2011年4月4日月曜日

週間呑みアルキスト3.7~4.3


3月11日に起こった未曾有の大地震・東日本震災でしばらく「呑みアル」どころではなかったが、別にその間酒断ちしていたかというとそんなこともなく、気分的にはあまり呑んではしゃぐというのもいかがなものかとは思うものの、普段の生活をやることも経済活動の一環と言い訳しつつ日々飲酒継続中。それにつけても石原慎太郎の自粛強要みたいな発言を聞くにつけ、戦時下の“欲しがりません勝つまでは”的な言質に憤慨。ファッショ的な発想を断固拒絶すべく、明日からも経済活動に貢献することを固く誓うのであった。

●3月8日
FK誌の取材で、名古屋グランパスの前スカウト金益祚氏のインタビュー。東急大井町線の緑ヶ丘駅近くのイタ飯『ポルトフィーノ』で食事しながらJリーグの選手として活躍するための資質について聞く。明大時代の長友や小川(現名古屋)の話などは凄く面白かった。夜は取材の反省もかねてFK誌のYM編集長、帝京OBで旅行会社を経営するKR氏らと新宿富久町の『炭焼きダイニング 然』でお疲れさん会。

●3月9日
新規でフジテレビの広報社内誌の仕事を請ける相談で、この話を持ち込んだ前の会社の後輩SZ嬢と何年かぶりにお台場の局舎を訪問しブリーフリングを受ける。お堅い紙面をもう少し一般的なものにしたい由、軟派なものならこちらも自信はあるが拡張崩さずに軟らかいものを作るのは意外と難しい。打ち合わせ後、ゆりかもめで新橋に出て『ビーフン東』で打ち合わせの続き。

●3月11日
午後、地震が強襲。いつもはかなり大きくても大体の見切りはつくものだが、この日の揺れはビル倒壊の不安さえ感じさせる大きなもの。事務所内に飾ってある預かりものの仏頭が転げ落ちそうになるのを抱きかかえつつ地震の収束を念じる。事務所は書類が散乱しPCが倒れるものの損害は焼き物の飾り物が落下して割れたくらいですんだ。表に出ると界隈の人たちが不安そうな表情で余震に備えている。隣の『明治屋2nd』のマスターが一本だけ高価なウイスキーを小脇に抱えて避難していたので笑ってしまう。夕方になると東北を襲った津波や機能不全に陥った福島原発などことの重大性が徐々に明らかになっていく。この日は帰宅難民になることは必至の情勢となったので、会社に泊まりこもうと覚悟を決めて『明治屋2nd』で呑み始めるが、深夜になって地下鉄、私鉄とも復旧。同方向の店の常連さんOG嬢と間引き運転でスシ詰めになりながらも何とか帰宅を果たす。家のマンションは奇跡的に装飾用のワイングラス3個が割れたほか被害軽微。


●3月12日
一夜空けて地震の被害の甚大さに驚きつつ、この日予定されていた『明治屋2nd』の常連さんたちの飲み会が中止かと思いきや決行のメールが入る。コスモ石油の貯蔵タンク火災で有害物質の飛散といったチェーンメールものかわJR平井駅まで遠征しあんこう鍋で有名な居酒屋『豊田屋』へ。もうシーズン最後なのでという幹事さんの言い訳もウンウンとうなずきながら、被災地への後ろめたさを感じながら豪勢かつ安価なあんこう鍋を賞味。しかし前日の地震でよくこのおんぼろの店が壊れなかったものだと感心する。確かに自慢のあんこう鍋は中止でなくて良かったと秘かに思うほどの美味。来年はまた大手を振って食べにこれることを切に願うのであった。

●3月15日
都心まで調剤の薬を取りに出てくるKJ氏がいつものように来社。KJ氏の実家は自動車の修理工場を経営しているが車を持ち上げるリフトが一部損傷したり点検したりで結構大変だったそうである。専大通りの蕎麦屋『侘助』で原発事故のニュースをテレビで見ながら一杯やっている自分たちの危機感の無さに、可笑しくなる。あわてたところで放射能の拡散なんてことになったら逃げようがない。特に4基もの発電所が損壊し貯蔵されている使用済み燃料棒の数を考えたら、最悪の事態に陥ると西日本に逃れたところで同じような気がする。心配し固唾を呑んで事態を見守るものの自分の力ではどうにもならない現実、いつもどおりの日々を送るしかすべはない。

●3月23日
KJ氏とスポーツフォトグラファーのKG氏と四谷の中華料理屋『徒歩徒歩亭』で食事。春はまだまだと思わせるような寒い雨の夜、被災地の寒さを思う。原発の放射能観測値もこの雨でさぞかし降地することだろうが、政府の“1年間飲み続けなければ”的な発言もいい加減倦んでくる。ついつい紹興酒を呑み過ぎてひさびさに酩酊、なんとか電車を乗り過ごさずに家にたどり着く。

●3月24日
震災の影響は、遠く離れた我々の仕事にも影を指し始めている。この日、かかわっているフリーペーパーの広告タイアップの仕事がキャンセルになる。その広告主対応含めIG社のNG氏、ライターKR氏らと打ち合わせ後、会社の近所のイタリアン居酒屋『ピアンタ』で食事。解散後『明治屋2nd』を覗くと台湾茶の輸入をしている帰化日本人のTD嬢が来ていたので、地震発生以来の台湾の人々による心温まる支援に対してお礼を言う。思えば9.21台湾大地震の際に、台北で日本の救援隊到着のニュースに台湾人と手を取り合って喜んだことが昨日のことのようだ。台湾との絆の強さを改めて実感する。

●3月25日
T出版O社長、デザイナーのAK氏とともに近所の中華料理『東方園』で食事。O社長も気分的な問題で本の売れ行きも今後はかばかしくないかもしれないと諦め顔だ。出版界もことさら危機を煽るような本以外の軟派なものは確かに売りにくいだろう。ただでさえ落ち込んでいる現状に震災不況が到来するのか、と節電中の暗いビル内で余計気分はすぐれず。

●3月28日
仕事の打ち合わせで久しぶりに曙橋のデザイン事務所MM社に立ち寄るとOG社長、デザイナーのNZ嬢、YM嬢らと荒木町のフレンチビストロ『りんごの絆』へ食事に誘われる。スタート時間も遅かったのだがワインを飲み比べているうちにあっという間に終電タイム。走って終電車に飛び乗る。

●3月29日
フジテレビの広報社内誌の会議で再びお台場本社へ。やはり震災報道が話題の中心になる。会議後は親睦をかねての食事会ということでフジのスタッフの皆さんと銀座へ移動。日航ホテル地下のしゃぶしゃぶ屋『銀座羅豚本店』へ。時節柄銀座も客が不入りと聞いていたが、それこそ時節柄の歓送迎会で結構混んでいる。こうして銀座で喧騒の中にいると震災はどこか遠い国のことのように感じてしまう。解散後SZ嬢、KJ氏とコリドー街のワインバー『STOCK』で軽く二次会。

●4月2日
写真取材で一日皇居周辺を歩く。千鳥が淵の桜もまだ5分咲きといったところ。早く終わったので久々に新宿に出てイ・ジェハン監督の映画『戦火の中へ』を観賞。朝鮮戦争の学徒兵を描いた話だが、なんだかアクション映画ののりの過剰な演出に鼻白む。終了後、二丁目の『T's Bar』に立ち寄るとK社グループEB社のST氏と遭遇、かつて在籍していたK社話題でしばし歓談。

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