2011年6月27日月曜日
週間呑みアルキスト6.6~6.26
●6月7日
久しぶりの日本代表戦観戦で横浜日産スタジアムへ。1月のアジアカップでの優勝劇以来、欧州組がホームに勢ぞろいするということで平日の横浜にもかかわらず場内は超満員。試合前あたふたと新幹線で新横浜まで駆けつけ、駅ビルで夕食兼ビールのおつまみ用にご当地「崎陽軒」のシウマイを買い込む。横浜観戦の一つのお楽しみだ。
対戦相手はチェコ。若手中心とはいえそこは欧州の強豪国だけにザックの3バックがどこまで通じるか興味津津。日本はほぼべスメンで速いボール回しは健在だが、チェコは堅い守備でなかなかチャンスを与えない。今回のチームで唯一ワールドクラスのGKチェフのスーパーなプレーもあって、数日前のペルー戦同様スコアレスドローに終わった。結果的には味気ないスコアだったが、アジアカップの時のようなバックラインのもろさも修正され、また本田、遠藤ら中盤も簡単にボールを取られず、相手ボールは速いチェックでカットするなど、なかなかどうして成長の後が見てとれる。
2戦連続無得点に終わったことで、手のひらを返したようにザックの3バックをはじめとした采配にケチをつけ出す評論家筋も出ているがもっと長い目で見てやれよ。個人的には隔世の感があるわが代表の姿に頼もしさを充分に感じるのだが…。ここのところチャンピオンズリーグでの長友、内田の活躍ぶりもあって、若い女性ファンの両人に寄せられる黄色い声援もボルテージが上がっていたが、こちらも隔世の感アリだ。
終了後KGカメラマンを出待ちしていたので時間的に遅くなってしまい、横浜観戦のもう一つのお楽しみ『茜鶏もへじ』の焼き鳥反省会は断念。
●6月9日
KJ氏の来社日。いつも同じところを指定するのはつまらないというわが主張に折れて新規のお店開拓と相成る。ということで最近『明治屋2nd』で知り合ったマダムのお店で、かねてから気にはなっていたご近所の鉄板焼きの店『鉄火炉火』へ行ってみる。入ってすぐウェイティングバーがあり、長い鉄板のカウンター席とうまい具合に仕切られたボックス席もある。メニューも肉だけでなくなかなかヴァリエーションに富んでいて値段もそこそこである。なによりフロアー係の女性たちのコスチュームが色っぺ―“くの一”ばりというのも面白い。スパイスワークスというテーマレストランの系列ということらしいが、競争が激しいこの業界のアイデアにかける苦労もしのばれる。
●6月15日
KGカメラマンと打ち合わせを兼ねた会食で四谷の創作中華『徒歩徒歩亭』に集合。『こうや』のマスターが愛娘とともに新しく作った店で、本店は任せきりでこうやさん自らが調理場に立つので、『こうや』の味はむしろこちらの方が本筋なのである。お店に入るとお客さんにいきなり名前を呼びとめられるが顔はなんとなく見覚えあるもののどこの誰だかはっきりしないので“あひさしぶりですね?”と適当にごまかしていたら“そんなに久しぶりでもないです”と怪訝そうな顔をされる。いやあ、これもアルツの前兆か?もやもやしながら呑んでいたがやはり最後まで誰だか不明のまま。KGカメラマンの行きつけの『3Circle』へハシゴ。
●6月17日
仕事帰りで立ち寄った『明治屋2nd』で早くも、先日四谷で名前が判らなかった人と遭遇。なあんだこの店でよく見かける人で何度か話したこともある人じゃないの。とはいえ、こちらは彼の名を知らずむこうは名ざしだった事を考えるとよっぽど目立ってしまっているということなのか?こちらは意識せずとも周りの目もあるということかちょっとは自重が必要かも。
●6月22日
あまり注目されていないがメキシコで行われているU-17ワールドカップに出場中のヤングジャパンが頑張っている。この日は予選グループ最大の敵フランス戦の大一番ということで、『明治屋2nd』でちょい呑みした後、速攻で帰宅してテレビ観戦&家呑み。日本は押されてはいたものの相手もグループ突破の星勘定で無理をしてこず、ラッキーなPKをもらって引き分けに持ち込む。次は南米の雄アルゼンチン戦だ。何とか頑張って決勝トーナメントに進んでほしい。
●6月23日
この日の深夜もU-20のロンドン五輪予選、アウェイのセカンドレグ対クウェート戦があるということで、『明治屋2nd』で時間をつぶした後、早々に帰宅しての観戦。先制したものの過酷な環境で追われる展開、ついには逆転されてしまうが勝負は得失点差へ。ハラハラドキドキの展開でなんとか2試合合計で最終予選へ。
●6月24日
フジテレビでの会議の後、ゆりかもめで新橋に戻ったところで軽く呑むことに。以前『明治屋2nd』に良く来ていた美人お笑い芸人のNN嬢が最近オープンした駅ビルの『Bar Link』に顔を出すことに。NN嬢開店当初はなかなか素人商売で苦労していたと聞いていたが、なかなかどうして堂々の接客ぶりだ。最近は所属事務所も変わって男性週刊誌のグラビアを飾ったりもしている。その色香があればオジサンのサンクチュアリ新橋で実業家としても成功間違いなしか?頑張ってね。
2011年6月21日火曜日
九州のDNAを感じる夏
プロ野球観戦年に一度のお楽しみはライオンズクラシック。西武は嫌いだがこよなく西鉄を愛する身としてはこの期間ばっかりは浮き浮きと西武球場に出掛けてしまう。いまになって野武士集団のDNAを受け継ぐとか何とか言っているが福岡からフランチャイズを移した時、必死になって旧西鉄色を消そうとした堤オーナーはじめ西武球団の仕打ちは死ぬまで忘れまい。
不本意ながら竹之内追っかけ阪神に鞍替えしてから幾星霜。もはや阪神ファンとしてはるかに長い時間を生きてしまったが、あくまで原点はここにある。よって昔の栄光の日々を彷彿させるクラシックユニフォームをまとうこの期間だけは、球団の姑息な企画にあえて乗ってやるのだ。しかも豊さん、太さんの御大二人が企画に加わっている以上、協力してあげないと罰が当たるというもの。一昨年は稲尾追悼で3連覇当時の栄光のユニフォームが再現され涙を流し、昨年は太平洋クラブの趣味が悪いユニフォームに学生時代のガラガラの球場に駆け付けた日々を思い出したものだ。
今年のユニフォームはなんと1951年モデル。もちろん私が生まれる前の球団創設時のものである。今年は三原脩監督生誕100年にあたるそうで、それにちなんでの採用ということである。写真は当時の大エース川崎徳次投手(故人)。さすがにこの人の現役時代は知らない。個人的には戦後すぐの巨人OBの爺さんで巨人びいきの評論家の記憶でしかない人だったが球団史的には移籍した西鉄で昭和33年の3連覇まで投げていた伝説の人である。しかもこのユニフォームもモノクロ写真でしか見たことが無いのでどんな色だったのかもわからないが、ナイキの復刻版によるとグレー地に紺の胸ロゴ、ストッキングは赤らしい。まあファン用にレプリカ作ってくれるのはありがたいがそこはナイキなので素材はナイロンメッシュのスマートな仕様、本当は当時使われていたフランネルで作ってくれればと思うが望みすぎか。
7月9日の対阪急・近鉄連合軍(オリックス)3連戦からお目見えし、9月4日の対南海(ソフトバンク)まで着用するそうだ。よし、今年も気合を入れて平和台ならぬ所沢で西鉄伝統のオリジナルチャント=炭坑節を歌っちゃるたい!
2011年6月20日月曜日
ロンドンも良いけどメヒコもね
ロンドン五輪を目指すU-22日本代表は、ホームでクウェートを3-1で破り、幸先の良いスタートを切った。
ケガのエース永井は大事を取ってベンチに温存したが、トップに入った大迫はじめ清武、山村、原口、東ら皆、レベルの高いサッカーで引き気味の相手を翻弄した。後半の1失点はアウェイゴールを考えると不満も残るが、まずは危なげない勝利だったのではないだろうか。
よくFIFAランキングを元に格下扱いするが、クウェートはフル代表でも意外と苦手にする難敵であり、対戦成績もほぼ互角だったりする。決してメディアが言うほど簡単な相手ではないのだが、昨夜のゲームでは完璧にポゼッションを支配でき、彼らの武器のカウンターやセットプレーも完ぺきに抑え切っていた。中3日のアウェイ戦は苦しい条件ではあると思うが、この相手だと確かにサッカーの質も格も上である。必ずや実力でこの関門はクリアしてくれると確信する。
一方でFIFAのU-17W杯メキシコ大会で、さらに若い年代で世界のひのき舞台に立っている事が意外と報道されていない。NHKの「サンデースポーツ」枠でも無視されていたのはどういうことだろう。ましてはフランス、アルゼンチン、ジャマイカという難しい組の緒戦で、ジャマイカに1-0で完封したのは称えられる。フランスW杯の借りを返してもらったみたいでBSフジで観戦していて非常に胸がすく思いだった。しかもジャマイカ人とのハーフの鈴木武蔵選手(桐生一高)にとっては父親の母国との対戦ということもあって話題性も満点。日本人離れした身体能力でみせるダイナミックなプレーは観ていて楽しかった。
明日22日ではアルゼンチンに圧勝したフランスが相手、U-22以上に注目したい1戦だ。今後の代表を担う若きサムライブルーには本家ル・ブルーに是非とも一泡吹かせてもらいたい。
女子のワールドカップも併せて各日本代表の見逃せない戦いが続いている。
2011年6月8日水曜日
今年初めての代表生観戦
3月の地震の影響もあって、関東圏では今年初めての代表の試合。
長友はじめ欧州組の現地での活躍、アジアカップの優勝の影響もあって横浜日産スタジアムは65000の大入りだった。
ここのところFIFAランキングも日本より下に評価され、しかも若手中心とはいえ相手のチェコは欧州のトップクラス、成長著しいザックジャパンがどれだけやれるのか期待は大きかった。
今回のキリンカップはザックの信条である3バックを試す大会であったようだが、結果は前のペルー戦も昨夜の試合もスコアレスドロー。見ている側にはいまひとつ気分的にスカッとはならなかったが、チーム状態はそれほど悪くなかったと思うし、特にスタートからフルメンバーで揃えたチェコ戦でのパフォーマンスは、チェコ相手でも遜色ないし現段階で世界一ともいえるGKのチェフに決定機を何度か阻止されたことを割り引けば、スピードもキープ力も展開能力もアジアでは一歩抜きんでた完成度ではないだろうか。ワールドカップ予選まで残すところ8月の韓国戦のみだが、ここに香川、闘莉王あたりが復帰すればなお戦力も厚くなるはずだ。
久々のスタジアムはやはり気分は良かったが、しかし観客も妙に若返ったというかアイドルのコンサート並みに若い女性が多いのには隔世の感がある。内田や長友がボールを持つたびに上がる黄色い歓声にはいささか鼻白むが、これも代表を支える一つの現象と思うべきなのだろうか。
2011年6月5日日曜日
週刊呑みアルキスト5.16~6.5
●5月16日
5月末にかけてM出版の単行本、S出版の単行本、Fテレビの調査誌A誌の仕事が立て込みだし、連休前からの休みは無いままてんてこ舞いの日々。忙しいのはいいことと周囲は言うが、単価は安いわ支払いサイトは長いわで会社は火の車。6期目となる決算書類がKD会計士から上がってきたが真っ赤赤な上、法人税や消費税の支払いが乗ってくる。福島原発の収拾もつかない中、こんなことであたら無駄な時間を費やしているような気もしていい加減うんざりする。寄稿しているFK誌のYD編集長が休刊と復刊の際の雑誌コード変更の件で相談にやってくる。厳しいのはなにもうちだけでなく、仲間内の出版に従事する人間はすべて同じ状況になっているのかもしれない。YD編集長にせめて美味いモンでもと食事に誘い『東京アチコーコー』でつかの間の一杯。食事後は再び速攻で帰社し気分の乗らない直近仕事に戻る。
●5月18日
またまた休刊の話。UJ誌のNK編集長がじきじきに8月売りから3ヶ月間の休刊のお知らせで夜中に登場。終電ぎりぎりの時間で近所の居酒屋『卯佐』で時間を気にしながら報告を聞く。聞けばそれほど危機的に赤字が膨らんでいるわけではないので復刊は予定通りにいくらしい。ただし秋に復刊したからといって担当しているコラムも復活するかどうかは微妙なようだ。たとえ安くても月刊で収入があったのがなくなるとそれはそれで痛い。
●5月19日
Fテレビの調査誌の仕事を一緒にやっているKJ氏が取材先から立ち寄る。こちとら軽く済ませていた夕食だったが本人はまだだということで。喫茶店で食事も出来る『Rogumi』へ付き合う。KJ氏は自分がぜんぜん食べないのに、テーブルを埋めなければ気がすまない性質でやたら注文をするのが常だ。普段ならこちらが罪悪感に駆られながら残しては申し訳ないと人間ディスポーザーとして後処理をするのだが、この日はすでに軽く食事を済ませていたので、あらかじめ俺は食べられないからと断ったにもかかわらず、やはりKJ氏は3品ほどオーダーする(これでも控えめ)。あげくメインディッシュを半分、残りの2品はほとんど箸もつけずに残すに及んでさすがに腹が立ってきつく注意すると、本人はまったく何を怒られているか理解できずにきょとんとしている。生まれた時代が違うし育った環境も違うのかもしれないが、生産者や料理人の仕事に対する配慮の無さにほとほと呆れる。結構長い付き合いなのだがこの男と飯を食うのは本当にいい気持ちがしないし当然食に対する話題もないのでつまらない。
●5月20日
連日編集作業が続く日々でKJ氏も毎日のように作業にやってくる。この男と飯を食うのは面白くはないのだが毎日のように顔を突き合わせるといた仕方がない。この日は神保町の路地裏にある街なか中華料理の『大興』へ。ここは比較的小皿で何品も選べしかもレベルが高いので、KJ氏には注文させずに自分でさっさと食べきれる範囲でオーダーを選ぶ。隣の卓でいかにも出版業界のおじさんおばさんのグループが居たが、その中の一人がどこかで会った記憶がある。向こうは気づいていないようだが、かつて20年ほど前にTC誌で仕事を発注した編集の女性MTさんであるのを思い出した。名乗れば「あの時の!」ということになっただろうが、相手は盛り上がっているし近況を説明したりするのが面倒なのでほうっておいたが、神保町に居るとこういう出会いも結構多い。なんだかこの店の常連のような感じだったのでまた会う機会もあるだろう。
●5月21日
Fテレビの仕事でSM嬢と打ち合わせ。この日はKJ氏が不在だったので二人で近所のイタリア居酒屋『ピアンタ』で食事。この土日は入稿のピークなので、飲みたいところをこらえてサングリアをちびちびやりながらパスタとピッツアを食す。お店の女性から「今日はワインはいいんですか?」などと聞かれるもぐっと我慢。
●5月23日
入稿作業の合間三崎町方面の大衆的な日本蕎麦屋『侘助』で夕食。最近は練馬区保健センターのメタボ指導もあって夕食のカロリーには気を使う。その点、蕎麦は低カロリーなので安心できるのだが、その分満腹感にかけるため夜中の編集作業でついつい間食の衝動に駆られるから要注意だ。事務所に設置されているオフィスグリコのBOXも撤収してもらったほうが良いのかもしれない。すべては自分の意思次第ではあるのだが。
●5月25日
入稿作業と打ち合わせでKJ氏、SM嬢と夜遅くに食事。営業時間も考え24時間営業の『デニーズ九段下店』
へ。ファミレスはめったにいかないのだがメタボの身としてはメニューのカロリー表示は便利。同行の二人は当たり前のように生ビールを注文するが、すでに慢性的な寝不足状態を強いられているため一滴でもアルコールが入ると寝落ちは必至なのでなんとか踏みとどまる。
●5月28日
何とかM出版とFテレビの調査誌の入稿が完了。入稿後もミスや直しが発生しドタバタしたが、あとは出来上がるまでの突発事故への待機だけというところまで落ち着く。油断は出来ないが峠は越えたので久しぶりに映画でも見るかと思い、池袋ルミネの『小松庵』で蕎麦で(心置きなく)一杯引っ掛けてからシネマりーブルで『マイ・バック・ページ』を観賞。久々映画館の座席に埋まって開放感を味わう。映画は主演の配役に異議を感じつつも若い山下淳弘監督のディテールへのこだわりも感じ、同時代を生きた世代としてなかなか楽しめた。
●5月30日
印刷所から無事納品の連絡あり。この日も外部にまかせっきりにしているS出版の作業のケアをしなければいけないところだったが、早々に会社を引き上げ久々に新宿2丁目の『T’sBar』に顔を出す。
●6月1日
キリンカップ、ペルー戦を会社でビールを飲みながらテレビ観戦。代表戦はアジアカップ以来だが、この日は前半は国内組みの新戦力やシステムを試すザック采配。後半からは本田や長友の欧州組みが加わり面白くなった。ペルーの好調さもあって日本は押されながらもなんとかスコアレスドローに持ち込む。本来なら7月には南米選手権参加ということで、今年は久々に海外観戦ツアーをもくろんでいたのが震災でパーになってしまった。試合終了後『明治屋2nd』に立ち寄って飲んでいるうちになんだかんだ終電タイム。入稿が終わったら終わったで午前様は変わらない。
●6月2日
会社の近所の量が売り物の中華料理『文華』で、急にたまらなく食べたくなったソース焼きそばをパクつく。その後、『明治屋2nd』に立ち寄ると常連さんが築地から手に入れたという赤穂産の生牡蠣のおすそ分けにありつく。ラフロイグをたらして食する至福に忘我の境地。シーズンからだいぶ外れているのでどうかと思ったが、瀬戸内産はこの時期が排卵前で太っていて逆に美味しいそうである。通常当たっても週末休めばいいと思い金曜日以外生牡蠣は食べないのだが、入稿が終わった安心感からままよとぺロリ。西日本ものとはいえ日本の海産物もいったいいつまでこんなに無警戒に食べられるのだろう。この日福島沖の海底の汚染は大手メディアに報道されないものの相当やばいという内部情報を受けたばかりだ。
●6月3日
神保町駅の岩波ホール側の出口を通るたびに気になっていたイタ飯屋『Papa Milano』に、FテレビA誌校了の反省会でSM嬢、KJ氏と初めて入店してみる。いくつかのタパスとピッツア、パスタ。そしてデザートのケーキ三種盛りでここしばらく減少状態にあった体重のリバウンドは必至の状況に。まあ、外食産業のチェーン展開の店なのでそれほどの期待感も無かったのだが、そこそこイケル。こんどはきちんと美味しいお店に口直しに行かねば。
2011年6月2日木曜日
辛苦了!
昔取った杵柄ということで、今回から仕事を受けていたフジテレビ編成マーケティング部発行の季刊誌『AURA』が苦労の末、出来上がった。
連休以来、不眠不休で作業していたが本当に納期ぎりぎりで何とか形にしたのだが、さすがに若いころのようなわけにいかずこういう綱渡りのスケジュールを力技でこなすのには、もう自分的には限界が見えた気がする。
ただ、今号は3.11の東日本震災とメディアがテーマだったので、ハード(製作)的にはそれこそハードだったがソフト(内容)的には興味深い取材が多かった。巷間ではあまりよく言われることのないテレビ局の報道だが(特にフジは)当事者たちの使命感なり職業意識なりはなかなか熱いものがあり、ニュース映像の裏側の人間ドラマがあったことを改めて認識できたのも良かったと思う。
まあどうでもいいことだが、フジの報道現場の人間たちが局長クラスに至るまでほとんど全員が自分より年下だったというのもちょっとショックだった。今を去ること20数年前にT誌創刊で河田町時代のフジの報道局に24時間貼りついたことがあったが、あの頃は取材した人はみな自分よりはるかに大人だったのに。
ただ今回何度かフジに出入りしたことと、新規のコラムの依頼等で、長らくあっていなかったメディア周りの知人と再開できたのは楽しかった。ちょっとつらい仕事だったがこういう人脈が上手くいかせたりできるところに仕事のひそかな喜びが見いだせたりする。季刊とはいえ次号はすぐ動きださねばならないようだが、しばらく休養を取って台湾にでも遊びに行きたい心境ではある(探さないでくださいの留守電入れとくかw)。
ともあれ今回制作にあたってご協力いただいた方に感謝するとともに、ご迷惑をかけた倍する方々にあらためてお詫びいたします。
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