2011年10月30日日曜日

週間呑みアルキスト10.10~10.30


●10月11日
W杯予選、日本代表がホームでタジキスタン戦。昔だったら大阪・長居くらいなら平気で出かけていたのに、やはり自分で会社やっているとなかなか思うに任せられない。ということで今回も事務所で観戦。ハーフタイムに隣の『明治屋2nd』でビールを一杯飲んで戻るというスタジアム気分のり。結果8-0の快勝。日本代表がこんなに点を取ったのはアメリカ大会予選のバングラデシュ戦以来だ。点差のついた試合はゲームとしては面白みにかけるが気分は最高。

●10月12日
FK誌の仕事で大井町線の緑ヶ丘にあるイタリアン『ポルトフィーノ』でヴァンフォーレ甲府の森スカウトをインタビュー。森氏は現役時代はフジタの屈強なフルバックで日本代表にも選出されたこともある往年の名選手で、スカウト転向後、中田英寿をベルマーレ入りさせた人。プロヴィンツァチームのスカウトらしく有名選手より無名校から選手を発掘することに重点を置く。森氏が手がけた、現在アビスパ福岡の主将をつとめる中町選手を見出した話はなかなか面白かった。隠れた逸材を探すトレジャーハンターの心意気に感銘。

●10月13日
お台場のテレビ局のロング会議の後、新橋でSM嬢、TM嬢と食事。この会議だけは凄く疲れる会議ゆえ終わると呑まずには居られない気分になる。この日も知人の美人ママさんが経営する新橋駅ビル東館『Bar Link』で軽く1杯呑み、腰の据わったお二人を残して後ろ髪を引かれつつ次の会議に速攻で向かう。

●10月14日
ロンドン在住のデザイナーSZ嬢が一時帰国というので、昔の仲間だったデザイナーOG社長、KM嬢、WN氏とVD誌のNM嬢が集まって歓迎会を開催。新宿ゴールデン横丁の先にある韓国料理『百済』で焼肉をつつきながらロンドンの近況や昔話で盛り上がる。その足で旧トップスビルのワインバー『MARUGOⅤ』、歌舞伎町のスコティッシュパブ『HAZELBURN』とハシゴして久々に深夜タクシーで帰還。

●10月19日
スポーツフォトグラファーKG氏と取材打ち合わせのため神保町の中華『源来軒』で会食。石川遼君の話でもうすぐ新事実が発表になるよとの謎めいたことを口にしていたが、数日後にお付き合いしている女性が居るという発表があり、このことだったのかと改めて得心。

●10月20日
仕事帰りに新宿三丁目で下車し、『博多天神』で空腹を満たした跡に、『t’s bar』に立ち寄りたまたま持っていたピアニスト大給桜子さんのCDをかけてもらい、今はちょっと古く感じてしまう80年代のジャズにしばし浸る。

●10月24日
入稿が重なり仕事が忙しくなったため、フリーのHZ嬢に応援を求め打ち合わせ方々、白山通りの『ヴェジタリアンⅡ』で会食。ついついビールを2杯ほど呑んでしまったため、事務所に戻っても仕事にならずうとうとしながら気がつけば終電タイム。

●10月28日
お台場会議で消耗。例によってSM嬢、TM嬢と新橋に戻って打ち合わせ兼愚痴大会で、カレッタ汐溜の居酒屋『鍛冶屋 文蔵』へ。仕事終わりの電通マンや近隣サラリーマンで賑わっていたがラッキーにもたまたま空いた個室に案内される。チェーン展開の居酒屋らしいが料理のボリュームといいバラエティといい値段といいなかなかのコストパフォーマンス。こじゃれたビル内の店舗で賃料も高そうだが、そうでもしないと今の時代はやって行けないということか。

2011年10月29日土曜日

欧州社会の困惑を照射するカツアゲ映画


東京国際映画祭4作品目になるスウェーデンのコンペ作品『PLAY』を鑑賞。たまたま行けなくなった知人からチケットが回ってきたもので全く見る予定の無かった作品だったが、なかなか興味深く考えさせられる映画であった。
スウェーデンはここ20年、ソマリアや東欧、中近東から積極的に移民を受け入れてきたのだが、それによって多民族文化国家になるとともに治安の悪化が憂慮される事態に陥っている。
この作品も実際にあったソマリア移民の少年たちによる連続恐喝事件をモチーフにし、多民族国家へと変貌したスウェーデン社会の困惑を描いたものである。

黒人少年たちに引き回され脅され携帯電話や金を巻き上げられる白人及び裕福(?)なアジア系の少年たちのざらついた怯えや恐怖感、焦燥感は観ていて胸が苦しくなるし、周囲の大人たちの困惑、混乱も皮肉なタッチで問題提起される映像表現もなかなかうならせる。固定カメラを多用した撮影手法も(小津的?)も観客にジャッジメントを預けるような視覚効果を与える。
恐喝事件と関係が無いようなシークエンスも唐突に挿入されるが、それがスウェーデン語が通じずに英語で車内アナウンスせざるを得ない列車内の話や、中南米のストリートミュージシャンたちの演奏シーン、それらすべてがこの国の現状を訴えかけている仕組みだ。

恐喝された少年の親が犯人の黒人の少年から携帯電話を奪い返すシーンで、居合わせた人権派の女性たちの批難と被害者家族の言いあう姿は、高度な教育が施された福祉国家だった白人社会の混乱を皮肉に浮き彫りにしているようだった。

映画終了後の質疑応答で、マイノリティ系の記者から「映画人は作品制作に社会的な責任があるし、この作品は勢いを増す欧州の右翼の主張寄りで不愉快だ」と切って捨てる意見も飛び出したが、このような批判が出ることもあえて折込んだ制作意図を持っているのだろう。この批判に映画の女性プロデューサーからは「様々な意見を受けたいし、それがこの映画の目的である」と答えていた。

ノルウェーのテロの記憶も新しいが、子供たちの恐喝事件という小さな犯罪を描きながら、じつは欧州全体に、否、先進国全体に蔓延する移民問題の根源を描いた、非常に重いテーマを内包した作品だと言えるだろう。日本もこの先遠からず直面する(すでにしている)問題でもある。

2011年10月28日金曜日

チベットの空の青さが哀しいまでに美しい


仕事が山積みの中、なんとか時間を作りながら観に行っている今年の東京国際映画祭だが、3本目となる中国映画のコンペティション作品『転山KORA』を鑑賞。

 若くして亡くなった兄の夢が自転車によるチベット走破であったことを知った台湾人の青年が、兄の遺志を継ぐことで兄に対する思慕と彼の死に向かい合おうとチベットへと赴く。
平均標高3000~5000mの息をするだけで苦しい高地の過酷なコースへ命の危険を賭した挑戦で、ついに目的地のラサまで辿りつくまでを描く。
体力の限界に呻吟し、次々に立ちふさがる自然の猛威に何度も打ちのめされるものの、道中知り合った同じ自転車でのチベット行きを目指す雲南省の年長の男との友情や、現地のチベットの人々との交流を通して、いつしか兄の死を受け入れ成長していくロード・ムービー&グローイングストーリーである。

話自体はそこそこ面白い展開を見せるし役者もなかなか熱演していて好感は持てるのだが、主人公の台湾人の青年が、なんの束縛も無く政情不安のチベットにはいりこんでいることは果たしてあり得るのだろうか?また過酷な環境といいながらも、道路が舗装されていたり、公衆電話で国際電話がかけられたり、文明はこの秘境にも当たり前のように入り込んでいることに驚かされる。なんだかそこに漢民族による文化侵略を感じてしまうのも、あまりにも色眼鏡で見ているということになるのだろうか。
あえて台湾人を主人公に選ぶところも、プロパガンダ臭く感じてしまったりもするし、まあ中台合作といえど、中共によるチベットに対する経済文化支配への問題意識など盛り込める訳も無く、そういう社会背景は全くネグられてしまっているのは仕方のないところなのかもしれないが…。

ただ、映像から伝わってくるチベットのヒマラヤ山系の空の青さ、清澄な空気感を味わうだけでも観る価値があることは確か。

2011年10月24日月曜日

映画祭2作品目


東京国際映画祭2本目は、台湾の若手人気作家・九把刀の自伝的小説の映画化『あの頃、君を追いかけた』(原題=那些年,我們一起追的女孩)。この人は台湾の若い世代でマルチな才能を発揮している人だそうで自らメガホンをとった初監督作品でもある。台湾中部の地方都市・彰花の高校を舞台に、クラスのマドンナ的な女生徒をアタックする悪ガキ仲間5人組の青春ストーリー。まあ、初監督だからなのか最近の若手作家の作品の特徴なのだろうか、あまりにも他愛ない話で、青春時代特有の悩みやバックグラウンドになっている社会への同時代感や批評眼も無く、なんだか某局の学園ドラマ「イケメンパラダイス」でも見ている感じ。ただし個人的には描かれている時代が自分が駐在していた頃とダブるのでそれなりの楽しみ方はできたし、マドンナ役の陳妍希(ミシェル・チェン)は好きなタイプだったが…。
しかし台湾も平和で繁栄を極めた時代だからと言われればそれまでだが、それでも当時は李登輝の二国論で両岸関係が緊張したり、民進党が初めて政権をとったり、プロ野球は八百長で汚染されたり、それなりに騒然としていた気がする。まさかわれわれが日本から持ち込んだ「台北ウォ―カ―」がそういうノーテンキな青年たちを醸成してしまったのではないかと、ちょっと心配になってしまった。

2011年10月23日日曜日

映画祭1作品目


週末から東京国際映画祭が開幕。なんだかんだもう1年たったというのが実感。
今年は仕事の関係上、どうしてもスケジュールがとれずに台湾映画3作品だけ前売りを買っているが、これも無駄にならなければいいなと願うばかり。
日曜日の朝から初っ端の銀座シャンテシネマ1で上映される『運命の死化粧師』(原題/命運化妝師 MakeUp)を観てきた。台湾では6月に公開されたばかり。台湾のスーパーモデル隋棠(ソニア・スイ)の初映画出演作品で話題を呼んだらしい。主演は謝欣穎(ニッキー・シェ)、金馬奨助演女優賞を取ったことがあるというから期待の新進女優というところか。上映前この二人と監督の連奕琦(『海角七号』の助監督)と脚本家の舞台挨拶があったのだが二人のセクシーなドレス姿と美脚ぶりに朝からいい眼の保養になった。

映画は、葬儀社の化粧師(いわゆる日本の納棺夫=おくりびと)の女性が、ある日搬送された死体を見たら自分の高校時代の音楽教師だったことから始まるサスペンス仕立ての物語。実はかつて二人は教師と生徒の関係を超えた(いわゆるエス)秘めたる交際をしていた間柄という過去を持っている。女教師はレズビアンなのに精神科医の夫(呉中天)がいることとあわせ、妊娠中絶していたし、服毒自殺なのに解剖の所見がない。しかも死因を疑う刑事(張睿家)がつきまとう。果たして女教師の死の真相は?という概要なのだが、まあサスペンスタッチの話の展開と平行して教師と生徒のかつての恋の記憶がテンポよくかつ情感たっぷりに描かれていて、そこそこ楽しめる。ただよく考えてみると主人公が職業的に死化粧師である必然は別に無いような気もするが(警官でも医者でもいいじゃねえの)、監督が言うには先に死化粧師というプロットがありきということだったらしい。

化粧師役の謝欣穎はひっつめ髪で眼鏡のキャリアガールと思い出の中の女子高生の二役で、なかなかその年齢差も上手く演じ分けられていて魅力もある。スーパーモデルの隋棠は美人は美人だが日本の女優のYOUっぽい顔立ちでいまいち好みではないけど、二人の女同士のラブシーンは美しいし、彼女たちが逢う瀬を重ねる台中郊外だろうか、人気のない送電線のある原っぱの空が広い光景もなかなかいい。
ストーリー的には平板な感じでせっかくの死化粧師というプロットも、まあテレビドラマの「科捜研の女」の域を出ないが個人的には十分楽しめる作品だった。

しかし『運命の死化粧師』って日本語タイトル、もう少し考えてくれよといいたくなる。

2011年10月9日日曜日

週間呑みアルキスト9.19~10.9


●9月19日
休日ではあるが翌日にクライアントの会議があるため、資料作成で夕方からライターSZ嬢、TM嬢と打ち合わせ。終了後、神保町界隈はやっていない店が多いので新宿三丁目に移動して居酒屋『かり屋』にて食事しながら打ち合わせの続き。BGMが昭和歌謡なので打ち合わせもいつしか懐かし話へ。

●9月21日
ロンドン五輪予選U-22日本代表戦を事務所にてテレビ観戦。圧倒的にポゼッションをとりゲームを支配するが、なかなか得点できずにいいらいらさせられる。ハーフタイムに隣の『明治屋2nd』に行って、生ビールを一杯。なんとなくスタジアムにいる雰囲気。平日の会社観戦はこのパターンが定着しそう。

●9月22日
かつて職場を共にしていたKCG社の後輩HR氏の音頭で、K社グループ内のAG大学OB会が開催の運びとなり、当方はK社自体もすでにOBになってしまっているにもかかわらずお声掛けいただいた。会場は神楽坂の会席『桃仙郷』。ワセダのようにあまりメディアに人材を輩出する学校ではないので、何人くらい集まるのか案じていたのだが9人ほど参集し思わぬ盛会に驚く。確か彼も、あの娘もと手繰っていったのだが、声がけを広げればまだまだ集まりそうな勢いである。最近の教養課程の郊外キャンパスとかは知らない世代なので若い連中と話題が食い違うのもいたし方が無いところだが、共通の話題の学食話ではやはり盛り上がる。〆のカレッジソングこそ歌わなかったが、久々に昔を思い出して楽しい一夜となった。皆さん次回も是非ということで年2回はやりましょうと約束して散会。台湾時代の仲間だった歳の近いTM氏と昔K社時代によく顔を出した小料理屋『麦』で軽い2次会。

●9月27日
FK誌の取材で秩父・三峯神社へ日帰り出張。カメラマンYD氏の車に同乗しての道行きだけに一杯というわけには行かないのが玉に瑕だが、こういう地方周りはやはり土地土地の美味いものが楽しみとなる。ということで取材後、神社の参道前にある『山麓亭お犬茶屋』にて蕎麦定食をいただく。蕎麦は細麺だがこしがあって美味い。山菜ごはんと甘く煮た肉のようなものが付け合せてあったので鹿や猪の類かと思って訊いてみると、すべて大豆などを使用した菜食だそうである。お犬茶屋の由来はもちろん三峯神社が山岳神社で狼を祭っていることからであろう。

●9月29日
いつものようにKJ氏が事務所に顔を出したので近所のダイニングバー『エスペリア』に食事へ。最近はこちらが忙しいこともあってKJ氏も軽くやってすぐ帰ります、と断ってから呑みだすのでこちらも気が楽だ。KJ氏にとってみれば大変な自制なので気の毒になるが戻って仕事をする身としては仕方がない。それでもこちらが1杯だけビールを呑む間に、ウーロンハイを数杯を呑んではいたのだが、不完全燃焼のまま引き上げてもらい事なきを得る。

●10月1日
WBC世界スーパーバンタム級王者・西岡利晃が、米ラスベガスで防衛戦。しかも最強の挑戦者ラファエル・マルケスとの対戦ということで、ワインを買い込んでテレビ観戦。お互い激しいファイトで一進一退の熱戦になり手に汗握る展開にワインを注ぐ手も止りがち。冷静に、バリエーションを交えた西岡が徐々にペースをつかみ見事判定で7度目の防衛。歴代最高齢防衛でなおかつ海外での世界王座防衛も日本ボクシング史上初の快挙である。ボクシングの面白さ素晴らしさを堪能した一夜となった。

●10月4日
現在進行中のAU誌の取材に関してK社の後輩TG氏にアドバイスを求めるため飯田橋へ。お礼に食事でもと誘ったが生憎予定があるということでまたの機会ということに。しばらく行っていなかった神楽坂小路の信州そば
『志な乃』へ。蕎麦とうどんのボリューム満点のざる合盛りで一杯。

●10月5日
昔よく仕事をお願いしていたデザイナーTB嬢から連絡があり、かつての仲間内での飲み会を開催。実は今年の3.11にやる予定だったのだが震災でお流れになったので改めて召集がかかったという次第。しのつく雨の中新宿三丁目の『バクライ』にかつてのTW誌の編集部員KJ氏、SZ氏をはじめデザイナーKM氏、ライターKM氏ら総勢6名が集合。思い出話や近況報告に花が咲いた。

●10月7日
ワールドカップ予選を前にザックジャパンの調整試合である対ベトナム戦を事務所でテレビ観戦。力に差があると思ったベトナムだったが気合が入った健闘振りで日本代表を1失点に食い止める。ベトナムの思わぬ奮戦と3-4-3のシステムや控えの選手のチェックということもあったのではあるが、ちょっと前途に不安を感じさせる出来だったことは否めない。11日の本番のタジキスタン戦ではできるだけ得点を積んでの勝利を臨みたいのだが。この日もハーフタイムに『明治屋2nd』で前例に倣って競技場気分でアルコール補給。こりゃいいや。

●10月8日
連休初日の土曜日だが出社して原稿描きと思ったが、外では明大の創立記念イベントのパレードとかが開催されていてなかなか落ち着かず仕事がはかどらない。帰り道で途中下車し新宿2丁目『t’s Bar』へ。

2011年10月8日土曜日

東京の中華街


本日は会社のそばの愛全公園から明治大学まで、ドラゴンダンス、ライオンダンスのパレードが行われた。明治大学130周年企画の一環のイベントだが、地元神保町とのコラボで中華学校の生徒さん達が中心になってドラと太鼓を打ちならしつつ靖国通りをきらびやかに練り歩き、道行く人たちも時ならぬお祭り騒ぎに足を止めていた。
なぜにライオンダンスかというと、神保町は明治時代以降、中国人留学生の多くが寄宿し大学に学んだということで、漢陽楼、新世界菜館、揚子江飯店など中華料理の老舗も多く、元々は東京のチャイナタウンという趣であったということから、明治大学、地元商店街の企画として執り行われたそうである。
スタート地点の愛全公園も、いまやサラリーマンのたむろする喫煙所と化して終日煙っている場所で、たばこを吸わない身としてはほとんど息を止めて小走りに通り過ぎる場所なのだが、かつてこの場所に予備校があって若き日の周恩来がそこに通っていた由緒ある歴史を持っているそうである。

池袋では中華街構想に対しての賛否で大もめにもめているとの報道があったが、確かに不法滞在者や偽装留学者がたむろすることからコミュニティ化してしまった繁華街を中華街と呼ぶのは無理があろうかと思うが、神保町を東京中華街と規定して町おこしを図るのもそう悪いことではないかもしれない。今回は表通りのパレードだけだったが、ほこ天が可能なさくら通りやすずらん通りを使って旧正月や、端午節、中秋節とかやれば毎年のイベントとして発展するのではないかと思うのだが。