2010年1月27日水曜日

西武もかよ


吉祥寺の伊勢丹が店じまいということで連日在庫一掃セールに人が押し寄せているというニュースに接していた矢先に、今度は有楽町西武が年内いっぱいで閉店してしまうと聞いてさらに驚いた。
かつての西武ブランドもここまで落ちたかと思うとなんだかいよいよ不景気も極まれりと言う感じがして、本当に大変な時代になってきたなと改めて嘆息してしまう。

かつてデパートは夢の場所だった。お袋から西武に買い物に行くと聞くと本当に心ときめいたものだ。クリスマス商戦のショーウインドの飾り付けがはじまると、そのきらびやかさに思わず心が浮き立ったしわけのわからない幸福感に包まれた。デパートの大食堂で食べるソフトクリームは今でも思い浮かべだけで、あの甘さの記憶が脳髄を刺激するほどだ。
大学生になってTデパート売り場でアルバイトしたのもデパガとなんとかうまく付き合えるようになれないかという下心もありありだったっけ。デパガは男女交際においてもそれほどのブランドでもあったのだ。

考えてみれば本当にデパートで買い物することが少なくなった。しかも地下の食料品や付随する書店以外はほとんど足を止めることもない。かつてはよく訪れた紳士服売り場もトイレに行く時にフロアを横切ることくらいしか足が向くことがない。聞けば周囲の人もデパートで買い物することは凄く減ったもしくはほとんどないという。百貨店という形態自体が時代に合わなくなったと言えばそれまでだが、自分に照らし合わせてこれほど需要がないわけだから、デパートがダメになっていくのも仕方がない。

デパートも所詮昭和の産物なのだろうか、相次ぐ閉店のニュースに感慨を持つのも年寄りの懐古にすぎないのだろうか?
これも時代の波とは言うが波が引いた後にまた新たな波が起こるのだろうか?
三越や伊勢丹など老舗の呉服屋から端を発したところは、何百年という歴史があるのに、この時代でその歴史的使命を終えたということなのだろうか?

予算審議ができず、政治と金の不毛な論議で空転する国会中継を見ていて、今更ながらではあるがなんだか絶望的な気分になってしまう。

2010年1月20日水曜日

セーフ

先日切除した大腸ポリープの組織検査の結果、過形成ポリープとの診断であった。
いってみれば“良性”ということで、あまり心配すべきことはないようなのでまずは事なきを得た。
ただし、良性とは言え細胞の増殖変化ということなので基本的には癌にかかりやすい体質であるということは事実のようである。生命保険によっては良性だからといってポリープを切除した経験があると新規契約に難色を示されることもあるとも聞くので、手放しで喜んでばかりはいられない。病院からは2年ごとくらいで大丈夫とおっしゃっていただいたが、やはり今後とも定期的な内視鏡検査はマストなのだという。
来週、今度は定期健診で胃の検査が続く。バリウム飲んで胃部のレントゲンを撮る例の検査だが、この際こちらも内視鏡でじっくり検査してもらった方がいいかもしれない。

先週1週間、禁酒だったのだが、昨夜あたりからぼちぼち呑みアルキも再開しはじめた。もうあまり暴飲暴食できる年齢でもない。ほどほどにせねば、と反省するものの今月後半も仕事よりも新年会の方が立て込んでしまっている。ということでほどほどにせねばという心がけもいつまで続くか怪しいものだが、まあ呑まずにストレスをためるのもかえって身体に悪いかもね。

…ってちっとも反省してねえな。

2010年1月18日月曜日

不思議な橋


ショックな悲報が続く。

浅川マキさんが公演先の名古屋のホテルで亡くなった。67歳。
身体の調子が良くないことはずいぶん前から聞いてはいたが、月一度の新宿『PIT INN』ライブ等で再び精力的に歌っていらっしゃったので、もうすっかり回復されていたと思っていた。

「夜が明けたら」の蠍座の前のジャケ写はいまも、あの場所の前を通るたびに思い出す。
60年安保の挫折が「アカシアの雨に打たれて」だとしたら、われらの挫折はマキさんが歌ってくれていたように思う。

不思議な橋が、この町にある。
渡った人は帰らない。
~「赤い橋」

時代の記憶とともにマキさんはひとりで橋を渡ってしまった。

合掌。

週間呑みアルキスト1.1~1.17


●1月1日
今年の元旦は久しぶりの国立競技場・天皇杯サッカー観戦で幕を開ける。正月らしい穏やかな晴天でワールドカップイヤーの年初にふさわしいサッカー日和である。取材に入っているスポーツフォトグラファーのKG氏と試合終了後待ち合わせて外苑前で無休で営業していた『くし焼き 狄』で冷え切った身体を暖めるべく初呑み。KG氏は翌日から箱根駅伝の取材だとか。自分も雑誌記者時代はサッカー、ラグビーと年末年始は結構取材で忙しかったのを思い出す。4年前はドイツワールドカップ関連の仕事が結構あったのだが、今年はどうなることやら。KG氏とも昨年来企画を立ててはいるもののこの出版不況下なかなか難しいのは確か。それでも新年早々めげてばかりいられない、ということで今年もアグレッシブに協力していきましょうと約す。

●1月6日
編集プロダクションBS社のYD社長より新年会のお誘いで、BS社の地元・新宿富久町の『炭火焼和風ダイニング 然』へ。以前知己を得ていたサッカーライターのAR氏、ファッション系出版社AF社のMN氏らと久々の再会、昔話で盛り上がる。YD社も出版絶不調の時代に色々とアイデアを出しながら出版物を企画し続けていて頭が下がる。負けて入られないと彼らの元気を見習うことにしよう。会がはねた後、新宿2丁目の『T's Bar』に新年のご挨拶兼ねて顔を出す。ここもこの日はお店内で初ライブだったそうで、演奏者やお客さんたちが居残ってワイワイやっている。業種は違えど色々な企画で営業努力しているのは変わらない。頑張らなくちゃ。

●1月7日
K映画AR氏、K書店IS氏と『世界の山ちゃん 西武新宿店』で新年会。名古屋を本部とするこの山ちゃん、最近全国進出で次々支店ができている勢いのあるチェーンだ。胡椒が利いたピリ辛の手羽焼きはなかなかのもので、かつて名古屋の出張のたびに楽しみにしていた。お二人はともに以前職場を同じくしたことがある連中である。AR氏は現在、映画の出資集めを主たる業務にしているが、やはりこの不景気の影響は大きいとこぼす。IS氏からは最近のK書店の昔の同僚たちの近況を聞く。2次会はAR氏のゴールデン街にある行きつけの店へ向かうが生憎と満席。IS氏はゴールデン街初体験ということなので街筋をざっと一周案内し、一番はずれに位置する『流民』という店に落ち着く。ゴールデン街も昔のオジサンたちはすっかり影を潜めすっかり若い経営者と客層に様変わりしている。『流民』も店の歴史は古いが経営者は2代目、お店のスタッフもお客さんも若者ばかりで、時代の変遷を実感する。

●1月8日
友人のHT氏が神保町に立ち寄ったので、『明治屋2nd』に初顔出し。大腸の内視鏡検査を翌日に控えていたためノンアルコールのウーロン茶をちびちび、腹ごなしで日本蕎麦屋の『柳屋』に河岸換えしたが、ここでも呑まずじまいでなんとも中途半端な心持である。

●1月13日
大腸検査でポリープを切除したため1週間の禁酒を医師から申し渡されたのでこの週は呑みアルキは中断。この日、K書店の後輩で元C誌の編集長だったTM嬢が資料を借りに来社したため、せっかくなのでと近所のイタリアン居酒屋『ピアンタ』へ食事に。まあ1週間は経過していないが出血もなく体調も普段となんら変わらないので可愛らしくカンパリソーダを一杯だけ禁を破ってちびちびと賞味。われながら情けないがポリープと飲酒の相互関係は結構あるといわれているので、長年繰り返してきた不摂生の天罰覿面といったところ。まあ命あってのものだねである。今年は呑みアルキもほどほどにと深く自戒。

2010年1月17日日曜日

サイドスローのエースを悼む


同世代の野球人、北海道日本ハムの投手コーチ・小林繁氏が急逝された。
享年57歳。

由良育英高校までは軟式、社会人オール大丸から72年ドラフト6位で巨人入団。78年江川卓との“空白の一日”トレードで阪神タイガースへ。

プロ11年で374回登板、139勝95敗17セーブ。77年、79年と2度の沢村賞受賞。
屈辱のトレードをされた79年シーズンは22勝をあげ、対巨人戦は8勝無敗と意地を見せる。

以後5年間にわたり低迷する阪神を支え続け、31歳で惜しまれつつ引退。漢だった。

独特のサイドスローのフォームは忘れがたい。
謹んでご冥福をお祈りいたします。

2010年1月10日日曜日

お尻の穴から体内を覗く


年が明けてずっと憂鬱だった大腸の内視鏡検査を昨日やっと終えた。
とにかく黄門様に異物をいれるなんて齢55にして初体験、水揚げを待つ半玉というか大事なものをあげると決意した百恵ちゃんのような心境で予約の日をどきどきしながら待っていたのである。

これもすべては先月の健康診断で便潜血が陽性になり精密検査を要するという宣告が下ったためである。
陽性とはいえ内視鏡で癌が見つかる率は6%、たとえそこで癌が見つかったとしても自覚症状もない早期での発見の治癒率はほぼ90%以上ということのようなので、別にあたふたすることもないのだが、母親の家系は癌家系なので、これはいつか来る道と覚悟を決めたようなわけである。

いや~、ついに来たかという心持でさっそく病院探しを開始し、ネットで上手いと評判もよく場所も比較的便利、HPからカレンダーで予約を入れられるということでHクリニックを予約。さすがに人気もあるのだろう予約もすぐにというわけには行かず、年を越して1月ほど待つことになった。まあ世の中こんないっぱい内視鏡を待つ人がいるのかと思い少し気が楽になる。

経験者に話を聞くととにかく内視鏡の検査は腸の中を空にしなければならないので、当日検査までに飲む下剤の量が半端じゃなく、内視鏡の施術よりそれがつらいと聞いていた。
病院から送られた下剤キットと処方箋をみると確かに聞きしに勝る量だ。前日の夜からマニュアルに沿って投薬を開始する。
1.就寝前に最初のラキソべロン剤を水に溶かして飲む。これは翌日の排便のため腸を刺激するためのもの。私の場合は日頃から比較的快便なのでこれは軽くクリア。
2.当日の起床後、さらにラキソベロン剤をもう一度飲むとともに下剤のマグコロールPを800mlをやはり水に溶いて飲む。味はポカリスエットのような感じで意外と飲みやすい。しばらくすると効き目てきめんでトイレに駆け込むこと三度。宿便まですべて排出。全然OKである。
3.検査5時間前から、いよいよ本格的にマグコロールPに補助剤のガスコンを混ぜて1800mlを2時間かけて均等に飲んでいく。高校サッカーをテレビで見ながら以後3時間、トイレには10回ばかり観戦を中断し行くことになり、テレビ観戦もなかなか集中できなかったが、マニュアルに書いてあるとおり便はすっかり透明になり約4時間でおなかも落ち着いてきたので、病院をめざすため家を出た。

苦しいことは苦しいが、もともと便通はいい方なので、おなかが痛くなることもなくさほどの負荷ではなかったし、電車の移動中にもさらにトイレに行きたくなるようなこともないのでほっとするが、空腹感はないがおなかがやたら鳴る。ポカリスエットはOKということなので途中コンビニで補給、1時間もかからず予約時間の夕刻5時に病院のある本郷三丁目に到着する。

ビルの4階にあるこじんまりした歯医者を思わせるクリニックだが受付を済ませると、看護師さんがさっそく着替えの部屋へ案内してくれ、紙製の処置着とお尻に穴の開いたパンツを渡される。そしてついに目の前に大きなモニターがある施術代のベッドに寝かされた。
若い看護師さんから“初めてですか?”との問いに“はいまったく”と答えるが、体がこわばっているのがわかるのか“緊張しますよね~”と笑われてしまう。ああ、情けないorz

鎮静剤を打たれるといよいよ医師が登場、あいさつもそこそこに事務的に施術開始というか、体を折り曲げているので声だけしか聞こえないのだがなにやらごそごそとお尻のほうでやっているなと思ったら、いきなりモニターに腸内が映し出されていく。心配していたような痛みもなく、目の前の自分の体内光景に見入ってしまう。まるで映画『ミクロの決死圏』のようだ。
そして、“おお、あるある”と最深部の盲腸付近にポリープ発見。さっそく輪っかのような先端で切除し、そのあとに止血のためかクリップのようなものをかませて終了。
しばらく別室の簡易ソファのようなところで休んで、時計を見るとほぼ30分。着替えて医師からの説明を受ける。

ポリープは1箇所だったが、かなり大きいものだという。放っておけば癌化必至なのだろう。便潜血もやはりこいつが原因なのか、いずれにしろ放っておかないでよかった。組織検査の結果は後日メールで教えてくれるということである。検査費用は器具を新品を使用するオプションをつけて健康保険が利いて3万3千円。これで命拾いしたかと思うと安いものだ。

ずっと憂鬱だったが、終わってみれば別におかまを掘られたような痛みも衝撃もなく(もちろん快感もなく)あっさりと終わってしまったが、下剤の長時間服用の消耗とあわせてすっかり疲労困憊して家路に着いた。
結局、ポリープの大きさから考えるとかなりの危機的状況にいたということなのだろうが、自覚症状も当然あるわけではないので区の成人病検診をさぼらず、またオプションだった大腸がん検診も申し込んでおいて正解だった。
今回は未然にすんだが、まあ、歳も歳だし、今後も定期的な身体のメンテナンスはマストということである。
とどのつまり、今までのやくざな生活がそろそろいろいろなところにガタをきたしてきているわけで、いつまでも呑みアルキストと自認して悦に入っている場合ではないということなのだろう。

そんなことを考えながら医師から今後の諸注意を聞いていたが、つい“酒はいつから解禁ですか?”と聞いてしまう懲りない自分にあきれつつ、“馬鹿は死ぬまで直らない”のは確かである。

2010年1月5日火曜日

比べても意味はないけどつい比べてしまった


新年初映画は『パブリック・エネミーズ』。
なんといっても30年代の稀代のギャングスター、ジョン・デリンジャーを『ヒート』『マイアミ・バイス』のマイケル・マンがジョニー・デップ主演で撮ったということで、リアリティにこだわる迫真のガンアクション、スタイリッシュな映像で知られる監督だけに期待感いっぱいで観たのだが…。
全編、確かにアップを多用したカメラワークで息もつかせぬ展開、30年代のアメリカ風景も良く再現しなかなかに楽しめる作品ではあった。

ただなあ~、良い映画だと思うのだけど、それ以上でもそれ以下でもないんだよなあ。
個人的には73年のジョン・ミリアスがウォーレン・オーツで撮った『デリンジャー』に感動しまくり相当入れ込んだ覚えがあるので、ついついそれと比べてしまうのだが、ミリアス作品に比べれば全然人間が描けていないし、当時のアメリカの時代そのものを描き切れていない気がするのだ。

ミリアスとマンはほぼ同世代の監督だけに、同じようなものを作っても仕方がないということもあったのだろうが、聞くところによるとより史実に沿って作ったそうである。史実といっても原作のブライアン・バローのドキュメントノベルを読んでいないのでどこまで原作を生かしたのかわからないが、映画で描かれているプリティボーイ・フロイドやベビーフェイス・ネルソンはデリンジャーより先に殺されてしまっているし(彼らはデリンジャーの1934年7月22日の死後、10月、11月に殺された)リトル・ボヘミア・ロッジの銃撃戦で死んだのは民間人だけだったので、この辺はあきらかに史実ではない。またビリー・フレシェット(マリオン・コティヤール)との恋愛劇に主眼を置いたため、シカゴのバイオグラフシアターでのラストにいたる娼婦ポリー・ハミルトンと、密告したアンナ・セージとの関係性が全く希薄になって唐突感は否めない。

別にエンタテインメントなんだから史実にこだわれと言っているわけではないが(ミリアス版は考証的にはもっとひどかったのは確か)、だいたいデップじゃ格好良すぎる。スーツ姿も昔っぽくない、衣装もアルマーニとかなんかじゃないだろうか。

デリンジャー本人はインディアナ出身の田舎の悪党で実物の手配写真(左のおっさん)だとウォーレン・オーツそっくりだし、まあ名優オーツ先生の存在感の前では、まだまだデップでは軽すぎる(まあもっともオーツは“アリス”のようなファンタジーはできなかっただろうが)。売出し中のクリスチャン・ベールのメルヴィン・パーヴィスもベン・ジョンソンとでは比べるのがちとかわいそうだ。
またなぜ大衆が彼らを支持しないまでもある意味英雄視してしまったのか、その背景となった恐慌後のアメリカ中西部のやるせないような時代の雰囲気が、セットは金をかけて再現されてはいるのだがスクリーンからどうも匂ってこないのである。

ミリアス版では無視されていたが、今回興味深かったカポネを源流とするフランク・ニティらシンジケートとの確執にも、せっかく採り上げながらもビジネス的な時代の流れのようなことに単純化されていて、そこにあるイタリア系マイノリティの都市生活者的、互助的立ち位置とアナーキーに田舎を荒らしまわるプアー・ホワイトのアウトローたちとの根本的な違いみたいなものも見えてこない。

とまあそんなこんなで不満を言い出したらきりがないのだが、それもミリアス版への思い入れが強いが故。これを機に未DVD化の『デリンジャー』にも再び脚光を当ててほしいものである。

ただし今回の音楽の使い方は凄く良かった。ダイアナ・クラールの歌う「バイバイ・ブラックバード」はもちろん、ビリー・ホリディの「The Man I Love」ら珠玉のヴォーカルが心に響く。
大傑作とはいえないが、時間は飽きさせない佳作といってもいいだろう。