドイツ戦。これは辛い。この日は午後1番で日野までラグビーのプレシーズンマッチの取材。寝ている間もなく雨の中出かけるハードスケジュール。日野自動車と慶大のゲームだったが、大型BKを揃えた慶応が大健闘で社会人の日野に競り勝つ。今年の秋の対抗戦の慶応はちょっと手ごわいかも。御茶ノ水で『博多天神』から『明治屋2nd』で一杯。

●7月6日
準々決勝この日は「アルゼンチン×ベルギー」「オランダ×コスタリカ」。。早い時間にイグアインのゴールで先制したアルゼンチンが1-0で逃げ切り。オランダは今大会の台風の目となったコスタリカの堅い守備と果敢な攻撃に最後まで手を焼く。最後PK戦を見越してGKを交替させるというファンハールの賭けが的中。コスタリカはあと一歩でベスト4に手が届かず。

●7月9日
準決勝1試合目は決勝カードでも良かった「ブラジル×ドイツ」。ネイマール、シウバ不在のため苦戦は予想できたものの、ドイツのコーナーからのミュラーの先制ゴールを皮切りに、前がかりとなったブラジルに次々加点を許し終ってみれば1-7の歴史的大敗。まあ今回のチームはそれほどの強さを感じなかったとはいえ王国の威信を完膚なきまでたたきのめされた衝撃的な結果に唖然!こんなこともあるのか。

●7月10日
準決勝2試合目は「オランダ×アルゼンチン」。78年決勝の再現カード。お互い負けない試合を徹底する。スコアレスなまま延長も決着がつかずPK戦。この日はオランダも総力戦で交替枠を使い果たしていたためPK専用のGK起用はできず。そのせいということもなかろうが、アルゼンチンが決勝進出。

●7月11日
神保町の中華の老舗『源來軒』が店を閉じることに。 寧波生まれの神保町育ちで戦後すぐからずっとこの地でがんばってきた老闆もついに引退なのか?神保町中華では一番好きだったのでちょっと寂しいし困るのに。六本木で映画を鑑賞後、新宿の『t's Bar』へ。

●7月12日
ワールドカップも残り2試合。この日は3位決定戦「ブラジル対オランダ」。ドイツに7点くらったブラジルに勝ち目はないと思ったが案の定3-0の完敗。有終の美は飾れず。

●7月14日
ついに決勝戦。「ドイツ×アルゼンチン」。南米開催初の欧州王者誕生なるか、メッシ率いるアルゼンチンがマラドーナ以来28年ぶりに世界の頂点に立つか?試合は攻撃的なドイツに素晴らしいディフェンスで対抗するアルゼンチンという図式で一進一退のまま、やはり延長へ。そして終了間際フィナーレはドイツの若き才能マリオ・ゲッツェの素晴らしいボレーシュートで幕を閉じることに。延々と続くドイツの歓喜のセレモニーを観ながら、ここまでの素晴らしかった試合の数々が思い出され、本当に至福の1ヶ月間だったと実感。

●7月15日
アラフォーの現役女子大生TD嬢と麹町のホテルルポールのラウンジ『カスケード』にてランチデート。最近占いを本格的に学んでいるそうで早速観てもらうが、もうすぐ大殺界を迎える運勢だそうで新しいことは控えた方がいいとのこと、自重が必要!さもありなん。

●7月16日
仕事でBY社発行のドイツサッカーの電子書籍「KAISER」を手がけていたこの時期に、ドイツが世界一になったということで、担当編集のSZ氏と赤坂のドイツレストラン『アイヒェンプラッツ』で祝勝会。お店の女将さんも今月はドイツの快進撃でいつも以上に盛り上がったとかでニコニコ顔。ドイツで発売されたというW杯記念ビールを出してもらって乾杯。

●7月17日
学校を出て最初の就職先の先輩ON氏、HS氏と何年かぶりに駿河台下の居酒屋『升屋』で飲み会。ON氏は当時静岡の放送局に転職したため、変わってその引き継ぎをした関係。当時取材先だったキー局の人たちの消息話で盛り上がったが、数年前に個人的に凄く世話になった編成の女性が亡くなっていたことを知り愕然。年月の重みとはかなさを改めて認識。

●7月18日
『明治屋2nd』から『t's Bar』とハシゴ。

●7月23日
ワールドカップのブラジル現地の話を聞きたいとK社勤務時代の後輩AS君が来社。神保町『ウィースラーカフェ』、『明治屋2nd』とハシゴ。

●7月24日
大学時代の友人ED氏が新しく顧問に就任した会社の後輩社員とともに来社。事務所の近所の居酒屋『ふくの鳥』で軽く喉を湿らせた後に、ED氏行きつけの銀座のクラブ『FIVE STAR』へ。帰りはタクシークーポンという何年ぶりかの接待をありがたく受ける。

●7月25日
スポーツカメラマンKG氏、ライターFJ氏とワールドカップ話で暑気払い。神保町『東京アチコーコー』で終電近くまで盛り上がる。しかし体育会系はいくつになっても本当によく飲むこと。

●7月26日
土曜日の午後暑くて家から出ずにいたら、ひばりが丘在住の編集者KN氏からお誘い。大泉学園の寿司屋『まる辰』で軽くつまんだ後に、秋津に移動。沿線の立ち飲み屋の名店『野島』でせんべろ呑み。ラストは行列のできる人気の蒙古ラーメン『中本』で締め。

●7月30日
編集のOK氏来社。事務所同居のNG氏を誘って夕方早い時間からすずらん通りの居酒屋『浅野屋』で暑気払い。市ヶ谷に移動してOK氏の携帯に連絡があったEB社ON氏と合流。夏牡蠣が食べられるという呼び込みのお姉さんに誘われて『かき殻荘』というオイスター居酒屋へ。暑い時期に生牡蠣は心配だったがままよとかき殻の山だ。


 

2014年7月30日水曜日

すべてなげうって旅に出たい気持ちをそそられる

 
ジェレミー・アイアンズ主演、ビレ・アウグスト監督『リスボンに誘われて』(2012年ドイツ/スイス/ポルトガル)の試写を六本木のアスミックエース試写室で鑑賞した。まさにタイトルに誘われて、観たかった作品である。
原作はスイスの作家パスカル・メルシエの「リスボンへの夜行列車」(早川書房刊)で、世界31カ国で翻訳されたベストセラーということだ。
 
物語はスイス・ベルンの初老の高校教師ライムントが自殺を図ろうとしていた女性を救うことから、100冊限定で出版された「言葉の金細工師」と題された本と遭遇。そのページをめくるや一言一句に魅せられてしまい、その足ですべての仕事を投げうって列車に飛び乗り、本の物語の舞台となっているポルトガルへ作者にまつわる人々の足跡をたどる旅に出る。
そこには70年代ポルトガルのサラザール独裁体制を打倒したいわゆるカーネーション革命前夜の緊迫した時代を舞台に若者たちの切ない青春の傷跡が浮かび上がってくる――。

“自分が選ばなかった人生”に思い...をはせるようになる、われわれの世代にとってはちょっとセンチな気分にさせる内容。構成上ご都合主義的な展開もちょっと気にはなったが、個人的には2004年に行って魅せられた場所リスボンが舞台というだけでもう大満足。バイロ・アルトの石畳の坂道とチンチンと音を立てて走る路面電車、海のようなテージョ川の陽光、アルファマの路地に立ちこめる鰯を焼く煙、ナザレの海岸と箱庭のような白き街並み、映画を見ながら色々と思い出してしまった。
 
登場人物たちの青年時代を演じるジャック・ヒューストン、メラニー・ロラン、アウグスト・ディールという若手役者陣もさることながら、爺さん婆さんたちが素晴らしい。主演のジェレミー・アイアンズ以外にも彼に心寄せる中年眼科医マルティナ・ゲデックはじめ、トム・コートネイ、クリストファー・リー、ブルーノ・ガンツ、レナ・オリン、シャーロット・ランプリングというシニアの欧州オールスター出演は見ごたえ満点。
 

2014年7月18日金曜日

ちょっとビターな台湾版「ジュールとジム」


ワールドカップの昼夜逆転の日々も一段落、先日、ひさびさに映画館に出向いて台湾映画『GF★BF』(2012年 原題=女朋友、男朋友 監督/楊雅 を鑑賞。
1985年、いまだ戒厳令下にあった台湾・高雄の男子高校生2人と女子高校生の、約25年の愛情の交錯を描く、ちょっとビターな物語である。
いわば『突然炎のごとく』、『冒険者たち』のような男二人と女一人の典型的なプロットなのだが、台湾の映画でよく取り上げられる同性愛がこの3人の関係をより複雑なものとしている。
かつて台湾に駐在時によく耳にしたのは“台湾は兵役があるので”という理由から社会的にホモセクシャルな関係が確かに多いように感じたが、特に映画や、文学においてもよく取り上げられる。
この映画の主演の一人張孝全(ジョセフ・チェン)は何年か前の『花蓮の夏』でも、男同士の性的シーンを演じていたが、今回もこの経験を?買われたのか、親友役の鳳小岳(リディアン・ボーン)相手に繊細な恋心と秘めたる激情を巧く演じていた。
よって、正確には三角関係とは言えないものの二人のミューズ的存在であるヒロインの桂綸鎂(グイ・ルンメイ)が男勝りの性格であることが、三人の友情(愛情)の均衡を保つファクターになっている。

この映画のもう一つのポイントは台湾現代史の「時代性」である。物語の始まる85年という戒厳令末期(87年に解除)の蒋経国強権政治にほころびが見え始めた時代、李登輝政権による民主化への道に伴う90年の学生運動(野百合運動)などが、当時の若者たちが激動の台湾でどう生きたのかという歴史体験を再現しているのだが、学生運動後の挫折、社会での成功のためにそれぞれが価値観が変わっていく様子などもほろ苦く心を打つ。
85年の高校時代に夜市で「民主」や「フォルモサ」というような禁署扱いの反体制派の雑誌をこっそり売って小遣い稼ぎをしたり、森進一の「港町ブルース」を原曲とした「誰来愛我」の劇中での使い方だったり、高校生たちの部室に松田聖子のポスターが貼ってあったり、日本語をはやり言葉で使ったり日本との強い影響も細部まで忠実に描いて時代の雰囲気を作っているのも感心させられる。

個人的には『藍色夏恋』(2002年)の鮮烈なデビューが記憶に刻まれている桂綸鎂の演技派女優としての成長に目を奪われた。実際もう30歳を迎えるそうで少女の面影を残しつつも成熟した大人の色香を感じさせる。この作品で2012年の金馬奨最優秀女優賞を獲ったのもうなづける。また監督の楊雅喆(ヤン・ヤ―チェ)は『藍色夏恋』の助監督だったそうで少女のころからの彼女との長い付き合いゆえ、その魅力を巧く引き出すことができたのだろう。今後彼女の作品を追っかける楽しみが俄然広がった

 



2014年7月15日火曜日

ドイツ戴冠!やがてホイッスルは鳴り熱狂の日々も終わる




ほぼ1カ月にわたって熱戦が繰り広げられたブラジルW杯は、ドイツの優勝で幕を閉じた。

アルゼンチンの堅い守備からなんとかドイツの壁を打ち破ろうと仕掛け続けた健闘ぶりは賞賛に値する闘いだったが、集団としての完成度の点でドイツは一歩リードしていたし、控えの選手も含めた戦力の均衡(どの選手が出てもレベルが落ちない)によって、やはり最後は順当な勝利だったのかもしれない。

大会自体を振り返ると準決勝、3位決定戦のホスト国ブラジルの惨敗で、ちょっと水が刺された格好だったが、GLから含めて各国の高いぶりは凄く面白かったし、最後まで目が離せない名勝負が続いた久々に面白い大会だった。
北中米カリブ勢の健闘、ベスト16までの南米勢の強さ、オランダの攻撃力、スペインのまさかの敗退。素晴らしいGKたちの排出、ハメス・ロドリゲスらニューースターの誕生...肝心の日本代表の見るべきところなき試合を除いて、世界のサッカーの趨勢がどう変わろうとしているのかが刻一刻と目の前で目撃できたのではないだろうか。

ドイツの戴冠から一夜明けて、なんだか祭りの後の寂しさが募ってくるのだが、新生日本代表のアジアカップも来年早々にオーストラリアで行われるし、再来年はフランスで欧州選手権が開催される。早くも日程を調べたりそわそわ落ち着かない。リオでオリンピックも開催されるし(スタジアムの建設、開催反対運動含めてこれは未確定なことが多すぎるが)また、イパネマ海岸をまたそぞろ歩くのもいいななんて思い出した。
仕事はさっぱりで、旅費はどうするんだと、現実に立ち戻ると嫌になってくるが、まあ、W杯ロスを解消するには次の楽しみを夢想するに限る。

それにしても日本代表の立て直しはどうするんだろう、次期監督の就任含めて、考え直さなければいけない問題はあまりにも多い。




 

2014年7月8日火曜日

週間呑みアルキスト6.1~6.30




●6月3日
ワールドカップに臨む日本代表が、アメリカ・タンパのキャンプ地にてコスタリカ代表とテスト戦。午前中の中継ということで、会社は午後からと決め込む。先制を許したものの、結果は3-1とスコア的には快勝。だがやはり取られ方が良くない。DF陣の不安を抱えたまま本大会突入せざるを得ないのがつらいところだ。点を取られても取り返せばという哲学はもっと強力な得点能力の裏付けがなければ、まあ本大会の強豪には通用しないだろう。夜は『明治屋2nd』から新宿の『t's bar』というコース。

●6月4日
夕方から、横浜ベイシェラトンの『sea wind』でラグビーライターのLさんと打ち合わせ。Lさんはなかなかラグビー界の現状に対して熱い意見の持ち主で、2019年のワールドカップ日本開催へ向けてのラグビー界の取り組みの内実に警鐘を鳴らす。ラグビー協会の壁に掲げられた「早明戦で満員の国立」の写真、サッカー協会の壁に掲げられた「空席でガラガラの国立」の写真。この対比はなかなか面白かった。成功事例に学ぶのか、失敗事例に学ぶのか、どちらに成果が上がったのかは一目瞭然だ。

●6月5日
生憎の荒天ではあったが、ワールドカップ観戦本のスタッフ打ち上げを新宿の居酒屋『犀門』でささやかに行う。サッカーや出版の話で遅くまで盛り上がる。階下のアイリッシュパブ『HUB 新宿南口店』でFJ氏、TM嬢と延長戦。

●6月7日
朝から、日本代表の最後のテストマッチであるザンビア戦をテレビ観戦。点を取ったり取られたりのスリリングな展開で、最後は大久保のファインゴールで4-3で決着をつけた。仮想コートジボワールということなのだろうが、ザンビアと違うのはドログバ、ヤヤ・トゥーレ、ジェルビーニョと段違いに得点能力が高いこと。仮想敵に勝って喜べるほど簡単な相手ではないことを肝に置くべきだ。

●6月9日
この週からB社の電子書籍の入稿が続く。週末からはブラジルなのに終わるのかどうかちょっと心配。

●6月13日
この日の早朝、いよいよワールドカップが開幕。ブラジルがクロアチアに3-1と快勝。開幕戦でジャッジを担当する栄誉を授かった西村主審は、ブラジルのFWフレッジの自作自演っぽいファールを認めPKを与えたため紛糾。試合をさばく方のプレッシャーもいかばかりか?まあこれでクロアチアの対日感情が悪くならなきゃいいのだが。ライターのFJ氏とB社K誌の最終打ち合わせ。翌14日には大体めどがつきそうだが、こぼれた分の対応を依頼。ブラジルからの連絡用にとポケットWiFiのレンタル確保に奔走するが、どの社ももう在庫なし。まあ直前に手配してもブラジル用の在庫なんか数が知れているので当たり前なのだろうが。ただ先行で入っている人からの連絡によるとホテル等の通信環境はまあまあ問題ないレベルとのこと。

●6月14日
前回優勝国スペインがオランダに1-5で大敗する衝撃的な展開。深夜0時から翌朝まで3戦連続っていうのも観る側としては辛いものがある。眠れない日々のスタートである。

●6月15日
ブラジル行きの荷物のパッキングをしながら、早朝までずっとテレビ観戦。コロンビアはギリシャを一蹴、やはり前評判通りの強さ!死の組となったD組の草刈り場と目されたコスタリカが、なんとウルグアイに勝利という番狂わせ、続くイングランド対イタリアがイタリアが辛勝。この組の今後の展開に目が離せなくなりそうだ。そして荷物の整理出発準備も完了し、朝10時から日本対コートジボワールの大一番。本田の先制弾で雄たけびを上げるものの、後半ドログバ投入から立て続けに2点取られ逆転負け!でがっくり。早くも前途が相当厳しくなってしまった。この代表チームには守りきって勝つだけのポテンシャルがないだけに本当につらい。
夕方に成田到着、JAL004便にてNY経由、AA便にてリオまでほぼ30時間のフライト。

●6月16日
NYでトランジット中に、かつてツアーで一緒になったことのある音楽会社勤務のT氏に声をかけられる。ほぼ一緒の旅程なので、良い道づれに出会えラッキー。フランスやアルゼンチンの結果が気になる。午前中にリオのホテルへ到着、しばらくチェックインを待つ。T氏とやはり日本人サポのKS氏と早速連れだってリオ散策。イパネマ海岸、コパカパーナ海岸と歩き、アントニオ・カルロス・ジョビンゆかりの『ガロ―ダ・ジ・イパネマ』を覗き、『ヴィニシウス・バー』でドイツ×ポルトガル戦を観ながら一杯。夕食はリド広場のシュハスカリヤ『カへドン・リド』でシュハスコ三昧。

●6月17日
ポンジ・アスカールの現地ツアーに乗ろうとしたが集合場所が遠いので断念。リオの旧市街地区を歩き、老舗の高級コスメショップ『グラナード』を冷やかしたり、旧大聖堂やチラデンチス宮殿などを巡る。。ブラジル料理のビュッフェ『パパフィナ』で昼食、しばらくすると街は一斉に店じまい。気がつけばうるさいぐらい道路でバッタものの代表Tシャツを売っていたあんちゃんもすべていなくなった。みんな午後からのブラジル戦に備えているようだ。こちらもホテルに戻ってブラジル×メキシコ戦を部屋でビール飲みながら観戦することに。ブラジルは難敵メキシコにてこずりスコアレスドロー、ブラジル人たちの嘆息が聞こえてきそうだが、負けて暴動になるよりは良かったのかも。夕食に出ようと思っていたらT氏がファンゾーンのPBから戻ってきていわく、"市内はどこの店もしまってますよ”とのこと。ということでホテルに宿泊している日本人のグループの人たちとホテル(「リオス・プレジデントホテル」)のレストランで急遽懇親会に。メニューはイタリアンだったが味はどこがイタリア?という代物。量も多くほとんど食べ残すことに。まあ、これも地元ブラジル戦ゆえ、仕方なしか。

●6月18日
念願だったマラカナンスタジアムのスペイン×チリ戦をナマ観戦。ホテル近くのカリオカ駅から地下鉄で一本。期待にたがわぬ素晴らしいスタジアムである。かつての20万収容という時代からは大分スリムになったがそれでもやはり何とも言えない威容を誇る。試合は衝撃のスペイン0-2の完敗!無敵艦隊の落日を目撃してしまった。ホテルに戻って荷物をまとめるとこの日のうちにレシフェに移動である。11時のレシフェ行きGOL航空最終便は2時間ディレイして、やっと出発。4時間余りのフライトで早朝レシフェに到着、ほうほうのていでホテル『インテルナシオナウ・パラシ』へチェックイン。

●6月19日
早朝到着時には気がつかなかったが、ホテルは海岸が目の前でなかなかロケーションはいい。
海を眺めながらの朝食も気持ちがいい。午後からは夜のナタールでの日本×ギリシャ戦観戦のため長距離バス移動が待っているため、同行のT氏やリオで知り合ったOD氏、OB嬢、OM嬢、KT嬢らと近くのスーパーで水や食料を調達。休む間もなくナタールへ向かう。バス中では爆睡。気がつけばナタールのエスタジオ・ダス・ドゥナスももう間近とのこと。休憩で停車したショッピングモールのフードコートで腹ごしらえ。いよいよわが日本代表決戦の地に向かう。試合はエースストライカーのミトログルガ前半で退き、相手が警告2枚で一人減るという絶好の好機がやってきたにもかかわらず、本田は不調だわ、香川はスタメン落ちするわで攻めあぐね続け、結局なすすべもなくスコアレスで終了。地元のブラジル人たちも全員応援してくれたのに日本のグループ突破はほぼ可能性がなくなった。帰りのバスで再びレシフェへ。落胆と疲労で声も出ず。

●6月20日
フリータイム。この日はレシフェで行われるイタリア対コスタリカ観戦か、世界遺産オリンダ地区の観光ツアーか迷ったが、せっかくここまで来たのだからとOM嬢、KT嬢らとオリンダを巡る。素晴らしい景観と現存する古い街並みデ、なかなか素晴らしい場所。カーニバル(三大カーニバルの一つ)の時期はこの静かな地区が人波で埋まるとのこと、いつか来ることがあるだろうか?夕食は『ポンティオ・シュハスカリア』で各国のサポーターとともに日本人グループの懇親会。もう翌日は日本への長い帰国の旅である。

●6月21日
午後にレシフェからサンパウロへ向かい。そこからNY経由でふたたび長い長いフライト。サンパウロの空港でドイツ×ガーナの激戦を観戦。サンパウロの空港からNYまではラッキーにも英語が堪能なブラジル美女と隣り合わせ、しばらくつたない英語でサッカー談議。

●6月22日
機中泊。日付変更線を越える。

●6月23日
JL005便で映画を5本鑑賞しつつ夕方成田へ到着。帰宅後オランダ×チリ戦、カメルーン×ブラジル戦テレビ観戦。寝る間も無し。

●6月24日
午前中爆睡。昼過ぎから出社。ひさびさの『明治屋2nd』で一杯。深夜4時から日本の最終戦。メンバーを落としたコロンビアに勝ちさえすればなんとか決勝トーナメントへの道もあったのだが、その期待も前半終了間際の岡崎の同点弾まで。後半から本気を出され今大会ブレイクしたハメス・ロドリゲスにちんちんにされあえなく敗退。ザックジャパンの4年間が同時に終了した。

●6月25日
家呑み。ナイジェリア×アルゼンチン、エクアドル×フランスほか。

●6月26日
家呑み。アメリカ×ドイツ、韓国×ベルギーほか。

●6月27日
『明治屋2nd』から『t's bar』。ブラジル話。

●6月28日
家呑み。ブラジル×チリ、コロンビア×ウルグアイ。ブラジル薄氷のPK戦勝利。

●6月29日
実家に立ち寄り。家呑み。オランダ×メキシコ、コスタリカ×ギリシャ。熱戦続く。

●6月30日
家呑み。フランス×ナイジェリア、ドイツ×アルジェリア。まだまだ続く。

 
























2014年6月9日月曜日

週間呑みアルキスト4.28~5.31




●5月4日
GW突入以来、基本的に休みなしでワールドカップ本の制作に従事。4日、5日は三崎稲荷神社例大祭で、なにせ事務所の前の通りが参道だけに日中御輿が練り歩き、その喧騒で仕事にならず。日が暮れても地元の人たちの呑み歩く音とかでなかなか落ち着かず。深夜になってようやく静寂が戻る。

●5月7日
GW中にまったくアポイントがとれず、ペンディングになっていた取材申し込み先からも日時の決定が出ずに焦燥の日々。5月19日には校了という過密スケジュールだけに間に合うかどうか落ち着かない。あまり引っ張ってできませんでしたでは済まない。どこかのタイミングで手を打つ必要があるのだが、そのタイミングも難しい。

●5月10日
この週は月刊K誌の入稿で毎日の朝帰り。体力的にももう無理が利かなくなっているのを実感。なかなか外で食べたり、当然呑んだりできずフラストレーションもたまる。いきおいコンビニによる回数が増えるが菓子類につい手が伸び、不健康なジャンクフードライフの日々。

●5月12日
ブラジルワールドカップ本大会に臨む23名の日本代表が決定。事前に予定で入稿した中で外したのは大久保ただ一人。細貝の落選はちょっとびっくりしたが、基本的にはあまりサプライズもなく決定。怪我で試合に出ていない長谷部、内田も間に合いそうだ。

●5月14日
フランスW杯日本代表の城彰二氏取材。代々木公園フットサル場に隣接するCAFE『VOLTEX』へ。インタビューはここで受けることが多いそうで奥に仕切られた半個室に案内される。城氏ちょっと貫録がついたが、なかなか勉強もしていて感心する。取材後ライターFJ氏と原宿の裏通りにある『Ratia』というカフェで遅い食事。

●5月15日
この日は朝からドイツW杯日本代表のNHK解説者・福西崇史氏のインタビュー。六本木のANAインターコンチネンタルホテルのミーティングルームを抑える。ライターのFJ氏が朝の人身事故による列車ダイヤ乱れに巻き込まれ取材に間に合うかどうかわからないとの連絡あり、本人が予定より少し遅れて到着したため、FJ氏も何とか滑り込みで間に合う。福西氏はルックスも語りもなかなかスマート。取材が殺到しなかなか時間を出してもらえないのもなんとなく判る。

●5月17日
週末から週明けの校了目指し、SOSで頼んだTM嬢、HZ嬢にも事務所に詰めてもらう。深夜空いている水道橋の『揚州商人』で軽くビール。

●5月20日
夜中までかかってようやくすべての、初校、再校を戻しつつ、FJ氏が最後の入稿を。まさに突貫工事のブラジルスタジアム建設同様の綱渡りの作業だった。朝方、FJ氏、TM嬢、HZ嬢と『デ二-ズ九段下店』でとりあえずお疲れ様の朝ビール。こういう場に必ずいたKJ氏の不在が何ともさびしい。

●5月23日
元T出版OK氏、デザイナーTK氏からお誘いがあり、神保町に新しく開店した『森のブッチャーズ』で食事。安く旨い肉料理がウリということでなかなかの人気ぶり。久しぶりの外呑み。

●5月25日
『明治屋2nd』のお客さん有志の皆さんと水元公園で第2回のBBQ大会。もうそれは豪華なBBQで呑み切れず食い切れずのひと時。この1カ月の疲れがどっと出て、早い時間の帰宅だったが泥のように眠ってしまう。ちょうど夜中に目が覚めなでしこジャパンのアジアカップ決勝戦をテレビ観戦。

●5月27日
昔お世話になったK映画のFR氏と神保町の『ミロンガ』で打ち合わせ。お店の名物ジャンバラヤで軽くおなかを満たす。夜はザックジャパンのキプロスとの壮行試合を会社で観戦、『明治屋2nd』に立ち寄り。

●5月28日
台湾駐在時の仲間たちK社役員のTK氏、OK氏と久しぶりに会合。新宿歌舞伎町の『青葉』で台湾料理をつつきながら旧交を温める。つぎつぎとビジネスで新機軸を打ち出すK社の現状を聞きながら、社員の負荷に同情。みんなそれなりに歳をとって、次の人生をどうするか、なかなか悩みどころだ。

●5月31日
国立競技場が改築されるにつき最後のイベントが開催され、やはり思い出が詰まった場所だけにはせ参じる。サッカー、ラグビーのレジェンドマッチを楽しんだ後、1964年以来のブルーインパルスの曲芸飛行(といっても五輪は描かなかった)辻井伸行氏のポロネーズ演奏、美しすぎる自衛官・三宅由香莉三等海曹の国歌斉唱、谷村新司「昴」、森山良子の「今日の日よさようなら」と盛りだくさん。聖火点灯は吉田沙保里でちょっと鼻白んだが、イベントの最後の「蛍の光」で東京五輪の閉会式思い出してちょっとうるうるする。本当に最後の日にいられた幸福と寂寥感に浸りながら通いなれた競技場も見納め。


 

2014年6月5日木曜日

サッカー仕事連戦

ワールドカップイヤーでGW前からサッカー仕事で忙殺されていたが、ようやくひと段落。
まさにブラジルのスタジアム建設工事のごとく、間に合うかどうか心配したがどうにかこうにか形になった。
さて来週からいよいよ本大会開催。徐々に盛り上がってくる気分に浸りつつある。

ドイツサッカー専門の電子出版
ブンデスリーガで多くの日本選手が活躍している現在
なかなかユニークな取り組みはある。
(BOOKBYOND刊)
 
 
 
前回大会に続いて制作したガイドBOOK
付け焼刃でつくったが出来てみたら意外と良い!
各所でも絶賛の声を聞いて少し苦労が報われた感じ。
(KADOKAWA刊)
 

2014年4月29日火曜日

週間呑みアルキスト4.1~4.29


●4月1日
会社設立9周年。なんだかあっという間のような気もするが、よくぞこんなに儲からない会社を9年間も続けてきたなあと、妙な感慨にふける。久々に旧知の友人HT氏と会食。新宿の台湾料理の老舗『中国菜館』へ。まあ台湾料理といっても普通の中華料理とたいして差別感はないのだが女将さんのアットホームな接客が居心地よし。紹興酒をしこたま飲んで歌舞伎町のスコッチBAR『HAZELBURN』で締め。

●4月2日
BB社の仕事で奥寺康彦氏と金子勝彦アナの対談のため横浜ベイシェラトンへ。懐かしのTX『三菱ダイヤモンドサッカー』とブンデスリーガの70年代の話をたっぷり聴かせていただいた。金子さんは御歳80。ちょっと痩せられたがまだまだお若い!数キロはあろうかと思う70年代の放送資料がぎっしり詰まった大きなカバンを持参してきていただいた。対談終了後BB社SZ氏、ライターFZ氏、カメラマンKT氏と近所の居酒屋『天下鳥横浜駅西口店』でお疲れ様の一杯。

●4月6日
週末からBB社の入稿もあって休日出勤。夜のボクシング中継に間に合うようにビールを買い込み急いで帰宅。WBCフライ級の八重樫東、ライトフライの井上尚弥のダブル世界戦。二人とも素晴らしいファイトで八重樫は3度目の防衛、井上はデビュー6戦目にして王座に就いた。八重樫は次戦でおそらく最強王者ローマン・ゴンザレスとの統一戦に挑むことになりそうだ。若きモンスター井上とともに今後が楽しみだ。

●4月7日
ライターKR氏から急遽ボブ・ディランのコンサートのお誘いがあり、台場の「Zeppダイバーシティ」へ。約2時間の立ち見は正直つらかったが、アメリカンレジェンドの熱演に文句は言えまい。小さい小屋だけにスタジアムコンサートと違った臨場感は楽しめた。しかしポール・マッカートニー、ストーンズと立て続けに高額コンサートが続くので出費がかさんでしまうのは頭が痛い。5月にまたポール来るっていうし…。コンサート終了後ゆりかもめで新橋に出て『ビヤホールLION新橋店』で渇いたのどを潤す。

●4月9日
編集者KN氏の紹介でアジアの俳優のキャスティングを担当しているKM女史と会食。近所に出てきてくれるというので近場の飯田橋のイタ飯『スグニッツォ!』を指定。かつてK社在籍時によくランチに通った店で久々の訪問。KMさんのマネジメントしている俳優さんの出演作を昨年の東京国際映画祭で観ていたので話は弾む。アジアのエンタメ話で遅くまで話し込んでしまった。

●4月10日
3月18日以来、「サービス貿易協定」反対で台湾の立法院を占拠していた向日葵運動の学生たちが、両岸協議監督条例が法制化されるまで審議を行わないという王金平立法院議長の声明を受けて退去した。占拠以来こんなに長くniconico生中継をつけっぱなしで観ていたのは初めてである。学生たちの理性的な抗議活動に感心したり中国化を進める馬政権に憤りを感じたり落ち着かない日々ではあったが天安門事件にならないところが台湾の民度の高さを示していたのではないだろうか。

●4月12日
マニー・パッキャオがWBOウェルター級で因縁のティモシー・ブラッドリーと対戦。昼からWOWOWの中継をビール片手で楽しむ。パっキャオがなんとか判定で退けたが往年の絶対的強さに衰えを感じる。メイウェザーとの対戦は実現するのだろうか?

●4月16日
韓国でひどい海難事故。多くの修学旅行の中学生たちが犠牲になるも船長始めスタッフたちの無責任な対応や、政府、対策本部の無策ぶりは目を覆いたくなる。

●4月19日
NHKの土曜ドラマの浅野忠信主演『ロンググッドバイ』が面白い。勿論チャンドラーの原作がベースなのではあるが舞台を昭和30年ころの東京にしたところがみそ。東京だけにチャンドラーというよりは久生十蘭のようになってしまった感もあるが、当時の雰囲気をがんばって作っているのに好感が持てる。次回がちょっと楽しみに。

●4月20日
K社GT誌のワールドカップ別冊の打ち合わせで編集のYZ氏、ライターFZ氏と打ち合わせ。これから1ヶ月はちょっと仕事がしんどくなりそうである。打ち合わせ後、神保町のイタ飯居酒屋『ピアンタ』でキックオフ懇親会、昔のロックで話が弾みFZ氏と渋谷に移動、老舗ロックBARの『Grandfathers』で調子に乗って深夜まで。久々のタクシー帰宅&二日酔い。

●4月23日
WBC世界バンタム級の山中慎介の6度目の防衛戦と、スーパーバンタムの長谷川穂積の3階級制覇への挑戦というWタイトル戦。ボクシングのぶっグイベントが続く。長谷川は壮絶な打ち合いでTKOで敗れ3階級制覇はならず、山中は驚異的な左がさく裂、圧勝で防衛した。会社から帰り際『明治屋2nd」 に寄ってマスターとボクシング談義。

●4月27日
ここのところ土日に出社し続け、GWも出社が予想されるためこの日はオフに決め込み、リニューアルなったマンション地下にの『QUEENS伊勢丹』で食材を買い込み家呑みに徹する。CSで昨年公開の邦画『舟を編む』を鑑賞。辞書は特殊な世界だが元いた世界の雰囲気を思い出す。なかなかおもしろかった。


 

2014年4月25日金曜日

こんなかっこういい爺いになりたい的な・・・

 久々に観た試写がジョン・タートルトーブ監督の『ラストべガス』(5月24日角川シネマ有楽町ほか公開)。とにかく内容よりも先にメンツで観なければと思わせる豪華共演(最近多いな)。何と驚くなかれマイケル・ダグラス、ロバート・デ・ニーロ、モーガン・フリーマン、ケヴィン・クラインとくりゃ、それだけで客呼べるちゅーもんだろう。それに彼らにからむ女性キャストが『バック・トゥ~』のメアリー・スティーンバージェンというから素晴らしい。

内容は58年前のブルックリンでつるんでいた悪ガキ4人組が、老境の域に達してそれなりの問題を抱えつつそれぞれの人生を送っている。ある日そのうちのひとり、実業家として成功している風のダグラスが長年の独身生活に別れを告げて娘のような歳の差婚をするという知らせが届き、結婚式のラスベガスでバチェラー・パーティーをやらなきゃいかんだろう、ということで4人が久々に再会し、いろんな偶然が重なりひょんなことからべガスを舞台に最高におしゃれで、ゴージャスで狂乱の一夜が繰り広げられることになるというストーリー。

まあ、みんな格好いい爺いたちだからこその痛快で愛すべきばかばかしさあふれる展開なのだが、でもやはり人間ひとしくやってくる「老い」ということのなんとも言えないアイロニーや、だからこその人生の晩年を迎えつつある男たちの生きざまが胸に沁みる。
「昨日まで17歳だと思っていたら、あっという間に老人になっている。心が老いに追いつかないんだ」なんて他人事とは思えないセリフにはちょっとほろりとさせられてしまう。

でもまあ、先日観たパチーノ、ウォーケン、アーキンの『ミッドナイト・ガイズ』はじめ、最近のビッグネームたちの元気な老人もの映画は本当にハリウッドのトレンドのようになってきた感じだ。アメリカだからといっても老人問題の深刻さは日本とそれほど違いはないとは思うけど、いかに脳天気で現実からかけ離れているとはいえ、しれっと笑い飛ばせるようなメンタリティは夢を売る工場=ハリウッドというテーゼからして王道なんだろう。
日本でも旭、錠、藤竜也とかで企画してくれないかな~なんてね。

それにしてもバックでかかる昔の音楽はみんないいなあ~、なんてノスタルジーに浸って、爺いもの作品の術中にハマってしまっている自分に気づいてしまうのが、ちょっとやるせないのだが。

2014年3月31日月曜日

週間呑みアルキスト3.1~3.31



●3月4日
ローリングストーンズ東京公演で東京ドームへ。オープニングから立ちっぱなしの2時間。70歳のミックが舞台狭しと踊り走りシャウトしている姿を観てりゃ、辛いなんて言ってられない!超満員の観衆のひけるのを待つためラクーアの場外にある『HUB 東京ドーム店』でお疲れさんの一杯。ここでもBGMはオールストーンズ、コンサートの熱気のおすそ分け。同行のKN氏とひばりが丘の『BLARNEYSTONE』で興奮冷めやらず深夜まで地元呑み。

●3月5日
日本代表の国立開催の最後のゲーム対ニュージーランド戦をテレビ観戦しながら会社呑み。前半開始からあれよあれよの4点奪取の好発進。一転後半は押し込まれ2失点。バックス陣のもろさがW杯本大会の不安材料であることを強調しただけの試合に。仕事で使うであろう写真撮影でKGカメラマンに現場入りしてもらったが、柿谷、長谷部、内田と欠場者も多く、新ユニフォームでの撮影機会がこの試合だけなので、こちらの方も心配。

●3月7日
週末を利用してマイレージ消化の台湾旅行。JAL成田ー桃園便はマレーシア航空との共同運航便。マレーシア航空といえば失踪事件のNEWSを聞いたばかりで何となく嫌な感じがしたがオールJAL機材なのでホッとする。利用者が羽田―松山にシフトしているのだろう、機体も小さく搭乗ゲートも端っこまで歩かされる。搭乗前『miso kitchen』にて朝ビール。成田には本当に感じのいい大人が時間をつぶせるBarが少ない。
到着後、林森北路で久々に呑もうと思って、腹ごしらえでさっそく『又一村手工水餃』で韮菜水餃と小菜で腹ごしらえ。10年ぶりくらいでスナックの『茶々』を訪ねると古くからのスタッフもまだ居て思わぬ大歓待。

●3月8日
朝は『慶泰大飯店』のバイキング。昼は八大路の光華商場を散策中に見つけた屋台で炒飯で軽く済ませる。前日にデートを約束していた『茶々』のY嬢と落ち合って話題の映画『KANO』を観に行くも超満員で夜中の回までソールドアウト。仕方がないので『ウォルト・ディズニーの約束』(中文タイトル/大夢想家)に変更。『KANO』もこの機会にどうしても見たかったので夜中のレイトショーのチケットを買っておくことに。夕食は『茶々』のママさんの奢りで林森北路の沖縄料理『和幸』。台湾まできて沖縄料理かと思うがまあまあ美味しかったので良しとしよう。食事後は再び映画が始まるまで『茶々』で時間つぶし、結局昨夜からボトルが空いてしまい歓待は嬉しかったが結局散財する結果に。深夜『KANO』を観て真夜中にホテル帰り。

●3月9日
夜が遅かった(朝が早かったため)午前中はホテルで沈没。忠孝東路『渡小月』で魯肉飯と坦仔麺の昼食後、発展する東区散策。日曜日のシネコンを覗くとやはり若者たちがいっぱいで『KANO』はソールドアウト状態、前夜無理して観て正解だった。夜は敦化南路の鶏料理が有名な老舗レストラン『驥園川菜』でKD社の駐在員SZ嬢、OT氏と会食。鶏丸ごと一匹使った名物料理砂鍋土鶏に舌鼓を打つ。四維路近郊のおしゃれなBAR『whinos』『DIARY』と2件ばかりハシゴして深夜ホテルへ帰還。

●3月10日
あっという間の帰国。空港内小吃店『宝島晶華』で出発時間まで小龍湯包つまみながら台湾啤酒。
空港内でもいちおう晶華酒店の系列らしく味は悪くない。フライト中は爆睡。帰国後会社にそのまま出てメール処理したのち『明治屋2nd』で軽く一杯、旅の疲れをいやす。

●3月11日
KGカメラマンとKD社のTN氏と四谷『徒歩徒歩亭』で会食。台湾から帰着した翌日に台湾風料理がウリの店に行くっていうのもどうかと思うが、まあ気を取り直して日本の台湾料理を楽しむことに。KGカメラマンの河口湖別宅の先月の雪害の模様を聞く。『3Circle』にハシゴ。

●3月12日
高校のマスコミ会の幹事打ち合わせで池袋の『ライオン池袋西口店』へ。広告代理店A社を今年定年退職したKS先輩が鹿児島に急遽仕事の手伝いで長期赴任となるので、引き継ぎを兼ねての会食。定年後に地方都市での赴任というのもちょっとうらやましい。来年の自分のことを考えてしまう。

●3月18日
1月に開催した故KJ氏を『偲ぶ会』の幹事たち6名で打ち上げ。なかなか忙しい人たちばかりなのでスケジュールが合わず延び延びになっていた。神保町の個室中華『青漣』で遺影を持ちこんでKJ氏に献杯。

●3月19日
カメラマンKG氏を帯同し神戸に日帰り出張。芦屋在住の90歳の現役サッカー記者KG氏のインタビューである。午後から始まったインタビューもいまなおかくしゃくとされている大先輩の熱弁を聞いているうちにあっというまに新幹線の最終が危ない時間に。ひさびさの神戸で美味いもんでもと思っていたが、大急ぎで新大阪駅までたどりつき八角弁当だけ確保。駅弁とビール、まあこれも出張の醍醐味ではある。

●3月24日
カメラマンKG氏が写真の上がりを持って来社。会社の近くの専大前『雷門き介』で焼き鳥つつきながら一杯。

●3月27日
KD社の大学同窓生の集いAGU会に出席のため、表参道の個室居酒屋『豊和』へ。この回もすでに3回目を数える。今回も新しい参加者があったりしてなかなか楽しい語らいの場となっている。もちろん自分が最長老なので学校の思い出話も若い連中とはかみ合わないこともあるが、なんとなく共通体験の気分は共有できるのが嬉しい。今年はカレッジソングで締め。覚えているものだ。

2014年3月12日水曜日

台湾で観た2本の映画


3月7日からマイレージ消化のためた台湾に行ってきたが今回の目的は主に台湾映画の記録的ヒットを続ける『KANO』を観るため。映画鑑賞日に決めた土曜日は前日からの雨で、多くの人が映画館に詰め掛けていたので、午後から出向いたころには夜の回までソールドアウトだった。他の映画館に出かけても同様で、いきなりその人気ぶりを実感させられた。
とりあえず空席のある深夜のシートを押さえ、空いた時間に『ウォルト・ディズニーの約束』(中文タイトル=大夢想家)を観ることにした。
 

英国の児童文学「メアリー・ポピンズ」の映画化を巡る、ディズニーと原作者パメラ・L・トラヴァースの完成までの対立を描いた作品だが、「メアリ―・ポピンズ」は子供のころの愛読書で、いまだにわが本棚に大切に保管されている。自分自身ディズニー映画の『メリー・ポピンズ』が公開されたときに味わった幻滅を鮮明に覚えているので(このときから自分の中ではタイトル表記同様別物と認識している)、エマ・トンプソン演じるトラヴァース女史の作品へのこだわりはまったく感情移入できるし、ディズニーの俗物的な作品理解に対しては怒りすら覚える。

そもそも『ウォルト・ディズニーの約束』(ジョン・リー・ハンコック監督)自体がディズニー作品だけに、その対立の軸もなんだかうまくはぐらかされ、完成披露試写の際のトラヴァースの認めたのか認めていないのかわからないような結末は致し方なかったのかもしれない。トラヴァースの作品へのこだわりも彼女の出自である少女時代のシーンに帰結しているのも、まあ映画的には効果的ではあったが本質的な違和感はポピンズフリークとしては最後まで拭えなかったし、ディズニーの単なるエンタテインメント=商業主義の中で原作の大事なエッセンスさえも勝手に書き換えてしまうことの愚かさが、やはりこいつら本質的に理解できていないのではないかと思えて仕方がなかった。
 


実際もトラヴァース女史は死ぬまでこの映画を評価しなかったと聞いているし、自分もまた愛読者としてその立場は不変であるのだが…。
ただし、だからといってこの作品がまったくつまらなかったかというとそうでもなく、トム・ハンクス、エマ・トンプソン、ポール・ジアマッティといった名優たちの渋い演技に感心させられたし、少女時代の父親への追憶に関してはほろりとさせられてしまったのも確かである。そういう意味では映画『メリー・ポピンズ』否定論者でさえも十分堪能させられる作品であったとはいえよう、悔しいけど。事実帰国後すぐに何年も手に取ることもなかった本棚の原作本をめくってみたことからも、そのことは判るというものである。

 

続いては深夜にもう一度映画館を再訪して観た『KANO』(馬志翔監督 魏徳聖制作脚本)である。1931年に初めて甲子園の土を踏んだ嘉義農林中学が準優勝するまでの道のりを描いたものだが、こちらのほうは 前評判から期待値が高すぎたこともあったせいかちょっと肩すかしをくらった感じが正直した。
日本統治時代の台湾南部の情緒あふれる時代の再現は確かに興味深くあり、この時代に思いを寄せる台湾の人々の愛憎交えた複雑な気持ちも理解できる。野球という競技を通して植民地下の人種を超えて協力し合う原初的な感動も判る。
ただ、監督初作品という馬監督のキャラクターの活かし方(特に生徒たち)をもう少し深めてもらいたかったし、まあなかなか望めないかもしれないが日本語台詞の精度を高めてほしかった。

台湾では大ヒットの反面、日本の植民地支配を美化するものだという批判も一方ではあるという。省籍矛盾も含め、この時代の評価は日本人の関知するところではないのではあるのだが、歴史の中に埋もれていた史実を掘り起こしたという試みは一応評価されられるべきではないだろうか。若い台湾の青少年たちが熱心に映画に集中していたのは、何よりもこの映画の成功した部分なのかもしれない。