2011年4月27日水曜日
人が並んでいる!
自粛するのを自粛します。
知人からこんなメールが来たが、震災から1カ月経過し、メディアの報道はじめやっと経済活動もいつもどおりにやることも大事なんだということが世間的にも認識され始めたようだ。
台湾地震の時も壊滅的になった中南部の茶葉農家のひとから「日本人が普通に今まで通り来てくれてお茶を買ってくれるのが一番うれしい」と言われたことがある。
“頑張れ“コールを発するだけではなく、被害に遭わなかったわれわれの意識も“復興に向けた平常化”が大事なのだ。
今朝、通勤路の東京ドームに久々に人が並んでいた。死亡事故での遊園地の救援に続き震災の節電でまったく人の気配がなかったので、他人事ながら心配していた。確かに巨人はじめセリーグののナイター強行開催には反発したものの、ここまで使い道がないとと同情もしていた。
人気絶頂のコミック「OnePiece」のイベントらしく子供から大人のアニメファンまで大勢の人が笑顔で開場を待っている。
計画停電のさなか、ドームの使用電力は6000世帯分に匹敵するとまなじりを決していた論調もあったが、東電の計画停電の欺瞞も露呈される中、もちろん節電は大事だがそれ以上に“自粛を自粛”するのも大事なことなのだと思う。
2011年4月24日日曜日
週刊呑みアルキスト4.4~4.24
●4月6日
仕事の依頼でライター探しをしていたが、昔一緒に仕事していたNTさんSGさんと連絡がついて数年ぶりに来社してもらった。打ち合わせ終了後近所の『イタリア居酒屋 ピアンタ』で食事。お二人とも現在は実家にて子育てだったり介護だったり。みんなそれぞれのその後の物語がある。すっかり会わなくなったかつての職場の仲間たちの消息などを聞く。
●4月8日
現在進行中の仕事を共にしているライターのSZ嬢と元編集のKJ氏が銀座でミーティング兼食事中だというので合流することになり、シネスイッチ銀座の並びにあるビルの地下のダイニングBar『I・N・F・I・N・I』へ。金曜日の夜とあって女性客やカップル客で賑わっている。経済を停滞させるのであまり自粛ムードを気にすることはないと思うものの、震災や原発の危機はどこへやらといった様相。それでも夜の銀座の人通りは閑散としている。
●4月12日
T出版O社長と久しぶりに会食。神保町のシンガポールレストラン『マカン』で海南鶏飯やサテーといった定番をタイガービールとともに賞味。O社長のところもなかなか本が売れないと嘆くが、そういう割には元気そうだ。O社長とは一緒に台湾に駐在していたこともあって以前はよくシンガポールやベトナムなども一緒に旅したものだ。最近はお互いに仕事にかまけて以前のような心の余裕も失ってしまっているのかもしれない。どうせ儲からない仕事をしているならいっそ仕事を整理して海外へ行っちゃうのもテかも。
●4月13日
7月に開催される高校のマスコミ会の事務局会議で池袋西口ルミネのビアホール『ライオン』に呼び出される。KD印刷の役員のOS先輩や、A代理店のKS先輩に震災後の業界の動向を聞く。印刷会社は紙やインクの手配、広告会社は自粛によるキャンセルが相当深刻な事態になっているそうだ。7月の会も例年通りの出席者が見込めるか心配である。
●4月15日
お台場のテレビ局で長い会議のあとSZ嬢、KJ氏と新橋に出て食事兼打ち合わせで銀座コリドー街にある『浪花ひとくち餃子 餃々』へ。飲みだすと食べないKJ氏を尻目にSZ嬢と腹が減っては戦は出来ないと二人で熱々の餃子を何皿も平らげる。。食事後飲み足りないKJ氏の誘いを振り切りさっさと帰還する。この人と付き合いだしたら朝までになることは必定だ。そんな気力も金もない。
●4月18日
元K誌KN編集長から相談事の連絡があり、業務を早めに切り上げKN氏の地元の西武線ひばりヶ丘まで出向く。北口の居酒屋『薩摩』にて鹿児島出身のおば様たちと軽口交わしながら地場支援のため東北の地酒を試す。Bar『BlownyStone』にハシゴした頃にはすっかり酔いが回る。はて、KN氏の相談とはナンだったんだ?
●4月20日
お台場打ち合わせの後、AQUACITYで食事をすることに。この施設の立ち上がりの際にプロジェクト会議に参加していたことがあり、なかなか思い入れのある場所なのだが訪れるのは数年ぶりだ。5Fの飲食店フロアのエスニック料理『King of the Pirates』に入るが、さすがに平日だけに閑散としていて本当に大丈夫かと心配になってくる。海賊仕様のアミューズメントレストランで人出が多いときはさぞかし賑わうのだろうが、お台場自身にひと気がないし、やかましい中国語の団体客の姿も皆無だ。震災の影響はこんなところにも波及している。
●4月21日
DN印刷の担当営業のHG氏が部署異動になるため送別会兼新任のON氏の歓迎の宴席に出席。会場の神保町の路地裏にある隠れ家的なお店『骨太フレンチビストロ アリゴ』は古民家を改造したレストランで、一階は立ち飲み屋なのだが2階の座敷席で本格的なフレンチを賞味できる。座敷で胡坐かきながらのフレンチもなかなか趣がある。宴もたけなわの11時すぎにかなり大きな余震発生でボロイ木造家屋だけになかなかスリリングだったが2階に居る限り倒壊しても死にはしないだろうと割と落ち着いていた。しかししつこいくらいに余震が起こる。福島以外の浜岡などの原発は本当に大丈夫なのか心配になってくる。会社に戻ると元キャンディーズのスーちゃんこと女優田中好子さんの訃報を知って絶句。同世代だけにショックは大きい。
2011年4月23日土曜日
84年の雑誌をめくって
同世代の人間に会うたびに、スーちゃんの訃報でショックを受けていると聞かされる。
昨日は雑誌「ぴあ」の休刊の話もあって、時代の移り変わりの寂しさを嘆く仲間のTwitterの書き込みも多かった。
震災や原発で心がざらついているところに追い打ちをかけるようなニュースが立て続けに舞い込んでくる。
――いやおうなしに時代は変わった。なんだかあの巨大な津波が戦後の日本の記憶を一気にリセットしてしまったかのような気になる。
まったく空白になった社会の空虚さをかみしめながらこれからは生きていかなければならないのだろうが、その描き手はもう我々ではないような気もする。
前の日記でも書いたが、かつてT誌でスーちゃんの取材をしたことがあって、その雑誌が無いだろうかと何冊かとってあった80年代のバックナンバーをひっくり返していたら、ビンゴ! 1984年の2月24日の当該号を発見した。表紙は当時18歳の人気絶頂だった頃の伊代ちゃん。黄ばんだページをめくっていると、“蘭咲きました”のコピーでスクーターのCMに起用されたランちゃんの広告も掲載されている。皆それぞれの道を頑張っていたんだ。この「週刊ザテレビジョン」ではランちゃんもミキちゃんも取材したことがある。ランちゃんは生田スタジオで、みきちゃんは旧TBSの近くじゃなかっただろうか。
そうそう、このときはスーちゃんが女優転向後に初めて歌手として6年ぶりくらいでレコード(当時)発売したタイミングだったな。
当時仲良くさせてもらっていたビクターインビテーションETさん、YGさんからの熱心な売り込みで担当していた“今週の赤マル急上昇”に押し込んだんだ。
あの時「カボシャール」というタイトルを聞いて、あまりヒットするようなタイトルじゃないんじゃないかと秘かに思ってしまったけど、YouTubeでいまあらためて聞いてみると結構いい曲で、大人になったスーちゃんの魅力が良く引き出されている。
確か原宿の裏道の喫茶店で待ち合わせて取材したんだっけ。Yカメラマンによる写真はちょっと憂いを含んだ表情だけどインタビュー中は終始明るくよく笑っていた気がする。店の窓の布張りのシェードからこぼれてくる冬の午後の陽光が彼女の美しい横顔に差し込んでいたなあ、写真を見ているとその日の記憶が甦ってくる。思えばあの頃は、自分も含めみんな若かった、それからの未来は知る由も無いイノセントな時代の中にいた。
しばし彼女のグラビアを見ながら在りし日の記憶を辿りつつ思い出にふけっているうちに。なんだか自分がすごく歳をとってしまった感じがしてきた。
ただ、先に逝った人たちの記憶を抱きながら、明日からまた空白になった時代を歩き出さなければならないのは確かだ。時代の流れは止まらないしまだまだ人生は続く。
2011年4月21日木曜日
2011年4月4日月曜日
週間呑みアルキスト3.7~4.3
3月11日に起こった未曾有の大地震・東日本震災でしばらく「呑みアル」どころではなかったが、別にその間酒断ちしていたかというとそんなこともなく、気分的にはあまり呑んではしゃぐというのもいかがなものかとは思うものの、普段の生活をやることも経済活動の一環と言い訳しつつ日々飲酒継続中。それにつけても石原慎太郎の自粛強要みたいな発言を聞くにつけ、戦時下の“欲しがりません勝つまでは”的な言質に憤慨。ファッショ的な発想を断固拒絶すべく、明日からも経済活動に貢献することを固く誓うのであった。
●3月8日
FK誌の取材で、名古屋グランパスの前スカウト金益祚氏のインタビュー。東急大井町線の緑ヶ丘駅近くのイタ飯『ポルトフィーノ』で食事しながらJリーグの選手として活躍するための資質について聞く。明大時代の長友や小川(現名古屋)の話などは凄く面白かった。夜は取材の反省もかねてFK誌のYM編集長、帝京OBで旅行会社を経営するKR氏らと新宿富久町の『炭焼きダイニング 然』でお疲れさん会。
●3月9日
新規でフジテレビの広報社内誌の仕事を請ける相談で、この話を持ち込んだ前の会社の後輩SZ嬢と何年かぶりにお台場の局舎を訪問しブリーフリングを受ける。お堅い紙面をもう少し一般的なものにしたい由、軟派なものならこちらも自信はあるが拡張崩さずに軟らかいものを作るのは意外と難しい。打ち合わせ後、ゆりかもめで新橋に出て『ビーフン東』で打ち合わせの続き。
●3月11日
午後、地震が強襲。いつもはかなり大きくても大体の見切りはつくものだが、この日の揺れはビル倒壊の不安さえ感じさせる大きなもの。事務所内に飾ってある預かりものの仏頭が転げ落ちそうになるのを抱きかかえつつ地震の収束を念じる。事務所は書類が散乱しPCが倒れるものの損害は焼き物の飾り物が落下して割れたくらいですんだ。表に出ると界隈の人たちが不安そうな表情で余震に備えている。隣の『明治屋2nd』のマスターが一本だけ高価なウイスキーを小脇に抱えて避難していたので笑ってしまう。夕方になると東北を襲った津波や機能不全に陥った福島原発などことの重大性が徐々に明らかになっていく。この日は帰宅難民になることは必至の情勢となったので、会社に泊まりこもうと覚悟を決めて『明治屋2nd』で呑み始めるが、深夜になって地下鉄、私鉄とも復旧。同方向の店の常連さんOG嬢と間引き運転でスシ詰めになりながらも何とか帰宅を果たす。家のマンションは奇跡的に装飾用のワイングラス3個が割れたほか被害軽微。
●3月12日
一夜空けて地震の被害の甚大さに驚きつつ、この日予定されていた『明治屋2nd』の常連さんたちの飲み会が中止かと思いきや決行のメールが入る。コスモ石油の貯蔵タンク火災で有害物質の飛散といったチェーンメールものかわJR平井駅まで遠征しあんこう鍋で有名な居酒屋『豊田屋』へ。もうシーズン最後なのでという幹事さんの言い訳もウンウンとうなずきながら、被災地への後ろめたさを感じながら豪勢かつ安価なあんこう鍋を賞味。しかし前日の地震でよくこのおんぼろの店が壊れなかったものだと感心する。確かに自慢のあんこう鍋は中止でなくて良かったと秘かに思うほどの美味。来年はまた大手を振って食べにこれることを切に願うのであった。
●3月15日
都心まで調剤の薬を取りに出てくるKJ氏がいつものように来社。KJ氏の実家は自動車の修理工場を経営しているが車を持ち上げるリフトが一部損傷したり点検したりで結構大変だったそうである。専大通りの蕎麦屋『侘助』で原発事故のニュースをテレビで見ながら一杯やっている自分たちの危機感の無さに、可笑しくなる。あわてたところで放射能の拡散なんてことになったら逃げようがない。特に4基もの発電所が損壊し貯蔵されている使用済み燃料棒の数を考えたら、最悪の事態に陥ると西日本に逃れたところで同じような気がする。心配し固唾を呑んで事態を見守るものの自分の力ではどうにもならない現実、いつもどおりの日々を送るしかすべはない。
●3月23日
KJ氏とスポーツフォトグラファーのKG氏と四谷の中華料理屋『徒歩徒歩亭』で食事。春はまだまだと思わせるような寒い雨の夜、被災地の寒さを思う。原発の放射能観測値もこの雨でさぞかし降地することだろうが、政府の“1年間飲み続けなければ”的な発言もいい加減倦んでくる。ついつい紹興酒を呑み過ぎてひさびさに酩酊、なんとか電車を乗り過ごさずに家にたどり着く。
●3月24日
震災の影響は、遠く離れた我々の仕事にも影を指し始めている。この日、かかわっているフリーペーパーの広告タイアップの仕事がキャンセルになる。その広告主対応含めIG社のNG氏、ライターKR氏らと打ち合わせ後、会社の近所のイタリアン居酒屋『ピアンタ』で食事。解散後『明治屋2nd』を覗くと台湾茶の輸入をしている帰化日本人のTD嬢が来ていたので、地震発生以来の台湾の人々による心温まる支援に対してお礼を言う。思えば9.21台湾大地震の際に、台北で日本の救援隊到着のニュースに台湾人と手を取り合って喜んだことが昨日のことのようだ。台湾との絆の強さを改めて実感する。
●3月25日
T出版O社長、デザイナーのAK氏とともに近所の中華料理『東方園』で食事。O社長も気分的な問題で本の売れ行きも今後はかばかしくないかもしれないと諦め顔だ。出版界もことさら危機を煽るような本以外の軟派なものは確かに売りにくいだろう。ただでさえ落ち込んでいる現状に震災不況が到来するのか、と節電中の暗いビル内で余計気分はすぐれず。
●3月28日
仕事の打ち合わせで久しぶりに曙橋のデザイン事務所MM社に立ち寄るとOG社長、デザイナーのNZ嬢、YM嬢らと荒木町のフレンチビストロ『りんごの絆』へ食事に誘われる。スタート時間も遅かったのだがワインを飲み比べているうちにあっという間に終電タイム。走って終電車に飛び乗る。
●3月29日
フジテレビの広報社内誌の会議で再びお台場本社へ。やはり震災報道が話題の中心になる。会議後は親睦をかねての食事会ということでフジのスタッフの皆さんと銀座へ移動。日航ホテル地下のしゃぶしゃぶ屋『銀座羅豚本店』へ。時節柄銀座も客が不入りと聞いていたが、それこそ時節柄の歓送迎会で結構混んでいる。こうして銀座で喧騒の中にいると震災はどこか遠い国のことのように感じてしまう。解散後SZ嬢、KJ氏とコリドー街のワインバー『STOCK』で軽く二次会。
●4月2日
写真取材で一日皇居周辺を歩く。千鳥が淵の桜もまだ5分咲きといったところ。早く終わったので久々に新宿に出てイ・ジェハン監督の映画『戦火の中へ』を観賞。朝鮮戦争の学徒兵を描いた話だが、なんだかアクション映画ののりの過剰な演出に鼻白む。終了後、二丁目の『T's Bar』に立ち寄るとK社グループEB社のST氏と遭遇、かつて在籍していたK社話題でしばし歓談。
登録:
投稿 (Atom)