2009年7月26日日曜日

週間呑みアルキスト7.13~7.26


●7月15日
打ち合わせ帰りに中目黒の蕎麦屋『朝日屋』に食事をかねて立ち寄る。いわゆるごく普通の街中のお蕎麦屋さんで、客筋も近所の首からIDカードをぶらさげたIT系と思しき会社員がたまっているようなお店ではあったが、期待を裏切る?美味しい蕎麦をごちそうになってしまった。つゆも甘からず辛からず、こしのある蕎麦と絶妙のバランスであった。蕎麦フリークを認ずる同行したS社のIさんも絶賛。今度はゆっくりと酒を呑みに再訪したい。

●7月16日
前々週開催された高校のマスコミ会の事務局の反省会が新宿南口の居酒屋『美禄亭』で開催されたので、締め切りの忙しい中を縫って何とか駆けつける。これまで一級上の先輩たちに事務作業をお任せしていたわりに、いつもえらそうな意見をはくので、さすがに反感を買って来年からは色々と広報諸雑務を引き受けざるを得なくなった。これも身から出たさびというやつである。年々減っていく年1回の会合の出席者掘り起こしを、若い新規参加者を獲得するのが今までのテーマだったが、逆に数多く登録されている年配の会員でここ何年か足が遠のいている先輩たちに再度出席案内をしていくことをやってみようと路線変更。来年の盛会を期すことに。

●7月17日
向かいのデザイン事務所Akiさんから夕方電話があり、K社の先輩Nさんが久々に来ているという知らせを受けて挨拶に向かう。NさんはK社時代のわれわれの前線司令官だったひとで世話になったしともに苦労したし、またさせられた。そんな懐かしい昔話についついビールが進んでしまう。Nさんはフリーのプランナーで活動する合間に現在宮城県で農業を手伝ったりしているそうで、もう歳で無理利かないという割には相変わらずバイタリティを感じさせてこちらも触発される。

●7月18日
土曜出社の帰り、高円寺在住のデザイナーのところへ校正を届けたあとに荻窪のE先輩が経営するダイニングバー『寄港地』に食事をかねて寄ってみる。グループ客が2組ばかり入っていたが、Eさんが暇を見て試食サービスで出してくれたのが新メニューに考案中の麻婆飯。といっても中華の麻婆豆腐とちと違うのが豆腐を煮込まず手盛り豆腐をそのままひき肉の具に混ぜ込んだ和中折衷のようなもの。これが実にうまい。しかもピリ辛なので手元のビールもどんどんすすむ。お店にとっても一石二鳥なのではないだろうかとTシェフに感想を述べるとしてやったりの風。果たして次にきたときにメニューに載っているのだろうか?

●7月23日
T出版O社長が現れたので、向かいのデザイナーAkiさんを誘って夕食かたがた神保町の三井東京パークタワーの1階にある蕎麦屋『柳屋』で軽呑み。ここの店にはいつも出版OBのようなリタイア組みのグループを見かけるが、この日も一グループ和気藹々とやっている。歳をとってこういう飲み会も悪くない。

●7月24日
知人のクリエイター・石川明さんのデザイン個展があったので池袋・東京芸術劇場へ。レセプション終了後は会場で遇った広告会社D社のSM氏、M社のNO氏とともに食事へ。飯がうまくて酒が飲めるということでタクシーでSM氏行きつけの沼袋のダイニングバー『あきん』へ池から沼へと移動する。台湾駐在時代の話をしていたらカウンターに同席したカップルから話しかけられ、男性は現在台北に駐在していて女性はフィアンセの台湾女性だという。こっちも酔っ払っていたのであやしい北京語で話すと、女性は大喜びで英語で答えてくる。これに英語が得意なSM氏が割り込んでくるものだから店内三ヶ国語が飛び交うわけのわからない一夜となってしまった。

●7月25日
土曜出社で打ち合わせの後、新宿二丁目の『T’S Bar』に久方ぶりに顔を出す。早い時間でお客さんが他に居なかったため、野球好きのTマスターとワンセグ携帯でオールスター戦の中継を観戦しながら呑む。携帯の画面とはいえど結構クリアな画像で、試合の流れを楽しむには十分。ゲームセットとともに家路に。何しに来たんだろう?

2009年7月25日土曜日

楽しい一文字


仕事の合間を縫って、池袋・東京芸術劇場にデザイナー石川明さんの個展「夢をかたちに 一字百姿」に顔を出す。石川さんはデザイン会社アイドマを率い、日本の名だたる企業ロゴを作ってきた凄い人である。この人が手掛けたJT,ANA,JTB,大和証券…日本人なら誰しもが目にしたことがあるロゴは枚挙にいとまがない。警視庁のピーボー君やモリゾー・キッコロだって石川さんの作品だ。

石川さんとは電通の友人を介して比較的古くから知りあっていたのだが、これまで仕事ではほとんど接点がなかったもののなんとなくそのフランクなお人柄に甘えて親しくさせていただいている。
その石川さんの初めての個展ということだが、「夢」「笑」「心」といった漢字一文字をデザイン文字としてタイポグラフィー百パターンで表現したものを、ずらりと並べるといういたってシンプルな展示である。だがこれが実に楽しい。なにか文字自体が擬態化していて今にも踊りだしたり、飛び出したりしそうな、そんな気分になってくる。漢字のもつ根源的なコミュニケーション力みたいなものを十分に感じさせてくれるのだ。

初日だったのでレセプションにも参加しご挨拶させていただいたが、会場にあふれんばかり詰め掛けた招待された皆さんも多士済々、仕事での活躍ぶりだけにとどまらない石川さんの人脈の広さに改めて驚かされた次第。

●第4回新池袋モンパルナス西口まちかど回遊美術館 石川明「夢をかたちに」一字百姿展
東京芸術劇場展示ギャラリー7/24(金)~7/29(水)

2009年7月23日木曜日

シンガポールノスタルジイ


なにか日記の更新もままならぬほど仕事で忙しい日々。
と書けば、すぐに「いいじゃないの、儲かっていて」と言われるのだろうが(実際忙しいというと決まってこういうリアクションがある)、決してこれが儲かっているわけではなく、貧乏暇なしを絵にかいたような日々なのである。だいたい同じ貧乏ならば忙しくないほうが良いに決まってる。

とまあ、こういう時期に限って、余計な事に気を取られることが多いのも困ったものだ。
で、くそ忙しいのに古本屋に入って何の気なしに買った小説にハマったりする。
今回買い込んだ数冊のなかで特にハマったのが佐々木譲の『総督と呼ばれた男』(集英社)。ずっしりと重いハードカバーの大長編で、通勤時の満員電車じゃ重くって頁を開くことさえままならない(文庫になっているのに)。
ところが、これがすこぶる面白く、深夜終電で帰って早く寝りゃいいものを途中でやめられなくなって朝方まで読んで、翌日の疲労は寝不足で倍増という悪循環である。

佐々木譲といえば『ベルリン飛行指令』『ストックホルムの密使』とか戦前戦中に題材をとった国際的な舞台での壮大なスケールの冒険小説に冴えを見せる作家だが、この『総督と呼ばれた男』も戦前から戦後までのシンガポールの裏社会に君臨した日本人アウトローのお話。シンガポールを舞台にした佐々木の作品は『昭南島に蘭ありや』に続く第2弾だが、時代背景も全く同じ。ハリマオと呼ばれた実在のアウトロー谷豊が登場したり歴史の空気をそれなりに描いているのも佐々木の真骨頂である。好きなんだよなあ、この辺の時代。
初出が「プレイボーイ」誌の連載小説だけにあくまでエンタテインメントの域を出ないといったらそれまでだが、時代こそ違え自分自身2年にわたって住んでいた場所が舞台なので、その場面描写がリアルに脳内スクリーンに映し出され、主人公の一挙手一投足がまるでその場にいるような臨場感で迫ってきてしまいいやおうがなく物語に入り込んでしまう。
ドービィゴート、ボートキー、マレーストリート、カトン、ケインヒルロード、グッドウッドパーク、シービューホテル、ロビンソン百貨店、ケッぺル港…、おお!あそこか、あの辺りだよなあてな具合である。特に主人公が惚れる絶世の中国人美女の住んでいる屋敷がなんとエメラルドヒルロードだっただと?そこにオレの会社があったんだぜえええ!

住んでいた時は退屈極まりない街だったが、もう7~8年たってしまうと懐かしさにあふれてしまう。
あのこじゃれたショップハウス風のBARはまだ健在かしら、日本人御用達カラオケクラブで下手な日本語で歌っていたマレーの女の子は元気かなあ、小説の展開と合わせてとてもノスタルジックな思いにとらわれ妄想は広がる一方だ。
よし、この忙しさを超えたら、またシンガポールにいかねば!

とは思うもののすべてはいまの状況から逃避したいだけなのは百も承知、その時になって実際行くかどうかは定かではない(結局行かない公算が高いけど)が、いまはただただ、ラッフルズのあのやたら甘いシンガポールスリングに恋い焦がれる毎日である。

2009年7月13日月曜日

週間呑みアルキスト6.29~7.12


●7月2日
I社rakuさんが頼んであった企画書を持って来社、慰労の意味を兼ねて『明治屋2nd』で軽呑み。店に入るとKS社の知人たちがすでに盛り上がっている。合流すると大変なことになりそうなので同席は避ける。7月はちょっと抱えている仕事の関係であまり呑みアルキができない予定。身体には良いのかもしれないが精神的には欝積がたまりそう。

●7月4日
年に1回の高校のマスコミ会を日比谷の『松本楼』にて開催。例年有楽町の「外国特派員協会」のクラブルームでの会合だったが、今年から事情で会場変更を余儀なくされるようになった。高校時代、『松本楼』が炎上していた時、現場付近にいたことを思い出す。S新聞のカメラマンだった先輩がその時、取材していたというので驚く。時間の経過を実感。今年の参加は27名。例年出席者が減っていく。大先輩達が高齢化してしまったのと新規会員が少ないのが原因なのだがちょっとさびしい。今後どう会員を増やすのか、ここ数年来のテーマなのだが…。

●7月9日
台湾で雑誌を創刊して10年たったが、当時お世話になったT印刷のMTさんが長い海外生活を終えて帰国。その歓迎会ということで当時台湾でともに苦労していた日本人スタッフ総勢7人が久々に集まった。MTさんは台湾の後、大陸での勤務が続いたため中華料理はいかがなものかと思ったが、やはり台湾時代の10周年ということで赤坂の台湾料理『三彩居』を会場に。10年前の話思い出話に花が咲いたがつい昨日のことのように感じてしまう。創刊日の9月18日に再び再会を約して散会。どうせなら台北でやりたいものである。

●7月10日
先にKS社をリタイアしたKJ氏とSM氏の激励会が西麻布の『ASTRANCE』で開催。せっかくのオシャレ系ダイニングバーなのだが参加者は"アラカン”中心のオヤジばかり、この面子じゃ女子がしり込みするのもやむなしか?すでにKJ氏とは彼が退職して以来何度も顔を合わせているので別に特に大した感慨はないが、SM氏は前日に事務所を開設したというメールをいただいたばかり、大変な時期だけど心から前途を祝す。

●7月11日
サイモン&ガーファンクルの来日公演を東京ドームに観に行く。同行のHT氏と懐かしさあふれるコンサートの余韻を味わうべき神保町界隈に繰り出すも、お目当ての店がことごとく貸切だったり土休だったりでさまよってしまい余韻も消えかかってしまう。結局会社のそばのイタリア居酒屋『ピアンタ』で量り売りのワインで余韻の続きを。

●7月12日
K社時代の後輩IG君が急逝。町田まで葬儀に駆けつける。47歳にして自ら人生に幕を下ろしてしまったIG君はそれほど親しい間柄ではなかったが、物静かで優しい青年だったのを覚えている。いろいろ本人以外わかりえない理由はあるのだろうが音楽好きで控え目なごく普通の一個人を追い詰めてしまう世の中に悲しみとともに深い怒りを感じる。彼を見送った後、KJ氏と町田の小田急の中にある『旬花』という店で献杯。この日は仕事の残りがあったのでその後会社に立ち寄ったのだが、高校時代の友人から同級生だった女の子の訃報を知らせるメールが届いていて2重のショック。旦那のKM君も同級生で高校時代から中睦まじいカップルだったのでなんとも切ない。先に逝ってしまった仲間たちの心からの冥福を祈る。

2009年7月12日日曜日

時空を超える


「あれから40年あなたは何をしていましたか?」
昨夜、東京ドームに観に行ったサイモン&ガーファンクルのチラシの文言。
そう、彼らがブレイクした映画「卒業」が1968年だったから、もう40年になるんだよなあ。

当時中学生だったけど、深夜放送によくリクエストカード書いたもんだ。
しかし懐かしいったらこんな懐かしい人たちはいない。また、彼らが歌う曲もすべからく懐かしい。そこここから口ずさむノイズが飛んでくるのもいたしかたがない。自分にしたってカラオケじゃ絶対歌わんけど、この日に限っては終始口ずさみオヤジと化していた。
昔、死んだ親父が、12チャンネルの懐メロ良く観てたけど、いつのまにか自分がその年齢の域に達してしまった(親父はディック・ミネと灰田勝彦だったが)のを実感。

昨日のドームは過去平均年齢としては最高齢の洋楽コンサートだったのではないだろうか?
途中でやたらトイレに席を立つ爺婆達が多いのには苦笑したが、最初から最後までゆっくり座って見れたのはありがたかった(キャロル・キングだって立ったよ)。

あの歴史的なセントラルパークコンサートから数えてもすでに28年も経過しているので、彼らも昔のような声が出るのかどうか心配だったが、そんな心配はあまり意味をなさない、そこにいる存在感みたいなものだけで充分価値あるコンサートだったように思う。偉大なデュオはやはり素晴らしい時間を演出してくれた。
最初はガーファンクルはクリストファー・ロイド、ポール・サイモンはジョー・ぺシみたいになっちゃったなあ、と歳月を感じていたのだが、コンサートの終盤には昔のまんまのサイモン&ガーファンクルの姿がだぶった。

で、セットリスト(by2ちゃんねる洋楽板)
・オールドフレンド
・冬の散歩道
・アイ・アム・ア・ロック
・キャシーの歌
・ヘイ・スクールガール
・ビー・バップ・ア・ルーラ
・スカボロフェア
・早く家へ帰りたい
・ミセス・ロビンソン
・スリップ・スライディン・アウェイ
・コンドルは飛んでいく

(ガーファンクルソロ)
・ブライト・アイズ
・ウェイト・フォー・ブレックファースト
・ア・ハート・イン・ニューヨーク
・シザーズ・カット
・パーフェクト・モーメント
・心の散歩道
・ナウ・アイ・レイ・ミー・ダウン・トゥ・スリープ
~メドレー
(サイモンソロ)
・ボーイ・イン・ザ・バブル
・グレイス・ランド
・時の流れに

・ニューヨークの少年
・マイ・リトル・タウン
・明日に架ける橋
(アンコール)
・サウンド・オブ・サイレンス
・ボクサー
(アンコール2)
・木の葉は緑
・いとしのセシリア

2009年7月5日日曜日

変わりゆく駅


地元の西武池袋線石神井公園駅の高架化工事が着々と進んでいる。
2011年に完成予定ということで、この春以降だんだんとスピードが上がって工事が進んできた。
ちょっと油断しているとあれよあれよと風景自体も変化していくかのようだ。

もともと急行が止まる駅にもかかわらずエレベーターどころかエスカレーターさえなかった旧式の駅だった。しかも比較的高齢世帯の多い地区ゆえ、住民からはかねてからエスカレーターぐらい設置しろという請願は引きもきらなかった。私自身数年前に病気の義母を病院に送り届けるときにもわざわざ隣の練馬高野台駅までタクシーで経由して通ったことから、その不便さには閉口していたものだ。
現在は仮設駅にもエレベーターが設置されてずいぶんとお年寄りには楽になった。
実際計画自体は何年も前からあったのだが東京都と西武鉄道でやっと重い腰が上がってようやく再開発事業に着手したというわけである。"完成までには生きていない”と生前義母も恨めしげに語っていたのを思いだす。もう少し早ければと悔やまれてならない。

この駅自体の高架化改修工事、複々線化とあわせて、地元の名物だった“開かずの踏切”“狭い商店街のバス交差”という難問も同時に解消すべく、駅南口の周辺整備と新道路開通もこれから本格的に始まっていくことになるようだ。
気がつくと駅前に子供のころ(昭和30年代)からあった古い商店の金物屋やラーメン店も続々と廃業していて更地になっているところも多い。。泉麻人が消滅する前に記録したいと言って写真を撮りにきた踏切わきの自転車屋(丸石自転車の古びたホーロー看板がいまだに生存している)ももはや消えゆくのは時間の問題なのだろう。
便利になることは大いに歓迎すべきなのだろうが、こうした生活の記憶が消滅していくのは一抹の寂しさも感じてしまう。
そういえば石神井の名所のひとつでもある壇一雄邸も道路拡張計画にひっかかり立ち退きを余議なくされていると、壇ふみさんのエッセイに書かれていた。こちらのほうも早晩工事が着手されていくのかもしれない。

開発と環境の保全。未来へのプログレスと過去のメモリー。なかなか悩ましいテーマである。

これが完成予想図








昭和30年代の石神井公園駅(練馬区HPから拝借)バスの前にある大銀杏はいまだに健在。

2009年7月1日水曜日

銀河西武鉄道の夜


酔眼朦朧としていた帰宅時に、メーテルと遭遇。

西武池袋線でこの5月から1編成だけ「銀河鉄道999」でラッピングされている車両。
地元に住んでいる松本零士氏とのコラボだそうだ。
日中たまに乗ったことがあったが、別に特に松本零士は好きな漫画家ではないしなんとも思わなかったのだが、夜中の人気のない駅で出会うとちょっと幻想的でした。

まあ酔っていたこともありますが…。