2009年10月28日水曜日

呑みアルキストの朝アルキ


最近はよっぽどの雨や直行の仕事がない限り神保町のオフィスに通う際、ひとつ前駅から歩くことを心がけている。
もちろん、メタボ対策用ということで日頃の運動不足を補うのが主目的なのだが、神保町駅への乗継ぎで使う都営地下鉄を使わなくても済むので往復にしてみれば340円が浮くことになる。たかが一区間分だがひと月換算約10000円弱の交通費が軽減されるのは意外と大きい。健康と節約、まさに一石二鳥である。

路線的には地下鉄の有楽町線・飯田橋駅からかもしくは市ヶ谷駅からか、丸ノ内線だったら後楽園から約20分ほどのウォーキングである。夏の間は汗だくになるので、ともすれば挫折する日も結構あったのだが、秋の気配を感じるあたりから身体も慣れてすごく心地よく感じるようになった。

ルートはたまたま乗った電車やその日の気分にもよるのだが、飯田橋からは東口の再開発で整備された、かつては殺風景だった旧飯田町貨物駅跡を抜ける。「平川の径」のあたりは人工的だがなかなか緑も多く、幾分きれいになった神田川の川っぺりの風にあたりながら歩くのも気分がいい。市ヶ谷からだったら靖国神社の境内を玉砂利を踏みながら抜けていく。九段上あたりには古い商店なんかも残っていて意外な発見もあるのだ。

後楽園からは東京ドームの周囲を半周し水道橋駅に出るのことになるのだが、野球博物館やスタジアムグッズのスーベニアショップを冷やかし、アディダスショップの原監督の等身大フィギュア(?)に悪態つくのも気分が晴れていい。夜はドームホテルの周辺がきれいにライトアップされて噴水に光が踊り出すとついついこちらの心も躍る。
いつもは後楽園駅からライトスタンド側を左回りに一塁側を通って正面ゲート方向、黄色いビルのほうに歩いていくのだが、今日はたまたま逆回りのセンター方向から三塁側方向へ半周してみた。ちょうどドームの裏側でなんだか殺風景な感じがしていたのでこれまでこちらのほうから歩いたことがなかったのだが、じつは小石川後楽園に隣接していて園内の様子も少しだけ覗けるのにびっくり。深い木々が秋の日差しに揺れ、一部は紅く色づきだしていて、秋晴れの午前中、実に気分良く歩くことができた。今度は道草して園内を散策してみるか。

来月は1年ぶりの定期健康診断。昨年はメタボ治療の必要性をさんざっぱら諭されていささかへこんだが。今年は少しは運動の効果があがったのではないかと内心秘かに思っているのだが、鏡の前に立ってみるとあまり見た目にはさしたる変化は…。

2009年10月24日土曜日

伝説の役者と亜細亜の新星


週末の金土と立て続けで、東京国際映画祭に出向いてきた。
今回3本目となる作品は、故松田優作の“最初で最後の”公式ドキュメンタリー『SOUL RED 松田優作』(御法川修監督)。いまや伝説と化してしまった優作のフィルモグラフィーのなかから語り草となっているような名場面をふんだんに挿入しながら、彼のスピリットを継ぐ役者たち、過去の共演者、監督、脚本家らゆかりの人、そして優作の生き方を継承することになった二人の遺児のインタビューを織り込みながら優作の軌跡を追っていく構成。
実は今年は松田優作の生誕60年没後20年に当たるそうだ。もうそんなに時間がたってしまったんだと、色あせない彼の演技を見ながらあらためて時の流れの速さを実感する。直接、会ったことはなかったが、80年代に仕事上、彼の作品の数々に接してきただけに自分史と重ね合わせてみることができた。特に担当局だった日本テレビの『探偵物語』の映像に懐かしさで胸が熱くなる。
上映前の会見で、未亡人でもありこの映画のエグゼクティブプロデューサーでもある松田美由紀さんが、構想から9年間、突き動かされるようにこの映画の実現に傾注できたことに“宗教上だけでなく、生きてる人間にも神のような人がいるんだ”としみじみ語っていたのが印象的だった。
11月5日より新宿ピカデリー、6日より丸の内ピカデリーにて公開。



明けて土曜の朝一番から観たのは4本目となる台湾映画『陽陽(ヤンヤン)』(鄭有傑監督)。例年作品選びの中心となる「アジアの風」だが、今年観れたのはこの作品のみ。主人公ヤンヤンを演ずる主演の台仏ハーフの張榕容(サンドリーナ・ピンナ)のほろ苦い青春模様を描いたものだが、彼女の愛らしい笑顔の陰には妖艶な魔性が見え隠れし実に魅力的な女優さんである。手持ちのカメラ中心に揺れる画像と逆光を差し込んだカメラワークが中心で観ていてちょっと疲れてしまうが、逆に彼女のナイーブな心の動きが効果的に表現されている。鄭有傑監督は『シーディンの夏』『一年の初め』に続いて東京国際映画祭出品は3度目。今回の作品は巨匠・李安(アン・リー)の若手助成プログラムの作品でもあるが、撮影、音響に独特の才を見せる鄭監督だけに巨匠のお眼鏡にかなったのもよくわかる。
サンドリーナの魅力炸裂の作品ではあるが、個人的には彼女の義理の姉妹で恋人を取り合うことになるシャオ・ルー役の新人・何思慧もちょっと推したいところだ。二人は揃って今年の台湾のアカデミー賞・金馬奨の主演女優賞、新人賞にノミネートされている。
台湾映画というと、候孝賢や楊徳昌、蔡明亮という名がすぐ浮かぶが、若い才能も続々輩出している。いまいちメジャーになれない東京国際映画祭ではあるが、鄭有傑のようなアジアの若き映画人の作品が観られることにおいては個人的には捨てがたいイベントである。

2009年10月22日木曜日

フットボールというファンタジー


東京国際映画祭、2本目は『麦の穂をゆらす風』で前々回のカンヌ映画祭パルムドールを受賞したケン・ローチ監督の新作『エリックを探して』(2009)。昨日の『カティンの森』とうって変わってハートウォームコメディである。
『麦の穂をゆらす風』ではアイルランド独立闘争の悲劇を描きワイダに劣らぬ硬派な作品を撮ってきたローチではあるが、前作の『この自由の世界で』に見られるように実はユーモアあふれる作品にも手腕を発揮しているのだ。しかしそこは左翼を自認する巨匠ゆえ、どの作品にも共通して社会風刺のエッセンスをピリリと利かせている。描くのは労働者階級だったり移民だったり、つねに社会的弱者に立ち位置を合わせているのがローチの真骨頂といえる。

『エリックを探して』のエリックとは90年代のマンチェスター・ユナイテッドでキングと称されたフランス代表選手エリック・カントナのことであり、カントナ自ら準主演をつとめている。
ケン・ローチの作品としては他にもグラスゴー・セルチックのサポーターたちを主人公としたやはりハートウォームなロード―ムービーの『明日へのチケット』があるので、ローチ本人も相当なフットボールファンなのだろう。現役当時のカントナの華麗な映像も随所に登場したり、パブでのサポーター同士の会話の中にも巨額な資本が流入する昨今のプレミアリーグの問題にも批判的な台詞が飛び交ったり、監督のフットボールマニアぶりがいかんなく発揮されていて、とくにサッカーファンは楽しめること請け合いである。

とはいっても話はサッカーのことだけではない。うまくいかない夫婦関係、子どもたちとの断絶とそこに浸み込んでくる犯罪の罠、英国の工業地帯マンチェスターを舞台にした今日的な問題も巧みに取り入れられている。何につけても冴えない自信を喪失している中年の主人公にとってカントナは憧れのヒーローだが、ある日突如妄想の中に本人が現れる。主人公が直面する様々な悩みや難題にカントナは“パスを通すように”アドバイスを与えていくのだ。
ウッディ・アレンの『ボギー!俺も男だ』にちょっぴり似たシチュエーションだが、このエリック・カントナは実に人間的なのである。アドバイスを与えている端からマリファナをちゃっかり拝借したり、ともに腹を突き出しトレーニングに出たりする。アドバイスが裏目に出ることもあるが“戦術を変えろ”と心もとないことも言う。カントナ本人は引退後すでに俳優として数本のキャリアを積んでいて、なかなかどうして堂々たる演技者ぶりである。ちなみに好きな映画監督はパゾリーニだそうで、けっこう映画オタクでもあるようだ。

結局カントナのアドバイスによって主人公は一番大事なものが何かに気づいていく。
犯罪に巻き込まれそうになる子どもたちの危機に対し、奇想天外なアイデアで敢然と立ち向かうラストに笑いとともに勇気と感動を与えられ、思わず拍手したくなった。
また、主人公の職場の仲間たち、パブにたむろするユナイテッド親父たちが実に良い。本当に彼らとビールを酌み交わしながら中継を一緒に楽しみたいと思ってしまう。

なんといってもこの作品の出資構成をみると英国はじめ、フランス、スペイン、イタリア、ベルギーの合作ということだからフットボールこそわが人生と心得る各国の観客には、大人のファンタジーとして支持されるのもうなずける。いまだにこの作品の日本での公開予定はないそうだが、この辺でフットボールの文化尺度がわかろうというものだ。ワールドカップベスト4を目指すなら、この映画をチーム全員で観るべしと岡ちゃんには言っておきたい。

2009年10月21日水曜日

森で何が起こったのか?


開幕中の東京国際映画祭。今年は観たい映画と観れる時間のやりくりの中、チケット入手がなかなかうまくいかずに4作品のみの予定。昨日はその1本目、といっても提携企画の東京国際女性映画際のエントリーなのだがアンジェイ・ワイダ監督の問題作『カティンの森』(2007ポーランド作品)を観てきた。

『カティンの森』に関しては一昨年、NHKスペシャルでもワイダ監督のドキュメンタリーが放送され、彼がポーランド最大の政治的タブーだったカティンの森虐殺事件に挑んでいることはすでに話題となっていたし、完成当初からポーランド大使館に縁ある友人からポーランド国内用プレスリリースとかも入手していて、作品の持つテーマとかアウトラインはずっと把握していた。しかしそれから日本公開はずいぶん待たされ、やっと今年の年末、アルバトロス配給で岩波ホールでの公開が決まった。昨日が一般向けには本邦初上映となるとのことで、勇んで東京写真美術館ホールに出向いたのである。

上映前に駐日ポーランド大使の挨拶の後、戦後『地下水道』『灰とダイヤモンド』でポーランド派を形成した巨匠から、自らそのポーランド派を止揚する作品としたいというメッセージを主宰の高野悦子さんによって代読された。

カティンの森虐殺事件とは第2次大戦下、ソ連によって引き起こされた2万5千人にも上るポーランド国内軍将校、警備隊員、警察官、民間人捕虜の虐殺事件である。1939年ナチス・ドイツのポーランド侵攻と同時に、ナチと不可侵条約を締結したソ連が東から同様に侵略を開始し、ポーランドは瞬く間に両国によって蹂躙されてしまう。降伏後大量の捕虜となったポーランド軍人はソ連軍によって強制収容所に連行され、1940年、スモレンスク郊外のカティンの森林でスターリンの命により裁判もなしに片っ端から銃殺されてしまう。独ソ戦開始後の41年になってドイツ軍はこの凄惨な現場を発見、共産主義者の非道さを世界にプロパガンダ展開する絶好の題材にとりあげるのだが、ドイツ敗戦後、ポーランドを支配するソ連はこの事件をナチの陰謀にすり替え逆にプロパガンダ戦を展開するのである。1980年代にソ連の政治支配が終了するまでポーランド国内では誰の仕業なのか明らかだったのにもかかわらず、その真相を語ることは固く禁じられ、そのタブーを犯すものには過酷な弾圧が強いられてきたのであった。ワイダ監督の実父もこの虐殺の犠牲となっていて、彼自身が事件の当事者でもある。

映画上映中、息をのむような衝撃を何度も与えられた。老境を迎えた巨匠の映像表現やテクニックという以前にそのテーマ性だけで圧倒されてしまう。そこには『灰とダイヤモンド』で観られるような悲劇的なヒロイズムやロマンチシズムは微塵も感じられない。虐殺の犠牲者たち、そして生き残ったもの、家族たちの呻吟と祈りが聴こえて来るのみである。特に印象に残ったのは、家族たちに待ち受けていたその後の運命。単に嘘を嘘ということ、真実を語ることこそ最大の敵対行為として、二重に加えられた弾圧であった。留守を預かっていた母たち、妻たち、兄妹たちの視線から語られる悲劇、それゆえにこの映画が女性映画祭にエントリーされた理由もよく理解できる。

スターリニズムの残虐さや犯罪性を告発するといってしまえば簡単なのかもしれないが、冒頭の象徴的なシーンで、負傷者が収容された教会に愛する夫を探しにきた妻が、夫のと思しきコートをめくるとそこには祭壇からはぎ落とされたキリスト像が現れる。あたかも人間の持つ業の深さ、人類が犯した救いようのないおろかさを告発しているかのようである。『灰とダイヤモンド』で瓦礫の教会に残された逆さに磔になってしまったキリスト像のシーンを思わず想起させられる。その意味で監督自ら最後というポーランド派の作品の連続性がここまで変わらず表現されてきていることにも深い感銘を受ける。

ラストは目を覆いたくなるような真相が淡々と映され続けていく。続いていた銃声が消え、頭部を打ち抜かれた後意識が消えるかのように突然場面は暗転して、ドラマは終わる。観終わった後、本当に重い気分で会場を後にした。

感想を語りだしたらきりがないし、語るべき言葉も出てこない。ただただアンジェイ・ワイダの生涯をかけた執念と民族の矜持に対して無条件に敬意を表したい。

12月5日より、岩波ホールにて公開。

2009年10月20日火曜日

週間呑みアルキスト10.5~10.18


●10月6日
会社で亀田兄弟の次男坊・大毅の世界タイトル戦をテレビ観戦。試合開始までの間『明治屋2nd』で軽呑みしながら待っていたら、ボクシングファンのマスターがビデオ録画を帰宅後に楽しみにしているので、もし試合が終わって立ち寄るようだったら絶対に結果を教えないでと懇願される。そういわれればいじりたくなるのが人情というもの。試合後さっそく再び店を訪れると思わせぶりに試合談義を開始。結果を言うなという反面、結果を知りたくて知りたくて仕方がないマスターをさんざっぱらいたぶる。われながら意地が悪いが、亀田も負けたしビールが美味い。

●10月8日
日本代表の試合では珍しくアジアカップ予選の香港戦の中継がBSでしか放送しない。会社のテレビはBSがないので向かいのakiさんの事務所SB社に観る事ができるか問い合わせると、SB社もBSのアンテナがないとのこと。そこでakiさんとともに確実にBSが映りしかも大型テレビのあるT出版のO社長に頼むと人間ドックを控えているためもあって“糖質ゼロのビール持参”という条件で押しかけることに。テレビをよその家に観にいくなんて「三丁目の夕日」じゃねえてーの。試合は香港相手にゴールラッシュ、こちらは糖質たっぷりのビールがぶ飲みでメートルも上がりっぱなし。

●10月9日
仕事後、『明治屋2nd』に立ち寄ると、KS社の広告部のST部長と女性部員のIKさんがやってくる。きけばIKさんがST部長からこの店に私がよく出没していることを聞いて連れて行ってほしいと頼んだとかで、そうは言っても本当に会えるとは思っていなかったと大喜び。IKさんは昔、職場をともにしていたことがあったが会合以外で個人的に呑むのは初めて。会社の昔話や業界の噂話などいろいろと面白い話も聞けて楽しい時間をすごす。

●10月10日
最近サッカーにも興味を持ち出した『明治屋2nd』のご夫婦を連れて横浜日産スタジアムにスコットランド戦を観にいく。お二人は代表戦生観戦は初めて。試合自体は相手のメンバーの問題もあっていまひとつだったが話題の森本、本田に加えごひいきのFC東京の石川も活躍しすっかり満足された様子。現地で合流した友人のHT氏とともに試合が終わったあとに決まって立ち寄る新横浜の焼き鳥屋『もへじ』へご案内。

●10月12日
前週に西武池袋線・秋津にて沿線呑みをしたKN氏から連休中暇なのでと再戦のお誘い。今回はKN氏のおともだちの広告代理店J社のKS氏も合流。前回見当をつけていたシブい店は残念ながらお休み。さすがに居酒屋街とはいえ休日は閉まっているところも多い。民芸調の店の構えから『北条』という居酒屋に入ってみるがごく普通のお店であまり面白くない。仕方がないので前回行って感激した『立ち飲みスタジアム なべちゃん』を再訪。さらにやっぱり前回と同じコースでひばりが丘まで戻って隠れ家的バー『BlarneyStone』で〆る。

●10月14日
日本代表3連戦の最後を飾るトーゴ戦は地上波の中継もあったのだが、せっかくの慣例を変えることもないだろうとakiさんに編集者ON氏を加え3人で再びT出版に糖分カットのビールを手土産にあがりこむ。相手が2軍だったこともあって再び大勝。縁起がいいので毎回ここで観ることにするか。O社長ごめんなさい、以後よろしくね。

●10月15日
成田発夕方便で台北へ向かう。17日に開催されるTaipeiWalker誌の10周年記念のイベントとパーティーへ参加するためである。夕方最終便なので現地に着いたのが夜10時近く。ホテル入りは11時を超えていたが早速、クラブ街の林森北路にあるごひいきのお店『麻美』へ直行。こんな遅い時間でも麻美ママさんは本当に来店を喜んでくれる。客はもう私しかいないので店を閉め貸切り状態にしてくれ深夜2時過ぎまでカラオケで大騒ぎ。

●10月16日
寝不足気味の目をこすりながらTaipeiWalker編集部にて明日のフリマのイベントについての打ち合わせ。午後に今回イベントのお手伝いということで日本からアシスタントで来てくれたIM嬢とST嬢をホテルに迎えに行き、台湾初体験のお二人のガイドをつとめる。江浙料理の『秀蘭小吃永康街店』で夕食後、夜市や茶藝館を観光し、台湾レトロの装飾が異国情緒を誘うバーの『掌櫃』で軽呑み。二人を無事ホテルに届けた後、現地のTK社長、TG氏、香港ブランチのOB氏と合流し林森北路のなじみのクラブ『MARCH』で連夜の放歌高吟。

●10月17日
午前中から東区の市政府近くの駐車場で行われる10周年イベントのフリーマーケットへ。われわれもわざわざ日本からジャンクグッズを持ち込み出店。午後になったら会場は人また人の大盛況で、われらの“お店”も売れ行き好調でうれしい悲鳴。イベント終了後は誠品書店信義店ビルの地下にあるビアホール『金色三麦』にて10周年記念パーティー。創刊のころに苦楽をともにしたOB・OGも多数つめかけ久々の再会に旧交を温める。200人近くの大盛会でTK社長ともども感無量。会終了後はT出版O社長と日本からのゲストのIM嬢、ST嬢と連れ立って台湾小吃の『台南大腩担仔麺』へ。担仔麺と魯肉飯で小腹を満たし台湾ビールで軽く打ち上げ。
あっという間の台湾の3日間はこれにて終了。

2009年10月19日月曜日

悲しくてやりきれない



この限りないむなしさの

救いはないだろうか。

なんでまた…

2009年10月15日木曜日

アルゼンチンよかったねえ


来年のワールドカップ予選もいよいよ大詰め。
敗退の危機にあったマラドーナ監督率いるアルゼンチンはウルグアイに薄氷の勝利、なんとか4位通過を果たした。アルゼンチンのいないワールドカップなんて気の抜けたサイダーみたいなもの、まずはよかったけど、マラドーナで本大会大丈夫なのか??? アルゼンチン国民も気が気じゃないだろうw

今回の予選で姿を消した常連国では、チェコ、クロアチア、スウェーデン、ルーマニア、トルコ、ブルガリア、スコットランド、ベルギー、ノルウェー、エクアドル、コロンビア…。
それに加えて欧州でプレーオフに回ったポルトガル、ウクライナ、ギリシア、スロベニア、ロシア、ボスニア・ヘルツェゴビナ、フランス、アイルランドの8チームの中から半分は落ちる。
アフリカでもセネガル、トーゴ、モロッコの姿は早くもなくなり、ナイジェリア、エジプトも最終戦にすべてをかける瀬戸際にいる。

今回、本大会に出られないこれらのチームを見ると、本当にアジアは大甘だとつくづく思う。
世界で一番早く出場を決めたとかいって、敗退国の2軍と勝って浮かれている場合ではないね。

やらないよりは


日本代表10月の3連戦、ラストゲームは“アフリカの隼”トーゴ代表を相手に5-0の大勝でしめくくった。
この日のトーゴは本来のニックネームとは程遠い代表という名もつけたくないようなチームだった。そりゃそうだろうアデバイヨルがシーズン真っ盛りのプレミア投げ出して親善試合で30時間も飛行機に乗って極東の果てまでやってくるわけがないし、ワールドカップ予選の敗退が決まった直後の脱力状態で14人もよく集めたと逆に思ってしまう。結果は勝とうとする覇気も意欲もない、ピッチに立ってかろうじて試合を続けただけの烏合の選手たちが、なすべくもなく失点を重ねただけのことでしかなかった。長旅の上休むまもなく試合をやらされる選手たちが気の毒ですらある。代表の国際試合を待ち望んでいた仙台のファンには申し訳ないが、トーゴが間に合わなくて地元のベガルタと試合したほうが、よっぽどましだったような気もする。

とはいえ、本来ならあんなに簡単に相手陣のバイタルエリアに攻め込めるわけではないことを割り引いても、岡崎の決定力には希望を持てたし、将来を嘱望される森本の初ゴール(これはセリエAっぽい得点だった!)も産まれたし、新しい選手たちにある程度メドがたった、等等。まあ、やらないよりはやったほうがいい、というくらいなことは言えたのかも知れない。

ホームに完璧なフル代表を迎えるマッチメークの難しさはいうまでもないのだが、同じように代表強化の評価試合を重ねる韓国は、セネガルとW杯出場を決めたデンマーク、アメリカと試合を組んでいることを考えると、やはり日本協会の国際舞台での力のなさを疑ってしまう。“弾丸(ツアー)でいいから遠征したい”という岡田監督のコメントもむべなるかなである。

3試合トータルで13得点0失点。
こんなに点を取って勝ったところで、むなしさだけが残ってしまう3連戦だった。
ワールドカップ本大会まで残された時間を考えると、あまり回り道している余裕はないのはもち論なのだが。

2009年10月11日日曜日

フェノメノ誕生?


秋晴れの連休初日、体育の日は絶好のサッカー日和だった。
この日の日本代表3連戦の2本目はスコットランド代表戦。FIFAランク30位、ワールドカップ本大会出場はかなり難しくなったが欧州の強豪、相手にとって不足はない。と、おもいきや直前になって負傷者続出ということで若手主体のメンバーとなってしまい、あきらかに1軍半の相手である。
日本代表もこのメンバーを見ての起用なのだろう、トップにリーグで好調の前田。トップ下に本田、石川の話題の新戦力を配し、最終ラインにも初キャップの岩政。ゲームメーカーに中村憲剛を置くフレッシュな布陣となった。そして交代出場でセリエAカターニャで3得点の森本貴幸登場予定とあって、ベストとは程遠いスコットランド相手とはいえ横浜国際は久々6万1千の大観衆を集めた。

試合は引き気味のスコットランドを相手にレジスタ的な稲本を起点に憲剛からのショート、ロングを使い分ける展開で石川がトップ下から再三裏へ飛び出す。プレスも相手を上回りボールを支配する。
石川は持ち味のスピードを存分に発揮して何度もチャンスに絡んでくる。久々の代表選出でここで頑張らなければ次が来ないという意識もあったのだろう気迫のこもった好プレーで存在感を十分示した。
0-0のまま後半に入って、10分にいよいよ話題の森本登場でスタジアムがどよめく。さすがにはいってしばらくは周囲と合わない感じだったが、徐々に本領発揮、ゴール前へのポジションの取り方とか非凡な動きを見せ始める。20分に松井が投入されてからチームは明らかに単調だった攻撃にアクセントがつき始め、いい感じでゴールに肉薄できるようになった。そして1点目が内田に代わった駒野の正確なフィードに戻りながらの相手DFがオウンゴール、彼がさわらなければその先には森本が鋭くつめていたので代表初ゴールとなっっていたところだった。終了間際の2点目も森本の振り向きざまの反応にボールがこぼれ本田が落ち着いて流し込んだ得点だった。
この日の本田は以前のような荒削りさは影を潜め、またシュートコースを作ろうとする強引なボールキープが裏目に出て精彩を欠いてしまったが、きっちりと決めるところはさすがオランダで結果を出しているだけのことはある。

石川といい森本といい、彼らの持っている高い能力を6万観衆に十分に見せ付けたし、岡田監督も新たなカードを手に入れたといってよいだろう。いささか物足りない相手ではあったがつめかけたファンには見せ場も多かったし満足したのではないだろうか、また代表にとっても色々収穫があった試合だったと思う。
次のトーゴ戦。代表初ゴールはお預けとなった森本が結果を出せるのか、ロナウド2世とイタリア現地でも呼び声が高い21歳の若きストライカーが、真のフェノメノ(怪物)と化ければ岡田の唱えるワールドカップ本大会の上位進出も、あながち夢物語ではなくなる。

2009年10月9日金曜日

岡ちゃん、少し見直す


日本代表の10月の3連戦の初戦は折からの台風18号の襲来で開催が危ぶまれたがなんとか事なきを得た。アジアカップ予選ラウンドでもあるこの日の日本平での香港戦は、岡崎のハットトリックを含む6得点という久々のゴールラッシュで完勝という幸先の良いスタートとなった。

もともと岡田監督をあまり評価はしていなかったが、試合前にスタメンを見た限りでは岡田の指揮官としての資質を少しだけ見直した。せっかく森本、石川といったフレッシュなメンバーを招集したにもかかわらず、格下の香港相手でなんで使わないのかと思った向きも多いと思うが、アジアカップの予選という正規の大会の本選をかけた真剣勝負であること、しかもバーレーンに手痛い1敗を喫し現在グループ2位の座に甘んじていて、この試合を万が一落とすようなことがあると窮地に陥りかねない状況であること、香港はFIFAランクでは格下といえるかもしれないが決して侮れないチーム力があり東アジア大会の予備予選で北朝鮮を蹴落としたばかりであること。これら現在置かれている状況で外野から何を言われようが必ず勝ち点3が必要であり、そのためには“将来へむけた”テストなどは考えられない試合だった。岡田監督はそれゆえに現在考えられるベストのメンバーを組んできたのだろう。それは勝負に関しての定石だし、相手を値踏みしなかった時点で、日本代表というチームのマネジメントがきっちり分かっている証左でもある。

結果、岡崎の裏への飛び出し、長友、駒野といったサイドからの切り崩し、セットプレーでの中澤、闘莉王の高さ、とヴァリエーションのある攻撃と、中盤の早いディフェンスで6-0という最良の結果を導き出した。これで今後のアウェイの戦い、星取りを考えた上で大きなアドバンテージとなった。さらにこれでむしろ明日のスコットランド戦、続くトーゴ戦という強豪とのテストマッチで森本、本田といった新戦力を心おきなく試せる(玉田が負傷したのでなおさら)のではないだろうか、本当に彼らの登場が楽しみになってきた。

それにしても日本の出来も良かったのだが、香港は少し物足りなかった。聞けばスタメン3人を欠いていたとはいえ、サイドをあけわたして中央を固めたため長友にかなり自由にやられてしまったのと、中盤にボールを持てる選手が不在だったため、DFとトップの間にスペースが空いてしまったし攻撃が単調にならざるを得なかった。伝統的に個人技のさえた選手がいるはずなのだが、今回のメンバーにそれと言って怖さを感じさせる選手も見当たらなかった。本当にこのチームが北朝鮮とガチで良い勝負をしたのだろうかと疑いたくなるような拍子ぬけ加減だ。この相手ではゴールラッシュも当然と言えば当然だが、まずは勝たなければならない戦いを確実に取ったことは大いに評価できよう。

来年のワールドカップ本大会に向けて、つぎの2試合の戦い方で、新戦力を含めてどれだけやれるのか。欧州勢、アフリカ勢を相手に得点を重ねることができるのか、さらにレベルアップした姿を期待したい。

2009年10月8日木曜日

微笑みの降る星


台風一過の午後、招待券をいただいていたカメラマン・長倉洋海氏の写真展『微笑みの降る星~ぼくが出会った子供たち~』(三越日本橋本店ギャラリー)を見にいってきた。
長倉氏はフォトジャーナリストとして40カ国以上の紛争地の修羅場をくぐってきた人だが、いつしかそのファインダーを戦火の中に、また貧困の中に、けなげに生きている子供たちに向けることが多くなってきたという。今回の写真展はその子供たちのあふれる笑顔や、厳しい日常の中での喜怒哀楽の姿を撮った作品を中心に“紛争地の子供たち”、“アフガニスタン・山の学校”“子どもたちの大地”“ザビット一家 家を建てる”という4つの章建てで構成されている。

長倉氏とは1982年、創刊間もないT誌の特集で仕事をお願いしたことがある。その年西ベイルートのシャティーラキャンプで起こったイスラエル兵の難民虐殺事件の現場から戻ったばかりの時期だった。そのとき見せていただいた息をのむような紙焼き写真の数々を前に衝撃を受けるとともに、長倉氏の温和な語り口に凄く違和感を抱いたのを覚えている。その後、エルサルバドルやアフガニスタンをはじめ世界中の紛争地で子どもたちの笑顔をもう一つのテーマにしていくのを、後になってあのときの温和な人間像を思い出して妙に納得した。戦争という人類の災厄をみつめるそのまなざしの先には、それでも生きていく人々の命の力強さ、子供たちの眼の中に残された希望の光、そういうものこそが氏の撮ることのテーマだったのかもしれないと。

今回の展覧会に展示されている子供たちも、みな今この時間を同じ星のうえで、ともに生きていることを実感させられる。紛争地のがれきの中、辺境の山間地の厳しい環境下、貧困や未開の大地の上で、子どもたちとその家族たちはただひたすら変わらぬ日常を生き続けている。どんなひどい世の中であったとしても明日はくるんだとでもいうように涙の後が乾いた顔に、白い歯がこぼれる。ヒンヅークシ山脈のとある村にできた学校で、雪を踏みしめ、雪解け水の急流を越えて登校する子供たち、ようやく平穏な日々が戻り瓦礫から家を再建するコソボの子沢山の一家、エルサルバドルで、南アフリカで、ブラジルのアマゾン流域で、フィリピンで写真の中から子供たちが微笑み、歓声が聞こえてくる。今日よりもいい明日を信じて。
そして世界のなかの日本の中の東京の午後、彼らの笑顔に救いと力を与えられた自分がいる。

長倉さんの仕事に改めて心からの賛辞を送りたい。

●長倉洋海写真展『微笑みの降る星~僕が出会った子どもたち』
日本橋三越本店新館7階ギャラリー
10月12日(月 祝日)まで

2009年10月5日月曜日

週間呑みアルキスト9.21~10.4


●9月21日
世の中はシルバーウイークという連休中。暇をもてあましていたら友人のHT氏よりお誘いがあり新宿に向かう。新宿三丁目の割烹『虎連坊』ではじめたばかりという松茸ご飯などいただき季節の移ろいを味わう。焼酎ばかり飲んでいたので2軒目で洋酒でもと『T's Bar』に向かうが休日につきお休み。仕方がないのでお隣の『BURA』へ。評論家のN部某氏のご一行がグループで盛り上がっていてママさんのSEさんも忙しそうなので早々に切り上げる。

●9月24日
つい最近、かつて台湾で立ち上げたTaipeiWalker誌の創刊スタッフで飲んだ際、創刊10周年を記念してまた呑みましょうという約束もあり、連休明けのこの日台湾から来日するTK社長にあわせてあらためて飲み会を設定。前回同様、赤坂の台湾料理屋『三彩居』で円卓を囲む。今回は新規に当時本社から応援で来ていたTM氏のゲスト参加もあり昔話に花が咲く。あっというまの10年間だったと時の流れの速さを実感。

●9月25日
2年ほど前に店じまいしてしまった編集制作会社旧JP社のスタッフKM氏、TD氏と久しぶりに会うことになり新宿三丁目の『かり屋』に集合。KM氏、TD氏ともにその後フリーでなんとか頑張っているとのこと。業界的にはまったくいい話もないし展望も見えない状態だがみんな苦労しつつもなんとかしのいでいるようだ。若い若いと思っていた二人も聞けばもう40代と聞いて驚く。
先日休みだった『T's Bar』にはしご。二人はさらにもう1軒いきましょうと誘われるが、“若さ”の差もあるので辞去させてもらう。一応業界の先輩としては彼らに負けてはいられないんだけどね。

●9月26日
土曜日出社のあと、隣の『明治屋2nd』に顔を出す。この日は常連さんの一人、S学館のフリー編集者のOG嬢とマスターご本人のW誕生会でほぼ貸切り状態。マスターへのウケ狙いのプレゼントで簡易ミラーボールなる代物がありさっそく店内に設置、BGMも懐メロソウルミュージックへ変わり気分は80年代ディスコに。

●9月28日
K社時代の先輩TN氏の父上の通夜へ。不幸のあるときに限ってしか会わなくなったかつての仲間も多いが、焼香を済ませた後そんな一人である先輩MT氏を食事に誘う。MT氏は帰る路線が同じなので一度事務所に寄ってもらい『明治屋2nd』で昔話やいろいろな人の消息を聞いたり懐かしい時間をすごす。MTさんは来年が還暦で年金生活に入るそうで、現在は趣味の模型飛行機の投擲競技に力が入っているとか。身体を壊したと聞いていたので安心するが悠々自適の生活はちょっとうらやましい。

●9月30日
ドゥービー・ブラザーズ&デレク・トラックスバンドのコンサートを観にNHKホールへ出向く。興奮冷めやらぬコンサート評を交わしに同行のHT氏と渋谷の百軒店の路地にある居酒屋『ごまや』へ。学生時代渋谷は地元だったが最近はあまりくることも少なくなった。それでも当時全盛だったドゥービーのヒット曲の数々が頭の中に反響していて、一気に当時の渋谷にテレポートした感じだ。

●10月2日
久しぶりにT出版のO社長がひょっこり来社したので神保町の庶民派中華料理屋『大興』で食事。ビール党のO社長がこの日に限って珍しくノンアルコールのウーロン茶なんぞ呑んでいるので聞けば週明けが人間ドックの検査で節制しているそうだ。それは模擬試験でカンニングするのと同じと思うのだが、本人曰くやはり数値がいい方が安心するからだそうだ。まあ気持ちはわからんでもないが。

●10月3日

休刊したKL誌のKN編集長から、週末地元の沿線で飲まないかと誘われる。ひばりが丘在住の彼は暇にかこつけ地元の飲み屋を探訪していたようで、秋津にいい飲み屋がたくさんあるのを発見したという。夕方まだ日が高いうちに落ち合い西武線の秋津駅からJR武蔵野線の新秋津駅に抜ける商店街を歩く。すると確かにあちらこちらに焼き鳥の煙がもうもうと立ち込めるイイ感じのいっぱい飲み屋や立ち飲み屋が軒を連ねている。そんな中から『立ち飲みスタジアム なべちゃん』という店に入ってみると、狭い店内には西武ライオンズの選手たちのグラブやバット、ユニフォームが所狭しと飾られ、なかには西鉄、太平洋、クラウンライターの貴重なユニフォームなどもあってビックリ。店内のテレビが西武×楽天戦を中継しだすといつのまにか西武ファンのお客さんで超満員。皆さん一喜一憂しながらホッピーを次々におかわり君とくる。西武ファンならずとも安くて楽しいお店で満足度はかなり高い。
熱気と歓声を後に店を出ると次は新秋津駅ロータリー前のいっぱい飲み屋、その名も『サラリーマン』のカウンターに陣取ることに。元気な店員さんたちの掛け声の中、ここもサラリーマンらしからぬ府中競馬、西武園競輪帰りとおぼしきおじさんたちで熱気むんむんの混雑振りだ。店内中に張り巡らされたお品書きはどれも一品せいぜいが450円くらい。それでも店のランクからすればちょっと高い?と思いきや出された料理の量はボリューム満点で人気ぶりに合点がいく。
埼玉・所沢との境のベッドタウンにありながら下町っぽい居酒屋ワンダーランドが展開しているとは知らなかった。秋津おそるべし。
さらに上り方面に三駅戻ってKN編集長の地元ひばりが丘へ移動。こちらの北口はちょっと中央線沿線の趣を感じさせるような飲食店街だが、KN編集長たっての希望で雑居ビルの地下に位置するガールズバーの『TOP SPIN』なるお店に入ってみる。ガールズバーといってもがらがらの店内に女の子が一人暇そうにしていたので、彼女相手にちびちび飲んでいると、やっと二人の女性が出勤。高校出たての娘のような年齢(19歳だそうな)の子を相手では話がかみ合うわけもなく、早々にお店を後にする。口直しにちょっと隠れ家的な大人のバー『BlarneyStone』に移動すると、隣に座っていた御歳74歳のしゃれた常連のお婆さんが両切りピースくゆらせながら話しかけてきたので、すっかり仲良くなるが19歳から74歳という世代のギャップで話も一気に戦前、戦後の時代へと時空を超える。
何かとても不思議な呑みアルキの一夜、ぶらり沿線の旅とあいなった。

2009年10月3日土曜日

♪東京五輪こんど


2016年の五輪招致はリオデジャネイロに決定!
日本は1988年の名古屋、2008年の大阪に続き、切り札の東京をもってしても誘致はならなかった。

リオに決定した最大要因はやはり南米大陸初ということが挙げられる。大本命視されていたシカゴも、東京も、これを覆せるほどの理念的な根拠がなかったということなのだろう。
シカゴ、東京ともに住民の支持が少ないことも微妙に響いたという論評も見受けられる。

そもそも2008年にアジアでやっておいて、2大会でアジアに戻るなんてちょっと考えれば非常に難しいのは誰にだってわかりそうなものだ、このタイミングで招致に立候補したのが良かったのかどうか、慎太郎にしてみれば自分の任期中というか自分が生きているうちに五輪を開催するという野望もあったのかもしれないが、やはり無理があったと思わざるを得ない。
ゲストスピーカーに呼ばれたアスリートたちの熱意にくささすつもりは毛頭ないが、だいたい五輪の誘致の裏にある経済効果とか、都市構想とか、本来の五輪憲章なんかどうでもいいような国家あげての利権構造みたいなものばかりが見え隠れしていては、どうしても開催を熱望するといった機運も産まれようがない。実は最初にシカゴ、次に東京が落ちるだろうという予想はIOCの委員の間では普通にあったようである。
まあこれで、築地市場が国際プレスセンターになったりするこのとなくなったわけだし、五輪がなくたって環境都市目指すの止めるわけではないと思いたい。

とはいうものの個人的にはこの世界的な不況構造をなんとかするためにもシカゴ、東京で決めてもらいたかった気もしないでもない、こうなりゃBRICSの成長株であるブラジル経済が発展して世界経済に好影響を与えてもらいたいものだ、ただし熱帯雨林は保護されることは言うまでもないけどね。

2009年10月1日木曜日

新旧ロックヒストリーの競演


70年代ロックを代表するドゥービー・ブラザーズの3年ぶりの来日公演をNHKホールに観に行ってきた。ドゥービーはイーグルスと並んでわれらの世代ど真ん中のバンドで、大学時代、それこそ「ロング・トレイン・ランニン」は日常的に耳にしていたものである。
あれから、ドゥービーもマイケル・マクドナルドの時代を経て、解散、再結成と変遷を経てきたわけだが、もはやオリジナルのメンバーとはすっかり様変わりしてしまったもののトム・ジョンストンを中心に、かわらぬスピリットで栄光の歴史を紡いできている。
今回は気鋭のデレク・トラックスバンドとのジョイントコンサートということで、一部、二部制の一粒で二度おいしいプログラムということなので13,000円という目もくらむような大枚はたいてはせ参じたのであった(しかし団塊狙いのビッグネームのコンサートチケットの高騰ぶりはなんとかならないものか)。

一部はデレクのスライドギターの妙技炸裂、オールマンブラザースバンドのブッチ・トラックスの甥っ子という血筋のこの男の才能は半端ではない。前回のクラプトンのツアーメンバーとして来日した時に初めてみて驚かされたが、ピン立ちしてさらに腕に磨きがかかった感じだ。二部との入れ替え前の曲ではドゥービーのメンバーも加わってのジャムセッションとなり、伝説を作ってきた連中とこれから伝説となる男の時間の交差という意味でも、貴重な“いいものを見せていただいた”という満足感に浸っていた。

そして第二部で真打ち登場。オープニングこそPAの調子が悪くボーカルマイクが効いていなくて“てめえ!金返せ”状態だったが、そんな観客側のざわめきもどこへやら額に青筋立てて(?)煽りまくるトム・ジョンストンの熱気に、いつしか演奏も最高潮に!団塊世代のネクタイ組も上着を脱ぎ棄て乗り乗り状態に。やはり偉大なるアメリカンロックヒストリーの体現者たる貫禄を示すに充分な、さすがなコンサートだったといえよう。

アンコール最後の曲は当然にして「リッスン・トゥ・ザ・ミュージック」で、例によって学生時代の思い出が走馬灯のように脳裏によぎり、懐かしさで胸がいっぱいになってしまった。

で、セットリスト(ウドーのHPより初日のやつ)
第1部 デレク・トラックス・バンド
1.Down in the Flood
2.Sweet Inspiration
3.I'll Find My Way
4.I Know
5.Get What You Deserve
6.My Favorite Things
7.Meet Me at the Bottom
8.Any Day
9.Key to the Highway

第2部 ドゥービー・ブラザーズ
1.Take Me In Your Arms
2.Jesus is Just Alright
3.Dangerous
4.Rockin' Down The Highway
5.Double Dealli'Four Flusher
6.Nobody 
7.Showdown
8.Back to the Chateau
9.One Step Closer
10.Takin'in to the Streets
11.Don't Start Me to Talkin'
12.Little Bitty Pretty One
13.Black Water
~encore~
14.Long Train Runnin'
15.China Grove
16.Without You
17.Listen to the Music