時は皇紀2600年(昭和15年)に神武天皇社に地元の名士たちと瑞兆旗を奉納した際に撮影された集合写真で、白い大島を着た人の3人右に顔をのぞかせているのが祖父の姿である。祖父は私が生まれた翌年の昭和31年に84歳で没したので、もちろんほとんど記憶にない。昭和15年というと68歳の頃で、実際自分にも何となく似ているようにも見え何とも感慨深いものがあるし、時を超えて対面することができて何とも不思議な気分でもある。
歌人として歌碑まで残した祖父の名に恥じないように、わが人生の晩節を汚さないように心がけなければと気分も引き締まる思いだ。
写真を提供していただいた、安高團兵衛氏のご子孫の方、送っていただいたYさんにあらためて感謝したいと思う。
2 件のコメント:
喜んでいただけて私もうれしいです。
貴方のプロフィールを見ましたが、私と同じ誕生日ですね。私がちょっと上の62ですが・・・。
まあこの年代になりますと、何かしら先祖のことや地域の先人の偉業などを後世に残したくなるようです。秋山様はまだ前向きの夢を持っていらっしゃるようで羨ましく思います。
蘆屋町も蘆屋千軒と呼ばれた時期もあったようで歴史は大変古く有名人もたくさん輩出しています。調べるにはいろいろ面白い町です。
山口様、この度は色々とありがとうございました。芦屋の郷土史に取り組んでいらっしゃるようなので、もっとずっと歳を取られている方かと思っていました(失礼!)もう芦屋の親戚は誰も居なくなり何年も遠賀川には行っていませんが、母方の親戚が若松に居るので、今度若松に行ったときにでも足を延ばしてみようかと思っています。
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