2012年6月26日火曜日

ポーランド日記


●6月9日
成田11:30初のSAS0984便でコペンハーゲンへ。空港で4時間のトランジット。コペンハーゲンは北欧随一のハブ空港でショッピングモールもそこそこ大きいのだが、店を覗くのも30分もあれば飽きてしまう。そうこうするうちにバーのカウンターに泊まってビールを飲んでいると目の前のスクリーンで欧州選手権グループBのオランダ対デンマークの試合が始まり、いつしか周囲は黒山の人だかり。オランダは個々の力量で攻め込むもなかなか得点とならず、その間隙をぬったデンマークのクローンデリに値千金の一発を食らってしまった。さすが地元の空港だけにショップの店員たちも商売そっちのけで大歓声を上げる。この雰囲気、やっとユーロにやってきたと実感。小型のSK0753便に乗り換えポーランドのグダニスクへ。既に日本から20時間近く経過しているがやっと日が暮れてくる。グダニスク到着後とりあえず市街地郊外の「ホテルショパン」へ。

●6月10日
この日の試合開始は午後6時、ホテルでゆっくり朝食を取った後、事前にネットでプリントアウトした地図を頼りに近郊線の駅プリュシュチ・グダンスキ駅に向かう。駅まではのどかな光景だが、駅がまたのどか過ぎてビックリ。15Kほど離れたグダニスク市街まで列車で20分ほどだが、その列車は1時間に1本しか来ないのだ。
30分ほど時間をつぶしてようやくグダニスク市内に向かう。中央駅のコンコースを出るとすでにスペインとイタリアのサポーター一色。歌声が響きわたる。その喧噪を後に旧市街とは反対側のはずれにある旧レーニン造船所の跡へ見学に行くことにする。いわずとしれた東欧民主化の象徴となった「連帯」の闘いの記念碑に連帯しに行くのだ。大きなモニュメントとともに弾圧に対する抵抗の歴史を刻む造船所壁面に飾られた記念レリーフなど、当時の熱い季節の記憶を反復させてみる。何人かの観光客も来ていたが、人影もまばらな静けさに意外な思いがする。20数年の時間の経過で今の世代にはそれほど訴えることはないのだろうか。旧市街地の広場という広場のレストランはスペイン、イタリアのサポーターに占拠されているので、ショッピングモールのテイクアウトのタイ料理屋で焼きそばのBOXとビールで腹ごしらえ、市内の名所をひととおり周って早めにスタジアムへ向かう。ビジャ、プジョルを欠く王者スペインにイタリアがどこまで食い下がれるか。スペインは比較的イタリアを苦手としているだけに興味は尽きない。試合は相変わらず流れるようなパスを廻すスペインに堅い守りからカウンターを伺うイタリアという構図。先制したのはイタリアのディナタ―レのファインゴール。目が覚めたスペインも10分経たないうちにセスクの1発で同点に。両者白熱したままドローゲームとなった。素晴らしい雰囲気、素晴らしきフットボール。素晴らしい時間が過ぎた。帰りは中央駅で列車の番線をボランティアに聞くと「タクシーの方が早い」成程。タクシー飛ばしてホテルのバーに駆けこんでパスタを食べながら冷たいビールで1日を締める。

●6月11日
朝一番で一旦ホテルをチェックアウトしワルシャワに向かう。仲良くなったフロントの女性がタクシー手配してくれたり弁当手配してくれたり親切に応対してくれる。ターミナル駅のトチェフまでタクシーで30分ほど。ワルシャワまでの長距離列車の番線が判らずにおたおたするが何とか自分の乗るべき列車に飛び乗り、約5時間の列車の旅の始まりだ。6人定員のコンパートメントはすべて女性(おばさん4人、若い女性1人)で2人のおしゃべりおばさんのほかは全員眠りこけている。車窓は延々欧州の田園風景。日本から持ってきた小説を読みふける。尻が痛くなった昼過ぎにワルシャワ中央駅に到着。タクシーで友人がブッキングしてくれたワルシャワ大学のゲスト用ホテル「ソクラテス」に向う。ここも市中心部から離れた郊外で周囲は公園があって環境はいいが何もない場所。チェックインしているとバングラ人の留学生から「日本人?」と話しかけられ、複雑な構造になっている施設の説明をしてくれ色々世話を焼いてくれる。友人に到着の電話を入れた後、朝が早かったのと疲れで爆睡、気がつけば夜の10時を回っていた。食事をしようにも周辺にはお店らしきものは何もなく10分ほど歩くと街道筋にマックのネオンサインを見つけ、ポーランドのマクドナルドで空腹を満たすハメに。

●6月12日
午前、午後とガイドブックを観ながらワルシャワ市内観光へ。聞けば地下鉄駅までは意外と近いことが判明。地下鉄で市の中心部に向かいワルシャワ蜂起記念碑や無名戦士像など戦争時の記憶に連なるスポットを観た後、戦後廃墟から再現された旧市街、ショパンゆかりの地など回りながらヴィスワ川のほとりでスタジアムを眺めながら休息。再び旧市街のロシアサポやポーランドサポで賑わうメーン広場に戻り、ガイドブックにも記載されている老舗レストラン「Zapiecek」でポーランド料理を賞味。夕方、中央駅近くの友人NK氏との待ち合わせ場所で合流、マリオットホテルのビル内にあるテラス席のある中華レストラン「福FOK」で地元サポ立ちと一緒に大型スクリーンで「ポーランド対ロシア」戦を一喜一憂しながら応援。1-1で引き分けたが得点シーンでは大騒ぎで見知らぬ人とハイタッチをかわしまくる。これも一つの海外大会の楽しみ方だ。試合後深夜まで騒ぎの終わらない街なかを友人の案内で地元の人が集まるバーで一杯。遅まきながら久々の再会を祝す。

●6月13日
朝から雨。午前中NK氏とともに彼の勤める職場にお邪魔する。日系の通信会社だがさすがに良いビルに入っている。午後からまたグダニスクに戻る鉄道の旅、その前にNK氏とポーランド・日本情報工科大学のTH先生との昼食会に同席させてもらう。日本料理店の「稲波」で和定食を食べながらTH先生のポーランドの学生たちの日本研究事情を聞く。食後時間があったので先生に大学を案内して頂いたが、学生たちが立ち止まってお辞儀をしながら挨拶してくるのに驚く。日本の若者より行儀は数段良いようだ。NK氏、TH先生と別れを告げ再びグダニスクを目指す列車の旅。今度の相席はビジネスマン風と若いアンチャン風の男性3人と赤ちゃん連れの美人のお母さん。お母さんは大荷物の上、子供にかかりっきりなので食事やトイレに行くにも大仕事。そのたびに我々が赤ちゃんを見てあげたりあやしたりで結構退屈せずに過ごす。グダニスクに近づくと行きに見逃してしまったドイツ騎士団の遺跡マルボルク城の威容を車窓から眺める。本当に線路の近くに位置していてそれが故なのか列車もスピードを落として徐行する。すっかり見とれてしまい写真を取るのも忘れてしまった。ショパンホテルにたどりつくと2日ぶりなのになんだか懐かしく感じる、フロントの女性がニコニコ笑いながら「ああ、無事帰って来たのね、同じ部屋とってあるわよ」と歓待してくれたのも嬉しい驚きだった。バーでホテルに前日入りしたアイリッシュたちと一緒に「オランダ×ドイツ」戦を観ながら食事。明日に備えて早めに就寝。

●6月14日
試合は夜8時からのキックオフなので午後からゆっくり市内へ繰り出す。1時間に1本の電車もあらかじめ時刻表をチェックしておいたのでスムーズに移動できるようになった。到着した列車の中から、アイルランドとスペインのサポを満載。中央駅を降りると緑と赤で街は占拠された状況になっている。さすがに熱いことで定評のあるアイリッシュサポたちは、ギリシア同様経済絶不調ながらなけなしのお金をはたいて大挙してやってきたのだろう。街中の飲食店はすべてアイルランド人たちに占拠され、これも少なくないスペインサポと応援合戦を展開している。メーン広場のネプチューン像前ではもう周辺がビール臭くなるほどだ。みんなスーパーとかで箱ごとビールを買ってぬるいまま回し飲みしている。どんだけ呑めば気がすむのだろう。すっかり人いきれで疲れたので比較的空いていると見当をつけたテラス席の無い中華レストラン「明陽飯店」に入ると、ここも中国のテレビクルーやスペインサポで満員だったが何とか席を確保して腹ごしらえをしながら試合までの時間を過ごす。アイリッシュたちまでとはいかないがこちらも結構呑んですっかり酔っぱらうが、小雨が降ってきた外気の寒さに一気に酔いがさめる。念のためトレーナーを持ってきていて大正解だった。スタジアムは日韓ワールドカップの時と同様アイルランドサポの応援歌がとどろき最高のムード。緑のオヤジたちは本当に人生の楽しみ方が判っている。試合はしかし世界王者のスペインが相手、ゲーム開始以来圧倒的にボールを支配される。キーンやダフ、ギブン、オシェイなどベテランが多いアイルランドはかつてのキレも衰えたか、なかなかマイボールを獲れない。しばらくはピンチもしのいでいたが完全復活したフェルナンド・トーレスのビューティフルの一発を皮切りに、結果終わってみれば0-4の大敗、結果グループリーグ全敗で姿を消すことになった。大まかで頭を抱えるサポも最後まで選手を讃える歌は途切れず相変わらず鳥肌ものの応援に感動した。終了後、すでに日付が変わりつつある時間なので速攻で中央駅に戻りちょっとてこずるがタクシースタンドにやってきた車を捕まえホテルに帰還、翌朝はもう帰国の途に就かねばならないのだ。

●6月15日
朝目覚めるとホテルの前に並んでいるベンチにアイルランドの青年がもうビールを手にして座っている。やけ酒は朝まで続いたのだろうか?フロントの女性にチェックアウトを告げると頼むまでもなくタクシーを手配してくれる。「また来ますね、ありがとう」「ぜひまたこのホテルに泊まってね」手を振って見送ってくれた。不便な場所だったが本当に気持ちのいいホスピタリティで居心地は良かった。彼女のおかげでポーランドは良い印象を持って帰国の途につける。レフ・ワレサ空港は到着時には判らなかったが小さくともモダンな空港だった。再びコペンハーゲン経由で日本に戻る時間を考えるとうんざりもするが、欧州のお楽しみの代償としてこればっかりは仕方が無い。SA0983便は白夜の中を日本の日常に向かって機首を上げて行った。















2 件のコメント:

ask さんのコメント...

アレナ・グダンスク(でいいのかな)カッコイイっすね! 
周りの何もなさも潔い。
http://www.uefaeuro2012.gdansk.pl/wirtualna_wycieczka

そしてまたキエフで決勝戦とは。

秋山光次 さんのコメント...

なんか造船所の跡地みたいな場所でしたね。でも市内からは割と近かったです。