2010年5月24日月曜日

織田昭子さんの思い出


子供のころ我が家には馬の絵が描かれた「アリババ」というバーのマッチがよく転がっていたのを覚えている。
酒好きの父親が、呑んで酔っ払って帰ってくるとき持ち帰ったものである。酒臭い息で子供たちの部屋に入ってくるのは嫌だったが、たまには銀座の「ビクトリア」や「エルドール」のケーキのお土産があったりする余禄もあった。そんなときもテーブルの上にタバコとともにこのお店のマッチを見かけたものだ。

大学に合格したとき、その頃はあまり父親と口をきくことが少なくなっていたが、せっかくの人生の節目ということで久しぶりに外食に誘われた。銀座の「みかわや」で洋食を食べた後、時間があったので思いついて“親父がよく行っている店に行きたい”というと、父親はやはり息子と一緒に飲めることになったのが嬉しかったのだろう“若い女の子はいないけどいいのか?”と言いいながらも上機嫌で資生堂の裏辺りにあった「アリババ」に連れて行ってもらった。
その頃はもう、その店のマダムが作家の織田作之助の内縁の妻だった織田昭子さんだということも知っていたし、銀座のバーなるものがどんなところなのか凄く興味があった。

お店の入り口にはマッチにあしらわれている馬の絵の看板がほの暗い照明に照らされ、老舗のバーというムードが漂っていた。
珍しい若い客が来たこともあって、確かに女性はみな“大人の女性”ばかりだったが、席は盛り上がった。“親父がいつも迷惑かけちゃって”というと“え~、お父様はぜんぜん乱れない紳士よォ”と家とは違う外向きの親父の顔が思いがけずわかったりして、なかなか楽しい時間だった。
われわれより遅れて出勤してきた昭子ママはちょっと貫禄のある中年女性だったが、ああ、この人が織田作が最後に愛した人なんだと無頼派作家の連れっぽくないふくよかさを意外に思ったことだけ覚えているが、その日話した内容も(他愛ないことだったと思う)昭子さんの顔もそれからもう30年余りたってしまいすっかり記憶は薄れてしまった、お店自体ももうすでに残っていない。

たまたま最近、織田昭子さんが昭和46年に上梓した『わたしの織田作之助 その愛と死』(産経新聞出版局刊)を読む機会があった。ちょうど彼女と会った2,3年前に書かれたものだ。昭和18年から昭和21年までのお二人の出会い、織田作がヒロポンを打ちながら作品にのめりこむ毎日、そして肺結核の闘病生活を経て死を看取るまでの凄絶な日々が綴られている。登場人物も太宰治、坂口安吾、林芙美子、菊池寛、川島雄三。これら当時の作家たちの息遣いが聞こえてくるようなエピソードが次から次へ出てきて、すっかり惹き込まれてしまった。
女優志願だった当時の10代の頃のポートレートを観ていると、お会いしたときのおぼろげながらの印象となんとなくイメージが重なってくるような気もしてくる。

常連だった親父は、当時の作家たちの話をお店で見たり聞いたりしたのだろうか?三島由紀夫もよく店に顔を出していたらしい。そんな時代が、とてもうらやましく思うとともに、あの「アリババ」の一夜、もっともっと昭子ママと話しをしておけばよかったと、いまさらながら悔やまれてならない。
確かお店は平成になった頃に閉店したと記憶しているが、その後の織田昭子さんの消息をネットで調べてもよく分からない、まだご健在なのだろうか?ご存命なら80も半ばといった高齢かとは思う。
昭和という時代が、すっかり遠くなっていくことに一抹の寂しさを感じつつ、いまだに当時の面影を残す銀座のバー「ルパン」あたりに顔を出して当時を偲ぶのもいいかもしれない。それも今のうちだろう。

1 件のコメント:

秋山光次 さんのコメント...

織田さんは2005年に逝去されたようです。
同人誌「婦人文芸」で追悼特集がありました。

ご冥福をお祈りいたします。