2010年1月5日火曜日

比べても意味はないけどつい比べてしまった


新年初映画は『パブリック・エネミーズ』。
なんといっても30年代の稀代のギャングスター、ジョン・デリンジャーを『ヒート』『マイアミ・バイス』のマイケル・マンがジョニー・デップ主演で撮ったということで、リアリティにこだわる迫真のガンアクション、スタイリッシュな映像で知られる監督だけに期待感いっぱいで観たのだが…。
全編、確かにアップを多用したカメラワークで息もつかせぬ展開、30年代のアメリカ風景も良く再現しなかなかに楽しめる作品ではあった。

ただなあ~、良い映画だと思うのだけど、それ以上でもそれ以下でもないんだよなあ。
個人的には73年のジョン・ミリアスがウォーレン・オーツで撮った『デリンジャー』に感動しまくり相当入れ込んだ覚えがあるので、ついついそれと比べてしまうのだが、ミリアス作品に比べれば全然人間が描けていないし、当時のアメリカの時代そのものを描き切れていない気がするのだ。

ミリアスとマンはほぼ同世代の監督だけに、同じようなものを作っても仕方がないということもあったのだろうが、聞くところによるとより史実に沿って作ったそうである。史実といっても原作のブライアン・バローのドキュメントノベルを読んでいないのでどこまで原作を生かしたのかわからないが、映画で描かれているプリティボーイ・フロイドやベビーフェイス・ネルソンはデリンジャーより先に殺されてしまっているし(彼らはデリンジャーの1934年7月22日の死後、10月、11月に殺された)リトル・ボヘミア・ロッジの銃撃戦で死んだのは民間人だけだったので、この辺はあきらかに史実ではない。またビリー・フレシェット(マリオン・コティヤール)との恋愛劇に主眼を置いたため、シカゴのバイオグラフシアターでのラストにいたる娼婦ポリー・ハミルトンと、密告したアンナ・セージとの関係性が全く希薄になって唐突感は否めない。

別にエンタテインメントなんだから史実にこだわれと言っているわけではないが(ミリアス版は考証的にはもっとひどかったのは確か)、だいたいデップじゃ格好良すぎる。スーツ姿も昔っぽくない、衣装もアルマーニとかなんかじゃないだろうか。

デリンジャー本人はインディアナ出身の田舎の悪党で実物の手配写真(左のおっさん)だとウォーレン・オーツそっくりだし、まあ名優オーツ先生の存在感の前では、まだまだデップでは軽すぎる(まあもっともオーツは“アリス”のようなファンタジーはできなかっただろうが)。売出し中のクリスチャン・ベールのメルヴィン・パーヴィスもベン・ジョンソンとでは比べるのがちとかわいそうだ。
またなぜ大衆が彼らを支持しないまでもある意味英雄視してしまったのか、その背景となった恐慌後のアメリカ中西部のやるせないような時代の雰囲気が、セットは金をかけて再現されてはいるのだがスクリーンからどうも匂ってこないのである。

ミリアス版では無視されていたが、今回興味深かったカポネを源流とするフランク・ニティらシンジケートとの確執にも、せっかく採り上げながらもビジネス的な時代の流れのようなことに単純化されていて、そこにあるイタリア系マイノリティの都市生活者的、互助的立ち位置とアナーキーに田舎を荒らしまわるプアー・ホワイトのアウトローたちとの根本的な違いみたいなものも見えてこない。

とまあそんなこんなで不満を言い出したらきりがないのだが、それもミリアス版への思い入れが強いが故。これを機に未DVD化の『デリンジャー』にも再び脚光を当ててほしいものである。

ただし今回の音楽の使い方は凄く良かった。ダイアナ・クラールの歌う「バイバイ・ブラックバード」はもちろん、ビリー・ホリディの「The Man I Love」ら珠玉のヴォーカルが心に響く。
大傑作とはいえないが、時間は飽きさせない佳作といってもいいだろう。

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