2010年8月30日月曜日
週間呑みアルキスト8.9~8.29
●8月9日
お取り寄せサイトを主宰するSM氏を、会社の隣のBAR『明治屋2nd』に紹介する。SM氏のサイトで扱う農産物をお店で調理してもらいサイトアップするという企画でマスターご夫妻の快諾を得る。普段ならこのまま呑みに入るのだろうが、SM氏はビールコップ半分呑んで救急車で搬送されたという超がつく下戸。ウーロン茶をちびりちびり呑んでいたが、腰に不安の真性オッサンを自認するSM氏だけに30分もしないうちにギブアップ。立ち飲みでも全然苦にならない自分を鑑みるに、2歳しか差がないのにまだまだ若いと思うべきだろう。
●8月13日
先日立ち寄って8月15日いっぱいの閉店を知らされた荒木町の居酒屋『ひらた』。これが最後のチャンスということで再度挨拶がてら顔を出すことに。もちろんお盆時期ということで客足は少ないのだろうと思ったが荒木町の飲み屋街はゴーストタウンのように人通りもなく、開けている店もどこも開店休業の様子だ。10年も前はこのあたりはしょっちゅう出没していたがあの頃は金曜日ともなると酔客がそぞろ歩いていた。そういえば杉大門通りにあった元日活女優の中川梨絵さんのお店『来会楽』も1年ほど前に武蔵小山に移転していったと聞いた。『ひらた』の女将のICさんも表向きはお店を手伝うお母様がケガされたのと子供さんが受験なので、ということを店じまいの理由にされていたが、界隈の寂びれ加減を見るに時の流れということもあったのだろうか。ICさんは元いた出版社で席を並べたこともあり、その節は総務経理でいろいろ世話になった。結婚後会社を辞められ一念発起して“趣味と実益を兼ねた?”お店を開いてから15年。あまり常連とはいかなかったがたまにお店を覗くと歓待してくれたし、元社員だったひとたちと旧交を温めることもあり、いざ閉店となるとさびしい限りである。この日は、さすがに常連さんたちで大賑わいだったので一杯飲んだだけで辞去したが、本当に長い間お疲れ様でした。
●8月17日
サッカー少年の親のための雑誌『FOOTBALL KALTE』誌の発行人のYD氏が来社。駄文を書かせていただいた掲載誌とともに次号の企画の相談。近所の『イタリアン居酒屋ピアンタ』で打ち合わせかたがた軽呑み。雑誌のほうも小部数ながらなかなか好評で、JFAからも評価されていて今号は岡野俊一郎氏、次号には山本昌邦氏とサッカー界のビッグネームが取材を受けている。聞けば岡田前監督も取材予定というから大したものだ。YD氏も何とかこの雑誌を続けていきたいと苦労を重ねている。呑みながらも取材で日焼けしたYD氏の熱弁でサッカーに寄せる思いが伝わってくるようだ。ほぼあきらめていた原稿料もいただけるそうなのでこちらも気合を入れ直さねば。
●8月19日
企業広告の取材のため大手食品会社の本社がある神戸へ出張。もちろん予算の関係や入稿の関係上日帰りである。午後2時からの取材ということで新幹線の到着時間から昼食の時間がわずかしかとれないので、同行の代理店の人たちとこのまま取材に入って終わってゆっくり食事しましょうと提案。腹を減らしたまま早々に取材を済ませると、お目当ての元町の台湾料理屋『丸玉食堂』へまだ陽が高いうちから飛び込む。神戸震災で古い店は軒並み無くなるか姿を変えたが、JRのガード下に位置するこの店は震災を生き延びて、昭和どっぷりの白タイル貼りのレトロなたたずまいがいまだ健在である。メニューはないのでいちいち表のガラスケースに飾られたイミテーションの見本を観に行くのが難儀だがうれしくもある。同行者が皆、内臓系が苦手ということで湯葉春巻や酢豚といったおとなしいものばかりの注文になったが、それでも皆美味かった。ここはかつて泉麻人、故渡辺和博という凄い顔合わせで入ったことがあったが、みんなで感動した覚えがある。渡辺さんの子供のような笑顔を思い出しながら10数年ぶりのセンチメンタルジャーニーとあいなった。
●8月20日
『FOOTBALL KALTE』誌の取材で、かつて読売クラブの創成期にユースでプレーし現在は会計事務所を経営しJリーガーの税金対策の相談に乗っているSR氏の話を聞く。SR氏は会計士になる前は中学校の教員でサッカーを教えていたこともあり、学校が荒れていた時代に熱血教師としてツッパリどもと渡り合っていた経歴を持つ。そのひとつひとつのエピソードが漫画になりそうな面白さでついつい話に引き込まれてしまった。YD編集人とともに取材後、神保町のビアホール『ランチョン』で軽く食事しながらオフレコ話に盛り上がる。夜は『明治屋2nd』でお願いしていた料理が上がったということで、お取り寄せサイトのSM氏とその仕上がりぶりを試しに行く。下戸のSM氏もできあがったニョッキとアジア風チキンサラダの大皿料理をパクついていたく満足。新鮮素材が街の巨匠でみちがえるというストーリーはおおむねうまくいきそうである。
●8月26日
新宿の編集制作会社WB社の重鎮FJさんと、EB社の若社長ONさんにお呼ばれし彼らのホームタウンの新宿5丁目の小料理屋『酔郷』に馳せ参じる。皆さんとは電子出版にむけて何ができるかここのところ話し合ってきたが、この日も喧々諤々。恥ずかしながら知識的にちょっとついて行ききれない部分が多いのでこちらはお店で早出してくれたもつ鍋をふうふうやりながら食いに専念。暑さの中の鍋も良きものでした。あまり建設的な事しゃべれないですみましぇん。
●8月27日
帰りがけ『明治屋2nd』で一杯ひっかかっていると、団体11名が大挙入店したので邪魔にならぬように早々と退散。時間も早いのでさらに帰り道の新宿2丁目『T's Bar』に寄り道。こちらも1杯引っかけて早めに撤収。
●8月29日
最近妹が住みだした石神井の実家にイラストレーターのKDさんが部屋の片づけの助っ人で登場。彼女がおみやで持ってきたという「かつおのたたき」に魅かれてつまみ持参で夕食に飛び入り参加。秋の戻り鰹は旬ということでいまだ猛暑はさらぬものの、いち早く秋の味覚に舌鼓を打つ。ごちそうさまでした。
2010年8月23日月曜日
産直グルメで酒も美味し
以前勤めていた会社の先輩で同じ早期退職組のSMさん主宰の産直お取り寄せサイトのお手伝いで、最近いろいろなところでサイトで扱っている福島県南会津の「室井農園」自慢のパプリカの宣伝に努めている。室井農園は福島県下で農業に携わる青年農園主たちで組織している『農やっぺ会』のひとつなのだが、もちろんサイトでは他の農園の作物も扱っている。自身、試しに取り寄せて試食しているが紫、白と一風変わったカラフルなパプリカはもちろん、フルーツトマトの「愛子ちゃん」や七色の茎が美しい西洋ホウレンソウの「スイスチャ―ド」などの夏野菜の数々本当にみずみずしく美味しい。ツユ時の集中豪雨で収穫は遅れ気味なのだが、その分猛暑で逆にトマトや果物は良い出来なのだそうだ、暑いのも悪いことばかりじゃないんだと変な関心をしてしまう。
そのサイトの企画打ち合わせで、たまたまプロのレストランのメニューに使ってもらったらどうだろうかという提案があって、さっそく会社の隣で社員バーのように使っている神保町の立ち飲みバー『明治屋2nd』にその話を持ち込んでみた。
呑みアルキスト日記でもよく書いているのだが、ここのバーはイベリコ豚やパルマ産の生ハムだけではなく実は美人ママさんのお手製の大皿惣菜が絶品で、それがためかいつも繁盛している店である。話をするともちろん食材提供に異論があるわけでもなく快諾してくれた。実際自分で酒のアテにしようと思っても炒めたり、サラダにしたりしかできないので、こちらも興味津津でママさんにメニューを考えてもらうことに相成った次第である。
そして先週末、4色のパプリカ、スイスチャ―ド、ホウレンソウ、バジル、バクチー、愛子ちゃんを使ったニョッキとチキンの冷製サラダが完成!第一弾のメニューにしていただいた。
でっ、さっそく食したのだが、う、うまいっす! やっぱり料理したもので金取るだけのことはある。いつもは酒ばっかり飲んでいるが、この日ばかりはもっぱら食いに専念してしまった。ビールも良いがやっぱりワインが…と酒もすすむ。こりゃ、店も一石二鳥だろうが。同行したSMさんは全くの下戸なのでジンジャーエールをちびちび嘗めながら美味い美味いと感激のていでパクついている。
ママさんも、実家でもいろいろ試してもらっていたようで、大振りのパプリカの肉詰めや、スイスチャードの肉ロール巻なども作ってみたとのこと。仕込みに時間がかかるのでお店に登場するにはちょっとどうかなということでしたが、まあ他にも考えてくれるとのことなので期待して待つことにしよう。
お店で食べるのもヨシなのだが、『農やっぺ会』に集まる農園の野菜や果物が、これからも季節に応じてどんどん登場するようなので、秋を迎えるにあたってちょっとした取り寄せプチグルメにハマりそうである。
SMさん、これからも美味いもの厳選でお願いしまっせ。
http://www.otoriyose47.net/
2010年8月12日木曜日
最近のお気に入り
最近CDストックの中から引っ張り出してきてヘビーローテで聴いてる1枚。
1983年ブロードウェイのセント・ジェイムズシアター初演『MY ONE AND ONLY』のオリジナルスコア。
時はローリングトウェンティ、大西洋単独横断飛行を狙う飛行士が主人公のロマンチックコメディで、ガーシュインの名曲の数々に乗せてトミー・テューン、ツイッギ―が歌い踊り、トニー賞3部門に輝いたミュージカルの名作だ。元々は1927年のフレッド・アステアが姉のアデルと共演した舞台『FUNNY FACE』のリメイクだとか。
85年に日本公演があって、ツイッギーは残念ながら来れなかったが、テューンと『ピーターパン』のサンディ・ダンカンが代役で熱演、素晴らしい舞台に魅了されたのをつい昨日のように覚えてる。
その後、ニューヨークのウォルドルフ・アストリアホテルのピアノバーで、主題曲をリクエストした思い出や日本公演をともに観に行った女性の思い出も併せて、聴くたびに感傷的になってしまうんだよなあ。
8年前にウェストエンドでも再演されたみたいだが、またやらないかなあ。
そういえばレネ・ゼルウィッガー主演で去年の夏に公開された同名の映画、内容は全く別モノだが50年代初頭の古き良きアメリカが舞台ということで日本公開を楽しみにしているんだが、なかなか配給の話が聞こえてこない。こちらも心待ちにしているんだけど。
2010年8月10日火曜日
週間呑みアルキスト7.19~8.8
暑い日が続くと、のどの渇きをいやすために冷たいビールを。
というのが酒呑みの盛夏の行動パターンではあるが、こう暑いともう出歩くのすら億劫になる。
ましてや休日は名にしおう猛暑の練馬在住とあってはついつい引きこもってしまい、呑みアルキストたる矜持はないのかと自責の念にかられてしまうが、その代わり今まではあまりやらなかった“家呑み”がここのところめっきり多くなった。
きっかけはワールドカップの自宅観戦の日々。自宅近所の西友で仕入れる廉価にして高レベルのワインに味をしめ、これにちょっと高級なチーズや、ソーセージなどをアテに呑みだすともうアキマヘン、結果ワインの空き瓶がずらりと並び“アルキ”しない分だけどんどん体重も増えメタボが加速してしまう。
そんなわけで、呑みアルキ日記の更新も滞りがちな今日この頃ではあります。反省。
●7月20日
最近暇を持て余しているのか元KS社のKJ氏がちょくちょく呑みに現れるようになった。なにせ金に糸目をつけないおぼっちゃまくんなので奢ってくれたりするのはありがたいのだが、いかんせんツマミは食わん、酒量はとどまるところを知らない、ということでなかなか付き合うのも大変ではある。この日は神保町の蕎麦屋『静邨』で板わさや冷奴つまみで始まったのだが、KJ氏のペースで呑み進むうち冷たい蕎麦で〆る頃にはすっかり酔っ払ってしまう。まあ敵はタクシーですっと帰るからいいが、こっちは千鳥足で終電帰宅。このハンデはでかいぞ。
●7月23日
新宿で所用を済ませ『T's Bar』に立ち寄る。心なしか新宿三丁目界隈は人通りも多く新しい立ち飲みスタイルのBarなども会社帰りの人たちでにぎわっていた。世の中的には少しは景気が回復したのか?なにやら緊縮疲れで財布のひもも若干緩みだしたというような報道記事も見かけるようになったが、こっちの懐具合は相変わらず緩みようにも中に入っている銭もなし。
●7月24日
西武線沿線組の元K誌のKN編集長から久しぶりに地元呑みのお誘いを受け、KN氏推奨のひばりが丘の人気店『吉之助』なる和風ダイニングバーへ。元酒屋だったというご主人が“一般的に呑み屋の日本酒の値付けが高すぎる”という信念もあってリーズナブルで全国の地酒が味わえるそうである。それではとメニューに載っている珍しい冷酒を順番に試していく。肴もなかなか手が込んでいて予約がすぐいっぱいになるのもうなづける。あっという間に10銘柄ほど呑むとすっかりほろ酔い加減に。2軒目はかつてライブでビートルズのコピーバンドが入っていたというKN氏の記憶を頼りに北口の雑居ビルにある『Capi』というBARへ。ところがこの日は、というかしばらくライブはお休みとのこと。早々に南口の隠れ家的BAR『BLOWNY STONE』へ移動し終電間際まで粘る。
●7月28日
ワールドカップを挟んで再開したJリーグ。日本代表の活躍ぶりの記憶もあってか結構観客も増えつつあるようだ。この日はFC東京が国立競技場でジュビロ磐田を相手に主催ゲームを行うということで、FC東京の営業担当から入場料1000円(ビール一杯付)の販促用チケットをゲットし、サッカー仲間のHT氏を誘いビヤガーデン気分でナイトゲームへ向かう。FC東京の集客キャンペーンの甲斐あって国立のバックスタンドはほぼ満員という盛況ぶりだったが試合は凡戦。せっかくつめかけたお客さんもこんな試合をしていたら次は来ないんじゃなかろうか。試合後は四谷三丁目まで歩き、K社勤務時代の同僚女性が女将をつとめる居酒屋『ひらた』に久しぶりに顔を出す。後日、女将のICさんからメールが届き終戦記念日ということもないのだろうが8月15日で店じまいするというお知らせが届いた。虫の知らせだったのか、終戦までにまた行かねばなるまい。
●8月5日
暇こいているKJ氏が再び来社。蕎麦好きのKJ氏なのでちょっと目先を変えて九段の名店『一茶庵』まで行くが、運悪くこの日は貸し切りの予約でアウト。そのまま近所の『満留賀』に場所を変える。こちらは極めて大衆的な街中蕎麦屋だが、意外やつまみ系が充実していて呑むには申し分なし。珍しく早めに切り上げたKJ氏だったが2軒目の『明治屋2nd』で粘られてしまう。結果終電帰宅で乗り過ごし東上線成増からタクシーで帰る羽目に。
●8月6日
編集制作会社数社による勉強会に参加した後、懇親会に参加。場所は荒木町のスペインバル『CARINO』。自家製の生ハムが滅茶ウマの店だ。お任せで出してもらったタパスもどれも美味しかった。かつてフランス映画社勤務のHK氏や東大仏文で映研だったNR氏の参加ということもあったのだが、フランス映画話で盛り上がり久々楽しい食事会。
2010年8月9日月曜日
8月に思う
6日は広島、今日9日は長崎の平和祈念式典。
週末からテレビでもNHKを中心に原爆関連、戦争関連の多くの番組が放送された。
今年は65周年ということもあり、またNHKもBS,BS-hiとチャンネルも増えたせいか例年に増して気合の入った“夏ジャーナリズム”特別編成のように思う。どの番組もテーマは多岐にわたるが、もはや風化しつつある戦争の記憶を掘り起こし、平和の尊さを訴える力作ばかりであった。
自分が初めて広島を取材したのは1983年。当時働いていたテレビ雑誌の特集記事のため38年目の広島を訪ね、現地で原爆の実相を伝えるために寝食を忘れてドキュメンタリー制作に従事するテレビマンたちの仕事ぶりを伝える旅だった。その前年に山口放送が制作し後世に残る衝撃的な番組となった「聞こえるよ、母さんの声が~原爆の子百合子」のプロデューサーだった磯野恭子さん(現岩国市教育長)を取材する機会があったのが発端だった。ヒロシマを報道し続けることへの火が出るような執念に接し深く感銘を受けたことから、一般商業誌では地味で重いテーマではあったが、現地で戦うテレビ制作者たちを読者に紹介することがせめてもの自分に課せられた責務ではないかと思い、立っての希望でなんとか編集会議でページを作ってもらったのであった。
この「38年目のヒロシマを歩く」と題された4Pにわたる特集記事は、自ら爆心地を歩き、資料館を訪ね、殉職した職員の碑が局舎の柱になっていたNHK広島放送局、そして広島テレビの平和公園の取材現場でスタッフたちと行動をともにした貴重な経験を、まだ若くつたなかったがわれながら精いっぱい書いたつもりであった。
発売直後、中国放送の若いディレクターから“なんでうちらのことを取材してくれなかったのか”と猛烈な抗議が来て、電話をはさんで何時間も討論するという思わぬ副産物もあった。雑誌の販売上、全国編成の番組に限らせてもらったことを謝罪すると先方もキー局の編成制作の無理解を嘆き、テレビジャーナリズムの成果と限界を時間を忘れて語りあったのを昨日のように覚えている。
そんな反響もあってか、思えばいわばこの特集記事がまだ若かった自分のジャーナリズムの末席を汚す仕事の原点であったのではないだろうか、そんな思いで今でもこの時期が来るとボロボロになった掲載号を引っ張り出してきてページをめくってみるのである。
記事を読むと当時すでに戦争体験の風化を危ぶんでいるが、あれからまた27年もの歳月がたってしまった。
記憶の風化どころか、生存者自体が例年少なくなっていく現実に慄然とする。
27年前の8月にお会いした人々は、その後どういう人生を歩んでおられるのだろうか?いまなお、原爆の悲劇を今に伝える戦いを続けておられるのだろうか?あの、電話で食ってかかってきたディレクターもいまだに制作に編成に苦闘しているのだろうか?
週末からテレビを見ながらあの夏会った人たちの顔をひとりひとり思い浮かべている。
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